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俺の涼風 ぼくと涼風

作者:おかぴ1129
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18. “絶対に負けない”

「しばらくの辛抱だからな涼風。ちょっと痛いけど、我慢してくれな」

 ノムラはひとしきり私の身体を撫で回した後、もはや心が何も感じなくなった私の両手を後ろ手に回し、両手の親指を結束バンドで拘束した。かなり頑丈に締め付けられたようで、結束バンドに締め付けられた指の部分がうっ血しているのが、見なくても分かる。

「……」

 そのまま私の身体ではなく、指の結束バンドを引っ張って私を部屋の外へと誘導する。うっ血した指に食い込む結束バンドはとても痛く、私は抵抗が出来ずに、ただの人間のはずのノムラに、ただ、いいように引きずられ続けた。

 誰もいないのを見計らい、ノムラは私をひきずって、暗闇が広がる外へと足を踏み出した。ここは中庭。どの建物からも死角になっていて、寄宿舎からも食堂からも執務室からも、窓越しでは全景を確認出来ないエリアになっている。

『もう限界ッ! アンタもいい加減七面鳥とか言うのやめてよッ!!』
『そんなこと言ってません。最近のブームはウスターです』
『この……濃口醤油……ッ!!』
「!?」

 ノムラが私の身体を背後からギュッと抱きしめ、口を押さえて声を押し殺した。宿舎の廊下の窓から光が漏れる。数人の艦娘が、廊下を歩いていた。

「シッ……人がいる……」
『濃口醤油のくせにムカつくのよッ……!!』
『あなたもいい加減に醤油の偉大さに気付くことね』
「……」
「静かにな……ハァー……涼風……ハァー……いい子だろ……?」

 私の返事はおろか反応すら待たず、ノムラが私の耳元で、気色悪く生ぬるい呼気とともに囁く。

 ……少しだけ、吐き気がした。胃の中の物が少しだけ持ち上がりそうになり、口から出そうになる。耳元で履かれ続けるノムラの呼気が、まるで意志を持った毒ガスであるかのように、私の身体にまとわりつき、そして私を拘束する。

 しばくして、廊下を歩いていた艦娘たちの姿がなくなった。明かりも消え、人影が完全になくなっても、ノムラは私の身体から離れようとしない。私の頭を撫で、私の髪を乱し、匂いを嗅いで、私を貪るのに夢中になっているようだった。

「ハァ……ハァっ……す、涼風……」
「……」
「ちゃんと逃げられたら……二人になったら……ち、ちゃんと、愛してやる……からな……」

 嫌悪感すら抱かない。何も感じない。吐き気すら無くなった。私の意識が、外界に興味を失った。

 ただ、寒い。身体が氷のようにつめたく、そして寒い。ノムラが私を抱き続けているせいで、私の心が冷えていく。カーディガンを羽織っているのに……こんなにあたたかい、ゆきおのカーディガンを羽織っているのに、私の身体が温まらない。氷の中にいるように、寒い。

 艦娘が宿舎の窓から見えなくなったことを改めて確認したノムラは、名残惜しそうに私の頬に自分の口を押し付けた後、立ち上がって私の背中の結束バンドを再び容赦なく引っ張った。ぐいぐいと引っ張られた、親指を拘束している結束バンドは、パチパチと小さい音を立てながら少しずつ締まっていく。

 でも痛くない。もはや肉の人形と化した私は、自身の親指を締めあげられる痛みに鈍感になってしまっていた。……興味が無くなってしまっていた。

 ノムラに引きずられるままに、演習場そばの埠頭まで来た。ここも演習場から死角になっていて見え辛く、身を隠すには最適の場所になっている。その埠頭には、モーターボートが一台、停められていた。

「これで……ふふっ……これで、遠くに行こうな、涼風ぇ」
「……」
「二人だけで、仲良く、愛し合って過ごそうなぁ……涼風……!!」

 こんなもので遠くになんか行けるわけ無いだろうと、私の心の奥底で、私が静かにつぶやいた。だが、その自分自身の心の中でのつぶやきすら、今の私は無関心だった。

『もうどうでもいい』
『どうなってもいい』

 この言葉が、私の耳元で何度も何度も繰り返される。そしてその合間合間に聞こえる、ノムラの荒い息遣い。ニチャリと音を立てるノムラの笑みも、こちらの不快感をかきたてるノムラの呼気も、すべてがどうでもよかった。

 モーターボートに乗る素振りを見せずにただ立ち尽くす私の身体を、ノムラが肩に担ぎあげる。必要以上に身体を撫で回してくるノムラの手の平の不快感にすら、私の身体は反応しない。そのまま私はモーターボートに投げ捨てられた。モーターボートが揺れ、暗い水面に白波が立つ。ノムラがついでボートに飛び乗り、エンジンをかけてボートの舵を取った。

「ここから沖に出たところに小島がある。そこに大きな船がある」
「……」
「それを使って亡命する。どこか遠いところで、二人で、静かに、仲良く平和に暮らそうなぁ。涼風……」

 もはやノムラが何を言っているのか、それすら分からなくなってきた。私の頭が、周囲の認識すら拒絶しはじめたようだ。私はデッキに投げ捨てられたまま、もはや身動きすらできず、ただぼんやりと空を見上げ、漆黒の空を意思の乗らない眼差しで、ただ見つめ続けた。

「島についたら、拘束をといてやる。だからそれまで我慢だ……」
「……」
「ごめんな……愛してるぞ」
「……」

 もはや何も答えられない。何も見えないし、何も聞きたくない。感触も感じたくない。匂いも嗅ぎたくない。味わいたくない。

 モーターボートが走り始めて30分ほど経過した頃。速度が下がり、やがて停止した。

「ほら……涼風……」

 ボートの揺れにバランスを取られながらも、ノムラが私の肩を抱き、上体を起き上がらせる。抵抗する気力も意志も禁止された上、心が外界の一切を拒絶していた私は、ただ為すがままノムラに身体を支えられ、ノムラが指差す方向を見た。暗闇に紛れたその先に、小島が見えた。ここから見て、小さなクルーザーのような船も停っている。ノムラが言っていた小島がこれか。あれが、私をあの鎮守府から引き離す船か。あれが……私をゆきおから引き離す船か。

 不意に、私の鼻にフと、かすかに届く匂いがあった。

「……ゆきお」

 私の口が勝手に動き、ゆきおの名前をつぶやいた。その途端、私の両肩がじんわりと温かくなっていく。

 かすかな香りがハッキリと強くなった。この香りは消毒薬。ゆきおの部屋で……ゆきおの布団から……ゆきおの身体から漂ってきた、私が大好きな、ゆきおの香り。

「ゆきお……ゆきお……」
「? ゆきお?」

 ノムラが私の耳元で何かをつぶやいたが、それが私の耳に届くことはない。なぜなら私の心が今、ゆきおを求め始めたからだ。私の記憶の中のゆきおの声が、私の耳元で、宝石のように輝き始めからだ。

―― 僕と涼風は、ケフッ……二人で一人だから

 布団の中での、ゆきおの言葉を思い出した。ノムラに殺された私の心が、ゆきおの香りと言葉によって、少しずつ息を吹き返し始めたことを、私は感じた。

「……いやだよ……ゆきおと……離れたくない……よ……」

 私の口が、ゆきおとの別れを拒否した。私の目が涙を流し始め、この状況に……ノムラに抵抗の意志を示した。喉も目に呼応した。勝手にゆきおの名を呼ぶ口と共に、私に声を出す力を取り戻させてくれた。

――出来ないわけないよ。

 肩の温かさが、私の全身を温め始めた。ゆきおのカーディガンの温かさが、私に力とぬくもりを取り戻させてくれた。消毒薬の香りが、私の心に勇気をくれた。

「ゆきお……ゆきお……」
「誰だ涼風!! そのゆきおって誰だ!!!」

――ぼくは、そう思ってる

 ゆきおの名を呼ぶ度、私の身体に力が戻り始めた。私は振り返り、ノムラを睨む。涙を流してノムラを拒絶する両目で睨み、ゆきおの名を呼ぶ口を大きく開き、息を目一杯吸い込んだ。

「あたいに触るな!!!」
「な……」
「あたいは!!! ……あたいは、ゆきおと名コンビだ!! あたいはゆきおと、二人で一人なんだ!!!」
「なんだ……と……?」
「お前なんかあたいの提督なんかじゃねーやべらぼうめえ!!! あたいは……あたいは、ゆきおのものだ!!!」

 私は涙を流しながら、必死に、ノムラを拒絶した。

「だからあたいに触るなッ!!! あたいを触っていいのは、ゆきおだけだ!!!」
「……」
「あたいを抱きしめていいのはゆきおだけなんだッ!!!」
「……」
「だからあたいを鎮守府に戻せ!!! ゆきおの元へ帰せ!!!」

 周囲に突然『バチン』という音が鳴り響き、ほっぺたに激痛が走る。どうやらノムラから渾身の平手打ちをされたらしい私は、そのままデッキに身体を投げ出され、受け身も取れずに倒れた。それでも私は上体を起こし、そして、力が戻った目でノムラを睨みつけた。

「いッ……なにしやがるッ……!」
「……男か? そいつは、お前を誘惑する、悪い男か……?」

 ノムラは右手での平手打ちを振りぬいた姿勢で動きを止め、ハァハァと息切れを起こしている。その顔が真っ赤で、怒り心頭のようだ。私が自分ではなく、他の男と仲がいいということが、ノムラの癪に障ったのだろう。あの時のように、私を自由に出来ると思っていたのだろう。

 でも負けない。絶対に負けない。私とゆきおは二人で一人だ。私はゆきおのもとに帰るんだ。そのためにも、私とゆきおを引き剥がそうとする、この、おぞましく、自分勝手に私を蹂躙するノムラなんかには、私は絶対に負けない。

「てやんでい! ゆきおはなあ!! お前みたいなクソッタレと違うんだ!!! お前なんか、ゆきおの爪の垢でも煎じて飲みやがれ!! それすらお前なんかにゃもったいねえや!!!」
「……ッ!!」
「分かったら、あたいをさっさと鎮守府に戻せ!!! あたいをゆきおのもとに帰らせろッ!!!」

 ノムラが私の頭を掴み、そして思いっきり私の背後に押し倒した。後頭部をデッキにぶつけた私は、一瞬頭がグラッとしたが、すぐに頭を覚醒させ、そして再び、目の前の不快な男を睨みつけ、そして威嚇した。

 私に平手打ちを浴びせ、頭をデッキに叩きつけても、ノムラは冷静さを取り戻さなかったようだ。肩の上下は止まらず、乱れた呼吸は一向に整わない。だが目が据わりはじめ、その冷たい眼差しで、私のことをジッと睨みつけてきた。そしてそのまま私に馬乗りになり、薄汚い両手でセーラー服の裾をつかむ。

「なにしやがんだッ……このヘンタイヤロー……!!」
「そいつに汚されたのか!? お前の綺麗だった身体は、そいつに汚されたのか!? 俺の、俺だけのこの身体は!!?」

 ノムラが私のセーラー服をたくし上げ、私の肌が顕になった。そのままノムラは私のお腹をその手で、感触を確かめるようにゆっくりとさすりあげる。お腹にこの上ない不快感と嫌悪感が襲いかかり、吐き気を感じずにいられない。気持ちが悪い。吐きそうだ。気持ち悪い。気持ち悪い。

 だけど。

「ふざけんな……まだゆきおは、あたいのお腹にすら触ってねー……!!」
「そぉーか……愛する涼風の言葉なら、俺は信じて……」
「だけどなぁ……あたいはゆきおのモンだ……ッ!!! あたいの身体は……ゆきお以外の奴にゃゆるさねえッ!!!」
「……ッ」
「特にてめーみてーな汚えヤローなんかにゃ、ぜってーゆるさねえ!!!」

 負けない。絶対に負けない。ゆきおの元に帰るために……ゆきおに胸を張って会うために、絶対にこの男に負けない。私はお腹の上を這って蠢くノムラの手から逃れようと、必死に身をよじり、ノムラの魔の手から逃れ続けた。

「だったらさぁ……俺から離れる気にならないようにしてやるよ……涼風ッ!!!」

 だが、私は身体が拘束されている。両腕を後ろ手で結束バンドで拘束されている上体では、ノムラの両腕から満足に逃げることも出来ない。

「……ッんくッ」
「逃げてるつもりか……ほらほらァ」
「こン……ちきしょ……ッ!!」

 身をよじり続け、ボートの角まで来たが、気色悪いノムラの手を振り切ることが出来ない。次第にノムラの手が、私の身体を蹂躙しはじめた。お腹だけじゃなく、脇腹や太もも……私の身体のいたるところが……私の身体の、ゆきおすら触れてない部分が、ノムラに汚されていく。

「さすが俺の涼風だぁ……肌も綺麗で、触っていてキモチイイなぁ」
「ちきしょう……負けねぇ……あたいは……負けねぇ……ぞ……!!!」

 再び、目にくやし涙が滲んできた。ゆきおにしか許したくない所が、何も抵抗できずに汚されていく……負けたくない。こんな男に絶対負けたくない。だけど。

「んくっ……ちきしょ……ゆきお……ゆきお……ッ」
「来るわけないよなぁ……こんなところに……」

 抵抗したくても出来ない。私の全身はノムラを拒絶するが、その手段がない。必死に足をばたつかせるが、それが私に馬乗りになっているノムラに全く届かない。

「ゆきお……ゆきおぉ……」
「無理だなぁ……お前は、俺だけのものだよぉ」

 今、私の身体に覆いかぶさるように私を見下ろすノムラの顔が、ニチャリと音を立てて私をあざ笑う。悔しい。この男に私が汚される。私がゆきおと引き裂かれる。なのに抵抗出来ない。

 悔し涙が頬を伝う。私の肌を蹂躙するノムラの手に力が増した。セーラー服の裾を掴んで引き破り、私の胸元からお腹まで露出させ、下着が顕になった。ゆきおにすら見せたことのない私の下着が、この男に見られた。

「ちくしょぅ……ちく、しょう……ッ!!」
「ハァー……ハァー……フフ……キレイだ……涼風えぇぇぇ……」

 ノムラが私の顔を両の手の平でがっしりと固定し、見下ろした。そのおぞましい笑顔を見るだけで虫唾が走る。だけど絶対に目をそらさない。ノムラの目をギッと睨みつけ、ノムラに抵抗と拒絶の意志を叩きつける。

「もう諦めろぉ……お前は、俺のものなんだ」
「……」
「おとなしく、俺を受け入れろ……愛してるんだ……愛してるんだよ……お前を!!!」

 ノムラが気色悪い臭気を撒き散らしながら、私に愛の言葉を語る。その言葉に虫唾が走る。気持ち悪い。耳に嫌悪感しか沸かない。吐き気しか催さない。

 ふざけるな。お前なんかに負けない。私はお前なんか大嫌いだ。

「あたいは……お前なんかのモンじゃねぇ……!!」
「……ッ」
「あたいは……!」

 何度でも言ってやる。目を見て、睨みつけて言ってやる。全力で拒絶してやる。私はお前のものじゃない。私は、ゆきおと二人で一人なんだ。お前なんかに絶対に負けない。

「あたいは……ゆきおと、二人で……一人だッ!!!」
「……ッ!!
「だから……あたいのすべては……ゆきおのモンだ……!!!」

 私の全力の拒絶を受けて、ノムラの両目がピクピクと痙攣しはじめた。私の予想外の拒絶の意志の強さが、ノムラを混乱させているようだ。私の顔をがっちりと挟んで固定している両手に力がこもり、私の顔を潰す勢いでぎゅうぎゅうと締め上げていく。

「い、いいだろう……でもな……そう言えるのも、今の内だよぉお!!」

 ピクピクと痙攣する眼差しを向け、開いた口からヨダレを撒き散らしながら、ノムラが私の首筋に噛み付いた。痛みよりも何よりも、悔しさと嫌悪感で頭がどうにかなりそうだ。

「っくッ……ゆきお……ッ」

 首筋に、ノムラの舌の、べたりとした熱い感触が襲いかかる。抵抗出来ない。身体が動かせない。ノムラの荒い息遣いが気持ち悪く首にまとわりつく。呼吸も出来ない。したくない。呼吸すれば、ノムラが吐いた息を吸ってしまう。ノムラの匂いをかいでしまう。いやだ。こいつの息なんて吸いたくない。こいつの匂いなんか大嫌いだ。

「ゆきお……ゆき……お……ッ」

 私の首筋を貪ったノムラが、上体を起こした。そして自分のベルトに手をかける。荒い息遣いで私の顔をジッと見据えた。私は動けない。ノムラを睨みつけることしか出来ない。抵抗出来ない。力が出ない。

「ゆきお……」
「……へへ。ふはぁ……」
「助けて……」

 助けて。ゆきお……助けて。

「涼風ッ!!!」

 突如周囲に、今、私が一番聞きたかった声がこだました。その瞬間、私の身体に、かすかに力が戻った。聞き間違いかもしれない……最初はそう思ったけれど。

「ゲフッ……涼風ぇええッ!!!」

 また聞こえた。ノムラも私から視線を外し、大海原の方を訝しげに見ている。私もなんとか上体を起こし、声が聞こえた方角を見た。

「……探照灯か?」

 強く眩しい光が、周囲を照らす。眩しさで顔をしかめつつ、私はその輝きの奥にいる、二人の人影をジッと見つめた。

「涼風から離れろぉぉおッ!!!」

 間違いない……この、優しいけれどよく通る声……でも、今は凛々しくて、とても頼りがいのある、雄々しい雄叫びのような声は、私が一番聞きたかった声だ。私の涙が、悔し涙から安堵と喜びに変わる。

「涼風は、ぼくと二人で一人なんだッ!!!」

 探照灯の光の中にいたのは……摩耶姉ちゃんと一緒に水面に立って、ここまで私を助けに来てくれたのは……

「来てくれた……ゆきお……来てくれた……」

 私と名コンビ……二人で一人の、豆大福のような、桜餅のような私達。

「ゆきお……ゆきお……!!」
「涼風は……お前なんかには、絶対に渡さないッ!!!」

 ……ゆきお、待ってた…… 
 
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