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SAO-銀ノ月-

作者:蓮夜
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掛罠

『――せいいっぱい遊ぼうねぇ!』

 それが俺の耳に最もこびりついたリーベの言葉。鬼ごっこや達磨さんが転んだなどと、とにかく彼女は『遊ぶ』ということにこだわっていて、まさにゲーム感覚で死銃事件の一翼を担っていた。俺との戦いもその一貫でしかなく、人間の命がかかっていようが、本当に楽しそうに彼女は踊る。

『――羨ましいよね、生死を賭けた戦いなんて出来て 』

 その理由は、かつて《SAO》で戦死した彼女の兄が感じたことを理解すること。まるで意味は分からないが、それだけを求めてリーベは行動している。兄がデスゲームで行っていた命懸けの戦いとは、果たしてどんなものだったのか。その常人では計り知れないことを知るために、彼女はああして狂気に堕ちたのかもしれない。

 ……しかし、もう《SAO》の浮遊城は存在しないのだ。それでもかつての死銃のように、心だけは未だにあの脱出不能の牢獄に囚われたままらしく。助ける、などと人聞きのいい言葉を発する気こそないが、未だに《SAO》から逃れられない者を解放するのは、曲がりなりにもあのデスゲームを終わらせた俺たちの義務だ。

 ……そうしてリーベは、俺が止められなかった人物なのだから、なおさらだ。

「やっほー、ショウキくん! 女の子を待たせるなんて万死に値するけど、久々の再会だから許してあげる!」

 そうしてイグドラシル・シティ近くの浮き小島、多少の大きさがある岩にゆったりと腰かけたリーベが、飛翔してきた俺たちに向かって手を振ってきた。その小島は何もなく、そして適度に広い大地が広がっていて、まるで闘技場のような様相を呈していて。障害物もなく見晴らしもいいため、罠を仕掛けられるような場所もないが、念のために用心しながらも俺たち三人はその浮き島に降り立った。

 先程、リズベット武具店を訪れた時は一瞬だけしか見えなかったが、その外見は《GGO》の時とさほど変わらず、露出度の高い踊り子の衣装を身につけている。あちらではピンク色の髪を
ツインテールに結んでいたが、こちらでは無造作に肩まで伸ばしているだけだ。そうして観察しているうちに目が合うと、今までニコニコとしていたリーベの表情が、俺の背後を見ながら不機嫌なものに変わっていって。

「でも、せっかくのデートに他の女の子を連れてくるのは、もう減点ってところじゃないよ?」

「話は――」

「……リズ。ちょっと待って」

「あれ? シノンちゃん久々!」

 相変わらずのリーベの言動に我慢ならないように叫ぼうとしたリズだったが、後ろで油断なく周囲を警戒するシノンに止められる。元々は同じ《GGO》にいたよしみからか、シノンの存在には反応してリーベは岩に腰かけたまま拍手を送る。……問題は、アバターが違うはずの彼女をシノンだと見破ったことだが。

 ああした言動をしているリーベだったが、《GGO》の時も苦戦させられたのは、誘導された最終決戦の場所に入念に設置された罠。そしてそれ以上に、戦う前にこちらの行動を余すことなく観察したからこそ出来る、どんな行動を取るかの先読みだった。それらのように、戦いを始める前こそが彼女の本領であり、今回もそれは例外ではないのだろう。

 ……つまり、シノンがアバターを変えて《ALO》に来てから、俺たちはずっと監視されていた可能性もある。

「へぇ。アバターが違くても分かるわけ?」

「分からないわけないじゃん! こうして会話して、ウチが『密売人』の証拠を漏らさせようとする、シノンちゃんでしょう?」

「っ……」

 そして、そんな下調べのことなどはリーベはおくびにも出さずに。シノンがどうしてか会話を引き伸ばそうとしていた理由は、他ならぬリーベの手に……口によって知らされる。手痛い返しをされたシノンも、持ち前のポーカーフェイスを崩さないでいたものの、少しばかり眉間にシワが寄っていたが、これ幸いと会話を続行する。

「分かってるなら話は早いじゃない。どうなの?」

「うん! ウチが例のデジタルドラッグを撒き散らしてる当人だよ! 安くて好評なんだけど、シノンちゃんもどうかな? ……強くなりたいんでしょ?」

「……おあいにくさま。間に合ってるわ」

 隠す気のない舌打ちとともに、シノンはリーベとの会話を打ち切った。その成果として、何の抵抗もなく『密売人』は彼女だと、他ならぬリーベによって晒される。戦闘の最中にでも写真に納める気なのか、背後でリズが《記録結晶》を準備しているようだが、それはリーベにも筒抜けだったようで。

「ステージに立った踊り子はさ、確かに写真撮影は自由だけど、無許可は失礼だよねー……事務所を通してもらわないとさぁ!」

「……構えろ!」

 いきなり背中に冷水をかけられたかのような悪寒に、ほとんど反射的に残る二人へと叫ぶ。しかしてシノンにリズも同様の悪寒は感じられていたようだが、二人が武器を構えるより早く、突如として複数のプレイヤーが俺たちを取り囲んでいた。明らかに対人戦を想定した装備にバラバラな種族、明らかにこちらへ敵意を向けていることと、彼らがリーベの手のものなのは明らかだ。

「こいつら……どこから!」

「苦労したんだよ? シノンちゃんにもバレないくらいの《隠蔽》スキル持ちの、ひ、と」

「……なによ、あんたら!」

「散れ!」

 どうやら浮き小島の下にでも隠れていたらしく、シノンへの煽りとともにリーベはすっかりと見物に入るようだ。リズの糾弾にもまるで応える気もなく、いきなりプレイヤーたちは襲いかかってくるが、相互に連携しようとはせず包囲はバラバラで、個別に逃げられるだろうと判断して。ひとまずは自身を囮にするように、もっとも包囲が厚いところへと向かっていく。

「なんで襲ってくる!」

 そうして俺の正面に立った槍を構えたサラマンダーに問いかけるが、やはり先のリズからの時と同様に答える気はないらしく、すぐさま待ち構える体勢で槍をこちらに向ける。まるで血を吸ったように真紅の槍に隠れるように、側面からさらに二人のプレイヤーが迫っていることを横目にしながら、俺はコートの内側に縫い付けた専用ポケットへと手を入れる。

 敵プレイヤーたちの表情からは、自らの強さに完膚なきまでの自信がある笑みを浮かべていて、それは例の『デジタルドラッグ』に起因するものの可能性がある。あの踊り子の言葉をどこまで信じていいかは分からないか、本当にリーベがデジタルドラッグの『密売人』だったのならば、こうしてリーベの味方をする彼らが『服用者』である可能性は高い。その効力は、シノンが忌々しげに反応速度や伝達速度が違うと語るほどで、単純な正面からの攻撃は届くまい。

 ならば、と。ポケットから取り出したのは、日本刀《銀ノ月》の柄に装填することで、刀身に属性を与える専用のアタッチメント。本来なら土属性を付与するとともに、周囲に土煙を展開して相手の目を奪うアタッチメントを装填したいところだが、それではシノンやリズまでもが巻き込まれてしまう可能性がある。素早く別のアタッチメントを柄に装填すると、槍を構えたサラマンダーに肉薄する。

「ゥオラ――」

 相手も気合い一閃、こちらを近づかせまいと槍を振り抜くが、抜き放たれた日本刀《銀ノ月》から、瞳を焼き尽くすかのような光が放たれた。それを直接的に見てしまったサラマンダーは、まるで望遠鏡で太陽を見たかのごとく、視力を失い槍で攻撃するどころではなく。

「セイッ!」

 装填したアタッチメントは光属性を付与する《閃光》。鞘の中からその光量を解き放つことで目眩ましとし、さらに光速を付与された抜刀術の一撃がサラマンダーに吸い込まれ――

 ――ることはなく。瞳を失って見えないはずの一撃は、サラマンダーの槍による適格なパリィによって弾かれ、こちらが多大な隙を晒すだけに終わっていた。

 偶然ではない。あのサラマンダーは瞳が効かない無音の闇の中で、こちらの抜刀術の軌道を読み適格に防いでみせたのだ。気配か、音か、見ていたところからの予想か。いずれにせよ、一撃必殺を狙った技は、なんてこともなく防がれてしまって。

「な――」

「ハァァッ!」

 にわかに信じられない出来事に硬直した身体は、さらに側面から迫っていたダガー持ちのスプリガンの攻撃に反応することすら出来なかった。左の肩口を大きく切り裂かれてしまうが、利き腕ではないことが不幸中の幸いとして、右腕で日本刀《銀ノ月》をそのスプリガンに振るったが、当然のように懐に潜り込まれてしまい。日本刀《銀ノ月》を振るえないほどの近距離から、心臓を抉るようなダガーが迫ったが、そこは風魔法を暴発させてお互いを吹き飛ばすことで事なきを得て。

「なによっ……こいつら!」

 暴発から上手く体勢を整えて柄から《閃光》のアタッチメントを排出していると、背後からリズの悲鳴に近い言葉が聞こえてくるものの、あいにくと助けに行く暇はない。あちらも自力で何とかしてくれることを祈ると、俺の頬を雷撃が掠めた。一瞬でも首をかしげるのが遅ければ、それだけで俺の頭部は焼かれていたと確信できる。

 最初に接敵したサラマンダーは、まだ《閃光》による視力へのダメージが回復しておらず、槍を構えて待機していて。共に風の暴発で吹き飛んでいったスプリガンは、予想外なことだからか未だに体勢を整えられずに転んだままで。リズにシノンも戦っているとなれば、俺の前に残るはあと一人ほどか。

「あれ、やっぱりヘッドショットはダメか……なら……」

 予想通り、いかにも魔法使いといった風貌のシルフが一人。ワンドを片手にブツブツと何事か呟く眼鏡をかけた彼が呪文を唱えるとともに、その手に持ったワンドに雷が宿っていく。どうやら、あのワンドから魔法を弾丸のように撃ちだしているらしく、こちらへワンドを銃のように構えると。素早い詠唱とともに、再び雷撃が放たれるのと、日本刀《銀ノ月》に新たなアタッチメントが装填されるのは同時だった。

「は?」

 装填したアタッチメントは雷属性。こちらは同様に刀身が雷撃を纏っていくだけではなく、敵が発射した雷撃を吸収する効力を発揮する。シルフの間抜けな声とともに、ワンドから放たれた雷撃が刀身に吸収され、猿真似のように日本刀《銀ノ月》をシルフに構えて。

「……返す!」

 返礼だとばかりに日本刀《銀ノ月》の柄にある引き金を引けば、雷撃を纏った刀身が高速でシルフに飛来していく。自らの魔法に絶対の自信を持っているのか、再びワンドからの雷撃を放ったものの、それは日本刀《銀ノ月》に内包される雷を増幅するのみに終わる。

「チッ!」

 とはいえ距離が遠い。舌打ちとともに身を翻したシルフには当たることはなく、そのまま刀身は背後へと消えていく。苦労もなく飛来する刀身を回避したシルフは、何度でも撃ち込んでやろうという意図を込めてか、さらにワンドに雷撃を込めて。

「があっ!?」

「はあ……!?」

 ――背後から響いた悲鳴を効く。三乗の雷撃をた伴った刀身の狙いは最初からシルフではなく、シルフの背後で風魔法の暴発から体勢を整えていたスプリガン。彼の視点からは飛来する刀身はシルフが陰になって見えず、さらに体勢を整えていたところということもあり、その一撃は深々と肩口を貫き傷口は雷撃が焼いていた。

「ハァァッ!」

「ッ……チィッ!」

 そして仲間意識などないような連中だとはいえ、背後からの悲鳴に気をとられない筈もなく。シルフが背後を確認した隙に高速移動術《縮地》で接近し、日本刀《銀ノ月》で上段から切り裂くべく振りかぶるが、シルフはその反応速度を活かして既に回避行動を取っていて。勝利に確信した笑みを浮かべながら、カウンターのように雷撃を纏ったワンドを俺の腹に構えて。

「はっ……が!?」

 次の瞬間、シルフは腹に前蹴りが炸裂して、勝利の笑みを浮かべた表情を歪ませながら吹き飛んだ。上段にわざとらしく振りかぶったのはフェイントであり、それと同時に放たれた本命の下段蹴りが狙い通りに炸裂した結果、相手からは思いもよらぬところからの衝撃が加えられたらしく。生命線だろうワンドを取り落としながら、ゴロゴロと転がっていくシルフを見つつ。フェイントが効くようなら、いくら『デジタルドラッグ』とやらで反応速度が人間離れしていても、それだけならばいくらでもやりようはあると。

 そう思いつつ空中へ投げ出されたワンドを掴んて敵に構えれば、伴っていた雷撃が暴発するかのように発射された。あるいはあのシルフからの最後の抵抗だったやもしれないが、その雷撃は刀身が深々と突き刺さったスプリガンへと放たれていく。度重なる雷属性の攻撃を受けたために身体の自由を失ったのか、スプリガンは身体を痺れさせて倒れ伏した。

「リズ! シノン!」

 そうしてシルフから奪ったワンドを斬り裂き武器破壊をすると、ひとまずは三人の動きを止めたと、リズたちの方を確認してみれば。どうやら二対二の戦いになっているようだが、シノンの援護射撃とリズの一撃の重さに敵は攻めあぐねているらしく、リズたちも敵もお互いに大した傷は見られなかった。

 ならば、と。俺がやるべきことは、その膠着状態をこちら側を有利にするため、とうにかして介入する他ない。ひとまず専用ポケットからクナイを取り出すと、大剣持ちのサラマンダーへと風魔法を伴った勢いで投げ放った。

「っ!」

 死角から放ったにもかかわらず、サラマンダーはこちらを見もせずに背面に構えた大剣でクナイを弾いてみせ、そのままの勢いでリズに振り抜く算段だったようだが。敵の前で武器を背面に向ける、などといった隙をリズが見逃す訳もなく、サラマンダーの腕を掴んで大剣が振れないほどに接近すると。

「これでフラッフラ逃げられないわよ……ねっ!」

 一撃の威力だけならば、エギルと並んで俺たちの中でも最も高いリズの攻撃が、サラマンダーの深紅の鎧の上から盛大に打ち付けられる。それでも重装甲のサラマンダーには通用しないはずだったが、リズが装甲の薄い箇所を狙った結果として、サラマンダーに一時撤退を決心させるほどの威力を持っていて。

「せやっ!」

「このっ!」

 リズの拘束を無理やり解いたサラマンダーが、翼を展開して逃げようと動きを止めた一瞬に、一足跳びで近づいてその翼を根本から斬り裂いて。空を飛べなくなったサラマンダーが大地に落下するとともに、こちらへ大剣を振るおうとするものの、そこを側面からリズのメイスが無理やり叩きつけられ、武骨な大剣が浮島に転がっていく。

「トドメだ!」

 魔法を唱える隙も新たな武器を取り出す隙も、とにかく倒れ伏したサラマンダーに体勢を整える隙を与えるつもりはない。装甲がない首もとに容赦なく日本刀《銀ノ月》を振り下ろすと、急所たる首に突き立てられたことで、サラマンダーのHPがみるみるうちに消えていく。とはいえ敵は典型的な重装甲かつ高火力なプレイヤーであり、倒すまでになんらかの抵抗はしてくるだろう――とは思っていたが。

「ガァァァァァァァァァッ!」

 中空に響き渡る獣のような悲鳴。あまりにも人間離れしていたために、それがサラマンダーから発生しているものだと気づくのに、目の前にいるにもかかわらず数秒の時間を必要とした。何故ならリミッターがかけられた《アミュスフィア》では、これほどの悲鳴を発するほどの苦痛は与えられないはず、とまで考えたところで。

「ぁは」

 ――状況を面白そうに見守るリーベと目が合うとともに、彼女の考えがこちらに伝わってきた。デジタルドラッグはプレイヤーを強くするものではなく……と思考が脳内で巡りながら、日本刀《銀ノ月》をサラマンダーの首もとから引き抜くものの、もはや既に時期を逸してしまっていて。

「うわぁぁぁ! ぁぁぁぁぁ!」

 俺の足下にいたサラマンダーは、苦痛の叫びとともにポリゴン片と化した。その苦痛の正体は、十中八九あの『ペイン・アブソーバー』というシステムだ。かつて《ALO》において須郷が仕掛けていた、VRでのダメージを現実での苦痛として再現するシステム。出所や手段は分からないが、恐らくはあのデジタルドラッグに、同様のシステムが仕込まれているのだろう。

 ならば、どうしてそのような不利益しかないシステムを、リーベはデジタルドラッグに搭載したのか。その答えは――

「ッ……うっ――」

「ショウキ! ちょっと……どうしたのよ!?」

 ――唐突な吐き気が俺の脳内に襲いかかると、日本刀《銀ノ月》を浮島の大地に突き刺してもたれかかることで、なんとか倒れることだけは免れる。隣に立っていたリズがこちらを心配してくれているようだが、脳で暴れまわる頭痛と吐き気に何を言ってくれているかまでは分からず、力を振り絞ってリズの背後を指差した。

「らぁぁっ!」

 そこに迫ってきていたのは、日本刀《銀ノ月》の刀身の弾丸を避雷針にした雷撃を受け続け、瀕死になっていた筈のダガー持ちのスプリガン。身体を蝕む電撃による麻痺からも解放されておらず、すっかり逆上してHPを回復することもせず、そのままリズへと斬りかかってきた。

「このっ……!」

 本来ならば、麻痺をした瀕死の軽装プレイヤーなどリズの敵ではない。しかしてリズは倒れ伏したも同然の俺を守るために、その場を動かず防戦の構えを取ったために、振るわれたメイスは軽々と裂けられ、純白のエプロンドレスをダガーが抉る。

「っ!」

「リズ! 下がって!」

 残る一人の敵プレイヤーを足止めしていたシノンが、こちらの危機に振り向きソードスキルを伴った矢を放つ。弓矢のソードスキルの中で最も高速を誇る一撃であり、リズと対峙するスプリガンからは見えない場所からの狙撃と、動きが鈍った敵には避けられるわけもない。

「シノン! 撃つな!」

「えっ――」

 ただしシノンらしい正確無比な一撃が仇となって、俺の警告も間に合うことはなく。シノンの狙い通り、リズを掠めてスプリガンにのみ矢は直撃すると、そのままポリゴン片と化していく。先のサラマンダーの時と同様に、この世のものとは思えぬ絶叫をこの世界に残しながら。

「あ……」

 その狂気の叫びを聞きながら、シノンは呆然とした様子で弓矢を取り落とす。その瞳はどこか遠くを見ていて、まるで耐えられないほど寒いかのように、自らの肩を抱いて座りこんでしまう。 

「あ、嫌……ちが……嫌!」

「シノンまで……どうしたってのよ!」

「人を殺したんだよ」

 普段の様子が嘘のように錯乱するシノンに、俺たちに何が起こったか状況がわからないリズが叫ぶと、リーベが静かに語りだした。恐らくは俺の予想と同様の、彼女が仕掛けていた最大級の罠のことを。

「殺した……? このALOでなに言ってんの!」

「うん。正確には殺した感覚、ってところかな。人を殺した時のね、カ、ン、カ、ク!」

「ッ……!」

 ……リーベがあのプレイヤーたちに使わせたデジタルドラッグに仕込まれた、VRでの痛みを実際のものとする機能《ペイン・アブソーバー》。使用者にとってデメリットにしかならないソレが仕込まれた理由は、VR空間で死んだ感覚を……つまり、俺たちにとっては人を殺した感覚を再現させるために他ならない。苦悶に浮かぶ表情と死にたくないとばかりの絶叫、そして腕にこびりつく独特の感覚。

 ――それは確かに、あの浮遊城で味わった感覚と同じもので。

「この機能にいっちばん苦労したんだけど、感想をくれないかな? あ、でも、本当に人を殺したような殺人鬼にしか本領を発揮しないんだよねー」

 感想とやらは、吐き気に襲われる俺と、自らの肩を抱いて呆然とするシノンを見て満足したのか、リーベは唐突に話題を変えていた。人を殺した相手にしか効果を発揮しないというのは、俺のように自らの記憶に蓋をしたような奴にも有効らしいが、ならばシノンには――

「シノンちゃんにはちょっと不満かな? なんて言っても、撃ち殺したのがさ、本物の――」

 ――リーベの言葉が最後まで発せられることはなく。放たれたクナイが頬を掠めるとともに、口を閉じる代わりにリーベの口角が上がっていく。本来ならば、そのよく喋る口に直接ぶち込む軌道を狙っていたのだが。

「……少し黙れ」

「はーい、ショウキくんの頼みなら。だけどさ、ウチが喋るの止めたら……いいね?」

 キリトとアスナしか知らないはずの、シノンの秘密を口にされるのだけは阻止したが、その代償としては。リーベがわざとらしく口に指を置くと、ずっと待機していた敵プレイヤーたちが動きだした。それはまるで訓練された猟犬のようで……いや、実際にデジタルドラッグという餌でリーベに釣られた、犬も同然なのだろうが。

「リズ! シノンを頼む!」

「どうすんのよ!」

「……逃げるんだよ!」

 吐き気を圧し殺して立ち上がると、日本刀《銀ノ月》を鞘にしまいながら宣言する。リーベを目の前にして逃げるのは癪だが、今はもはや戦えるタイミングではないと。まだ身動きのとれないシノンをリズに頼み魔法の詠唱を開始するが、生き残った敵プレイヤーたちも逃すまいと攻勢をかけてくる。

「大丈夫か!」

「キリト! ……ごめん、殿を頼むわ!」

 しかしそんな俺たちと敵プレイヤーの間に、黒い疾風のように一人のプレイヤーが降り立った。リズの言葉と戦況から何を狙っているのかが分かったのか、そのプレイヤー――キリトは、牽制するように《聖剣エクスキャリバー》を構えて。

「いくぞ!」

 どうしてここに来たかは分からないが、とにかくこのタイミングで来てくれたキリトは、もはや天の助けも同義だった。理由は後にするとして、キリトが稼いでくれた時間でリズがシノンを助けるとともに、俺も魔法の詠唱を完了する。さらに日本刀《銀ノ月》に風の属性を付与するアタッチメントを装着し、その柄を握って息を強く吐いて。

「……セイッ!」

 渾身の抜刀術。さらに風魔法にアタッチメントにより疾風を加えたそれは、カマイタチを生じさせて万物を斬り裂く刃と化した。ただし斬り裂くのはリーベや敵プレイヤーではなく、俺たちが立っていた浮島の大地だった。

「あぁ!?」

 先程、日本刀《銀ノ月》を地面に突き刺し杖代わりにした時に、破壊不可オブジェクトではないことは確認していた……ならば、斬れない道理はなく。大地は両断されるとともにその耐久値は全損し、ポリゴン片と化してこの世界から消え失せ、俺たちは立つべき大地を失っていた。

「……デートの続きはまた今度、かぁ。でもね」

 とはいえここは妖精たちの世界《ALO》。大地を失っても飛翔すればいいだけの話で、事実、敵プレイヤーたちも驚愕しながらも翼を展開して滞空している。対する俺たちは翼を展開することはなく、あえてそのまま自由落下に身を任せることで、イグドラシル・シティへと急行していく。

「ありがと、ショウキくん。久々に遊べて嬉しかったぁ……!」

 ――そうして逃げる俺が最後に見たものは、狂喜の笑みを浮かべたリーベの姿だった。


「……追って来ないみたいね……」

「っ……キリト、助かった。だけど、どうしたんだ?」

 そうして敵プレイヤーたちを撒いた後に《イグドラシル・シティ》のリズベット武具店近くまで飛翔してきた俺たちは、リーベやデジタルドラッグを服用したプレイヤーたちの尾行がないことを確認しながら、殿を務めていたキリトを最後にひとまず街に着地した。まるでマラソンをした後のような不愉快な疲労感に一息すると、助けてくれたキリトに対して向き直った。

「……死銃事件のことならって、私が呼んでたのよ。間に合うか難しいところだったから、言わなかったけどね……」

「シノン……」

「……ごめんなさい。少し、休むわ」

 リズに抱き抱えられていたシノンが一人で立ち上がったものの、やはりその顔色はどうしようもなく悪く。心配そうなリズの言葉に手振りで応じながら、こちらの了承の言葉も待たずにログアウトしていき、シノンのアバターがこの世界から消えていった。

「シノン……そっちこそ、何があったんだ。ショウキ」

「デジタルドラッグ……って知ってるか?」

「あ、ああ……」

 ならば話は早いと、リズベット武具店に歩いていきながら、キリトが来るまでのことを話していく。リーベのこと、デジタルドラッグを服用したプレイヤーのこと、そして――そのデジタルドラッグに仕組まれた、俺たちへの悪辣なトラップのこと。服用者のHPを全損させると、かつて人間を殺した感覚が手の中に甦り、強制的に脳裏にトラウマを想記させる。たまたま俺が、トラウマを無理やり記憶の中に封じ込めて覚えていなかったため、殺した感覚の再現による吐き気だけで済んだものの、シノンは――

「人を殺す感覚……か」

「……キリトも、気をつけてくれ」

 ――アレはプレイヤーの反応速度を上げるためのツールなどではない。リーベが仕組んだ、俺たちに対しての『罠』だ。 ……話が終わり、俺とシノンの状態に得心がいったのか、キリトが強く拳を握って何かを考え込む。

「ショウキは、大丈夫なわけ?」

「大丈夫……ではないから、店でちょっと休ませながら考えさせてもらう」

「考える?」

「……デジタルドラッグのことか?」

 心配そうに語りかけてくるリズには悪いが、キリトの問いに小さく頷いた。そう、確かにデジタルドラッグは俺たちにとって脅威だったが、まさか俺たちを苦しませるために流通させたとは思えず、他に何らかの目的があるはずだとともに、対抗策を考えねばリーベに近づけもしない。

「……そうね。何とかしなきゃ」

 そうしてリズベット武具店へとたどり着くと、どうやら店の忙しい時間は完全にピークを過ぎたらしく、あまり内部に人間の気配は感じない。これなら工房でゆっくり出来るかと、リズが武具店の扉を開けてみれば。

「プリヴィ……ううん。いらっしゃませ、ショウキくん!」

 ――そこには、我が物顔でレジに座っていた少女から、言われなくなって久しい言葉を投げかけれた。銀髪のロングヘアーに自信満々な表情を貼りつけて、目の前の机には何故かミルクコーヒーが置かれていて。

「……セブン?」

「はぁい、セブンちゃんよ。久しぶり……って言う前に、何かあったのかしら?」

 その少女――セブンの年齢離れした眼光が、俺たちに向けられた。
 
 

 
後書き
ショウキくんは恐怖からSAOで人を殺した記憶を自らで封じている、確認。久々にALOでの戦闘ですね。ドーピングされてるとはいえモブ集団ぐらいには勝てますが、この二次は相手が上手なのが原則らしいですよ 
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