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亡命編 銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
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第七十一話 口喧嘩

宇宙暦 795年 8月 5日  ハイネセン   ジョアン・レベロ



テーブルの上には大皿が二つ、サンドイッチが山盛りになっておかれている。そして他にはグラスが幾つかと水、ワインが用意されていた。
「今日はサンドイッチか、ヴァレンシュタインが怒るぞ、トリューニヒト。自分が居ない時にサンドイッチを出したと」
私の言葉にトリューニヒトが笑い出した。

「ではピザにするかね」
その言葉に皆が渋い表情をした。
「ピザだと? 冗談は止せ、あれが冷めると美味くないのは前回で実証済みだろう、ピザは会議には向かんよ。それならドーナツの方がまだましだ」

私の言葉にシトレが顔を顰めて反対した。
「ドーナツは止めてくれ、私は甘いものは苦手だ。大体ドーナツにワインが合うのかね」
「その時はコーヒーにするさ」

「レベロ、それこそヴァレンシュタインが怒るぞ。あの男はコーヒーが嫌いだからな」
面倒な小僧だ、コーヒーは嫌い、酒も飲めない。好きなものはココアだと、ココアなんか会議室で飲めるか! 匂いだけでウンザリする。

「皆、その辺にしておけ。さっさと会議を始めようじゃないか」
呆れた様なホアンの声に皆が苦笑しながら席に着いた。私とホアンが並びその対面にトリューニヒトとシトレが並んでいる。軍関係者対内政関係者か……、ごく自然に席が決まった。

「で、どういう事なんだ。私はその場には居なかったんだが」
シトレがグラスにワインを注ぎながら問いかけてきた。視線は私とホアンを交互に見ている。

「帝国は混乱している。これに乗じてイゼルローン要塞を攻略するべきではないか、そういう意見が出た」
グラスを取り一口飲んでから答えた。酸味が強く感じるのは話題のせいかもしれない。
「軍の方針は説明したのだろう」

シトレは今度はトリューニヒトを見ている。ちゃんと仕事をしているのか、そんな視線だ。
「もちろんだ。その有効性も説明したよ」

トリューニヒトは心外だと言わんばかりだ。サンドイッチを一つとり口に運んだ。そしてげんなりした口調で言葉を続けた。
「しかし、納得はしていないだろうな」

納得はしていない、その通りだ。ホアンがサンドイッチを味わうと言うより考え込むように食べている。ワインを一口飲むと話し始めた。
「軍を責めるわけではないが少し派手に勝ちすぎた。それに帝国の混乱が予想以上に酷い。その事が皆を好戦的にしているんだと思うね」
ホアンの言葉に皆が頷いた。

「フリードリヒ四世、エルウィン・ヨーゼフ二世……、まさか立て続けに死ぬとは思わなかった……。戦争による損失よりも政治的な混乱の方が帝国に深刻な影響を与えているようだ」
トリューニヒトが呟くとまた皆が頷く。

そのまま皆黙っている。以前此処でヴァレンシュタインと話した時、彼は皇帝の寿命が帝国の不確定要因だと言った。それによっては別な選択肢が出るだろうと……。

人の寿命など分かるはずもない、一体何時の事だと思ったがこうも早く現実になるとは思わなかった。帝国はその現実に対応できずにいる。そして我々もその事態に追い付けずにいる。あっという間に世の中が動き始めた。急激に、独楽が回転するように動き我々は振り回されている。

「今回は私とホアンが反対して有耶無耶になったが、いずれまたイゼルローン要塞攻略論は出てくるだろうな」
トリューニヒト、ホアンが頷いた。シトレは渋い顔をしている。

「厄介なのはトリューニヒトへの反感から出兵論を唱えている人間が居る事だ。理性ではなく感情の問題だからな、始末が悪い」
「どういう事だ、レベロ」

「副議長兼国務委員長ジョージ・ターレル、法秩序委員長ライアン・ボローン。この二人がトリューニヒトに反発している、理由は分かるな」
シトレが横を向いてトリューニヒトを見た。トリューニヒトはウンザリした様な表情をしている。

「連中の魂胆は分かっている。イゼルローン要塞を攻略させる。成功すれば軍の方針を変更させたと言って自分達の功績を声高に言い募るのだ、失敗すれば私とシトレ元帥の責任を問うつもりだろう」

「連中にとってはどちらに転んでも損は無い。しかし国家にとっては……」
トリューニヒトが語尾を濁した。それを見てシトレが口を開いた。
「どちらに転んでも損だな。負ければ兵が大勢死ぬ、勝てば帝国領出兵が現実のものとなる」
トリューニヒトが大きく溜息を吐いた。この男らしくない事だ。

腹が減ったな、サンドイッチを一つ摘んだ。他の三人も思い出したようにサンドイッチを手に取る。暫くの間、皆が無言でサンドイッチを食べ続けた。

「実際のところ、どうなのだね? 帝国は混乱していると言うがイゼルローン要塞を落とせるのかな。あれは難攻不落なのだろう?」
ホアンの質問にトリューニヒトとシトレが顔を見合わせた。ややあってシトレが自分の考えを確かめる様な口調で話し始めた。

「確かに難攻不落ではある。しかし確証は無いのだが帝国軍の士気はかなり下がっているのではないかと軍情報部では見ているんだ」
「……では実際に要塞が落ちる可能性が有ると?」
「うむ、かなりの確率でな」

シトレとホアンの会話に皆気が重そうな顔をしている。馬鹿げている、何故我々がイゼルローン要塞の陥落を心配しなくてはならないのか……。

「帝国領への大規模侵攻か、それさえなければ要塞を取っても良いのだがな」
「いや、それは駄目だ、レベロ。要塞攻略はいかなる意味でも拙い」
シトレが首を横に振って否定した。

「例のカストロプの一件で帝国の統治力は酷く不安定になっている。そんなときにイゼルローン要塞を攻略して見ろ、辺境では独立運動が起きかねん。救援を要請されたら今の政府が断ると思うか? なし崩しに帝国領への関与が深まるだろう」
「……」

帝国領への関与、つまり金、物資、兵の投入か。以前ヴァレンシュタインが言った際限の無い介入と国力の疲弊……。考えているとトリューニヒトの声が聞こえた。

「帝国がどうなるのかは分からない。崩壊か分裂か、或いは再生か……。帝国が再生するなら和平を結ぶべきだ、しかし崩壊か分裂なら放置して同盟の安全のみを考えるべきだと思う」

和平ではなく安全か……。例え帝国が地獄になろうと放っておくと言う事か……。エゴイズムと言って良いのだろう、だが同盟市民をその地獄に巻き込む事は出来ない。であればトリューニヒトの言う事は正しい……。

少しの間沈黙が落ちた。多分皆が安全という言葉が持つ意味について考えていたのだろう、その冷酷さを。

「何らかの理由を付けてイゼルローン要塞攻略に反対しなければならんだろうな……。どういう理由が有る? 今回はどんな理由を付けたんだ?」

「経済と財政が破綻する……」
「社会機構の維持が出来なくなる……」
シトレの問いに私とホアンが答えた。辛気臭い答えだ、部屋の空気がさらに重くなったように感じられた。

「ホアンが良くやったよ、軍から民間へ四百万人戻せと言ったからな」
私の言葉におどけたようにホアンが肩を竦めた。そのしぐさに部屋の空気が僅かに緩んだがその事がホアンには面白くなかったらしい。冗談と取られたと思ったようだ。

「冗談では無いよ、私は本気で言ってるんだ。今すぐにでも人を民間に戻すべきなんだ。」
「今は無理だ、そんな事をしたら軍組織が崩壊する」
ホアンがキッとなってトリューニヒトを見た。
「だがこのままでは国家が崩壊する」
いかんな、トリューニヒトとホアンが睨みあっている。二人とも思うようにいかず苛立っている。

「落ち着けよ、二人とも。だから和平を、そうだろう」
私の言葉に二人がバツが悪そうに頷いた。それをシトレが面白そうに見ている。馬鹿野郎、笑い事じゃないんだぞ、シトレ。

「帝国軍が攻めてくる可能性は無いのかな、それなら今の軍の方針が有効だと説得できるだろう」
ホアンがトリューニヒト、シトレに視線を送りながら尋ねた。トリューニヒトとシトレが顔を見合わせている。溜息を吐いてシトレが話し始めた。

「残念だが、イゼルローン方面に居たミューゼル中将の艦隊はエルウィン・ヨーゼフ二世の死と共にオーディンへ向けて帰還したそうだ。当分帝国軍が攻めてくる事は無いだろう」

「他の艦隊が攻めてくる可能性は」
私の質問にシトレは力なく首を横に振った。
「無い、と見ていいだろう……。ミューゼル中将の艦隊は帝国でも最も危険な艦隊だと軍は見ている。帝国はこれ以上の敗戦には耐えられない筈だ。出兵となれば必ずあの艦隊が主力になる。彼らがオーディンへ帰還する以上、出兵は先ず無いと見て良い」

出兵は無いか、それにしても危険?
「危険とはどういう意味かな、シトレ」
「帝国でも最精鋭の部隊だ。そして指揮官のミューゼル中将は天才だとヴァレンシュタインは言っている。彼はミューゼル中将を酷く畏れて居るよ、自分など到底及ばないと……」

皆、顔を見合わせた。全員が、口に出したシトレでさえ半信半疑な表情をしている。ヴァレンシュタインが到底及ばない? あの男がか?
「冗談だろう、シトレ」

気が付けばシトレを気遣う様な口調になっていた。シトレは苦笑している。
「私もそう思うのだがね、彼は本心からそう言っているし、彼が嘘を吐いた事は無い。実際ミューゼル中将に関してはかなり出来るだろうと軍の情報部でも見ている。オフレッサーの信頼も厚いようだし、彼の下に人も集まっている。天才かどうかはともかくかなり手強いだろうな」

シトレは最初は苦笑していたが最後は生真面目な表情をしていた。その事でまた皆が顔を見合わせた。躊躇いがちにホアンがシトレに問いかけた。
「ミューゼルというのはヴァレンシュタインが話をしていた男だろう、まだ若いようだったが……」

「グリューネワルト伯爵夫人の弟だ。その所為で最初、軍は彼を全くマークしていなかった。軍が彼に関心を持つようになったのはヴァレンシュタインが彼を天才と評価していることを知ってからだ」

グリューネワルト伯爵夫人か、皇帝の寵姫、つまり彼は皇帝の寵姫の弟だった。だから軍は彼を評価しなかった。出世はコネによるものだと思った、そういう事か。

「しかし、あの話し合いの中では一方的にヴァレンシュタインが優位だったようだが……」
私の言葉にシトレが苦笑を漏らした。
「口喧嘩なら誰にも負けないそうだ」

部屋に笑い声が満ちた。
「確かに勝てる人間が居るとは思えんな」
「その事はレベロ、君が一番よく分かっているんじゃないかね」
「余計な御世話だ、トリューニヒト」
一頻り笑い声が部屋に満ちた。

「まあ冗談はさておき、帝国軍が攻めてくるという事は無いだろう。対策はそれを前提に考えなくてはいかんな」
「しかし上手い手が有るかね、トリューニヒト」

ホアンの問いかけにトリューニヒトとシトレが顔を見合わせている、そして微かに頷き合うとシトレがゆっくりとした口調で話し始めた。
「イゼルローン要塞から皆の眼を逸らす……、それしかないだろう」

「逸らす、と言うと」
私が問いかけるとシトレとトリューニヒトがまた顔を見合わせた。どういう事だ、この二人は既に対策を検討しているのか? シトレが言葉を続けた。

「フェザーンだ」
「フェザーン?」
私とホアンの声が重なる。トリューニヒトもシトレも生真面目な表情をしている、冗談を言っているわけではないようだ。ホアンの顔を見た、腑に落ちないといった表情をしている。多分自分も同様だろう。今度はトリューニヒトが言葉を続けた。

「フェザーンを帝国の自治領ではなく、正式に独立させる。こちら側に引き寄せるのさ」
またホアンと顔を見合わせた。今度は難しい表情をしている。

「本気か? トリューニヒト」
「本気だよ、ホアン。今ヴァレンシュタイン達が艦隊を率いて訓練に向かっている。場所はランテマリオ、フェザーンからは遠くない。ヴァレンシュタインはルビンスキーと接触するつもりだ」

「つまり、これはヴァレンシュタインの考えなのか」
声が掠れた。慌ててワインを一口飲んだ。そんな私をトリューニヒトとシトレが笑みを浮かべて見ている。

「その通りだ、彼はフェザーンを取り込もうと考えている」
「可能なのか、そんな事が」
「さあ、どうかな。ただ彼は口喧嘩では誰にも負けないからな」
そう言うとシトレが笑い出した。トリューニヒトも笑っている。私とホアンは笑えずにいる。

一頻り笑った後、シトレが表情を改めた。
「帝国がこちらの動きに気付けば、次の戦いはフェザーンを巡る戦いになるだろう。大きな戦いになるだろうな、イゼルローン要塞等どうでも良いくらいの大きな戦いだ」

そう言うとシトレが笑い出した。そして笑いながら言葉を続けた。
「故に我戦わんと欲すれば、我と戦わざるを得ざるは、その必ず救う所を攻むればなりだ。あの男は根性悪の天才戦略家さ、帝国軍を無理やり引き摺りだして決戦するつもりだ。レベロ、戦費の調達を頼む、ケチるなよ、賭け金はフェザーンとフェザーン回廊なんだからな」






 
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