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SAO-銀ノ月-

作者:蓮夜
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歌声

「よーし、じゃあ休憩!」

「はー!」

 所沢にある桐ヶ谷家の道場にて、直葉の快活な声が響き渡るとともに、約二名ほどが板張りの床に倒れこんだ。用意してあったタオルと冷えた麦茶を渡すと、二人は貪るようにそれらに向かっていくのを横目に、俺も手で自分を扇ぎながらタオルで汗を拭いていく。

「はー……生き返るぅ……」

「スグ、ちょっとキツすぎやしないか……」

「そんなことありません。お兄ちゃんがなまりすぎなの!」

 ゴールデンウィークも終わりに近いこの頃、暑さもますます高まっているなかでは、慣れていない人間には拷問に近いだろう。というよりも指導する直葉の虫の居所が悪いのか、明らかに普段の稽古よりも厳しい内容だというのもあるが。

「休み明けには堪えるよぉ……」

「……キリト、直葉に何かしたか?」

 元々はゴールデンウィークで弛みきったキリトを鍛え直す――という名目で開かれたこの稽古に、助手としてちょうど直葉に用もあった俺が呼ばれて。ついでに今回の事件でレッスンを休んでしまって、体力をつけ直したいというレインも加わった形となるが、そもそもこの稽古が始まった原因が問題だ。つまり、恐らくは今回の原因であろうキリトに小声で問いかけると、キリトも汗を拭きながら困ったように笑っていて。

「いや……昨日、ちょっと帰りが朝になっちゃって。それから……」

「それ……朝帰――」

「やめろ!」

 キリトから明かされる衝撃的な真実に、ついつい口が大きく開いてしまうが、それはすんでのところでキリトに止められる。不審げにこちらを見てくる女性二人に咳払いしながら、こっちのカップルは進んでるな、と他人事のように思うことで現実逃避を試みる。

「まあ……頑張ってくれ」

「……」

 何にせよ原因はハッキリはしたが、謝って済む問題でもないだろう。まったくもって役に立たない激励を言葉にしながら、とにかく俺にはどうしようもないとばかりに匙を投げた。ついでに心中に浮かんできた、リズもそういうのに興味があるのかな、などという雑念はもっと遠くに投げ捨てて。

「ねぇ、何の話してたの?」

「まあ……ちょっと、な」

「ふーん……それにしても、稽古ってこんなにキツいんだね。わたしもダンスとかで結構は体力に自信あったんだけど、もう身体中が痛いよ」

 普段と使ってる筋肉が違うのかな――などと、こちらが話を逸らそうとしてるのを察して、違う話を振ってくれるレインに心中で感謝しながら。そんな彼女の方を見てみれば、肩辺りまで伸びたセミロングな亜麻色の髪の毛をゴムで結んでいて、胴着は直葉の予備を借りている見慣れぬ姿で。するとこちらの視線を女性らしく感じ取ったのか、途端にニヤリと笑ってこちらを見る。

「ん? レインちゃんのポニテ姿に見とれちゃったかなー?」

「……いや、ちょっとキツく結びすぎじゃないか?」

「そこまで否定されると傷つくんだけど……キツくって、帯?」

 ショウキくんはリズ一筋だから仕方ないけどさ、とぼやきながら胴着の帯を確認するレインには、どうやら本当に見とれていたことをバレずに済んだようだ。ともあれ事実をごまかすために言った一言だったが、確かにレインの胴着の帯は必要以上にキツく結ばれていて、あれでは息苦しくて疲れもするだろうと。

「いや、でも……キツく結ばないと……直葉ちゃんの、胸のところがブカブカで……」

「え?」

「……ショウキくん。それ以上乙女の秘密に抵触したら、リズにセクハラされたって言いつけるよ?」

「……了解」

 ……どうやら、男が触れてはいけない場所に触れてしまったらしい。怒気をはらんだレインの言葉に手を挙げて降参の意を示すと、レインは鼻を鳴らしてそっぽを向く。とはいえ不機嫌そうなポーズというだけだったらしく、すぐにこちらへと振り向くと。

「ね、最近リズっちとはどうなの?」

「直葉、この前借りた弁当箱のことなんだけど」

「逃げたー……」

 レインの非難の視線を甘んじて受けながらも、今日この桐ヶ谷家に来たそもそもの用事を思い出す。先日の《オーディナル・スケール》の一件の折、リズが直葉のものだと偽装してお手製の弁当を作ってくれてきていて、その時の弁当箱を返し損ねていた。キリトとともに渡されたので、こちらとしては当然のように桐ヶ谷家の弁当箱だと思っていたのだが、直葉はポカンとした表情を見せていて。

「弁当箱? ……あ、バレてるよね? 弁当箱もリズさんのだけど」

「改めて中途半端な偽装工作だな……」

 直葉も偽装工作はさっさとバレるとは思っていたのか、少しだけの確認にこちらが頷くと、何の気なしにそう言ってのける。桐ヶ谷家の弁当箱ではないとなると、つまり――

「話はよくわからないけど、それならリズっちの家に返しに行かないとね~」

「そういえばショウキくんって、リズさんの家に行ったことあるの?」

「…………」

 女性陣二人の追求に対して、キリトに助けを求めるように視線を送るものの、さっきのお返しとばかりに意図的に無視されて。観念して女性陣に向き直ると、興味津々といった様子を全身から漂わせているレインと直葉の様子に、何かしらを答えないと許してもらえないと確信する。

「ショウキくん。たまに相談とか受けてるから……ね?」

「……ない」

「ショウキくんの家に招待したことは?」

「…………ある」

 最初の脅迫めいた質問への答えには不満そうだったものの、続いての答えは満足げに黄色い歓声があがる。俺は一体何のためにここに来たんだ、と自問自答せざるを得ないとともに鬱屈した感情が貯まっていったが、気づけば二人の頬が稽古とは関係なく紅潮していて。

「じゃ、じゃあ稽古の続きしましょうかレインさん!」

「う、うん!」

「もうか!?」

 答える方が拷問に等しいのはもちろんのことだが、どうやら聞く側にとってもなかなかに照れくさいらしく。そんな誰にとっても幸せになれない話は、照れ隠しによる休憩終了によって、我関せずを決め込んでいたキリトをも不幸にした。メンバー全員を苦しませつつ稽古は再開したが、稽古に打ち込んでいるうちに直葉の機嫌も少しは晴れたらしく、特にそれからは何があるわけでもなく。

「明日、筋肉痛になってなければいいんだけど……」

「お疲れ様」

 稽古も終わり、桐ヶ谷家のシャワーをそれぞれ借りた後、俺とレインは駅へと向かっていた。シャワーでさっぱりしたとはいえ、そろそろ夏に近づいているからか、もう汗ばむ季節だというのは確かで。涼しげな服を着こなしているレインも、少しばかりうんざりとした様子でいて。それでもこちらに振り向いた彼女は、真剣そのものの表情だった。

「ね、ショウキくん……ありがとね。ユナのこと」

「俺は……」

「ううん。ショウキくんのおかげで、ノーチラス……エイジくんも、本当に取り返しのつかないことにはならなかった」

 俺は何も出来やしなかった、と返すよりも早く。レインはこちらの言葉を否定しながらも、ステップを刻むように歩き天を仰ぐ。それはこの世界にはいない悠那に何かを報告しているようだったが、その表情はまったく晴れやかなものではない。真っ先に記憶を奪われてしまったからとはいえ、《SAO》の時の友人の暴走を止められなかったのならば、それも当然だろう。

「エイジは?」

 さらにもう一つ。言外の言葉をも込めたこちらの問いに対して、レインは言葉もなく首を振った。その手には携帯端末が握られていて、振り向いて見せてくれた着信履歴には、『後沢鋭二』という察するにエイジの本名が幾つも表示されていて。

 ……あのライブで悠那が二度目の死を迎えた後、エイジはライブステージから姿を消していた。アイドルの仕事として再会していたため――今から思えば、レインを通してSAO帰還者の記憶を奪えるかチェックする予定で、レインをバックダンサーとして雇ったのだろうが――連絡先を交換していたレインによる電話にも、まったく応じることはなく。

 そして《オーディナル・スケール》の事件は菊岡さんの手によって預けられたために、その関係者であるエイジも表立っては探されてはいないようだった。まだ《オーディナル・スケール》のイベントはそこかしこでやっているし、先のユナのARライブは大成功として伝えられていて、関係者としては多分に何らかの思惑が感じられてならないが。とにかく菊岡さんからは『もう心配しなくていい』という言葉と、悠那の父である重村教授が《オーグマー》の責任者から降りたというニュースは聞いたものの。

 直接エイジから暴行を受けて、病院送りになっていたクラインや《風林火山》のメンバーが訴えればまた違ったのかもしれないが、レインから事件の真相を聞いた彼らがそんなことをするわけもなく。何か思惑があるらしい菊岡さんにしても、ただの実行犯でしかなかったエイジを追う訳もないだろう。

 ましてやエイジのリアルのことなど、今以上にはまったく知らない俺たちには、足取りを追うことなど出来るはずもなく。こうしてエイジは、永遠に俺たちの前にその姿を見せることはなかった。

『難しいな……』

 ――最後にエイジと交わした言葉が脳裏に蘇る。今まで悠那のために生きてきたというのに、悠那を忘れて何をすればいいんだ、という問いに対して。悠那の分まで生きるしかないと、そう喉元から絞り出したものの、エイジからの返答は芳しいものではなく。もう少し、もう少しだけ自分が何か言ってやれたならば、また違う結末が……などと傲慢なことを言うつもりはない。

 それでも、せめて生きていてくれ、という祈りを込めて。

「……わたしもユナの分まで歌うから。きっと、エイジくんも……」

 レインの言葉もその先は続かない。もはや俺たちに出来ることはなく、強いて言えば、レインが悠那の遺志を継いで歌を届けることのみだ。最後に空を仰いだ後、この話はもう終わりだとばかりに一息ついて。新たな質問をレインへと投げかけた。

「仕事は大丈夫なのか?」

「こう見えてもレインちゃん人気者なんですぞ? ……いや、今回の件のお詫びだと思うけど」

 仕事に送りだしたら、先方に《SAO》の記憶を奪われて家に閉じこもることになるなんて、こっちも思ってもみなかっただろうけど――と、冗談めかして笑ってみせて。その様子を見るに、どうやら余計な心配だったらしい。

「まあまあ、そんなレインちゃんのことより! これからリズっちの家庭訪問するんでしょ?」

「ああ……まあ」

 そろそろ所沢の駅が見えてきたところで。目を興味津々と輝かせて身を乗り出してくるレインの姿に、若干ながら引きつつ先程の心配を返せと言いたくなるが、とりあえず目を逸らしながら肯定する。直葉に返すつもりだったリズの弁当箱をバッグの中に入れているため、確かに今からリズの家に行ったところで何ら問題はない。

「ショウキくんのことだから、リズっちの家に行ったことはなくても、場所は知ってるんじゃないの?」

「ちょっと待て」

「でも知ってるでしょ? どれぐらい時間かかるの?」

「……まあ。一時間、ぐらいか」

 ショウキくんのことだから、とはどういうことだと。そこを問い詰めたくはなったものの、実際のところレインの言う通りなのだからぐうの音もでない。駅の路線図を見つつ思い出しながら言ったが、この辺りの電車ならば一時間もすれば何処にでも行けるだろうが、念のためにバッグから《オーグマー》を取り出しつつ正確に調べ始める。

「よし! リズっちにはわたしが連絡してあげるからさ、早く行ってあげなきゃ!」

「……どうしたんだ?」

「いいからいいから! 女の子の気持ちは、レインちゃんの方がよく分かってると思うけどなー?」

「む……」

 唐突に必要以上に元気となったレインへ怪訝な表情で問いかけたが、女の子の気持ちなどと問われてしまえば、たまに相談させていただく身としては何とも言えない。返答に窮して髪を掻くこちらを面白そうに笑うレインに、何か言い返してやろうとも思ったが今の俺に出せるカードはなく。

「……分かったよ、行ってくる」

「頑張ってね!」

 ――何がだ。何をだ、と先ほど聞いたばかりの朝帰りの話を全力で頭から追い出して。ちょうど電車が来たところということもあって、レインの申し出をため息まじりに承諾すると、手を振って反対側の改札へと別れて昇っていく。そもそもいくら俺が急いだところで、電車の移動時間を待たざるを得ないにもかかわらず、わたしが連絡してあげるから急いで……とはどういうことか。

「……」

 応援してくれるのはありがたいが。一応こちらでも、《オーグマー》によって路線検索と平行してリズにチャットを送っていく。慣れない手つきで『レインから連絡は来たか』と打ってみれば、向こうもこちらに連絡を取ろうとしていたのか、すぐさま返信がきた。

『えきまえでまちあわせしましょ』

 ……この短い時間でレインとどんなやり取りをしたのか知らないが、何やら慌てていたのか、全文が平仮名で返ってくるという謎はあったけれど。俺にも分かる事実が一つだけあった。その事実に落胆したような、安心したようなそんな不思議な感覚を味わいながらも、とにかくその事実だけは明らかだ。

 ――家庭訪問は、どうやらお預けらしい。


「ショウキ!」

「珍しいな、俺の方が早いなんて……どうした?」

 駅前でしばし待った後、こちらの名前を呼び止める声がして。普段はどんな時間に来ようがリズの方が速く来ているため、珍しいこともあるものだと軽口を聞いてみせれば、息をせききった様子のリズが肩で息をしつつ立っていた。やたら動きやすそうな服といい、どうやら走ってきたようで。

「大丈夫か、そんな急がなくても……」

「ちょ……ちょっと待ってて」

 まさかそこまで慌ててくるとは思ってもみずに、軽口などは止めて本気で心配するような声音が出てきたが、その言葉が最後まで紡がれるより早くリズが手でストップの意を示し。近くにあった自販機から《オーグマー》の懸賞で飲み物を買うと、そのまま飲み干す勢いでグビグビとペットボトルから水分を補給していく。

「ぷはー……ごめんごめん、もう暑いわねぇ」

「いや……なんか用事でもあったのか? いつでもよかったのに、こっちは」

「あー……そういう訳じゃないのよ? ちょっとその、女の子の外出までには時間がかかるってだけよ」

 スポーツ飲料をどんどんと口に含んでいきながら、多少なりともかいている汗を手で扇ぎつつ、リズは口ごもりながら返答する。言われてみればそのセットされた茶髪が、普段の学校や外に出かける時よりかは、言われれば気づかない程度に乱れていたりするような――

「こら。そんなジロジロ見るのはマナー違反よ」

「……悪い。ほら、改めてありがとう」

 そんなこちらの視線から返ってきたのは、殺意のこもった冷たいジト目で。雲行きが怪しいとバッグから弁当箱を取り出すと、よろしい、という言葉とともにリズへと受け渡される。

「その……また作って欲しい?」

「ハンバーグを焦がさないようになったら頼む」

「ちょ……ちょっと焦げてた方が美味しいのよ!」

 などと言ってはいるが、あまり作る機会はないだろうな、というのはお互いに分かっていた。むしろ何の恥ずかしげもなく学校で弁当を食べだす桐ヶ谷夫妻はなんなのだと、二人とも小一時間ほど問いただしたいほどで。

「……ああ、そうだ、リズ」

「なによ、改まって」

 今度リズに会った時に聞こうと思っていたことを思い出し、怪訝な表情を隠さないリズへと可視化させた《オーグマー》の画面を見せる。可視化とは言ってもあくまで拡張現実のため、《オーグマー》を装着した者にしか見えないが、リズも装着しているためそこは問題はない。

「これって……?」

 そこに表示されていたのは、《オーディナル・スケール》のランキングによって貰える景品の数々で、そのほとんどが牛丼屋の割引券などだったが、上位ランキングの景品ともなれば流石に違う。現にアスナもキリトへのお返しとしてバイクのグローブを買えたらしく、先のキリトも珍しくウキウキとした様子でツーリングに向かっていっていた。

「リズさ。その……誕生日プレゼント、何がいい?」

「えっ? ……もしかして、あんたが《オーディナル・スケール》にハマってたのって……」

「……そういうことだろ」

 ――そもそも、俺が《オーディナル・スケール》をプレイしだしたのは、リズへのプレゼントを入手するためだ。先の事件でうやむやになっていたが、リズの誕生日はもう二週間ほど後に迫って来ていると、もはや悩んでいる猶予など俺にはなく。サプライズしてやりたいという気持ちがないではなかったが、この際しかたなしに断腸の思いを込めて本人に聞いてみれば。

「へっ? ちょ、ちょっと……そんなこと、いきなり聞かれても……」

 ……サプライズしたであろう時と、似たようなリアクションが見れたので、個人的にはよしとする。他の友人たち全員にはリズのプレゼントのためだとバレていたというのに、どうやら当のリズ本人は俺が《オーディナル・スケール》にただハマっていただけと、本当に思っていたようで。走ってきたからとは違う頬の紅潮を浮かばせながら、目を泳がせつつリストを見るリズの姿を、脳内に保存するべく目に焼き付ける。

「こ……これ、とか」

 そうしていると、震える指でリズがある景品を指差していた。そこにあったのは――有名な温泉宿のペアチケットというものであり、今までリズを恥ずかしがらせていた天罰かのように、全身の血液が沸騰していくのを感じた。何とか自分を抑えることに終始してよく見てみれば、やはり温泉宿のペアチケットなどという大物だけあって、貯めに貯めたポイントであってもまだ足りない景品でいて。

「なあ、リズ……」

「分かってるわよ。ポイント、足りないんでしょ?」

 申し訳ないがちょっと待って欲しい、とリズに語る前に、当のリズはこちらのランキングなど把握しているのか、先程までとはうって変わって不敵な笑みを構えていて。今度はあちらが《オーグマー》でウインドウを可視化させる番なのか、この近辺で始まろうとしている、《オーディナル・スケール》のイベントが表示された。

「足りない分、二人で取りに行きましょ!」

 ……ああ、ただ貰うだけなどとリズが許すわけもなかった。プレゼントが何かを悩んでいたばかりで、そんなことを忘れてしまうとは。ポケットから《オーディナル・スケール》をプレイするための手持ちの端末を構えて、リズはやる気十分といった様子を示してみせる。

「あんなことになっても、まだやる気なのか?」

「罪を憎んでゲームを憎まず、よ。……てか今更じゃない、それ」

「確かに」

 《SAO》なんてデスゲームに巻き込まれた癖に、それでもなおゲームなどやっている俺たちには今更な話で。そんな言葉を交わしながら、その《オーディナル・スケール》のイベントが開催されるという場所へと、揃って歩いていく。

「時間ギリギリ、まだ結構いるわねぇ」

 旧SAOボスのレイド戦も終わって、多少はその勢いが下火になってきてはいるものの、まだ《オーディナル・スケール》のプレイ人口は衰えてはおらず。少なくともゴールデンウィーク中はこんな調子だろうと、《ALO》のようなVRゲームは大変だろうな、などと他人事みたいに考えながら。

「んじゃ、ちょっと揉んでやりましょうか!」

「久々だからってミスるなよ、リズ」

 イベントの開催時間とともに端末を握り締めると、自分もどこか久々にこのゲームをプレイしたかのように感じられる……それは多分、余計なことを考えないで、彼女とともに遊べるからだろう。広場に君臨する巨大なスライムに顔をしかめながらも、リズとともにゲーム開始を告げる言葉を紡いでいた。

『オーディナル・スケール、起動!』

 ――そして、歌声が響き渡る。


「…………」

 ……後沢鋭二は、もはや何の意味もなくなった《オーグマー》を装着しながら、その家の前に立っていた。今回の件でめっきり帰らなかった自宅ではなく、標札には『重村』と刻まれていたが、今やその家には誰がいるわけでもなく。ただ取り壊しが予定されていると、そう決まっていることを示す看板が立っているだけで。

 そんな看板を一瞥した後に、鋭二は数年ぶりにその敷地内へと入っていく。とはいえ、どうしてこの家に来ていたのか、この家で何をしていたのかは、どうしても思い出せなかったが。

 ……いや、重村悠那という少女がいたということは、鋭二も辛うじて覚えている。その悠那という少女を生き返らせるために、自分がどんなことでもする覚悟を持っていたことも、それが自分の全てだったということも。

 しかし、自分がどうしてそんなことをしようとしていたのか、悠那という少女がどんな人物だったのか。それらを思い出そうとしても、霧がかかったかのようにそれらは消えてしまう。長い夢から醒めてしまった時のように、自分のことだろうにまるで他人事だとしか思えずにいた。

 自らの全てを投げうってまでやり遂げようとしたことが、他人事としか感じられなくなってしまった――そんな鋭二の胸中に残ったのは、誰とも知らぬ少女の歌声だった。

「あ……」

 その歌声に導かれるようにこの家に赴いた鋭二は、試しに引いてみた扉に鍵がついていないことに驚きながら、自分でも理由が分からないまま家の中に入っていく。もちろん中の景色は鋭二の記憶とはまったく違い、壁紙や家具などは全て撤去されていて。鉄筋コンクリートが剥き出しとなっている姿は、磨耗した鋭二の記憶の中にある、暖かみのある家とは似ても似つかずに。

 そのまま、鋭二は玄関近くにある階段へと昇っていく。その部屋に行った記憶などもう鋭二には残ってすらいないが、身体が覚えているとばかりに一直線に向かっていって。また扉のノブを引いたものの、その部屋の主だった少女などいるはずもなく――

『あ! エイジ、おっそーい!』

「……え?」

 ――ただし、もう一人の少女がそこには立っていた。機嫌が悪いぞ、と示すように腰に手を当てて、眉間にシワを寄せながら鋭二の方を睨み付けていた。

「ユ、ユナ? だって君は……」

『ふんだ。エイジが迎えに来るのが遅いから、こっちから来ちゃったんだから』

 その少女は、ARアイドルとして活動していた、黒い衣装に身を包んだユナ。まだ確かな部分のエイジの記憶によるならば、彼女は悠那を蘇らせるための受け皿でしかなく、計画が終わった今は消去されていた筈だった。しかして目の前には確かに、拡張現実の世界にユナは生きていたままで。

『みんなに歌を届けるのが私の夢だもん。その夢はさ、エイジがいないと叶わないから』

「……そんなことはないさ。ユナなら、もう空っぽな僕なんていなくても大丈夫だろ?」

『ううん。みんなの中にはさ、エイジも含まれてるんだから。ずーっと、私の隣で歌を聞いてもらわなきゃ!』

「あ……」

 歌を歌うだけの、SAO生還者に悠那の記憶を刺激させるだけの、ライブという名目でSAO生還者を一ヶ所にまとめるだけの、ただ計画のためだけのプログラム。そう教授には説明されてきたが、そんな彼女がどこかで聞いたことのある夢を語っていて。

『……だから、生きていて。エーくん』

「……うん……」

 始めて聞いたエーくんという呼び方に困惑しながらも、必死に懇願するユナに鋭二は頷くとともに、どこかで不思議と確信する。胸中に残る少女の歌と、やがて世界にすら届く彼女の歌。それらが響き渡る限りは、自分は生きることが出来る、と。

 
 

 
後書き
 これにてOS編は完結となります。実はこの二次ではアリシ編まで書く気はあまりなく、原作の時系列的には次の事件はアリシ編となりますので、もう最終回でいいよ、という感じなのですが。残念ながらショウキくんにはまだ決着をつけていない相手がいますので、あいにくともうちょっとだけ続くんじゃ。

 では。新章でも出会えることを願って。
 
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