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明日へ吹く風に寄せて

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I.予兆と櫻


-あぁ哀しや…。私はこんなにもお慕いしていたというのに…貴方は私を骸とされた…。何故に私を切り捨てられたのか…。あぁ憎い…。あの御方が憎い…!千の時を経ようとも、私は貴方を赦すことなど出来ようもない…。あぁ…愛しくて万も憎い…!-

「どうして…そこまで…。」

-若僧に何が分かると言うのだ?私の憎しみの何が分かると言うのだ?あぁ…切り捨てられ、野に晒された私の憎しみは…永久に冷めることはない…!-

「貴女は誰なのです?高貴なお方とお見受け致しますが…。お話し下さい。」

-聞いて何とする?そなたに一体、何が出来ると申すか?-

「分かりません。しかし、何も聞かないよりは、貴女を救える道を見い出せるかも知れません…。」

-それは、この姿を見ても言えるかえ…?-

「……!!」


…チリン…


 そこで目が覚めた…。

 ここ数日、毎夜同じ女が夢に現れる。平安期の装束を纏っているのは分かったが、一体誰なのかは不明なままだ。
 ただ、身分の高い女であることは身に付けていたものから言える。そして、その後ろに狂ったように咲く花も…。
「また…千年桜か…。」
 僕はそう呟くと、布団から出て障子戸を開いた。外は快晴で、眩しい朝陽が大地を覆っていた。
「旦那様、朝食の支度が整って御座います。お着替えが済みしだいお越し下さい。」
「分かった。」
 開いた障子戸の前に、家政婦長の彌生さんがいた。恐らく、僕が起きる頃合いを見計らっていたのだろう。
 彼女のフルネームは根津彌生。この家は、この彌生さんが居なくなってしまうと、あっと言う間に朽果ててしまうに違いない。
「ん?まだ何かあるのか?」
「いえ、旦那様。ただ、寝起きで前が乱れております。私でしたら宜しゅうございますが、若い家政婦や急なお客様がいらした時はご注意下さい。では、失礼致します。」
 彌生さんはそう言うと、何も無かったかのようにスタスタと歩いて行ってしまった。
「前…って!」
 彼女も人が悪い。いくら生理現象とは言え、僕もこのような格好を晒してしまうとは…。まだまだ修行が足りないな。って…観察されていたのか…?

 コホン…失礼した。

 僕はこの家の主、櫪 夏輝と言う。ちょっと読めないか?クヌギ・ナツキと読んでもらいたい。
 さて、この櫪家では代々“解呪師”と言う仕事を生業としている。解呪師とは読んで字の如く、呪いを解く術者を示す。
 簡単に言えば、霊能力者に近しいものだが、それとはまた少し違っている。まぁ、それは追々話すことになるだろう。
 先程話した彌生さんだが、祖父の代から働いてくれている。僕も幼少の時から世話をしてもらっていて、もう家族同然と言える。既に五十を過ぎているはずなのだが、外見は三十半ばにしか見えない。実は鬼か妖魔かとも噂されているが、その見目を保つために人並み以上の努力をしているのを、僕はよく知っている…。
 僕が暮らしているのは此花町と言う場所だが、この町はかなり広い。南側は商店街などが密集して賑やかだが、僕の屋敷があるのは北側だ。一言で言えば田舎と言っていい。
 そんな中で僕は気儘にのんびりと過ごしている…はずなんだが、このご時世「解呪師」なんてもので食い繋いで行くのは心許ない。このだだっ広い屋敷を守るだけでも一苦労なため、仕方なく物書きなんかもやっている。家政婦も彌生さんを含め七人いるし、給料払わないといけないわけで…。
「先生!」
 あぁ…担当の久居君が来たようだ…。今日はやけに早いご到着だな。
「お早う。あと三頁だから、ちょっと待っててね。」
「先生…。そんな呑気なこと言ってないで、今すぐ仕上げて下さい!さぁ、早く!締め切り一週間も延ばしてるんですから!」
 いや…本当は二十頁以上あるのだがね…。さてはて、どうしたものかなぁ。
「取り敢えず、朝食を摂ってからにしようか。君もどうだい?恐らく、彌生さんは用意してると思うがね。」
「はぁ…それでは…って!先生!」
「分かったよ!しかし、朝食を食べないと、書けるものも書けなくなってしまうよ?」
「……仕方ありません。朝食を召し上がってからということで…。」
 はぁ…疲れた。朝から久居君の顔を見ると、なんだか一日が曇って見えるよ。僕が悪いんだけどね。
「それじゃ、食堂に行くとするかね。」
 そうして僕らは食堂へ行き、朝食を頂くことにした。案の定、久居君の分もしっかりと用意されていたのは言うまでもない。
「ところで先生?最近、蓬来寺跡近くで幽霊が出るって噂、知ってますか?」
「幽霊だと?」
 全く、朝から幽霊なんて話聞きたくはないんだがなぁ…。
 しかし、蓬来寺跡は櫪家の管轄になってるはず。僕の耳に入らないなんて…。
「はい。なんでも、十二単みたいな古めかしい着物を着た女に何人か襲われたらしいって。それも決まって千年桜に続く道を歩いている時だとかで、新聞にも書いてましたよ?新聞、読まないんですか?」
 読まないな…。ついでにテレビも見なけりゃラジオも聞かないからなぁ…。僕にとって世間なんてどうでもいいのだから。ま、最近の流行なんかは若い家政婦さんから聞いたりしはするが…。
「彌生さん。あなたは知ってましたか?」
「いいえ、旦那様。」
 彌生さんも知らない…か。僕は思考を巡らせてみたものの、櫪家の伝承に該当するような話はなく、あの千年桜も櫪家とは無関係だ。
「彌生さん、後で南から颯太を呼び寄せといてほしい。ま、いつ来れるか分からないが…。」
「畏まりました。」
 僕はそうして後、やっと朝食へと手をつけた。久居君はとっくに食べ終えて、食後の珈琲なんぞを優雅に啜っていた。
「久居君?君、何しに来たんだい?」
「だって、先生が動いてくれないと仕事にならないじゃないですか。早く食べて下さいよ!」
 あぁ、藪蛇だ…。しかし、もう少しあの話を聞いておいた方が良いと考え、僕はそれとなく尋ねた。
「それより、さっきの話なんだが…」
「あ、やっぱり気になりますか?確かですねぇ…あった。これみて下さい。」
 久居君が鞄から折り畳んだ紙片を取り出し、それを僕の前へと差し出した。
「これは…?」
 僕はそれを受け取ると、開いて中を見た。それは雑誌の頁を切ったものだったのだ。
「怪奇…平安美女の怨念…?」
 なんだか胡散臭さバリバリだが、取り敢えず目を通してみることにした。
 そこには詳しい場所は記載されてなかったが、明らかに蓬来寺跡だとわかる書き方で、何人かの証言レポートも載せられていた。ま、どれだけ信用して良いものか分かり兼ねる代物ではあったが。
 だが、その証言者達には一つの共通点があった。
「全員、二十代前半…?」
「そうなんですよ!実は幽霊に会ったって人は二十人近くいるんですけど、全員が二十代前半なんですよね。」
 その後もペラペラと喋っている久居君は放っておき、僕は夢のことを考えていた。
 僕は二十代前半ではない。では、この幽霊とやらが同じ女性だとして、なぜ僕の夢に姿を現したのか?その理由を解くには、まだまだ資料が足りないと感じた。だから颯太を呼び寄せるよう彌生に言ったのだが…。
「その前に、仕事を片付けるとするか…。」
「先生!」
 目の前に五月蝿い編集がいたのでは、本業が出来ないと言うものだからなぁ。
「夕方までには仕上がるよ。」
「えぇ!先生、昼前までに何としても仕上げて下さい!!じゃないと、私が首になります!」
「別に僕には関係ない。」
「そんなぁ!あんまりじゃないですかぁ。私だって資料集めたりスケジュール合わせたり…」
「分かった分かった…冗談だから…。」
 本当に泣きそうだ…。ハァ…疲れるなぁ。
「さ、食べ終えたことだし、僕は書斎へ入るから、久居君は昼まで彌生さんの手伝いでもしていたまえ。」
「なんでっ!?」
 後は彌生さんが適当にあしらってくれることだろう…。僕は「なんで!?」を連発している久居君を残し、逃げるように書斎へと向かったのだった。
「後で彌生さんになんて言われるか…。」
 まぁいい。静かに仕事が出来なくては、いつまでも五月蝿い久居君が居座ることになるのだからな…。

-…チリン…-

「…ん?」
 鈴の音が聞こえたような気がして振り返ったが、そこには何も無かった。ただ、見知った風景が視界を覆っているだけだった。
「気のせいか…。」
 そう、気のせいだ。その時はそう思った。それで良かったのだ。意味を求めても、所詮は時間の浪費にしかならないのだから。そうして僕は、書斎へと入って仕事を片付け始めたのだった。



 
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