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SNOW ROSE

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花園の章
  Ⅳ


 ブルーメの町を後にして二日目、ミヒャエル達はレクツィの村へと入っていた。レクツィは本街道と旧街道の分岐点にあり、ここから本街道を馬車で半日ほど行けば、中程の街であるエユースへと出る。
 先にも語ったが、旧街道である山道を通れば、同じ半日程度でトリス旧市街へと出れるが、舗装されていない旧街道を通る者は殆んどいないのが現状である。
 さて、ミヒャエル達は村へ入ると、直ぐ様この村にある診療所兼療養所へと向かったのであった。騎士ヘルマンと思われる男へと会いに行ったのである。
 この村の医師アルベルト・ツェラーは、ユディとは数年前からの顔見知りであり、ユディからミヒャエルのことも聞いていたようであった。それはミヒャエル達が診療所へ入ったとき、直ぐ様彼らの前で礼を取ったことで自ずと解った。アルベルトはそのまま彼らに椅子を勧めると、自身は早速男の容体をを話始めたのであった。
「もうかなり良くなっております。一両日中にはここを出ても良いでしょう。」
「そうか。良かった…感謝します。」
「感謝などと…勿体無い御言葉です。あ…あと、その男性へ何回かお客人が見えられまして、つい先日も見えられてこれを貴方様にと…。」
「ヘルマンの客人が俺宛にか…?」
 差し出されたものは、一通の書簡であった。上質の紙であり、裏には封印も施されていた。しかし、ミヒャエルはその封印を見て眉を潜めたのであった。
「この印は…。」
 それはベッツェン公家の印であり、この時それを使用できる者は二人だけである。一人は現在王城で執政を取り仕切っているはずのベッツェン公家当主、クリストフ・フォン=アンハルトであり、もう一人はクリストフの長男で次期当主たるリカルドである。
 しかし、双方共にミヒャエルへと書簡を送ってくるなど、ここにあって些か考え難いことなのである。当主クリストフは、現在王城にて軟禁されていると考えてまず間違いない。少なくとも、書簡を認めて外へ出すなど出来はしないだろう。かといって次期当主のリカルドは、他の十二貴族の次期当主らと共に、ラタンへと入っているはずである。
 今この時点で、双方から書簡が届くはずはないとミヒャエルは思ったのである。それ以上に、ミヒャエルがこのレクツィへ来ることは、ユディとレヴィン夫妻、そしてツェラー医師しか知らなかったはずであり、それもいつになるかすら分からなかったのである。
 ミヒャエルは一つ溜め息を吐き、静かに封印を折って封を開いた。そこからは、流暢な字で書かれた手紙が出てきたのであった。
「これは…クリストフの字だ…!」
 それは軟禁されているとおぼしき国王代行からのものであった。そこに認められていた内容は、現在王城で何が起きているのかが書き記してあり、ミヒャエルはそれに目を通して憤慨せざるを得なかった。
「ヘルベルト兄上…。彼が国王印と宝剣を奪い盗ったそうだ…。」
「なんだって!?」
 ミヒャエルの言葉に、ユディが瞬時に反応を示した。周囲の者達はどう反応してよいか解らないと言った風であったが、国の大事であることは少なからず感じ取っていた。
「それじゃあ今、国王印と宝剣は、第二王子の手にあるってことか?あり得ない…国王印は代行のクリストフ殿より奪えたとしても、宝剣は王城地下の宝物庫へ厳重に保管されていたはずだ。国王ですら、国の祭事にしか触れられぬもの…。」
「どうやら、管理を任されていたシュテルツ大公を抱き込んだみたいだな…。」
「はぁ!?現王の兄であり、君の伯父をかい?」
 ユディは眉間に皺を寄せ、固い表情でミヒャエルを見たのであった。
 現王シュネーベルガーⅣ世には、十ニ人の兄弟がいた。流行り病などで九人が死んでしまい、現在はルーン公アンドレアスと、先に出てきたシュテルツ大公の二人のみが存命していた。
 このシュテルツ大公であるが、軍の統括と財政顧問、そして宝物庫の管理を管轄していたのであった。いわばこの国第二位の権力者である。
「それで、ベッツェン公は無事なのか?」
 ユディがミヒャエルへ問うと、彼は「今のとこはな…。」と一言呟いただけであった。それ以上詳しい情報は記載されていないようで、ミヒャエルはそのまま書簡を最後まで読んでいたのであった。
「王城では、その四分の三が既にヘルベルトに従っているようだ。国王は無論だが、母上達や兄上に従わない王の側近らは、皆北の塔へと軟禁されているようだ。
「ばかな!現王を北の塔へ軟禁するなど、有り得てはならぬ一大事ではないか!」
 ユディが激昂して言った言葉は、ミヒャエルにしか理解出来なかった。
 あまり知られてはいないが、王城には四方に一つずつ塔が建てられていた。その一つ一つには役割があるのであるが、北の塔は貴族階級の者が罪を犯した際に入れる、いわば刑罰塔であった。故に、ユディが激昂したことは当然の反応と言えるのであった。
「落ち着けユディ。お前の気持ちも分からなくはないが、ここでどうこう出来るものじゃないんだからな。」
「分かってる。しかし、これが黙っていられるものか!全く、歯痒いばかりだ…。だが、その書簡はどうやって持ち出せたんだ?容易く持ち出せたとは思えないが…。」
「恐らく、未だ内々に動ける者が居るんだろう。表面上従っているよう見せ掛け、外部と接触している者が…。それより、先ずは彼の元へ行こう。」
 そこでミヒャエルが話を切って席を立つと、皆が一斉に立ち上がった。
「そうですな。名も明かしては下さらんので、貴方様が行かれれば明かして下さるでしょう。部屋へは、私がご案内します。」
 ヨゼフはそう言うと、エディアと共にミヒャエルとユディを連れてその場を後にし、ツェラー医師はそのまま残って患者の診察をすべく準備を整え始めたのであった。
 この村の大半は緑豊かな場所で、一見すると森の中に孤立した村のように見える。しかし、暫く歩けば本街道へ出ることができ、旅の合間の休憩には打ってつけの村であった。
 それ故に、この診療所は村の奥まった場所に作られ、病人や怪我人が澄んだ空気の中でゆっくりと養生出来る様に設計されていた。無論、無料と言うわけには行かないが、一般の町医者よりも格安になっていた。
 この医師のツェラーであるが、元は裕福な資産家であった。この時代、医学は貴族や資産家などがこぞって学んでいた。
 無論のことながら、医師の大半は上流階級の者がなっていたのである。その中でも、このツェラーやユディなど、ごく一部の者は弟子を集めて私塾を開き、一般の民にも無償で医学を学ばせていた。
 その反面、上流階級の者だけを集めた私塾では高額な学費を取っていた。その学費の大半は薬代や医療道具などに使われており、上流階級の者達はそれを知っていて子供を通わせていたのである。
 医学を学ばせて民を救える一石二鳥の考え方だが、ただの自尊心の満足に他ならない。ツェラーにしろユディにしろ、それと解っていて行っているのである。
 そのお陰で、疫病や行き倒れで亡くなる者は減り、大聖堂さえ医師を抱えられるようになったのであった。
 これは隣国リチェッリで王暦五五九年に起こった医学革命に由来する事柄しているのだが、いずれ語られる時があろう。
 さて、一行は男が休んでいる部屋へと着いた。材質はあまり良いとは言えない扉であったが、そこには細やかながら花や天使の彫刻が施され、見ただけで安堵出来る雰囲気を醸し出していた。
 ヨゼフがその扉をノックすると、中より「どうぞ。」と短い返答があった。ヨゼフがその扉を開くと、続く三人も部屋の中へと入っていった。
 部屋はそう広くは無かったが、明るく清潔に整えられた部屋であり、その中に安楽椅子へ座った男の姿をとらえることが出来た。
「ヘルマン!」
「王子!御無事だったのですね!」
 ミヒャエルを見た男は、あまりのことに椅子から立ち上がった。
 男は直ぐ様その場へ片膝をついて正式な礼を取って言った。
「この度のこと、全て私の無力さ故の失態。王子を危険に晒し、かつ仲間を喪わせたること厳罰に値します。」
「ヘルマン、それ以上言うな。お前が生きて、こうして会えただけでも嬉しいのだから…。」
「いいえ。王子、これを罰せねば、他の騎士に示しがつきませぬ。私の罪は償われるべきもの。そうでなくては、律法は一体何のためにあるのでしょうか?王子、罪を罰せられぬ者は、人の上に立つこと儘なりませぬ。正しく罰してこそ、他にもそれを認めさせられるのです。」
 ヘルマンの言い分は正しい。一国の王になろうとするならば、正しき道を歩まねば国自体を腐敗させかねないのである。
 しかし、騎士としてのヘルマンの罪は、王子を護れなかったと言うだけで死罪は免れないのである。ヘルマンとて、それを承知の上で言っているのであり、既に覚悟は出来ていたのであった。
 だが…敢えて言えば相手が悪すぎたのである。いかな手練れとは言え、三人で暗殺を専門とする者十人相手に戦ったのだ。父王とて、それと分かって死罪に処するとは考えられない。
 ミヒャエルは暫し考えを巡らせた末に、ヘルマンへ罰を与えることに決めたのであった。周囲では皆、ミヒャエルがどう決断するかを見守っていた。
「騎士ヘルマン。汝は死をもってその償いとす。」
 そうミヒャエルが告げた時、エディアがミヒャエルの前に伏して懇願したのであった。
「王子、それはあまりな御処分と言うものに御座います。どうか今一度、お考え直し下さいますよう!」
「エディア、止しなさい。」
 ヨゼフは直ぐ様エディアを制した。気持ちは分からぬではなかったが、次期王になられるであろう御方の裁きに不服を申し立てるなど、本来あってはならないのである。それがこの王国の秩序であったからである。
 しかし、それは全て杞憂に終わるのであった。ミヒャエルは微笑みながら、続けて言葉を付け足したからである。
「但し、執行に五十年の猶予を与える。その間に国のために助力を惜しまずに尽くせば、汝の罪は不問とす。」
「王子、それでは罰とは…」
「いいや、これは充分な罰だ。これから先、この国は動乱の波に呑み込まれるだろう。その最中にあって、民を導き救って行くことは至難と言える。それを私と共に遂行しようとなれば、生半可な心では務まらないだろう。死ぬことはいつでも出来る。それどころか、人は皆死すべき定めなのだ。故に、汝は生きて国を救う手伝いをしてもらう。俺は甘いかな…ヘルマン。」
 このミヒャエルの言葉に、皆は感嘆の溜め息を洩らした。現代とは違い、この時代の平均寿命は約六十歳。五十年の猶予が与えられたならば、それは罰しないと同じである。だがそれ以上に、ミヒャエルは自分や法ではなく、国全体のこととしてヘルマンの力が必要だと言ったのである。ミヒャエルの言葉をそのまま受け取るのであれば、それは紛れもなく償いであり、また大いなる赦しでもあった。
「王子…わが魂にかけ、わが君の言葉に従います。」
 ヘルマンは震える声でそう告げると、深々と頭を下げたのであった。

 その後のことである。皆はこうなった経緯を纏め、今後どう行動するかを話し合っていた。
「そうか…シオンの遺体は消え去っていたのか…。」
 話しの中で、もう一人の騎士シオン・バイシャルについて触れていた。
 ヨゼフによると、息のあったヘルマンをこのレクツィへと運んで後、そのまま直ぐに引き返したのであるが、樫の木陰へ横たえていたはずのシオンの体は、跡形もなく消え去っていたのだという。親友のジーグと共に方々を探し回ったが、何の痕跡も見つからなかったというのである。
「旅人の亡骸など、一体誰が持ち去るというのだ…?だがシオンには済まないと思うが、それは一先ず保留にしておこう。我等が成すべきことをしなくては。それでヘルマン、各地へ分散している騎士達は、どうやって召集する手筈なんだ?」
「はい。それは各地の宿屋に書簡を送り、スノー・ローズを入り口へ飾ってもらうのが合図になっております。合図があった際には、皆はラタンへと集まる手筈になっております。」
「ラタンへか?あそこには十二貴族次期当主達も集まっていたな…。しかし、スノー・ローズとは…。まるで伝説が集まっているようだ。」
 ヘルマンの言った<スノー・ローズ>とは、白薔薇の造花を指す。あるはずのない白い薔薇は奇跡の花であり、その造花は旅人の旅路に幸があるよう祈る意味合いもあった。
「伝説が…集まっている、ですか?」
 ミヒャエルの言葉に、前に座すヘルマンは戸惑ってしまった。彼は何と答えてよものか分からず暫く黙していたが、そこへユディが口を開いた。
「レヴィン兄弟の縁者、聖マルスの大剣、そしてリーテ公子だ。リーテ公家は、聖シュカの末裔だからな。大聖典に登場する聖人でその末裔が存在するのは、現在四つの家系と言うことだ。その一人、聖マルスの末裔はその大剣をミヒャエルへ託したのだから、我々がラタンへ赴けば、自ずとリーテ公子にもお会いすることになる。」
「あとお一方は?」
 ユディの言葉に、エディアが反応を示した。ユディが挙げた家系は三つであり、一つ欠けていたためである。
「エディアさん、後一人はミヒャエル自身ですよ。現王家の祖であるプレトリウス家は、原初の神より加護を受け、民を平安へ導いたとありますからね。聖マルスのように、近年列聖された御方とは対照的で、人物像はよく分かってませんが…。」
「聖マルスが列聖されたのは、そんなに新しいんですか?」
「ええ。亡くなられたのは五十年ほど前ですからね。一方のプレトリウス王は六百年も前の御方で、伝承でしか資料が残されてませんから。」
 ユディがそこまで話すと、さすがにこれ以上話を長引かせるのは得策ではないと考え、二人の会話を止めることにした。
「伝説は飽くまで伝説だ。今起こっていることは、我々でどうにかする他ないだろう。それに、いつも神の奇跡に頼っているようではこの先、人の国は成り立たなくなってしまう。」
 ミヒャエルは苦笑を浮かべながらそう言った。話していた二人も苦笑し、それからユディが再び口を開いた。
「そうだな。で、このままヘルマン殿を連れて直ぐに出発するか?」
「いや、先ずは騎士達を召集する手筈を整え、ラタンの十二貴族次期当主達へ書簡を出す。数日この町へ留まらねば、書簡も届かんだろうからな。ヘルマン、騎士の召集は任せた。」
「はい、心得ております。各地へ向けて直ぐに書簡を出して参ります。」
 ヘルマンはそう言うや略式の礼を取り、そのまま部屋を出て行ったのであった。
「さて…俺達も動くか。レヴィン夫妻…貴殿方はこれからどうされますか?」
 ミヒャエルは、今まで黙していたレヴィン夫妻へと問った。
「私共は直ぐに発ちます。親友がアケシュの村で待っております故、その親友と合流出来しだい、私共もラタンへ入ろうかと存じます。」
「そうですか。アケシュもラタンも、王都と隣接している街です。お気を付け下さい。」
「お心遣い、痛み入ります。それでは、私共はこれにて失礼致します。ミヒャエル様に原初の神の御加護があらんことを…。」
 ヨゼフはそう言うとエディアと共に礼を取り、そのままミヒャエルの前から去ったのであった。
 アケシュの街は、レクツィから歩いて五日程の場所にあり、ラタンよりも王都に近い。しかし、王都との境にはレーツェル山があり、通常はラタンを経由して王都へ入るのが一般的であった。
 但し、レーツェル山には今は使われていない古道があり、これを使えば二日足らずで王都の西にある農民の居住区へ出ることが出来た。しかし、大変危険な道のため、現在では封鎖されている道である。無論、レヴィン夫妻は通常ルートを通ってラタンへ入ることは、言わずともミヒャエル等にも分かっていた。
 その後、ミヒャエルとユディの二人は書簡を認め、それを送る手筈を整えていた。その最中、とある人物がミヒャエル等の元を訪ねて来たのであった。
 ミヒャエルは部屋へ入ってきたその人物を見て、驚きのあまり名を叫んだのであった。
「ベルディナータッ!?」
 ミヒャエルの前へ姿を現したのは、フォルスタの宿屋で働いていた料理人、ベルディナータであった。
「お久しゅうございます。」
 驚いているミヒャエルを前に、ベルディナータは簡易的な礼を取ると、直ぐ様顔を上げて言った。
「早々に申し訳ありませんが、直ぐにこの村を出て下さい。追っ手が迫っております故に。」
「その前に、君はどうしてここが分かったんだ?」
「それが私の仕事でございますので。しかし、この村には中央へ内通している者が居り、今向かっている者は、その者より話を聞いたシュテルツ大公の手の者です。」
 ベルディナータの話に、ミヒャエルとユディは顔を見合わせた。先にも語ったが、シュテルツ大公はミヒャエルの二人の叔父の一人であり、この国第二位の権力者である。その大公が動いているとなれば、もう時間の猶予がないことを意味していた。
「分かった。で、あとどれ程時間が稼げる?」
「私が足留めの罠を仕掛けてまいりましたので、一時程は保ちましょう。外へ馬を用意しております故、直ぐにキシュへと向かって下さい。そこにある聖アグニス教会に歴史学者のディエゴ・ソファリスが待っておりますので、詳しい話は彼がしてくれますので。」
「彼がなぜ!?」
 ミヒャエルは、聞き覚えのある名が出てきたために大変驚いた。まさか、ここでかの学者の名が出てくるとは、露ほども思っていなかったのである。
「ソファリス氏は十二貴族様方より、貴方様をラタンへと安全にお連れするよう命を受けております。」
「そう言うことか…。それで、君はこの後どうするのだ?」
「私はこのまま引き返し、出来うる限り追っ手の足留めを致します。ミヒャエル様とユディ様は、一先ず町にてヘルマン殿と合流して頂き、直ぐにこの町を発って下さい。ヘルマン殿と共に、道案内の者も居ります故に。」
 ベルディナータの言葉に、ミヒャエルは首を傾げて問い掛けた。
「まだ仲間が居るのか?」
「はい。貴方様の見知った者に御座いますれば、案ずるには及びません。では、私はこれにて失礼致したく存じます。原初の神の加護があらんことを…。」
 そう言ったベルディナータは、直ぐ様彼らの前から去って行ったのであった。
 その後、ミヒャエルはユディを伴ってここを立ち去る準備に取り掛かった。ツェラー医師にも全て伝えると、彼は二人へこう言ったのであった。
「こちらの心配は御無用です。全て手筈は整えておりますゆえ、どうか案ずることなくお発ち下さい。お二方に、白薔薇の恵みと原初の神の御加護があらんことを…。」
「ツェラーさん、感謝します。」
 そう言うと、ミヒャエルとユディはこの療養所を後にし、町へいるはずのヘルマンの元へと急いだのであった。
 二人が町へ着くと、そこは何事もなく、ただ田舎のゆったりとした時間が支配していた。何かが起こりそうな気配など微塵も無く、快晴の青空には鳥が遊び、そんな風景の中で人々は、ただ毎日の営みを繰り広げていた。
 町に入って直ぐ、ヘルマンが訪れたであろう馬車郵便屋へと向かったが、そこにヘルマンの姿は無かった。二人はどこを探せばよいらや、暫く考え込んでいると、ふいに一人の人物が彼等へと声を掛けてきたのであった。
「あんた方、ミヒャエルさんとユディさんですかの?」
 それは目深に帽子を被り、なんとも粗末な服を着た老人であった。ミヒャエルは訝しく思いつつも、「そうだが…何か用か?」と問うと、老人はこう返してきたのであった。
「いやぁ、お二方をお連れするよう頼まれましてなぁ。いやいや、見付かって良かったわい。」
 老人のこの言葉に、ユディは眉を潜めた。
「御老体、あなたは一体何者ですか?誰に我々を連れて来るよう言われたのでしょうか?」
「会えば分かると言うとりましたがのぅ。わしゃ今はこんななりをしとりますが、昔ゃこれでも学者なんぞやっとったで。」
 老人はそう言うなり、一人さっさと歩き始めてしまったのであった。腰の曲がった老体だと言うにも関わらずその足は早く、二人は仕方無く老人を追い掛けることにしたのであった。
 無論、敵の罠である可能性もあったが、このままここへ留まったとしても、恐らくヘルマンと合流は出来ないと考えたからである。敵の罠であったとしても、ユディと二人であれば切り抜ける自信はあった。そのため、ミヒャエルは躊躇うことなく老人の後を追ったのであった。
 その老人に付いて暫く行くと、森を背にした農道へと出た。そこは町の入口とは逆であるが、そこで二人はヘルマンの姿を見付けることが出来たのであった。ミヒャエルは、直ぐ様ヘルマンの元へと歩み寄って問ったのであった。
「ヘルマン、これは一体どういうわけだ。」
「王子、それは後程お話し致します。今は一刻も早くこの町を発たなくてはなりません。」
「しかし道案内は…まさか、あの老人…」
 そう言いながら老人を振り返ると、ミヒャエルはそこで言葉を失ってしまった。無論、同時に振り返ったユディも同様であった。その理由は、そこに老人の姿が無かったためである。
「ミヒャエル様、お久しゅう御座います。」
「ソファリス…!何故に君がここへ!?」
 そこへ立っていたのは、歴史学者のディエゴ・ソファリスであった。
「急遽予定を変更せざるを得ない状況となり、私が参りました。ミヒャエル王子とユディ医師には申し訳御座いませんが、ここから直にラタンへ向かわなくてはならなくなったのです。」
 ソファリスの言葉に、二人は顔を強ばらせた。彼の言葉は、この国の状況が更に悪化していることを物語っていたからである。
 要は…第二王子の勢力が王都外へと拡大していることを示唆していたからである。
「お気付きだとは存じますが…予定ではアケシュへ向かうことになっておりましたが、かの街に大公殿下が軍を置いたために断念致したしだいで…。今ではツィラ、ノーイ、ドイ、ブルーメなどもヘルベルト王子の手中に…。さすがにラタンや十二貴族領内にまでは届いておりませんが、それも時間の問題ではないかと…。」
「そうなってからでは遅すぎる…。王家と十二貴族との間で争いになれば、この国は簡単に分裂してしまう。一刻も早くラタンへ入らなくては…。」
 ミヒャエルは表情を堅くして言った。時間も無い上に戦力も無いミヒャエルにとって、一刻も早く十二貴族の子息が集まるラタンへ入ることが、兄ヘルベルトを止める最良の方法なのである。
「だが入ったとして、一体どうするつもりだ?ヘルベルトは既に、この国の中枢を手に入れている。それだけ強大な力を有しているんだぞ?」
 ユディが不安げにミヒャエルへと問い掛けると、ミヒャエルは不敵な笑みを浮かべて言ったのであった。
「奇跡を起こすまでだ。」
 ユディには、その言葉が理解出来なかった。ミヒャエルは元来、奇跡というものを信じてはいない。その奇跡を自ら起こすと言うなど、ユディには理解し難いものであったのである。
 だが、このミヒャエル言葉はその後、偽りなく果たされることとなる。それは暫し後の話である。
「さて、どう進むかは決まっているのだろ?」
 ユディはソファリスへと尋ねると、ソファリスは直ぐ様返答したのであった。
「はい。かなり厳しい旅路となります故、相応の覚悟を決めて頂きたく存じます。」
「分かった。」
 ミヒャエルがそう短く返答をすると、ソファリスは「では、参りましょう。」と言い、皆は細い道から森の中へとその姿を消したのであった。

 ここまでが世にいう「王国動乱」の前半、第三王子ミヒャエルが十二貴族と関わりを持つまでの話である。
 この後、ミヒャエル等は山間を休みなく二日で進み、無事ラタンへと入って十二貴族の子息達と合流することとなる。
 現在では、ルーン公が自らの私兵で碧桜騎士団の介入を防いでいたとも論議されているが、それは定かではない。大聖典にも外典にも、山間をどのように歩んだかは記されてはいないのである。
 ただ、その間にベルディナータが合流したことは間違いなく、そこで碧桜騎士団数人との争いがあった可能性は高い。

 しかし、それを語る者も記す者も居なかったと言うことは、大いに謎である。



 
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