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大淀パソコンスクール

作者:おかぴ1129
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色々な意味で予兆
  夜

 ……昼の授業が終わって一息ついてから、気付いたことがある。

「……寒い」

 今はもう11月だから、当たり前といえば当たり前なのだが……えらく寒い。別に寒さ対策をしてない訳ではないし、教室内は空調が効いているから、決して寒くはないはずなのだが……

「……うう」

 なぜか今、俺はやたらと寒い。しかもただ寒いわけではない。なんだか、体中の骨の奥底が冷たい感じだ。自分で言ってて意味がわからないが、とにかくそんな感じがする。骨が冷たいから、体中が冷えて寒くなってる感じ……とでも言えばいいだろうか。

 そういえば、マスクを買ってきて身につけてる最中に、大淀さんが、帰り支度をしながら、こんなことを言っていた。

――何かあったら、私のスマホに連絡下さいね

 んー……俺が体調を崩していると思っているのだろうか……。ただ寒くて、くしゃみと鼻水が止まらないだけなのだが……。冬になるとよくあるよなぁこういうこと。

 しかし、時間が経てば経つほど、身体がどんどんおかしくなってきた。こうやって今、生徒さんの進捗を記入している今も、現在進行中で異常をきたしつつある身体。頭がぼんやりしてきてて、岸田さんの備考欄の記入がだんだん難しくなってくる。

「んー……えぐしっ!? ……ハッ」

 気がつくと、岸田さんの備考欄に『アウトライン費を乳母にはチア仏で墓゜』という、読めば読むほど不気味で仕方がない、狂気の呪文が記載されていた。うーん……いつのまにこんな呪いの言葉を記入してたんだ俺は……。音読するだけで身体に呪いが溜まりそうな呪詛の言葉を削除し、俺は事務所の時計を見た。時刻は午後7時5分前。そろそろあいつがやってくるはずだが……。

 俺がドアノブに視線を移すと、タイミングよくノブが回り、ガチャリとドアが開いた。その向こうにいたのは、いつもの真っ赤なパーカーを来た川内。赤と紺色のチェックのマフラーつけてるから、外はさぞ寒いんだろうなぁ。やっぱり今日は寒いんだよ。

「せんせーこんばんわ!!」

 入ってくるなり、右手を上げてそう挨拶してくる川内。今日はずいぶん普通な登場の仕方だなぁと思いながら、川内の顔をぼんやりながめた。ぼー……。

「ぉおー……どうした川内。今日はえらく真人間じゃないかー」
「いやたまには私も静かに……て、せんせーどうしたの?」
「ん? 何が?」
「いや、だってマスクしてるし」
「ぁあ……いやくしゃみが止まらなくてな……げふんっ」
「せきじゃなくて?」
「そういやせきも出だしたような……?」
「風邪だよせんせー。休んだ方がいいんじゃない?」

 これぐらいで休むほど、俺の身体はヤワではないっ! そもそも、授業を休むほどのダメージなぞ、蓄積してはおらぬわッ!! おれは両腕に力こぶを作って、川内にこの上ない元気っぷりをアピールしてみた。

「大丈夫大丈夫! ほらっ! げんきーっ!!」
「いや、全然元気そうに見えないし……とにかく、無理はしないでよー?」
「おうっ」

 マフラーをたたみながら教室に向かう川内の跡に続き、おれも教室に入る。川内の席のパソコンに電源を入れたあと、手持ち無沙汰解消に、今日のお昼の神通さんのおはぎの話を振ってみることにした。

「そういや川内」
「んー?」
「神通さんにお礼を言っといてくれ。お昼におはぎを持ってきてくれた」
「ぁあ、そういえば神通、持ってくって言ってたね」

 はずしたマフラーを自分の膝の上に置いて、川内はパソコンの画面を眺めていた。

「どうだった? 美味しかった?」
「美味かったぞー」
「そう言ってくれたら、神通も喜ぶよ」
「特にきなこのやつがな。……げふげふんっ!? 絶品だった。また食べたいなぁ……あのおはぎ」
「ふーん……よかったじゃん。神通に言っとくよ」

 えらくクールな反応だなぁ川内……なんて思ってたら、やっぱりこいつも、妹が褒められるのはうれしいみたいだ。口元がほんの少しだけ、ニコってしてた。恥ずかしくて、悟られたくないのかな?

「んじゃ川内……げふんっ!?」
「ホントにだいじょぶー?」
「余裕だっ。引き続き、表のプリントを作っていくぞ」
「りょうかーい」
「……俺は、昨日の続きでAccessをいじるが、聞きたいことがあったら、遠慮無く……げふんっ!? 声をかけてくれ」
「はーい。……でもせんせーさ。その、なんちゃらってやついじってる時、すんごい真剣な顔してるよね」
「そか?」
「うん。なんかねー……」

 そういって川内は、眉間に思いっきりシワを寄せて、見ているこっちが笑ってしまうほどの険しい顔をしてきた。その様子は、俺の腹筋にダメージを与えようとしている風にしか見えない。鼻の穴がぷくって膨らんでるし。

「こんな感じ!」
「げふっ!? ゲフォッ!? ぐぇふっ!? えふ!? えふっ!!?」
「ちょっとせんせ、大丈夫?」
「他人事ごとみたいに心配しやがって……げふんッ!? お前がッ! 変な顔するのが原因じゃないかッ!!」
「ぇえー!! せんせーの変顔のマネしただけなのにっ!!」
「お前、近々張り倒すっ!! げふっ!?」

 二人でひとしきり笑った後は、二人して集中しての作業に入る。川内は表を用いたプリントの作成で、俺はAccessの業務基幹ソフトの構築だ。

「うっし……これでテーブルが全部出来た……」
「うっし……これで表が出来た……」

 なんだか二人して似たような口癖を発してる気がするが……まぁいい。俺だって最近ソラール先輩の口癖が伝染ってるし。

 不意に、キーボードを叩く俺の右手の袖を、川内がちょんちょんとひっぱりやがった。

「……ねぇねぇカシワギせんせー」

 いきなり名字で呼んでくるから、なんだか心が過剰反応してしまう。いつも単に『先生』って呼んでくるだけのくせしやがって……一体何なんだっ!? まぁいい。心の動揺をさとられぬよう、努めて冷静に……。

「んー? どうした?」
「今さ。表のスタイル設定ってのをやってるんだけど」
「げふんっ」
「表を中央揃えにしてたんだけど、表のスタイルってやつを選んだら、表の中央揃えがなくなっちゃった」
「あー、それか」

 『表のスタイル設定』てのは、表の線の色やセル背景の色などがセットになってるやつで、それを設定してあげると、こちらでわざわざシマシマ模様にセルを塗ったり、文字の色を変更したりといった、面倒な書式設定をせずとも、Wordの方で全部自動で設定してくれるというすぐれものだ。

 でも欠点がひとつあって、スタイル設定をする前に表を中央揃えにしたり右揃えにしたりしてると、その書式を打ち消してしまう。どうも今回の川内は、そのトラップにひっかかってしまったようだ。

「『表のスタイル設定』てのは、表の中央揃えと右揃えをなかったことにしちゃうんだよ。だからやるなら、中央揃えをやる前にスタイル設定をしてやったほうがいいな」
「そうなのかー……無駄足だー……」
「まぁ大した手間じゃないだろうし、もう一回設定しなおしてみ。スタイル設定をしたあとで中央揃えにする分には、まったく問題ないから」
「はーい……」

 口をとがらせ、もう一度書式設定をしていく川内の様子を眺めた後、俺は再び自分の作業に戻る。このAccessのクエリってのが、使いやすいような使いづらいような……SQLを組むわけじゃないから楽といえば楽なんだけど……うーん……

「ねぇカシワギせんせー」
「んー?」
「難しい?」
「んー」

 テーブル結合ってどうやるんだこれ……あ、ちょっとまて。なんかリンクさせる方法あったな……リレーションシップだっけ。『データベースツール』タブの『リレーションシップ』ボタンを押した。そういやここでテーブル同士が線で繋がってるのを見た気がするわ。

「ねぇカシワギせんせー」
「んー?」
「順調?」
「んー」

 えーと……まずはテーブルを追加するのか……テキストを見ながら『テーブルを表示』ボタンを押してテーブルを追加していく……とりあえず全部追加しとくか。いらんテーブルは後から削除すればいいだろう。

「ねぇカシワギせんせー」
「んー?」
「あとで夜戦しよ」
「んー」

 んで、リンクさせたいテーブルのカラムをドラッグして重ねればいいのか……とりあえず顧客テーブルのIDの項目をこっちからドラックして……ちょっと待て。

「……」
「……」
「……川内」
「ん?」
「今なんて言った?」
「せんせーがね! 夜戦に付き合ってくれるって!」

 俺の顔をまっすぐ見ながらそう答える川内の顔は、東京タワーもびっくりの100万ドルの笑顔だった。しかも川内の瞳は、香港の夜景よろしく、キラッキラに輝いていた。

「あほー!! いつおれがそんなこと言ったぁアアアア!!」
「えー! だってさっき言ったもん!!」
「なんて言った!? 俺はなんて……げふんっ……返事したー!?」
「私が『あとで夜戦しよう』て言ったら、『んー』って!!」
「どこからどう聞いても生返事以外の何者でもないだろうがッ! げふっ……つーか何をやるんだよ夜戦って……げふっ」
「えーと……代わりばんこで主砲撃って……お互いが沈むまで撃ちあって……」
「死んでしまいます川内さん。そんなことしたら、カシワギ先生はひと握りの肉片と化して、死んでしまいます」
「主砲が苦手なら魚雷もあるけど、カシワギせんせーはどっち使う?」
「どっちもいらんっ! どっちを使おうがお前にミンチにされる未来しか見えんっ!」
「大丈夫だって! だからあとで夜戦しよ!!」
「無理無理無理無理ぜったい無理ぜったい無理! げふっえふっ!?」
「ぇえ〜……さっきはすんごいキリッてした顔で『んー』って言ってたのに……」
「それは脊髄反射みたいなものだって分かってるよな!? その言葉に俺の意思が乗ってないのは、お前も気付いてるよな!?」
「カシワギせんせーのウソツキー」

 なんとでも言えいっ。肉片となって命を散らすより、嘘つき呼ばわりされる方がいいわいっ。川内は恨めしそうに口をとんがらせ、不満そうにちゅーちゅー言いながらこっちをジト目でにらみ始めた。その岸田さんみたいな悪い癖を一体どこで身につけたんだお前は……昼間の自作小説を思い出すからやめてくれ。

「いいからやれよッ!」
「ちゅー……ちゅー……あ、そうだせんせ」
「なんだよぅ」
「今日ね。用事があるから、いつもよりも早めに終わりたいんだ」

 さっきは『あとで夜戦しよう』とか言ってたくせに、今度は用事があるから授業を早めに切り上げたいだと……!?

「それは構わんけど……げふっ……夜戦するんじゃないんかい」
「まぁいいじゃんいいじゃん」
「んで、だいたい何時ごろだよ」
「うん。いつもより一時間早く帰りたいんだ」

 一時間早くって……授業は二時間だから、実質半分じゃんか……。

「うん。まぁ分かった。残念だが仕方ない」
「残念!? せんせー、私と夜戦出来ないのが残念!?」

 くっそ……張り倒してぇ……ッ!! 目をダイヤモンドみたいに輝かせて嬉しそうにニッタニタ笑いやがって……!!

「私もカシワギせんせーと夜戦出来ないのは残念だけどさ。用事だから仕方ないんだー」
「全然残念じゃない。むしろひき肉にならなくてラッキー以外の何者でもない」
「せんせーも調子悪そうだし、今日は早めに上がったら?」
「さてはお前、俺の話を聞く気がまったくないな!?」

 とはいえ、用事があるのなら仕方ない。あとで大淀さんに連絡とって、今日は一時間早く終わりにするか。

「分かった。……んじゃ今日は一時間早く終わるか」
「りょーかい。ありがとせんせー」
「んー」

 ……なんでだ。なんで俺は今、少し『つまらん』と思ったんだ。

「……ニヤニヤ」
「……ん?」
「やっぱせんせー、あとで夜戦する?」
「するわけがない」

 というわけで、今日は川内は、いつもの半分の時間だけがんばって、家に帰ることになった。俺も、途中まではがんばっていたのだが……

「……ありゃ」
「んー? せんせーどしたの?」
「んー……」

 リレーションシップの設定が終わり、クエリの作成をしていたとき。クエリの名前を『受講履歴一覧クエリ』としたつもりが『じゃみうの力てチセなく桶』という、見ているだけで悪寒が走る、気色悪いクエリ名になっていた。

「ホントに大丈夫?」
「大丈夫は大丈夫だけど……げふん……俺は今日はもう、やめておいたほうが良さそうだ」
「だね。だったら私の夜戦を見ててよ」
「なんでそう、お前が言うといかがわしいんだろうねぇまったく……げふんっ」

 と、己の体力と気力の限界を感じ、俺は黙って川内のプリント作成を眺めることに徹する。何かまずいところがあれば厳しい突っ込みを入れる気マンマンでいたのだが……

「んーと……これで高さを揃えて……」
「げふっ……」
「うっし……あとは中央配置にすれば……」

 川内は殊の外詰まる様子もなく、綺麗な表をさくさくと作り上げていった。簡単な構成のものはもちろんのこと、入り組んだ構造の複雑な表も、安々と作り上げていく。複雑な構造の表って、最初に挿入する表の作成なんかけっこうセンスというか、経験が必要だったりするんだけどな……。

「なー、川内」
「んー? なにー?」
「お前さ、家でも練習してる?」
「してるよー。なんで?」
「……いや。げふんっ」

 そう答える川内の横顔は、妙に凛々しく見えた。

「んー? どしたの?」
「なんでだ? げふんっ」
「いや、こっちをじーっと見てたから」
「『私の夜戦を見ててね』って言ったのはお前だろ……えぐしっ!?」
「さてはカシワギせんせ、私と夜戦が出来ないことが……」
「いいから早くそこのセルを分割しろよ」
「はーい」

 一枚のプリントを作り終えたところで、川内は帰ると言い出し、今日の授業はこれで終了となった。さっきはあんなに夜戦夜戦って言ってたのに……。この後用事があると言っていた割りには、別段急ぐ風でもなく、むしろだらだらと帰り支度をしている川内の後ろ姿に、俺は違和感を覚えたが……

「んじゃカシワギせんせ、お大事に」
「おー……お前も……用事がんばれー」
「んー。ちゃんと病院行くんだよ?」
「おー……」
「だめだこりゃ……」

 と、最後はチェックのマフラーを首に巻きつつダメ出しをされたことで、俺の意識は怒りにふりきれた。とはいえ怒る気力もなく、俺はヘラヘラと笑いながら、川内の後ろ姿を見送ることしか出来なかった。

 さて、川内が返った後も、クローズ業務がすべて終わるまでは帰ることが出来ない。一応大淀さんには、『川内が一時間早く帰ったので、早くクローズします』とメールを送信し、承諾を得ている。あとはクローズ業務をして終わりなのだが……

「……あれ。んー……」

 中々に川内の備考欄への記入が終わらない。かなり気合を入れて記入したつもりなのだが……『進行度は上々。この調子で行けばWordのカリキュラム終了は早くなる』と打ち込んだつもりが、『進行度はじをえじょえ。こりとょうしですけばてらすしの……』と、三度ケッタイな魔法スペルの詠唱と化していた。俺の両手は新手のモンスターか何かでも召喚したいのか……手が言うことを聞かん。

「これは……そろそろヤバいかもしれん」

 タイピングがずれる……つまり、人差し指がホームポジションに気付いてないってことだ。ホームポジションがズレるほど、俺の体力は今、くたばっているのか。

「んー……まずいな……」

 クローズ業務が終わり、帰り支度を整えて事務所の電気を消す。途端に真っ暗になった室内に、俺の咳が響き渡る。段々頭がフラフラしてきた。

「風邪か……? まぁ大丈夫だろう」

 これぐらいの体調不良なら、何度でも乗り越えてきたわッ! あの地獄のブラック企業でな……!! 俺は頭をふらつかせながら自分の身体を蛇行運転し、家路を急いだ。

「んー……うおっ……えぐしっ!?」

 途中、川沿いの道を歩いて帰宅するのだが、100メートルほどの道のりで、3回ほど川に転落しかけた。頭のフラフラが収まらない。道が二重に見えてきた。……俺、ちゃんと家に帰れるのかなぁ……。 
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