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亡命編 銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
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第四十六話 新人事の波紋

宇宙暦 795年 1月12日  ハイネセン  宇宙艦隊総司令部 フレデリカ・グリーンヒル



「申告します、宇宙艦隊総司令部付参謀を命じられました、フレデリカ・グリーンヒル少尉です」
「歓迎するよ、グリーンヒル少尉。貴官の事は大将閣下より聞いている」

マルコム・ワイドボーン准将が私の申告を受けてくれた。准将は士官学校では十年来の秀才と言われている。私も士官候補生時代、教官から何度かそれを聞いたけどあまり秀才臭さは感じられない。背が高く、明朗快活で頼りになる感じだ。

「残念だがシトレ元帥は未だ統合作戦本部にいる。貴官のお父上と引き継ぎをしているようだ。あと二日はかかるだろう。いずれ引き合わせよう」
「はい、宜しくお願いします」

「おい、ヤン、ヴァレンシュタイン、グリーンヒル少尉だ」
ワイドボーン准将の声にデスクで仕事をしていた二人の男性が顔を上げた。二人とも良く知っている。一人はヤン准将、黒髪、黒目、ちょっと頼りなさそうに見えるけどエル・ファシルの英雄だ。

私が今此処にいるのはヤン准将のおかげ。エル・ファシルで准将に救われた三百万の民間人の一人が私だった。准将がサンドイッチを咽喉に詰まらせたときコーヒーを持って行ったけれど、多分准将はあの時の私の事など忘れているだろう。“コーヒー嫌いだから紅茶にしてくれたほうがよかった” あの時の言葉を私は今でも覚えている。

そしてもう一人はヴァレンシュタイン准将。近年英雄として騒がれているけど小柄で優しそうな表情をしている。私と同い年、そして亡命者なのに既に准将の階級を得ている。切れ者の参謀としてシトレ元帥の懐刀とも言われている。

「ああ、宜しく頼むよ、グリーンヒル少尉」
「宜しくお願いします、少尉」
「こちらこそ宜しくお願いします」

一昨日の十日、自由惑星同盟軍で大規模な人事異動の発令が有った。中でも驚いたのは統合作戦本部長シトレ元帥が宇宙艦隊司令長官に就任したこと。軍のナンバー・ワンからナンバー・ツーに降格。それだけでも驚きなのにシトレ元帥が自らそれを望んだと聞いた時には皆が驚愕した。

“宇宙艦隊の信用を回復するために私自ら司令長官の職に就く”
元帥のその言葉を皆が歓迎した。ナンバー・ワンからナンバー・ツーへの降格など簡単に出来ることではない。シトレ元帥は本気で宇宙艦隊を立て直そうとしている……。

トリューニヒト国防委員長もシトレ元帥の宇宙艦隊司令長官への就任を支持した。
“軍の信頼回復は急務であり、シトレ元帥の英断に対して心から敬意を表する。私は元帥の決意に最大限の協力をするつもりだ。それこそが打倒帝国への第一歩だと思っている”

嘘ではなかった。統合作戦本部長には私の父がシトレ元帥の代理という形で就任、軍の頂点はシトレ元帥だという事を改めて周囲に印象付けた。また第四艦隊司令官パストーレ中将、第六艦隊司令官ムーア中将が最高幕僚会議議員に異動し代わりに第四艦隊にはモートン少将が、第六艦隊にはカールセン少将がそれぞれ中将に昇進して艦隊司令官になっている。

二人とも兵卒上がりで政治色は無い。実力は有りながらも士官学校を卒業していないということで必ずしも場所を得ていなかった。その二人がパストーレ中将、ムーア中将に代わって艦隊司令官になった。パストーレ中将、ムーア中将はあまり実権の無い最高幕僚会議議員に異動……。

本来なら有りえない人事だ、パストーレ中将、ムーア中将はトリューニヒト国防委員長に近い人物と考えられていた。誰かが強くトリューニヒト委員長に要請したから実現できた人事だろう。父もそう言っていた、誰かが動いたと……。

そしてその全てにヴァレンシュタイン准将が絡んでいるのではないかと言われている。先日のシトレ元帥との密会騒動。一部の報道の中には二人が男色関係に有るのではないかとの報道も有った。

シトレ元帥は身長二メートルを超える偉丈夫だし准将は小柄で華奢な身体をしている。何かにつけて英雄と呼ばれる彼にやっかみの声が有ってもおかしくは無い。しかしその憶測も人事異動の発令と共に消えた。

おそらく二人が話し合ったのは今回の人事の事、そしてトリューニヒト国防委員長に対しての根回し……。ロボス元帥の失脚さえ二人がシナリオを書いたのではないかと言われている……。

ヤン准将もヴァレンシュタイン准将も挨拶を済ますとそのまま作業に戻った。ヴァレンシュタイン准将は書類の確認、そしてヤン准将は……読書? 准将が読んでいるのはどう見ても仕事に関係した本ではなかった。歴史の本だった……。仕事は? 思わず周囲を見たけれど皆何も言わない。不思議だった。

新人の私の指導係になったのはミハマ・サアヤ少佐だった。私より三歳年上だけど既に少佐になっている。ヴァンフリート、イゼルローン、二度の戦いを最前戦で戦い昇進した。イゼルローンでは危険な撤退作戦にも従事している。ヴァレンシュタイン准将の信頼厚い女性士官だ。

“私はおまけで昇進したの、何にもしてないのよ”
私が尊敬していると言うと少佐は困ったような笑みを浮かべて答えてくれた。謙遜? それとも本心?

私が少佐について最初に教わったのは補給関係の書類の確認だった。私は此処に来る前は情報分析課にいたから補給関係の仕事は初めてだった。少佐は元々後方勤務本部にいたからこの仕事には慣れているらしい。戸惑う私にミハマ少佐は親切かつ丁寧に教えてくれた。

「とても分かり易いです。有難うございます」
「私もそういう風に教わったの、ヴァレンシュタイン准将にね」
「准将に、ですか?」

ミハマ少佐は私の問いかけに笑って頷いた。准将が用兵家として優れた人物であることは分かっている。でも補給も?
「そう、嫌になるわよね、用兵も事務処理もどちらも完璧なんだから。何でも一人で出来るから何でも一人でやっちゃう。傍にいると時々落ち込むわ……」
「……」

私がどう答えて良いか分からず沈黙していると少佐は優しい笑顔を私に見せた。
「気を付けてね」
「?」
「准将は意地悪でサディストで根性悪で、とても鋭い人だから……。でも本当は誠実で優しい人なの。信頼できる人よ」
「……」

言っている意味がよく分からなかった。サディストで根性悪、誠実で優しい人……。ただ印象的だったのは少佐の笑顔がとても優しそうに見えたことだった。よく分からないまま私は頷き作業に取り掛かった。

作業中も時々ヤン准将を見た。周囲が忙しそうに働く中で准将だけが本を読んでいる。良いのだろうか? 周囲から疎まれたりしないのだろうか? 皆、何故何も言わないのだろう? 准将の事を皆無視している?

書類の確認が終わった事をミハマ少佐に告げると、少佐はヴァレンシュタイン准将に提出するようにと指示を出した。書類を持ち、ヴァレンシュタイン准将のデスクに近づく。ヤン准将は私に気付く様子もなく本を読んでいる。

「ヴァレンシュタイン准将、書類の確認をお願いします」
「分かりました、そこに置いてください」
書類を置いて席に戻ろうと踵を返した時だった。ヴァレンシュタイン准将の声が聞こえた。

「ヤン准将が気になりますか?」
驚いて振り返った。ヴァレンシュタイン准将は書類を見ている。ヤン准将が訝しげに私を見ていた。そしてヴァレンシュタイン准将が言葉を続けた。

「周囲が忙しそうに仕事をしているのにヤン准将だけが仕事をせず本を読んでいる。どういう事なのか、そう思っているのでしょう?」
「……」

ヴァレンシュタイン准将が顔を上げて私を見た。表情には笑みが有る。
「確かに忙しいですが、ヤン准将に事務処理をさせるほど私もワイドボーン准将も馬鹿じゃありません」
「……」
ヤン准将が苦笑した。その事が私を微かに苛立たせた。

「命の恩人を馬鹿にされて怒りましたか?」
「!」
「命の恩人? どういう事だ、ヴァレンシュタイン」
私達の遣り取りを聞いていたワイドボーン准将が問いかけてきた。

「簡単ですよ、グリーンヒル少尉はエル・ファシルに居た。ヤン准将は命の恩人なんです、そうでしょう?」
「そうなのか、ヤン」
「いや、そう言われても……」
ヤン准将は困惑している。やはり私の事は覚えていない、予想していたことだけれど微かに胸が痛んだ。

「今度は悲しそうですね、少尉」
「……」
悲しそうとは言う言葉とは裏腹に准将は笑顔を見せている。
“准将は意地悪でサディストで根性悪で、とても鋭い人だから……“

「この通り、ヤン准将は薄情な人ですからね。いつか思い出してくれるだろうとは思わないことです。はっきり伝えた方が良いですよ」
気遣ってくれている? 誠実で優しい人?

「御存じだったのですか、ヴァレンシュタイン准将?」
私はその事を周囲に話したことは無い。父から聞いたのだろうか? 准将と父はイゼルローン要塞攻略戦では苦労を共にした仲だ。もしかすると私の事が話題になったのかもしれない……。

「私もワイドボーン准将もヤン准将を馬鹿にしているつもりは有りません。人には向き不向きが有りますからね。ヤン准将には用兵家としての才能は有りますが事務処理の才能は有りません、戦争になったらヤン准将に働いてもらいます」

そういうとヴァレンシュタイン准将は書類に視線を戻した。ヤン准将が困ったような顔で私を見ている。凄く居づらいというか気まずい。やっぱりヴァレンシュタイン准将は意地悪でサディストで根性悪だ……。

「エル・ファシルでヤン准将に助けていただきました。有難うございました」
「ああ、そう」
ヤン准将は困惑している。私も困った、会話が続かない。そしてヴァレンシュタイン准将は微かに肩を震わせている。笑ってる? 笑ってる!



宇宙暦 795年 1月12日  ハイネセン  宇宙艦隊総司令部 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



いやあ、青春だな。なんとも不器用で初々しくて、甘くて切ない……。トリューニヒトだのシトレだの相手にしていると世も末だけど不器用な二人を見ているとおじさんは嬉しくなってしまうよ。

もう少しからかいたかったが総司令部にバグダッシュが入ってきた。急ぎ足でこちらに近づいて来る。
「帝国の宇宙艦隊司令長官が決まりました、クラーゼン元帥です」
その声に皆が手を停めた。

「クラーゼン……、幕僚総監か、彼が宇宙艦隊司令長官に。……バグダッシュ大佐、メルカッツ提督は?」
「副司令長官ですよ、ワイドボーン准将」

ワイドボーンとバグダッシュが話している。クラーゼン幕僚総監か……。 実権は無い、飾り物の元帥が宇宙艦隊司令長官になった。そして副司令長官にメルカッツ、こいつをどう判断するか……。

ワイドボーンが俺を見ている、ワイドボーンだけじゃない、皆が俺を見ている。
「どう思う?」
「初々しくて心が洗われる思いですよ」

俺の言葉にフレデリカが唇を強く結んだ。いかんな、シャレが通じないのは。ワイドボーンが呆れたような声を出した。
「そうじゃない、帝国の人事だ」

分かってるよ、そんな事は。ここにもシャレの通じない奴が居た。優等生とか秀才っていうのはこれだから困る。
「酷い人事だと思いますよ」

クラーゼンが飾り物の元帥だという事は同盟でも分かっている。幕僚総監などと言っても何の実権もないのだ。儀式、式典に出席する事だけが仕事だ。これで用兵家としての能力に溢れている、司令長官としての“威”を持っている、そんな事が有るはずがない。

「酷い人事か……、彼が予想外の切れ者という可能性は?」
「有りませんね」
俺が断言するとワイドボーンとヤンは顔を見合わせた。

有りえない。彼が有能なら幕僚総監などという何の実権もない名誉職に就いているはずが無い。それにヴァンフリートの敗戦後もミュッケンベルガーが司令長官職に留まっている。クラーゼンに力量があるのならその時点で彼が司令長官になっていてもおかしくないのだ。

そして今回の人事も決定まで時間がかかりすぎている。クラーゼンに宇宙艦隊司令長官としての能力が有るとは帝国軍の上層部は思っていなかった。大揉めに揉めて決まったのだろう。

或いはエーレンベルク、シュタインホフに疎まれている、そういう事が有るのかもしれない。それゆえに司令長官就任までに時間がかかったという可能性も有る。だがクラーゼンが有能だという可能性は無い。

原作を見れば分かる。フリードリヒ四世死後、貴族連合も総司令官にメルカッツを起用しているが、クラーゼンが有能なら彼が総司令官になっていてもおかしくは無い。だがクラーゼンは何の動きも見せていない。おそらく周囲は誰もクラーゼンに利用価値、つまり軍事的な才能を見出さなかったのだろう……。

「本当に無いか?」
ワイドボーンが俺に念押しをしてきた。面倒だが答えるか……。
「有りません。ヴァンフリートの敗戦後もミュッケンベルガー元帥が司令長官職に留まっています。そして今回の人事も決定まで時間がかかりすぎている。いずれも彼が宇宙艦隊司令長官に相応しくないことを示している……」

少々端折ったが十分だろう。あんまり説明したくないんだよ、妙な目で俺を見る奴が必ず出るからな。俺の答えにワイドボーン、ヤン、バグダッシュが顔を見合わせた。

「となるとクラーゼンはどう出るかな」
「実績を挙げて地位を盤石なものにしたいだろうね」
「早急に軍事行動を起こすという事ですか」

おそらくそうなるだろう、ワイドボーン、ヤン、バグダッシュの会話を聞きながら思った。クラーゼンは必ず出撃してくる。
「バグダッシュ大佐」
「何です、ヴァレンシュタイン准将」

「情報部でミューゼル少将の動きを追って下さい。クラーゼンとの関係はどうか、遠征軍に参加するのか……、それとクラーゼンの総司令部に誰が居るのか、それが知りたい」
「分かりました。調査課の尻を叩きましょう」

「それと、帝国軍の遠征軍の艦隊編制、将官以上の地位にある人間のリストを」
「……分かりました。必ず用意させます」
バグダッシュが緊張した声を出した。おそらくヴァンフリートの事を思い出したのだろう。

俺が知りたいのはラインハルトの覇業を助けた男達が何人参加するかだ。そいつらを殺す、連中がラインハルトの下に集まる前に殺す。何人殺せるかでこれからの戦いが変わってくるだろう。

単なる撃破では駄目だ。シトレにも言ったがやはり殲滅戦を仕掛けなければならない。戦場が問題だな、ティアマト、アルレスハイム、ヴァンフリート……。大軍を動かしやすいのはティアマト、アルレスハイムだが敵を誘引しやすいのは基地が有るヴァンフリートだろう。さて、どうするか……。

 
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