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亡命編 銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
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第四十五話 クラーゼン元帥

宇宙暦 795年 1月 4日  ハイネセン   ミハマ・サアヤ



「サアヤ、いつまでもTVを見ていないで、そろそろ準備をしなさい。遅刻するわよ」
「はあい、母さん」

時刻は七時二十分です。後十分経ったら準備を始めます。支度に三十分、ここから宇宙艦隊司令部まで歩いて三十分、八時半には職場に着きます。夏はちょっと暑くて閉口ですが今の時期なら歩くのは問題は有りません。ダイエットのために歩いています。

就業開始時刻は九時ですから十分余裕が有ります。母もそれは分かっているのですが、必ずこの時間になると私に準備をしろと言います。母にとって私はちょっと抜けていて頼りない所のある娘なのです。私も反論はしません、全くの事実ですし、反論しても言い負かされるだけです。これまで勝った事が有りません。

ミハマ家はハイネセンではどこにでもあるごく普通の家だと思います。母と私と弟、父はいません。宇宙歴七百八十一年、イゼルローン回廊付近で起きた帝国軍との遭遇戦で父は戦死しました。

名前もつかないような戦いで戦死したのですがそれも珍しい事ではありません。遭遇戦は年に何度か起きるのです、その度に戦死者が出ますし、多い時は万単位で戦死者が出ます。

私と五歳年下の弟、幼い子供二人を抱えた母の苦労は大変なものだったと思います。母は腕の良い美容師でしたし、父の死後に支払われた生命保険、遺族年金のおかげで家が困窮するようなことは有りませんでした。ですが決して生活は楽では無かった……。精神的な面での母の苦労と言うのは決して小さくなかったと思います。

私は中学を卒業すると士官学校に進むことを選択しました。士官学校はお金がかかりませんし、それに全寮制です。母の負担を少しでも軽くしたい、そう思ったのです。これも珍しい事ではありません。

中学の同級生の中でも多くの生徒が私と同じ選択をしました。士官学校ではなくても下士官専門学校や軍関係の専門学校に行ったのです。家族を奪った帝国軍に対する憎しみが無かったとは言いません、ですがそれ以上に母親に負担をかけたくない、そういう気持ちが皆強かったと思います。

私が士官学校に行きたいと言うと母はもの凄く反対しました。普段は私の頼りない所も“女の子はそのくらいで良いの、男の人が放っておけない、そう思えるぐらいの方が”と明るく励ましてくれるのですが、この時は“あんたみたいな頼りない子が軍人になったって無駄死するだけだからやめなさい”と散々でした。

それでも私は母の反対を押し切って士官学校に行き無事卒業して任官しました。情報部に配属でしたが母は安心したようです。最前線で戦わずに済む、そう思ったのでしょう。ですから私がヴァンフリート4=2、そして宇宙艦隊総司令部に行ったことはショックだったようです。

無理もないと思います。弟も士官学校に行きましたから私が戦争に行けば母は家に一人なのです。どうしても戦場にいる私の事を考えてしまうのでしょう。私が昇進しても最近では喜んでくれません。それだけ危険なことをしていると思っているのです。

特に前回のイゼルローン要塞攻略戦では撤退作戦に参加しました。あの時の様子はマスコミが大きく報道しましたから私が負傷者の返還に関わったと母も知っています。一つ間違えば死ぬところだった、そう思うと胸が潰れるような思いをしたそうです。帰還した私の顔を見た母は、何も言わずに私を抱きしめ泣き出しました。私は何もできずただ母に抱かれているだけでした。

“大丈夫、ヴァレンシュタイン准将と一緒なら心配いらない。今回もちゃんと帰ってきたでしょう” 私はそう言って母を安心させようとするのですが、なかなか納得してくれません。母にとってヴァレンシュタイン准将は英雄ではなく娘を危険に曝す悪い男なのです。

七時半になりました、そろそろ支度を始める時間です。席を立とうとした私の耳にTVの女性アナウンサーが気になることを言いました。
『今日の午前一時半の事ですが、ヴァレンシュタイン准将が有る人物と密会をしていたことが分かりました』

え、密会? 相手は誰だろう? 司令部の女性兵士か、それとも後方勤務の女性か……。准将はエリートですし、外見も可愛いですから女性からは人気が有ります。相手に困る様な事はないでしょう。でも何時の間に? いつも最後まで残業していたのはデートを隠すため?

「サアヤ、早くしなさい」
「うん、すぐ支度する」
『二人はどこかに行っていたようです』
そんな事より相手は誰? 時間なんだから焦らさないで早く教えて!
『准将の官舎の前で地上車が止まったのですが、中に居たのはヴァレンシュタイン准将と……』

准将と? 誰? 早くしなさい!
『統合作戦本部長、シドニー・シトレ元帥でした』
……まさか、そういう関係だったの?



帝国暦 486年 1月 7日  オーディン オフレッサー元帥府 ラインハルト・フォン・ミューゼル



元帥府に有るリューネブルクの私室で俺は彼とワインを飲んでいた。どうしてそうなったのか良く分からない。気がつけば赤ワインが用意され、気がつけばなんとなく飲んでいた。まあ時刻は六時を過ぎているし、問題は無い。こういう時も有るのだろう。

年を越したが宇宙艦隊司令長官の人事は未だ決まらない。反乱軍も宇宙艦隊司令長官が決まらない。お互いに相手の人事が決まらないから焦る必要は無いと考えているのかもしれない。このままで行くといつ決まるのやら……。

カストロプ公の処断は宇宙艦隊司令長官の人事が決まってからとなっているらしい。場合によっては叛乱ということもある。実戦部隊の最高指揮官を決めてから処断するというのは正しいのだろうがどうにももどかしいような気もする。

あんな男が息をしている事自体許しがたい事だ。あの男の所為でどれだけの人間が犠牲になったか……。決して表には出ない事だがそれだけに許しがたいという気持ちは強くなる。

ミュラーとクレメンツがオフレッサー元帥府に来る事になった。少しずつだが艦隊の陣容も整いつつある。もう少し手を広げるべきだろう、有能な男達を元帥府に引き入れるべきだ。

オフレッサーは下級貴族の出身だけに平民や下級貴族出身の男達を元帥府に入れる事にあまり抵抗は無いようだ。実際装甲擲弾兵に名門貴族出身者など居ない。能力さえあれば受け入れるのに抵抗は無いのだろう。

考えてみれば俺やリューネブルクを元帥府に入れた事も普通なら有りえない事だ。俺は皇帝の寵姫の弟、リューネブルクは亡命者、どちらも好まれる存在ではない。おかしな男だ、オフレッサーは自分自身の事をどう思っているのか……。

ドアがいきなり開いた。眼を向けるとオフレッサーだった。拙い所を見つかったか、そう思っていると
「俺にも飲ませろ」
そう言って近づいてきた。表情が険しい、何か面白くないことでもあったか? 俺達を怒っているようではない様子だが……。

リューネブルクがテーブルにグラスを用意する。俺がワインを注ぐと椅子に座ったオフレッサーが物も言わずにワインを飲みほした。少しは味わえよ、それだから装甲擲弾兵は野蛮人だと言われるんだ。もう一杯注いだ。

「司令長官が決まったぞ」
「!」
唸るような声だった。俺を睨むような目で見ている。思うような人事ではなかったか、一体誰だ? メルカッツではないな。

「どなたに決まったのです?」
リューネブルクの問いかけにオフレッサーは鼻を鳴らした。
「クラーゼン元帥だ」

クラーゼン? 思わずリューネブルクと顔を見合わせた。リューネブルクも訝しげな表情をしている。思わずオフレッサーに問いかけた。
「幕僚総監ですか?」
「そうだ、他に誰が居る」
「……」

幕僚総監、クラーゼン元帥。元帥の地位には有るが何の実権もない幕僚総監と言う名誉職についている。彼が姿を現すのは儀式、式典などの時だけだ。能力が有るのかどうかも分からない。その彼が宇宙艦隊司令長官?

「メルカッツ提督ではないのですか」
リューネブルクの問いにオフレッサーはジロリと視線を向けた。
「メルカッツ提督には威が無いからな」
“威”、不思議な言葉だ。一体どういう事なのか……。俺の疑問を感じ取ったのかもしれない、オフレッサーが口を開いた。

「帝国軍には二つの序列が有る、分かるか?」
「……いえ、分かりません」
俺の答えにオフレッサーはまた鼻を鳴らした。頼むからそれは止めてくれ、そのうちリューネブルクだけじゃなく俺まで真似しそうだ。

「軍の序列である階級と宮廷序列だ。軍での序列は低いが宮廷での序列は高い、と言う連中は少なくない。宇宙艦隊司令長官はそういう連中を指揮しなくてはならん。宇宙艦隊司令長官には“威”が必要なのだ。宮廷序列を押さえて軍序列を守らせるだけの“威”がな。それだけの“威”が無ければ大艦隊は指揮できん」

なるほど、“威”か……。メルカッツにはその“威”が無いという事か。確かに誠実そうでは有るが強さは感じられない。その所為で宇宙艦隊司令長官の人事が難航していたのか……。

ミュッケンベルガー元帥の屋敷で話したことを思い出した。 “一個艦隊の指揮なら私よりも上手いだろうな、だが艦隊司令官と宇宙艦隊司令長官は違うのだ” ミュッケンベルガー元帥の言葉、その意味がようやく分かった。

「この“威”と言うのは厄介でな。誰もが最初から持っているわけではない。ごく一握りの人間だけが戦いの中で徐々に身に着け、大きくしていく……。軍務尚書も統帥本部総長もメルカッツ提督の力量は認めていた。しかしメルカッツ提督はもう五十を超えている。これから“威”を身に着けるという事は不可能だろう……。残念なことだ」

そう言うとオフレッサーはワインを一口飲んだ。嘆くような口調だ。オフレッサーはメルカッツを惜しんでいる。“威”か……確かにそういう何かが宇宙艦隊司令長官には必要なのかもしれない。しかし、クラーゼンにその“威”が有るのか?

「閣下、クラーゼン元帥にその“威”が有るのでしょうか?」
俺の問いかけにオフレッサーは俺を見た。詰まらない事は聞くな、と言うような目をしている。

「そんなものは無いな、いや俺には見えんと言うべきか……」
「では何故?」
「……」
オフレッサーが憮然としている。どうもおかしい、何が有った?

「宇宙艦隊司令長官に俺をと言う話が有った」
「閣下を?」
思わずオフレッサーの顔をまじまじと見た。オフレッサーが面白くもなさそうに俺を見返す。慌てて視線をリューネブルクの方に逸らした。彼も呆然としている。

「メルカッツ提督を副司令長官にして実際の指揮を取らせる。要するに俺なら我儘な連中を制御できるだろう、そういう事だ」
「なるほど」
思わず声が出た。必要とされたのは才能ではなく“威”か……。旗艦の艦橋で仁王立ちになるオフレッサーを思った。この男に怒鳴りつけられたら家柄自慢の馬鹿貴族どもも震え上がるだろう。リューネブルクも何度か頷いている。

「だがそれが拙かった。艦隊戦の素人を司令長官にするとは何事、それくらいなら自分が司令長官になるとな……」
「クラーゼン元帥ですか」
俺の言葉にオフレッサーが渋い表情で頷いた。そしてワインを飲み干すとグラスを俺に差し出してきた。慌ててワインを注いだ。道理でオフレッサーが渋い顔をするはずだ。自分がきっかけで酷い事になったと思っているのかもしれない。

「軍務尚書も統帥本部総長も止めたのだがな。言う事をきかん。艦隊戦は殴り合いとは違うと言いおった……。そういう事ではないのだが……」
「……“威”の事は」

リューネブルクの躊躇いがちな問いかけにオフレッサーが首を振った。
「形のないものだからな、確かめることは出来ん。自分には“威”が無いと言うのか、そう言われては……」
「……」
思わずため息が出た。まるで子供だ。オフレッサーも遣る瀬無さそうな表情をしている。

「最後は喧嘩別れのようなものだ、そう思うならやってみろ、ああ分かった、やってやる、とな……。まあ艦隊戦に関しては俺は素人だ。その俺を司令長官にするのは確かにおかしかろう」

確かにおかしい……、しかしオフレッサーを宇宙艦隊司令長官か……。面白いと言うか型破りな事を考える人間が居る。軍務尚書か、統帥本部総長か、或いはミュッケンベルガーか……。指揮官が全てを考える必要はない、参謀を上手く使う事が出来るのであれば……、決断できるのであれば……、そういう事か……。

「それでクラーゼン元帥が……」
「そうだ、クラーゼン元帥が司令長官に、メルカッツ提督が副司令長官になる……。まあ上手くいって欲しいものだが」
そう言うとオフレッサーは渋い表情でワインを一口飲んだ。

オフレッサーは危惧している。どうやら帝国軍は余り良い司令長官を得られなかったようだ。もしかするとクラーゼン元帥は最初から宇宙艦隊司令長官の座を狙っていたのかもしれない。元帥であるのに実権のない幕僚総監という閑職にあることを不満に思っていたのかもしれない。だとしたらオフレッサーを宇宙艦隊司令長官にというのはクラーゼンにとって好機だったのではないだろうか……。

危険だな、クラーゼンは危険だ。ミュッケンベルガー元帥とはまるで違う、何となく反乱軍のロボス元帥に重なって見えた。自分の野心のために無茶をするような感じがする。こうなると気になるのは反乱軍だ。連中が誰を司令長官にするか、そして誰が司令長官を支えるのか……。十分に注意する必要が有るだろう……。
 
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