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亡命編 銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
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第三十三話 イゼルローンにて(その3)

宇宙暦 794年 10月20日  イゼルローン要塞 バグダッシュ



「馬鹿な、何を言っているんです。分かっているんですか、自分の立場が」
「分かっていますよ、そんな事は」
「分かっていません、行けば殺されます」

俺の言葉にヴァレンシュタイン大佐は何の感銘も受けた様子はなかった。平然としている。本当に分かっているのか? 俺と同じ疑問を持ったのだろう。ミハマ大尉が言葉を続けた。

「大佐、バグダッシュ中佐の言うとおりです。無茶です」
「もう決めたことです。我々は時間を稼がなくてはならない、私は彼を助けなくてはならない。だから部隊は私が彼を運んでいる間に逃げればいい」
まるで他人事の様な口調だった。本当に分かっているのか? いや分かっていないはずはない。ならば大佐は全てを捨てている……。そういう事なのか……。

シェーンコップ大佐がむっとしたような表情でヴァレンシュタイン大佐を見ている。ローゼンリッターの誇りを傷つけられたと思っているのだろう。俺がその立場でも同じことを思うはずだ。

「馬鹿なことを、貴官は我々に貴官を犠牲にして逃げろと言うのか」
押し殺したような口調だった。しかしヴァレンシュタイン大佐は相変わらず他人事の様な口調でシェーンコップ大佐に話しかけた。

「犠牲無しでの撤退は無理です。問題は誰が犠牲になるかでしょう……、私が志願すると言っている。それに上手く行けば帰って来れないとも限らない。犠牲が最少で済む可能性は一番高いんです」
「……しかし……」

シェーンコップ大佐が口籠った。確かにそうかもしれない。しかし、ヴァレンシュタイン大佐を犠牲にできるのか? 彼を犠牲にしてよいのか? 出来るわけがない、能力がどうこうという問題ではないのだ、我々はヴァレンシュタイン大佐に必要以上に犠牲を強いている。誰もがそれを負い目に感じているのだ。

「軍法会議も有るんですよ、大佐。グリーンヒル参謀長に全てを押し付けてそれで済ますつもりですか」
何としても彼をここから無事に連れて帰らなければならない。ヴァレンシュタイン大佐は責任感の強い男だ、他人に全てを押し付けて終わらせるようなことは出来ないだろう。

「私が死ねば、撤退作戦は総司令部の参謀が戦死するほどの難行だったとなります。撤退作戦をまるで検討しなかったロボス元帥は言い訳できませんよ。特に彼が切り捨てようとした亡命者が犠牲を払ったとなれば余計です」
「……」

「それにシトレ元帥は必ず私の死を利用します。ロボス元帥が軍法会議で勝つ可能性はゼロですね」
そう言うと大佐は微かに苦笑を漏らした。

「……大佐、大佐は勘違いしていますよ。シトレ元帥はそんな人じゃない。元帥は誰よりも大佐を高く評価しているんです。大佐の死を利用するなど……」
最後まで言う事は出来なかった。ヴァレンシュタイン大佐の笑い声がそれを止めた。

「私もシトレ元帥を高く評価していますよ、強かで計算高い……。シトレ元帥は喜んでくれますよ、生きてる英雄よりも死んでる英雄の方が利用しやすい。文句を言いませんからね」
そういうとヴァレンシュタイン大佐は今度はクスクスと笑い声を上げた。そして笑い終えると生真面目な表情を作った。

どうにもならない、大佐の我々に対する不信感には根強いものが有る。或いは我々と言うより彼を利用しようという国家に対しての不信感なのかもしれない。帝国を理不尽に追われた、その事が権力者に対して強い不信感を持たせている。そしてそれに代わる個人の友誼、信頼関係を結べずにいる。だから彼は痛々しいほどに孤独だ。

「確かに大佐にとって同盟での人生は望んだものではなかったかもしれません。不本意なものだったと思います。そしてその不本意な部分に我々が絡んでいるのも事実……」
「……」
大佐は微かに苦笑を浮かべた。その笑みが俺の心を重くさせる。

「ですが、分かって欲しいのです。我々は大佐を必要としているんです。そして大佐に我々に頼って欲しいと思っている。今の大佐は見ていられんのです……」

そう、頼って欲しいのだ。自分だけで抱え込まないでほしい。ワイドボーン大佐もそれを願っている。皆がそう願っている。

「……ギュンター・キスリングはこんなところで死んではいけないんです。彼は生きなければならない」
「それはヴァレンシュタイン大佐も同じでしょう」
ミハマ大尉が縋る様な口調で説得しようとした。しかしヴァレンシュタイン大佐は苦笑すると説得を拒否した。

「私は本当はこの世界に居ない人間だったんです。生まれた直後ですが一度呼吸が止まりました。そう、一度死んだんですよ、私は。それをどういう訳か今日まで生きてきた……、運命の悪戯でね」
「……」

ヴァレンシュタイン大佐がキスリングに視線を向けた。
「卿はいつも要領が悪い。アントンの悪戯で酷い目にあうのは何時も卿だ。その度に私が卿を助けた。今回もそうだ、私は亡命しているんだぞ。それなのにまた私に後始末をさせる……。これが最後だ、次は無いからな。自分で何とかしろ……」

優しい声だった、優しい目だった。大佐の本当の素顔はこれなのだ。同盟では誰も見たことは無いだろう。ミハマ大尉も無いに違いない……。堪らなかった、思わず声を出していた。

「大佐、小官が行きましょう」
ヴァレンシュタイン大佐が首を横に振った。
「残念ですが、それは駄目です、バグダッシュ中佐。私が行くことで時間を稼げる。貴官では時間を稼ぐことが出来ない」
「……」

確かにそうかもしれない。俺ではキスリングを運んだ瞬間に殺されかねない。しかしヴァレンシュタイン大佐なら向こうも多少は話そうとするだろう、時間を稼ぐことになる……。どうして、どうしてこうなる……。

「時間が有りません、これ以上ぐずぐずしていると帝国軍が怪しみます。私の指示に従ってください」
「しかし」
「救出作戦の指揮官は私です、私の指示に従いなさい」

皆が沈黙した。ヴァレンシュタイン大佐は正しいのかもしれない、しかし誰も納得していない。この遣る瀬無さは何なのか……。

「私は大佐についていきます」
「ミハマ大尉!」
驚いたような声をヴァレンシュタイン大佐が出した。

「時間が有りません。ぐずぐずしていると帝国軍が怪しみます。さあ行きましょう」
そうだ、止められないのなら付いていくしかない。

「小官も同行させていただく。大佐だけを死なせることは出来ません。同盟にも人はいる、亡命者だけに犠牲を払わせる事は出来ませんからな」
結局俺にはこれしかできない……。


帝国暦 485年 10月20日  イゼルローン要塞 ラインハルト・フォン・ミューゼル


「撃つな! 今負傷者を運ぶ! 撃つなよ!」
大声と共にゆっくりと人が出てきた。一人ではない、三人だ。三人が一人を支えている。支えられているのが負傷者か……。確かキスリング少佐と言っていた。

三人のうち一人は中肉中背だが後の二人は小柄だ。反乱軍には女性兵が居る、或いは女性兵かもしれない。女なら殺されるようなことは無い、惨いことはされないと考えたか……。

エーリッヒ・ヴァレンシュタイン、奴が反乱軍の陸戦隊にいる。戻ってきた捕虜がそう言っていた。敵の陸戦隊はローゼンリッターだ。併せて捕殺すればこれ以上の武勲は無いだろう。ヴァンフリートでの借りも返せる。

だが敵もしぶとい。負傷者の返還はおそらくは撤退の時間稼ぎだろう。だが拒絶は出来ない、そんなことをすれば兵の士気にかかわる。大丈夫だ、こっちが圧倒的に優位なのだ、逃がしはしない。

いきなり銃声が聞こえると小柄な兵士が後ろに倒れた! 馬鹿な、誰が撃った? 相手は女だぞ。
「誰が撃った! 撃つなと言ったはずだぞ!」
オフレッサーが怒声を上げた。二メートルの巨体が吼えるとさすがに迫力が有る。

「あれはヴァレンシュタインだ! ヴァンフリートの虐殺者だ!俺は仇を取っただけだ!」
あの小柄な兵がヴァレンシュタイン? 叫んでいる男を見た。さっき戻ってきた男だ、オフレッサーほどではないが体格の良い男が叫んでいる。その男をオフレッサーが大股に近付くとものも言わずに殴り倒した。

「この恥知らずが! 誰かあの男達を連れてこい、武器は置いていけ、両手を上げてゆっくりと近づくんだ、早く行け! 丁重にだぞ、乱暴にするな」
滅茶苦茶な命令だったが言いたい事は分かる。相手に敬意を払えという事だろう。それと早く連れてこいという事だ。

「全く、これで借りが一つだ」
オフレッサーが面白くなさそうに呟いた。その様に思わずリューネブルクと顔を見合わせた。彼も何処か可笑しそうな表情を堪えている。

妙な男だ、ただの人殺しかと思ったが妙に憎めないところが有る。それがあるから部下からも慕われているのだろう。但し陸戦隊の指揮官としては二流だろう、リューネブルクには及ばない。

撃たれた兵、ヴァレンシュタインの傍に兵士が寄り添っている。ヴァレンシュタインは動いている。どうやら生きているようだ、怪我の度合いは此処からでは分からない……。しかし本当にヴァレンシュタインなのか?

帝国軍の兵士が両手を上げながらゆっくりと近づく。敵意は無いと理解したのだろう。ヴァレンシュタインとキスリングを帝国軍の兵士が抱えて歩き始めた。どうやら撃たれたのは肩のようだ。

兵士達がヴァレンシュタイン達を運んで来た。ヴァレンシュタインとキスリングをゆっくりと床に下ろす。ヘルメット越しに顔を見た。間違いない、ヴァレンシュタインだ。一度このイゼルローンで見たことが有る、写真は何度も見た。夢でも見たのだ。この男を殺す夢だった。

他の二人、一人は女だったが直ぐヴァレンシュタインの両脇に付いた。こちらに対する警戒心を隠さない。落ち着いているのはヴァレンシュタインだけだ。
「オフレッサーだ。先ず撃った事を詫びる、済まん。俺の命令が徹底しなかった」
オフレッサーの言葉にヴァレンシュタインは微かに笑みを浮かべた。

「エーリッヒ・ヴァレンシュタインです。ギュンター・キスリング少佐をお返しします」
「確かに、受け取った」
オフレッサーが重々しく頷いた。

「何故此処に来た? 無事に帰れると思ったのか」
その言葉に両脇の二人が表情を強張らせた。
「彼は私の士官学校時代の同期生です。そして親友でもある」
「命を捨てる価値が有ると」

オフレッサーの言葉にヴァレンシュタインが微かに笑みを浮かべた。親友、その言葉にキルヒアイスを思い出した。キルヒアイスは俺のために命を落とした。今ヴァレンシュタインはキスリングのために命を捨てようとしている。親友、
たった二文字だ、だがその文字の重さは何物にも比較できない……。

オフレッサーが鼻を鳴らした。下品な男だ、この男には親友などいないだろう。
「キスリングを守ってください。彼の怪我は同盟軍が負わせたものではない」
その言葉にオフレッサーが厳しい表情を見せた。リューネブルクも同様だ。

「どういう事だ」
「傷を負わせたのは帝国軍の兵士です、彼は有る秘密を知っている。それが理由で憲兵隊から追われ、殺されかかった。彼を助けてほしい、それが出来ないなら同盟に連れて帰ります」

オフレッサーが吼えるような声で笑った。
「連れて帰るか、面白い男だ……、キスリングの事は心配するな。この俺が確かに預かった」
「感謝します」

「さて、次は卿の処遇だな」
「覚悟は出来ています。ただお願いが有ります。この二人を帰してほしい」
「大佐!」
「ヴァレンシュタイン大佐!」
両脇の二人が抗議の声を上げた。

「この二人は情報部なんです。私が帝国に同盟の情報を漏らすのではないかと恐れている」
「何を言うんです、そんな事は」
女が抗議した。

「だから私を殺したら彼らを帰してほしい。私がスパイではないと証明してくれるでしょう」
「馬鹿なことを、そんな事は誰も思っていない。いい加減にしろ! 大佐!」
今度は男が抗議した。

「お願いです、大佐を殺さないでください。大佐は帝国と戦いたくなかったんです」
「止めなさい、ミハマ大尉」
女が身を乗り出して命乞いを始めた。ヴァレンシュタインは顔を顰めている。

「私達が大佐を戦争に引きずり込んだんです。悪いのは私達なんです」
「止めなさい!」
「……」

ヴァレンシュタインが微かに苦笑を漏らした。
「リューネブルク准将、女と言うのはどうにも面倒な生き物だと思いませんか?」
「同感だが、何故俺に訊く」
「女運が悪そうだ」

オフレッサーが吼えるように笑い声を上げた。リューネブルクもヴァレンシュタインも苦笑している。一瞬だが和やかな空気が流れた。戦場とは思えないほどだ。だがヴァレンシュタインの言葉に和んだ空気が固まった。

「ミューゼル准将、私を殺しなさい」
「……」
「准将には私を殺す理由が有る、そうでしょう」
淡々とした声だった。ヴァンフリートの事を言っているのか、それともキルヒアイスの事を言っているのか……。

「戦争だからなどと言い訳はしない。私は皆殺しにするつもりで作戦を立てた……。ジークフリード・キルヒアイス、ラインハルト・フォン・ミューゼル、ヘルマン・フォン・リューネブルク、皆殺すつもりだった。だが失敗した……」

「運が良かった。後三十分、本隊が来るのが遅れれば私は死んでいた」
嘘偽りなくそう思う。後三十分、反乱軍に余裕が有れば俺は死んでいた。そしてリューネブルクも捕殺されていただろう。

「運じゃありません、実力です。私の計算ではあと一時間早く第五艦隊が来るはずだった、だが遅れた……。やはり私は貴方には及ばない、だから貴方は此処にいる。私が此処で死ぬのも必然でしょう」
彼の声に悔しさは感じなかった。ただ淡々としていた。この男がキルヒアイスを殺した、そう思ったが実感が湧かなかった。俺が勝った、それも思えなかった。

「ミューゼル准将、受け取って欲しいものが有ります」
「……」
「私の胸ポケットを探って欲しい」
どうすべきか迷った。だがヴァレンシュタインには敵意は感じられない。

「何故自分でやらない」
俺の問いかけにヴァレンシュタインは微かに苦笑を浮かべた。そして血塗れの両手を俺に差し出した。
「この通りです、血で汚したくない」

傍によって胸ポケットを探った。出てきたのは認識票、そしてロケットペンダント……。
「これは、キルヒアイスの」
声が掠れた。

認識票はキルヒアイスの認識票だった。ペンダントを見た、ヴァレンシュタインの声が聞こえた。
「そのペンダントにはキルヒアイス大尉の遺髪が入っています。受け取ってください」

「何故、卿が……」
「貴方に渡すことは無いだろうと思っていました。ですが最後に願いがかなった。もう思い残すことは無い……」
ヴァレンシュタインは俺の前で柔らかく微笑んでいた。俺にこの男を殺せるのだろうか……。



 
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