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豹頭王異伝

作者:fw187
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暗雲
  瀕死の鷹

 赤い街道の通じる人里から遠く隔たり、自由開拓民の形跡も無い山中。
 荒涼とした風景の一角が翳り、黒い霧が湧出。
 立体的な闇の領域が濃度を増し、もやもやとした影が渦を巻く。
 影は急速に形を整え、上級魔道師アイラス以下数名が実体化。
 最後に純白の長衣と銀色の鎧を纏う騎士、ベック公ファーンが現れた。

 アルド・ナリスと異なり、聖騎士団を束ねる従兄弟は魔道に親しまぬが。
 非常事態と認識し魔道師に身を委ね、意識の無い状態で閉じた空間を運ばれた。
 気付け薬の効果で目を覚まし、魔道師の報告を受け現在位置を確認。
 草原の民と共に天山ウィレンを踏破した勇者の命令に従い、魔道師は姿を消す。
 聖王家の武人は包み隠さず、スカールの所在地と教えられた洞窟に接近。
 案の定、鋭い誰何の声が響いた。

「誰だ!?」
「密偵め、覚悟しろ!!」
 地から湧き出したかとも思える複数の影、荒くれ武者が聖王の従兄弟を取り囲むが。
 聖王家の大元帥は相手を苛立たせぬ様、沈着な声色で名乗りを上げた。
「スカール殿に従い天山ウィレン山脈を越えた者、ベック公ファーン。
 太子殿に対面を希望している、と当時を知る方々にお取次ぎを願いたい」

 スカールを慕う草原の民に天山、ウィレン越えの冒険譚を知らぬ者は無い。
 一気に緊張が解け、鮮やかな色彩の布切れを身に纏う剽悍な戦士達が刀を引く。
 本来であれば草原の風に靡き、モスの大海を泳ぐ熱帯魚の様に地を彩る装束だが。
 精悍な戦士達の表情は厳しく、グル族の衣装も色褪せて見える。
「失礼した、頭立った者を呼ぶので暫しお待ち願いたい」
 表情を和らげ、穏やかな口調で告げる見張り番の戦士達。

 無人の荒野に突如として現れ、潜伏場所へ迷う事無く歩を進める不審な男。
 石の都に住む密偵と判断して当然の侵入者だが、身に纏う雰囲気は紛い物に非ず。
 パロの民に対する本能的な警戒心、偽装を見抜く野性の勘も警報を出しておらぬ。
 草原の男は己の直感を信頼し、素直に従う術を心得ている。
 口笛の長短と音程の高低、旋律と符号の複雑な連鎖。
 念話に優るとも劣らぬ密度の情報が短時間で行き交い、1人の男が現れた。

「パロの殿方!
 如何なる術にて我等、グル族が此処に居ると御知りになられた?」
「おお、タミルか。
 久しいな、スカール殿の容態は本当に酷いのか?」
 長老グル・シンが後継者と見込み、スカールの信頼も篤い騎馬集団の副長。
 勇猛な草原の民グル族を束ねる実質的な統率者、タミルが眼を見開いた。

「私の名を、覚えておられるのですか!
 黒太子様の体調を何故、ファーン様が御知りになられた?」
「世界の屋根と謳われる天険ウィレンを共に越えた仲間、戦友の名を忘れはせぬ。
 一瞥以来だが事態は一刻を争う、スカール殿の許へ歩きながら事情を説明させて貰いたい」
 己の務めを忠実に果たす実直な忠臣、グル族の勇者は硬い表情を緩め固く手を握った。

「貴方は石造りの街に住む恩知らず共とは違う、草原の神モスが祝福する真の勇者。
 事情など聞かずとも私は貴方を信じる、黒太子様の居場所へ御案内します」
 タミルの即断即決に応え裏表の無い好漢、ベック公ファーンの瞳も感激の色を映す。
 パロ聖王家の直系に近い数少ない生存者、誠実な勇者は信頼と好意に応え言を継いだ。

「私は草原の民に助けられ、パロ解放に力を貸してくれた事を深く感謝している。
 スカール殿の病状を和らげ一片なりとも恩を返す為、お主達を訪ねて来たのだ」
 ケイロニアを凌駕すると一時は噂された大陸軍国、モンゴール軍を蹂躙した騎馬民族。
 つい先日に総勢2千騎のみで新生ゴーラ軍を襲い、3万の軍勢を大混乱に陥れた勇者達。
 グル族の次期族長タミルのみならず周囲を囲む草原の戦士達、全員の眼に涙が溢れた。

 心痛を如実に偲ばせる嗚咽の傍ら、タミルが懸命に言葉を搾り出す。
「太子様は馬に乗る所か立つ事、話す事も出来ない状態です。
 我々は知る限りの薬草を試し、自由国境地帯に住む医者にも診せたが治療の術は見当たらぬ。
 ゴーラ軍を夜襲の際、黒太子様は妻仇を討つ寸前まで追い詰めたのですが。
 イシュトヴァーンとやらは敵わぬと見て、卑怯にも一騎打ちから逃げたのです。

 数日の間は黒太子様の再来を恐れ、ゴーラ軍の陣中にも戻らず行方不明であったのですが。
 ケイロニア軍と戦闘が始まってしまった為、スカール様も一旦は襲撃を断念しました。
 ゴーラ軍がケイロニア軍に勝てる筈は無い、敗走し母国へ逃げ帰るに違いない。
 イシュタルへ向かうと読み帰路を待ち伏せ、再び襲撃する予定で我々は北へ向かいました。

 ところが自由国境地帯を行動中、太子様は急激に体調を崩し黒い血を吐血されたのです。
 他の者達には悪い風が入り気分が優れぬと言ったが、私にだけは打ち明けて下された。
 ファーン殿と再会の後に草原へ戻り、一時は病に斃れるかと思われた時の事ですが。
 太子様の治療を無償で行うと称し接近を図った黒魔道師、グラチウスの薬を断った為であると。

 オー・ラン元将軍邸を密かに訪れた後、パロ方面へ南下する途中で薬が切れてしまったのです。
 太子様は立つ事も出来なくなったのに、唯一の薬を持つ魔道師は姿を現しませんでした。
 光の船とやらの噂も聞き及んでおり、再度パロで治療を試みられてはと懇願したのですが。
 パロには2度と足を踏み入れぬと太子様は仰り、容態は悪化の一途を辿りました。

 草原の神モスの下された絶好の機会、ゴーラ王を討ち取る好機を逸したは心残りなれど。
 是もまた己が運命と太子様は既に死を覚悟し、達観しておられます。
 俺の死後はスタック王の怒りも解けようから、お前達は草原に戻れ。
 其の様に我等に命じられた後、話をする事も叶わなくなりました。

 パロの御方、お願いです。
 我等全員の命を差し出しても構わぬ、太子様を御助け下さい」
 タミルの言に草原の民は全員が唇を噛み締め、再び嗚咽と呻き声が洩れた。
 ベック公ファーンの表情も急速に曇り、魔道師達へ準備を急げと檄を飛ばす。

「そこまで、スカール殿の病状は悪化しているのか!?
 黒魔道師に頼らぬ治療の術が存在する旨、体験者の私から御説明する。
 スカール殿の気性、己の言を曲げぬ事は私も良く理解しているが。
 心配は要らぬ、必ず太子様の御生命は救って見せる」
 パロ聖王家の第3王位継承権者、クリスタルを外敵から護る聖騎士団の頭領。
 黒太子を救う可能性を秘めた来訪者、ベック公ファーンの宣言が荒野に響く。

 屈強な草原の男達が純真な子供の様に、気弱で縋る様な眼差しを向けた。
 敬愛する族長の代行者を筆頭に、グル族の戦士達は一斉に頭を下げる。
 道を開け洞窟の奥へ誘う彼等の不安を、ファーンは痛い程に感じた。
 彼等に取り黒太子は草原を見守る大神モスの化身、太陽そのものであるのだ。
 スカールを喪う事など草原の民には想像も出来ない、世界が永遠の闇に包まれるに等しい。
 だが訪問者の眼に映った黒太子は髪の毛が全て抜け落ち、幽鬼の如くに痩せ衰えていた。

 頭を持ち上げる事も叶わぬ草原の黒太子を気遣い、背後に控える従者タン・ターが動いた。
 スカールに苦痛が生じぬ様に気を配り、壊れ物を扱う様に繊細な動作で優しく慎重に支える。
 ファーンの眼が大きく見開かれ、周囲を埋める草原の民から堪え切れぬ嗚咽が漏れた。
 タミルの叱責しようとする気配を察した来訪者、ファーンの眼が制止は無用と告げる。
 グル族の統率を代行する者としての気持は痛い程に解るが到底、止める気にはなれぬ。
 念話と異なる以心伝心の共鳴作用が生じ、グル族の勇者は感謝の念を視線に込めた。

 黒太子と共に天山ウィレンを踏み越え、友と呼ばれる機会を得た聖王家の武人。
 ベック公が風雲児の正面に屈み込み、今なお剛い光を放つ鷹の瞳が旧友を直視。
 計り知れぬ苦痛を堪える鋭い眼に一瞬、驚きの色が走った。
 瞳が和らぎ微かに瞼が動くと同時に、タミルが動き来訪者の唇に耳を寄せる。
 病人の心情を汲み取り言葉に変え、重篤の病人に苦痛を与えぬ様に小声で囁く。

「ベック様はどうなられたのか、太子様はとても心配していました。
 ウィレン越えに同行した誠実な武人が、同胞を屠る竜の化物の側に立つとは考えられぬ。
 黒魔道に操られているか、悪くすれば乗っ取られ元に戻れぬ状態にされてしまったか。
 心を痛めておられたのですが、ベック様に御会い出来て嬉しいと仰っておられます」
 ファーンの瞳から、涙が溢れた。
 思わずスカールの手を取り、胸に押し当てる。

 冷たい。
 生気が、全く感じられぬ。
 だが己の身体で温め、消えかかる生命の炎を再び燃え盛らせずにはおかぬ。
 強い意志を示す動作は、草原の民にも通じた。

 パロに住む石の民は信用出来ぬ、と猜疑心を緩めぬ者も多かったのだが。
 心配も露に周囲を取り囲む草原の民、全員が勇者に尊敬の眼差しを注いだ。
 ベック公ファーンの一念が通じたか、スカールの唇が微動。
 精神感応能力者の如くに微妙な陰翳を読み解き、タミルが口を開く。

「移り病かも知れません、伝染の懸念もあるから直に触れぬ方が良い。
 御気持は有難く頂戴する故、御手を御放し下さい」
 己の肉体が自由にならぬ苦痛に耐え、友の健康を案じる草原の鷹。
 スカールの裡に秘められた優しさに触れ、ファーンの瞳から再び涙が溢れた。 
 

 
後書き
 この時点では肉体改造が進行中、とは思えませんでしたが。
 魔薬を飲まないと一気に病状が悪化する、と後に本人が証言しています。 
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