| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

亡命編 銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
 

第十五話 心が闇に染まりし時

宇宙暦 794年 4月 6日  ヴァンフリート4=2  バグダッシュ



単座戦闘艇(ワルキューレ)は単座戦闘艇(スパルタニアン)と対空防御システムの前に駆逐された。基地の上空には単座戦闘艇(スパルタニアン)の姿しかない。
「閣下、第五十二制空戦闘航空団司令部が命令を求めています」

通信オペレータの声に司令室の住人の視線がセレブレッゼ中将とヴァレンシュタイン少佐に向かった。命令を求める、第五十二制空戦闘航空団司令部は地上部隊への攻撃命令を欲しがっている。単座戦闘艇(スパルタニアン)を使えば敵に大きな打撃を与える事が出来るだろう。

「少佐、どうすべきかな」
「半数は上空にて警戒態勢を、残り半数は飛行場にて待機させてください。以後二時間おきに交代させるべきかと思います」
ヴァレンシュタイン少佐の進言にセレブレッゼ中将が頷いた。そして通信オペレータに中将が視線を向けると通信オペレータが一つ頷いて指示を出し始めた。

少佐は時間稼ぎをしている、俺やミハマ中尉に話したとおりだ。 隣にいるミハマ中尉を見た。中尉は俯いて涙を流している。哀れだと思う、彼女は監視者には向いていない。彼女の本質は分析官だ。彼女を監視者にしたのは正しかったのか、誤っていたのか……。

歳の近い若い女性、スパイ活動には向いていない女性の方が彼には疑われないだろうと思った、彼の心に入れるのではないかと考えた。確かに彼女はヴァレンシュタイン少佐との間に信頼関係を築くことが出来た、そしてその事が彼女を苦しめている……。

必要な事だった、やらねばならない事だった、そう思っても心は痛む。まさかここまで酷いことになるとは思わなかった。エーリッヒ・ヴァレンシュタイン、外見からは想像つかないが、その内面は予想以上に激しい男だ。帝国軍と戦うと決めてからは全てを断ち切った。彼は自分が死地に落とされたと思っているのだろう。今彼の心を占めているのは憎悪と怒り、そして恐怖……。

もしかすると彼の本質は臆病なのなのかもしれないと俺は考えている、そして臆病であるがゆえに誰よりも苛烈になる……。おそらくは自己防衛の本能なのだろう、敵対しようとする者に対する警告だ。怪我をしたくなければ手出しするな、そう彼は行動で示している……。

間違ったのだろうか? 彼を素直に帝国に帰した方が良かったのだろうか……。 考えても仕方ないことだ、既に賽は振られた……。 我々はルビコンを越えたのだ。どのような結果が出ようとその結果は甘んじて受けなければならない。だが出来る事なら隣で泣いている彼女にはこれ以上辛い思いはさせたくない……。

「帝国軍が撤退します!」
オペレータの驚いたような声が司令室に響いた。皆信じられないのだろう、顔を見合わせている。ミハマ中尉も顔をあげてスクリーンを見ている。そしてヴァレンシュタイン少佐は一人苦笑していた。

「手強いですね、もう少し勝利にこだわるかと思いましたが……。ヘルマン・フォン・リューネブルク、予想以上に手強い。それともミューゼル准将が説得したか……」

その言葉にようやく帝国軍が撤退したという実感が湧いたのだろう。司令室の中に歓声が上がった。セレブレッゼ中将も顔をほころばせている。喜びに沸く司令室の中で通信オペレータが声を上げた。

「ローゼンリッターのヴァーンシャッフェ大佐が追撃の許可を要請しています」
「第五十二制空戦闘航空団司令部もです」
セレブレッゼ中将が困ったような表情を少佐に向けた。 中将は敵を撃退した、基地を守った、それだけで満足しているのかもしれない。

「閣下、現状にて待機するようにと命じてください」
「うむ、現状にて待機」
中将の言葉をオペレータがヴァーンシャッフェ大佐、第五十二制空戦闘航空団司令部に告げた。その瞬間だった、司令室のスクリーンの一つにヴァーンシャッフェ大佐が映った。

「司令官閣下、攻撃の許可を頂きたい!」
「……」
「リューネブルクは我々にとって不倶戴天の仇です。我々にリューネブルクを倒す機会を頂きたい!」

セレブレッゼ司令官が困ったようにヴァレンシュタイン少佐を見た。ヴァーンシャッフェ大佐が言葉を続けた。
「ヴァレンシュタイン少佐、貴官からも司令官閣下に口添えしてくれ。我々ローゼンリッターはあの男と決着をつけねばならんのだ!」

先代の連隊長、リューネブルクが帝国に亡命して以来、軍上層部のローゼンリッターを見る眼は冷たい。同盟を裏切ったリューネブルクを倒せば、ローゼンリッターに対する周囲の目も変わる。おそらくヴァーンシャッフェ大佐はそう考えているのだろう。

「敵が撤退するのに何の備えもしていないとは思えません。今の時点でリスクを犯す必要は無いと思いますが」
「第五十二制空戦闘航空団と共同すればリスクは少ないはずだ。そうではないか、少佐」
どうやら大佐は第五十二制空戦闘航空団と示し合わせてこちらへ連絡してきたらしい。

「……敵地上部隊に対する攻撃は味方艦隊の増援が来てからです。それまでは攻撃は許可できません。また攻撃は戦略爆撃航空団が行ないます」
一瞬の沈黙の後、ヴァレンシュタイン少佐の口から出された言葉はヴァーンシャッフェ大佐には無情なものだった。

「それでは我々ローゼンリッターの名誉は」
逆上するヴァーンシャッフェ大佐にヴァレンシュタイン少佐が冷酷といって良い口調で答える。

「ヴァーンシャッフェ大佐、私が戦うのは勝つため、生き残るためです。名誉とか決着とか、そんな物のために戦うほど私は酔狂じゃありません。司令官閣下への口添えなど御免です」
「少佐!」

スクリーンに映るヴァーンシャッフェ大佐が吼えた。しかしヴァレンシュタイン少佐の口調は変わらなかった。
「ローゼンリッターは帝国軍の侵攻から基地を守った。それで十分に連隊の名誉は守られるはずです。それ以上は欲張りですよ、大佐」

ヴァーンシャッフェ大佐が口篭もった。
「……しかし、艦隊が来るのは何時になるか分かるまい。今すぐ攻撃するべきではないのか」

ヴァーンシャッフェ大佐の言葉にヴァレンシュタイン少佐が苦笑した。
「敵の攻撃部隊が艦隊に戻るまで三十時間はかかります。そして戦略爆撃航空団は三十分で敵艦隊の停泊地にまで行けます。時間は十分に有る、問題は有りません」

勝負有ったとセレブレッゼ中将は見たのだろう、ヴァーンシャッフェ大佐を押さえにかかった。
「そういうことだ、大佐。貴官と貴官の連隊は十分に戦った。その働きには感謝している。現状を維持し、部隊に休息を与えたまえ」
「……はっ」

不承不承では有るがヴァーンシャッフェ大佐は頷いた。スクリーンから大佐の顔が消える。それを見届けてからセレブレッゼ中将が溜息混じりにヴァレンシュタイン少佐に声をかけた。

「良く抑えてくれた、ヴァレンシュタイン少佐。連中の気持は分かるが、ああまでむきになられるとどうもな……。私にはついて行けんよ……」
「大佐もお辛い立場なのでしょう。ですが反転攻勢は味方増援が来てからだと考えます」

セレブレッゼ中将がヴァレンシュタイン少佐の言葉に頷いた。少佐の言葉が続く。
「小官の予測では第五艦隊が最初にこの地にやってくるはずです。それまで我々に出来る事は警戒態勢を維持する事しか有りません。閣下、お疲れでしょう、少しお休みください」

セレブレッゼ中将は少し迷ったが少佐の勧めに従った。司令室を出る直前、少佐に対して“貴官も適当に休め、あまり根を詰めるな”と言い、ヴァレンシュタイン少佐も“有難うございます”と答えた。

セレブレッゼ中将が司令室から出るとヴァレンシュタイン少佐は司令室に居た人間に交代で休むようにと伝え、自分は椅子に腰掛けた。そして何か有ったら直ぐに起すようにと言って身体を背もたれに預け、目を閉じた。

眼を閉じたヴァレンシュタイン少佐の横顔が見える。亡命当初に比べてかなりやつれているようだ、そして疲労の色も濃い。此処最近、少佐の表情が厳しく見えたのはその所為も有るのだろう。我々がそこまで追い詰めてしまったという事か、それとも自ら追い詰めたという事か……。



宇宙暦 794年 4月 6日  ヴァンフリート4=2  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



とりあえず地上部隊からは基地を守った。此処までは予定通りだ。ラインハルトもリューネブルクも今頃は悔しがっているだろう。どうやら俺は歴史の流れを変える事に成功したらしい。たとえ現状で帝国軍の来援が来て基地が落ちる事が有ってもラインハルト達の昇進は無い。

それにしてもあそこで兵を退いたか。リューネブルク、ラインハルト、彼らの立場からすれば兵は退きにくかったはずだが、それでも兵を退いた。多分連中は俺の考えをほぼ察しているに違いない。さすがと言うべきか、それとも当然と言うべきか……。

残念だが基地の安全は未だ確保されたわけではない。味方艦隊がヴァンフリート4=2に来ない。本当なら第五艦隊が来るはずだが、未だ来ない……。第五艦隊より帝国軍が先に来るようだと危険だ。いや、危険というより必敗、必死だな……。

原作では同盟軍第五艦隊がヴァンフリート4=2に最初に来た。第五艦隊司令官ビュコックの判断によるものだった。念のためにヤン・ウェンリーを第五艦隊に置いたが、失敗だったか……。原作どおりビュコックだけにしたほうが良かったか……。

それともヤンはあえて艦隊の移動を遅らせて帝国に俺を殺させる事を考えたか……。帝国軍が俺を殺した後に第五艦隊がその仇を撃つ。勝利も得られるし、目障りな俺も消せる……。有り得ないことではないな、俺がヤンを第五艦隊に送った事を利用してシトレあたりが考えたか……。

ヤンは必要以上に犠牲を払う事を嫌うはずだ。そう思ったから第五艦隊に送ったが誤ったか……。信じべからざるものを信じた、そう言うことか……。慌てるな、此処まできたら第五艦隊が来る事を信じるしかないんだ。

ヤンが信じられないならビュコック第五艦隊司令官を信じろ! 士官学校を卒業していないにもかかわらず、戦場で武勲を挙げる事だけで艦隊司令官にまで出世したあの老人を信じるんだ。あの老人なら味方を見殺しにするような事はしない。

焦るな、俺が焦れば周囲にも焦りが伝染する。第五艦隊が来るのを信じて耐えるんだ。今俺に出来るのは味方艦隊の来援を信じて待つ事だ。ラインハルトのことを考えろ、俺はラインハルトに勝った。歴史を変える事に成功したんだ。きっと上手くいく、そう信じて味方の来援を待つんだ。少し休め、お前は疲れている……。



宇宙暦 794年 4月 7日  ヴァンフリート4=2  ミハマ・サアヤ



「上空に味方艦隊来援! 第五艦隊、ビュコック提督です!」
オペレータの声が司令室に響きました。それと同時に司令室に大きな歓声が上がります。来ました、第五艦隊がきたのです!

ようやく味方の来援が来たといっていいでしょう。敵の地上部隊が退却してから十時間近くが経っています。この間基地は帝国軍の来援と同盟軍の来援、どちらが先に来るかで不安に晒されました。落ち着いていたのはヴァレンシュタイン少佐だけです。

何度もセレブレッゼ中将は味方は何時来るのかと問いかけました。それに対し少佐は“ビュコック中将は歴戦の名将です、必ず来援します”そう言って中将を落ち着かせました。少佐がいなければセレブレッゼ中将は周囲に当り散らしていたかもしれません。少佐の実績、帝国軍地上部隊を撃退した実績が大きかったと思います。

少佐の予測はまた当たりました。司令室の人間は皆少佐を崇拝するような眼で見ています、セレブレッゼ中将もです。何故少佐はそこまで予測できるのか、私は少し怖いです。バグダッシュ少佐も“ここまで来ると神がかっているな”と呟いています。私とバグダッシュ少佐だけが喜びにひたれない……、勝てるのは嬉しいのですが素直に喜べない……。

「司令官閣下、第三十一、第三十三戦略爆撃航空団、第五十二制空戦闘航空団、第十八攻撃航空団に攻撃命令を頂きたいと思います。それと第五艦隊に攻撃要請を」
周囲の喧騒の中、ヴァレンシュタイン少佐の落ち着いた声が聞こえました。まるで少佐だけが別世界にいるようです。

「うむ、良いだろう」
少佐の言葉にセレブレッゼ中将が頷きました。そして少佐が通信オペレータのほうを見ます。オペレータが喜びに満ちた眼で少佐を見返しています。ようやく反撃できる、勝てる、そんな思いが有るのかもしれません。

「第五艦隊に攻撃要請を、敵主力部隊が来援する前にヴァンフリート4=2に停泊中の眼下の敵を攻撃されたし」
「はっ」

「第三十一、第三十三戦略爆撃航空団に命令、撤退する敵地上部隊を攻撃せよ。待機中の第五十二制空戦闘航空団は彼らを援護、戦略爆撃航空団の攻撃終了後は残存する敵地上部隊を掃討せよ」
「はっ」

「第十八攻撃航空団は第五艦隊の攻撃終了後、第五艦隊が打ち漏らした艦を攻撃、敵艦隊を殲滅せよ」
「はっ」
通信オペレータが次々と発せられる少佐の命令を第五艦隊、各部隊に伝え始めました。

「第五艦隊から通信です! 了解、これより攻撃を開始する!」
興奮したような通信オペレータの声です、司令室に歓声が沸きあがりました。そして続けて入った“第五艦隊が攻撃を開始しました!”の報告にさらに歓声が沸きあがりました。司令室はまるでお祭りのようです。皆抱き合い、肩を叩き合って喜んでいます。

ヴァレンシュタイン少佐がこちらに近付いてきます。表情には笑みが有りました。少佐も勝利を喜んでいる、そう私が思ったときです。
「バグダッシュ少佐、ミハマ中尉、帝国軍にとってはこれからが地獄ですよ。このヴァンフリート4=2からどうやって抜け出すか、それだけを望むに違いありません……。彼らはヴァンフリート4=2に来た事を生涯後悔、いえ憎悪する事になるでしょう」

「……」
少佐の口調には間違いなく嘲笑が有りました。私もバグダッシュ少佐も何も言えません。ただ呆然として少佐を見詰めました。そんな私達を見て少佐の笑みが益々大きくなります……。

「酷いと思いますか? でもこれは勝敗の問題じゃないんです。生きるか死ぬかの問題です。私は生き残る事を選んだ、そのためなら全宇宙を地獄に叩き込む事さえ躊躇わない……。付き合ってもらいますよ、私が生み出す地獄へ……」

ヴァレンシュタイン少佐が微笑んでいます。私の目の前にいるのは勝利を喜ぶ軍人では有りませんでした。地獄を生み出した事を喜び、私達を地獄に引き摺りこんだ事を喜んでいる魔王です。

地獄とは戦争や兵器が生み出すものでは有りません、人の心が闇に染まった時生み出されるのです。少佐は私達によって人の心を捨ててしまいました。私達はヴァレンシュタイン少佐の心を闇に染めてしまったのです……。ヴァンフリート4=2は間違いなく地獄になるでしょう……。

 
ページ上へ戻る
ツイートする
 

感想を書く

この話の感想を書きましょう!




 
 
全て感想を見る:感想一覧