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蒼き夢の果てに

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第7章 聖戦
  第164話 虚無と五路侵攻

 
前書き
 第164話を更新します。

 次回更新は、
 4月5日。 『蒼き夢の果てに』第165話。
 タイトルは 『虐殺の夜』です。
 

 
「五十点」

 しかしその時、春の陽気に支配された室内には相応しくない、かなり冷たい声が響く。
 声から受けるイメージはかなり幼い感じか。所謂舌足らずな声、……と表現される声だと思う。確かにこの場に居る連中の見た目の平均年齢は十代半ば。つまり全員、見た目や声は幼いと言えるのだが、その中でも一番幼いように感じられる。
 もっとも、精霊に対して見た目の年齢がイコール、その精霊が誕生してから今まで過ごして来た時間か、と問い掛けると否と答が返って来るのが常だし、タバサや……おそらくイザベラなどの転生者も、見た目よりもずっと精神的に成熟しているのは当たり前。
 まして、ソロモン七十二の魔将に関しても当然……。

「そもそも、何故、早急に答えを出そうとするのですか、おまえは」

 人の話は最後まで聞くようにと、あれほど教えたと言うのに。
 あの素直だったシノブは一体、何処に行って仕舞ったのやら。まるでそう言いたげな雰囲気を発するダンダリオン。
 もっとも、そりゃ、アンタが育てたのなら、俺がへそ曲がりに育った原因はアンタの育て方に問題があったからでしょうが。そう心の中でのみ悪態を吐く俺。

 ただ……。

 ただ、何故かダンダリオン(黒き智慧の女神)の感情に対して妙に肯定的な雰囲気を発するタバサと……湖の乙女。確かにタバサの方は前世の記憶がどの程度まで蘇えって居るのかによっては、幼い……素直だった頃の俺を知っていたとしても不思議でもないのですが……。
 しかし、湖の乙女の前世が長門有希であったとしても、彼女は幼い頃の俺の事を知らないはずなのでは……。

「大体、トリステインがアルビオンとの戦いに敗れた事が推測出来たのなら、其処から更に一歩進めてトリステインの虚無がどうなったのか、についても疑問を持つべきなのです」

 シノブの予測では、トリステインが何故、アルビオンとの戦争に敗れたのかの部分についても問題があるのですよ。
 少し諭すかのような。幼い子供に対して噛んで含めるかのようなダンダリオンの言葉。何と言うかこの瞬間だけは、まるで二年ほど時間が溯ったかのように感じるのだが……。
 ただ――
 ただ、なるほど。トリステインの虚無……つまり、ルイズがどうなったのか、についてか。
 ダンダリオンの言葉に、それまで明後日の方向にズレ掛かって居た思考が急制動。それに有希が幼い頃の俺の事を知っていたとしても――アンドバリの指輪(前世の俺の記憶)を今の彼女が持っていたのだから、その事については不思議でも何でもないと気付いたので問題ない、と思い込み。

 それならば、ルイズの現状については……。
 先ず、大前提としてルイズの生命に危機が訪れている可能性はゼロだと思う。確かに、彼女が赴いていたのは戦場の最前線。更に言うと、その戦争自体が負け戦だったようなのだが、彼女はハルケギニアの民族的英雄ブリミルが行使したと言われている虚無の魔法を操る術者。
 ……まぁ、俺自身はこの辺りについても大きな疑問を抱いているのだが、俺の意見よりもここはハルケギニア的な常識に囚われた推測を進めるにして。

 それで、その虚無を操る術者と言うのは雨後の(たけのこ)の如く、何度も何度もこの世界の歴史上で現われては消えて行った存在ではない。少なくともここ百年の間に現われた例は無さそうな気配が強い。
 ここから考えると、余程の乱戦状態とならない限り、ルイズが戦場で死亡すると言う結果は出来上がらないと思う。最悪でもアルビオン軍で高貴な捕虜として扱われているでしょう。
 そして、表向きはどうか分からないが、このハルケギニア世界の裏側には個人の精神を操る魔法と言う物は存在するようなので、例えルイズ個人の意志がどうであろうと。例えば最初は反抗的な態度を取って居ようとも、精神さえ支配して仕舞えばアルビオン……の後ろ側に居るのがほぼ確実なロマリアの思い通りに彼女を動かす事は可能だと思う。

 そこまで考えを口にする俺。
 そして――
 正面に座る少女。左からダンダリオン、イザベラ、そして最後にティターニアの顔を順番に見つめた。
 何となく口頭試問を受けているような気分。但し、イザベラにしても、ダンダリオンにしても否定的な気を発している訳ではない。
 ならば問題はない。そう判断をして――

 確か、開戦時にキュルケに話したようにトリステインがアルビオン相手に戦争を吹っ掛けて勝てる要素があるとするなら、それは虚無の魔法と零戦の二つの要素しかなかった。
 ……と思う。
 総兵力では自国内にトリステインを誘引した挙句に焦土作戦を挑んだアルビオンの方が上。まして、街や村を味方であるはずのアルビオン軍によって焼かれた住民の多くが敵軍……侵略者であるはずのトリステイン軍に助けを求めて、その住民たちの食糧もトリステイン軍が面倒を見て居たらしいので、元々国力に余裕のないトリステインの状況を悪くして居たのも事実。
 もっとも、そうかと言って、このアルビオンとの戦争はトリステインの正統性を主張する為に始めた戦争。正式な宣戦布告もなく……はっきりと言えばだまし討ちに等しい形で一方的に開始された戦争だけに、卑怯な事をしたアルビオン軍と同じように真冬の寒空の下、餓えた民衆を見捨てて仕舞うと、そのトリステインの主張する自分たちの正しさを、自分たちの行いで完全に否定して仕舞う事となる。
 そもそも、トリステインの裏側の目的は領土欲。ならば、ここで頼って来た未来の国民を蔑ろに出来る訳はない。
 そう考えると、この部分で前線のトリステイン軍の判断や行動を責める訳には行かない。
 また伸び切った補給線をアルビオンの空軍に襲われ、少なくない物資を奪われて居た事は報告されていた。
 この辺りも、前面の戦力は最初に投入した六万でやり繰り出来たとしても、その兵が消費する物資を現地で調達しようにも、その調達すべき物資を持っているはずの街や村がことごとくアルビオン軍の手に因って焼かれていたとするのなら、トリステイン本国からの物資の輸送に頼るしかないのは仕方がない。
 但し、その輸送は当然、アルビオン軍に狙われる事となるので……。
 おそらく優勢なトリステイン空軍……と言うか、海軍と表現すべきか、その辺りは微妙な処だとは思うけど、その優勢なトリステイン軍に対してアルビオン軍は通商破壊を目的とした私掠船免状を大量に発行したのだと思われる。

 この辺りが、俺が地球世界に追放される以前に知っていた内容で、トリステインが戦争に負ける理由として妥当な部分を繋ぎ合わせた推測。
 そして、ここから先が前世の記憶や、此方に戻って来てから手に入れた情報。

 先ず、トリステインにとっての切り札、虚無がアルビオンにも存在していた。
 更にもうひとつの切り札。零戦も、ゲルマニアには戦車や戦闘機、更に爆撃機まで存在して居た以上、同じような物が他国。アルビオンやロマリアにも存在する可能性がある。実際、今の感覚ならアルビオン軍がエンフィールド(歩兵銃)で武装した歩兵やクロムウェル(戦車)で陸軍を形成、その上空をスピットファイア(戦闘機)モスキート(爆撃機)が飛び交う、などと言う状況に成っていたとしても何も驚く事はない……と思う。

 おそらくアルビオンとトリステインの差は――

 孫子が言うトコロの、算多きは勝ち、算少なきは勝たず。(しか)るをいわんや算なきに於いておや。……と言う状況だと思う。
 要は準備や計画をしっかりとして置いた方が戦は勝つ。そう言う事。少なくとも暴走する世論に押されるような形で戦争を始めたトリステインが戦争に勝てる道理はなかった。
 それに、どうやらその暴走する世論。貴族たちのアルビオン討つべし、と言う強い声が、実際はゲルマニアの策謀だった可能性が高い――
 ……キュルケの役割がゲルマニアのトリステイン貴族に対する浸透が目的だったと考えると、彼女の行動や、彼女の周囲に発生して居た悪い気の澱みにも理解が出来る。要は、あの時、俺が感じて居たのは恋愛関係に端を発する陰気などではなく、トリステインと言う国家に対する反逆に関係する陰気だった、と言う事。
 元々、特徴的な蒼髪で有名なガリア王家。……俺が知る限り、このハルケギニアの人間で蒼い髪の毛を持つ人間はガリア王家所縁の人間しかいなかった。その蒼い髪の毛を隠そうともしていなかったタバサに対して警戒する事もなく近寄って来ていたのはキュルケだけ。
 現ガリア王家とオルレアン大公家との王位を巡る争いの結末ぐらいは、並みの貴族ならば知っているはず。其処に正体不明、蒼髪でタバサなどと言う明らかな偽名を名乗る留学生が現われる。普通に考えるのなら、ある程度の警戒をするのが真面な貴族の子弟の反応だと思うのだが。
 他国とは言え、王位を争い敗れた家の娘と関わっても良い事はない。むしろ、何か悪意や野望のような物を隠して彼女に近付いているのではないか。周囲からそう邪推される可能性の方が高いでしょう。この行為は。
 李下に冠を正さず。そう言う言葉がある事を、貴族は産まれた時から知っている物だと思うのだが。
 確かに彼女、キュルケの表面上に現われている性格なら、そんな細かい部分に拘る事もないように思えるのだが……。

 非常に長い現状の予想を口にし終わる俺。おそらく、今度のはかなり良い線を突いている……はず。
 もっとも――
 こりゃ、今回の人生のゲルマニアは、前世のあの国とはまったく別物の国だと考えた方が妥当だな。

 ……などと少し軽い感じで心の中でのみ考えた瞬間、何かの引っ掛かり……違和感を覚える俺。
 違和感。そう、それは――

 そもそも、ゲルマニアは何の為にこのような面倒な真似をしたのだ? ……と言う疑問。

 黙って居てもトリステインは自分たちの物となる。確かに、ガリアに妙な王太子が現われる事に因って、アンリエッタの対外的な売値は上がったと思う。しかし、それは思う、……俺がそう()()()だけであって、未だ具体的な行動が起きていた訳ではない。
 トリステインの北部に侵攻する。但し、それはトリステインとの同盟を一方的に破棄する事に因って初めて成就する事態。ここにゲルマニアの益はない。
 確かに旧教を国教として定めている国に取って異教徒の――新教を信じる国との約束など守るに値しない物の可能性はあるが、それでもゲルマニアは、国と国との約束すら守る事の出来ない野蛮な国だと以後認識される可能性が高過ぎる為に、これは本来ならば愚策と言うべき行為のはず。

「現在、トリステインの王位にはルイズ・フランソワーズが就いている」

 元々、アンリエッタが女王に就いた時、王位継承権一位にルイズが選ばれていた。
 現代に現われた伝説の魔法使い。始祖ブリミルが操ったとされる伝説の魔法虚無を操る救国の英雄。元々、公爵家の子女であるルイズには王位継承権が存在して居り、ここに大きな問題はなかった。

 俺の長広舌を、普段通りに黙って聞いて居た少女たち。その少女たちの内、右側に座る少女が、まるで俺が考えている事が分かったかのように説明を行う。
 トリステインの王位継承権第一位? あのルイズが?

「あの降臨祭の夜に、トリステイン軍に因り虚無魔法を操る一兵士。人間兵器として使役されて居た所を、同じ虚無魔法を操るアルビオンのティファニア女王に因り救い出され、そのままトリステイン……ゲルマニアに支配されたトリステインへと送り返された」

 そう言う発表が新しいトリステインの支配者となった貴族たちから為されたよ。……と、タバサに続きイザベラに因る追加の説明。
 人間兵器。確かにそう言う見方が出来るかも知れないな。そう、妙な部分で納得する俺。確かに、伝説の魔法虚無を操る貴重な人材を危険な前線に投入する事に対する反発はあって当然か。
 それに……。
 成るほどね。確かにガリアにはサリカ法が存在するが、最初にアンリエッタが女王に成った段階でトリステインにはそのような法はない、と考える方が妥当か。
 ……と言うか、おそらくサリカ法のように女系に因る王位継承を禁止する法律がない以上、女王が誕生する事を妨げる事は出来ない式の解釈で、最初にアンリエッタ女王が誕生した可能性すら存在する……と思う。少なくとも、中世ヨーロッパの人間の思考で、女王が登場する事をすんなりと受け入れられる人間ばかりだとは思えないから。
 ならばアンリエッタが女王に成れるのなら、救国の英雄で、伝説の魔法虚無の担い手が女王に成れない謂れはない。

 ただ……、そうやって少し考える方向を切り替える俺。重要なのは其方ではなく、これから先の部分。トリステインを治めている人間の正統性など今のガリアに取って重要ではない。
 ただ、この状況は――

 ……ガリアの虚無、タバサの妹はアルザス侯シャルルの元に。
 アルビオンにはティファニアが。彼女も虚無に魅入られた一人。
 そして前世の記憶が確かなら、ロマリアの教皇も虚無。前世ではコイツが諸悪の根源だった。少なくとも聖戦が起きるのを画策し、ゲルマニアを焚き付け、アルビオン、更に言うとガリアの王と王弟との争いもロマリアの策謀に因る物だったと記憶している。
 そう言えば、ゲルマニアが自国の皇太子ヴィルヘルムとトリステインの女王アンリエッタとの婚約を交わした理由は確か、自国の王家に始祖の血脈を取り入れる為。
 但し、そんな小さな物をゲルマニアが望むとは思えない。そして、上手い具合に虚無に魅入られたルイズがトリステインの王位に就く状況が出来上がった。

 いや、違うか。そう考え掛けて小さく首を横に振る俺。
 邪魔なアンリエッタ。清教徒革命で死亡したアルビオンの皇太子のお古が消えて、ルイズが()()()()()()()()に就く状況を作り上げる事が出来た。
 こう考える方が妥当。
 それにルイズを手に入れる方が暗黒の皇太子ヴィルヘルムの目的にも合致する……と思う。

 成るほど――

「つまり、虚無に因るガリア包囲網を完成させた。そう言う事か」

 成るほどね。地球世界の少し未来で起きるかと思われた事態がハルケギニアでは既に起きて居ると言う事か。
 嘆息混じりにそう考える俺。対ガリアと言う面から考えると、これはフランス革命直後にヨーロッパ各国の間で結ばれた対仏大同盟に当たるのかも知れないな。

 これが地球世界の歴史の歪なパロディ化から発生した物ならば。
 少しの自嘲を伴いながら、そう考える俺。もし、もう少し前世の記憶が復活するのが早かったのなら、今よりも少しはマシな状況にも出来ていたとも思うのだが……。

 もっとも、前世ではこの事態が起きるのを防ぐ意味から、シャルロットやティファニア、それにカトレアやルイズを俺の元に集めて虚無に魅入られるのを防いだ心算だった……のだが。
 ただ、其処までの準備を行ったのだが、同じような境遇の人間をこの事件の背後に居る邪神の手に因ってでっち上げられた挙句、結果、聖地での戦闘が起こされて仕舞った。
 そして聖地に集められた四人の担い手と使い魔によって……。
 結局、どう足掻いても聖戦自体は避けられないのか。あの時、そう絶望に近い感情を抱いたのは確かに覚えている。

 ただそれならば――

「ティターニア、それに湖の乙女」

 未だ間に合うか。せめて十二月(ウィンの月)の初めに今の知識を有して居たのなら、……前世の記憶を思い出して居たのなら、これから行う策に関して、もう少し効果が見られたかも知れないのだが……。
 少しの陰気に染まりながらも、それでも何も手を打たないよりはマシ。それに、これは今までやって来た策謀の延長線上に在る事なので、まったく効果がないとも思えない。
 ……と、そう考える俺。いや、これはそう思い込もうとしている、と言った方が良いかも知れない。

「夢の世界に干渉して――」

 如何なる者にも誘惑されぬように気を付けよ。何故なら、多くの者が私の名を語りて現われ出で、……と流して欲しい。
 俺の依頼に小さく首肯く湖の乙女とティターニア。そして、

「故に、もし何者かがあなたに、ブリミルがここに居る、ブリミルがあそこに居る、などと告げたなら、それを絶対に信じてはなりません」

 ……そう言う事ですね。ティターニアが俺の言葉の先を続けた。
 そう、これはマタイの福音書。アチコチにブリミルの後継者が現われたのなら、そのすべてが本物とは限らない。盲目的にそいつ等の言葉を信用するな、……穏当に言えばそう言う戒め(いましめ)を、夢を通じてあらゆる階層の人間に伝える。
 そう言う事。
 信用するか、それともしないのか。その辺りについては夢を見た個人に委ねられるが、それでもやらないよりはやった方が良い。
 夢を見た人々がほんの少しでも、その四人の虚無の担い手に対して疑念を抱いてくれれば、奴らの持っている、集めている信仰の力に陰りを生じさせる事が出来るはず。
 信仰や魔法の力と言うモノはそう言う類の力なのだから。

「まぁ、売りさばかれた贖宥状を持っているから神に救われ、持っていないから救われる事はない、などと言うけち臭い神様よりは、悪行に塗れていない限り、すべての人間は救済される運命にある。そう言う考え方の方がマシ。
 大いなる神の意志を、人の行い……例えば教会に寄進を行う事などで変える事など初めから出来はしない」

 そう人々に思わせる方が後々、都合が良い。少なくとも、金を持っていればどのような悪行に塗れて居ようが救われる、では人は容易く楽な方向に流れて行って仕舞うから。
 そもそも、どう言う意図で、最初に贖宥状を売りさばく事が是とされたのか、その辺りが謎なのだが……。これではどう考えても、悪行に塗れてでも現世で富を手に入れた者が勝つ。そう言う形となり、返って自分たちの統治に悪影響を与えるようになると思うのだが。

 まぁ、その辺りはてっとり早く金を稼げたらそれで良い的な思考だったと考えるべきでしょう。
 何にしても――
 これであからさまに怪しい、歴史の彼方から一気に時間を跳び越えて現われたブリミルの後継者たちに対して、ほんの少しでも影を落とす事が出来れば良い。
 ……この程度の策謀。
 もっとも、相手もブリミル教に対する信仰心を利用した術式。多くの信者が、ブリミルが虚無と言う魔法を操って居たのは知っていたのだが、その魔法を行使出来る術者はそれ以降、歴史の表面に現われる事はなかった。しかし、今、教皇が聖地奪還の為に聖戦の発議をした時に、奇しくもその歴史の彼方から虚無を操る担い手が現われた。これは神が聖戦の開始を支持している証拠である。……と言う論法の基礎の部分と成っているはず。
 其処に少なくない疑念と言う物を混じり込ませられれば、俺の目論み以上の成果が出て来る可能性もある。

 そう、俺の記憶に間違いがなければ、この世界では少なくともオスマン老やノートルダム学院長が生きている間に虚無に魅入られた人間が現われた事はなかった。
 確かに両者とも実際の年齢は分からない。……が、しかし、少なくともノートルダム学院長に関してはジョゼフが俺と同じ年頃からあのままの姿で居たはず。
 つまり彼女は、最低でも二十年ほど前から見た目年齢が六十代だと言う事。
 オスマン老に至っては、実際の年齢が三百歳だと言う話が、トリステインの魔法学院では実しやかに流れていた。
 その老師たちが知る限り虚無魔法を行使する人間が現われた事がない、と断言している以上、虚無に魅入られた人間が少なくともここ五十年。もしかすると百年近くは誕生した事がない、と考えても問題はない――
 ――そう考えて、少し首を横に振る俺。
 いや違うな。俺の考えでは、この世界に虚無の担い手が現われたのは今回が初めてのはずだと考えている、が正しい。其の中には当然、始祖ブリミルすら含まれている。それぐらい、今回の虚無の担い手が四人同時に、世界に登場する事態が極端に不自然な状況だと考えて居る、……と言う事。

 もっとも、その事に関して俺が疑問や考えを口にした瞬間、過去に虚無の担い手が現われた証拠がでっち上げられる可能性もゼロではないのだが。

 まぁ、何にしてもゲルマニアの意図は分かった。いや、アルブレヒトの意図はゲルマニア王家に箔を付けるぐらいの意図しかない、……と思う。少なくとも、ハルケギニアの数ある王家の中でゲルマニアは一段下の扱いを受けて居たのは事実。この部分をどうにかして、最終的にはゲルマニアがこの世界で覇権を握る……程度の野心だと思う。
 おそらくそれは地球に見立てた風船を使い遊ぶ独裁者の如き代物。其処にどれだけ多くの人が暮らして居るのかを想像していないレベルの。
 ゲルマニアの意図。それは完璧なガリア包囲網を築く事。現状、すべての虚無と、潜在的な人類の敵……エルフに囲まれる事により、ガリアは四面楚歌状態に追い込まれている。
 おそらく後は合従策の基本に則り、ゲルマニアが侵攻して来た後に、次はロマリア、そしてアルビオンと言う、小規模の侵攻を何度も行っては兵を退くと言う、非常に基本的な戦術で徐々にガリアの弱体化を図る心算なのでしょう。

 確かに五路から同時に侵攻されると幾らガリアの国力があったとしても厳しい。ただ、そうかと言って合従策の対抗として連衡策を行うにも、相手は信仰により結束した連中。それを仕掛けて来たゲルマニアとロマリアのトップの意図は領土や信者の獲得と言う、非常に分かり易い欲に塗れた目的であったとしても、その直ぐ下からは信仰心と言う強固……ある種の狂気により束ねられた連合なので、この形をどうやって切り崩して良いのか分からない。
 まして遠交近攻と言っても、もし、ゲルマニアが地球世界のドイツなどではなくロシアなら、ガリアから見てゲルマニアの向こう側の国は既に東洋に分類される国。エルフが地球世界のオスマン帝国と(近似値)で繋ぐ事が出来るのなら、その向こう側も間違いなく東洋。
 スカンジナビア半島にも地球世界ならばノルマン人の国があったはずなのですが、このハルケギニアには……。

 ……やれやれ、頭のイタイ状況だな。流石にプレステ・ジョアンの国はない、か。そう考える俺。一応、ある程度の策は施してあるのだが、それが確実に効果を発揮しているのかどうかは今のトコロ分からない。
 ならば次は……。

 トリステインが何故アルビオンに敗れたのか……か。もっとも、この部分に関して言うのなら、端からトリステインがアルビオンに勝つ道理がなかった、が正しい認識だと思うのだが。
 確かに、一度攻め寄せて来たアルビオン軍を撃退出来た。しかし、それはそれ。逆に相手の本土に攻め寄せて、政府の中心を落とす事が出来るかと言うと、それは最初から難しい事が分かっていたはず。
 多分、この部分に関しても俺の持っていない情報があるのでしょう。そして、その情報の中に――

 ――重要な物がある。そう考え掛けた俺。その頬に触れる少し冷たい指先。
 そして、やや強引な感じで左側を向かされる俺。

 もっとも無理にと言っても、それほど力を籠めて居るとも思えない……おそらく、労働と言う類の行為には一切向いていない華奢な手。その手に因り向かされた方向には、銀のハーフリムを装備していない、普段よりも少し幼い雰囲気の湖の乙女の容貌が存在していた。
 そう、真っ当な生命体ならば考えられない左右対称のその容貌からは一切の生活感、俗臭の如き物を感じさせる事はなく、更に成長する事によって埋められるべき余白……彼女の体格やその他から想像出来る、思春期半ばと思われる少女特有の幼さを感じさせる事もない。
 何と言うか、まるで産まれ落ちた瞬間から今、この瞬間まで彼女はこの姿形であったのではないのだろうか。そう感じさせるほどの妙に完成されたイメージ、しかし、一方で年相応の儚さや脆さを感じさせる少女。

 澄んだ湖の如き、深く少し潤んだ瞳。その瞳を覗き込んだ瞬間、何故か彼女が小さく首肯いて見せる。
 身長差から言って、彼女が少し腰を浮かせた状態。おそらく膝立ちなのは間違いない。
 そうして瞳を閉じた彼女の方から少しずつ二人の間の距離を縮めて来る。
 感じる彼女の吐息。彼女の意図が分からず、やや困惑気味の俺。
 俺の蒼い前髪が彼女の額に。そして、少し硬い印象のある彼女の紫の髪の毛が俺の狭い額に触れ――

「な、何をしているのよ!」

 崇拝される者(相馬さつき)の少し驚いたような声が響くのと、俺と湖の乙女の額が触れ合うのと、どちらの方が早かったのか、その辺りは定かではない。しかし、その声が俺の耳に届くのと額同士が触れあった感覚。そして、向こうの世界の長門有希と同じ香りを強く感じた――
 その刹那!


 
 

 
後書き
 な……長い。本当は次の話と合わせて一話でやる心算だったのだが……。
 二万文字をオーバーするのは流石に問題がある……と考えた結果、二分割です。

 尚、虚無の担い手に関してオスマンが知らない設定と成っているのは、原作小説の一巻の段階の設定をそのまま踏襲しているからです。
 もっとも、その辺りの設定はどちらかと言うとクトゥルフ系の不条理に満ちた設定に近いのですが。
 在る瞬間から以降、急にそう言う歴史的事実が創り出された。……と言う形の。

 それでは次回タイトルは『虐殺の夜』です。

 追記。……と言うか蛇足。
 アンリエッタは行方不明ですよ。
 フロンドの乱でルイ14世が死亡していない事から想像が付くと思うけど。
 
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