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ソードアート・オンライン 穹色の風

作者:Cor Leonis
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アインクラッド 後編
  凶兆

 
前書き
 次回は短編だと言ったな。あれは嘘だ(オイ)。

 というわけで一年ぶりの更新です。本当に申し訳ございません。しかし凄いですね映画効果。一年燻っていたモチベーションが不死鳥の如く復活を遂げました。これがいつまで続くかは毎度のことながら不明ですが、またボチボチ書いていければな、と思っております。 

 
 七月も半ばに差し掛かると、アインクラッドの気候はいよいよ夏本番に突入する。長時間滞空する陽光は容赦なく地を照り付け、熱放射によって温められた世界を動物たちが生き生きと闊歩する。それら全てがデジタルコードの見せる幻想であるということ以外、現実世界と何も変わらない光景だ。
 マサキは現在の最前線である六十六層に降り立つと、まだ朝の九時だと言うのに容赦なく肌を突き刺してくる太陽を恨めしげに仰いだ。

「陽射しは苦手カ? ま、見た目からしてそんな感じだけどナ」

 鼻にかかった高音域を認識すると、気だるげに細められたマサキの両目が中央に寄ってしわを作り、声を掛けてきた小さなシルエットを睨み付けた。それはマサキの反応を気にする素振りもなく目の前までやってくると、目深に被ったフードを取り払い、同時に彼女の性格を反映したような癖っ毛のブロンドが朝日を反射しつつ一斉になびく。そうとだけ言えばさながらハリウッド映画のワンシーンだが、顔に描かれた左右三対の「おヒゲ」が、全体の雰囲気をコメディチックに引きずり込んでいた。

「次会うときは、肌の色を真っ黒に設定してきてやるよ」
「ニャハハハ! そんなもの一目見たら、三日間は思い出し笑いが抜けそうにないナ!」

 頬のペイントが歪むほど大きく口を開けて笑うアルゴ。

「今日はクエストの依頼だったか。暑いから早いところ詳しく説明してくれ」
「まあまあ、そう焦るなヨ。もう一人、とびっきりのパートナーを呼んでるからサ。早いオトコは嫌われるゾ?」
「おい、まさか……」

 嫌な予感が過ぎり、マサキは含み笑いを続けるアルゴに詰め寄った。すると図ったかのようなタイミングで背後の転移門から少女が一人現れる。石畳にブーツの底がカチッと音を立てて着地し、浮かび上がる紅白のユニフォーム、栗色のハーフアップ。

「お久しぶりです、アルゴさん。それと、マサキ君も」
「……アスナ」
「あら、わたしじゃご不満? まあ、エミじゃなくて残念って気持ちは解るけれど」

 渋い顔にやや安堵した声、と、若干の矛盾を孕んだマサキの態度を|(いぶか)しむでもなく、アスナはマサキにくすりと笑いかけた。

「マー坊はお得意サマだからナ、スペシャルサプライズってやつダ。気に入ってもらえたカ?」
「次やったら縁を切る」
「ちょっ、そこまでのことカ!?」

 苦々しげに吐き捨てると、アルゴが泡を食ったように声を荒げる。……ものの、慌てているのは声色だけで、マサキが再び彼女に視線を投げてみれば、案の定口元は悪趣味な笑顔に歪んでいた。マサキは遊ばれたことに誰にも聞こえないほどの音量で舌を鳴らし、苛立ちを浅い一呼吸と共に排出。「ニャハハ、ごめんごめん」と口では言いつつも全く悪びれる様子のないアルゴを促した。「ふざけるのもいい加減にして、さっさと本題を話す場所へ連れて行け」というマサキの意図を察したのだろう、アルゴは「今日はとっておきのお店を紹介するヨ!」と豪語し、まだアクティベートされて日も浅い街をすいすいと歩き始める。
 さほどの時間を掛けず辿り着いた目的地は、一軒の隠れ家的バーだった。黒ニス仕上げのフローリングと、同色の丸テーブル、カウンター。どれも経年劣化が隠せていないが、丁寧に手入れされているそれらには良い意味での趣が感じられる。よくもまあ、こんな見つけにくい店を嗅ぎ付けるものだ――と、すぐ前を軽い足取りで進む巻き毛に感心と呆れの混ざった心境を向けつつ彼女に続いてテーブルに着いた。

「で、多忙な血盟騎士団副団長殿まで呼び出して、一体何をさせる気なんだ?」
「いえ、今日はわたしがアルゴさんに頼んで貴方を呼び出したんです」
「何?」

 てっきりアスナも自分と同じようにアルゴに呼び出されたのだと思っていたマサキは、自ら今日の主犯だと宣言したアスナに鋭い口調で聞き返した。

「まーまー、そう焦るなっテ。早い男はモテないゾ? ……そうそうアーちゃん、ここはジャージンソフトが名物なんダ」
「ジャージン? ジンジャーじゃなくて、ですか?」
「ジンジャーの辛味も効いてるんだガ、それと同じくらい濃厚なミルク味のソフトクリームなんダ。多分、ジンジャーとジャージーを掛けたんだろうナー」
「へぇーっ!」

 が、その毒気を抜くように割って入ったアルゴによって、会話の内容をこの店のグルメ談議にすり替えられてしまった。そのまま雑談に花を咲かせ始めた二人を横目に、マサキはテーブルに頬杖をついて溜息を一つ。
 一度スイッチが入ってしまった女性の無駄話は、本人がトーンダウンするまで終わらない。つい最近まで増加の一途だったエミとの時間でマサキが学んだことの一つだ。
 “だった”と過去形にした理由は、彼女の武器を四十八層まで取りに行って以来、意図的に接触を絶っているからだ。そのためここ一週間ほどは家にも寄り付かず、人目に付かない小さな村やダンジョンを転々としている。
 もしもあの夜がなかったなら――彼女との距離に目を瞑ったままでいられたならと考えないではないが、水中に落ちた石が二度と浮かび上がらないように、一度目に焼きついてしまったものは決して網膜を離れない。時間を掛けて忘れるという機能さえ欠落したマサキに取れるのは、新たな記憶の蓄積を防ぐことだけだ。

「もう雑談はいいだろう。そろそろ本題に入ってもらいたいんだが」
「ハァー、仕方がないナー、マー坊は。実は……」
「それについては、わたしから説明します」

 やれやれと両手を広げて答えようとしたアルゴを制し、アスナが頬をきりっと引き締めて言った。その冴え渡る抜き身の刃の如き凛とした表情は、たった今まで見せていた少女アスナのものではなく、これまで血盟騎士団副団長として攻略プレイヤーたちを率い続けてきた“閃光”のものだ。彼女の口調が敬語になっていることからも、その真剣さが読み取れる。

「外見、ハンドルネーム変更アイテムが発見された可能性があります」

 そのきつく引き結ばれた唇から漏れた声は、小さな声量ながらもかなりの衝撃をもってマサキの聴覚野を刺激した。その音と彼女の瞳からは遊びの色の一切が失せ、じっとりとした緊張感を滲ませている。

 SAOで外見や名前を変更するためのハードルは、他のオンラインゲームと比較してかなり高いと言える。他の大多数のゲームでは自らの分身たる仮想体(アバター)の容姿変更やネーム変更はかなり簡単に――課金によるアイテムの使用が必要なこともあるが――行えることが多いが、SAOでは現実の容姿がそのまま移植されるという性質上、自分の好きに顔や背格好を弄ることは不可能であり、ハンドルネームも原則変更できない。ただし、事前のキャリブレーションでカバーできない肌、瞳、髪の色や髪型についてはステータスメニューから自由に変更することができ、タトゥーやペイント、化粧なども可能だ。

 そして名前の変更に至っては、現在変更可能な手段は発見されていない。ただし、SAO開始からちょうど一ヶ月後、《はじまりの街》大聖堂にて一週間限定でシステム上の性と現実の性が違う、いわゆる「ネカマ」やあまりにも痛々しいハンドルネームをつけてしまったプレイヤー向けにハンドルネームと性別の変更が可能になるという救済措置が発表された。当時はまだ攻略組という組織自体が誕生していなかった上、ギルドも――システム上は――作ることができなかったため、誰がそれを管理するわけでもなく、また第一層のボス戦に向けて準備が進められている最中ということもあって特に干渉されることなく期間は終了した。
 後になってその性別、ハンドルネーム変更が犯罪に転用される危険性に気付いた大手攻略ギルドが当時実際に性別を変更したプレイヤーに聞き込み等の調査を行ったところ、変更できるのはゲーム開始から一度もオレンジになっていないプレイヤーに限られる、変更したプレイヤーが罪を犯した場合、そのプレイヤーの変更前の名前と変更後の名前が記録(ログ)として保存される等の厳しい制約があることが判明し、当時はまだ現在のレッドギルドのような高度な犯罪組織が存在しなかったこともあって犯罪に転用される可能性は低いと推定された。

 しかし、もし今後アバターの外見やハンドルネームを自由に変更できるアイテムや方法が発見された場合、アインクラッドにおける治安維持の大きな障害となり得るのは明白。そのため、攻略組や大手ギルド、情報屋の間では、そういったアイテムや方法が発見された際は速やかに情報を共有し対策を練るという協定が結ばれている。なるほど、確かにそのレベルの話であれば、このアインクラッドで真っ先に彼女の耳に入るだろう。――だが。

「何故俺に? それも、わざわざこんな場所で、だ」

 仮にアイテム発見の報せが事実だったとすれば、それはもう攻略組で緊急会合を開いて対処方法を議論するレベルの大事だ。間違ってもこんな場所で雑談のタネにするような話ではない。
 その疑問に答えたのはアルゴだった。

「“可能性”って言ったダロ? まだ確定したわけじゃなイ」
「はい。正確には、『ハンドルネーム、外見の変更効果を“匂わせる”アイテムが報酬となっている可能性があるクエスト』が発見されたというものです。さすがにこれほど信憑性の薄い情報では会議など開けません。……ですが、かといって放置するわけにもいきません」
「……なるほどね」

 今聞いた限りでは、彼女たちの言うことにも一理ある。マサキは小さく唸り、椅子の背もたれに背中を預けると、その先を想定しつつも敢えて尋ねた。

「それで、俺に何をさせる気なんだ?」
「マサキさんには、わたしと一緒にそのクエストに挑戦してもらいます。前情報によればそのクエストはかなりの高難度クエストのようですが、現状の不確実な情報だけでは大規模な人数を動員はできませんし、今の段階であまり話を広げすぎると、話に尾ひれがついて一般プレイヤーの間に広まり、徒に恐怖を煽ってしまうリスクもあります。ですから、少数の高レベルプレイヤーで調査に努めるべきと判断しました」
「話が読めんな。高レベルプレイヤーなら、それこそ血盟騎士団に幾らでもいるだろう」
「はい。ですが、我々だけで秘密裏に調査を進めた場合、他のギルドから協定に反して情報を独占、隠匿しようとしているとの謗りを受けかねません。しかし、他のギルドを交えて調査チームの人員を協議している暇もありません。念には念をという言葉もあります。仮にこの情報がレッドギルドにも漏れていた場合、彼らがそのアイテムを求めてやってくる可能性も――」
「……部下に人を斬らせるのは忍びない、か?」
「――ッ!!」

 マサキがアスナの言葉に被せて言い放つと、アスナのぱっちりとした両目が見開かれた。その表情には、最早隠しきれない動揺が浮かび上がっている。マサキは薄ら笑いを浮かべ、言葉を続けた。

「よく分かったよ。なるほど、キリトじゃなくて俺が選ばれるわけだ」
「な、どうしてそこでキリト君が――!!」

 ダンッ、と両手をテーブルに打ち付けて立ち上がるアスナ。その瞳から目を逸らさずにじっと見据えていると、徐々に彼女の目の奥に落ち着きの光が取り戻されてくるのがよく分かる。アスナもマサキの顔を鋭い眼光で捉え続けると、やがて絞り出すように発した。

「……受けて、いただけますか?」
「……いいだろう。大手ギルドの幹部様に貸しを作るのも悪くはない」

 左の口角だけを持ち上げ、薄汚く笑ってみせる。
 アスナの右手がテーブルを離れ、瞬間、ぶるりと痙攣した。
 表情筋の形状から、彼女が奥歯を噛み締めていることが分かる。
 ぐっと、射抜くような視線。それを遮って、アスナからパーティーに誘われたことを示すウィンドウが表示される。マサキはアスナと視線をぶつけ合わせたままYESを押した。



「……もういいゾ」

 マサキとアスナの二人が店から離れたのをフレンドの位置追跡機能で確認し、アルゴは無人の店内にそう声を掛けた。すると、カウンターの奥、STAFF ONLYと書かれたボードがぶら下がったドアが開き、一つの人影が現れた。
 大きな隠蔽(ハイディング)ボーナスの得られる濃紺のフード付きロングコートに、足音を小さくすると同時に走っている場合やジャンプを除いて足跡を消す特殊効果を持ったブーツ。フードを目深に被っていて、その目元を覗くことはかなわない。
 しかも、今までその人物が行っていたのはアルバイト機能を利用して基本はNPCしか進入できない領域に入っての盗聴行為だ。犯罪ではないが明らかに非マナー行為であり、露見すればその見るからに怪しい外見と相まって何の目的なのか厳しく詰問されても文句は言えない。
 その人物はただ一人店に残っていたアルゴの背後を通過し、音もなく店を去って行った。
 その様子を横目で眺めていたアルゴは、ストローに口をつけて僅かに残ったジンジャーエールを吸い込んだ。ずずっ、という音が、今度こそ無人になった店内に響く。

「……頼んだゾ、二人とモ」

 今にも溶けて消えそうなグラスの氷を見下ろしながら、アルゴは小さく呟いたのだった。
 
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