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SNOW ROSE

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廃墟の章
  Ⅵ


 一同は廃墟へと足を踏み入れるや、遺された風景に息を飲んだ。
「ここが…。」
 その街は、一度も歴史の表舞台へと姿を見せることは無かったが、目の前に広がる街並みを見る限り、かなり規模の大きな街であったと分かった。その上、建造物がほぼ無傷で遺されており、今にも街の人々が現れそうな錯覚に陥りそうになったのであった。
「成る程…。この廃墟を国が護ろうとした理由が解るような気がする…。」
 感嘆の息を洩らしたながらミヒャエルが呟き、それに応じ皆は物言わず頷いたのであった。
 暫くはロレンツォに街を案内してもらい、そうして後、中央にある大聖堂へと四人は案内された。
 街のシンボルとも言うべき大聖堂は、廃墟になって久しいと言うのにも関わらず、建設当時の美しさを湛えたまま静かに佇んでいた。そこかしこに蔦が這ってはいるものの、飾り石で彩られた外観は今なお色褪せることはなく、その美しさを誇示し続けていたのであった。
 この大聖堂を見た四人は、もはや一言も口にすることが出来なかった。それまで四人が想像していたものと、ここで見ているものとが掛け離れ過ぎていたためである。
 ロレンツォは黙している四人へと、この廃墟についてのことを語り始めた。
「この街は、あの大災害からも奇跡的にも逃れることができ、その後も数年は守られていました。しかし、その後の天災で大半の住人が亡くなってしまい、残された住人は街を棄てて王都へ向かったと言われています。この大聖堂最後の神父はネイヴィルと言う神父で、俗名をリチャード・フォン・ファイソンと言います。彼がこの街の終わりを、自らの日記に記したものが発見されているんです。」
 ロレンツォは大聖堂を仰ぎ見ながらそう語った。
 ここで語られた大災害だが、王暦三八六年の日照りが原因で起きた、山脈の万年雪が溶けての大洪水のことである。最初は少しずつ溶け出して泉や沼、そして湖や池などに分散して流れ込んでいたのだが、それらが許容しきれなくなり、次々に決壊して土砂などを含んで河口へ向かい勢いよく流れた。河川もこの水量には耐えきれず、柔な堤防は同様に次々と決壊し、周辺の街や村を襲ったのであった。それは一夜に三つの村と二つの街を押し流してしまったとされている。
 その時、メルテの村も多大な被害を受け、この事でレヴィン兄弟の墓は流されたとも言われている。
「で、それにはなんて書かれていたの…?」
 暫く口を鉗んでいたロレンツォに、マーガレットが静かに問い掛けた。ロレンツォは少し翳りを帯びた表情をし、何かを思い出すかのように口を開いたのであった。
「あの大災害を逃れて後、国の北半分に疫病が蔓延したんです。この街も例外ではなく、その疫病が襲いました…。」
 大災害から数週間後、溢れた水は引いていたが、今度は疫病が民衆を直撃した。歴史学者の間では、洪水で死んだ動物や人間の亡骸が放置されたままとなっていたため、それが原因で疫病が発生したとされている。その上、疫病にかかった人々が救いを求めて別の街や村に入った際、その患者から街や村全体に疫病が広がったのである。
「大災害前は日照りが続き、民衆の体力は衰えていたんです。その中に数人の疫病患者が入ってきて、街中に広がったのだと。コバイユの街は僅か十数日で民衆の三分の一が、その疫病にかかったと記されてました。」
 四人は静かにロレンツォの言葉を聞いていた。それは遥か昔の話ではあったが、この場で聞いていると、まるで今、自分達の周囲で人々が慌てふためいているのではないかとさえ感じていた。
 この大災害のあった頃、この国…いや、大陸は疫病に関しての知識は乏しかった。医者や薬師も未だ少なく、コバイユの街ですら医者が一名と薬師が二人居ただけであり、とても疫病をこの街で食い止める力なぞ無かった。そのため、薬師の一人は王都へと馬を走らせ、このことを王へと伝えに出たのであった。だが、時は既に遅かったのである。その薬師が戻る前に、街長と医者が相継いで疫病にかかり、間も無くして亡くなったのである。それを知った民衆は恐怖におののき、病人と街を見棄て、住み慣れた街を去ってしまったのであった。
「その薬師が戻ってきた時、街は既に屍の山となっており、残っていたものは大聖堂の神父達ともう一人の薬師だけだったそうですよ。そして…最後まで生き残っていたのがネイヴィル神父だったんです。」
 皆は思った。この最後の神父は、その悲惨な状況下で何を感じたであろうかと。ロレンツォによれば、人口の六割が疫病によって天に召された。それは初期の話であって、街が放棄されるまでは約半年の期間があったのである。それも、周辺では人々が疫病によって毎日亡くなっていたのであるから、いかな神父とは言え、相当な恐怖を感じたに違いない。それを乗り越え、一人になってから十四日後まで日記を記していたというのは、四人の想像を絶していたのであった。
「しかし…それも仕方無かったんですよ…。」
「どうしてですの…?」
 ロレンツォへマーガレットは問った。それは聞いてはいけない問いだったのかも知れない。ロレンツォはいつもとは違い、やけに口を重くしていたからである。
 だが、聞かねばならぬ様な気がしてマーガレットは問い掛けたのであった。
「ネイヴィル神父が街を出なかった理由は、王命によって、王都へと通じる全ての道を封鎖されたからでした。」
 誰もがその言葉に、自分の耳を疑ったのであった。しかし、それだけではなかった。
「王命はこうだったと書かれてました。“疫病を防ぐため、王都より二つ目の街より北は全て封鎖し、一歩たりとも民の行き来を許してはならない。それより先は石灰を用い、骸を発見しだい焼却すべし。尚、数多の死者がある場合、小さな村へ集め火を放つべし”と。」
 皆は身震いした。確かに、打つ手なしの疫病を封じ込めるには、こうした非道とも思われることをしなくてはならなかったであろうが、これではあまりにも惨いと言うものであろう。そこでミヒャエルはロレンツォに聞いた。
「その疫病は…本当に治療は出来なかったのか?」
「ええ。俗に言う“雪薔薇病”だったと言われています。もしこれが蔓延したならば、今の王都の医者でさえお手上げです。ですが、このコバイユから旅立った民の一部は、無事王都へ入ることが出来たそうです。しかしその時には、既に二十数名しかいなかったそうですが…。」
 困難の時代はあったのである。戦などの人災も恐ろしいものではあるが、こうした未知の天災はそれ以上に恐ろしいものであった。それを踏まえた上で、ロレンツォはきっぱりと言ったのであった。
「王はこうでなくてはなりません。たじろいで国を滅ぼすようなことになれば、これだけの被害では済まなかったでしょう。」
 それを聞いた四人は驚きの表情を見せた。要は、この王の決断は正しかったと言っているからである。それに対し、ミヒャエルはロレンツォに問った。
「では、無意味に亡くなった人々はどうなる?死ななくて済んだかも知れないじゃないか!?」
 その問いに、ロレンツォは溜め息を吐いて答えたのであった。
「王は国を守らなくてはなりません。たとえ非道だとしても、民の一人一人に至るまでの責任は王とて負えず、それは個人で背負うべきもの。人災であれば責任の取りようもありますが、天災…それも不治の疫病では、人間である王では手も足もでません。それこそ人の運と言うもの。王は器としての国を守り、我々国民はその中を守り抜かなくてはならないのではないでしょうか?王とは即ち国の天秤。自らの善悪だけで判断出来ない国の象徴であり、力を持ちすぎた偶像であり…。何とも難しい地位と言えますね。」
 ロレンツォはそこまで言うと、そこで話を切り上げて歩き出した。ミヒャエルとの話は、恐らく平行線を辿るだろうと感じたからである。
 一方のミヒャエルにしても、これでは堂々巡りになると思い、そのまま口を鉗んでロレンツォの後へと続き、他の三人も口を挟むことをせず、黙ったまま二人について歩き出した。
「気を取り直し、大聖堂の中をご案内しましょう。」
 大聖堂の正面扉の前でそう言うと、ロレンツォはその大きな扉を開け放った。そして、皆はロレンツォに続き大聖堂内部へと足を踏み入れたのであった。
 大聖堂の中は、あのフォルスタの聖エフィーリア教会に近い装飾が施されていたが、それとは比較にならぬ程の緻密な設計がなされていた。天井画やそれに続く周囲の壁の聖画や彫刻は、空の向こうの遥かなる宇宙を連想させるものであった。だがそれよりも、初めて訪れた四人は別のことでも驚かされてしまったのであった。
 先の聖エフィーリア教会は、後世の者達が修復したものであるのに対し、この大聖堂は建設当初のままであるのだと言うことである。
「現在の技術では、絵を数百年もの月日、このように色鮮やかに残すなど出来ません。ましてや、この聖画は殆んど罅や傷がないのです。確かに、緋や黄の一部は劣化してますが、蒼の美しさは当時のままであると言われています。」
 周囲の壁全体に、有名な聖人が描かれていた。今、五人の前に描かれている聖人は、大地の女神である聖エフィーリア。その右隣には、時の王リグレットが描かれている。その聖エフィーリアの上衣には美しい蒼が使われており、今にも揺らぎそえな感じさえしたのであった。
「あれは…!?」
 不意にエディアが声を上げた。彼女は、今見ていた聖エフィーリアの真逆の壁の聖画を見て、驚きのあまり声を出したのであった。皆がそちらに視線を向けると、そこには二人の少年が描かれていたのである。
 その少年の聖画は、丁度聖エフィーリアとリグレットに対比しており、聖人の中でも中核を成す形に描かれていた。それは正しく、伝説のレヴィン兄弟の姿を描いたものであった。
 見れば、兄ジョージの手には装飾の施されたリュートが描かれ、弟ケインの手には精密な楽譜が描かれていた。その聖画は二つで対となっており、それを一つに囲むかのように白く美しい雪薔薇が絵の中で咲き誇っていたのであった。
「これが…。」
 皆が兄弟の聖画に歩み寄って後、ミヒャエルが囁くように呟いたのであった。
 一般に、このレヴィン兄弟の聖画は殆んど描かれることはない。聖ラノンや聖シュカの癒しを守護する聖人などが多く、次いで聖マルスや聖ミケルなどの律法を守護する聖人が多く描かれていた。
 しかし、音楽などの芸術分野に於いては聖グロリアが守護聖人として奉られていたため、レヴィン兄弟は守護するものを与えられてはいない予備の聖人に数えられていたのである。
 この大聖堂が、いかなる理由をもって建築されたかは知られてはいないが、ここでは聖グロリアではなく、芸術の守護聖人にレヴィン兄弟を描いたのであった。その表情は穏やかで優しさに満ち、訪れし者達の心を温かく包み込んだのであった。
「外典ナタリア書によれば、兄弟は若くして亡くなりました。私共の家系が芸術の一角を担うことになったのは、この兄弟あってこそなのです。私は誇りに思っていますわ。ねぇ、あなた…。」
 兄弟の聖画を見詰めながらエディアはヨゼフへ言うと、ヨゼフは「そうだな。」と短いながらも力強く返答を返したのであった。
「エディア、これも導きかも知れんな。そうだ、この場で音楽を奏でよう。」
 ヨゼフにそう言われたエディアは微笑んで答えた。
「そうですわね。芸術家レヴィン家の祖、ジョージとケインに敬意を表して…。」
 そう言うとレヴィン夫妻は荷物より楽器を取り出し、ヨゼフはヴァイオリンを、エディアはトラヴェルソを手にして構えたのであった。
 残念ながらジョージが得意としたリュートは、もうこの時代には殆んど廃れてしまっていたのであった。運ぶには大き過ぎて不便ということや、弦が多くて扱いにくいことなどが原因として挙げられよう。
 しかし、このレヴィン兄弟の音楽は、様々な演奏家の編曲によっても伝えられ広く知られているのは、兄弟の音楽が如何に愛されてきたかが窺えよう。
 確かに、歴史的名演奏家によって編曲され続けたからこそ、兄弟の曲が残ったとも言えよう。だがそうだとしても、原譜の失われた兄弟の音楽の大半が伝えられ、それが多くの人々に愛されているという事実に、一体何の疑いがあるというのであろうか?兄弟の音楽そのものに魂が宿っていると考えたとして、それを過言とは誰も言えまい。
 話を戻すとしよう。
 レヴィン夫妻は手にした二つの楽器で、ケインが兄のために作曲したと伝えられるソナタを演奏した。緩-急-緩-急の四楽章からなる教会ソナタ形式によるもので、この大聖堂で演奏するには相応しい曲であった。この曲も例に漏れず、後世の演奏家による編曲である。
 原曲はブロックフレーテとチェンバロ用であるが、それをヴァイオリニストのディオス・アッカルディアがトラヴェルソとヴァイオリンのために編曲したものをレヴィン夫妻は演奏したのであった。
 夫妻の奏でる音楽は、この大聖堂の高い天井を伝って全体に響き渡った。その美しさ足るや、大聖堂そのものにも引けをとらないものであり、夫妻の調べを初めて耳にするロレンツォは、その響きの美しき調和に暫し時を忘れたのであった。
「何と美しい…。まるで天より御使いが舞い降りて来るようだ…。」
 夫妻の演奏が終わって後、ロレンツォは感嘆の溜め息とともにそう呟いた。無論、マーガレットとミヒャエルの二人もロレンツォと同様、感嘆の溜め息を洩らしていたのは言うまでもないであろう。
「ありがとうございます。聖画とはいえ、こうして祖先の前で音楽を奏でることができ、我等も嬉しく思います。旅をして、本当に良かったと思いますよ。」
 ヨゼフはそう皆に言うと、傍らのエディアと共に笑みを溢した。それから再び兄弟の聖画へと視線を移し、夫妻は兄弟がどの様な演奏をしたのかと、遥かなる時代に思いを馳せたのであった。



 
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