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SNOW ROSE

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廃墟の章
  I


 王暦の終わり近く、王国プレトリスは八つの領土に分割されていた。
 王都を含む中心領は国王の直轄であり、残る周囲七つの領土は、国王が任命した七人の貴族により治められていたのである。
 この話は王暦五八一年に始まり、王暦の終わりである五八三年まで続いた“三国大戦”にも深く関わっており、ここではその断片とも言うべき一つの領地の話を語るとしよう。

 そこは王都より北に位置する土地で、男爵であるロベルト・フォン=ミュルー・ハウゼンが治めるカルツィネでの事柄である。
 この地方最大の街ミュルより北へ行くと、中程の街であるフォルスタがある。その街より北には広大な森が広がり、それより遥か北には万年雪が覆う山脈が行く手を遮る。
 そんな森の中に、百年程前に廃れた街の廃墟が残されたままになっていた。だが、この廃墟には古く価値のある建造物が多々あり、学者や芸術家、はたまた刺激を求めてか文学者までがここを訪れているのであった。
 現代で言うところの遺跡観光の先駆けとも言えよう。
 さて、その廃墟のある森へ入るには、先ずはフォルスタの街に宿をとり、街の管理局へ届け出を済まさなくてはならない。万が一迷いでもしたら、まず生きては出られないからである。それだけ森が広大であると言うことである。
 そのフォルスタにある宿屋は一軒だけであった。いくら廃墟が知られているとはいえど、そうそう年中客足があるわけではなく、この宿屋ですら食堂兼用で営業していたのであった。
「あなた、お客様がいらしたようよ?」
 帳簿を付けていた店主にそう声を掛けたのは、その店主の妻であった。
「ありがとう、マリア。しかし、この時期に珍しいなぁ。」
 妻のマリアから言われて店主は席を立ち、直ぐ様カウンターへと入ったのであった。
 この宿屋の店主は、名をハインツ・ケリッヒと言う。未だ二十八歳と若いが、彼が二十三歳の時分に両親を落石事故で亡くしてから以降、ずっとこの宿屋を守っているのである。
 妻のマリアとは二十歳の時に知り合い、ハインツの両親が亡くなった三年後に結婚したが、未だに子供はいなかった。
「いらっしゃいませ。お食事ですか?お泊まりですか?」
 ハインツは笑顔で客人を迎えた。客は中年の夫婦で、大きな荷物をやれやれと言った風に床に置いてハインツの問いに答えた。
「すまないが、これから一月ばかり厄介になりたいのだけど、大丈夫かな?」
「はい、大丈夫です。お食事は如何なさいますか?」
 この宿屋では、客人のスケジュールに合わせて食事を用意することが可能であった。そのため、泊まり客には食事の有無とスケジュールを聞き、それから客室へと案内するのが常であった。
「そうですな…外出しない時は三食全て頼みましょう。外出時は伝えて出ますので。」
「畏まりました。では、こちらにお名前を。」
 ハインツはそう答えると客人に来客帳への記入を促すと、男性はそれを受け取って名を記入したのであった。

ヨゼフ&エディア・レヴィン

 男性の記した名を見て、ハインツは咄嗟に音楽を連想してしまった。そのため、本来聞くべきようなことでないことを口にしてしまったのであった。
「お客様。大変不躾な質問ですが…もしやそのお荷物は楽器でしょうか?」
 ハインツに問われた夫婦は目を丸くして、そして苦笑しながら答えた。
「その通りです。これはリュートで、こっちの小さな方はヴァイオリン。鞄の中にはトラヴェルソもあります。なぜお気付きに?」
 今度はヨゼフに問い返され、ハインツは失敗したと言う風に額を掻きながら答えた。
「いや…レヴィンという姓でもしやと。」
「では、音楽を習ったことがおありで?」
 次には後ろで控えていた奥方であるエディアが、バツの悪そうなハインツに問い掛けたのであった。
 当時、レヴィンと言えば音楽家の家系で知られていた。古くはヴォルフ・レヴィンにまで遡るが、この人物はジョージ&ケイン兄弟の四番目の叔父に当たる。他三人の叔父達は時の国王を怒らせて国外追放になったため、レヴィン家の直系はこのヴォルフの家系のみである。
 このヴォルフの家系だが、そこから四つに分かれており、ヨゼフはヴォルフの三番目の息子エマヌエルの家系であった。因みに、このプレトリスには二十三人のレヴィンがいたが、現在では五人の男子が残るのみとなっている。
「はい。亡き父が学んでおりまして、私は鍵盤を少々その父から学びました。」
 それから暫くは、ハインツとレヴィン夫妻で音楽談義となった。それを見たマリアはギョッとして、直ぐ様ハインツに歩み寄って言った。
「あなた!お客様をお部屋へ案内もせず、立ち話なんて失礼ですよ!」
 もっともな意見に、ハインツはしまったとばかりに苦笑した。レヴィン夫妻も威勢の良いマリアに多少苦笑いしつつも、「気になさらんで下さい。」と言ってハインツを庇ったのであった。それからそそくさとハインツは夫妻の荷物を持ち、二人を二階の客室へと案内した。夫妻の部屋は南側の陽当たりの良い部屋で、窓からは街並みの美しい風景を堪能することができた。
 さて、このレヴィン夫妻だが、ある目的があってこのフォルスタの街を訪れたのであった。それは、今は消え去ってしまった高名なレヴィン兄弟の足跡を辿り、失われた墓所を探しに来たのである。
 このフォルスタの街から入る深い森の中に、古い廃墟の街があるのは先に語ったが、レヴィン夫妻はその廃墟に目をつけていたのである。しかし、歩けば約二十日程もかかる場所であり、二人は迷っていた。街に頼めばハンターを護衛として付けてはくれるが、信用出来るか否かが問題なのである。
 何はともあれ、一先ずは情報を集めようと、荷物を運んでくれたハインツに声を掛けた。
「ハインツさん。私達は祖先にあたるレヴィン兄弟の墓所を探しに来たのです。何か知っていることはありますかな?」
「兄弟の墓所ですか…。確かに、この街や奥の廃墟には可能性があるでしょうが…。この街を訪れるお客様にそういう類いの研究家の方もおられますが、結局見つからなかったそうです。年々森も広がってきていますし、ともすれば、あの廃墟の奥にあるかも知れませんがね…。」
 ハインツは済まなそうに夫妻へと答えた。
「そうですか…。では、あの廃墟の名は分かっているのでしょうか?」
「ええ。歴史家の間では、サッハルではないかと言われています。このフォルスタの街が、古くはドナと呼ばれていたようで、この窓から見えるあの教会が、その証だとか。」
 ハインツは夫妻を窓辺へと招き、そこから教会を指差して言った。
 この街にある教会は王暦百年に合わせて建設されたもので、王暦九十年から十年の歳月を掛けて建造されたと教会の古文書には記されている。しかし、時代が変わるごとに建て増しされ、多種多様な技法が用いられていることでも有名であった。特に、施された彫刻や内側に描かれた絵画や宗教画は、その時代の一流画家によるもので、国の文化遺産にもなっているほどである。
 だがしかし、その教会とは正反対に街は衰退の一途を辿り、その栄光の名残として教会だけが取り残されたようにも見えたのであった。
「そうですな。あの聖エフィーリア教会は、在りし日の夢を見続けてるのやも知れませんな…。」
「あなた、それは少し違うのでは?私には栄華を伝えている様に思えますもの。」
 レヴィン夫妻はそう意見を述べたが、ハインツにはそのどちらも正しく、またどちらも違うような気がしていた。
 この街に建つ聖エフィーリア教会は実のところ、現在では使用されていない。言ってしまえば、観光用の建造物と化していたのである。
 この当時、プレトリス王国の国教に指定されていたのは、時の王リグレットを奉ずるリーテ教であり、大地の女神エフィーリアを奉るヴァイス教ではなかった。この二つは共に原初の神を頂点としてはいるものの、教えが全く異なっているのである。
 この国教指定を行ったのは時の国王グレコムⅣ世であり、生前騎士であったとされるリグレットを国を挙げて奉じたのは、大陸に戦の気配を感じていたからかも知れない。現に、隣国のヨハネスやリチェッリは戦力を増強し始めており、いつ条約を破って戦になったとしても不思議ではなかったのである。
 そのような不穏な時代に入って早三十数年の月日が流れ、大陸にある教会の大半が大地の女神を奉ずるのことをやめ、時の王を奉ずるリーテ教へと改宗していた。その流れに反抗し続けた教会は、このフォルスタの街の教会のように無人と化してしまったのであった。
 これも歴史の一頁と言えようが、国家が宗教を支配した悪例として後世へと伝えられているのも事実である。
「ではお二方。あの教会を見に行ってはいかがですか?」
 熱心に談義をしている夫妻へと、ハインツは教会見学を勧めた。他の教会とは違い、この聖エフィーリア教会は外観内装ともに申し分無い美しさを備え、歴史的にも重要な建造物であった。この街を訪れる者の中には、この教会目当てで訪れる者も少なくないのである。
「あなた。夕までには未だ時間もありますし、見てきても宜しいんじゃありませんか?」
 エディアの声にヨゼフも頷き、教会見学に赴くことにしたのであった。そのような二人に、ハインツはうってつけの人物を紹介しようと進言したのであった。
「レヴィンさん。実は、隣室にお泊まりの常連様が歴史学者なのです。きっと一緒に行ってくれると思いますが、お誘いしてみましょうか?」
 ハインツの申し出に、ヨゼフは戸惑って目を丸くしてしまった。しかし、妻のエディアは大喜びして、是非一緒に行きたいとハインツに言ったので、彼はその人物を呼ぶことにしたのであった。

コンコンッ。

 ハインツが扉を叩くと、その部屋の中から直ぐに返事が返ってきた。
「全部筒抜けだから今行くよ。」
 そう言うや扉を開けて、三十代前半の教師風な男性が姿を現した。
「初めまして。僕は王都で歴史学を教えているディエゴ・ソファリスと言います。」
 男性は自ら名を名乗り、目の前に立っていたヨゼフに手を出して握手を求めた。
「これはご丁寧に。私共はレヴィンと申します。私はヨゼフ、こちらは妻のエディアです。」
 ヨゼフはそう挨拶し、差し出されたディエゴの手を握ったのであった。後ろで控えていたエディアも手を出し、微笑みながらディエゴへと挨拶をした。
「エディアです。ご一緒して頂けるとのことで、宜しくお願い致します。」
「お二方、そう畏まらないで下さい。僕は貴族なんかじゃありませんから、お気楽になさって下さいな。」
 三人はそう挨拶をし終えるとハインツに出掛けの挨拶をし、一階へと降りようと部屋を出た。しかし、ディエゴは何かを思い出したかのように振り返ってハインツへと言った。
「あっと…ハインツさん。コックのベルディナータさんに、僕の料理にアスパラを入れないように伝えて下さいよ!」
「お客様、それは無理で御座います。彼女は一流の料理人で、私とて口を差し挟むことは出来ませんので。」
 ディエゴの言葉に、ハインツは少々笑いを堪えながら答えた。
「またそれか!ハインツ、僕のアスパラ嫌いは知ってるだろうが!」
「はて…?お客様、お口が悪う御座いますよ?」
「さらりとかわすな!」
 ハインツとディエゴは親しそうに言い合っているが、実は彼等は幼馴染みなのである。とは言っても、ハインツとディエゴが初めて出会ったのは、彼等が四歳の時である。それは、ディエゴの家族が彼を連れ、遠い西の大陸よりこの土地へと移り住んだことがきっかけであった。因みにソファリスとは、西の大陸にはありふれた姓であるが、この大陸には彼の家族のみである。
「分かった分かった。ちゃんと伝えておくから、早くお二方をご案内して下さいよ。」
 何度も言われたハインツは、もう勘弁してほしいと言う風に言った。
「ハインツさんとソファリスさんは、長い付き合いなのですかな?」
 ヨゼフが苦笑しながら問い掛けた。隣ではエディアも同じく苦笑していたが、それに答えたのはハインツではなくディエゴであった。
「ええ。ハインツとは、もう三十年近くの付き合いですよ。まぁ、親友と言うよりは腐れ縁ってやつですけどね。さ、大変お待たせしました。出発しましょう。」
 そのディエゴの言葉を合図に、三人は戸口を出て教会へと向かったのであった。
 陽は未だ高く、晩春の心地好い風が三人の間を通り越していった。



 
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