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艦隊これくしょん【幻の特務艦】

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第三十七話 眠れない夜を抱いて

0600 出撃まであと24時間――。

紀伊は朝早く起き、まだ靄のかかる払暁の中を横須賀鎮守府の背後にある小高い丘に歩いている。秋も深まり、そろそろ冬に移行しようとしているこの季節、マフラーを巻き、手袋をしている紀伊の吐く息があたりを白く染めていく。
 やがて丘の上に立った紀伊は黄金色に染めて登っていく明け方の太陽を穏やかな眼差しで、静かに眺めていた。
 
 ほうっ、と息を吐き出し、大きく伸びをする。
「こんなにじっくりと太陽を眺めたのは、本当に久しぶりだわ。」
しみじみとつぶやきながら、紀伊は深呼吸し、心行くまで朝のひんやりとした大気を吸った。肺が寒くなったが、それでもその感覚は快いものだった。
「あぁ、紀伊じゃない。」
背後から声がした。振り向くと、飛龍と蒼龍、そして大鳳が丘を登ってくる姿が見えた。
「おはようございます。お早いですね。」
紀伊があいさつすると、3人も気持ちよさそうに挨拶してきた。
「おはよう。紀伊もね。どうしたの?」
「私、横須賀鎮守府に来てから、ここに来たことがなくて・・・一度行ってみたいと思っていたんです。綺麗ですね。」
「そうだよ。ここから上る朝日はとても綺麗なんだ。私も蒼龍も大鳳もここがお気に入りの場所なの。研究に息詰まったりすると、こうしてここで息抜きするわけ。」
そうなんですか、と言いかけた紀伊は愕然となった。
「ええっ!?今の今までずっと研究室に!?」
「そうだよ。」
蒼龍がこともなげに言った。
「まだ震電の最終調整ができてなくて、ギリギリまでやりたいし。」
震電に関しては、飛龍たちの懸命の努力の末、なんとか出撃に耐えられる機体になるまでこぎつけていた。だが、細かい点で微調整が必要であるため、彼女たちは平常任務の合間を縫って最後の最後まで調整をしていたのである。おそらくミッドウェー本島攻略の際の制空戦闘並びに敵艦載機隊との交戦において、震電の雄姿が目撃されるだろうと言われていた。
「そんなことしたら、出撃の時に――。」
「今日は早く寝るから大丈夫だよ。それにあと少しで終わるから。」
飛龍がにっとした。彼女たちにとっては、念願の幻の機体の実装まであと少しというところにきているのだ。その執念はすさまじいものだった。それについて携わっていない自分がどうこう言えることではないだろう。
「完成した機体、楽しみにしていますね!」
紀伊は微笑んだ。
「うん、たぶん明日の最初の出撃には間に合わないだろうけれど・・・、でもうまくすれば後発の妖精たちがそれに乗ってこられるかもしれない。ミッドウェー本島が初陣だなんて、妖精たちも気合入るだろうね。」
蒼龍が楽しそうに言う。
「幻の新鋭機ですか・・・・幻・・・・。」
紀伊が何気なく口にのぼせた言葉を聞いた大鳳が、
「紀伊さんもそのようなものですよね。」
「えっ?」
「ああ、違います!!悪い意味ではなくて・・・気を悪くされたらごめんなさい!」
大鳳は頭を下げた。
「でも、紀伊型は前世ではほとんど机上だけで終わってしまった幻の戦艦なんです。それをこの現世でこうして生まれ変わって・・・・しかも全く新しい姿になって・・・それがとても感慨深いと思ったんです。」
「・・・・・・・・。」
紀伊は目を伏せてしまった。そういえば、艦娘たちには自分の本当の出生をまだ話していなかったのだ。自分は紀伊型などという艦種を名乗れる立場ではなく、ただの生体兵器なのだから。
「何か、お気を悪くされましたか?」
「・・・・いいえ、大丈夫です。」
「大丈夫じゃないよ。顔色が悪いもの。大鳳、悪いこと言っちゃだめだよ。」
「ご、ごめんなさい!!」
蒼龍の言葉に大鳳が謝った。
「違うんです。・・・・そうですね、知っていただいた方がこの際いいのかもしれません。」
不思議そうな顔をする3人に、紀伊は自分の生い立ちを隠さずに語った。
「そっか・・・・。」
飛龍が一言そう言ったきり黙ったが、すぐ顔を上げて、
「私なんかがいろいろ言う資格はないけれど、紀伊、辛かったろうね。」
憐れみかと並の人間なら思ったのかもしれないが、飛龍の人柄を知っている紀伊はそれが心から思った言葉であるとわかっていた。
「いいえ、もう受け入れることはできました。でも、一時期はつらかったです。それでも、これまでずっといろんな方と話をしていて、私なりの生き方がわかった気がします。」
「生き方?」
「はい。」
紀伊は折から上ってきた太陽に顔を向け、眩しそうに目を細めた。
「皆さんには過去があります。前世があります。とてもうらやましいことだと最初は思っていました。でも、時として前世はとてもつらいことだとおっしゃった方がいました。」
あの呉鎮守府で、赤城がとてもつらそうにして語った過去を紀伊は忘れることができなかった。
「過去は捨てられない。前世もです。そういうことを踏まえて、私は今を、前を向いて精一杯生きようと、そう誓ったんです。私の道は私が作る。紀伊型と言われていますけれど、前世にとらわれない、本当の、今この世での私の道を、これから・・・・・。」
「そして、未来もだよ。」
飛龍が紀伊の隣に立った。
「明日は必ず勝って、ここに戻ってこよう。ここに戻ってきたとき、本当の意味での私たちの進むべき道が、待っているはずだから・・・・。」
蒼龍も、大鳳も隣に立った。紀伊は不思議な気分を覚えていた。なんというか、いついつまでもこうして3人とここに並んでいたい。本来ならミッドウェー本島を攻略して再びここに立つことこそがすべての終焉なのだが、なぜかこのとき、紀伊はそう思っていた。
「はい、必ず・・・・。」
紀伊はうなずいた。

10:00 出撃まであと20時間――

 武蔵と大和が横須賀鎮守府近海を走っている。近海と言っても防波堤内部の内海なので、すぐ後ろを見渡せば鎮守府の全体の威容が見えるのだ。
「あぁ・・・いい風だな。こんなに穏やかな気持ちで走るのは久しぶりだ。」
「本当・・・外に出て来て良かったわ。ありがとう。」
「いや、たまにはこうして二人きりで走るのも悪くはないな。」
「ああっ!!武蔵危ないっ!!」
突然大和が叫んだ。
「ん?・・・ぅおっ!!!!」
慌てて武蔵が急速減速をかけたが、ものすごい大波がそばにいた艦娘にかかってしまった。
「あ、あぁすまん!!・・・大丈夫か?」
ケホケホケホケホ!!とせき込んでいた艦娘がブルブルと犬の様に身震いした。
「あぁ!!びっくりした~~・・・・。」
「まるゆか。すまなかったな。大丈夫か?」
「ややや大和さんにむむむ武蔵さんっ!!」
まるゆは海軍式の敬礼をした。
「だだだいじょうぶです。ご、ごめんなさいこんなところでぼ~っとしていて。」
「ぼ~っとしていたのか?」
「は、はい。今日は非番なので、潜水訓練をしていたんですけれど、ついぷかっと浮かび上がってしまって。」
「調子、どう?」
大和が優しく問いかけた。
「駄目駄目です。急速潜航はできないし、潜水中もあまり早く動けないし、気を抜くとすぐに浮かんじゃうし、あぁ・・・私、駄目駄目ですよね。」
「そんなことないわよ。まるゆちゃんのおかげで、物資輸送任務が成功したこと、あったでしょう?」
あぁ、そうだったな、と武蔵も相槌をうつ。紀伊たちが赴任してくる前に、離島に出撃した艦隊が燃料不足のため帰投できなくなった。周りには深海棲艦が出没していて輸送艦では撃沈される恐れもあった。折り悪しく、駆逐艦隊も出払っていてドラム缶を駆使しての輸送もできない。
 そこで、まるゆが輸送艦として燃料を積んで出撃し、無事に艦隊に届けたのだ。
「時間がかかったけれど、あれは間違いなくまるゆちゃんの功績なのよ。もっと自信もって。」
「あ、ありがとうございます!じゃあ、わたしはまた訓練に戻りますから。」
そういうとズブズブとまるゆは沈んでいく。もっともそれは潜航というより、沈没していると言った方が正しかったのかもしれないが。
「なんというか、まるゆをみると、癒されるな。」
武蔵がつぶやいた。
「マスコットのようなものだってこと?それはちょっと失礼かもしれないわよ。」
「悪いな。だが、いい意味でだよ。」
和やかな目をしている武蔵を見ながら、大和は妹も変わったものだと思った。当初は巨砲大艦主義、戦艦温存主義と言うべき言動をしていたが、それは徐々に変わりつつあった。
(あの人が・・・紀伊さんがいらっしゃってからよね。尾張さんに対してもいい意味で感化できているし、紀伊さんが私たち艦娘の運命を変えたのかもしれないわ・・・・。)
大和はしみじみと思った。
「さ、もう一走りして戻るとするか。」
武蔵の呼びかけに、ええ、と答えながら大和も従った。

12:00 出撃まであと18時間――。
「今日は食べるデ~~ス!!!」
金剛の高らかな宣言と共に、全艦隊が一斉に『いただきま~す』と元気よく声を上げた。
 ここ、間宮の近くの野外広場では盛大なバーベキュー大会が行われていた。呉鎮守府の提督に倣って、葵が出撃前の大盤振る舞いを決行したのだ。
 それはバーベキューのみならず、山海の珍味がずらりと並ぶ盛大なものであった。酒こそでなかったものの、料理妖精たちが腕を振るった集大成が集結していたのである。
「うわぁ~~~!!!」
讃岐が声を上げて、喜んだ。
「見てみて姉様!!すっごいですね~~!!スイーツまで盛りだくさん、バイキング形式ですよ!!これ、いくらでも食べていいんですか!?」
「いいんですよ。」
通りかかった赤城が大皿に山のようにつんだ料理を運びながら微笑んだ。常人の10倍はあろうかという皿を軽々と両手に持ち、その上には負けず劣らず山のような料理をうまく盛り付けているのだった。
「うわ、すごい量・・・・。」
讃岐がつぶやいた。
「それ、全部食べるんですか?」
「全部?ええもちろんです。」
と、不思議そうな顔をして答える赤城。
「あなたもそれくらい食べなくては、体がもちませんよ。」
「いえ、遠慮します。見ているだけでお腹いっぱいになりそう・・・・。というか三段式甲板ができちゃいそうです。お腹に。」
「わわ、私、そんなに太ってますか??」
赤城が狼狽して顔を赤くしたので、周りにいた艦娘たちが楽しそうに笑った。
「あああごめんなさい!そういう意味で言ったんじゃ――。」
讃岐が数歩下がって、後ろにいた尾張にぶつかりそうになった。
「ちょっと!!どこに目ん玉つけて歩いてんの!?」
「なんですか!?尾張姉様こそ・・・・って、うえぇ~~~!!!!なんですか、それぇ。」
讃岐が口に手を当てて飛び下がった。尾張の手に下げたバケツの中にはピチピチと跳ねる生きた魚が入っていたからだ。
「何って・・・今釣りから戻ったのよ。見てのとおり生きた魚だけれど。」
尾張が白けた目で妹の狼狽ぶりを見ている。
「ままままさか、そのまま食べる気じゃ!?」
「違うわよ!!これを捌くの。」
「捌く!?そんなこと出来るの!?」
紀伊が思わず尋ねた。
「あなたと違って、私は包丁で指を切ったくらいで、気絶したりしないからね。」
それを聞いた紀伊が真っ赤になったので、皆大笑いした。鎮守府カレー大会で練習をしていた際に、指を切って朝まで気絶していたという話は、この横須賀鎮守府でも広まっているらしい。
「尾張姉様は、とてもお料理が上手なんですのよ。」
穏やかな声がした。振り向いた紀伊と讃岐は愕然となった。近江が赤城に匹敵するくらい料理の山の乗った皿を手に捧げている。
「うはぁ!!それ、全部食べるんですか?近江姉様。」
讃岐が目を見開いた。
「全部?ええもちろんですわ。」
不思議そうな顔をして答える近江にまた皆が笑った。それを遠くから眺めていた榛名が、
「こうして4姉妹で席を囲めるのも、いいですよね。」
金剛型4姉妹はそろってテーブルについて、料理を囲んでいたのだ。
「おおおお姉様、そんなにお食べになっては、のどにつまります!!ってほら!!」
やきもきしながら見ていた比叡が、金剛が胸をたたき出したのを見て、慌てて背中を叩く。
「ああもう!!これじゃまた鎮守府さくら祭りの二の舞ですよ!!」
霧島も榛名も加勢し、金剛はようやく息が付けるようになった。
「ふ~~~危なかったデ~ス!!もう少しでヴァルハラに行けるところだったデス。」
「本当に『デス』になるところでしたよ、もう少し自重してください。お姉様。」
霧島がたしなめた。
「わかってマ~ス。あぁ、でもあれもおいしそう!!榛名、行くデ~ス!!」
あ、ちょっとお姉様!!と手を引っ張られながら榛名が叫ぶ。それを見て霧島も比叡も続いた。
 そこかしこで、皆が皆、楽しいひと時を過ごしていた。その光景を鎮守府秘書官室から長門が見ていた。
「行かないの?」
後ろで陸奥が尋ねる。
「後から行くさ。だが、こうやって皆の騒いでいる姿を見ているのもいいものだ。」
「楽しまないと、本当の楽しさは味わえないわよ。」
「あ、おい!!」
陸奥に押し出されるようにして、長門が秘書官室を出ていく。


16:00 出撃まであと14時間――。
 尾張は一人、オレンジ色に染まった波打ち際を一人歩いていた。しゃんと背を伸ばし、俯くことなく、ひたすらに前を向いて尾張は歩いていく。彼女の青い瞳は何を考えているかわからない。普段と同じ表情だったし、出撃前の不安や高揚は全く感じられなかった。ふと、尾張の足が止まる。目の前には折から吹き出してきた夕凪に髪をなびかせながら佇んでいる紀伊の姿があったからだ。
「こんなところで、何をしているの?」
尾張に声をかけられて、紀伊ははっと振り向いた。そしてばつの悪そうな顔つきになった。
「不安だったから、夕日を見て気を紛らわそうとしていたのよ。」
あまりにもストレートな表現に尾張は思わずえっと声を上げていた。
「私だって人間だもの。機械じゃないもの。あなたみたいに不屈の闘志と精神を持っていればよかったのだけれど・・・・。」
「それ、私が機械みたいだって言ってんの!?」
尾張の剣幕にびっくりしたのか、紀伊が慌てて謝った。それがふとおかしくて尾張は思わずふっと声を漏らしてしまった。
「いいわよ、別にそんなにマジに謝らなくたって。こっちが肩透かしよ。」
「あ、ごめん・・・・。」
「だから謝らなくたって――。」
そのとき、サクサクと砂を踏む音がした。二人が振り向くと、近江、そして讃岐が歩いてくる。
「あれぇ珍しい!どういう組み合わせなんですか?」
「その言葉、そっくりそのまま返すわよ。」
声を上げた末っ子に尾張がフンと鼻を鳴らして応じた。
「あんたたちは何をしていたの?」
「久しぶりに近江姉様とお茶をして、ゆっくり話をして、ここに来たんです。ここ、一番の夕焼けを眺められるスポットだって言われて。丘から見下ろす景色もいいですけれど、ここで波打ち際にたってみる夕日もいいですね!」
既に夕日は半分沈んで、背後の空は紫色の様相を呈してきた。それを黙って4姉妹は見つめていた。不思議なほど誰も口を利かなかった。
「そうね。こうしてここで4人で過ごせること、とてもいい時間だわよね。」
夕日が沈み切って、あたりに薄闇が訪れ始め、ようやく紀伊が沈黙を破った。
「けれど。」
尾張が何か言う前に、紀伊は3人を見た。
「これで最後にはしないわ。勝って帰って、また4人でここで夕日を見るの。」
「夕日はいいけれど、今度は朝日も見てみたいですわ。ここに戻ってきて朝日を見たとき、本当の意味での私たちの人生が始まるような気がします。」
近江がしみじみと言った。それを聞きながら、紀伊は思った。今朝もそうだったが、生体兵器として、艦娘として今まで生きていたが、ミッドウェー本島攻略後にはその立ち位置も変わるだろう。いや、変えて見せなくてはならない。前世に支配される艦娘ではなく、生体兵器でもなく、一人の人間として、まっすぐ前を向いて自分の道を切り開いて進んでいくのだ。
そのためにも今回の戦いは絶対に負けられない。
紀伊はこぶしを硬く握りしめた。



21:00 出撃まであと9時間――。
 既に大半の艦娘たちが明日に備えて寝ている中、一人の艦娘が横須賀鎮守府、横須賀市街を見下ろす小高い丘に上ってきていた。
 そこには、幾多の戦没者等が祭られている祭壇がしつらえられていた。黒々とした御影石で出来ている祭壇はちょうど凸のような形をしている。でっぱりの部分には所狭しと戦没者の名前が刻まれ、淡い緑色の光をたたえる不思議な幻燈が4か所にともされていた。
「・・・・・・・・。」
彼女は持ってきた花束を底に置くと、静かにひざまずいて手を合わせた。
(どうか・・・どうか・・・・私に力を貸してください。そして、必ず全員が生きて戻ってこれますように・・・・誰一人死ぬことのないように・・・・・。)
はかない願いだとわかっていた。明日の戦いが文字通り生死をかけたものになることを彼女ほどわかっている者はいなかった。おそらく多くの者が傷を負い、幾人かは戦死するだろう。下手をすれば、全員がミッドウェー本島の海域に屍を浮かべるかもしれない。そうなればこの祭壇の石碑に、彼女たちの名前が刻まれることになるだろう。

 それでも祈らずにいられない。それでも願わずにいられない。

 生きて、再びみんなでここに戻ってこれますように、と――。

 彼女の長い黒髪が夜気に揺れ、靡いていく。美しいその横顔はただひたすらに仲間の無事を祈っていた。
「・・・・・・・・。」
後から上ってきてそれをじっと見つめていた葵は長いこと彼女を見つめていた。だが、呪縛から解かれたように軽い吐息を吐くと、ゆっくりと背後に近づいていった。
「赤城。」
優しく話しかけた葵に赤城はひざまずいたまま顔を向けた。
「とても綺麗だったわよ。」
葵は赤城の隣に立った。
「あなたのみんなの無事を想うその気持ち、顔に出ていたわ。とても綺麗だった。純粋な思いはそうやって人を美しくするのね。」
「こんな時に、こんなことを言うのですね。」
赤城が穏やかに言う。
「私は最後まで私だからね。連合艦隊総旗艦でも梨羽 葵でも私は私なのだから。それ以上でもそれ以下でもないわ。それはあなたもそうよ。」
「ええ・・・・。」
「そう言えば、加賀は?一緒じゃないの?」
「加賀さんには黙って抜け出してきました。どうしても最後にここで一人で祈りたかったんです。」
「一人で?」
はい、と赤城がうなずいた。
「私は、艦娘として就役してから呉鎮守府に赴任するまで、ここでいくばくかの時を過ごしました。私にとってここは特別な場所なのです。できれば・・・最後まで一人でいたかったのですが。」
邪魔だった?降りようか?という葵の問いかけに赤城が首を振った。
「いいえ、もう充分に祈りました。」
そう言ってから、赤城は立ち上がった。
「知っていますか?この幻燈、死者たちの魂を呼び寄せると言われています。艦娘でなかった時分、私の家族のうち、私の兄がここに眠っているんです。イージス艦の乗り組みとして深海棲艦との戦いで戦死した兄が。」
赤城がそっと祭壇の石を撫でた。すると不思議なことが起こった。ぼうっとその部分だけ淡い緑色に変わったのだ。
「これは・・・・?」
「空を見てください。」
促されて空を見た葵はあっと声を上げた。さっきまでの漆黒の空ではない。一面まるで精密な望遠鏡をのぞいたかのような星々がまばゆく輝いていた。赤い銀河、青い銀河などの色とりどりの銀河がまるで横須賀鎮守府の上空に集まってきたように輝いている。そして地平線と空との境はすべて淡いエメラルドグリーンに輝いていた。
「どうなっているの?夜じゃないわ。ううん・・・まるでこの世の物とは思えない光景ね。とても幻想的だわ・・・。」
「夢ですよ。」
赤城が微笑んだ。
「夢!?」
「ええ、普通ならこんなことはありえません。今、私も葵さんも夢を見ているんです。とても幻想的で、ずっとこの中にいたいと思えるほどの美しい光景。そして・・・・。」
いつの間にか緑色の光が無数に二人の前に後ろに、周りに集まってきていた。一面蛍のように淡く光ったり瞬いたりしている。二人の周りだけではない。横須賀鎮守府にも、市街地にも、そして海上にも無数の光が揺蕩っている。
「これは・・・死者たちの魂なのね?」
そう言った時、葵の目の前に3つ、光が並んだ。それはまばゆく発光したかと思うと、見る見るうちに人型の光となって降り立った。
 葵ははっとして数歩下がった。
「バカな!?そんなことはありえないわ。どうして・・・・ここに・・・・前世の私の姉たちが・・・・・?」
そこにはかつて夢で見たままの敷島、朝日、そして初瀬、いや、彼女たちだけではない。日本海海戦で共に戦ったかつての仲間たちが降り立ってきていた。
「これは、葵さんが想っている大切な人たちの姿です。残念ながら私には見えませんが・・・・。」
赤城の声を聴きながら、葵は数歩歩み寄った。

声こそ聞こえない。でも、確かにそこにいた。
葵の肩をしきりに強くたたく勝気な敷島。
葵をじっと見つめて何やら小言のようなものを言っている朝日。
そして、葵を優しく微笑んで優しく話しかけてきている初瀬。

いつの間にか葵は沢山の光の中に囲まれていた。
「自己満足かもしれない。でも、今わかったわ。私が思っている限り、私の大切な人たちは時空を超えて確かにここに存在するのね。」
どのくらい時間がたったのだろう、葵はほうっと息を吐き出して光の輪から離れた。すると光は飛び去り、後には赤城と葵の二人だけが残った。

 いつの間にか淡い光は消え、元の静かな暗闇が戻ってきていた。
「私は元々巫女の家に生まれました。私の家系は代々こうした死者との対面ができる力があるんです。とりわけ私が一番感受性が強いと言われていました。だからこういう光景を引き寄せることができたんです。いつもできるとは限りませんけれど。」
葵はぼうっとなっている頭を緩やかに振った。まるで幻想世界を何年も旅してきたかのように現実に降り立った感覚が戻ってこない。強いてそれを戻そうと足を踏みかえると、ようやくいつもの土の感触がなじんて来た。
「赤城。ありがとうね。どういったらいいか、言葉にはとうてい言い表すことのできないものを見せてもらったわ。」
「こうしていても私の死んだ兄は帰ってきません。」
やや冷たい声で赤城が言った。
「所詮は自己満足なのです。ですから、私は死者に対面したくはなかった。でも・・・・。」
赤城が不意に顔を背けた。長い黒髪が彼女の顔を隠した。
「でも、最後に私はそうしたかった。後悔してもいい。最後に私は・・・・・。」
葵は彼女を抱き寄せた。
「赤城。辛かったら――。」
「ええ!!辛いです!!」
葵の胸に顔をうずめて赤城が叫んだ。
「私は行きたくはない!!目の前で仲間が死んでいくところなんか見たくないんです!!」
嫌々をするように赤城が顔を振った。
「さげすんでくださって構いません!臆病者だって罵倒してくださって構いません!!そんなことは明日は決して言いませんから!!だから、だから、今ここで全部――。」
だからなのだ、と葵は思った。双璧の加賀ですらを拒んでここに一人来たのは、全部吐き出してしまいたかったのだと。
「あなたには私の大切な人たちを見せてもらった。今度は私があなたの力になる番よ。」
元連合艦隊総旗艦は機動部隊旗艦の髪を優しくなで、彼女をいつまでも抱きしめ続けていた。





深夜12:00。出撃まで6時間。マリアナ諸島司令部執務室にて――。
 眠れなかった。様々な不安と思いが頭や胸の中にぎゅうぎゅうと渦巻いていてちっとも眠れやしない。何度かベッドの上で寝返りを打ったが、次第に瞼を閉じることも億劫になった。いっそ起きてやれと思い、執務室に戻って窓を開けた。さわやかな夜の風が吹きこんできて、少しだけ不安な心を沈めてくれた。俺は窓枠に体をもたせ掛けて外を眺めた。相変わらずだな、夜の美しい星々の下青い海が輝いている。この光景を俺は何度となく眺めてきた。ある時は穏やかな気持ちで、ある時は不安と焦燥感を抱いて。だが、今の様な気持ちをもって眺めることは初めてだったし、今後これがないことを祈りたい。

 今日は、呉鎮守府の奴らと野外バーベキューだった。元々俺はそこに参加するつもりはなかったんだけれど、鳳翔や利根がどうしてもというんで、半ば引っ張られるようにして輪の中に入った。
 そして驚いた。奴らは食う。やたら食う。

 道理で前夜祭の食事会の請求書の桁が毎回増えているわけだ。俺もうっかり症だ。ま、今さらだけれどな。
 俺が早くもギブアップしても、奴らは食べ続けていた。それはまぁいいだろう。それよりももっと驚いたことがある。
 奴らは楽しそうだった。仮にも決戦前なのにだ。しかも、それが自分たちの命、ひいてはヤマトの運命を左右するかもしれない決戦だってのに。・・・・意外だった。最初はそう思ったが、すぐに違うと気が付いた。これが奴らの普段の姿なんだと。
 俺もいつの間にか奴らの輪の中で笑っていた。なんだ、これじゃ俺も同じ貉じゃないか。だけれど、それはそれでいいと思った。呉鎮守府艦娘らしいじゃないか。
 パーティーが終わって俺は一つ思った。もっと早くからこうして輪の中に入っていればよかった、と。今までは奴らに気遣って、輪の中に入らなかったが、俺自身はそれで損をしていたわけだ。
 
 人生は一度きりしかない。いや、俺は今までは人生はずっと繰り返しの再生だと思っていた。だから、人生を無為に過ごしても次の人生で取り返せばいいと、そう思っていた。

だが、ここにきて思った。完全に損をしたな、と。だからこれからは俺は悔いのない選択を、し続けたいと思う。おっと、話がそれちまったな。

 明日、すべてが決まる。

 少なくとも史上最大の激戦となる。これまで生き残ってきた艦娘たちのうち、何人が生きて帰れるのだろう。いや、それすらもおぼつかないのかもしれない。
 横須賀、沖ノ島からはミッドウェー本島攻略艦隊が、そしてここマリアナ諸島からはハワイに向けて陽動攻略部隊が出撃する。まさに総決算、総力戦だ。艦娘たちのな。

艦娘――。なんと不思議な運命に翻弄される人間だろう。人間でありながら前世の大日本帝国海軍の戦闘艦艇の生まれ変わりであり、その理念に今も支配されている。アイツらを動かしているのは何なんだ?誇りか?それとも責任感か?何があいつらを動かす?なぜこのヤマトをそこまで守ろうとする?

 俺は思うことがある。ヤマトの守りは本来であれば俺たち軍人がなすべきことだ。それが深海棲艦に歯が立たないからという理由で艦娘に任せきりにしてしまい、あいつらを駒のごとく使い、自分たちは後方で指令だけ与えている。かくいう俺もそうだ。それはいいのか?そういう人間に、俺に、あいつらに『戦え』と指令する資格はあるのか?
 以前葵の奴が言ったことがある。日露戦争時代の大日本帝国海軍は総旗艦自らが先頭に立ち、敵の砲火を浴びつつ奮戦したのだと。そしてその将帥は常に艦橋で敵の砲弾にさらされながら微動だにしなかったのだと。
 残念ながら俺にはそうできるだけの勇気も胆力もない。だが、このまま後方で座してみていてもいいのかという感情もある。
 情けないものだ。冷徹であれば、こんな思いをしなくてもいいのだが。

 俺がほうっと息を吐いたとき、遠慮がちなドアのノックの音がした。俺は後ろを振り向いた。

 一人の艦娘が後ろ手にドアを閉めて立っていた。その艦娘は俺がまだ起きている様子を見て一瞬目を見開いた。
「まだ・・・起きていたの?」
俺はうなずいた。そして思った。今からどのような結果になろうと、このやり取りは記録しておきたいと。思い出が色あせることがないようにと。


「起きていたさ。」
俺は声を出した。


「とても眠れるような心境じゃないからな。お前こそ、こんな時刻に起きていては明日の出撃に差し支えるぞ。・・・・瑞鶴。」
正面から俺をひたっと見つめていたのは、瑞鶴の奴だった。こんな夜だというのに寝巻ではなく、普段の弓道衣装を着ている。いや、改二になって、改装前の弓道衣装と変わらないかもしれないが、俺には瑞鶴の奴の放っているオーラが段違いになっているのがよく分かった。これが熟練と言うやつなのだろう。
「わかっているわよ。」
瑞鶴は不意に顔を横に向け、不機嫌な声を出した。
「だったら早く・・・・いや・・・・。」
俺は言葉を途中で飲み込んだ。
「それともここにしばらくいるか?」
「えっ?」
瑞鶴が目を大きくした。
「そこに椅子がある。飲み物は冷蔵庫に入ってる。寒かったらそこに毛布があるぞ。俺は話下手だからな、たいしたもてなしはできん。それでいいのなら――。」
「ありがとう。」
最後まで聞かず、瑞鶴は椅子を引きずってくると、俺の隣に引き寄せて座った。妙な気分だ。二人してこうして椅子に座って夜の海を眺めるというのは。
「私さ。」
窓枠に両手を乗せ、海を眺めながら瑞鶴は唐突に話しかけてきた。
「一番最初のころのこと、思い出してた。何が何だかわからなくてここに来たんだよね。翔鶴姉と二人で。その翔鶴姉だって会うまでは前世の姉妹艦だったなんて全然知らなくて、それまでは他人で・・・・別々に育ってて・・・・。」
そうか、コイツにはちゃんと家がある。実家がある。そして家族がいる。それは翔鶴もみんなも同じことだ。そんな当たり前のことを俺は今更ながら感じていた。
「お前の実家の事、話題に上らなかったな。」
「当り前よ。こうして『瑞鶴』として生きていることを決意した瞬間に・・・・それまでの名前やらなんやらは捨ててしまったもの。」
「だが、家族は別だ。そうだろう?今だって時折会いに行ける時間はある。その時はお前は『瑞鶴』じゃなく、ただの一人の10代の女として家族のもとに帰るんだ。」
「提督の口から『女』って言葉を聞くと、ちょっとやらしい気がするかな。」
瑞鶴は少し笑った。
「悪かったな。」
「ううん。いいの。」
さっと衣擦れの音がかすかにしたかと思うと、俺の左腕に柔らかいものが押し付けられた。
「あ、おい!」
「ね、しばらくこうさせて。肩を貸して。」
瑞鶴が俺の右腕に自分の腕をからませ、顔をもたせ掛けてきた。妙な気分だ。普段ならこんなことをしていたら間違いなくつるし上げられるのだが。とても安らかな気分だ。いつまでもこうしていたいと思う。鳳翔が聞いたら怒るかもしれないがな。いや、あいつもこの光景を見たとしても微笑んでそっとドアを閉めて――。
「提督。」
横合いから声が聞こえた。
「なんだ?」
一つかすかに息を吸い込む音が聞こえて、
「運命って、信じる?」
「急になんだ?俺は信じるか否かと言われれば、あると信じる。この世は必然だけで成立するもんじゃないからな。」
「だよね。でも、ね。」
瑞鶴はぎゅっと俺の腕を握る手に力を込めてきた。
「本当に楽しい事ばかりだったらいいのに・・・・どうして嫌なことやつらいこともついてくるのかな・・・・・。」
「瑞鶴?」
「提督、ごめんなさい。私・・・・ここにきてものすごく怖いの。今までこんなことなかったのに。」
俺は声もなく艦娘を見つめていた。あの負けん気の強い、いつも一航戦を意識しているこいつがこんな言葉を吐くなんて。
「私怖い。明日皆がどうなるのか。私がどうなるのか。皆ケガをしないか、私がしくじらないか、うまく作戦が行くのか・・・・そして・・・・・。」
瑞鶴は震える声で一番感じているだろう恐怖を口にした。


「私は生きて帰れるのかどうか・・・・・。」


俺は次の瞬間ぎゅっと瑞鶴を抱いていた。
「てっ、提督っ!!」
瑞鶴にとって長かったのか短かったのかわからないが、俺は体を離すと、両肩に手を置いて一語一語刻み付けるように話した。
「戦場に行くのはお前で俺じゃない。だから、どんな言葉をかけようとお前の不安を俺は払しょくできない。だが・・・・・。」
俺はゆっくりと言葉を継いだ。
「お前は本当に素晴らしい艦娘だ。一航戦にだって引けは取らん。俺は必ずお前が生きて帰ってくると確信している。絶対だ。」
これを読んでいる人がいれば、どうしてそんなことが、と思うかもしれない。だが、俺は知っている。瑞鶴のこれまでの鍛錬のこと、戦闘のこと、日常のちょっとしたしぐさやらなんやら全部ひっくるめてこいつのことを良く知っている。だからいえる。何度でも言える。こいつは明日死なない。死ぬわけはない。必ず生きて帰ってくる玉だって。
「提督・・・・。」
瑞鶴がどう思っていたかそれはわからない。というのは一言もなく奴は俺の肩に顔をうずめてそれっきり朝まで黙り込んでしまったからだ。俺は今でもこう思っている。あれは恋愛でも友情でもその他感情と呼べるものでは一切表現できそうになかったものだ。

ただ、一つだけ。あの時瑞鶴は自分の存在をこの俺に刻み付けたかったのだと。明日も知れない運命に翻弄されている自分の生きた証を呉鎮守府提督でありマリアナ諸島泊地司令官である俺という存在を通して残しておきたかったのだと。

そう思うんだ。
 
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