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SNOW ROSE

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乙女の章
  Ⅸ.Gigue


 瞬く間に月日は過ぎ去り、七年に一度の儀式が後三月と迫っていた。
 トレーネの森の教会では、シュカが聖所へと入れる様に準備が着々と進められていたが、ハンス王からの書簡は相変わらず届けられていたのであった。
 そんなある日のことである。三人の神父達がセレガの街へと赴いていた。それは、乙女であるシュカを大聖堂へと連れてきて、そこで音楽を奏させるための談判である。
 七年前にラノンにしてやれなかったことを今度こそはと、三人の神父達は死を覚悟で赴いたのであった。
 その少し前、同じ様な考えを持った二人連れが王都を出て、セレガの街にある大聖堂へと急いでいた。
 その二人連れとは、王のハンスと側近のスティーヴンスである。二人は馬を走らせ、冷たい風の吹き荒ぶ中を走り抜け、途中で馬を休ませるべく幾度目かの休憩を取った。
 馬に河原で水を飲ませている時、スティーヴンスがハンスに言った。
「本当に宜しかったのですか?この時期に城を開けるのは、やはり…」
「いや、今でなくてはならないのだ。それ故に元老院と貴族院を説得してきたのではないか。この法を施行すれば、必ずや教会が黙ってはいないだろうから、こうして来たのだ。」
 ハンスも馬に水を飲ませながら、心配そうなスティーヴンスに答えた。
 だが、教会がどう動くかなぞ見当もつかないことであり、この旅路でスティーヴンスは幾度も質問してハンスを困らせた。
「お前の言いたいことも解るが、これは両院で可決されたのだ。教会が行ってきたことに関しては、元老院は特に疑問を持っていたからな…。」
「しかし…」
「これ以上の問答は無用だ。」
 王であるハンスにこう言われては、さすがのスティーヴンスも最早口を閉ざすしかなかった。スティーヴンスが黙ったことを確認し、ハンスは馬を水辺から引き離して飛び乗った。
「先を急ぐぞ。」
 ハンスに言われ、直ぐ様スティーヴンスも馬に跨がり、そのまま二人は馬を走らせてセレガの街へと急いだのであった。
 辺りには枯れ葉が寒風に舞い、日はその温かさを失ったかのようなか弱い光で照らしていた。
 もう少しで目的地である…。

「それはならん!!」
 セレガ大聖堂の一角にある大司教の部屋より、雷のような怒声が轟いた。
 声の主は大司教ではなく、時期大司教と目されているヴィンマルク卿ネッセルであった。
「そう声を荒げるでない。」
 部屋の主である大司教が言った。だが、ヴィンマルク卿は耳を貸さず、続けて喚きたてた。
「しかし大司教。トレーネの乙女が森を出るなぞ、有り得てはならぬことですぞ?そのようなことを許可したともなれば、それこそ神への冒涜と…」
「黙りおれ!それは汝が決めることではない!」
 大司教は到頭腹に末かねてヴィンマルク卿を怒鳴ったため、さすがのヴィンマルク卿も恐れをなし、渋々と口を閉ざさざるを得なかったのであった。
 今ここで大司教と争えば、この後の運命すら変わる恐れがあったからである。
 静かになったヴィンマルク卿の前には、トレーネの森から赴いてきていた三人の神父が立っていた。
 その三人の神父達に大司教が言った。
「煩くてすまぬな。そのことはわしも考えてはおったのだ。だがの、民と他の司教達を説得するのは容易ではないのじゃ。ゲオルク神父の時もそうであったが、時期尚早と言えようぞ。」
 この大司教の言葉に、ヴィンマルク卿はニヤリといやらしい笑みを溢した。しかし、それで黙って引き下がる神父達ではない。
 七年前、今は亡きゲオルク神父も破門されかけるまで根気強く説得を試みたのである。ここで引き下がるという選択肢は無いも同然と言えた。
 そこでヴェルナー神父が大司教へと言った。
「畏れながら、大司教様。聖文書だけでなく、わが教会に伝わるグロリア書、またそれよりも古き聖ブリセの予言書にすら、乙女が森の外へと出てはならぬとは書いてありませぬ。」
 ヴェルナー神父の言葉に、直ぐ様反応を示したのはヴィンマルク卿であった。
「黙れ!たかが神父の分際で聖句を勝手に解釈しようなぞ…」
「ヴィンマルク卿、汝は外へ出ておれ!」
 またもや口出ししたヴィンマルク卿は、大司教に怒鳴られて部屋を追い出されてしまったのであった。
 あまりにも大きな大司教の声に、三人の神父達は兎も角、怒鳴られたヴィンマルク卿は顔を蒼くし、逃げるように部屋を後にしたのであった。
 ヴィンマルク卿が外へと出て行った後、大司教は溜め息を洩らして三人の神父へと言った。
「汝らの言い分は解るのだが、教会の教義は長い年月を掛けて築かれたもの。それを簡単に変えるわけにはゆかんのじゃよ。」
「それでは…逆はどうなのでしょうか?」
 大司教の答えに、今度はマッテゾン神父が問った。それを聞いた大司教は、その目を丸くしたのであった。
 要は、出てこれないのであるならば、聴き手を招き入れるというのは許されるのではないかと言うことである。
「馬鹿な!あのトレーネの森は聖域ぞ?邪な心を持つ者を迷わせるのだ。危険であろうが!」
 大司教の言葉は尤もである。それ故、三人目のトマス神父が待ってましたとばかりに言葉を足したのであった。
「御安心下さい。お招きするのは司教様方と国王であらせられるハンス様、それに大司教様ですので。」
「な…!?」
 開いた口が塞がらないとは、まさにこのことであった。
 もし仮に、一人でも司教が迷うようなら教会の威信に傷が付き、それ以上に断りでもすれば、この大聖堂に邪な心を持つものがいると言っているようなものなのである。
 二者択一。どちらにしようとも神父達の勝ちと言うわけなのであった。
 静かに大司教が考え込んでいるその中に、先に追い出されたヴィンマルク卿がすごすごと姿を見せた。
「何事じゃ。」
 不機嫌な顔を顕に大司教が問うと、未だ蒼い顔のヴィンマルク卿が国王が大聖堂に到着したことを告げたのであった。
「何故このような時に国王が…!?」
 この知らせを聞き、今度は三人の神父達が笑みを溢す番となった。
 たが、大司教は困ったと言わんばかりに額に手を当てて言った。
「仕方あるまい…。直ぐにお通しするのだ。」
 星宿の儀式以外で国王が大聖堂へと赴くなぞ、これこそ前代未聞の出来事であった。過去に一例もなく、余程のことかと大司教は考えた。よもや同じことの繰返しになろうとは思いもせずに。
 国王が大司教の部屋に通されてから二時間程後、話し合いは未だ平行線を辿っていた。
 院で可決された立法と教会の教義とが相容れないためである。
「いかな王とは言え、国教の教義を変えるわけにはゆかぬ。」
「そうではない。元に戻せと言っておるのだ。」
 ずっとこの有り様である。
 このような押し問答が続いている中、部屋の暖炉に薪をくべるべく使用人が幾度か来ていたが、大司教と国王の手前、仕事がやりずらくて仕方なかったであろう。
 火を絶しても怒られ話を聞いても怒られる…。見ていた神父達は、その使用人が憐れだと思わずにはいられなかった。
 そして暫くの後、大司教が根負けして一つの案を飲むことにしたのであった。
 それは三人の神父達が持ってきたもので、大司教を始め、この教会の十六人の司教と国王ハンスを聖グロリア教会へと招くことである。
「今はこれしか出来ぬ…。」
 この一言で、三人の神父達はやっと胸を撫で下ろすことが出来た。これで一歩、ゲオルク神父とラノンが描いていた事柄に近付けたからである。
 だが、それにすら条件が付け加えられた。
「行うのは星昇の儀式の前日とし、わしと国王で選出した者達も儀式を見届けることとする。」
 大司教のこの発案は、儀式が正当なものか否かを見極めるもので、国王ハンスが院で可決した立法を擁護するかを判断するためのものでもあった。
 そこまでしなければ司教達だけでなく、入信している民とて納得することはないと考えたからである。
 古より続けられてきた儀式が自らの代で途絶えようと、それが神の望むことであるならば、大司教はその地位と生命を賭けて三つの儀式を絶つこと宣言する覚悟であった。
「国王ハンスよ。我が総てを賭けて見極めようぞ。それまで暫し静観せよ。」
 これは三人の神父達に言った言葉でもあり、皆はそれに従う他はなかった。
 時は砂のごとく静に落ち去り、トレーネの森でも王都でも、何事もなく平安な日々を受領していた。
 だが、大司教の失脚を望むヴィンマルク卿は一人で奔走していた。裏で手を回し、司教達を自分の懐へ入れようと躍起になっていたのである。

- 必ずその地位から引き摺り降ろしてやる!もう老いぼれの時代は終わりだ。カビ臭い神なぞ何の役に立つものか! -

 薄暗い笑みを湛えたヴィンマルク卿は、そうしてまで地位を欲していた。
 それがどのような意味を持つのかさえ解らぬ青二才であったヴィンマルク卿は、その後の出来事に深い後悔をすることになる。
 トレーネの森は神が定めた聖域であるということを、この憐れな男は信じてなかったのだから…。



 
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