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SNOW ROSE

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乙女の章
  Ⅶ.Menuetto


「スティーヴンス、解ってくれ。私は彼女以外と婚姻を結ぶつもりはないのだ。」
 ここは首都リヒテにある王城である。リヒテの都は、後にプレトリウス王国の五番目の主要都市となり、貿易の街アッカスから王都プレトリスまでを繋ぐ要の街として栄えることになる。
 さて、ここで話をしているのは王であるハンスと、彼の側近であるスティーヴンスである。
「しかし王よ、あなたが王位に就かれてから四年も経つのです。周囲の国々からも多くの申し入れがきておりますし、第一、彼の娘は教会の乙女ではありませんか!」
「それがどうしたと言うのだ!私は彼女とでなければ、絶対に婚姻は結ばん!」
 この日スティーヴンスは、全く見合いを受けぬ王に進言していたのであった。だが、ハンスは悉くそれらを拒否し、トレーネの森で出会った娘ではないと婚姻せぬと通したのである。
 しかし、これはかなり危険な駆け引きであり、このことが大聖堂の司教達にでも知れようものなら、破門されて王位を剥奪されかねないのである。
 ハンスとてそれは知っている。だが、自らの心を偽り、画策された政略結婚をする気などは毛頭なく、自ら愛する者と一緒になることは王位に就いた時から決めていたのである。
 それは、この王家に嫁いできた母のことが原因と言える。
 ハンスの母アンネは、隣国カツィオル王家から嫁いできたが、このカツィオル王家が裏切り行為をしたために、アンネは見せしめに処刑されてしまったのである。
 それはハンスが未だ四歳の頃の話であり、それ以降、その出来事はハンスに深い陰を落としていた。
 そのためか、ハンスは王としてではなく、人間としての婚姻を皆に認めさせたかったのであった。
 だが、トレーネの乙女との婚姻を通すとなると、かなりの艱難が待ち受けている。
 それを認めさせるということは、即ち「教義を変える」ということを意味するからである。
 この教義には国の行く末を見る“星宿”、乙女の選出をするための“星落”、そして乙女を神へと捧げる“星昇”(奉納)の三つの儀式があるため、単純に直せばよいと言える問題ではないのである。
 古より伝承されしものを否定せず、尚且つ新しく創り変えることが絶対的な条件と言えようが、これこそ神の御業に頼らねばならぬ代物と言えよう。

 この日の話も平行線で終わりをむかえ、結局は何一つ進展することはなかった。
 暫くしてハンスは引き出しから一通の書簡を取り出し、それをスティーヴンスに渡して言った。
「すまないが、またこれを頼む。」
 そう王にいわれたスティーヴンスは、溜め息混じりに王に返答した。
「王よ、彼の娘は未だ子供と言えます。何故にここまで無理を通すのですか?」
 その言葉に王は多少ムッときたが、直ぐに気を取りなおして言ったのであった。
「スティーヴンス、私は彼女がこの国に必要だと直感した。そして、私は彼女を…愛したのだ。」
「勘…みたいなものですね…。まぁ、いいです。兎に角、この書簡を届けに行きますので、王は謁見の用意を整えて下さい。では、これにて失礼致します。」
 馬耳東風だと分かると、スティーヴンスは王へ礼を取って部屋から出ていってしまったのであった。
 一人きりになった部屋の中、ハンスは静かに過去を振り返っていた。
 トレーネの森でゲオルク神父が亡くなってから、早五年の月日を経ていた。
 無論、乙女ラノンは泉へとその身を委ねている。ゲオルク神父の葬儀から三月後のことであったが、その詳細は知られていない。
 それを記した者がいなかったのである。
 乙女シュカが記した日記は現存しているものの、ラノンが聖所へ籠った時から後二月が空白になっているため、シュカはラノンの行く末を知っていたとも言われているが、それを立証するものは未だに見つかってはいない。
 ハンスは大聖堂でのことやトレーネの森での出来事を回想し、それから深く溜め息を吐いた。
「私には…彼女が必要だ。シュカ、君を消し去ることなんて…出来るわけがない…。」
 そのハンスの言葉がこの時代、どれ程の非難を浴びるかなど、王であるハンスは充分に理解していた。だが、どうしても譲れない願いというものは誰しにもあるものであろう。
 それが一介の民であろうと、そして玉座に就く王であろうと…。
 その後ハンスは席を立ち、午後の謁見を行うべく部屋を後にした。
 廊下に出ると、窓からは晩秋の柔らかい光が差し込み、移り行く季節を感じさせていた。
「もうすぐ冬…か…。」
 ハンスはそう一人呟き、少しの間廊下の窓から高い青空を眺め、そして謁見の間へと赴いたのであった。
 さて、一方のスティーヴンスは馬に乗り、王の書簡を届けるべく先を急いでいた。
 首都リヒテからトレーネの森までは、馬でも約二日かかってしまう。それ故、スティーヴンスはいつも書簡を届ける際、中途にあるツェルトと言う街で一泊し、トレーネの森へ書簡を届け終えた後には大聖堂のあるセレガの街で一泊する。そこからの帰途で再びツェルトで一泊することになる。
 今回も同様の道を想定していたものの、途中のツェルトへ向かう橋が崩落し、その架け直しの最中であったために遠回りしなくてはならなくなった。
「参ったなぁ…。」
 仕方なくスティーヴンスは一旦引き返してもう一方の分岐点まで戻ると、今度は他方の道に馬を走らせた。
 こちらの道は小さな村が五つ程ある旧道で、泊まることには不自由はないのであるが、ほぼ倍に時間を取られてしまうのであった。
「はぁ…キリエの村に入ったら王へ書簡を送らないとなぁ…。」
 馬上でスティーヴンスはぼやいた。
 結局トレーネの森へ着くまでに、キリエ、サン、ベネ、ノービスの四つの村へ泊まることになった。
 その一つであるノービスの村で、スティーヴンスは不可思議な話を聞いた。

-‘トレーネの森には、旧き時代に建てられたもう一つの教会がある。そこには真実の聖文が刻まれ、それは歴史を変える…'-

 この話しは、ノービスの村の長老の妻であるメリッサが話したものである。
 このメリッサだが、五十年程前に滅んだヴェルヌ家の生き残りであった。
 このヴェルヌ家は代々トレーネの森の一部を所有し、口伝により様々な事柄を伝えてきた。その一つが教会の話しなのである。
 今迄聞いたこともない話しであり、信憑性に欠けることも否めないが、スティーヴンスは心に留め置くことにしたのであった。
「ゲオルク神父であったなら、何か知っていたかもな…。」
 そう呟くと、秋の高い青空を背に馬を走らせた。もう一息でトレーネの森である。
 そのトレーネの森へ行くには、大聖堂の街セレガに入らなくてはならない。厄介なのは司教達に見つかってしまうことであるが、この時は運良く司教達にも出会わずに森へと入ることが出来た。
 森へ入って暫くするとスティーヴンスは馬から降り、近くの木へと繋いだのであった。
 そこから先は、馬を入れることが許されていないからである。
 スティーヴンスはそこから一時間程歩みを進め、やっとのことで聖グロリア教会へと辿り着いた。
「やはり、いつ見ても美しい教会だ。」
 外の景色とはまるで違い、春のような淡い光に照された教会は、その純白の美しい姿を誇示していた。それは真っ白な花のようで、森の瑞々しい緑によく映えていた。
 スティーヴンスはその様な景色の中、正門から中へと入り、そのまま神父達の執務室へと直行した。
「これはスティーヴンス殿、よくぞ参られた。」
 中にはよく見知った二人の神父がいた。
 一人はヴェルナー神父であり、もう一人はマッテゾン神父である。
 もう一人、ゲオルク神父亡き後に着任したトマス神父は不在であり、どうやら乙女達の勉強をみているようであった。
「また、王からシュカ宛の書簡ですかな?」
 苦笑いしながらマッテゾン神父が問ってきたので、スティーヴンスも苦笑しつつ答えた。
「はい、いつものように…。」
 その返答を聞いたヴェルナー神父は嘆息し、ぼやくようにして言った。
「王にも困ったものだ…。手紙は確かにお渡しするが、シュカは運命を担う乙女なのですがな。本教会大司教に知れたら、王とてただでは済みますまいに…。」
 解りきったことであるが、言わずにはいられないのがヴェルナー神父なのである。
 そんなヴェルナー神父を見て苦笑しつつ、マッテゾン神父は突っ立ったままのスティーヴンスに椅子を勧め、自身はお茶を淹れに食堂へと出て行ったのであった。
「して、未だに諦め切れんと?君にも説得は難しいと言うのか…。」
「ええ、幾度も進言を試みましたが…。王には早く婚姻を結んで頂かなくては困りますし、だからと言って無理強いをしても…。」
 スティーヴンスはヴェルナー神父の言葉に嘆息しつつ答えた。
 その答えにヴェルナー神父は暫し目を閉じ、そしてスティーヴンスに言った。
「分からんでもない。君は王の家臣であり親友であって、教会の者ではないのだからな。全く…君の様な者を板挟みにするとは…本当に困った王だ。」
 ヴェルナー神父が幾度目かの溜め息を洩らした時、マッテゾン神父が扉を開いてお茶を運んできた。
「お待たせ致しました。今日はシュカとドリスがタルトを焼いてましたから、良かったら召し上がって下さい。」
 マッテゾン神父はそう言って、スティーヴンスとヴェルナー神父の前にタルトと紅茶を置いた。
 タルトの香ばしい匂いと紅茶の芳醇な薫りが鼻を擽り、スティーヴンスは微笑んで皿に手をかけた。
「木苺のタルトですね。では、頂きましょう。」
 そう言って一口頬張ると、口の中に広がる甘酸っぱさと、下に敷かれたアーモンドソースの香ばしさが絶妙に絡まり、何とも言えない至福の味を感じた。
「お気に召したかな?」
 ヴェルナー神父が微笑みながら聞いてきた。
「ええ、こんな美味いタルトを食したのは初めてですよ!」
 そのスティーヴンスの言葉に、二人の神父は満足げに頷きあったのであった。
 この二人の神父だけでなく、シスター達や新しく着任したトマス神父も、シュカが焼くこのタルトを大変好んでいた。
 このタルトはシュカのオリジナルであり、実はラノンとの思い出を忘れぬ様にと創り出されたものであった。皆がそれを知ったのは、ラノンが旅立ってから一年程経たラノンの誕生日の日である。
 朝早くから食堂に火が入れられていたため、シスター・ミュライが見に行くと、そこにはエプロンをしたシュカがいた。
 不思議に思ってシスター・ミュライが問うと、シュカは寂しげな微笑みを浮かべて言った。
「だって…ラノンの誕生日、一度も祝えなかったから…。」
 そしてシュカは、黙々とこの木苺のタルトを作ったのである。
 その話しを皆が聞くや、シュカの魂の強さと信仰の深さに、そして何よりも心の優しさに胸打たれたという。
 シュカの焼いたタルトを前に、二人の神父はその時の事を思い返していたが、現在の難問を思い出して溜め息を吐いたのであった。
 マッテゾン神父は紅茶一口飲むと、仕方なさそうにヴェルナー神父に言った。
「まぁ、いつものこととは言え…ヴェルナー神父、このままというわけにも…。」
 そのマッテゾン神父の言葉に、ヴェルナー神父は額を掻きながら口を開いた。
「それはそうだが…。今、伝えておくべきか…。」
 言うべきか言わざるべきか迷った風に、ヴェルナー神父は目を閉じた。そして暫くしてからスティーヴンスへと言った。
「スティーヴンス、これから君に伝えることは、他言無用に願えるかな?」
「はい、御信用頂いて結構です。」
 ヴェルナー神父の重い口調に、スティーヴンスは身を正した。
「ラノンが…あの泉に入水する直前に、我らにこう告げたのだ。“私が最期となりましょう”とな。」
 スティーヴンスには、その言葉の意味が解りかねた。
 乙女が“星昇”または“奉納”と呼ばれる儀式で泉に入水して神にその身を捧げることは知っている。しかし、その乙女の最後の言葉が“私が最期となりましょう。”とは、普通であれば言わないであろう。
 それも信仰のある者なら尚更である。
 だが、乙女ラノンは、はっきりとそう言ったのだと言うのである。
「その言葉が果たして神から来たものなのか、それともラノン自身の願いなかは定かではない。私はな、王とシュカのことをもう暫く伏せて置くことにしようと思っている。ラノンのこの言葉が、一体何を意味しているのかを見極めるために。」
「ヴェルナー神父…。」
 何ともつかぬ顔付きのヴェルナー神父を見て、もしかしたら…そうスティーヴンスは直感した。
 神でも何でもいい。皆が幸福になれるのであれば、自身の命など惜しくはないと、スティーヴンスは常々思っていた。
 もし仮に、王がシュカと結ばれるのならば、自身が身代わりになっても良いのである。
 尤も、これは無理な話しではあるのだが、彼の覚悟は白き薔薇の証を受けた時から決まっていたのである。
「何にせよ、今日明日に解ることではない。王には今までの通りに伝えておくように…。」
「承知しています。それでは陽も傾きかけてきております故、私はこれにて失礼させて頂きます。」
 そう言ってスティーヴンスが椅子から立ち上がると、横からマッテゾン神父が包みを彼に渡した。
「これは?」
「シュカの焼いたバターケーキです。日持ちしますから、王にいかがかと思いまして。」
 思いも掛けない手土産に、スティーヴンスは恐縮しながら包みを受け取った。
「有難う御座います。王もさぞ喜ばれることでしょう。」
 その後、二人の神父に見送られスティーヴンスが正門まで出た時に、不意にノービスで聞いた話を思い出してヴェルナー神父に尋ねてみた。
「私は聞いたことはないな…。もし教会の古文書になにかあれば、直ぐに君宛に届けさせよう。」
 ヴェルナー神父は微笑みながらスティーヴンスに約束したのであった。
「では、気を付けて参られよ。神の祝福があるように。」
 それからそのまま、スティーヴンスはこの聖グロリア教会を後にし、王城へと帰るべく帰路についたのであった。
 リヒテの都へと戻ったスティーヴンスは先ず、王に会って教会からの土産を渡した。例のバターケーキである。
 ハンスは喜んで包みを開くと、そこから一通の書簡も出てきた。
 ハンスは封を開き書面に目を通して驚いた。
「シュカからではないか…!」
 送り主は、ずっと待ち望んでいた人からだったのである。
 内容はさして他愛もないものであったが、その後暫くの間、王ハンスの機嫌が非常に良かったと伝えられている。
 さて、それから間も無くしてスティーヴンスの元に書簡が届けられた。送り主はヴェルナー神父であり、どうやら古文書が保管されていたようである。
 直ぐに中を確認したが、そこには不可思議な事柄が記されていた。
 実際は聖グロリア教会には全く関係ないのであるが、少なく見積もっても古文書自体が二百年近くも前のものとのことで、不明瞭な点が多いとヴェルナー神父の言葉が添えられていた。

-清く聖別されし大地に、白き薔薇咲き誇る時来れり。原初の神は女と男を一人づつ高くし、女には大地を、男には時を司らせんとす。時満ちて流れ行く音ありて、神はそれを善きものと定めたもう。然りて、幼き者その音と共に神に愛され、神は幼き二人を御下に呼び寄せ、彼の者らの名を高くしたもう。されど、音絶えし時、人々は神を忘れ争いを起こさん。-

 これは古い時代の神父が、話しにあった教会の壁に彫られた文を書き取った一部である。
「なんともなぁ…。」
 残念なことに、この古文書の大半は劣化しており、これ以上の解読は不可能とのことであった。
「預言…なんだろうか…?」
 スティーヴンスは一人呟いたが、その答えは数百年先になるのである。
 スティーヴンスはその書簡を机の引き出しの奥へと仕舞うと、そのまま席を立って私室を後にしたのであった。
 この書簡はその後、誰の目にも触れることはなく、その秘密を明かすことなく役目を終えることとなる。



 
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