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ラインハルトを守ります!チート共には負けません!!

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第七十五話 捕虜交換式典です。

帝国歴487年4月19日――。
 内乱中から、エステル・フォン・グリンメルスハウゼンはサビーネ・フォン・リッテンハイム・・・いや、サビーネ・フォン・アルテンシュベルクの「話し相手」として共に過ごすこととなっていたが、1月になって二人のその境遇が変わった。正式にアレーナ付きの侍従武官となったのである。サビーネは少尉として任官し、エステル・フォン・グリンメルスハウゼンは少佐に昇進した。
「サビーネをよく見ていてね。」
アレーナの頼みにエステルはうなずいた。サビーネ・フォン・リッテンハイムは時折数千光年の遥か彼方、いや、もっともっとずっと遠いヴァルハラに思いをはせているような遠い目をして窓の外を見ていることがあったからだ。
「もう少し落ち着いたら、あの子をフィオーナ付きの副官にしようと思うの。」
「それがよろしいかと思います。あの方でしたら、サビーネ様を気遣ってくださいますわ。」
「私がそれを命令するけれどね。」
一瞬にやっとしたアレーナだったが、すぐに顔色を沈めて
「本当なら私がずっとあの子の側にいてやりたいし、そうしなくてはならないけれど、私自身も忙しい体になりそうだからね。」
最後はつぶやくようだった。一瞬だったが彼女もまた遠いヴァルハラに思いをはせていたようにエステルには見えた。
「さぁ。フィオーナたちが戻ってくる間にやることをやっておかないと!」
自分にカツを入れるかのようにポンポンと頬を叩くと、エステルを伴って自分の部屋にこもったのである。ここが彼女の司令塔であった。様々な改革案がこの部屋から電波さながらに各セクションに飛ぶのである。ラインハルトはいずれ権力を手中に収めた暁には、アレーナを内務尚書あるいはもっとずっと上の帝国宰相の地位につけることを考えていたし、アレーナ自身もそのつもりで動いていたのである。


 さて、そのフィオーナらであるが、無事に航海をつづけ、フェザーンに到着し、自由惑星同盟及びフェザーンの首脳陣に到着を伝え、最終的な打合せをあらためて行っている。これが帝国歴487年4月19日の事である。


 打合せを終え、フェザーン回廊にて、大艦隊を従えた両勢力はフェザーンから派遣されたボルテックの立ち合いの元、それぞれの捕虜となった将兵を交換にかかった。
 この場合交換は輸送艦ごと行うのである。そのため、両勢力はあらかじめ拿捕していた互いの相手国の艦船を多数用意してそれに捕虜を搭乗させていた。むろん足りない数についてはフェザーンから民間輸送船を多数チャーターして対応に当たったのである。フィオーナはこの機会にフェザーンからの民間輸送船技術を帝国に導入すべきだとイルーナ、アレーナに進言して同意を得ていた。アレーナが構築している民間の恒星間輸送会社には既にフェザーン製の輸送船がそろいつつあったし、スタッフも幾人か教育官を招いてもいたのである。アレーナはいずれ帝国の主だった会社については悉くそうした処置を取って、近代化を進める意向であった。

 専制政治における会社と民主政治における会社とではその名前は同じであっても体質などは全く異なるのである。前者は保守的であり、後者は投機的かつ冒険的な性格を持つ。

 ともあれそれはまだまだ先の話であった。

 この時期大将となっていたフィオーナは専用の旗艦を与えられている。艦の名前をヘルヴォールという。ブリュンヒルト級の次世代艦の一隻として淡い水色でコーティングされた艦である。透き通るような空の色を見たフィオーナは一目見てこの艦を好きになった。だが、ティアナはこの艦の名前を聞いた瞬間に大笑いした。

「ヘルヴォールってあっちの同盟語だと『地獄の壁』っていう意味でしょ!?フィオに似合わない事この上ない名前じゃないの!!じ、地獄の壁――。」
その後には澄んだ笑い声が部屋の光度を100ルクスばかり跳ね上げた。部屋の隅でバッタになってお腹をよじって笑っている親友を見ると、さすがに憮然として立っているほかなかった。
「古代神話では『盾持つ乙女』の名前から来たものだそうですよ。私はフィオーナさんによく似合っている艦名だと思います。」
と、レイン・フェリルが言ってくれたので、フィオーナはそれ以上顔を赤らめずに済んだ。もっとも、ウィーザルとかバレンダウンとかトリスタンとかベイオウルフだとかアースグリムだとかそう言った名前が良かったと思うところもまだあったのも事実だったが。

 その「地獄の壁」または「盾を持つ乙女」という相反する意味合いを持つ捕虜交換遠征艦隊総旗艦は護衛艦たちに守られ、重厚な艦列の中にあってブリュンヒルト並の通信システムをフル稼働して輸送艦らの艦列を動かし続けていた。
 300万の帝国軍と300万の同盟軍を交換するということは、単純な計算においても2個艦隊約3万隻の将兵を構成することとなる。むろん捕虜を交換するのは輸送艦などが用いられるから、艦艇の数はもう少し小さくはなるのだが、それでも万単位の艦隊を用意しなくてはならないという事で、この作業は困難を極めた。しかも、交換後には臨検が待っているのだ。

 そこで、事前にフィオーナはフェザーンを通じて自由惑星同盟に対してこんな提案を送っている。
「回廊内部は狭く、とても大艦隊が交差することはできません。かといって交通整理もままならないことはお分かりだと思います。そこで、構成員を1万人ずつに区切り、全部で300の班を作ります。交換は60班ずつを5日間にわたって行うことにいたしましょう。私たちは惑星フェザーンの銀河基準面南極方向から、自由惑星同盟の方々は銀河基準面北極方向から、それぞれ一方通行で輸送艦を航行させます。輸送艦の航行については互いの捕虜の方々に一任し、私たちは後方にあって輸送艦を受け取るだけにしてはいかがでしょうか。」
この提案を受けたアレクサンドル・ビュコック中将は老眼を細め、傍らのチュン・ウー・チェン少将、ヤン・ウェンリー少将、ラップ大佐、ファイフェル少佐に紙片を渡した。
「向こうの派遣軍の娘さんの提案をどう思うかな?儂としてはなかなかに良い選択肢だと思うのだが。」
既に派遣軍の総司令官がフィオーナ・フォン・エリーセル大将だという事はビュコック中将らは知っていたのである。
「良いのではありませんか。私から見ても理にかなっております。今回の捕虜交換はとても1日で交換できるような数ではありませんから。5日間という期間を長いという人間がいれば、代替案を提案させればよろしいでしょう。」
と、チュン・ウー・チェン参謀長は穏やかに言った。ヤンもラップもファイフェルも異存はなかったが、ファイフェルは少し警戒態勢を構築した方が良いのではないかという意見を出した。
「うむ。貴官の意見はもっともだが、今回はその必要はなかろうと思う。」
「なぜですか?たとえば敵が爆装した輸送艦を紛れ込ませてこちらに渡してくる可能性もあるかと思いますが。」
「時限爆弾付きでかね?そんなことをしてどうなるというのかな。たしかにこちらには損害は出るじゃろうが、向こうにしてもそれ以上の損害を被るのではないかな?捕虜交換は中止、戦闘の再開による多数の艦艇と人員の損傷は無視できない数字になるじゃろう。それにフェザーンが面白からず思うじゃろうて。」
そう言われてファイフェル少佐はなるほどという顔をした。
「はっ。その点はわかりました。ですが、閣下、本当にフェザーンの宴席に赴かれるおつもりですか?」
今回の捕虜交換については文民統制の原則上、外務委員長ケリー・フォードが赴いている。交換が始まる前にフェザーンの自治領主府において正式な交換式典が行われることとなっていた。ファイフェル少佐はどことなく不安を覚えている顔つきであった。
「儂はこうしたことにはあまり興味はないのじゃが、外務委員長から出席の要請があったとなれば断るわけにもいかんじゃろう。今回はフェザーンの顔もあるでな。」
老提督は言葉少なにそう言ったが、要点はほぼ正確にいい当てていた。同盟も帝国も今回の捕虜交換の立役者であるフェザーンに対して何らかの「謝意」を現す必要性があったのである。ラインハルトとしてはそんなものを歯牙にもかけたくはなかったのだが、イルーナらからその重要性を指摘され、冷笑交じりにこういったものである。
「まぁいい。彼奴等が自らの作り出した幻想の上で踊りたければ、勝手に踊り続けさせれば良い。今回の捕虜交換は彼奴等の功績ではなくわが軍と同盟の間の協定の結果に過ぎないということをいずれ思い知るだろう。武力という手段によって。」
むろん、ラインハルトの発言がフェザーンに知れ渡ることはなく、フィオーナはただ自己の職責を誠心誠意全うすべく、フェザーンの招きに応じて、自治領主府に降り立ったのである。


 自治領主府のスタッフたちはルビンスキー自らではなくボルテックという小物(彼らはそう呼んでいた。)を歓待に差し向けたことを不審に思っていた。表向きはルビンスキーは体調不良を理由にして公務を退いて静養している。だが、これほどの規模であればこそ、病を押してでも出てくるべきではないのか。
そのルビンスキーは存外顔色も悪からず、隠れ家の一つにドミニクと籠って酒をたしなんでいた。ルビンスキーはときたま自治領主府から姿を消すことがあったが、その行方については親しい側近にすら明かさなかったのである。ほんの数人、身の回りを世話する人間だけが知ることとなっていた。
「お前はなぜ私が宴席の場に出ないのかを不思議に思っているだろう。」
そう言われたドミニクは返事一つせず、無関心な顔のままグラスを傾けている。
「要するに、我がフェザーンの価値を自ら下げるような真似をすべきではないという事だ。」
「・・・・・・・。」
「この間の和平交渉は国家元首若しくはそれに準ずる人物がやってきた。だから私自らが参加したのだ。だが、今回の捕虜交換については帝国は一介の大将、自由惑星同盟も外務委員長という一介の閣僚が出張ってきたのみだからな。そのようなところに私自らが行くこともなかろうと思ったのだ。」
「・・・・・・・。」
「私もフェザーンの血を引く人間だ。商品を売りつけるにあたって、自ら物の価値を暴露し、買い手に買いたたかれるような真似はしたくはない。」
「その商品とやらの価値があなたが思っているほど高いかどうか、ね。」
ドミニクは皮肉交じりにそう言ったっきり、グラスを置いて部屋を出ていった。ルビンスキーは彼女を追おうともせず、ただ正面のモニター越しに捕虜交換式典の様相をじっと見つめていた。


 捕虜交換式典は帝国歴487年4月21日、捕虜交換が行われているさ中、同時並行的に実施された。これもいわば形式というものであったが、それも自由惑星同盟、帝国双方の合意があって初めて成り立つ形式なのだった。フェザーンの自治領主府前において盛大な台が設けられ、両国の護衛兵士たちのみが立ち並ぶ中、まず帝国軍からフィオーナが、ついで外務委員長であるケリー・フォードがボルテックにフェザーンの仲介役を感謝する旨の謝辞を述べ、ボルテックが短いながらもふんだんに装飾がちりばめられた答辞をもって答えた。
ついで、ボルテックに促されて、自由惑星同盟からはケリー・フォードが、帝国軍からはフィオーナが進み出て、互いに作成した捕虜交換リスト及びその証明書、ならびに文書を交換し、各々サインを行った。

「形式というものは、必要かもしれませんが、時には馬鹿馬鹿しいこともありますね、外務委員長。」

と、フィオーナが思わず言ってしまったのは、原作に置いてイゼルローン要塞で行われたキルヒアイスとヤン・ウェンリーとの間で行われた捕虜交換式典に思いをはせていたからかもしれない。

外務委員長は一瞬目を見開いたが、すぐにそれを微笑に変えた。
「私にとってはこれは必要そのものの事ですよ、エリーセル大将閣下。なぜならばこれを済ませませんと、私の退職年金がもらえないのですから。」
一瞬狐につままれたようなフィオーナだったが、顔を赤らめて照れたようにはにかんだ。キルヒアイスの発言は相手がヤン・ウェンリーであるからこそ、受け入れてもらえた言葉であり、それを当人もよく自覚をしていたであろうが、フィオーナはこの捕虜交換式典を原作と同義ととらえ、単に重ね合わせてしまっただけなのである。
「ごめんなさい。私の発言はあまりこの式典にはふさわしくないものであったかもしれませんね。」
「そんなことはありませんよ。のちの宴席でまたお会いいたしましょう。これは社交辞令ではありませんでしてよ。」
外務委員長の微笑に救われたように、フィオーナは文書を相手に渡し、相手から文書を受け取ると、固い握手を交わした。その歴史的場面をおさめようと一斉にフラッシュライトがたかれるのはこの場合仕方のない事であろう。歴史家にとっては、この日が膨大な歴史書に編纂される新たな項目及び考察への材料を提供することとなった日であり、後年の学生が歴史の教科書の暗記事項にまた一つ彼らの頭を悩ます要素が加わったことを恨む日になりそうであった。

 他方、外務委員長の後方に控えているビュコック中将らはこの帝国軍の若き美貌の才媛の姿を目の当たりにしてそれぞれに抱いた思いを咀嚼していた。ライトブラウンをシニョンでまとめた美しい髪の毛先の一筋は緩やかなウェーヴを描きながら白磁の滑らかな頬を縁取っている。灰色の大きな瞳は何物にも染まらぬ美しい輝きを持ちながら、見るものをして決して目をそらせることのないような穏やかな光を放っていた。すっとした鼻梁とかわいらしい口元には一点の染みもなくただ純真さが現れている。背はだいたい165センチほどと決して高い方ではないが、銀の刺繍が施された黒のスカートから伸びる美しい足には何かしら鹿のようなしなやかさも秘められているかのようである。すらっとした細い体には無駄というものがないが、それ以上に隙も無く、単なる非力な女性ではないことがうかがいしれた。
「こんな御仁が帝国軍にはいたのか。」
ラップがヤンにささやいた一言は極めて短いものであったが、その中には計り知れないほどの様々な思いがたっぷりと詰め込まれていた。

 また、彼らはフィオーナの後ろにいたオレンジ色の髪をポニーテールにした女性も彼らの耳目を引いた。こちらはフィオーナを「静」とすれば「動」と表現してもいいほどのオーラを漂わせている。美貌であることはフィオーナと同等であったが、その眼は鋭く、口元と鼻梁には意志の強さがほとばしっていた。すらっとした体にはフィオーナ以上の闘志が満ち溢れているようであり、ほっそりした美しい脚はまるで台にくっついているかのように微動だにしていなかった。きっと引き締まった口元は動かなかったが、ふと、ヤン・ウェンリーと目が合った時、ふっと和むような顔になったのにはヤンは内心驚いた。彼女は強さ一辺倒だけではなく、ちょっとしたユーモアセンスも持ち合わせているらしいとヤンは思った。普通ならば他の将官同様謹厳実直な仮面をかぶり続けているはずなのだから。
 コルネリアス・ルッツ、ナイトハルト・ミュラーらのそのほかの将官も彼らの耳目を引いた。彼らは皆若く、時代の帝国軍がこれら若き将官にとって代わりつつあるのを感じないわけにはいかなかった。

 それは帝国軍にしても同様である。フィオーナもティアナも式典の最中にヤンと最初に目が合った時には、会釈して無事息災を無言で祝ったし、ルッツもミュラーも同盟の将官たちの風貌を見て並々ならぬ手腕の持ち主だとひそかにうなずき合っていた。


* * * * *
「ヤン・ウェンリーとはいかなる人物なのですかな?」
と、ここに来る途上、激務の合間を縫って行われた将官以上のごく少数の会食の席でルッツがフィオーナらに質問したことがある。この有能な指揮官はフィオーナらがヤン・ウェンリーの名前を口にのぼせているところをしばしば目撃していたので、ふと話題をとらえて尋ねてみたくなったのだった。
「今は准将か、少将あたりだったかと思います。」
フィオーナはアレーナの情報網からの報告を思い返しながら答えた。
「とても有能な方です。元帥となって全軍を指揮せしめれば、今頃私たちはここにこうしていることはできなかったかもしれません。」
「お言葉ですが、エリーセル閣下。」
ミュラーは普段はフィオーナと呼ぶのだが、さすがに軍務上であるからそうなれなれしくは呼ばない。代わりに上級将官に対する接し方よりもやや鋭い舌鋒になったことは否めなかった。
「ヤン・ウェンリーがどのような人物であるか、私たちにはわかりません。ですが、敵を過小評価することこれを愚だというのであれば、敵を過大評価することもまた同様なのではありますまいか?」
フィオーナは怒らなかった。代わりにティアナと顔を見合わせて、ちょっと困ったように笑った。何しろこちらの身元をばらしたところで信じてはもらえないだろうし、それはもっとずっと後にしようと話し合っていたからだ。
「ミュラー提督のおっしゃる通りです。」
フィオーナの答えはミュラーをして数秒黙らしめるに十分な意表をついていた。
「こればかりは実際にあの方と戦っていただいてからでないと理解できないと思います。私たちは過年の戦いであの方と相対し、経験をしました。逆にそれがなかったならばこのような賞賛の言葉は口にできなかったと思います。」
これは半ば真実で半ば嘘だった。過ぎし日の戦いというのは第二次アルレスハイム星系での戦いである。彼女の記憶では、当時ヤンは時系列的にシドニー・シトレ大将麾下の参謀のはずだった。シトレ艦隊がロボス艦隊を救った事実を鑑みると、ヤン・ウェンリーが一枚かんでいないとは言いきれない。もっともヤンは当時少佐程度であろうから、全軍に影響を与えうる地位にはいないのだが、そんなことはこの際どうでもいいことだった。重要なのはミュラーらがヤンの恐ろしさを認識して軽侮の念を抱かないようにすることなのであるから。
「実際の力量はやはり戦って感じるほかないと思うわ。百聞は一見に如かず。自分の命をベットしてやってみたら?」
というティアナの言葉に苦笑しあったミュラーとルッツはそれ以上何も言わなかった。ティアナの歯に衣着せぬ発言には最初は驚きもし、不快感もあったのだが、彼女の言葉が真実の一片を言い当てていると悟った時から、徐々にそれを受け入れることができるようになってきたのである。


 式典の後、フィオーナはアレクサンドル・ビュコック中将、ヤン・ウェンリー少将らとほんのしばらくの間だったが、会話をする機会を持つことができた。公式レセプションパーティーの中での会話だった。先ほどフィオーナと仲良く話し込んでいたケリー・フォードは今はボルテックらフェザーンの首脳陣と会話をしている。フィオーナら以外の帝国軍の他の随行者も同様だった。彼女たちも先ほどちょっと挨拶をしたが、すぐに戻らなくてはならない。
「二度目ですね。」
と、にっこりしたフィオーナの笑顔は純度100%のピュアな物であり、混じりけ一つなかった。いささかの影もない。
「迎賓館襲撃の際にはご迷惑をおかけしました。」
ヤンはすまなそうに言った。一応は警備責任者ではないにしてもラップと警備体制・警備対策を練ってきたのだから、一片の良心の痛みはあるというわけである。たとえ帝国軍の人間であったとしても。だが、やはりついこの間まで敵国同士であるだけに、どこか硬い空気が漂っていた。と、ティアナがフィオーナの隣に進み出て、
「いいえ、むしろスリリングだったわ。ちなみにあの時大量に美術品が壊れたようだけれど、あれって損害賠償請求はうちに来るのかしら?」
プッ!!と真っ先にファイフェル少佐が吹き出し、ラップがおかしそうに笑いだし、ヤンは困ったように頭を掻いた。ビュコック中将も心底おかしそうに笑っている。
「はっはっは。こいつは驚いたわい。娘さん、あんたはなかなかユーモアがおありのようじゃの。」
ティアナはそっと周りを見回しながら、片手を口に当ててそっと言った。
「あれ、実はほとんど私がぶっ壊したの。やっぱり車で迎賓館を走り回るっていうのはタブーなのね。」
これには自由惑星同盟一同、毒気を抜かれた様に呆然としていたが、やがて心底おかしそうに笑いだした。なんという豪快さ・痛快さではないか。ルッツもミュラーもしまいには笑い出し、双方の間に漂っていた硬い空気は完全に払われてしまった。
「ヤン閣下は少将でいらっしゃいますけれど、来年は中将に、つまりは艦隊司令にご昇進なさるのですか?」
フィオーナが質問した。その言葉にヤンは怖気すら感じさせるように手のひらを振って、
「いや、私はそんな器じゃありません。今でさえ過分な地位をいただいております。艦隊司令なんていう人の上にたつような性分じゃないんですよ。」
「ヤン、お前さんいつもそういうが、他人が失敗するときに一番点を稼ぐのはお前さんだろう?」
と、ラップ。フィオーナは尋ねる様な視線をビュコック中将に向けたが、此方は既にルッツやミュラーと会話を始めている。敵味方というよりも人生の先輩と後輩という立場から、3人の間には話が弾んでいた。
「・・・というわけで、女房をしてうまい料理とパリッとしたシャツを用意させるのもまた、配偶者の手腕如何というわけでな――。」
「小官らはまずその相手を見つけるところから始めませんと――。」
「・・・・儂の若いころにはよくダンスパーティーをしたものでな――。」
「ミュラー、卿はそのダンスパーティーで今の――。」
「提督、その話をどうしてそこでするのですか?第一――。」
切れ切れの断片を聞いているだけだったが、その会話は儀礼的な一線を越えて親密な会話を構築しているような気がしてならなかった。ファイフェル少佐もいつの間にかビュコック中将に誘われて会話の輪に加わっている。
「ヤン閣下。」
ふと、フィオーナはあることを尋ねてみる気になった。それを尋ねようと口を開きかけたが自制心がそれを思いとどまらせた。横に親友がいたからだ。だが、ティアナは話の合間を捕えてその質問をためらいなくぶつけていた。
「シャロン・イーリスという人を知ってる?」
ヤンが目を見開き、ラップが唖然とした顔をした。無理もない。何しろここに来てもいない、たかだか自由惑星同盟の一将官をなぜ帝国軍の将官が知っているのかと思うのは無理からぬことである。
「知っているわけね。」
ティアナが硬い顔をしながら、一息「ほうっ」と吐いたのち、言葉をつづけた。
「忠告しておくわ。その人は危険よ。それもかなりの物だわ。はっきりというけれど、そちらのヨブ・トリューニヒトよりもよほど危険よ。」
「どう、危険なんです?」
ヨブ・トリューニヒトという名前も出てきたことにも驚いたヤンとラップだったが、それ以前に危険という言葉が連発されたことになにやら不安の思いを抱いていた。
「何のためらいもなく、邪魔者を始末する人だからよ。それに、自由惑星同盟の一連の死亡事故、覚えているでしょう?」
「事故?」
「アンドリュー・フォーク、コーネリア・ウィンザー、ロックウェルたちの死亡事故、みんなシャロン教官・・・じゃない、シャロンが仕組んだことだと思うわ。」
ティアナが指を追って数え上げた。自由惑星同盟の軍人二人は顔を見合わせた。
「どうしてその名前を知っているんですか?どうしてそういう事が言えるのですか?一体あなたたちは――。」
ラップが質問したが、ティアナは首を振った。
「これは帝国だの同盟だのそういう問題の次元じゃないの。私たちは個人的に彼女を知っているのよ。そして彼女がどういう人となりなのかもよく知っているわ。到底信じられないだろうし『初対面に近い人が何言ってんだ?』なんて思うだろうけれど、でも、信じてほしいの。」
「・・・・・・・。」
とんでもない内容だったが、ティアナの真剣な口ぶりにヤンもラップも戸惑い顔を見合わせるばかりだった。
「ティアナの言う通りです。ヤン閣下、ラップ大佐。」
フィオーナは等分に二人を見ながら澄んだ声で言った。
「これは帝国、同盟の立場を超えた問題です。いずれ・・・。」
フィオーナは言葉を閉ざし、ちらっとティアナを見たが、親友がかすかに、だが強くうなずいて見せるのを見て、
「いずれこの問題について双方が話し合わなくてはならない事態になるかもしれません。そのことを覚えておいていただければ幸いです。」
では、とフィオーナは軽く頭を下げて、ティアナを伴ってヤンとラップの元を辞去した。この後もまだまだ控えている著名人のもとに挨拶に行かねばならなかったからだ。それはビュコック中将も同じらしく、こちらも話を切り上げているところだった。
「どう思う?」
ラップがヤンに尋ねた。ヤンにしても逆にラップに聞きたい心境だった。まったく「どう思う?」以外に言葉の発しようがないほど唐突で信じがたい話だった。
「一つだけ言えることがある。」
ヤンは遠ざかる二人をじっと見ながら言った。
「彼女たちは嘘はついてはいない。今の話は、事実だ。」
「どうしてそう思うんだ?」
ヤンは肩をすくめた。
「自分で言うのも何だが、根拠はないよ。だが、こういう話にはそもそも理論も証拠も通用しない場合が時にある。今回の事はそういう稀有な例の一つだと思うのさ。」
いずれにしても、この時ヤンもラップもフィオーナとティアナの発した警告をただ受け取ることしかできなかった。その警告が具体的な色彩を帯びて現れてくるのは、もう少し先のこととなる。


 レセプション・パーティーが終わり、束の間であったが、帝国の将官たちに自由な時間が訪れていた。ルッツやティアナらは意図的にかあるいは気づかないふりをしているのか、ともあれきわめて自然な形で姿を消していた。残ったのはフィオーナとミュラーだけである。
「疲れただろう。どこか近くのレストランにでも食事に行こうか。」
と、ミュラーが言った。むろん公的には上級将官と部下の立場であるが、フィオーナは「公事はそれでいいけれど、私事の際にはそういうことは無用よ。あなたはそう言ったことをよく理解してよく実践してきているもの。」と言ったからである。むろんそうなったからと言って二人の関係は公的においてはいささかも私情をはさむことがなかった。
レストラン・アイフリードは彼女たちが借り受けているホテルのすぐそばにあった。少し待った二人は窓際の席に座って、メニューを見た後、同時にウェイターを呼び、期せずして顔を赤らめた。知己を得て、さらに公的な仲となってからも、この関係は変わらなかった。「二人は初恋同士の中学生そっくりの初々しさを持っていた。」と口の悪いビッテンフェルト等はそう表現したが、これはいささか酷というべきかもしれない。
二人がようやくその身にまとっていた甲冑を脱ぎ捨てることができたのは、一杯の赤ワインを飲んだ後だった。束の間の、貴重な至福の時間。だが、ミュラーの表情にはそれ以外の要素が含まれているような気がしていた。フィオーナがそれを尋ねると、ミュラーはばつの悪い顔つきになって、謝った。
「済まなかった。今回は何事もなく終わりつつあることにいささか安堵していたところなんだ。いや、本当にこれで終わったという結論でいいのか、悩んでいると言った方が正直なところかな。先の迎賓館襲撃、一体誰が犯人なのか・・・・。」
先ほどのレセプション・パーティーでフィオーナらは昨年の迎賓館襲撃の黒幕について断片的な情報を聞くことができた。結論としては、帝国の抗議と同盟の威信にかけた調査にもかかわらず、ついに特定の犯人を捕らえることはできなかった。だが、捜査の過程の中でいくつか奇妙な事実が浮上してきたのだとヤンはフィオーナらに語った。この報告は自由惑星同盟から帝国に対して行われているが、ヤン・ウェンリーはより詳細な情報を知っていた。中でも、現場に「地球はわが母、地球をわが手に。」という一片の布が落ちていたということは転生者たちの考えをある方向にもっていくのには十分だった。それは近年勃興してきた地球教のものであることは疑いがなかったが、それをもって直ちに彼らを犯人とすることはできなかった。帝国ならいざ知らず、同盟では証拠が十分にそろわなくては検挙できないのであるが、それをあっさりと破ってしまったのが他ならぬシャロンなのであった。
「・・・・・・・。」
フィオーナは当惑した顔をしながら、フォークとナイフを使う手をとめた。目の前にある白身魚のポワレ・ブールブランソースの香味が鼻をくすぐったが、話はそれどころではないようだった。
「私が思うところは『誰が?』ではなくて、『何の為に?』というところなのだけれど・・・。」
ミュラーの無言の問いかけに、フィオーナはフォークとナイフを礼儀正しく皿に戻して話をつづけた。
「目的はおそらく両者の和平の邪魔立てだということはわかっているわ。けれど、何の為になぜあのタイミングでそれを行うのか?それによってどういうメリットが生じるのか?戦乱に陥ることによって得をするのは誰か?そういう線から追っていくと、たぶん、当事者ではなく第三者ではないかと思うわ。」
「それが地球教徒ということかな?」
その言葉を聞いた瞬間、フィオーナの胸に言い知れぬ不安のような物が湧き出してきた。フェザーンが地球教と裏でつながっているというのは頭では認識していたが、それが実感となって自身の身の回りを黒い霧で覆い始めたのはこの時が初めてと言っていいのかもしれなかった。
「断定はしかねるのだけれど・・・・。」
フィオーナは言葉を濁した。前世からの知識をフル動員すれば、結論としてはそうなる。フェザーンが表だって出てきているからと言って地球教徒が噛んでいないとは言い切れない。フェザーンはあくまで表の顔で裏は地球教徒とつながりがあるのだから。
「仮に犯人が地球教徒だとして、この捕虜交換の際にも襲撃でも仕掛けてくれば、厄介になるかもしれないな・・・・。」
はっと、フィオーナは顔を上げた。
「どうしてそう思うの?」
彼女の質問とともに向けられた眼差しをミュラーはまっすぐに見返しながら、
「私は明白な論理は持ち合わせていないよ。ただ、あの時と今と、状況が似ていると思った。それだけなんだ。」
と、静かに言った。確かにあの時は自由惑星同盟と帝国との和平を邪魔立てするという目的があった。だが、今回は話が違う。何しろ今自分たちは他ならぬフェザーンにいるのだ。何か事が起これば真っ先にフェザーンに責任が及ぶ。それは地球教にとっても対岸の火事とはなりえないことは明らかではないか。

大丈夫だ、とフィオーナは自身に言い聞かせたが、どういうわけかいったん噴出した不安はいっこうに消えなかった。

その不安が具体的な形となって表れたのは、正確に15秒を数えた時だった。轟音、そして衝撃が二人のいるレストランの窓ガラスを立て続けに乱打し始めたのである。

宇宙歴796年、帝国歴487年4月21日午後9時18分の事であった。
 
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