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銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
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第二百四十二話 器と才

帝国暦 489年 2月 20日  オーディン  新無憂宮  ヴァレリー・リン・フィッツシモンズ



朝、いつも通り八時半にミュッケンベルガー邸を訪ね、ヴァレンシュタイン元帥を迎えに行くと元帥はリヒテンラーデ侯に呼び出され既に新無憂宮に出かけたと元帥夫人が済まなさそうに教えてくれた。どうやら昨晩、いや多分深夜だろうが呼び出しが有ったに違いない。早い時間に呼び出しが決まったのなら私にも連絡が有る。

ミュッケンベルガー邸を辞去し門を出ようとすると元帥の護衛官達がやってきたところだった。事情を話し一緒に新無憂宮へと急ぐ。ヴァレンシュタイン元帥からは宇宙艦隊司令部で待っているようにと伝言が有ったがそうはいかない。護衛も無しでうろうろしているのだ、冗談ではない。

新無憂宮に着くと護衛官達は控室で待機に入った。私は元帥を探す、職員に尋ねると国務尚書の執務室とのことだった。急いで執務室に行き部屋の前で待つ。五分としないうちに二人の軍人が現れた。軍務尚書と統帥本部総長の副官だ。

執務室の中には国務尚書、ヴァレンシュタイン元帥の他に軍務尚書と統帥本部総長が居るらしい。となると話の内容はかなり軍事色の強いものだろう。国務尚書とヴァレンシュタイン元帥だけならどちらかと言えば政治色が強くなる。

不思議な人だ。帝国軍三長官の一人、宇宙艦隊司令長官として実戦部隊のトップであるのに政治面では国務尚書の相談相手になっている。そして辺境星域の開発の責任者でもある。本人は“何で私が”なんて言っているけど内心ではまんざらでもないのは分かっている。辺境星域の開発案を楽しそうに見ているのだから。一体元帥の本当の仕事は何なのやら……。

ドアが開いて三人の元帥が出てきた。順にエーレンベルク元帥、シュタインホフ元帥、ヴァレンシュタイン元帥。三人とも表情は決して晴れやかではない。特にエーレンベルク元帥、シュタインホフ元帥は苦虫を潰したような顔をしている。

三人の元帥が顔を見合わせた。微かに頷いてエーレンベルク元帥が最初に離れた。副官が後を追う。そのまま五分ほどたってからシュタインホフ元帥が離れ、その後を副官が追った。その間誰も一言も喋らない、重苦しいほどの沈黙だった。

さらに五分ほどたってからヴァレンシュタイン元帥が歩き始めた。三元帥が一度に動かないのはテロを恐れての事だ。昨年起きた内乱で何度かヴァレンシュタイン元帥を暗殺しようとする動きが有った。それ以後、帝国軍三長官が一緒に移動する事は無くなっている……。

廊下を行きかう職員、廷臣がヴァレンシュタイン元帥に挨拶をする。それに応えながら出口に向かうと控室から護衛官達が現れ元帥の前後に立った。鋭い目で周囲を見ながら元帥を護衛する。新無憂宮を出て地上車に乗り込むと宇宙艦隊司令部を目指した。

何が有ったのか……。隣に座る元帥の表情からは何も読み取れない。知りたいとは思ったが問いかけるのは控えた。知って良い事なら元帥が話してくれる……。
「自由惑星同盟でクーデターが有りました」
「!」
「いや、正確にはクーデターは未遂で終わったというべきでしょうね」
元帥は正面を見ている。どうやら元帥にとっては期待外れだったようだ。

「主戦派によるものでしょうか」
私が問いかけると元帥は無言で頷いた。そして微かに笑みを浮かべた、自嘲?
「出来れば潰し合ってくれれば良かったのですけどね、いささか虫が良すぎましたか……」
やはり自嘲だ。拗ねた感じがちょっとカワイイ。

「主戦派は壊滅した、同盟軍は一枚岩になった、そういう事でしょうか」
「さあ、主戦派というのは根が深いですからね。これで終わりかどうか……。ただ現在の軍首脳部の力が強まったのは事実でしょう、手強い相手がより手強くなりそうです」

元帥は一点を見ている。何を見ているのか、いずれ起きる戦いか、或いは元帥が最も警戒している敵、ヤン・ウェンリーか……。
「フェザーンのオリベイラ弁務官、そして第九艦隊司令部の面々は自治領主、ペイワード氏が拘束したそうです。思ったよりもフェザーンと同盟の関係が良い、面白くない状況ですね」

なるほど、元帥が考えていたのはそちらか。フェザーンが同盟に協力的だとするとフェザーン方面からの侵攻作戦は結構苦労するかもしれない……。面白くないと元帥がぼやくのも分かるような気がする。

「この後の予定はどうなっています?」
「十時からシュトックハウゼン上級大将と会う事になっています。午後からは辺境星域開発の件で打ち合わせが……」

私の答えに元帥は一つ頷いた。
「シュトックハウゼン上級大将と会う前にメルカッツ副司令長官に会いたいですね。副司令長官の予定を確認してください。私の方から副司令長官室に行きます。それと十一時から各艦隊司令官を会議室に集めてください」
「分かりました」

おそらくこの件をメルカッツ提督に伝え、その後で皆に伝えるのだろう。携帯用PCを立ち上げメルカッツ提督の予定を確認する。幸いメルカッツ提督は午前中は予定が無かった、こちらは問題ない。早速連絡を入れ時間を抑える。後は会議室を抑えて艦隊司令官達に会議招集のメールを送った。

“終わりました”と言うと司令長官が頷いた。ちょうど宇宙艦隊司令部が見えてきた。時間は九時二十分、シュトックハウゼン上級大将が十時には来るから九時五十分にはメルカッツ副司令長官との会談を終わらせなければならない。



帝国暦 489年 2月 20日  オーディン  宇宙艦隊司令部  トーマ・フォン・シュトックハウゼン



宇宙艦隊司令部、此処に来るのは本当に久しぶりだ。帝国歴四百八十三年にイゼルローン要塞司令官を命じられたのだから六年ほどはオーディンを離れていた事になる。当たり前の事だが此処に来るのも六年ぶりか、相変わらずそっけない廊下だ。帝国が日々変わりつつあるのにそれをもたらした宇宙艦隊司令部の廊下はなんの変わりもない……。

捕虜交換が行われてから約二ヵ月が過ぎた。私がオーディンに戻ったのが二月の五日、帰還直後に軍務尚書より自宅療養を命じられ二月二十日に宇宙艦隊司令部への出頭を命じられた。

あの時の事は今でも覚えている。上級大将に昇進すると言われ、とても受ける事は出来ないと固辞した。しかし“捕虜帰還者は全員一階級昇進する事になっている。卿がそれを辞退すれば他の者も受け辛かろう”と言われ固辞しきれなかった。

約二年に及ぶ捕虜生活は確かに私の心身を蝕んでいたのだろう。日々イゼルローン要塞を守り切れなかった事を自責し、その事で周囲の目を、非難を怖れた。自分が要塞を守りきればゼークトは死なずに済んだ、三百万の帝国兵が死なずに済んだ。眠れない日々が続き何度も自殺を考えた……。

妻からは痩せたと言われ、娘からは白髪が増えたと言われた。どちらも分かっている。つらい二年間だった。そして捕虜生活から解放された今、私の心はひたすらに休息を求めている。上級大将に昇進した事も重荷だった。出来ることなら今からでも固辞したい……。

イゼルローン要塞を守れなかった、その所為で大勢の人間が死んだ、ゼークト……。おそらく軍への復帰は無理だろう。或いは閑職に回されるのかもしれないが、むしろ退役を望んでいる自分が居る……。

約束の時間の十分前、少し早いかと思ったが来訪を告げると司令長官室への入室を許された。ドアを開けると騒々しいと言って良いほどの物音が私を驚かせる。引切り無しにかかってくるTV電話音と受け答えする女性下士官の声、書類をめくる音と忙しそうに歩く女性下士官の足音。なるほど、噂には聞いていたがなんとも形容しがたい雰囲気だ。戦闘中でも此処まで騒がしくは無いだろう。

気圧される様な気持で部屋を見ていると背の高い女性士官が近づいてきた。
「シュトックハウゼン閣下、小官は司令長官閣下の副官を務めるフィッツシモンズ大佐です。司令長官閣下はもうすぐ戻られますのでこちらでお待ち下さい」

彼女が指し示したのは執務机の傍に有る応接セットだった。礼を言ってソファーに座ると直ぐに女性下士官が笑顔でコーヒーを出してきた。ハテ、蔑みの目で見られるかと思ったのだが……

コーヒーを一口、二口飲んでいると司令長官室のドアが開いてヴァレンシュタイン司令長官が急ぎ足でこちらに近づいてきた。慌てて起立して敬礼をする、司令長官の答礼を待ってから礼を解いた。

「遅くなって申し訳ありません、待たせてしまったようですね」
「いえ、そのような事は有りません。約束の時間には未だ五分あります」
ソファーに座りながら眼の前の青年を見た。

目の前の元帥は穏やかに微笑んでいる。はて、司令長官はこちらに悪い感情を持っているわけではない様だ。ちょっと不思議な感じがした……。私と元帥は殆ど接点が無い。唯一ともに戦ったのは第六次イゼルローン要塞攻防戦だけだ。押し寄せる反乱軍を彼が瞬時に撃退したことは今でも鮮明に覚えている。その後の彼は国内の内乱に備えるため外征に出ることは無かった。

私が捕虜になる前に宇宙艦隊副司令長官になった。平民でありながら二十歳そこそこで宇宙艦隊副司令長官に就任、貴族に生まれていれば帝国軍三長官に間違いなくなれただろう。だが平民ではこれが限界だ、惜しい事だと思ったことを覚えている。

その後イゼルローン要塞陥落後、宇宙艦隊司令長官に就任。反乱軍を打ち破り、門閥貴族を斃し、国内の改革を推し進めている。今では帝国きっての実力者でありその一挙手一投足に宇宙が反応する。

あの敗戦で全てが代わった。宇宙艦隊司令長官だったローエングラム伯は副司令長官に降格、その後非業の死を迎えた。二年前には想像も出来なかった事だがブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯を頂点とする門閥貴族も滅んだ。この二年間で帝国は全く別の国かと思うほどに変わってしまった、その中心にはヴァレンシュタイン司令長官が居る……。

「十分に休養は取れましたか、体調は如何です?」
「お陰様で体調は問題ありません」
「それは良かった」
そう言うと司令長官は笑顔を見せた。軍人らしくない穏やかな笑顔だ。どうも違和感を感じる。

「もう少し早く捕虜交換が出来れば良かったのですが、思ったよりも時間がかかってしまいました。さぞかし御苦労なされたでしょう、お詫びします」
司令長官が頭を下げた。周囲の女性下士官達がこちらを見ている!

「か、閣下、そのような事はお止め下さい。閣下が最善を尽くしてくれたことはよく分かっています。小官は無事帰って来れたのです。感謝しております」
嘘ではない。あのまま捕虜生活を続けていれば何処かで耐えられなくなって自殺していただろう。帰還できたことには本当に感謝している。

「そう言っていただけるのは有りがたいですが、捕虜の中には帰還を目前にして亡くなった方も居るようです。それを思うと……」
司令長官が視線を伏せ首を横に振っている。確かに捕虜返還前に死んだ人間も居る、しかしその全ての責を司令長官が負う事は無いだろう……。

「そのように御自身を責めるのはお止め下さい、多くの者が帰ってきた事も事実なのです」
「……そうですね、そう思うべきなのでしょうね……」
少しの間お互い無言だった。司令長官は沈んだ表情をしていたが大きく息を吐くと笑顔で話しかけてきた。

「これからですが、上級大将には艦隊を率いて貰います。宇宙艦隊の正規艦隊ではありませんが、それに準ずる艦隊として私の指揮下に入ってもらいます」
「しかし、小官には……」
それを率いる資格は無い、そう言おうと思ったが司令長官に遮られた。

「いずれ私はイゼルローン要塞奪回作戦を起こします。それほど先の事ではありません、先ず二年以内……」
「……」
「その作戦には上級大将にも参加してもらいたいのです」

「しかし、小官にはその資格が有りません。小官の失態の所為で三百万の兵が死にました。ゼークト、エルラッハ、フォーゲル、皆死んだのです」
私の言葉に司令長官は無言で頷いた。表情には先程まであった笑顔は無い、私を労わるような色が有る。

「そうですね、大勢の人間が死にました。皆、無念だったと思います」
「……」
無念、無念だっただろう。生きている自分でさえ悔しかった、恥ずかしかった。死んでいった彼らはどれほど悔しかったか……。だが、ゼークト達はその悔しさを表に出すことなく、帝国軍人として死んでいった。

「ゼークト、エルラッハ、フォーゲル……。本来ならローエングラム伯が彼らの無念を晴らすはずでした。しかし、伯はもう居ません」
「……」
司令長官が沈痛な表情をしている。司令長官はローエングラム伯の死を悼んでいるのだろうか。

「今、彼らの無念さを一番分かっているのは上級大将、貴方でしょう。彼らの無念を晴らせるのは貴方だけだと思います」
「……」
無念を晴らせるのは私だけ……。

「私とともにイゼルローン要塞を取り返しませんか。彼らも貴方にイゼルローン要塞を奪回して欲しいと思っているはずです」
「……分かりました、宜しくお願いします」
生き恥を晒してでも生きよう。そして何時か、イゼルローン要塞を奪回する。

「十一時から艦隊司令官を集めて会議を開きます。シュトックハウゼン提督にも参加してもらいますよ」
「小官も、ですか」
「当然でしょう、提督はもう私の指揮下に有るのです。私の指示に従ってもらいますよ」
目の前に穏やかに笑みを浮かべる司令長官がいた。


司令長官室を出てメルカッツ副司令長官の部屋に向かった。十一時までまだ二十分程ある。副司令長官とは知らぬ仲ではない、会議前に一言挨拶をしておいた方が良いだろう。メルカッツ副司令長官は快く私を迎えてくれた。肩を抱くように部屋の中に入れ、ソファーに座ることを勧める。

「その顔だと艦隊司令官になることを承諾したようだな、歓迎する」
「有難うございます」
「艦隊司令官は皆、若いのでな。卿が来てくれたのは有りがたい事だ、良い話相手が出来た」

思わず笑ってしまった。メルカッツ副司令長官は艦隊司令官としては決して老人と言う訳ではない。その副司令長官が話し相手が出来たと喜んでいる。今の宇宙艦隊は本当に若い指揮官が揃っているのだと実感した。

「それは、お役にたてそうですな」
今度はメルカッツ副司令長官が笑い声を上げた。
「不安かな」
「多少の不安は有ります」

私の答えに副司令長官が頷いた。
「まあ、以前に比べれば軍は大分風通しが良くなった。御蔭で私のような武骨者でも副司令長官職が務まる。卿も余計な事を考えずに己の職務に励めば良い」
「そう努めます」

私の答えに副司令長官は何度か頷いていた。
「何か聞きたい事が有るかな?」
「では一つ、司令長官の為人を」
「ふむ、司令長官の為人か……」

穏やかそうな人物に見えた。才能が有るのも分かっている。司令長官室での話は私の心を揺す振った。だがどうなのだろう、信頼できるのだろうか? ローエングラム伯の死にも司令長官が関わっていたという噂があるのだ。謀略家としての一面を持つ司令長官に一抹の不安が無いと言えば嘘になる。安心してついていけるのか、用心が必要なのではないかと……。

「能力は言うまでもない事だが、特筆すべきは辛抱強いことだろうな」
「辛抱強い、ですか」
私の問いにメルカッツ副司令長官が頷いた。

「自分より年上の部下に囲まれているのだ、かなり気を遣っているようだ。思ったことの半分も言っているかどうか……。だが不満を表に出したことは無いし、それを周囲に気付かせることもない」
「……」

「先の内乱で私も取り返しのつかない失態を犯した。オーディンに迫るシュターデン大将の艦隊を見過ごしたのだ。副司令長官としては有るまじきことで叱責されても仕方が無かったが、注意を受けただけでそれ以上の叱責は無かった。当時私は副司令長官に就任したばかりだったからな、私の立場を慮ったのだろう」
「……」

その件については私も知っている。オーディンに近づくシュターデン大将を司令長官自らが重傷の身を押して出撃、兵力において二倍の敵を撃破した。人々は司令長官の武勲に感嘆しメルカッツ副司令長官の失敗には気付かない、或いは重視しない……。

「ローエングラム伯とはその辺りが違うな」
ローエングラム伯か……。
「伯は大逆罪に関与していたとされていますが、本当なのでしょうか」
私の問いに副司令長官は首を横に振った。

「ローエングラム伯個人は陰謀に加担してはいなかったようだ。しかし伯の周囲が加担していた、グリューネワルト伯爵夫人もだ。伯を軍の頂点に据え、いずれは帝位を簒奪させる……。伯が居なければ、いや、伯の不満が無ければ起きなかった事件だと思う、無関係とは言えん」
「……」

「ローエングラム伯は不満を隠さなかった。あの大逆事件は、伯の不満が生み出したと私は思っている」
何処か嘆息するような口調だった。メルカッツ提督自身、あの事件には思うところが有るのだろう。

「能力が有ってもそれを制御するのはその人の心だ。人としての器と才、その釣合がとれていれば良いが、そうでなければ危険だ……。ローエングラム伯を危険視する人間は多かったが司令長官を危険視する人間は居ない。安心してついていける方だと思っている」
メルカッツ副司令長官が私を見ている。穏やかな表情だ。信じて良いのだろう。

「そろそろ会議の時間だ、会議室へ行こうか」
「そうですね、初日から遅刻するわけにはいきません」
メルカッツ副司令長官が部屋を出る、その後に続いて部屋を出た。これからは此処が私の職場になる。ゼークト、もう一度私はイゼルローン要塞に戻るだろう、卿の無念を晴らすために……。


 
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