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銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
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第二百三十四話 捕虜交換後(その2)

宇宙暦 798年 1月 3日    イゼルローン要塞 ヤン・ウェンリー



『やあ、ヤン提督、明けましておめでとう』
「おめでとうございます、トリューニヒト議長」
スクリーンにはトリューニヒト議長が人好きのする笑顔で映っている。昔はこの笑顔が嫌いだった、今でも多少胡散臭く思っている。

『昨年は色々と有ったが、それでも大規模な戦争は無かった。そういう意味では良い年だったのかもしれん。今年はどうなるのか……』
「……」

トリューニヒト議長が溜息をついた。その思いは私にもある。帝国は今はまだ国内を固める事を優先するだろうが、それが終われば確実にこちらに牙を向けるだろう。それがいつ来るか……、今年か、それとも来年か……。

『帝国は地球への対応を優先するだろうが、それが終われば次のターゲットは同盟になる。しかし、だからと言って地球と組む事は出来ん。それをやれば帝国にこちらに攻め込む名目を与えるようなものだ、そうではないかね?』

「そうですね、その選択は最悪と言って良いでしょう。同盟内部でも地球について真実を知れば、いやもちろんヴァレンシュタイン元帥の推論が正しければですが、そうであれば大部分が地球を拒否するはずです」

少しの間沈黙が落ちた。トリューニヒト議長は俯き加減に視線を逸らしている。表情は決して明るくは無い。議長にしては珍しい事だろう、人前では決して見せない姿だ。私を信頼しているという事だろうか、或いはそうやって私の心を取ろうというのだろうか?

自分は皮肉な目で彼を見ていただろう、それに気付いたかどうか……。トリューニヒト議長は首を一つ振るとこちらを向いた。顔には人好きのする笑顔がある。
『レベロから君の話を聞いた。皇帝主権による民主主義か……面白い考えだ。門閥貴族を潰し特権階級を無くしながら立憲君主制ではなく皇帝主権による民主主義とは……』

「すべてわたしの推論です。根拠はありません」
『ヤン提督の推論か……。私は君の推論を支持するよ』
「……」
『君の考えを聞いた時私が何を思ったか、君に分かるかね?』
何処と無く悪戯っぽい表情だ。

「いえ、分かりません」
『君は歴史に詳しいそうだから知っているかもしれないな、人類がまだ宇宙に出る前、地球を唯一の棲家としていた頃の話だ。ある王国で王位継承争いが発生した。その争いが終結した後、彼らは自分達はいかなる統治体制で国を治めるべきかという問題で議論をしたと言われている。知っているかね、この話を?』

「ええ知っています。アケメネス朝ペルシアの事でしょう。ダレイオス王が即位するときの話ですね」
わたしの言葉にトリューニヒト議長は嬉しそうに頷いた。

本当かどうかは分からない。だがペルシア人たちは自分達の統治体制をどうするかを熱心に話し合った。話し合われた統治体制は三つ……、一つは万民に主権を与える民主制、もう一つは貴族による寡頭制、残る一つは君主による独裁制。

それぞれの利点と欠点を挙げたらしい。ある人物は独裁制を否定し民主制を讃えた。独裁制に関しては“何の責任も負う事なく思いのままに行なう事のできる独裁制は秩序ある国制とは言えない、独裁者ほど言行が常ならぬものはなく、父祖伝来の風習を破壊し、女を犯し、裁きを経ずして人命を奪う”と言っている。

そして民主制ならばそんな事は無い、万民が平等であるならば独裁者の行なうような事は起きない。あらゆる国策は公論によって決せられる、と言った。独裁制の危険と民主制の理想を述べたといえるだろう。

当然だが民主制に反対する人間がいた。“何の用にも立たぬ大衆ほど愚劣でしかも横着なものはない。独裁者の暴政を免れんとして、狂暴な民衆の暴政の手に陥るというがごときは、断じて忍び得ることではない”。

“もともと何が正当であるかを教えられもせず、自ら悟る能力もない者が、さながら奔流のように思慮もなく、ただがむしゃらに国事を押し進めてゆくばかりだ”

そして民主制に反対した人間は寡頭制を支持した。“最も優れた人材の一群を選抜し、これに主権を与えよう。最も優れた政策が最も優れた人間によって行なわれることは当然の理である”。

政治的な成熟度の低い国民に主権を与える事の危険性を述べた上で、一部のエリートによる統治を提唱した。彼の生まれた時代であれば独裁制に危惧すれば寡頭制を支持するのは当然かもしれない。しかし、現代に当てはまるかどうか……。

そして最後に後にペルシア王になるダレイオスが独裁制を支持した。“最も優れた唯一人の人物ならば、その卓抜な識見を発揮して民衆を見事に治める。しかし寡頭制では公益のために功績を挙げんと努める人間達の間に、激しい敵対関係が生じ易い”。

“各人は自分が第一人者となり自分の意見を通そうとする結果、互いに激しくいがみ合うこととなり、そこから内紛が生じる。内紛は流血を呼び、やがて独裁制に決着する“。

“民主制の場合には悪のはびこることが避け難い。公共のことに悪がはびこる際に悪人達の間に生ずるのは敵対関係ではなく、むしろ強固な友愛感である。なぜなら国家に悪事を働く者たちは結託してこれを行なうからだ”。

“このような事態が起り、結局は何者かが国民の先頭に立って悪人どもの死命を制することになる。その結果はこの男が国民の讃美の的となり、讃美された挙句は独裁者と仰がれることになる”。

結果としてペルシア人達は独裁制を選択した。寡頭制は国を分裂させる危険を、民主制は大衆の人気に乗じた僭主の台頭を招きかねない。そして進むところは独裁制だ。何故ならば独裁制こそが最高の統治体制だから。であるならばしかるべき手順で選ばれた君主による独裁制のほうが弊害が少ない……。

ダレイオスの言葉を、当時のペルシア人達の選択を否定する事は難しい。ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムの簒奪はまさに当時の政治家達の腐敗が一因であった。当時の連邦市民は間違いなくルドルフを支持し彼が皇帝になることを望んだのだ。

『ヤン提督、私はこう考えている。それぞれの統治体制には確かに欠点が有る。だが問題は統治体制ではなく、それを運用する人間に欠点が有る事ではないか、それこそが真の問題なのではないかと……。だからこそ人類は時においてそれぞれの統治体制を選び、否定した。人類の歴史はその繰り返しではないだろうか……』

「……」
民主制国家から独裁制国家が生まれ、独裁制国家から寡頭制国家、民主制国家が生まれた。国家が疲弊したからではない、国家を統治する人間が疲弊したからだということか。国家を正常な状態に戻すには統治体制を変え疲弊した統治者を一掃するしかなかった、そういうことだろうか……。だとすれば独裁制国家が生まれるのも寡頭制国家が生まれるのも必然という事だろうか……。

スクリーンに映るトリューニヒト議長の顔には先程までの笑みは無い。いや私を見てもいないだろう。少し俯き、憂鬱そうな表情をしている。
「議長、議長は民主制に対して疑問を持ってはいませんか?」

私の言葉にトリューニヒト議長は軽く苦笑した。
『正直疑問は持っている。あの馬鹿げた侵攻作戦で一千万の犠牲を出しても帝国に対して主戦論を唱える人間がこの国では多数を占めるのだ。軍に対する非難など一時的なものでしかなかった。あの犠牲はなんだったのか……、君はそうは思わないかね?』

「……」
『だが、それでも民主制は守らなければならないと思う。国民の意思を国政に反映させる、その一点で民主制を超える統治体制は無い。政治を一部の人間だけが扱う特別なものにしてはならないのだ。それを許せば統治者は傲慢になり、政治は市民に対して必要以上に犠牲を強いるようになるだろう』

一つ一つ確かめるように出された言葉だった。正直、目の前の男がそんな言葉を発する事に違和感があった。私の様子に気付いたのかもしれない。トリューニヒト議長は微かに苦笑すると“らしくないと思っているかね”と問いかけて来た。

「いえ、そんな事は……」
芸の無い答えだ。議長もそう思ったのだろう、苦笑の色が強くなった。それを見て私も苦笑を漏らした。少しの間沈黙が落ちた。

『ヤン提督、ヴァレンシュタイン元帥は今帝国に民主主義を布いても上手く機能しないと考えたのではないかな。同盟市民に比べれば帝国に住む人間は政治的な成熟度は遥かに低い。同盟でさえ上手く機能しているとは言い難い統治体制を帝国に受け入れるのは無理だと』

「それも有りますが、帝国内部では民主制に対する嫌悪感はかなり強いのではないかと思います。無理に導入して帝国を分裂させる危険は冒せなかったのではないでしょうか」
私の言葉にトリューニヒト議長は頷き、後を続けた。

『とすれば、このままゴールデンバウム王朝による独裁制を維持し、皇帝主権による民主主義を目指すべきだと彼は考えたのだろう。そのほうが混乱も弊害も少ない……。そうではないかな?』

「なるほど、まるでペルシア人のようですね」
『私が何故ペルシア人の故事を思い出したか、分かったかね』
「ええ」
トリューニヒト議長は笑みを浮かべていた、しかしその笑みを収めると溜息を吐いた。

『手強い相手だな。厄介な相手でもある。しかし民主主義は何としても守らなければ……』
民主主義か……、スクリーンに映るトリューニヒト議長は同盟を守るとは言わなかった。偶然か、それとも……。

「トリューニヒト議長、議長は同盟を守る事と民主主義を守る事を分けて考えてはいませんか?」
『……』
トリューニヒト議長は沈黙している。その顔を見ながら言葉を続けた。

「同盟が滅んでも民主主義を守れれば……」
『そこまでにしたまえ、ヤン提督!』
「しかし……」

『私も君も国家の重職にあるのだ。そんな私達が国家の滅亡を前提に話すなど、外に漏れればとんでもない事になる』
「……」
『いずれはそれを話すときが来るかもしれない。しかし、それは今ではないだろう。自重したまえ、ヤン提督……』

今は話すときではないか……。やはり議長はそれを考えている。帝国の脅威にならない形で民主主義を残す、それならヴァレンシュタイン元帥を説得できるかもしれない……。いずれは話すときが来るのかもしれない、そしてその時は遠い事ではないだろう。それが分かっただけでも良しとすべきだ。

重苦しい空気を振り払うかのようにトリューニヒト議長が話題を変えてきた。
『レベロがルドルフについて面白い事を言っていた』
「面白い事、ですか」

私の問いかけにトリューニヒト議長は笑みを浮かべて頷いた。
『ルドルフは最初から神聖不可侵の皇帝になろうとしたのではないだろうと、多少独善的では有っても改革の意思に溢れた人間だったのではないかとね』
「はあ」

何と言って良いのだろう、確かに有り得る話ではある。先程までの話に関連が有るのだろうか? 私の困惑に気付いたのだろう、心配するなと言わんばかりにトリューニヒト議長が笑い声を上げた。

『私は別な事を思った。ルドルフは本当は皇帝になど成りたくなかったのではないかとね』
「成りたくなかった? 皇帝にですか?」

私は余程間抜けな声を出したのかもしれない。トリューニヒト議長はまた笑い声を上げた。
『彼は自分が危険な方向に進んでいると思ったのではないかな。このままで行けば独裁者になると。だから何処かで自分を止めて欲しいと思った。首相と国家元首を兼ねたのも、終身執政官になったのも、皇帝になったのも、何処かで銀河連邦市民が自分を止めてくれる事を期待したからではなかったか、ところが連邦市民はそれを許してしまった……』
またトリューニヒト議長が笑った。

『呆れただろうね、連邦市民を軽蔑しただろう。彼は自分が神聖不可侵だと思ったのではない、連邦市民を馬鹿だと軽蔑しただけだ』
どう考えれば良いのだろう、トリューニヒト議長は市民とは無責任で愚かだと言っているのだろうか、それとも単純に自分の思ったことを言っているだけなのか……。

「劣悪遺伝子排除法もそれが原因だとお考えですか?」
『そうだ、権力者というのは自己を神聖視していれば自分を讃えるだけだ。相手を軽蔑しているからあんな悪法を発布する。軽蔑していなければあんな悪法は生まれてこない……』
「……」

『それに、あの法はどちらかと言えば政治的な意味があって発布されたと私は考えている』
「というと」

『帝政に反対する人間をあぶり出し、抹殺するためだ。社会秩序維持局が設立され政治犯に対して猛威を発揮するのはあの法が発布された後だ。ルドルフは連邦市民を軽蔑した。彼らに民主主義など相応しくないと考えた。だから民主共和制を信奉する人間達を弾圧した……』
「……」

自己を神聖視するからではなく、市民を蔑視するから、民主制を運用できないと考えたから劣悪遺伝子排除法が生まれた……。そんな事が有るのだろうか?
『ルドルフ自身、あの法が馬鹿げたものだとは分かっていただろう。彼の息子は先天的な白痴だったそうだからね』

「しかしルドルフはあの法を廃法にしていません。馬鹿げたものだと思っていたのなら何故廃法にしなかったのです。議長の仰る事は辻褄が合いませんが」
私の反問にトリューニヒト議長は一つ頷いた。

『後継者のためさ。先代の非を改める事ほど後継者への信望を集める手段は無い。帝政を磐石ならしめるためルドルフは敢えて厳しい顔を見せた。温容は後継者が見せれば良い、違うかな?』
「……」

『残念な事にルドルフの死後、帝国では反乱が起きた。その所為で帝国の後継者は温容を見せる事が出来なくなった。劣悪遺伝子排除法も社会秩序維持局も存続し続けた……。もし、あの反乱が無ければ帝国はもっと違った歴史を歩んだかもしれない。自由惑星同盟も無かったかもしれない……』

トリューニヒト議長は沈鬱な表情をしている。本当にそう思っているのだろうか? 一理有る事は認めざるを得ないがルドルフを認める? 納得がいかなかった。大体ルドルフは間違いなく自己を神聖視していた。

「しかし、彼が自分を神聖視していたのは間違いないでしょう。例の度量衡のことも有りますし……」
『クレーフェ財務尚書の事かね』
「ええ」

ルドルフは度量衡の改定を行なおうとしている。自分自身の体重を一カイゼル・セントナー、身長を一カイゼル・ファーデンとして全ての単位の基準にしようとした。しかしその試みは阻止された。当時の財務尚書クレーフェが度量衡の改定に伴う費用を試算し、その巨額さにルドルフが断念したからだった。今でもルドルフの自己神聖化の具体例として挙げられ嘲笑されている話だ。

『ルドルフは試したのだよ、クレーフェをね』
「試した?」
試した? 予想外の言葉だ、思わず鸚鵡返しに反問するとトリューニヒト議長が可笑しそうに笑い声を上げた。

『クレーフェの試算は明らかに過大なものだった。ルドルフがそれに気付かなかったと思うかね?』
「……それは、気付かなかった可能性は有るでしょう。彼は元々軍人です。経済にそれほど詳しかったとも思えません」

正直こじつけに近いだろう。長期間に亘って国家を統治してきたのだ。全く分からなかったとも思えない。だがトリューニヒト議長は不愉快そうな表情は見せなかった。むしろ楽しげに話しかけてくる。

『なるほど、では彼の周囲はどうだろう、誰もそれに気付かなかったと君は思うかね』
「……」

『そんな事は有り得ない、誰かが気付いたはずだ。そしてルドルフにクレーフェが嘘を吐いていると言っただろう。もしルドルフが自己を神聖視していたのならクレーフェを許さなかったはずだ。彼は殺されていただろう』

「ではルドルフが試したというのは……」
『クレーフェが信用できる人物か、それともただの追従者か、それを確認したのだと私は思っている』

呆然とする私を見てトリューニヒトが楽しそうに笑い声を上げた。
『ヤン提督、私の推論は楽しめてもらえたかな?』
「あ、いえ、余りにも大胆な推論で」

『付いて行けないか。まあ無理も無い、政治とは結果でしかないからね。どのような意図の下に行なわれたかを省みるのは歴史家達だけだ。それも必ずしも好意的に見てもらえるとは限らない。厳しい事だ』
「……」

『これから同盟は厳しい状態に追い込まれる。当然我々に対する評価も厳しいものになるだろう。努力しても評価されない、不当に評価される、そんな事になるかもしれない……。逃げたいかね?』

「そういう気持はあります。しかし逃げられません」
『何故かな?』
「ヴァレンシュタイン元帥が言っていました。もう後戻りは出来ないと……。私も同じです、多くの人間を死なせました。逃げる事は出来ないんです」

私の言葉をトリューニヒトは黙って聞いていた。そして呟くように言葉を出した。
『私もだよ、ヤン提督。これまで主戦論を煽って大勢の人間を死地に追いやった。いまさら逃げる事は出来ない。流した血の量を無駄には出来ない……』

人を動かすのは熱意でも義務でもないのかもしれない。血の量とそれに対する贖罪の気持ちなのかもしれない。もしそうなら、犠牲無しには前に進めない人間とはなんと愚かな生き物なのだろう……。





 
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