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トシサダ戦国浪漫奇譚

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第一章 天下統一編
  第八話 武田旧臣の仕官

 俺は秀吉から相模守の官職に任じられて以来、陰鬱な毎日を過ごしていた。
 俺は武将だから前線で激しい斬りあいをする必要はない。だが、自分の身は自分である程度守れないとまずいと駿河前左大将思っている。北条側には相州乱破の流れを汲む風魔衆を従えている。
 風魔衆は諜報活動に長じているというより、敵陣の攪乱を得意とする。そのため荒事に長けている。
 十二歳の俺の体躯で剣の稽古を頑張っても、大人の侍相手に五分の戦いをすることは無理だ。もし、俺が戦場で孤立した状況で敵に襲撃された場合、それを撃退することは難しい。
 後半月位で俺のどう足掻こうと剣術の技量が激変するとは思っていない。だが、今後のことを考えれば、しっかり鍛錬をしておく必要がある。調度良く俺のところにおあつらえつきの人間が仕官してくれた。
 胤舜様様だな。
 今の俺の伝手は大和国興福寺くらいしかない。それも細い糸だ。これを機会にもっと深く交流した方がいいかもしれない。
 胤舜は柳生宗章と柳生宗矩を紹介してくれた。二人は大和国の柳生庄の生まれだ。大和国といえば俺の叔父、豊臣秀長、の領地になる。柳生家は豊臣秀長が陣頭指揮を執る検地で不正確な石高の申告したために柳生庄を没収され没落した。生活に困窮する柳生家を見かねた胤舜が柳生家に仕官の話を持って行ったらしい。
 柳生宗矩から聞いた話だが、胤舜は柳生家当主である柳生宗厳と武芸を通じて親しい関係にあるらしい。柳生宗厳は柳生石舟斎の名乗りのほうが有名で名の知れた剣豪である。そして、柳生宗章と柳生宗矩の父でもある。その二人は元々北条征伐で陣借りをするつもりだったらしく、俺の話は渡りに船だったようだ。
 ただ、柳生宗章は性格が気難しく「陣借りするつもりだったが、修行中の身なので仕官はしない」と言い出した。歴史でも徳川家康からの仕官の話を蹴った位だし剛毅な性格なのだと思う。そんな彼が何で俺の弟である小早川秀秋に仕官したのかが理解できない。でも、俺の元に食客として身を寄せているため歴史通りになるか分からない。
 俺は二人とも手放すつもりはない。気難しい柳生宗章には俺の護衛役を頼むことで話をつけているから、しばらくは俺の元にいると思う。その間に仕官してもらえるように頑張ろう。

「殿、鍛錬中に物思いにふけるとは何事です!」

 柳生宗矩が厳しい表情で俺に叱咤してきた。そう言えば今は柳生宗矩に剣の稽古をつけてもらっていたのだった。最近、悩み事が多くて考え込むことが多い。
 こんなところを刺客に襲われたら確実に死にことになるな。俺は自分の頬を両手で叩き気分を切り替えた。

「又右衛門、すまない。仕事が忙しくて考え込んでしまった」
「その隙が命取りになります。戦場で相手は殿の都合に合わせてはくれません」

 柳生宗矩は俺の弁明を払いのけて厳しい口調で注意してきた。彼の言うことは最もだな。
 稽古中だから問題ないが戦場で考え込んでいるところを襲われたら間違いなく死ぬ。

「肝に銘じておく」

 俺は神妙な気持ちで柳生宗矩に頷き返事した。柳生宗矩が俺の家臣になる時に「お前と私は君臣の関係だが問題があると思う部分は気兼ねせず注意してくれ」と頼んでいた。お陰で自分では気づかない点を知ることができ彼には感謝している。
 対して柳生宗章は護衛役として俺の稽古を離れて見ている。相変わらず仏頂面で何を考えているか分からない。ただ、俺の護衛役という役目は理解しているのか、つかず離れず俺の側近くにいる。

「五郎右衛門、たまには剣の稽古をしてくれないか?」

 俺は徐に柳生宗章に声をかけた。柳生宗章は動ずることなく「拙者は修行中の身。人に剣を指南する器量はござらん」と短く答えた。予想した通りの返事だった。何度か折りを見て頼んでみているがこんな感じで相手にされない。俺みたいな剣習いたての小僧は相手にできないんだろう。
 しかし、柳生宗章は何を考えているのかわからない。熊のようなでかい図体で他者を威圧するような雰囲気をまとい、その上に口数が少ないため話をかけずらく他人を寄せ付けない。俺の知る人間の中で「孤高」という言葉がこれほど合う人間はいない。
 ただ、俺の知る柳生宗章についての歴史は少ない。だが、その情報を総合すると、彼は受けた恩義には命を懸けてでも報いる義侠心篤い人物だと思う。だから、彼は護衛役としては適役だと思っている。

「兄上、何度も殿が頼んでいるのです。一度くらい相手をされてはいかがです」

 柳生宗矩が兄、柳生宗章、をたしなめる様子を見ながら、この兄弟は対照的だなと思った。柳生宗矩は柳生宗章と違い社交的な性格だ。それに目上の者には忠実で空気も読めて気をつかえる。組織で出世するのは柳生宗矩だと思う。
 柳生宗矩の言葉の通り柳生宗章は俺に剣の稽古はつけてくれない。いつも柳生宗章ははぐらかすような返事をするばかりで俺は喉に魚の骨が刺さったような気分だった。

「又右衛門、気にしなくてもいい。五郎右衛門にも考えがあってのことだろう」

 俺は柳生宗矩を制止するが、彼は柳生宗章の態度に業腹のようだ。彼の立場としては俺の言葉を歯牙にもかけない態度をとり続ける柳生宗章の態度が気に食わないだろう。
 柳生宗矩は二百五十石で召抱えたが、その知行から困窮している実家に仕送りをしているようだ。俺の元で食客をして剣術三昧の兄に頭がくるのも頷ける。俺が柳生宗矩の立場なら毎日苛々した日々を送っていることだろう。

「しかし! 殿は何度も兄に」

 俺は柳生宗矩の言葉を遮った。

「気にしなくていい。五郎右衛門が私に指南しないのは私が若輩で剣が技量が未熟だからだろう」
「殿、兄は決してそのような」
「その通りござるが少し違います」

 柳生宗矩は喋り終わるのを他所に柳生宗章が会話に割り込んできた。久方ぶりに口を開いたので俺は彼が何を話すか興味を持った。

「拙者は真剣勝負しかいたしません。拙者は相模守様と死合をするわけにはまいりません。故にご容赦いただきたい」

 剣を抜き向き合う以上は殺しあう。柳生宗章は俺にそう言った。俺に剣の稽古をつける気はないと言い切られてしまった。柳生宗章にとっては剣は遊びでは無いと言いたいのだろう。こうまで言われては剣の稽古を頼む訳にはいかない。
 普通の主君ならここで柳生宗章を手打ちにしようと思うだろう。
 でも、俺は大笑いした。

「殿!?」

 突然大笑いした俺に柳生宗矩は動揺する。柳生宗章は静観した様子で俺のことを見ていた。

「はっきりと言ってくれてすっきりしたよ」

 俺は笑顔で柳生宗章を見た。

「五郎右衛門、お前は私の護衛役に徹してくれ。又右衛門、お前には私の剣の稽古をこれからも頼む」
「承知」
「かしこまりました」

 俺は強引に話をまとめた。俺に剣の稽古をしたくないという人間にしつこく頼み過ぎても時間の無駄だ。それに柳生宗章には俺に仕官してもらいたいから、俺の器の大きいところを見せておく必要がある。



「藤林長門守様が殿に目通りしたいと参っております」

 俺が柳生兄弟と話をしていると、小姓の一人がやってきた。この小姓を含め、俺に仕える小姓達は俺の本当の実家である木下家からきた者達だ。小出家から来た者達は秀清の下につけている。小姓達は俺と年齢があまり変わらない。俺と歳が近いから気を使う必要ないため気が楽でいい。

「又右衛門、また剣の稽古を頼む」

 俺は柳生宗矩に声をかけ柳生宗章を伴って奥座敷に移動した。俺が室内に入ると藤林正保と見知らぬ三人が平伏したまま待っていた。
 俺が上座に着座すると藤林正保が口を開いた。

「殿、ご紹介いたします。左から、曽根内匠助殿、乾加兵衛殿、孕石小右衛門殿でございます」
曽根昌世(まさただ)と申します」
「乾正信と申します」
「孕石元成と申します」

「面をあげられよ」

 三人は藤林正保に紹介された順番で名乗った。俺は「曽根昌世」と名乗った四十歳位の中年の男を見て固まってしまった。「曽根内匠助」には聞き覚えがないが、「曽根昌世」の名には知っていた。甲陽軍鑑には曽根昌世が武田信玄から「昌世と昌幸は我が両眼」と称されたと書かれている。ただ、この一節は出展が甲陽軍鑑だけにどれほど信用できるか分からない。
 曽根昌世は武田家滅亡する前に徳川家康に内通していた。そして、彼は武田旧臣を諜略し徳川家康に投降するように動いた。その手腕は徳川家康から高く評価されたことは武田滅亡後に城主に任じられたところからみても間違いない。
 その曽根昌世が俺の元に来ている。それは彼が徳川家康の元を出奔したことを意味する。
 曽根昌世が出奔した理由はなんとなくわかる。彼は早い時期に武田家を裏切った。それを徳川家康が嫌ったのかもしれない。武田家の同盟者といえる穴山梅雪と違い、曽根昌世は武田信玄に引き立てられた武田家の家臣だ。徳川家康が裏切らせたにも関わらず勝手な話だと思うが、徳川家康の中では含むところがあったのかもしれない。
 北条征伐後、関東に移封された徳川家康は禄に抵抗しなかった北条家の家臣達を強制的に帰農させた。そこに徳川家康の価値観が見て取れる。
 だが、曽根昌世が有能な人材であることは間違いない。だから俺は彼が仕官するというなら雇う。裏切るかもしれない人材だから使わないのは勿体ない。問題のある人材なら使いどころを誤らなければいいのだ。

「私は小出相模守藤四朗俊定といいます」

 俺が名乗ると三人は俺に対して深く頭を下げた。

「長門守、彼らは当家に仕官を希望されているのか?」
「殿、その通りでございます」

 俺が藤林正保に話を振ると頷いた。三人も探してきてくれたのか。それも一人は大物じゃないか。彼の満足する知行を出せる自信がない。千石が限界だな。北条征伐で領地が増えればもっと出せるんだがな。

「殿、この方々は武田旧臣でございます。乾殿は戦場の経験がございません」

 俺の悩みを余所に藤林正保は話を続けた。その話を聞いて驚くと同時に乾正信のことを訝しんだ。乾正信はどう見ても中年である。この年で戦場の経験がない武田旧臣がいるのだろうか。もしかして内政方面の家臣なのだろうか。それならそれで構わない。

「そのお歳でですか?」

 俺は奇妙に思い乾正信に聞いた。乾正信は風体は困窮していそうだったが、元々の育ちの良さが顔に表れている。

「恥ずかしながら。私の父は徳栄軒様に誅殺され、私は幼少であったため甲斐にて蟄居しておりました」
「乾殿のお父上は武田家重臣、板垣信憲殿にございます」

 乾正信は言いづらそうに自分の身の上を語りだした。その後を継ぐように藤林正保が彼の素性を俺に説明しだした。
 甲斐武田家の板垣氏。俺はピンときた。乾正信は武田家の庶流である板垣氏の出身ということになる。板垣氏の出身だったなら蟄居といってもそれなりの地位の共がいたはず。
 彼を仕官させても支障はない。今後のことを考えれば家臣つきの人材の方がありがたい。

「乾殿、失礼を承知でお聞きします。武芸の嗜みはありますか?」

 俺は聞きづらい質問をさせてもらった。いい年した武家出身の大人に聞くことじゃないが、北条征伐に同行してもらうなら聞いておく必要がある。

「勿論です!」

 乾正信は姿勢を正し自信に満ちた表情で俺に答えた。この様子なら多分大丈夫だろう。

「それなら問題ありません」

 俺は笑顔で乾正信に答えた。俺は次に孕石元成の顔を見た。

「孕石殿は元々は駿河今川家に仕えておりました。その後、今川家滅亡後に甲斐武田家に仕え現在にいたります」
「馬術は得意ですか?」
「得意であるか分かりませんが馬の扱いは慣れています」

 この人は騎馬隊に組み入れよう。それに年齢も高いから騎馬隊の取りまとめ役になれるだろう。

「孕石殿、ありがとうございました。それでは曽根殿」

 俺は真打の曽根昌世の方を向いた。どういう経歴の人間であるかは大体知っている。でも、人物像ははっきりしない。歴史の情報だけだとこれが限界だな。

「曽根殿は武田家で足軽大将を勤められておりました。また、武田家滅亡後は徳川家に士え興国寺城の城主を任されておりました。その後、徳川家を去り今に至ります」

 歴史通り城主格か。その地位は武田家を裏切り他の武田旧臣を寝返らせたことに対する恩賞だろう。でも、徳川家康は無能な者を城持ちにするほど甘い人物じゃない。城主に必要な力量は十分にあったのだろう。

「曽根殿、話したくなければ話さなくとも構いません。徳川家を去った理由を教えてもらえますか?」

 教えてもらえなくても問題ない。だが教えてくれるなら聞いておきたい。

「言いたくはありません」

 曽根昌世は視線を落とし考えていたが短く返事した。城主にまでなった人物だから「徳川家康は武田家を裏切った自分を嫌い、徳川家に居づらくなった」と情けない抗弁はしたくないのだろう。

「そうですか。それなら構いません。曽根内匠助殿、家老格として千石で仕官してくださいますか?」
「小出様、一つお尋ねしてもよろしいでしょうか?」

 曽根昌世は俺の掲示した条件を聞き終わると俺に質問してきた。

「何でしょうか?」
「失礼ながら小出様の知行は五千石と聞いております」

 曽根昌世はそこで言葉を切った。その先は言いづらそうだった。
 俺は曽根昌世の聞きたいことが何か直ぐに理解した。彼は俺が千石も知行を払えるのかと聞きたいのだろう。確かに面高は五千石だからな。心配するのも当然だな。

「私の知行は表向き五千石ですが、関白殿下の心遣いを受けまして、実際の領地の収入は一万石あります。このことは内密にお願いします」
「失礼なことを申しました。心して仕官の話をお受けいたします」

 曽根昌世は俺に平伏した。

「曽根内匠助、よろしく頼む」

 乾正信は百五十石、孕石元成は二百五十石で俺に仕官した。





 俺は聚楽第にある徳川屋敷に向かった。曽根昌世を俺が雇うから徳川家康に話だけは通しておこうと思ったからだ。徳川家康は昔のことを根に持つ性格だから念のためだ。
 それに、徳川家康に堂々と気兼ねせずに接触できる良い機会だ。
 徳川家康から見れば俺は小身だから家臣に対応させるかもしれない。それならそれでもいいと思う。徳川家に対して話を通した事実が重要だ。

「殿、駿河前左大将様はご在宅ではないということです」

 先に徳川屋敷に向かっていた秀清が馬を走らせて戻ってきた。
 徳川家康は不在か。
 事前の連絡なしの訪問だから仕方ないな。

「叔父上、駿河前左大将様への要件は伝えてくれましたか?」
「それは滞りなく伝えました。本多佐渡守様が話を聞いてくださるそうです」

 俺は本多正信の名前を聞いて沈黙した。
 徳川家康の懐刀、本多正信が対応するなんて憂鬱な気分だ。

「本多佐渡守殿は話を聞くと仰られたのですか?」

 俺は秀清に気になる点を質問した。

「はい、そのように言いました。何か問題でも」

 本多正信は徳川家康以上の食えない狸爺だと思う。「話を聞く」とは俺の要件を了承したという意味じゃない。言葉通り話だけ聞くということだ。この分だともう一度徳川屋敷に出向く羽目になるな。二度手間になることが面倒だ。秀清は俺が何を気にしているのか理解していないようだ。

「叔父上、問題はありません。徳川屋敷に向かいましょう」

 本多正信は俺に会うというなら会おう。ここまで来て帰るのも後々面倒なことになりそうだからな。俺は気持ちを切り替えて徳川屋敷に向かうことにした。





 俺が徳川屋敷に到着すると、すんなりと屋敷の中に通され一室に通された。調度品は一切無く殺風景な六畳間の部屋だ。

「お待たせいたしました」

 俺と秀清が部屋で待っていると本多正信が障子戸を開け部屋に入ってきた。彼の初印象は物腰穏やかな痩せた中年だった。本多正信は槍働きというより徳川家康の参謀として功績を上げた人物だ。それに熱心な一向宗門徒であり、徳川家康を裏切り対立したこともある。
 徳川家内では本多正信のことを面白くないと思っている者達もいるに違いない。それでも徳川家康は本多正信を重用している。
 裏切っても徳川家康に重用されるということは、それだけ優れた人物だということだ。一時期本多正信が仕えていた松永久秀は「非常の器」と評している位だからな。
 徳川家康の損得抜きで使える者は使い尽くす性格は俺も模範にしないといけないと思う。

「本多佐渡守正信と申します。小出相模守様、殿は使者殿にお伝えした通り不在にて。私が替わりにご用件を承りましょう」

 本多正信は俺に挨拶をしつつ、秀清の方を一瞥した。

「本多佐渡守殿には一度お会いしたいと思っておりました。駿河前左大将様に目通り適わないことは残念ですが、本多佐渡守殿に会え怪我の功名というものです」
「そんなに褒めても何も出せませんぞ」

 本多正信は機嫌良く俺に返答してきた。

「今日、駿河前左大将様の元に参った理由は他でもありません。当家に曽根昌世が仕官を希望しております。私は曽根昌世を召抱えるつもりでいますが、聞けば曽根昌世は過去に駿河前左大将様にお仕えし理由があって出奔したと聞きました。それで駿河前左大将様には当家に曽根昌世を召抱えることはお許し願いたいと思いました」

 俺は澱むことなく自分の用件を全て本多正信に伝えた。この屋敷に秀清を向かわせた時、秀清には「曽根昌世のことで話が有る」と伝えていたから本多正信も俺の今言った話は想定の範囲内だろう。その証拠に彼は落ち着き払った様子だった。

「わざわざご丁寧に小出相模守様自ら足を運んでいただきありがとうございました」

 俺もここまで丁寧に挨拶する必要はないと思っている。まだ、奉公構が一般的になっている時期じゃない。でも、話を通しておいて相手も嫌な気分はしないだろう。
 その証拠に本多正信は俺に友好的な雰囲気だった。

「確かに曽根昌世は当家を出奔しております。いずこに居るかと思っておりましたが小出相模守様の元に居りましたか」

 本多正信はしみじみとした様子で喋りだし、一瞬視線を俺から逸らし遠くを見る目をしていた。彼は甲斐武田旧臣を徳川家に組み込んだ功績があったはず。曽根昌世とも面識があるのかもしれない。

「曽根内匠助は元気にしておりますか?」

 本多正信は徐に俺に聞いてきた。

「元気にしています」
「そうですか」

 本多正信は安堵した表情を浮かべた。

「確かに小出相模守様の話は承りました。殿にはしかとお伝えいたしますのでご安心ください。後日、殿にご裁可を仰ぎ返答させていただきます」

 予想通り俺が曽根昌世を家臣することに了承するとの返答は無かった。本多正信がわざわざ対応するあたり、本当に徳川家康は不在なのだろうかと勘繰ってしまう。案外隣の部屋で聞き耳を立てているのかもしれない。

「この場でご返答はいだけないのでしょうか?」

 本多正信は笑みを浮かべ口を開いた。

「私は代理で話をお聞きしただけこと。この話の判断は殿がご裁可なされます」

 本多正信の言い分は最もなことだ。だが、ここまで話を引き伸ばす必要があるのかな。
 俺の知る歴史では天正十九年に曽根昌世が蒲生氏郷に仕えている。この時期の蒲生氏郷は伊勢十二万石の大名だから俺に比べ大身だから、俺の場合とは比べることがおかしいのかもしれない。
 それに蒲生氏郷の場合、一々徳川家康に話を通していないのかもしれない。徳川家としても話を通されたら正式な手順を執らざる得ないのだろう。

「勇み足でした。本多佐渡守殿、ご無礼をお許しください」

 俺は本多正信に頭を下げ謝罪した。俺は彼に食い下がることなくあっさりと引いた。駄目もとで聞いただけから別に問題ない。

「いえいえ、全く気にしておりません」

 本多正信は気にした様子はなかった。

「駿河前左大将様が色よい返事をくださることをお待ちしております」
「ところで。小出相模守様は曽根内匠助の出奔の理由をどこで知ったのですか? 曽根内匠助から聞いたのですか?」

 俺が会話を切り上げようとすると、本多正信は俺に質問してきた。今頃になって聞いてくる話じゃないと思うんだがな。

「曽根昌世は一言も語っておりません。当家の者に事情を知っている者がいたのでたまたま知ったのです」
「小出相模守様は曽根内匠助の出奔の理由を知ってどう思われましたか?」

 本多正信は済ました顔だが彼の目は俺を探るような雰囲気だった。こういう視線は気分が悪い。

「何も思うところはありません」

 俺は即答した。変に飾った言葉を言う必要はないと思う。そんことすれば俺が何か思うところがあると言っているようなものだ。

「本当に何もないのですか?」

 本多正信は再度質問してきた。この様子だと俺が何か言うまで聞いてきそうな雰囲気がした。

「そうですね。敢えて言うなら。曽根内匠助は駿河前左大将様とは反りが合わなかったということでしょう」

 俺は思案する素振りをした後、言葉を何気なく思いついたように装いながら答えた。
 本多正信は俺の返答に口元を緩めていた。

「では、小出相模守様と曽根内匠助は反りが合いましょうか?」
「わかりません」

 俺は言葉を一旦切る。本多正信は俺が喋り出すのを待った。

「私は若輩の身ですから周囲の声に耳を傾け試行錯誤しながら家臣達とともに歩むつもりです。それが若さの特権ではないでしょうか。曽根内匠助は縁あって当家に来たのですから末永く君臣の関係を築きたいと思っています」

 俺は落ち着いた表情で本多正信に答えると、本多正信は「一本取られましたな」と答えた。
 下手に「反りが合う」と答えることができる訳がない。そんな言い方をすれば「徳川家康に器量がなく、俺は徳川家康より器量がある」と言っているように相手に受け取られかねない。
 徳川家康は秀吉亡き後の豊臣家に対し、そういった些細なことに因縁をつけていた気がするから余計なことは言わない方がいい。





 その後、俺は徳川屋敷を後にした。
 翌日、徳川家康から俺に手紙が届けられた。その内容は俺が曽根昌世を家臣にすることに何も咎めるつもりはないことと、不在で会うことがきなかったことへの侘びの言葉と詫びの証に三日後に徳川屋敷に招待したいと書かれていた。
 俺は手紙を凝視し何度も読み上げた。徳川家康が俺を屋敷に招待したいと言っている。これ幸いだ。今の俺の身分では徳川家康に会う機会なんてそうそうない。この機会を逃す訳にはいかない。徳川家康にはできるだけ早めに顔を覚えてもらった方がいい。

「殿、駿河前左大将様はなんと言ってきているのです」

 手紙を俺に持ってきた秀清が俺に聞いてきた。手紙の内容が気になっている様子だった。

「駿河前左大将様は曽根昌世の仕官について何も咎めるつもりはないと言っている。それと俺を屋敷に招きたいそうだ」

 俺は手紙を秀清に手渡した。俺の返事にほっとした秀清だったが、俺の最後の話に驚きながら受け取った手紙を読み出した。

「駿河前左大将様がお前を何でわざわざ屋敷に呼ぶんだ!?」

 秀清は驚きのあまり地を出し俺に話しかけだした。徳川家康が俺を屋敷に招待する理由は分からない。だが、俺に興味を持ったことは事実だろう。
 幾ら俺が秀吉の親類とはいえ、俺は元服したての小僧で小出家の嫡子からは外れている。俺の実家は寧々叔母さんの兄の家だからそれで気を使ったとも取れなくもない。でも、そうだとしても俺みたいな五千石程度の旗本に気を使うものだろうか。
 これが俺の弟、秀俊(後の小早川秀秋)なら分かる。弟は秀吉の養子、れっきとした豊臣家の連枝、だからな。

「向こうが招待している以上は俺には断れないだろ」

 俺は笑みを浮かべ秀清に話しかけた。

「駿河前左大将様は曽根内匠助の件でお前に不満があるのではないか? それでわざわざ招待とかこつけて自分の屋敷に呼んだのかもしれない」
「向こうは東海道を制する百三十万石の大名ですよ。関白殿下は駿河前左大将様に上洛中の賄い領として十万石を出しています。これだけで関白殿下は駿河前左大将様に凄く気を使っています。俺が小出家・木下家に縁があると言っても、俺みたいな小身の若造に気を使う理由なんてないでしょう」

 秀清の心配を払拭するため俺は自論を述べた。俺の話に秀清は少し落ち着いた様子だった。

「では、理由は何なのだ?」

 それを俺がわかる訳がない。

「叔父上、行けばわかると思います。下々の俺達が雲上人の考えなんて思いつくわけがないでしょう。ですが、俺に脅迫の類をする気はないはずです。もしやるなら手紙なんて送ってこずに使者を送って直接伝えるはずです」

 秀清は俺の説明を聞きようやく納得した様子だった。もう少し秀清には肝が据わって欲しいものだ。

「共には誰をつけるつもりだ」

 秀清は気分を切り替え、三日後の準備に話し出した。誰を連れて行くか。

「駿河前左大将様も特に人選を指定していませんから叔父上と柳生五郎右衛門だけいいです」
「柳生五郎右衛門を連れて行っても良いのか?」
「どういう意味です」

 俺は秀清の言葉の意味が分からず聞き返した。

「駿河前左大将様が五郎右衛門が食客と知ったら仕官しないかと誘うかもしれないと思ってな。お前は五郎右衛門のことを気にいっているのだろう」
「五郎右衛門のことは心配しなくても大丈夫です。不義理をするような人間じゃありませんから。少なくとも北条攻めが終わるまでは俺の元に居てくれますよ」
「その後はどうなのだ」
「五郎右衛門は駿河前左大将様に軽返事はしないです」

 俺の落ち着き払った様子に秀清は「お前がそう言うならもう何も言わない」と言った。何時もの秀清なら泰然自若としているんだが、今回は相手が徳川家康だからだろう。
 相手は「東海道の弓取り」と言われた大物だからな。だが、その徳川家康と俺は今後上手く立ち回わらないといけない。秀清にはもう少し堂々と構えてもらわないと困るんだが、俺の懐刀になる人物を探すしかないかもしれない。
 人物なら柳生宗章だが、柳生宗章は武辺者過ぎて参謀役は無理だろう。彼の弟、柳生宗矩は年を重ねれば頼りになる参謀役になるだろうが如何せん時間が限られている。
 時間がないことが呪わしい。せめて二十年前に生まれていればまだ巻き返しが可能だった。
 考えるだけ無駄なことだな。今はどう生き抜くか考えなければならない。一番は徳川家康に気に入られることだが、俺は秀吉の寧々に凄く近い親戚であることが不安要素なんだ。この点はどうしようもないし、俺の一番の利点でもある。
 俺は徳川屋敷に行く日のことを考え気持ちが高ぶっていた。 
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