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鋼殻のレギオス IFの物語

作者:七織
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第二章 【Nameless Immortal】
  肆 裏/表の接合点

 
前書き
 剄脈筋萎縮性循不全硬化症。通称、剄脈硬化症。
 それが自分の身に埋め込まれていた呪いの名前だ。

 剄脈硬化症は名の通り剄脈が凝り固まって駆動せず、微量の剄しか生成できない病だ。
 遺伝子欠陥病の一種とされ症例も少なく療法は確立されていなかった。

 
 武芸者として望まれていた自分は何度も病院に行った。母が自分で調べたという治療を何年も受けた。
 きっと、母にはもう後が無かったのだろう。

 ある日、父が教えてくれた。自分の血は、家族の誰とも繋がっていないと。
 少し悲しかったけれど、反対に嬉しさもあった。
 自分を大切に、愛してくれるのは、血縁が理由では無いということだから。
 だから一層の事、彼らの期待に応えられぬことが悲しかった。

 ただでさえ貧しかったのに日に日にお金は消えて行った。
 日を追うごとに母は窶れ、父との言い争いは増えた。家の中も荒れていった。

 剄の使えない武芸者など世間の嗤いものだと父は言った。
 時折、縋るように母に抱きしめられた。大事な我が子だと、母は呟いてくれた。
 だがそれでも、ずっと武芸者として成長の芽が出る日は来なかった。

 ある日、荒れつづけ痩せ続けた母が心配で言葉をかけた。
 大切に育てて貰えて感謝している事。皆を愛している事。自分が苦労をかけているのを辛く思っている事。
 返ってきたのは、母の平手打ちだった。
 二度、三度と掌を返しながら母は叫ぶように告げた。自分が家族と血縁が無い理由を。

――こんな事なら私の子供が良かった。お前のような欠陥品と病院で取り換えなければ、と。

 母は貧しい生まれだった。良縁に恵まれず、才も無かった。
 縋る思いで武芸者と寝たが、検査では授かった子に剄脈は確認できず、誰からの祝福も未来も無かった。
 そんな折、出産のために入院した病院で才能の有る武芸者の娘が生まれた事を母は聞いた。
 妄念から母は子供を入れ替えた。その病院が母が嘱託で務めた職場であったのも成功した理由だろう。

 周囲から見捨てられ、罪を犯した母はずっと希望を抱き縋っていた。
 己の子を見捨てた成果を。その罪を『埋められる』だけの『何か』を信じて。
 
 
 体の痛みを堪えながら、消えた母を想いながら、涙を流した。
 ただただ自分が不甲斐なく、情けなく。
 期待に答えられず母を追いつめた己の身を呪った。

 母から向けられていたはずの愛。
 それを疑う事が何よりも心を削った。疑いかけてしまった自分が、何よりも嫌だった。
 自分が怒らせてしまった。ただの一時の激情だ。だから……きっと……


 暫くして偶然家に訪れた父に薬を塗られた。気まぐれのような優しさがあった。
 父に怪我を見て貰うのは久しぶりで嬉しかったのを覚えている。
 服を脱ぎ、痣になっている肌を見て貰い、湿布を用意して貰った。
 父は手を伸ばし、痣の残る肌を触っていた。血縁が無いと知った子を柔肌を。

 体を見る父の視線。その意味が変わっていた。






 

 





「十分な睡眠が取れるというのは歓迎すべきことだね」

 その日のお昼頃、デスクに置かれた書類をカリアンは処理していた。
 いつもの生徒会長室とは違い、普段は他の役員が業務を行う一室だ。
 幾つもあるデスクにはカリアンを含め何人かの役員が座っている。

 生徒会に所属する生徒は二種類いる。
 一つはカリアンを始めとした純粋に生徒会に属している生徒。会長や副会長といった被選考者や関係者からの推薦・承認で属することになった者。
 二つは他に役職を持ち副次的に属している生徒。それぞれの科長や各種委員会の役員は職務の関係から生徒会に属する事となっている。

 その内の一人、不健康そうな顔の医療科科長が雑な字の走らせながら答える。

「全くだ。会長もやっとその事に気付いたか」
「研究に現場に雑事と君は君で大変だろうね」
「腐るほどいた怪我人が片付いたと思ったら今度はクレームだ。新米のせいで腕が無くなっただの対処が遅かったから死んだだの訴訟起こしやがって。会長は司法研究科だろう。実務経験がわりに安請け合いする馬鹿ども止めてくれよ」

 カリアン・ロスの所属する司法研究科は都市における司法の在り方を模索する場だ。
 上級生の中には裁判所において役割を有する生徒も存在している。

「訴える権利は誰もが有する。過程に不備が無ければ何も言えないよ」
「不祥事の言及はいい。だが仕事は選ばせろ。どいつもこいつも暇しやがってよ。そのせいで心病んだ奴も出てる」
「医者の不養生、とは違うか。その辺も問題だね」

 医療は人の命に係わる。だからこその責任もある。
 理由と結果はどうであれ訴えられればメスを握る事への恐怖も生まれる。
 無論、訴える側をただ抑止していいわけでは無い。彼らも被害者である。
 
 また、司法研究科の生徒が悪い面もあるのだ。
 非が無いなら堂々としていればいい。非があるならば私は正義である。
 自分とは無関係だからと相手のストレスを考慮しないものが一定数いるのだ。
 特に休業中だからと空いた時間で活動的になっている者もいる。

 だが手持無沙汰を呼ぶ余暇が原因の一端にあるのなら、多少は軽減されるだろう。
 来週から授業も一部が再開される。午前中のみの短縮講義が一週間続き、その後に以前通りの学園活動が開始される。
 そのため来週になればカリアン達の仕事も随分と落ち着くはずだ。

「話は変わ……いや、戻すが、眠気対策に栄養剤の類をここ暫く大量に飲んでね。前に話してくれたのは君だったかな? 私もエナドリや栄養剤の利き舌が出来るようになったよ」
「いや、それは私だ」

 錬金科長が小さく手と声を上げる。
 色褪せた白衣を着た痩身の……いや、痩せすぎていると思える男性だ。

「研究室で鍛えました。今度勝負しましょう会長」
「良いかもしれないな。面白い試みだ」
「俺も出来るぞ。混ぜろ。あんなん薬品と同じだ」

 医療科長も声を上げる。
 徹夜率が高く今日も朝早くから居た不健康組の一角が揃う。

「いいだろう、三人で勝負しよう。最も、負ける気はしないがね」

 不敵にカリアンが眼鏡を光らせる。
 不健康トリオに周囲の冷ややかな視線が向かう。
 近寄ったヴァンゼが呆れた顔をして書類でカリアンの頭を叩く。

「不健康自慢の暇があるなら寝て仕事をしろ。今後の施策だけじゃなく過去の遺産もあるだろう」
「軽い余興さ。邪魔はしないし、私の業務も忘れてはいないよ」

 過去の遺産とは歴代の生徒会長から残された施策の類だ。
 長い年月が必要であったり、何らかの問題によって当時は完遂されなかったもの。
 特に前生徒会長の物であることが多く、例にもれずカリアンの代にも多数ある。

「なら俺の仕事もさっさと片付けてくれると助かる」

 カリアンを叩いた書類がデスクの上に置きヴァンゼが席に戻る。
 記載事項は昨日の問題による都市警絡みの新施策に関する案件だ。
 武芸科長は都市警察長の任命・罷免権を持つからヴァンゼも関わっているのだろう。
 カリアンが視線を向けると隅のデスクに居る警察長が軽く手を上げる。

 元々、カリアンがここにいるのは他役員との業務を円滑に行うためだ。
 カリアンは軽く書類に目を通し、署名したそれを二人の元へ持って行く。

「現状、どの程度まで進んでいるかな?」
「既に行っているからな。大半は済んだ。後は確認とデータ化くらいだ」

 既にカリアンは担当分(午前分)の書類は大凡終わっている。
 書類を覗き込むカリアンに警察長が資料を差し出す。

「見ますか?」
「来ておいてなんだが、見ても良いのかい? 守秘義務があるだろう」
「生徒なら、そうですね。ですが来訪者ですから。それに私共としても会長に見て貰えるなら、と思っていました。特に今は」

 幼生体戦による多数の死傷者、治安の悪化、都市警の失態。
 武芸科と都市警察に対する生徒の目は現状厳しい物がある。
 単独では信頼が薄れる今、生徒科長の承認という形があるなら多少の保障にはなる可能性はある。

「そういう事なら見させてもらうよ」

 近くの椅子を引き寄せて座りカリアンは資料を開く。
 内容は案件に関した詳細を記した書類、それと来訪者の顔写真や身元の一覧だ。
 
 先日、事前の情報と準備がありながら都市警は情報強盗を取り逃がした。
 その原因の一つに来訪者の情報不足があった。
 旅券と共に確認する「証明書」の幅も緩く精査が浅い面があった。

 失態があったのに何もしないのでは多方面から叩かれる。 
 そのため来訪者用の対応が急遽変更された。
 再度の身分証や目的確認、顔写真の更新の必須化、etc.
 全うに制度を変えると多少時間がかかる為「情報強盗発生による緊急的な対策」という名目にして承認は後回しで少しずつだが既に行動が行われている。

「こういった確認作業は下の仕事ではないのかい?」
「実作業は現場の生徒にやらせています。一通り終わってますが、自前の放浪バスで来た者もいた様で、荷物の再検査があと少しというところです」
「そうか。人や物で何か出たりしたかい?」
「現状、報告は有りません。といっても現状疑惑が無い相手ですので、審査や検査の程度は前より少し厳しい程度ですがね」
「急な厳格化は無理さ。それでも問題が無いのは何よりだよ」
「はい。ああそれと、前に言っていた調査の件、もう少しで何らかの報告は出来るかと」

 カリアンは小さく頷く。余っているエナドリを開けつつ書類へ目を戻す。
 実際のところ、こうして書類を見た所で大した意味など無い。
 名や所属で想像を膨らませ、知っている都市名があれば思い出を想起する。その程度だ。
 息抜きのつもりで適当に上から下へカリアンは視線を動かしていく。

(思ったより意外と人数が――――)

 その視線が、途中で止まる。
 記されているのは一人の男だ。数日前から滞在しており、再検査にも協力的だったと記されている。
 だがカリアンはその男の名と写真から視線を動かさない。
 その男の名が、昔見た、記憶の片隅にある名前に引っかかったからだ。
 
 カリアンの様子に気付いたヴァンゼが振り返る。
 ヴァンゼが書類を覗き込み、その男の欄を見る。

「グラン・フーフォリア・ノーブル? 何か気になる点でもあったか?」
「いや……」

 カリアンは言葉を濁す。あくまで気になる程度で確信はないのだ。
 何せ引っ掛かりの根拠は六年前に見た資料だ。
 そこに記されていた(あざな)が記憶に残っていたからに過ぎない。

(確かこの字のはず。面影は恐らく、ある……)

 当然だが、記憶に残る姿よりも老けているようにカリアンは思う。
 本来ならばどうでも良い事と脇に流すのが妥当だろう。人間違いの可能性もある。
 だがもし、記憶通りの存在であった可能性を想えば、流すなど出来る筈がない。

「……ヴァンゼ、第一小隊の隊員は動けるかい?」
「午後から訓練をする予定だ」
「つまり動かせないわけでは無いと」
「性格同様お前の認識は歪んでいるな。まあいい、何をさせるつもりだ」
「この彼を監視して欲しい」

 件の男をカリアンは指差す。
 ヴァンゼがやや険しい顔つきになる。

「監視とはまた……何らかの危険性でもあるのか?」
「可能性の段階だよ。昔、実家で見た資料に載っていた気がしてね。記憶違いであってほしいとは思うが」
「気がする? 曖昧すぎるな。別人だったらどうする」
「それならそれに越したことは無い。杞憂であるならば何よりだ」

 よほどの緊急時でのない限り、確たる危険性や証拠も無く疑うという行為は問題を生む。
 何もなかった場合、権力の暴走などと揶揄される可能性もある。
 だがそれを踏まえた上でなお、カリアンが対処を望む程だとヴァンゼも理解する。
 横で聞いていた警察長が軽く手を上げる。
 
「事情があるならこちらから何人か貸しましょうか?」 
「いや、現段階で『都市警察』が動いたという事実が残るのは困る」
「それでしたら武芸科長の小隊も問題では?」
「それはそうだが、『何事も無かった』時の為にも隠密性が望める精鋭の方が良い」
 
 裏で動いていた事実が漏れさえしなければどうにでもなる。
 動く人員が少ない方が情報を知る人数も減る。
 それにあくまで会長の「個人的」な懸念だ。事情が分かる間の頼みごとの方が望ましい。

「……分かった。隊の連中には俺から言う。ただ、長くは無理だ」
「頼むよ。少なくとも日が変わる前までには答えを出す。それともう一つ。もし懸念通りなら仲間がいるはずだ。それにも気を付けて欲しい」
「そうか。懸念が外れていることを首を長くして待つとする」

 資料のコピーを手にヴァンゼは立ち上がって部屋を出ていく。
 
「まだコピーはあるかい?」
「ありますよ。どうぞ。後で処分をお願いします」

 警察長がデスク上からコピーを一部カリアンに差し出す。
 コピーを受け取ったカリアンはエナドリを飲みほして立ち上がる。
 
「少し仮眠してくるよ。朝が早かったのでね」
「十分な睡眠とは一体……そういえば会長宛てに荷物を預かってますよ」
「荷物?」

 デスクの引き出しを開けて警察長は袋を取り出す。
 その中に入った弁当箱を見てカリアンの顔が引きつる。

「妹さんとは不仲と聞いていましたが、いやはや微笑ましい事で」
「そ、そうか。嫌われてはいると思うのだがね。……殺されかねない程に」
「あれだけ可愛らしい女性から私も貰いたいですよ。羨ましい話です」

 では君が食べたらどうだ。
 そう言いたかったが色々な対面を考えてカリアンは口を閉ざした。
 爆発物を扱うかの如く慎重な手つきでカリアンは袋を受け取る。
 カリアンは重い足取りで部屋の出口へと向かっていった。














 灯りを落とした会長室のソファでカリアンは体を休めていた。
 決して劇物に胃をやられたのではなく、疲れを取るための仮眠だ。

 薄らとした現実の意識を捉えながら、カリアンは夢の世界を見ていた。
 考え事をしていたら何時の間に眠り、そのまま思考を夢としていた様に。
 カリアン・ロスの意識は過去の記憶を反芻する。
 それは六年前の記憶だ。






 ロス家はサントブルクにおいて情報を主に扱う資産家の家系だ。
 家は豪邸と入れるほど広く、カリアンもまた裕福な生活を送っていた。

 その日もカリアンは自室のベッドの上で本を読んでいた。本棚も多くある広い部屋だ。
 ツェルニの合格が決まってから久しい。書類や荷物の準備なども一通り終わり、後は放浪バスに乗る日を待つだけだ。
 扉を叩くノック音が二度ほど響き、少しして幼いフェリが入ってくる。

「兄さま、父さまが、呼んで来なさいって」
「ああ、直ぐに行くよ」

 本に栞を挟みカリアンは父の書斎へと向かう。
 呼ばれた理由は大凡見当がつく。恐らくツェルニの事に関してだろう。

 カリアンが学園都市に行くと決めた時、両親の態度は異なっていた。
 母は一度考え直す用に言い、父は強く望むならば好きにしろと言った。
 だが父も心配自体はあったのか忠告染みた事を多々言った。
 それはロス家の嫡男としての心得であり、自身の経験からの武勇伝染みた苦労話でもあった。
 また、数年いなくなるのだからと、商売人としての教育もいくらかされた。
 
 今回もその類だろう。カリアンは父の書斎の扉を叩いて入る。
 部屋の中には父が居た。羽ペンを手に机に向かっており、近くでは秘書の女性が棚の資料の整理をしている。
 扉の開閉音に気付いた父がカリアンを見る。

「来たか。さっき言ったのを頼む」

 秘書の女性が手を止める。カリアンの元へ来て薄い鍵付の黒バインダーと鍵を差し出す。
 バインダーには表題が無く分類を示す整理番号だけが記されている。
 カリアンは眉を潜める。その番号は全うな情報を示すものでは無かった。
 手を止めた父がカリアンへと体を向ける。

「カリアン、学園都市の用意はどうだ。意志は変わっていないか?」
「問題ありませんし、気持ちも変わっていませんよ」
「よろしい。何度も言っているが、多くの事に気を付けろ。外の大地や放浪バスは勿論だが、裕福であるという事は時に害も呼ぶ。サントブルク内なら私の手も及ぶが、都市を出ればどうしようもない。お前が思う以上に外は危険が多い」
「分かっています」
 
 何度も言われた事ですから。そう毒づき掛けた口を閉ざす。
 だがそんなカリアンの態度が分かったのだろう。小さく――まるで自分の決定を改めて肯定するように――溜息をついて父は頷いた。
 
「やはり、分かっていない。だろうと思いその資料を用意した」
「はあ。それで、何ですかこれは」
「少しは危機意識を抱かせるための物だ。自室で読め。フェリには決して見せるな。読み終わったら返すか、裁断して処分しなさい」

 秘匿情報か何らかの危険情報だろう。少しカリアンは気が重く、同時に興味をそそられる。
 秘書の女性がカリアンに告げる。

「私も編集しましたが、最初の一項を流し読み程度でも十分かと」
「分かりました」

 軽く頭を下げカリアンは書斎を出る。
 部屋に戻り念のため鍵を閉める。ベッドの上に横になりバインダーの鍵を外す。
 紙媒体で出力した無駄な労力の意味を想いながらカリアンは中を開いた。

 情報貿易に携わる身として、親として、外の世界を知るだけに父は危険を伝えたかったのだろう。
 ただそれは世間からはズレた直接的で過剰な形になってしまっていた。

 まるで世間知らずな子供に新聞を読むように告げるが如く。
 都市外であった危険事項の情報が目録の如くバインダーには纏められていた。
 分類番号が示していたのは閲覧制限事項、所謂『凶悪事件』の類だ。

 全四十五頁程の資料には数十の事件情報が記されていた。
 子供向けに凄惨な――被害者写真や詳細な被害情報――部分は省かれていた。
 だが危険性を理解させるためそれ以外の情報は十二分に書かれていた。
 資料の前半ほど内容は軽く、後半にいくほど凄惨な情報が載っていた。

 連続殺人犯、薬物犯罪、宗教組織の実験、違法暴力組織、etc.
 犯人の情報や事件発生経緯、被害者が選ばれた理由、その結果。
 中には未解決事件も多く、二つ名が付くほどの事件や犯罪者も記されていた。
 
 被害者の遺骨で食器を作製する連続喰人鬼【屍喰い】
 多数の都市で無差別に老若男女の顔を剥ぐ【顔剥ぎ】
 違法行為を網羅したといわれる多重犯罪者【指定三号】
 手を選ばぬ暴力で都市を支配する暴力組織【カンパネラ・ファミリア】

 黒目録(ブラック・ノート)の中に在った一つが【薬介人】だ。
 剄脈加速薬や麻薬を売買する一団の俗称であり、違法な製造元との繋がりも有するとされている。

 この一団は他と違い何度か捕まり情報や手口が多く載っていた。
 少数の集団である事、近年活動傾向が変化している事、団員の名前や写真。
 捕まりながら多数活動があるのは他の犯罪と違い「強制」都市外退去になる可能性が低いためだ。

 薄ら寒さを覚えつつも興味深く資料を読んだカリアンは覚えている。

――曰く、団長はある都市の造語で【担い手】を意味する「フーフォリア」の(あざな)を継承する。それ故にフーフォリア交易商団、或いは類似した名で活動する事がある。
  
 そう資料には記されていた。





 





 



 微睡みの世界から緩やかにカリアンの意識が現実へと浮上する。
 過去の情景が今へと塗り替えられていく。
 ぼやけた薄暗い天井と柔らかなソファに気怠い頭。
 夢を、過去の記憶を想い出しながらカリアンは思う。

――やはり、確かに見た覚えがある

 都市間の交流に放浪バスが必要なこの世界において、犯罪者の情報は出回りにくい。 
 仮にある都市で都市外退去処分の犯罪者が捕まったとする。犯罪者はその旨を記した書類と共に放浪バスに叩きこまれる。だがその情報が残るのも、せいぜいが一つ二つ先の都市までだ。
 慣れた者ならばさっさと服を変え、書類を捨て、使う放浪バスを変える。それで御仕舞。それ以降の都市は確かめようなど無い。

 それに犯罪者が都市外に逃げられたならば基本的に追手はかからない。
 労力と時間が酷くかかるため、放浪バスに乗り込んでしまえばそこで終わりだ。
 故に、隠匿・隠蔽技術に長けた犯罪者の中にはそれを利用し、幾つもの都市で犯罪を繰り返す者もいる。

 情報の断絶と犯罪者の流浪。
 例を挙げるならレイフォン・アルセイフだろう。
 此処ツェルニにおいてグレンダンで起こった殺人未遂や賭け試合の事を知るのは、彼の関係者を除けば、ロス家の力を使ったカリアンのみだ。

 だからこそ知っているカリアンは思う。動く必要があると。そう確信する。
 調べねばならない。それが杞憂であれ、例え相手が何もいていなくとも、せめてツェルニから出ていくまでは気を張らねば。
 もしもの被害を想えば、楽観的希望で無視出来る相手では無い。少なくとも、今は。

 手を伸ばし外しておいた眼鏡を探すカリアンに影がかかる。
 影の主は眼鏡をカリアンに差し出す。
 ソファの傍に立ち、カリアンを覗くようにフェリが立っていた。

「随分と眠っていたようですが、疲れているのですか? いい気味です」
「そろそろ仕事も穏やかになるはずだったからね。意識が休息を求め始めたのかもしれない。フェリは何か用かい?」
「図書館に居たので、帰るついでに回収しに来ました」

 手に持っていた弁当箱の袋をフェリは持ち上げる。
 カリアンは小さく頷き、眼鏡をかけて体をソファから起こす。
 フェリが言うとおり長く寝ていたのだろう。まだ空は青いが、少し日は落ちかけていた。
 
「……何かありましたか?」

 フェリが問う。
 何か感づかれたのだろうか。眼鏡の位置を直す振りをして目を伏せ手で口元を覆う。
 一呼吸の後、カリアンにはいつもの作られた笑みが戻っていた。

「何、少し寝ぼけていただけだよ」
「そうですか」
「さて、書類の元へ戻るとしよう。会議もある。フェリも早く帰りなさい」

 部屋の明かりをつけ、部屋から出ていくフェリを見送る。
 扉が閉まると同時、カリアンの笑みから柔らかさが抜け落ちる。
 部屋の鍵を閉め足早に窓辺に近寄り開け放つ。先ほど姿を見せた念威端子が部屋の中に入ったのを確認し、窓とカーテンを閉める。

『おはようございます』
「悪かったね。起こしてくれても構わなかったのに」
『妹さんがいましたので。それとヴァンゼ隊長から言付けがあります』
「聞こう。現状はどうなっている」
『対象に問題行動は有りませんが、意識してみれば少々言動におかしなものを感じます。観光代わりか街を歩き、意識的に学生と接している傾向があります。隊長に繋ぎます』

 ヴァンゼに連絡を入れているのか数秒ほど沈黙が続く。
 急な依頼にも関わらず理由も聞かず取り組む姿勢に有り難さを感じる。

『やっと起きたか』

 端子から増幅されたヴァンゼの声が伝わる。
 気づかれぬようにか押し殺した声色だ。周囲の雑踏も僅かにだが聞こえる。

「済まないね。それで、君の意見を聞きたいのだが」
『今も監視しているが……恐らく気づかれている。まるで行動を見せつけている様な違和感がある』

 対抗試合の経験上、陽動などの知見がヴァンゼにはある。
 気付かれるに足る要因があったという事だ。

「非武芸者のはずだ。仲間に手練れの武芸者がいるね」
『バレるのが早すぎるが、今はいい。仲間に関してはそれらしき者が二人いた。勘だがもう数名いるな』
「ああ。本物なら仮にも団と称される相手だ」
『もういいだろう。知っている情報があるなら教えろ』

 六年前の実家での出来事。そこに載っていた件の情報。
 ヴァンゼからの催促にカリアンは知っている情報を答える。

『親馬鹿だな。それを面白く読む辺り性悪は昔からのようだ』
「ある意味不器用な親だったのは同意するよ」
『だが、懸念が当たっているなら不味い。街に出て学生と接触していた。今日だけのはずがない』

 学園都市は学生のための都市だが来訪者も多少は観光できる。
 図書館や生徒会棟周辺など重要施設には寄れないが商業区などは回れる。
 目的があり正式な申請をしていれば入れる行政・研究施設も幾らかある。

『都市の現状を想えば薬に手を出す学生が居ないとは限らん。もし武芸者側で露見すれば、対抗試合を早めた意味も無くなる』
「そうだ。再度の厳格な検査は勿論だが、先日の再検査に引っかからなかった意味を考えねばならない」
『違和感があった時点でここ数日の行動を洗わせているが……無理だろうな』
「当人が持つ必要もない。それで、捕まえる事は可能かい?」
 
 数秒、ヴァンゼが沈黙する。

『分かっているか? これは「可能性」の話だ。証拠は何一つなく、お前の記憶を元にした憶測に過ぎない』
「それでもだ。今のツェルニを想えば、何もなかった時の悪評の方がマシだ」

 割り切った話を加えるなら相手は来訪者だ。ツェルニの生徒では無い。
 先日の情報強盗が語ったような理屈に嫌気も覚えるが、無視すればいい。

『……決断に従おう。だが俺たちが主体でいいのか?』
「警察長に話して理由付はこちらでする。その関係上、確保は宿泊施設に戻ってからで頼む。ただ、何かあればその場で取り押さえて欲しい」
『了解した。監視を続行する』

 通信が途絶える。念威端子はカリアンの胸ポケットへと姿を隠す。
 カリアンは脱いでいたコートを羽織り急ぎ足で部屋を後にした。





 理由付と行動は迅速に進んだ。
 都市警は治安維持を目的として小隊員へ出動を要請。
 その過程で小隊員の一人が不審な行動をする来訪者を発見し監視。
 先日の強盗の件もあり都市警の手を借りて事情を聴取。
 
 行動は人目が無くなる深夜に行われた。
 後付けの理由に沿って都市警と協力し、宿泊施設にて対象は確保された。
 都市警の来訪を知っていたように男には一切の抵抗が無かった。






「そちらから招待を受けるとは思っていなかったよ」

 出方を窺うようにどこか怪訝な声色を秘めてカリアンは告げた。

 カリアンが対象の下を訪れたのは翌日の朝になってからだ。
 確定的な情報が得られた報を受け、また対象からの要望を受け宿泊施設へ向かった。

 武芸者の付添で部屋に入ると、カリアンを迎えたのは中にいた男からの歓迎の言葉だ。
 両手に手錠を掛けられた男はベッドに腰掛けていた。手錠や近くに居る監視役のヴァンゼを気にした様子も無く、心からカリアンを歓迎する笑顔を浮かべた。

 対象が軟禁状態に入った時点で周辺の部屋から他の宿泊者は隔離済みだ。
 仲間と思わしき二人は男よりも厳重な拘束をされ隣室にいる。
 三名の監視役として都市警の者が数名、常に張り付いている状態だ。

「純粋な興味でスよ。遥か遠キ夢集う地に、私を知ル人がいたのです。とても嬉しイ、貴き縁です」

 所々に混じる奇妙な発声で男――グラン・フーフォリオ・ノーブルは告げた。
 背の高い男だ。線は細いが上背はヴァンゼよりあり、豊かな黄金色の髪は腰にまで届いている。端整な顔立ちだが右目を覆う無骨な眼帯が異色であった。
 何よりもその相貌に浮かぶ笑みが異様だ。何の後ろめたさも裏も感じさせない、相手の心にスルリと滑り込む、子供が浮かべる様な純粋で暖かな笑みだ。 

 カリアンは部屋の中へ進みながら周囲を見る。
 備え付けのテレビ、小さいテーブルの上の本、細かな雑貨品。
 諸事情による軟禁のため何の変哲もない、等級が高めの宿泊施設の一室だ。

 グランは立ち上がりカリアンに近づこうとする。
 だがすぐさまその肩をヴァンゼが掴み乱暴に引き戻す。

「せめて彼とは、握手をと思ったノですが」
「座っていろ」

 やや距離を取ってカリアンは用意されていた椅子に座る。
 グランがカリアンを見る。

「名前を聞いてモ良いですカ? あア、この声は気にしないで下サい。昔の怪我ガ原因でスので」
「カリアン・ロスだ。それで、フーフォリオ交易商団の薬介人が何の御所望かな」
「成程、それを知っている方でシたか。たダ自称ですが『夢の後見人』と名乗っているので、そちらの方が好みです。しかシ……可能性のあるロスとなると奉天都シの祭官、黎めイ都市の仲介屋、流易都市の情報ヤ……ああ、そこですか。道理で」
「光栄だね。それだけあなた方が多くの場所で悪名を撒き散らしたわけだ」
「それを必要とする多くの人に我々ヲ知って貰うのが、使命デすので」

 ヴァンゼがカリアンを睨み苛立つように告げる。

「何を無駄な会話をしている。さっさと本題に入れ」

 立ち上がったヴァンゼは叩きつけるようにテーブルの上に小袋を置く。
 透明な密封性の袋に入っているのは薄藍色の粉末だ。
 そしてこれこそ、本来ならば即拘束され叩きだされるはずのグランを軟禁に留めている理由だ。

「お前たちが学生と接触しているのは昨日の監視で分かっている。これをどれだけ撒いた」
「昨日の監視で、でスか……なるほど。昨日付けていタのはあなたでシたか」

 朗らかに、興味深い物を見たように、グランが笑みを深める。
 カリアンも本題に入る。

「そうだね。わざわざこの為に用意したのだろう? 答えて貰おう」

 違法剄脈加速薬トラム。それが見つかった粉末の名前だ。
 他にも違法酒、剄脈過剰薬、剄脈添加薬などの呼び名でも知られている違法薬だ。

 トラムは他の加速薬同様、剄路を拡張し剄の生成量を増幅させる効果を有している。
 とある樹液を原材料とし、剄脈に負荷をかけ動作を促す特殊な強脈性、沈痛性、即効性が特徴的な薬効である。
 一時期は医療作用が期待されたが後遺症の発見により違法とされた。分解しきれぬ毒性物質が体内に蓄積し重大な障害を引き起こす。閾値は全く不明であり、治療法も確立されていない。

 粉末が入った小袋はグランの旅行鞄の中から見つかった。
 鞄の内枠が巧妙に底上げされており、外枠との間に出来た空間に収められていた。
 今まで発見されなかったのは耐久・耐圧性に優れ金属加工されていたのが原因だ。
 
 今回、それが発見されていたのは二つの要因によるものだ。
 一つは、検査員が鞄を持ちあげた際に小さな音がしたこと。
 二つは、本来強固に固定されるはずの内枠の固定が甘かった事。
 まるで見つけてくれと言わんばかりの隠し方であった。

 そして何よりの問題は、発見された袋が空間容量と比べ非常に小さかった事だ。
 多量の薬がツェルニに持ち込まれていたのは明白である。

 持ちこんだ薬の所在や他の仲間について都市警は三名に訪ねたが解答は無し。
 交渉条件としてグランが要求したのが自身を知る者との対話であった。
 そうしてカリアンは此処に居る。
 
「私ノ願いを聞いて貰ったのです。答えるのが筋でシょう。タだ、その前に聞いておきたい。……カリアンさん、あなたに夢ハ有りますか?」

 グランの眼がカリアンの瞳を真っ直ぐに見つめる。

「答える意味と意図が分からないな。名で呼ぶのを許した覚えもない」
「家名ハ血の連なりと所属。あなた自身を知りたいのですよ。それと、質問は私自身に課した使命と、タダの確認。今ので十分でス」

 納得したようにグランは小さく頷き、テーブルの上に置いた右手の指を二本立てる。

「あなた方の労力と懸念に二つ報いましょう。御想像通り、薬はこれだけではありません。一部は人の手に渡り、大部分はこの都市内に隠しました。持ちこんだの三種。『トラム』『デイジー』『泗水の酒』です」
「誰と、何処にある」
「ロス家の方なら、商人に最も大事な物は御存じでしょう」
「……信用だろうね。だがそれで納得するとでも?」
 
 眉根に怒りを表すヴァンゼが近づく。立てられていたグランの中指を無造作に捻り、ヴァンゼの指が絡め捕る。
 関節を抑えているため、少し圧力をかければ容易く脱臼するだろう。
 ただの脅しのつもり、だったのだろう。

「話してもら――」

 パキ、と小さな音が響いた。
 グランが笑顔を浮かべ強引に手を動かしていた。
 関節が外れ在らぬ方を向いた指をそのままにヴァンゼの手がグランに握られる。
 ヴァンゼを諌めるように小さくグランは首を横に振る。

「一方通行の痛みでハ、人は心を開きません。まずは話し、触れあい、理解し合わねば」
「……ッ。気味の悪い。離せ」

 ヴァンゼが乱暴に手を振り払う。
 カリアンが何もしなくていいと手で制しヴァンゼは一歩下がる。
 外れた中指を握ってグランは関節を嵌め直す。周囲を見渡し、カリアンとヴァンゼの様子を見て人差し指を口端へ当てる。
 
「お二人とも、表情で硬いですね。笑顔は大事ですよ。さあ、笑って」

 グランはそう告げ、赤く腫れた指を意に介さず再び二本指を立てる。

「何処ニに関してはこれから話し合いまシょう。誰に、に関しては言えません。ですが、あなた方の調査が進めば大凡わかるはずです」
「これからがあると思っているのかい。話さないなら直ぐに叩きだすだけだ」
「対処を終えぬまま出すと?」

 歪な笑みがカリアンを捉える。

「此処での商売を外デ話したらどうします? それとも荒野に投げますか? 残されタ私の仲間が動くでしょうね」
「信用が大事なのでは無かったのかな」
「誰に与えたかは言えませン。しかシ、ツェルニで商売を行ったという情報も同じだと? アくまで可能性ですよ。それに隠した薬を誰かが見つけるかもしれナい。多少の後遺症など気にせず力を求める気風ガ、今のツェルニには在るように見受けられます。ほンの一言投げるダけで水面下の大捜索が始まるやもしれません」

 死者数十名を出した汚染獣戦の記憶はツェルニの武芸者には新しい。
 多くを守れるのなら、例え後遺症があろうと所有を望む者もいるだろう。

「……随分調べたようだね」
「色々な話を聞くノが趣味なのです。聞けば都市の保有鉱山が一つだとか。決シて次の戦争で不祥事があってはならないのでは? 外部の調査機関が入るマでに全てを処理しきれると良いですネ。けれどもし、此処に在る多くの夢が潰えるなら私は悲しい。私達は、協力し合えると思うでス」
「回りくどい脅迫だが、つまりは条件次第で情報を渡すと」
「はい。まだその条件は考え中ですが、一両日中には必ずや」

 グランが中指を折りたたむ。

「二つ目の情報は私たちにツいてです。御存じでシょうが三人だけではありません。たダ、薬の情報は全て私が知っています。隣の二人が知ル情報は限定的ですし放浪バスで外へ出して貰って結構です。今は忙しイのニ労力が大変でしょう。今、私が言エる事は以上です」
「そうか。では条件とやらを考えるといい。先に事態を収束させあなたを放りだすとしよう」

 カリアンが立ち上がり部屋の扉に手を伸ばす。
 そこで立ち止まり、思い出したようにグランを振り返る。

「そういえば答え忘れていたよ。私の夢は、貴様らのような外敵からツェルニを守る事だ」

 言い放ち、カリアンは部屋を出て行く。
 待機していた都市警隊員と交代しヴァンゼも部屋から出てカリアンに随伴する。

「もっと聞くと思っていたがな」
「見ればわかる。今はあれ以上聞いても意味ないだろう。それより目的を探りたい」
「あいつが此処に残ろうとする理由か?」
「順当に考えれば商売が終わってないのだろう。最もあの類は愉快犯の可能性もある。調査はどうなっている?」
「捉えた三人の行動を漁らせているそうだ。荷物検査を受け持っていた生徒が言うに、以前奴らは個人宛ての荷物を持っていたらしい。これを気に一斉調査を行うそうだ。詳しい事は警察長に聞け」
「引き続き頼む。私は他の仕事があるのでそちらに向かうよ」

 悩むようにヴァンゼが髪に手でかき乱す。
 施設の玄関に着き、去ろうとするカリアンの背に話しかける。

「……俺としては直ぐに追い出し他の施設の包囲をしてもいいと思うがな。元々はそれが本道だろう」
「普段ならそうしたさ。薬の事も抑え込めたし、生徒達の反応も何とかなっただろう。だが今は駄目だ。多くの事が重なり過ぎている」

 カリアンとヴァンゼがともに憂う事態がある。
 多くの事象の中に起きた、一つの問題。それが事を荒立てる事を妨げていた。

「これ以上、生徒を減らす可能性を生みたくはない」

 自主退学者の増加。それがカリアンの悩みの種だ。
 汚染獣戦以降、退学者が増加し現時点で三十人を超えている。その殆どは武芸科生であり、割合で言えば下級生が多い。
 重傷を負った者、自信を喪失した者、恐怖にのまれた者。
 中には「次が怖い」と言った生徒もいた。

 守るために戦って死ぬのはいい。勝てるかどうか分からなくてもいい。実際に、それで戦えた。けど、確実に負けると分かっていて死にたくはない。
 もしツェルニで「次」があれば勝てない。けど故郷の都市なら「戦える」でしょう。……仮にもう手が無くても、故郷なら「最期」だと思える、と思う。
 そう考える自分に気付いたから、辞めようと思ったんです。すみません。
 
 理由を問うカリアンにそう告げる生徒もいた。
 確定した退学者は現時点で三十名越え。だが中には未だ踏ん切りがつかないものや、カリアンやヴァンゼなどが説得して思い止まらせ保留にさせた生徒もいる。
 そしてその中には小隊員の武芸科生もいた。

 今後一定期間の間、少しずつ少しずつ、自主退学者が増えていくだろう。
 そんな在り様を見て他の生徒がどう思う? 守護者が消えていく都市に他の生徒が残るだろうか?
 そも、最後の機会である都市間戦争への展望を生徒はどう見るというのだ。 
 カリアンが対抗試合を早期に再開したのもそれが理由だ。

『多くのシェルター避難民は惨状の理解が薄い』
『だが心の中で形の無い不安は燻っている』
 
 その現状を逆手に取るイメージ戦略だったのだ。

 小隊員達の意志を、雄姿を、健在さを見せる。
 確かに傷跡は残ったが、それでも戦えている。いつも通りで変わってなどいない。
 だから大丈夫なのだと不安を払い他の生徒たちに示すための再開だ。

 無論、非難される可能性も多分にあった。
 だがその場合は不安や怒りの矛先は『武芸者』ではなく『生徒会』に向くだろう。それでも目的は達成できる。
 
 その思いを試合に参加する小隊員達にも話して納得して貰い、やっと再開できたのだ。
 そうして次第に沈静化させていく予定だった。

 そこに今、薬物騒動が起こったならどうなる? 都市間戦争へ繋がる呪いだ。
 完全な収束が出来るならバレても強引でもいいだろう。だが既に撒き散らされた可能性があるなら?
 起きうる可能性を想像し、慎重に進めるべきだとカリアンは考えている。
 
「事情は理解している。猶予を求める事も。だが納得していない事は覚えておけ」

 知っていると告げるようにカリアンは小さく頷く。カリアン自身、それが望ましいとも思っている。
 ヴァンゼと別れ、カリアンは生徒会棟の方へと向かって行く。

 朝の光が照らす。刺さる様な日差しに目の奥が痛む。
 休業期間だというのにロクに休んだ記憶が無い。
 事が全部片付いたら少しくらい休むかとカリアンは思った。

















 



 


「暇だな」

 野戦グラウンドの外観を見つめながらレイフォンは呟いた。
 対抗試合の観戦は午後からであり、まだ少し時間がある。買い物や昼食のためにアパートを早めに出たが、その分だけ無駄に時間が出来ていた。

 さてどうしたものかと来る途中の出店で買ったソースそばパンを齧りながら考える。一年校舎の近くに出没する有名な出店で普段はすぐ売り切れるらしいが、時期の関係か今日はそこそこ余っていた。
 普段は違反とされる登校時間での販売に信念があるそうだが、世の中色々な人がいるものである。

 暇ではあるが遊びに出たり一旦アパートに帰るほどの時間は無い。
 午前に欲しい物が得られたレイフォンの気分は上々だ。出店巡りをしてもいいが小腹は埋まっている。そも余り無駄金を使うつもりはない。
 何かする事はあっただろうか? 
 ふと、前回の対抗試合などについて調べようと思っていた事を思い出す。
 
(雑誌でも読むかな)

 図書館はさほど離れていないはずだ。
 近くのゴミ箱にパンの包み紙を捨てレイフォンはその場を離れる。

 レイフォンが図書館に行くのは二度目だ。
 前回は昨年度の十七小隊について調べる為、アイシャに連れられて休日に訪れた。
 あの際はルックンの記事を読んだが今回も同じでいいはずだ。
 不意に、その時の記事内容を思い出して少し気が重くなる。
 
 図書館第二分館に辿り着いたレイフォンは学生証のIDを翳して入館する。
 広い館内には幾多の背の高い書棚が並んでいる。頭の痛くなりそうなそれらを無視し、壁際の空間に設けられた雑誌や新聞用の観覧スペースへと向かう。
 前回は昨年度の雑誌であったため書庫に入ったが、今回は閲覧スペースのラックに雑誌は収まっていた。
 雑誌を一冊抜き取ってカウンターで貸出処理を行い、レイフォンは図書館を出る。
 
 野戦グラウンド近くに戻り、適当なベンチに座って雑誌を開く。
 雑誌には色々と記事が書かれていた。生徒会が語る今後の防衛策、最近注目の喫茶店、小隊員に聞いた戦後の教訓等。
 その中の対抗試合の箇所を開く。前回行われたのは第七小隊vs第十一小隊、第二小隊vs第十七小隊だ。

 試合結果だけを見るならば第七小隊、第二小隊の勝利に終わっている。
 第二小隊は上限である七名まで揃えた隊でありその点から考えれば妥当な結果だ。
 だが、と試合の内情についての記載にレイフォンは視線を走らせる。

 守り手側であった第十七小隊は数の不利に抗ったがアイクが落ちフェリも無力化された。ニーナとシャーニッドの協力で消耗した相手一人を射撃にて落すが、すぐさま返礼の射撃を受けシャーニッドが降参し無力化される。
 数で押した第二小隊側の戦法は功を無し、本来ならばこの時点で第十七小隊の負けは確定だ。
 だが諦めの色を見せないニーナに対し、フラッグ破壊では無く殲滅での勝利を第二小隊は選択。

 戦闘員比五対一。数の暴力に対し土に塗れ傷だらけになりながらニーナは強引に抗った。
 攻撃を弾く剄技――恐らく金剛剄だろう――を多用し、力任せのゴリ押しで第二小隊隊員を単独で二名撃破。
 最後は防御をかなぐり捨てて第二小隊隊長を押し切ろうとしたところを狙撃されての敗北だ。

 守り手側が全滅での敗北は余りないらしく、雑誌には囃し立てるように色々と書かれている。
 幼生体戦での活躍を鼻にかけた故の個人プレーでありその鼻がへし折られた、との感想も書かれている。
 記者が第十七小隊に下した総評は【隊長頼みのワンマンチーム】【チームでは無くニーナ・アントーク小隊】
 苛立たしさが湧くが、その記事の筆者の名が「ミィフィ」では無い事がレイフォンにとっては救いだ。

 細かい記述を読む気に成れずパラパラとレイフォンはページを捲る。
 その最中、以前にニールが言っていた情報強盗の記事が目に入り手を止める。
 事件の経緯や都市警の不手際を記す中、その記述がレイフォンの眼に映る。

――こんな在り様では引き抜き騒動の在った第十小隊も胸中は収まらぬものがあるだろう。それに加え、先日の憂さ晴らしかのような失態も見受けられる。目撃者の証言では帯同されていたニーナ・アントークの行動に横暴な点が目立ち、都市警側における負傷者の起因

 最後まで読まずレイフォンは雑誌を乱暴に閉じる。
 
(……ちっ)

 苛立ちがレイフォンの心に沸き立つ。指が無意識に雑誌の表紙を何度も強く叩く。
 どちらの記事に関しても実際がどうだったのか詳細は知らない。役目を果たせなかったのは確かだろうが、それにしても書き方に悪意がある。
 当人を知るレイフォンとしてはそもそも記事の信憑性さえ疑わしい。
 ニーナへの恭敬の念を泥靴で踏み躙られ穢されたような気分だ。
 
 神経質な指の打音が誰かに聞かれている気がして雑誌をベンチの上に置く。 
 文句を言いたくても言う相手がいない。名前だけの記者に敵意を抱く自分が嫌になる。
 そもこの気持ちが怒りなのか悲しみなのかさえ分からない。
 視線が俯く。数分前まで浮かれていた気分がただただ沈んでいく。

(何か違う事で考えて――)

 不意にレイフォンの頬に冷たい物が当たった。
 反射的に振り向く。

「っめた!?」
「あはは、良い反応だねぇレイフォン君。待たせちゃったかな」

 いつの間にか近くに居たカノンが上手くいったとばかりに笑う。
 下はカーゴパンツ、上はストライプシャツにパーカーを羽織ったラフな格好であり、斜め掛けショルダーバッグを背負っている。
 何時になく元気なカノンが冷たいジュースをレイフォンに渡す。

「はいこれ。待たせた御詫び。飲んじゃって飲んじゃって」
「ありが……マジカルドリンクバーとか書いてあるんだけどこれ」
「見つけた自販機で一番わけ分からないの買ったからな、それ」

 カノンの後ろから来たルシルが言う。
 今日の午前中はカノンのバイトがあり、今回はルシルが保証人もとい付添で付いていたのだ。
 バイトが終わった後、二人はそのまま来たのだろう。
 ちなみに明日のバイトではレイフォンが付き添う事になっている。

 早く飲めとばかりに二人の視線がレイフォンに向かう。
 突き返すのもアレなのでレイフォンはドス黒い色のジュースを一口飲む。

「……不味くはない。けどもう買わなくていいかな。何味だろうこれ」
「不味くないなら一口くれ。……ああ、あれだ。ドリンクバーで友人パシらせた時、勝手に作られるアレだな」
「ボクもボクも。ちょーだい。……おお、これが友達の味」
「僕を毒見に使ってない? タダだから別にいいけど。」

 これ以上飲む気になれず返ってきたペットボトルを手の内で遊ばせる。
 ベンチに置かれていた雑誌をどけてカノンがレイフォンの横に座る。自分用のホット缶を傾けて小さく喉を嚥下させる。
  
「そうそう聞いてよ。お店の模様替え手伝ってきたんだけどさ、全然わけ分からない部品がバーッて転がって凄かったよ」
「ルシルの先輩のとこだっけ。何の店?」
「電子機器のパーツ店。店長さんは腰痛めてて暇みたいでさ、聞くと色々教えて楽しかったよ。電源がクロック数が液体金属がどうとかって。でもさ、ボクが知らないからだけど、途中から聞いた当人無視してスペック批判合戦するのは酷いと思わない?」
「ああ、勝手に自分たちの世界に入る人いるよね。友人に錬金鋼技師いるけど何言ってるわかんない事多いよ」
「よくあることなのかな? まあその分沢山聞きまくったけどね」
「あの人ら教えたがりだからな。大抵と仲良くなってたしカノンの社交性やばかったぞ。寧ろ俺がお前なんぞ要らんって先輩に言われた」

 その場で屈伸したり腕を回しながらルシルが言う。

「ああくそ、まだ体がいてぇ。そういや店長から何か言われてたけどアレなんだ?」
「ボクの現状話したら『人手欲しいとこ知ってるし幾つかバイト紹介する』ってさ。有り難い話だよ。ずっと君たちのお世話になるのも心苦しいし」
「じゃあバイトの方は問題無い感じなんだ。良かったね」
「うん。じゃあさ、三人揃ったしそろそろ行こうよ」

 立ち上がったカノンが空き缶を近くのゴミ箱へ投げる。
 軽快な音と共にゴミ箱へ缶が入り、カノンが小さく拳を握る。

「っし。そういえば来る途中で遠くにニール君を見かけたからさ、ちょっと話してこうよ」
「え、居るの? 用があるはずじゃ」
 
 三人は野戦グラウンドの施設入口の方へ歩いていく。
 人通りが見込まれるその近辺には飲食物を売る売店や出店が幾つか並んでいる。施設内部にも多少は売店が置かれており、場合によっては非公認で小隊のファンクラブが勝手なグッズを売っている場合もある。
 施設入口から少し離れた木陰に制服姿のニールは立っていた。ベンチの置かれた道の片隅で景色に溶け込むように存在感が無い。
 服には都市警所属を示す着脱式の紋章ワッペン、腰には紋章入りの剣帯に入った警棒を帯びている。

「やあニール君。さっきぶり」

 カノンの声に反応してニールが三人の方を向く。 

「君の意味が分からないが、お前達か。何の用だろうか」
「居るから見に行こうって言われてさ。都市警だったんだ」
「見世物か私は。バイト先が都市警でな。今日は警備のシフトだ」
「へー。そう言えば知り合いに都市警の人いるけど、ナルキって知ってる? あとベンチ座らないの?」
「ナルキ……ナルキ・ゲルニか? 何度か話した事がある程度だ。それとベンチで座っているとサボりだとクレームが入る可能性が有ってな」
「……なるほど。世知辛い話だね」

 クレームは辛いからなぁ、とレイフォンは遠い目をする。
 そういえば都市警の人間が二人乗りとか交通事故をなんやかんやで無かった事にしていいのかと思うが、当事者円満合意という素晴らしい言葉を思い出して黙る。

「そう言えばレイフォンは移動の足はどうなった? 平気だと言っていたが」
「ああ、それはね……ふふふふふふ」

 気持ち悪い笑みを浮かべながらレイフォンは生徒手帳を取り出す。
 引いている周囲にも気付かず手帳から一枚のカードを抜いて見せる。
 今日やっと手に入れた代物であり、レイフォンの機嫌がよかった理由の代物だ。

「免許証か? それがどうしたんだ」
「ここちゃんと見てよ。車種の欄。種別が更新されてるでしょ」
「記載が上書きされてるな。これは限定第二種乙だったか」
「そそ。正式な物は明日受け取りに行くけどね。つい先日臨時収入も入ったし、前々から考えてたんだけど、これを機に新しい二輪を買うつもりなんだ。自分用のね」

 現在レイフォンはあくまでも配達用車両の拝借しているだけだ。
 そのため好きに乗り回せる個人用の車両がいつかは欲しいと思っていた。

 レイフォンの生活費はグレンダンから出ている。豪遊する性格でもないため余裕はあるしバイト代も残っている。
 ここ暫くは休講期間で暇な時間が多かったため、何時か買えるようになった時のために免許だけでもとレイフォンは教習に行っていた。
 また都合の良い事に汚染獣戦用の前金がカリアンから入ったため、これ機に購入を計画したのだ。
 
 ちなみに二輪車両の免許は第一種から第三種までと甲乙が存在する。
 今現在の年齢と状況を考えれば限定第二種乙がレイフォンの取れる最上種である。

 免許を手に持って見ていたカノンが笑顔でレイフォンに返却する。

「ツェルニの免許ってこんな感じなんだね。おめでとうレイフォン」
「うん。特にカノンは本当にありがとう。いやー、金が無駄にならず無事にとれてよかった」

 もし講習期間中に「何か」があれば全部無駄になっていただろう。

「まさか、事故の時にレイフォンが言った「今は困る」はこれのことか……そう言えば私たちの場合だと、二種を取れるのは一種を取って暫く期間が経ってからだったはずでは?」
「バイト先の先輩が教えてくれたんだけど、運転を主とするバイトなら週当たりのバイト時間と累計の就業期間が規定に達してて証明書が出れば期間短縮できるんだって」
「ああ、何かそんな話俺も聞いたことあるな。にしてもよく追加の学科受かったな」
「馬鹿にしないで欲しいねルシル。たった三回で受かったよ」

 たった、の意味は人それぞれ。
 生暖かい視線がレイフォンに向けられる。

「でまあ、移動の足も不便になるから今日の夜か明日くらいには新しいの買おうかなって。店の人にも言ってあるし、そんな感じ」
「なるほどな。前のが不良になったのも良い契機というわけか」

 ふと思い出したようにニールがルシルに言う。

「二輪と言えばルシルはさっさと金を払え。延滞が付くのは嫌だろう」
「……やれやれ、金金と見苦しい。バイト代入ったらな。そろそろ時間だ、こいつほっといてさっさと行こうぜ」

 ルシルがレイフォンとカノンを急かしてニールから離れていく。
 そろそろ手頃な時間帯だ。このまま入れば試合まで丁度いいくらいだろう。
 中に入る前に何か買おうという事で三人は出店へ向かう。

「ボクは温かい物が良いな。揚げ物にしよ。ちょっと買ってくるね」
「さっきのまだあるし僕は飲み物はいいや。そういえばルシル、延滞って何?」
「前に速度超過であいつに捕まった事あってその罰金だ。全くめんどくさい」
「自業自得って言葉知ってる? 前から思ってたけど結構バカだよね?」
「お前に言われたくはない。蹴るぞおい」

 ふと、揚げ物の店先に向かったカノンの姿をルシルは横目で確認する。

「……そういえば、何かあったのか? ベンチに座ってる時、暗い顔だったっぽいが」
「え? ……ああ、まあちょっと知り合いの嫌な記事読んじゃってさ。でも何で?」
「カノンが言っていた。驚かしたいからちょっと後から来てくれって頼まれたしな」

 今更ながらにレイフォンは気落ちしていた事を思い出す。
 今の今までその事を忘れて、普段通りにまで戻されていた。改めて記事の事を思い返してもそこまで気持ちは沈まず自制できている。
 ふと気づけば雑誌も既に手には無い。カノンが持ったままだ。

「バイトの時もそうだったが、ある種天性の物なんだろうな。相手の様子や興味への察しがヤバい。自然と入り込んで来てる」
「カノン、そんな凄かったんだ。そういうの僕は駄目だから、ちょっと羨ましくもあるけど」

 そんな話をしていると使い捨ての保温容器を持ったカノンが戻ってくる。

「何々、ボクの話?」
「まあ色々とね。買えたなら中入ろっか」

 三人は各々買った物を持って施設内に入る。
 観戦席は所々に空きが目立っていた。前回レイフォンが観戦に来た時よりも客は少ない。
 時期の問題なのだろう。だがそれでも寂しさを感じない程度に人はいる。
 
 観戦席には何種類かあるが今回三人が買ったのは安い自由席だ。
 指定の空間に行って席に座る。空いた場所を取り周囲の空席を荷物置きに使う。
 
 観客席内側には固定のカメラ、グラウンド上空には念威操者が操る撮影機が何機か動いている。うち何機かは時折観客席側も振り向いている。
 中継された映像が極力は試合の妨げにならぬよう意識され、規則的な円運動で機械的に映像を送り続けている。また、その映像もグラウンド側からは見え辛い位置にのみ映されることになっている。
 電光掲示板は機器間の接続を確かめるように映像を時折切り替えており、映された観戦席に居る生徒が無意味なポーズを決めている。
 
「いつも思うが、念威操者って盗撮しやすそうだよな」
「唐突にぶっこんできたね。まあ簡単だとは思うけどその分罰則重いよ」
「ある程度までの機械なら操作できるんだろ? それに念威端子一つ一つって形が羽とか葉っぱとかだし」
「ボクとしても思うところはあるなぁ。スカート履いた時とか、落ち葉の山があると気になっちゃうし」
「表情隠すの得意だしなあいつら。バレ難いだろ。無表情だしムッツリっぽい」
「そう言えば赤外線って――」

 念威操者に聞かれたらダッシュで殴られそうな会話を意味も無くする。
 特に意味も無く買った軽食を試合前に消費仕切らんとする男二人にカノンが降り本を出す。
 
「二人とも、よかったらこれ見る? 入り口にあったけど」
「ありがとう」

 受け取ったそれをレイフォンは開く。今日のプログラムのようだ。
 これから試合をする小隊の情報を眺める。レイフォンが知っている小隊は二つだ。

 一つ目は第一小隊。個人としての知り合いはいないが、小隊長であるヴァンゼ・ハルデイ武芸科長はクラリーベル曰くレイフォン達の事情を知る一人だ。
 二つ目は第五小隊。ゴルネオ・ルッケンスが小隊長を務める小隊だ。

 こういった試合は贔屓や応援する相手がいた方が楽しめるものだ。
 彼らの小隊はそれぞれ別試合の為、レイフォンの応援する小隊が二つ決まる。
 
「ねえ、選手が入ってきたよ」
 
 カノンの声にレイフォンは視線を上げる。
 第一試合の防衛側である第八小隊が入場口から入って来ていた。
 彼らは撮影機に向け軽く手を振った後、それぞれ行動を始める。

「あれって何やってるの? 相手がいないみたいだけど」
「そういえばカノンは初めてだよね。あれは罠とか仕掛けてるんだと思う」
「ほうほう。続けて続けて」

 攻め手と守り手、フラッグの奪取、都市間戦争の模擬試合。
 小隊とは何か、必要とされる素養と理念、構成人数、勝敗の意味。
 などなど。
 聞かれるままにレイフォンは喋っていく。

 注視するように細めた視線をカノンは小隊員達へ向ける。

「へえ……皆、強い思いがあってやっているんだね。眩しいなぁ、そういうの」
「まあ、そうだね。僕の知っている人は凄く責任感があったし、その分辛そうにも見えたよ。色々、大変な事があったらしくてさ」
「年上の人? そう思ってあげられる人がいるのって素敵だと思うし、思われるだけで楽になる事もあるよ。誰かの力になれるなら、それだけでボクは――」

 グラウンドでは防衛側の準備が終わり、攻め手側の小隊が入場してくる。
 ゴルネオ・ルッケンスの率いる第五小隊が今回は攻め手側だ。

「小隊員と言えば、俺が聴いた限りでも色々と責任や誇りがあるらしいな。昔、負けが込んでの解隊で荒れた生徒もいるらしい。自分が抱く理想と現実の差に心が潰れたとか」
「夢があるのに手が届かないって悲しくてボクは嫌だな。何とかしてあげたくなるよ」
「夢も誇りも程度が大事だと思うけどな。ニールが言ってたが、小隊員はプライドが高くて都市警の依頼を下に見て断るらしいし」
「ルシルはボクと考えが違うみたいだね。でも……ううーん、それを言われるとつらいにゃあ」

 カノンは困った様に首をかしげる。
 男二人は「にゃあって何だ」と思ったが面倒なので無視をする。

「まあ、想いを貫くのに必要な痛みとそれ以外は分けないとだよね。無差別はボクも無理だなぁ」
「よく分からん。そう言えばレイフォン、お前の知り合いの小隊員って誰なんだ?」
「十七小隊のニーナ先輩だよ。ちなみに友人の錬金鋼技師もそこの技師」
「ああ、なるほど……そうか。単純に強くて俺は好きだぞ」
「どうも」

 無駄話をしている間に試合は始まっていた。
 電子音が告げる開始と共に第五小隊の武芸者が動き出す。
 
 解説役である放送部の生徒の声が実況をし始める。
 小隊のファンであるらしき生徒が応援の声を上げ、ファンクラブらしき存在が手作りの横断幕を掲げている。

 そんな中、レイフォン達は軽食を食べたり交換しつつ観戦する。
 カノンは「皆頑張ってるんだから真面目に応援しようよー」と言ったが楽しみ方は色々だ。
 生憎、レイフォン達にはそこまでの熱い思いも無ければ真っ当な戦術を知っているわけでもない。

 一応、レイフォンは多少戦術も齧っている。だが基本ソロプレイのイレギュラー陣営なので正統派な語りなど不可能である。
 多分こんなことやってるんだろうなー、きっとこれが狙いだろうなー程度の認識だ。

「あの大きく回ってるのは隠密かね」
「ボクとしては相手に気持ち存在をアピールしてる気がするよ」
「中央突破用に向けた牽制じゃない? 分散させてるような」
「尖ってるように見えて、動きが凄く真面目な人達だね。自信が見えるよ」
 
 声は軽いが熱を込めた視線でカノンは観戦している。
 戦況は第五小隊優勢のようであり、このままだと順当に勝つだろう事がレイフォンは思う。

 動きの中心にいるのはゴルネオであり、こうして観ていると彼の男がツェルニにおいて非常に優秀な武芸者であることがレイフォンにもはっきりとわかる。
 ただ、その動きの陰に姿を覗かせる知った武芸者の影像に、レイフォンは時折自然と彼から視線を外す。

 戦況も佳境になり、意識を持って行かれ自然と会話が減る。
 ふと、レイフォンはルシルが見覚えのある紙片を握っているのに気付く。

「ルシル、それって」
「ああ。これなら今日は久々にセール品以外の肉が喰える」

 ルシルは楽しげに賭け券をレイフォンに示す。
 カノンが横目にそれを見る。

「ん、何それ? もしかして賭けてるの?」
「……こういうの気になるか? 俺としてはあった方が熱が入るが」
「うーん、頑張っている彼ら自信の想いが変わるわけじゃないし、より楽しむ事が出来るなら自由かなって。ただ、負けても彼らを否定するのだけはやめてね。にしてもそういうのあるんだね。バイト終わりに買ってたのそれ?」
「まあ、売り場もこの施設外にも幾つかあるからな。賭けになるなら都市間戦争や会長選挙も扱うらしいぞ。それ用のサークル?があるとか」

 ちなみにルシルが言うには第五小隊は勝率が高く所謂鉄板だそうだ。
 人気が高い反面オッズも低く、試合時間や残存戦力宛てのオプション付で買ったらしい。

「想いに値段を付けて、自分の願いを乗せる、か。ある意味で純粋でボクは嫌いじゃないな」
「僕はどうだろ。人の頑張りをお金に換算してるようで、好きじゃないかな。嫌えることでもないけど」
「……さっき言ってた先輩の事?」

 レイフォンは小さく頷く。
 試合に金銭を絡ませる行為を嫌える立場では無い。
 けれどニーナの苦難の一端を知り、彼女の勝利に気楽に金を賭けた過去はレイフォンの心の小さな蟠りだ。

「まあ、公然と行われてるみたいだし、僕の意見が間違ってるのかもだけど」
「何を重んじるかは人次第。君が思った事が、君にとっての正解。負けずに貫かないと」

 最もな意見だ。
 まあ今更気にしてどうなる事でもなく、少し気にかかっている程度の話であるが。
 それに関連しクラリーベルに怒られたのも記憶に新しい。
 
 話している内にグラウンド上では試合は終盤になっていた。
 ゴルネオとシャンテが先行し、同時に殺剄で潜んでいた隊員が側面から進行。迎撃が向かったところで隊長であるゴルネオが囮に。
 勝利条件である隊長が囮と残った事に動揺した隙にシャンテが狙撃の援護を受けつつ突貫、そのままフラッグを破壊。
 そんな流れで第五小隊の勝利が決まった。

「よっしゃあ!!」

 賭け券片手に隣の席のアホが叫ぶ。
 レイフォンは小さく拍手し心中でゴルネオに向けて祝いの言葉を述べる。

 荒れたグラウンド整備のために小隊員と交換で作業員が現れる。簡単な整地や一部木々の植え替えが行われる。
 空いた時間を繋ぐようにモニターでは録画された見どころが映っている。 
 試合映像販売の宣伝がされ、客の幾らかはこの隙にと売店へと向かう。
 ただ待っているのも暇なのでレイフォン達も売店や施設周辺を軽く散策に向かう。

 散歩を済ませて時間を潰し、三人は元の石へと戻る。
 この試合からの観戦客が入る時間なども設けられ、暫くして次の試合開始を告げる電子音が鳴った。

 今度は防衛側が第一小隊、攻撃側が第十三小隊の試合だ。
 人数としては六対七でやや第一小隊有利だ。
 
 先ほどまでの試合と違い、試合運びは緩やかなものだった。
 警戒が強いのだろうか。石橋を叩くというか、第十三小隊側の攻めの手の速度は遅い。

「んー、第十三小隊ってさっきまでとは違って、狙撃役がいないんだね」
「ほんとだ全員アタッカーだ。珍しいな。狙撃って括りじゃなくても、後方支援って進行速度に結構関わると思うんだけど」
「見えないだけじゃないのか? 俺が聞いた限りだと狙撃手居た気がするんだが」

 中継されていた映像の見落としでもあったのだろうか?
 気付かれぬ様に眼の周辺だけ活剄を行いレイフォンはグラウンドを見る。
 だがやっぱりそれらしい姿は見えない。物理的に陰になっているだけかもしれないが。

 カノンからの視線を感じてレイフォンは振り向き、軽く首を横に振って答える。
 そっか、とカノンは第一小隊の方へと視線を戻す。

 第一小隊の人員は殆どが待ち伏せの為に姿を隠している。
 だがヴァンゼだけは姿を隠さず中継モニターにも移り続けている。
 第十三小隊も確実にそれには気づいているはずだ。

「……あの隊長さん凄いね。堅実というか、地に足ついて凄く安定していて、強そうだ」
「狙撃手が居ないのもあるけど、一種の罠だったりするんじゃない。でも凄い自信だねあれ」
「うん。ここから見てるだけで分かるよ。絶対に止まらないね」

 ちなみにルシルは第十三小隊の方に賭けたらしい。
 今までの実績で言えば確実に第一小隊有利だが、余りに堅い選択なのでつまらないらしい。
 儲ける気があるのか分からない話で、取りあえずアホなのだろうとレイフォンは思う。

(にしても、こうして観ていると全然違うな)

 何処も似たり寄ったりと思っていた隊ごとの特色が何となく見えてきていた。
 それは所属隊員の性格や受け継がれてきたもので形成されている。自分の性に合った隊があれば確かにファンも生まれるはずだ。

 第五小隊はアタッカーによる突撃を意識していた。ゴルネオとシャンテの攻撃を中核とし先行させ、他の隊員はそれを押し上げサポートする形式だ。
 シャンテは攻撃と機動性に特化したイメージで、ゴルネオは攻撃に重きを置いたニーナのようなスタイルだ。総体を図形的なイメージで表すなら<の形だろうか。

 第一小隊は逆に強い特色を感じず堅実な印象だ。安定した軸があり、それを中心に柔軟な対応で動いている。
 攻撃、防御、機動、連携のどれも研鑽され、安心した心もちで見て要られる。図形的なイメージでは○に近い多角刑だろう。
 だが逆に言えば尖った所が感じられない。恐らくは特色を伸ばすよりも底上げを図る隊質なのだろう。
 
 観戦し比較をしてみると第十七小隊は確かに危うさがある。
 振幅が安定しない交流の波が印象に近いだろう。


 色々とした感想を抱きながらレイフォンは試合を見続ける。
 二手に分かれ進んだ第十三小隊は罠で足止めを受け、そこを第一小隊のアタッカーに襲われる。
 狙撃手と罠による牽制と意識のかく乱を受け、少しずつ体力を削られていく。
 
 一人目が落ちた所で第十三小隊は強引な突破を図り、分かれていたもう片方の隊員も合流。
 隊長一人を押し上げる形で他の隊員が猛攻勢に出る。
 不意打ちの念威爆雷の効果もあり第一小隊側の一名を撃破、一名を損傷させる。代わりに第十三小隊側は三名がほぼ戦闘続行不能に。
 
 ヴァンゼは後方に隊員を二名動かした上で第十三小隊長の前に出て応戦を開始。
 配置した罠を上手く使いつつ消耗した相手を地力で捻じ伏せ撃破。
 隊長の戦闘不能により攻撃側の敗北となり、第一小隊の勝利で試合は終了した。
 結果的には番狂わせは無い、安定して堅実な試合運びであった。








「いやー、面白かったね」

 観戦が終わり三人はグラウンド施設外部へと出ていた。
 周囲には彼らと同じように外へ出てきた生徒たちの姿が多い。
 終わったばかりの熱が抜けぬのかグッズや映像販売に向かう背姿が散見される。
 レイフォン達は人気の薄い角でそれを眺めている。
 
 ある意味、試合は意識的な区切りも生み出しているのだろう。
 明後日から短縮授業が始まり学園都市としての再開が始まる。
 来週の終わりにも対抗試合は組まれており、その翌日は正式な授業の再開だ。
 イベントは日々に活気を入れ、常通りの小隊員達の居姿は観る側の精神にも作用する。
 
「結局収支は微浮きか。冒険しなけりゃなあ」
「堅実が大事だよ」

 ギャンブルで確実に儲けるには胴元になるか、自身が勝敗を操れる立場に立つかだ。
 嘗ては自分もこんな視線で見られていたか。ルシルを見てそうレイフォンは思う。
 そういえば上がりを持って行った名も知らぬ大人が憎かったなぁ、などとも。

「そういえば明後日から学校再開だね」
「俺の授業は明々後日か弥の明後日からだ」
「いや授業は僕と同じでしょ。なに平然とサボる宣言してるのさ。もう代返は嫌だよ」
「そうだよー。学校にはちゃんと行かなきゃ」

 買ったばかりの非公式グッズを袋から出しつつカノンが言う。
 ツェルニの都市旗模様と小隊番号が上手い事装飾された小さい髪留めだ。

「そういえばカノンは学校とかどうなってるの? 同年代だよね」
「行って無いし行ったことも無いよ。こうして君たちといると楽しいし、通いたいとも思ってるけどね」
「それは嬉しいけど……行ったことが無い? まさか初等含め一度も?」
「そうだよ。ねえねえこれ似合う?」

 髪留めを付けたカノンが嬉しげにそれを見せてくる。
 だが絶句している二人に気付いて困ったように言う。
 
「ずっと機会に恵まれなくてさ。一年半くらい前に事情は変わったんだけど、代わりにもっとやりたい事が……『ボクの』夢が出来たんだ。色んな都市を回っているのそのため。けど憧れが消えたわけじゃないんだ」
「そっか。いや、僕も誇れるものないけど初等学校は流石に行ってたからさ」
「マジか。俺からしたらそっちも驚きだ」

 アホに向けレイフォンは手刀を打ち込む。
 だが白羽取りされ流される。

「ふふ。まあそんなわけでボクとしては学校には行った方が良いよって」
「そう言われると休み辛いな。……そうだ。窓口の人が消える前にコレさっさと換金してくるわ。二人は先帰っててくれ」

 賭け券をヒラヒラとさせながらルシルが消えていく。
 残された二人は近くの停留所へ向け歩き出す。

「にしてもそっか、じゃあ明後日からは会える機会が減っちゃうんだ」
「授業は午前中だけだけどね。幾つかそっちと被るバイトもあったはずだし」
「でも午前は一人でしょ? この都市の人、皆がいなくなるんだね。少し寂しいなぁ……」

 停留所には多くの待ち人が居た。椅子が埋まっているので二人は外で待つ。
 立て掛けられた時計で時刻を確認する。さほど待たずに済みそうだ。
 いつの間にか飴玉を口に放り込んでいたカノンと適当に雑談をして時間を潰す。

 数分して来た路面バスに二人は乗り込む。
 ドア口付近の手すりに掴まって立ち、発進したバスの揺れを感じながら外を眺める。

「カノンはこの後はバイト?」
「うん。貧乏暇なし。寂しい懐を何とかしないとね」
「僕としても痛い言葉だな。でも、それなら色々買わない方がよかったと思うけど」
「友達と遊ぶお金を勿体ないって思いたくないんだ。他の所削るから平気平気」

 何駅か進み乗客が減った所でカノンが停車ボタンを押す。
 路面バスが近くの停留所に向け速度を落としていく。

「今日はありがとう。良い物が観れて、本当に楽しかったよ」
「明日の午前は一緒のバイトだよね。どこで合流する?」
「それならこの間の商業区のところでお願い。猫の所」

 停車し、開いたドアからカノンが降りていく。

「さようなら。明日のボクによろしくね」

 ドアが閉まり路面バスが動き出す。
 視界の向こう、ツェルニの街中へ消えていくカノンの背中をレイフォンは見送る。
 
 バスの車窓から街並みを眺めていると色々な物が見えてくる。
 一週間前に比べ増えた人の行き来、開いている多くの店、街壁にある落書き、私服と制服の混在。
 大分、汚染獣戦の前に戻ってきているのが景観に現れている。

「前から続いてる窃盗って――」「休講終わるの嫌――」「知人の都市警が宿泊――」「可愛い子が入った喫茶店が――」

 黙して外を見ていれば自然と周囲の話し声も聞こえてくる。
 近くの男子生徒二人の会話がレイフォンの耳に届く。

「――そういや十三小隊さ、一人少なかったよな」
「狙撃手の五年だろ。俺の友人がその知人らしいが、意識戻ってなくてベッドの上だと」
「マジか。何でそれで他の連中試合に出てんだよ。勝ち星か?」
「単に人数足りてるからだろうな。寧ろ生徒会側が問題だろ。色々言われて小隊側は不憫にも思えてくる」
「小隊側は誇りとか矜持ってやつかね。今回ばかりは苦労してるわ」

 一人足りないと思った疑問が当たっていたことをレイフォンは知る。
 後方支援が足りず不利だと自明で、仲間が意識不明でも、それを受け入れ試合は行われた。
 こうして勝手な事を言われても、それでも決断した想いがあったのだろうか。
 寧ろ、一人欠けたからと臆する志の方が不適格なのだろう。

(ニーナさんも……)

 不意にあの雑誌の事を思い出す。記事を読み、覚えた怒りも。
 彼女の思いはどれほどのものか。今、自分が想起したその在り方に近いのだろうか。
 きっとそうであってほしいと思う。
 寧ろ、自分などが思える程度を超えて欲しいと願う。

 望めるならば、例え不正確で不格好であれ、傍らで話す二人の様に周りからの理解の手が及んでほしい。
 彼女の意思を穢すものが、矜持を弄ぶ者が、これ以上現れないで欲しいと。

「じゃあな。また明後日」

 バス停に着き、男子生徒の片方が下車する。恐らく彼らは同じ教室の友人同士なのだろう。
 残された一人は黙って景色を眺め始める。

(……そういえば)

 少しだけ静寂に近づいた車内を感じながら、ふとレイフォンは思った。

 じゃあね、でもなく。
 また明日、でもなく。

 さようなら。

 カノンの別れの言葉はいつもそうであった。
























 最悪だ。
 どうしようもなく最低で最悪な気持ちだ。
 抑えられぬ嫌悪を顔に出しながらカリアンの心中は荒れていた。

 雲光の陰りに照らされた月夜の下、カリアンはグランが軟禁されている宿泊施設に居た。
 監視を行っていた都市警察から連絡を受け到着したのがつい先ほどの事だ。

 カリアンの抱く憤りの理由は有効打の得られぬ調査では無い。
 監視役の生徒が対象と談笑し、雑誌を読ませ、テーブルに菓子が置かれていた事でもない。
 対象が懐柔策に乗り出すならば生徒を変えるか、叱責し引き締めれば済む話だ。
 だが、と。カリアンは部屋の隅に置かれた小さなテレビを忌々しげに睨む。

 グラン・フーフォリオ・ノーブルが提案した情報を渡すための条件。
 それはオール・オア・ナッシングの馬鹿げた通告であった。

「この都市でハ、未熟な戦士達の矜持をぶつける試合があります。私達の結末を決めるに相応シい舞台が。私達の想イに値をつけ、夢を託スのです」

 ヴァンゼが此処に居なくてよかったとカリアンは思う。

 嬉しげに、愉しげに、誇らしげに。
 悪戯をする子供のような笑みを浮かべ、隻眼の男はカリアンを見つめる。

「私達で賭けましョう。生徒会長と夢ノ後見人。積み上げた金額の多い側が勝者。望ム対価を相手から獲る」

 それは、夢を託す彼らをどれだけ理解し信頼するかの勝負。

 









「――小隊員達を用いた賭ケ試合。私はこれを条件とシます」



 
 

 
後書き





 成績の凋落が目に見えるにつれ、父は荒れて行った。
 後遺症により加齢の影響も多く出た。剄の生成量が落ち、剄を上手く練れず、武芸者としての質が明確に落ちた。

 現実を受け入れず固執する父に対し、周囲からの評価は憐憫から嘲笑に近い物へと変わった。
 武芸者としての在り方が誇りでもあった父にはそれが耐えられぬものだった。

 小さな口喧嘩が言い争いに発展し、長引くことが多くなった。 
 私は狼狽えるばかりで彼らに対し何も出来なかった。

 父は私に対し、武芸者として衰えへの嘆きを吐き母への不満を言った。
 母は私に対し、現環境による心の痛みを告げ父への恨み言を吐いた。
 二人に私を味方につけようとしていた。私はただ頷くばかりで、何も出来なかった。

 ある日、言い争いが発展し、初めて父が母に手を上げた。
 赤くなった頬を抑えながら、母は私に大丈夫だからと告げた。
 父が謝った事もあり、母としても一時の事だと流したのだろう。
 ただ私には、気弱な母には酷く響いていたのが分かった。

 だがほどなくして二度目の拳が振り上げられた。
 武芸者としての父の矜持を知っていた私は、母に対し慰めの言葉と共に、父の苦しさへの理解も告げた。
 その次の日、気付けば母の姿は荷物と共に家から消えていた。

 父の荒れ具合は一層のこと進み、その時から私が家事を担当する事となった。
 同時に父からの暴言を受けるのも、私の役割となった。

 
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