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銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
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第二百二十四話 キュンメル事件(その2)

帝国暦 488年  8月 16日  オーディン  キュンメル男爵邸 ヘルマン・フォン・リューネブルク



「元帥閣下、ご感想は如何です」
「余り面白くはありませんね。で、これからどうします?」
「さあ、どうしましょうか」
キュンメル男爵は楽しんでいる。時々苦しそうな咳をするが起爆スイッチを握りながら楽しんでいる。

司令長官の背後に居る俺とフイッツシモンズ大佐はキュンメル男爵が咳をするたびにその隙に乗じようとするが、男爵は起爆装置を放そうとはしない。しっかりと握り締めている。それさえなければ、男爵など片手で捻り潰せる。何ともどかしい事か。

本当に大丈夫なのだろうか? 此処に来る間、危険だから行ってはいけないと言う俺達に司令長官は心配は要らない、無事に戻ってくる成算は有ると言っていた。司令長官は落ち着いているし、虚勢を張っているようなそぶりも無い。信じたいとは思うのだが、この状態をどうやって切り抜けるのか……。

「此処でこのスイッチを押したら宇宙はどうなると思います」
「何も変わりませんね」
司令長官の言葉にキュンメル男爵は幾分不満そうな表情を見せた。言葉の内容にか、それとも司令長官の落ち着いた様子にだろうか。

「そんな事は無いでしょう。貴方が居なくなればこの宇宙は大きく変わるはずだ」
「変わりませんよ、宇宙は帝国によって統一され戦争の時代から平和な時代へとなる。その流れは変わりません。私を殺せば宇宙が変わる、歴史が変わると思いましたか? 無駄ですよ、もう宇宙は動き出したんですから……。この流れは誰にも止められない」

淡々としたものだった。以前自分が死んでも三十年後には平和が来る、宇宙は一つになっていると言っていた。司令長官はその事を確信している。彼にとっては事実であって夢ではないのだ。夢は唯一つ、その世界を見たいという事……。

「ハインリッヒ、もう良いでしょう。御願い、スイッチを私に渡して。今ならまだ……」
「ヒルダ姉さん、貴女でも困る事は有るんですね。少し失望したな、貴女はいつも颯爽として眩しいぐらい輝いていたのに……」
嘲笑と言って良い笑いを男爵が頬に浮かべた。この男はフロイライン・マリーンドルフを憎んでいる。憧れと同じくらい、いやそれ以上に憎んでいる。

自分がベッドに横たわる事しか出来ないのに比べ、従姉は常に輝いている。内乱では討伐軍に属し、内乱終結後はマリーンドルフ伯を助け新しい国造りに励んでいる。傍にフロイラインがいる事が、彼を苦しめ続けてきたのかもしれない。フロイラインがただの美しいだけの女性ならここまで彼女を憎む事は無かっただろう。

「不愉快ですね、司令長官は怖がっていないようだ。僕がスイッチを押さないと思っているんですか? 僕は本気ですよ、司令長官」
「私を殺したがっている人間は腐るほど居ますよ。一々怯えてどうします?」
キュンメル男爵の目に憎悪が浮かんだ。そういうことか、この男は司令長官を殺したいのではない、いや殺したいのかもしれないが、司令長官を怯えさせ自分が優越感を味わってから殺したいのだ。

「司令長官、最後に望みは有りませんか?」
“最後に”、その言葉に部屋が凍りついた。だが俺から見れば予想通りだ、男爵は司令長官に懇願させたい、命乞いさせたいに違いない。

「有りませんね、有っても男爵には叶えられない」
「僕には叶えられない? それは何です?」

幾分むっとしたような表情を男爵はした。望みは無い、有ってもお前には叶えられない、そう言われた事が面白くないのだろう。
「私の望みは三十年後の世界を見ること、それだけです。まさかこのまま三十年を過ごすことなど出来ないでしょうし、三十年後の世界を此処に持ってくる事も出来ない。男爵には叶えられない、違いますか?」

そう言うと司令長官はココアを一口飲んだ。嘲りではなかった、男爵の事などまるで関心が無い、そんな口調だった。
「……頼んでみてはどうです。まだ死にたくないと」
強者の余裕だろうか、笑みを浮かべ唆すような男爵の口調だった。

「元帥」
ヴァレリーが司令長官に声をかけた。命乞いをしろというのだろう。
「出来ませんね、そんな事は。キュンメル男爵家の人間に頭を下げて命乞いなど出来ません。そうでしょう、フロイライン・マリーンドルフ」

司令長官の言葉にフロイライン・マリーンドルフの顔が強張った。そしてキュンメル男爵は、いやキュンメル男爵だけではない、皆が、ミュッケンベルガー元帥父娘も訝しげな表情をフロイラインに向けた。
「ヒルダ姉さん、司令長官は一体何を言っているのです?」

「ハインリッヒ……。御願い、御願いだから止めて」
フロイラインが懇願している。両手を前にあわせ、泣きそうになりながら懇願している。

「姉さん、教えてください。司令長官は一体何を言っているのです?」
「ハインリッヒ、御願いだから……」
「教えてください! 一体司令長官は何を言っているのです!」

興奮したのだろう、男爵が咳き込み背を丸める。チャンスだ、動こうとしたとき、司令長官が手で止めた。何故止める? そう思って司令長官を見た。司令長官は冷たい笑みを浮かべている。戦慄が走った、もしかすると今を楽しんでいるのか……。

「教えてあげますよ、男爵。キュンメル男爵家とヴァレンシュタイン家の因縁をね」
「……」
「司令長官、御願いです、止めてください」
「フロイライン・マリーンドルフ、男爵には知る権利が、いや義務がある。そうでしょう?」
「……どういうことです、司令長官」

男爵は訝しげな表情を浮かべている。先程までの余裕はもう無い。そしてフロイライン・マリーンドルフは絶望を、司令長官は先程から冷たい笑みを浮かべたままだ。一体どんな因縁が両者の間に有るのだ。

「私の両親を殺したのはキュンメル男爵、卿なのですよ」
司令長官の言葉に驚いてヴァレリーと顔を見合わせた。彼女も驚愕している。ミュッケンベルガー元帥父娘も驚愕を顔に浮かべている。フロイライン・マリーンドルフを見た、彼女は顔に諦観を浮かべ、眼を閉じている。本当なのか?

「馬鹿な、何を言っているのです。あれはヴァルデック男爵家、コルヴィッツ子爵家、ハイルマン子爵家の仕業でしょう。大体この私にできるわけが無い、そうでしょう、ヒルダ姉さん?」
「……」

「姉さん?」
キュンメル男爵は呆れたような声を出したがフロイライン・マリーンドルフの様子に改めて不安そうな声で問いかけた。

「キュンメル男爵、卿は何も知らない。私の父はキュンメル男爵家を守るために男爵家の顧問弁護士をしていたのですよ」
「……」

「病弱で幼少の当主を持つキュンメル家など、財産を横領しようと思えば簡単なことだった」
「馬鹿な、伯父上はそのような方ではない」
キュンメル男爵の吐き出すように出された言葉に司令長官は薄く笑った。

「マリーンドルフ伯のことじゃ有りません、カストロプ公の事です」
「カストロプ公!」
何人かの口から同じ言葉が出た。カストロプ公、貪欲で狡猾、不正に身を染め最後は事故死、謀殺されたといわれている。そして息子は反乱を起した……。

「キュンメル男爵家の財産横領を狙ったカストロプ公にとって私の父は邪魔だった。だからリメス男爵家の相続争いに見せかけて殺したんです。そうでしょう、フロイライン」

司令長官の言葉に皆がフロイライン・マリーンドルフを見た。彼女は蒼白になっている。そして虚ろな表情で呟いた。
「御願い、ハインリッヒ、もう止めて。貴方はこんな事をしてはいけないの」

司令長官の問いかけには答えていない。しかし彼女の言葉は司令長官の言葉が真実である事を表していた。キュンメル男爵にもそれは分かったのだろう。額から汗が流れ元々血色の悪い顔がさらに青褪めている。

「そのスイッチを押しなさい、男爵」
「!」
司令長官だった。優しく微笑みながら男爵にスイッチを押す事を薦めている。

「ヴァルハラに行って大声で自慢すれば良い、ヴァレンシュタインを殺したと。内乱で死んだ貴族達が褒めてくれますよ。良くやった、男爵こそ門閥貴族の誇りだとね……。そして先代のキュンメル男爵に報告しなさい」
「報告……」

震える声で呟く男爵に司令長官が頷いた。
「父上、私は役立たずじゃ有りません。ヴァレンシュタイン家の人間は皆、私が殺しました。この通り皆が褒めてくれます。私は門閥貴族の誇りなのですと。良くやったと喜んでくれるでしょう」

「違う、そうじゃない……」
「男爵こそ門閥貴族の誇りですよ、私もそう思います。卑怯な手段で相手を抵抗できなくさせる。そして抵抗できない相手を弄って喜ぶ」
司令長官の言葉には辛辣な皮肉が有った。しかしキュンメル男爵は何も言えずにただ震えている。

「どうしました? 口が利けなくなりましたか、男爵」
「違う、私はそんなつもりじゃなかった。ただ……」
「ただ、何です?」

「ほんの少しだけ宇宙をこの手に握りたかった。僕の命はもう長くない、何かをして死にたかった。どんな悪い事でも馬鹿な事でもいい、何かして死にたかった……」
「ハインリッヒ……。もう十分でしょう、スイッチを渡して」

フロイライン・マリーンドルフの言葉にキュンメル男爵は頷いた。部屋を支配していた緊張感が消える。しかし男爵は直ぐにはスイッチを渡さなかった。
「キュンメル男爵家は僕の代で終わる。僕の病身からではなく僕の愚かさによってだ。僕の病気は直ぐに忘れられても愚かさは何人かが覚えていてくれるだろう。それで十分だ」

スイッチがフロイライン・マリーンドルフに預けられた。男爵を拘束するべきか否か、司令長官を見るとその必要は無いと言うように首を振った。
「キュンメル男爵、フロイライン・マリーンドルフ。私はこれで失礼させていただく。さあ、戻りましょうか」
「そうだな、ユスティーナ、失礼しよう」
「はい」


帝国暦 488年  8月 19日  オーディン  宇宙艦隊司令部 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


あれから三日がたった。しかし最初の二日間ははっきり言って説教の嵐だった。先ずミュッケンベルガー元帥に三時間近く説教された。お前は国家の重臣としての自覚が足りない、自分の死がどれだけ帝国にダメージを与えるのか少しは考えろ、そんなところだ。

俺が死んでも帝国には問題ない、歴史は変わらないと言ったら、馬鹿者と怒鳴られまた説教が最初から始まった。頼むからあんまり興奮しないでくれ、心臓が悪いんだから。

ようやく解放されたと思ったらその次はリヒテンラーデ侯、エーレンベルク、シュタインホフの三人の説教だ。流石に今度は俺が死んでもは言わなかった。ただただ黙って大人しく聞いていた。おかげで説教は二時間で済んだ。解放されたときにはフラフラだった。キュンメル男爵じゃないが虚弱体質なんだ、少しは労わってくれ。

ヴァレリーとリューネブルクは俺が疲れていると見たのだろう、何も言わずに俺を休ませてくれた。もっともそれはその日のことだけだった。翌日にはしっかりと説教が入った。説教をするのはヴァレリーで傍で見ているのがリューネブルクだ。いつもはニヤニヤして聞いているリューネブルクが今回は厳しい表情で俺を睨んでいる。勘弁してくれ、危険は有ったが成算は有ったんだ。

マリーンドルフ伯からは謝罪があった。自分がハインリッヒにきちんと話しておけばこんな事にはならなかったと悔やんでいた。仕方が無い事だ、俺がその立場でも男爵には何も言わないだろう。伯には気にするなと言ったが、彼にとっては今回の事件は俺の父の死の一件と共に苦い思い出になるだろう。

そんな事を考えているとフェルナーがやってきた。フェルナーは軍服を着ていない。どうも妙な感じだ、あまり似合っていない。フェルナーとアンスバッハは捜査局に居るのだが身分は軍からの出向という事になっている。

フェルナーの話ではキュンメル男爵は素直に聴取に応じているようだ。もっとも疲れないように一日二回、午前と午後に一時間ずつの取調べだ。フェルナーはもどかしい思いをしている。

応接室に通すと早速フェルナーが話しかけてきた。
「参ったよ、地下室にはゼッフル粒子が充満していた。もし爆発したら天井まで吹き飛んでいただろう」
「今は、大丈夫なのかい?」
「ああ、一昨日の昼までかかって地下室の空気を入れ替えた。作業員達はヘトヘトさ」

「それで、何が分かった?」
「屋敷から消えた人間が居る。半年ほど前に雇われたらしい。彼の部屋を調べたが特に気になるものは出なかった。ただ、屋敷の人間に聞いたが彼は例の宗教を信じていたらしい」

やはりな、例の連中か。
「エーリッヒ、連中はバラ園の襲撃事件にも絡んでいるのだろう。この際徹底的に捜索するべきじゃないのか? そして連中を弾圧すべきだ」

「そうもいかないよ、アントン。同盟との捕虜交換が迫っているからね」
「どういうことだ」
「自由惑星同盟は信教の自由を認めている。今此処で地球教を弾圧すれば、それをきっかけに反帝国感情が高まるだろう。今回の事件、あくまで主犯はキュンメル男爵だ、地球教徒が唆したと言っても誰も信じない」

俺の言葉にフェルナーは顔を顰めた。
「先日フェザーン方面で帝国と同盟の間で小競り合いがあっただろう、今回の件はあれと連動している」
「まさか……」

絵図を描いたのは誰か? 間違いなく地球教だ、ルビンスキーが絡んでいるかどうかは分からない。彼なら帝国に宇宙を統一させてその中枢を支配する事で実権を握る事を考えそうだがなんとも言えない。奴と帝国との関係は最悪だ。同盟と帝国の共倒れを狙ってもおかしくは無い。

連中の考えは大体想像はつく。今の帝国の国内情勢は戦争が出来る状態ではない。戦争には経済力の裏付けが必要だが、その経済力が門閥貴族が滅んだ事で弱っている。軍の力で何とか凌いでいるが、回復するにはもう少し時間がかかる。

だから連中はフェザーン方面で紛争を起した。同盟の指揮官を唆したか、或いはサイオキシン麻薬でも使って操ったか……。そして同時に俺の暗殺を考えた。俺が死ねば同盟の主戦派が力を増す、戦争に持って行きやすい。

そして地球教の弾圧も考慮に入れただろう。地球教は同盟にも根を張っている。弾圧すれば大勢の信徒が同盟に行くだろう。そして帝国が地球教を弾圧している、信教の自由など認めていないと声高に騒ぐに違いない。

そこから見えてくるのは、地球教への同情だ。そして地球教のスローガンが同盟領内で唱えられるだろう。“地球は我が故郷、地球を我が手に”。反帝国感情は燃え上がり、主戦派が力を増す。行き着くところは戦争だ。

俺の想像を聞いたフェルナーは厳しい表情をした。地球教が厄介な敵だと言う事が改めて理解できたのだろう。そろそろ同盟にも地球教の事を話すべきだろう、今回のフェザーンでの紛争は向こうにとっても肝が冷えたはずだ。疑問には思っても荒唐無稽と否定はしないはずだ。爺様連中に許可を取る必要があるな……。

「アントン、イゼルローン要塞に行ってくれないか。リヒテンラーデ侯、エーレンベルク、シュタインホフ元帥には許可を取る」
「地球教の事を同盟に知らせるという事か」
「同盟と言うより、ヤン・ウェンリー提督に地球教の事を話して欲しい」

フェルナーが面白そうな顔をした。ヤンに会えるのが嬉しいのかもしれない。何と言ってもイゼルローン要塞を落とした男だからな。
「話すだけで良いのか?」

「軍上層部、政府にも伝えて欲しいと言ってくれ。地球教にどう対処するか、その答えは捕虜交換式で聞くと。調印式には私が行くつもりだ」
どんな答えが返ってくるか、それによってヤンがどの程度政府、軍上層部に影響力を持っているかが分かるだろう……。

 
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