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ソードアート・オンライン‐黒の幻影‐

作者:sonas
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第2章 憎愛のオペレッタ  2024/08 
  17話 居場所という詭弁

 壁掛けの時計は短針を頂点から僅かに右側に傾け、絶え間なく振り子を揺らす。
 普段ならばテーブルを囲う人数はあと二人はいるのだが、時刻は昼ではなく、日付を跨いだ夜半ともなれば、彼女達も寝静まっているのは道理というもの。戦場を経験したというティルネルは寝つきが異様に良いし、それさえ凌駕するヒヨリは言わずもがな。俺としては良い夢を見ていてくれるように片手間に祈っておくくらいか。

 今日から数えて三日間。
 隠しダンジョンでの攻略を控えて、極力ヒヨリの希望通りに遊びに出掛けるよう努めた。
 海の代案として湖だらけの層に足を運んだり、その前準備としてヒヨリの水着をローゼリンデに仕立てて貰ったり、いちいち意見を求められたり。思えば、こんな場所(アインクラッド)にさえ来なければ、ヒヨリはこんな命懸けの日々ではない《ありきたりな日常》を送れたのかも知れない。そう考えるだけで、今もなおヒヨリが生きているという安堵感さえ、罪悪感に塗りつぶされてしまう。そして、俺さえ居なければ、と考える一歩手前で、またあの時のヒヨリの言葉に諌められる。

 自分は自分の意思でここに居る。
 だから、一緒に戦って、一緒に帰ろう、と。

 独りで悩むなと、自分にも荷物を分けろと、ヒヨリは言ってくれたのだろう。
 だが、それでも、俺にはどうしても、ヒヨリをむざむざ死地に立たせるような決断を下すことが出来なかった。普段からありふれた笑顔が消えてしまったら、俺の《人間として機能している部分》は跡形もなく壊れる。自分を顧みないつもりではいたが、自壊を無意識に恐れていたのは他の誰でもなく自分自身であったとは、何とも皮肉が過ぎる。いや、ヒヨリが繋ぎ止めていてくれたからこそ、それを無下にしたくなかったのだろうか。どのみち、人を殺しておきながら、その中途半端な在り方に女々しく縋り付いているのが《俺》ということなのだろう。どこまでも利己的な人間だと呆れさせられる。

 そして、今回もまた、俺はヒヨリを頼ることはない。
 今回もまた、ヒヨリを不要として、ヒヨリの優しさから視線を逸らして、蔑ろにして踏みにじる。


――――君には、選択する権利がある。
――――ヒヨリ君が、晒されるべきではない《他者からの害意》から守る権利がね。
――――同時に、こんな選択肢もある。
――――目先の、いつか崩れるかも知れない安穏に縋って、かけがえのない誰かを失う瞬間に見舞われるか。
――――強制はしない。だが、彼等(ラフィン・コフィン)を、PoHを野放しにすれば、そのリスク(危険性)は跳ね上がる。
――――そうなれば、我々《攻略組》はまず自衛に徹するだろう。
――――………あの円卓に座を与えられなかった君が如何なる状況に措かれているか、よく考えてくれたまえ。

――――それがお前達のやり方か。
――――よく分かった。なら結構だ。
――――だが、勘違いするな。………俺は、俺のやりたいようにやる。お前の為じゃない。
――――その事を、忘れるな。


 それは、薄暗い会合だった。
 しかし、ヒースクリフには全てにおいて理想的な結末に向かわせる、最も確実性の高い手段が見えていたようにも思える。
 攻略組に名だたるギルドが殺人ギルドを捕縛、征討することでアインクラッドにいる全プレイヤーの士気を高め、攻略組の嫌われ者に汚れ仕事を押し付ける。
 仮に俺がオレンジカーソルになってしまおうものならば、攻略ギルドは一時だけでも俺を共通悪として糾弾し、一枚岩ではなくとも結束力は高まるだろう。
 更に言えば、PoHを縫い付けるだけでもスムーズな作戦行動に繋がり、作戦に参加するプレイヤーの生存確率を底上げすることに繋がる。仮に俺がPoHの手によって死のうが、攻略組の爪弾き者が一人消えただけ。深読みが度を過ぎたか、或いは真に迫ったかはさておき、俺はこれから一人の人間を殺すべく行動する。そんな目的の為にヒヨリを連れ立って行くなど、罷り間違っても出来る筈がない。

 気付けば、振り子時計の長針は真下を指し示していた。
 もう間もなく、結集した攻略組は、最大にして最悪の殺人ギルドの潜伏地へ夜襲を掛けるべく進軍を開始する。
 それは文字通り、これまでのアインクラッド攻略においても最大級のプレイヤー同士による戦闘、まさしくSAOにおける超大型対人戦となる。当然、《笑う棺桶》が抵抗することを視野に入れて行動するプレイヤーも少なからずいると思う。現にヒースクリフは捕縛で済むと認識していなかったからこそ俺に暗殺の依頼などを持ち掛けてきた。漠然と楽観視するだけのプレイヤーは少数かも知れないが、万が一にも殺し合いになるという事態を想定して作戦に赴くプレイヤーは、果たしてどれだけいるだろうか。夕刻に見掛けた攻略組連中の、恐らくは作戦に参加するであろうプレイヤーの顔には、危機感の色が薄かったように思える。
 この浮遊城に囚われ、攻略に邁進する《善良な虜囚》には、そもそも《決闘(デュエル)》という安全措置の中で刃を交えることで、人間が振るう剣に対しての恐怖心は抑制される傾向にある。一定以上のダメージで勝敗が決定され、そこから先は暗黙の了解で剣を鞘に納める。乃至は圏内でデュエルを行って万が一の危険性を排除する。それは、互いに死を忌避するという共通理解があっての、《同じカテゴリーに属する人間同士》であるからこそ保障された安全だ。

 だが、彼等(レッドプレイヤー)は違う。
 プレイヤーは様々な思考を以て、様々な嗜好に興じる権利がある。
 ゲームであれば、それはむしろ当然の帰結であろう。
 楽しみ方は人それぞれ。そんな言葉で片付ける事も出来るだろう。
 だからこそ、PKに興じる者が少なからず発生しても、この世界がゲームという形式をとる以上は回避することの出来ない事態だったのだろう。
 彼等は根本からして思考が異なる。自分達の領域に攻略組の精鋭が雪崩れ込んで、大人しく縛につく者はそう多くはないだろう。
 ほんの二度だけ対峙した見解からすれば、むしろ《やってきた獲物》を前にして牙を剥かないままでいられる筈がない。
 この作戦は、そもそも無血勝利など困難な、乱戦が起こらないと仮定することさえ困難なものだと言える。そうなった上で、攻略組のプレイヤーはどう立ち回るのか。俺の知るところではないが、クーネ達にはレッドプレイヤーを相手にした際の気構えだけは伝えてある。あとは持ち前の慧眼を遺憾なく発揮してもらいたいところだ。

 時刻は、更に半刻を経過していた。
 そろそろ俺も、現地へ発つ頃合いだ。
 装備を確認し、片手剣をやや神経質に手に取っては手動でコートの下に差す。次いで触れた《毒剣(カラティン)》を一先ずはストレージに仕舞い込むと、足音を殺してホームの玄関へ進む。擦れ違うドアの向こうでは、ヒヨリとティルネルが寝息をたてているだろう。アインクラッドに存在するドアの遮音性はシステム的な仕様によって叫び声や戦闘音、或いはノック以外の音は何でも内外でシャットアウトする構造となっている。勘付かれる心配はないのだが、せめて夜は静かに。戻ってこれる確証さえないのであれば、尚更顔を合わせるわけにもいかなくなる。

 これでもう、明日にはどうなっているかさえ解らない。
 滑稽で、利己的で、悍ましい。そんな人間性を隠さなくて済むようになると、妙な安堵感があるなかで、それでも死ぬのが怖い自分がいる。今までは上手く行き過ぎた。だから次も上手く行くという確証は無いし、そんなものは詭弁だ。むしろ、人殺しなどという悪行を繰り返して良い事などないだろうに。仮に死ぬとしても、その後に仲間が生きてさえいてくれれば、辛うじて俺の死に様も無駄にはならないか。

 纏まらない思考の洪水を押し留めて、玄関のドアノブに手を掛ける。
 しかし、手首が捻られるより先に、別の場所でノブが回転し、蝶番の軋む音がゆっくりと鳴り響いた。
 それは、つい少し前に通り過ぎた一室。
 まるで期を図ったように、寝間着姿のままのヒヨリが姿を現す。
 気の抜けた欠伸の一つくらい零すのではと思いきや、その表情はどこか不機嫌そうで、何か爆発物めいた雰囲気を醸し出している。


「もう寝る時間だよ、どこに行くの?」


 短い問いが投げかけられる。
 僅かに糾弾の向きを帯びた声色は、明らかに何かを察したからこその確証によるものだろう。碌に情報も与えていないというのに、理外から真実に辿り着く。論理的思考のセオリーから逸脱した意外性を、ヒヨリは確かに備えている。そしてその精度たるや、俺でさえ認めるほどの確実性を秘めているのだ。
 どこまで事実に迫れていたかは棚上げするにしても、こうして姿を現した以上、ヒヨリは直感的にであれ俺の行動をある程度看破していた証拠であろう。


「……散歩」
「だったら、私も一緒に行く」
「駄目だ。寝てろ」


 
 これから先は、ヒヨリには見せたくない。
 俺が誰かを殺す場面など、とくに見せられるものではないのだから。


「どうして一緒に行っちゃダメなの?」
「………たかが散歩に大袈裟だろう」


 本来であれば、ヒヨリはこの時点で退いてくれていた。
 長い付き合いだからこそ、ヒヨリは俺に遠慮なく踏み込んでくる。だからこそ俺の中にある《踏み込まれたくない一線》を誰よりも見極めているし、それを察したらヒヨリは大人しく引き下がるのがこれまでの常だった。
 なのに、どうしてか今回は様子が違った。


「また、危ないところに行くのに、私に頼ってくれないの?」
「………………何を言っているのか分からない。もう寝たらどうだ?」


 交わす言葉が、怖かった。
 ヒヨリの紡ぐ声に含まれる、確信に満ちた言葉が、堪らなく怖かった。
 本当に俺は、ヒヨリに何も知られていないのか。隠し通せているのか。
 これまでの日々を遣り過ごしてきたという認識が根本的に揺らぎ、音をたてて軋んだ気がした。


「燐ちゃんのうそつき」


 そして、たった一言。ポツリと告げて、歩み寄る。
 余りある衝撃と、重圧に満ちた後味に満ちた声は脳裏に焼き付いて、粘性を伴ってこびりつく。
 逃げ出したいくらいに怖かった。
 でも、距離を狭めてくるヒヨリから逃れるほどに、俺のアバターは動作を起こすことが出来なかった。

 このままでは、辛くなる。
 ここに戻ってこれなくなるかもしれない行き先へ赴く足取りが、重くなる。
 このままでは、恋しくなる。
 この空間、ささやかな温かさに満ちた場所と決別する決意が、揺らいでしまう。

――――このままでは、せっかく固めた《死ぬ覚悟》さえ、呆気なく瓦解してしまうではないか。


「ほら、やっぱり震えてる」


 さも当たり前のように、抱きしめられる。
 硬直していたアバターを慈しむように、ヒヨリの手が何度も後頭部を撫でた。


「どうして私を頼ってくれないの? 私って、そんなに役立たずなの?」
「………違う」


 狭窄した喉笛から、辛うじて否定を呟く。
 心なしか、髪を撫でていたヒヨリの手はコートの襟を絞るように握りしめられていた。
 声も震えて、湿っぽくて、これではまるで………


「じゃあ、頼ってよ………」


 小さく、蚊の鳴くような声。
 切望を滲ませた声は余韻も引かぬうちに、ヒヨリ本人の怒声によって押し流される。


「私だって怖かったんだもん! 燐ちゃんがいつの間にかいなくなって一人で頑張ってる間、そのままずっと待ってるのってすっっ……ごく怖いんだから!? お願いだから、私を置いて行かないでよ! 傍に居るんだから、辛かったら言ってよ!? ………一緒に居るのに、遠ざけないで………言ってくれないと、分からないんだから………」


 堰を切ったような鬱屈の奔流は、言葉だけでは行き場も足らず、大粒の涙を伴って訴えかけられる。
 ヒヨリに知られまいと、自分の罪を明かさないようにと、それだけを順守して過ごしてきた。
 何の罪も犯さず、過ちもないヒヨリに負い目を感じながら、それを暴かれる瞬間を怖れて生きてきた。
 その生き方は間違いだったと、認めざるを得まい。
 事実、俺の振る舞いはヒヨリを傷付けた。言外に、お前は役立たずだと、図らずも言い続けた。
 しかし、ヒヨリに余すことなく隠し事を聞かせれば、贖いというには余りにも凄絶なものだろう。お互いに、苦しいだけ。


「人を、殺した」


 故に俺は、ヒヨリの叫びに答えた。
 曖昧な肯定や否定ではない、事実を以て応えることにした。


「始めに俺を囲んで嗤った七人を殺した。次に仲間を奪われて激昂した十三人と、錯乱した二十人も殺した。人質を取って震えていた最後の一人も、その命乞いさえ一蹴して殺した。それから半年して、また二十二人殺した。合計で六十三人。俺は《自分の目的の為の手段》として、彼等を殺した。………分かるだろう? 俺はもう、立派な化け物なんだ。素直に話せるわけがない。お前が感じていたのは俺が隔てた壁の所為じゃない。悍ましい()()()()()、在り方の違う存在への違和感、嫌悪感だ」


 ヒヨリの直感はまさしく天地明察の慧眼であっただろう。理解していないままに真に迫る感覚には舌を巻かされる。
 だが、理解していないからこそ、齟齬が生じている。認識の齟齬は正してやらねばなるまい。誤解したままでいいものでもない。

 たった一人を救うために、遥かに多い命を奪って安全を確保した。
 たった数人を救うために、その人数よりも多い人命を殺した。

 その行為には、正義はない。
 俺の価値観では、命の重さは平等ではなく、奪い取った彼等の命の重さが軽んじられただけ。
 奪われたくないから奪ったという、極めて原始的で、本能的な、歪な行動原理に他ならない。
 奪われてから初めて与えられる《復讐》という大義名分でもなく、互いに衝突し合う《敵対》の関係にあったわけでもない。言うなれば、どこまでも自分本位な《我執》の成れの果てが、あの殺戮だったのだろう。常人であれば躊躇するであろう選択を、俺は躊躇わなかった。自分のエゴで命を奪った。
 加えて咎を受け止めて苦しむ真似事を無意識で演じるところに、尚のこと救えない愚かさを感じるほどに、俺は歪んで壊れている。
 そしてこの異常は、突発的に発生したものではない。

 このデスゲームが始まって、ヒヨリに死の危機と隣り合わせの日々を押し付けてしまった罪悪感。
 このデスゲームを終わらせ、ヒヨリをデスゲームから解放して日常に戻さんとする使命感、強迫観念。
 いつしか、ヒヨリの周囲に形成された仲間の輪も損なわれぬよう、安息の場に瑕を付けぬよう、気付けば守らねばならないものが増えていった。多くのタスクを管理するシステムがロジックエラーを引き起こすように、俺は歯車を歪ませてしまった。
 そうなって、気が付けば手段を択ばなくなった。倫理的な呵責にとらわれることなく、葛藤というプロセスを踏み倒し、ただ保存するという意味合いでの最適解に従って行動するようになった。後に苦しむにせよ、それさえも度外視できる程度には、俺は人道を外れているのだから。


「………それで、全部?」


 そして、不服そうな一言。


「全部話したさ」
「また嘘ついた。じゃあ聞くけど、………どうして、そんなことしなくちゃいけなかったの?」


 糾弾ではなかった。しかしその追求に対する返答を、俺は即座に話せなかった。
 想定していた展開と、あまりにも違っていた。人道を外れた行いに讒言を受けて、あわよくば俺は見捨てられて独りになる。これを機にヒヨリと袂を別とうとさえ思っていた所為か、そうなれば良かったのにとさえ願ってしまう程度にはくたびれた俺の思考は呆気なく外れたことになる。


「だって、燐ちゃんは理由が無かったら、そんなこと絶対しないもん。燐ちゃんが、その………嫌なことをするときは、誰かの為にとか、そういう時だけだもん。燐ちゃんがやったことは、辛いし、とっても怖いよ。けど………それだけ大きな事情が無いと、おかしいもん」


 やはり、敵わない。
 長い付き合いだから培った情報ではない。むしろそれに頼っては、今の俺を測れないだろう。
 ただ、目の前の相手に向き合う。それをどこまでも突き詰めた果てにある、常軌を逸した《真摯さ》が、ヒヨリの口からあの問いを告げさせた。
 これまでの先入感に頼らず、殺人という行為にただ漠然と恐怖を抱かなかった、ヒヨリの強さをどこかで侮っていたのかも知れない。或いは、本質を見誤っていたか。

 一緒に戦うと、確かに言われたのに。
 一緒に帰ろうと、確かに言われたはずなのに。
 俺からその約束を反故にするところだったと思うと、なんとも遣り切れない。

 
「………友人を、助けようとした。旦那さんの惚気話を気軽に話す人で、聞いていて面倒だったけど、前を向いて頑張っていて、何よりも幸せそうだった。………だからかも知れないな。その人には、何としてでも生きて欲しかった」
「その人は、生きてるの?」
「ああ、生きてる。お前も会った事がある人だ」
「そう、なんだ………良かった………助けられたんだね」


 良かったと、ヒヨリは言った。
 その当事者ではないのに、まるで自分のことのように結果に安堵する姿は、どこまでも優しい。


「教えてくれてありがとう。………あと、ごめん。辛いこと聞いちゃったね」


 言いつつ、ヒヨリは尚も震える手で頭を撫で続ける。
 痛みを和らげるように優しく、何度も繰り返す。
 何度も、何度も、息を詰まらせながら、何度も、何度も、嗚咽を漏らしながら、涙を零しながら。


「何でお前が泣くんだよ。変なヤツだな」
「………………だって、燐ちゃんが………苦しいから…………」


 どこまでも優しい。真摯に相手を見つめるヒヨリは、どこまでも優しい。
 だから、ヒヨリは時折共感する。相手の痛みを慮って、その苦しみを想って、涙を流す。
 そんな事が出来るほど、ヒヨリは優しい。

 だが、俺の話した出来事で涙を流すのは、ヒヨリの役目ではない。


「お前が悩むことじゃない。俺も、助けた相手も、散々苦しんで、泣いて、今では笑い合えるくらいになってるんだ。………だから、もう十分だ」
「………でも、それじゃ………」


 納得できないのだろう。
 あの涙には、あの場面に立ち会えなかった悔しさも含まれるのだろう。
 しかし、過ぎたことを悔やむほど不毛な行為もない。俺の苦痛を想ってくれているからこそ迂闊に無礼は働けないが、こればかりはヒヨリの負うべき痛みではない。


「お前はここに居てくればいい」
「………やっぱり、私………足手纏いなの?」
「違う。帰りに出迎えてくれるだけでも気分が違うこともあるだろう。………お前にしか頼めない。ここに戻ってこれるように、帰る場所になってくれると有り難い」


 グリセルダさんは、俺が《秘蝕剣》の使い方を違えれば叱ってくれると言ってくれた。
 そしてヒヨリには、俺の帰る場所になってくれれば、心強い。だが、もう背中を預けるようなことはないのだろう。これはあくまでも自分の《嘘を貫き通す為の許容量》とヒヨリの《納得できるであろう位置付け》を勝手に模索しただけの妥協案なのだから。何処まで行っても、これは詭弁に過ぎない。
 まだ呼吸の治まらないヒヨリの頭を撫でながら、我ながら身勝手な申し出を依頼する。


「………じゃあ、今度は隠し事しない? ………私を、頼ってくれる?」
「そうだな、辛くなったら相談くらいはする。………ありがとうな」
「…………うん、わかった。………待ってるね!」


 まだ、ここに居ていい。
 ヒヨリにそう言われたようで、少しだけ、気が軽くなったように思えた。
 頼る気なんて毛頭無いというのに、罪悪感を感じるべきなのに、俺は安堵していた。

 ………まだ、人のままでいられる。そんな猶予と恩赦を与えられたようにも、そんなふうにも思えた。
 ………同時に、そんな都合の良い考え方しか出来ない自分に、胸糞悪さを感じざるを得なかった。 
 

 
後書き
燐ちゃん、ラフコフ討伐戦参戦直前回


燐ちゃんがヒヨリに心配かけないように振舞う度に、ヒヨリが自分の無力感にうちひしがれる。
苦労を掛けたくないから頼りたくないという燐ちゃんが精神的な過負荷を蓄積する別の場所で、ヒヨリも辛い思いをしていたというところでしょうか。気の遣い方が不器用だと誰かを傷付けるという好例ですかね。
つまり、この二人は何気にこれまで擦れ違い合っていたことになります。幼馴染だからといって何でもお見通しという訳ではないのですね。というか、結局はその場凌ぎなんですがそれは………
しかも、グリセルダさん救出戦だけ話して、今回のヒースクリフとの密談までは何も話をしていないという事実もあるのです。どうなるんだこれ………(ノープラン)


ということで、次回は年を越えてからになりそうです。
次回、前振りの長いラフコフ討伐戦本編(!?)をお送りします。

それでは、結構早いですが、読者の皆様良いお年を。



メリクリ! ノシ 
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