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ラインハルトを守ります!チート共には負けません!!

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第六十八話 天王山を奪取します!

 
前書き

 現在執筆気力がどうにもこうにも起きません。情けない話ですが、投稿しても評価なし感想なしというなしのつぶて状態というのが一番こたえるようです。
 前書きに乗せる様なものではないのですが・・・・。 

 
帝国歴486年10月26日――。

カストロプ星系における「天王山」の戦いが開始されて10日目になるが、勝敗は思いのほかつかなかった。援軍として到着したバイエルン候エーバルトの艦隊が予想外の粘り強さを発揮し、ラインハルト側の全面攻勢攻撃を3度にわたって撃退したのである。キルヒアイスがカストロプ本星を奪取したことに、敵は見向きもしなかった。まるでキルヒアイス側の戦力の少なさを知っているかのようだった。
「敵もやる・・・。」
ラインハルトは憤るというよりは少し考え込むようだったが、カストロプ本星には増援艦隊を派遣し、キルヒアイスの孤立化を防ぎ、いったん戦線を整理するべく軍を引いたのだった。引いたと言っても相手の反撃に警戒し、反撃体制を取っての事である。
実のところラインハルトはバイエルン候エーバルトについてはつい最近まで知らなかったし、イルーナ・フォン・ヴァンクラフトら転生者らも彼については知らなかった。そのため撤退してきたラインハルトらは短い休息の後に開いた会議で彼のことを調べ上げたのである。イルーナ・フォン・ヴァンクラフトにしても、バイエルン候エーバルトという予測だにしなかった「穴馬」が登場してくることは意外だった。アレーナに尋ねても「バイエルン候エーバルトなんて知らないわねぇ。その人そんなに強いわけ?ん~~盲点だったわ。」と言われるばかりだった。
「28歳にして上級大将か。まんざら『飾り』というわけでもなさそうだな。」
極低周波端末を使用した会議でラインハルトは彼の経歴を見て顔色を改めた。何しろ3度目の攻撃の際にはラインハルトは麾下の諸提督の艦隊を先鋒にし、なおかつイルーナ艦隊を別働部隊として迂回させて気を見計らっての同時攻撃を行ったのだが、それでも敵は崩れなかったのだ。
「アレーナ姉上、イルーナ姉上、姉上たちの知る中でこのような男は帝国におりましたか?」
『いないわ。』
二人は同時に言った。
『でも気にすることはないわよ、ラインハルト。仮にあなたが元帥で全軍を思うがままに指揮できる立場で、麾下のロイエンタール提督たちが中将として一個艦隊を率いている状態だったら、あんなモヤシ野郎みたいなのの艦隊なんて、数時間で壊滅させられるはずだもの。ね~?イルーナ。』
アレーナ姉上もずいぶん言葉が悪くなりましたね、とラインハルトは笑った。それだけでずいぶんと気が楽になったのは事実である。一人だけであれば要らぬことまで考え込んで抜け出せなくなったかもしれない。ラインハルトにとっては初めての「壁」であった。しかも大軍を率いての駆け引きの中でぶっつかった「壁」なのだ。一歩間違えば壁が崩壊して自分も圧死してしまう。
『バイエルン候エーバルトが「モヤシ野郎」かどうかは置いておくとして。』
イルーナが珍しくアレーナに同調して冗談を言った。そう言ったのはラインハルトのなかにある負のしこりを少しでも取り除いてあげようという気持ちの表れだったのかもしれない。
『ラインハルト、焦る必要はないわ。焦っても何もいいことはない。一個艦隊を指揮することと、今回のように大軍を指揮することは、似たようでいて異なるものなのだから。あなたはそれを今学んでいる最中なのよ。戦線を整理して敵の陣容を検討し、再度攻勢のポイントを見出していきましょう。大丈夫、あなたにならできるわ。』
イルーナの言葉にラインハルトは素直にうなずいた。二人の「姉上」たちがいることで、たとえそばに赤毛の相棒がいなくともラインハルトは平素の心のまま事態に向き合うことができたのである。とはいえ、ラインハルトは一抹の寂しさも覚えていた。カストロプ本星との連絡は敵の妨害電波により、かろうじて連絡が取れるかどうかという状況だったのでキルヒアイスと会話できなかったのである。
ラインハルトらは、戦線を整理して再度敵の陣容を精査し、先日までの戦闘データを収集した結果、バイエルン候エーバルトの直属艦隊4万隻のすべてが候の麾下にある正規艦隊である事実を掌握した。他方、ブリュッヘル軍は貴族連中が中心となって寄り集まっている部隊である。
「つぶすには惜しい部隊だ。どうにかしてこちらに引き入れることはできないものか。」
ラインハルトは思案した。難敵をごっそりと味方にできれば、これ以上のうまみはない。考えた結果彼が導き出した回答は、  

「ブリュッヘルの部隊とエーバルトの部隊を通信を含めて一切を分断し、双方に相互不信の種をまく。双方が弱体化したところを勧告を送るなり撃破するなりすればいい。」

というものであった。何も敵をまとめて撃破する必要性はないのだ。各個撃破できればそれに越したことはない。ラインハルトは麾下の諸提督を召集してこの方針を説明し、賛同を得た。何しろ数日間対峙して活路が見いだせないのだ。となれば全く異なる方法で攻め寄せるほかない。
一日後、戦線を整理して部隊を再編したラインハルト軍10万余隻は機動的速度をもってブリュッヘル、エーバルト両軍に襲い掛かった。彼らはある意図した運動にそって艦隊をスライドさせ、徐々にであるが両部隊の間の密度を低下させることに成功していた。
「全艦突撃!!双方の連絡線を遮断して孤立させてやる役目は、私たちが担うんだから!!」
ティアナが絶妙なタイミングで麾下の高速艦隊1万隻を率いて前進し、集中砲火と機動攻撃によって間にある部隊を瞬く間に殲滅させ、くさびを打ち込んだ。それは同時にブリュッヘル、エーバルト両軍に対しての総攻撃の合図でもあった。ラインハルト軍直属艦隊の麾下提督たちは艦首を並べて一斉にエーバルト軍に襲い掛かり、貴族連中はブリュッヘル軍に押し寄せた。イルーナ艦隊は貴族連中の援護に回り、彼らから崩壊する隙を作らせないように終始動き、ウェリントン伯率いるメルカッツ提督本隊は全軍の中央に布陣してティアナ艦隊の援護に回ったのである。
双方の諸艦隊がそれぞれがっつりと敵にかぶりついて離さなかったので、エーバルト、ブリュッヘルの両軍はそれぞれの援護に赴くこともできず、多方面から押し寄せた敵によって半包囲されたまま戦わざるを得なかった。双方とも連絡を絶っているティアナ艦隊に対して再三にわたって攻撃を仕掛けたが、その都度手痛い逆撃を被ったのである。
「卿らはリッテンハイムに忠誠を尽くすあまり、皇帝陛下に弓引く逆賊になることを望むのか!?」
頃合いを見計らったラインハルトが降伏を勧告するが、バイエルン候エーバルトもブリュッヘル伯爵も降伏する色合いを出さない。愚か者め、とラインハルトは思ったが、かといって攻勢を緩めるわけにもいかなかった。バイエルン候エーバルトもブリュッヘル伯も、はかろうじて重囲を破って逃走し、なおも追撃してくるラインハルト麾下の諸提督の追撃を受け、かなりの損害を被ったが、逃走に成功した。
破壊した艦艇は15291隻、損傷させ捕獲した艦艇26229隻、およそ半数が逃亡したが、その半数はラインハルト軍によって各個に捕えられるか、撃破されるかし、リッテンハイム侯爵の下に逃げ帰ったのは2万隻余りだったという。
他方のラインハルト軍も1万余隻の損害を出したものの、捕獲した艦艇によってその損失を補充できた。ラインハルト軍は詳報をブラウンシュヴァイク公爵のもとに送り、今後の指示を仰いだ後、カストロプ星系の制圧と、治安維持に乗り出した。宇宙艦隊の逃走によってカストロプ星系に残されていた帝国軍地上部隊は「陸に上がったカッパ」同様であった。いかに地上兵器があったところで、上空制空権を取られ、補給線を遮断され、マスを塗りつぶすように攻撃されればひとたまりもない。
ラインハルトらは星系を制圧し、補給を受け、損傷した艦艇を修復しながら、リッテンハイム侯爵らとの対決の時を待っていたのだった。

むろん、ラインハルトらはもう一つの目的も忘れてはいない。すなわちカストロプ公爵がサイオキシン麻薬製造に関与しているという事実の証拠収集である。だからこそキルヒアイスを真っ先に本星に派遣したのだった。そのキルヒアイスは信用できる部下たちとだけで調査を続行し、サイオキシン麻薬の製造施設や記録などを発見していた。これらは厳重に封鎖され、証拠となるデータなどを丹念に収集し「A級資料」として保管することとしたのである。ラインハルトやイルーナも目を通したが、そこには「これは?!」と思われる意外な貴族の名前もあったし、さらには帝室の一員までもサイオキシン麻薬の製造に関与していたフシがあった。
 もっとも、現段階ではそこから先をどうしようという明確な見取り図はできておらず、メルカッツ提督の容体が回復次第協議しようという考えで一致したのだった。ただしアレーナには情報は逐次報告している。ラインハルトたちはミュッケンベルガー元帥からの指令を待って攻勢に出る準備をしていた。


ところが――。


ラインハルトの下に衝撃的な報告が飛び込んできた。ブラウンシュヴァイク公爵・ミュッケンベルガー元帥がリッテンハイム侯爵側の強襲を受け、大敗北を喫したという。3万余隻を失ったブラウンシュヴァイク公爵、ミュッケンベルガー元帥は後退して陣形の再編に乗り出していた。その3万余のほとんどが貴族の私設艦隊だったのだが。
 報告を受け取ったラインハルトは、それをカストロプ本星から戻ってきたキルヒアイスに示した。なお、カストロプ星系を攻略したことで、一応の目途はついたと判断したラインハルトは麾下全軍の武功を軍務省に報告させていた。ロイエンタールら麾下諸提督らは中将に昇進し、カストロプ本星・星系を攻略したことで、キルヒアイスは准将に昇進していた。ラインハルトとしてはそれでも不服であり、キルヒアイスをロイエンタールらと同格にするべく、さらに昇進をさせる道筋を探っていたのだった。
「ここには書いていないが、ブラウンシュヴァイク側が攻勢に出るまでのタイミングが妙に遅い。大方前祝いと称して酒宴を催していたところに、リッテンハイムの攻撃を受けたのだろう。ミュッケンベルガーめ『敵ノ戦意ハ侮リ難シ。』などと書いてきているが、真相としては彼奴も酒宴に引きずり込まれて酒瓶を相手にしていた口だろうな。」
珍しくラインハルトがあけすけに批判しているのを聞いたキルヒアイスが、
「ラインハルト様。」
と、たしなめた。
「すまなかった。どうもこういう報告を見るとそう言いたくなってしまう。注意しなくてはな。俺とていつそうなるかわからないというのにだ。」
「ご自身で手綱をお締めになられるのは難しい事ですが、そうあるようお心がけをなさることです。さもないと、思わぬところから脚をすくわれます。」
「その通りだ。キルヒアイス、ありがとうな。お前が俺に意見してくれる。そのことがどれだけ俺の足場を固めることになるか、どれだけ俺にとって心強いか、言葉では言い表せないほどだ。」
「ラインハルト様・・・・。」
キルヒアイスはどう答えていいかわからないような顔をしていたが、嬉しさの光は瞳の奥に確かに灯っていたのだった。
「話を元に戻すが。」
ラインハルトは報告詳報の用紙を軽く指で指し示しながら、
「ミュッケンベルガーが援軍を要請してきた。俺の麾下の艦隊から一個艦隊を引き抜いて回すように指令してきた。小難しい字句でいろいろと並べ立てているが、要約すればそういうことだ。俺としては試案はほぼ決まっているが、お前の意見を聞いてみたかったのだ。で、キルヒアイス、誰を行かせればいいと思う?」
「・・・・私を補佐に当て、どなたかを派遣される、これがお望みになっている回答でしょうか。」
「そうだ、さすがだな。」
ラインハルトは微笑した。
「今回の派遣艦隊はお前の武功を立てさせることが目的だ。お前は准将になったが、それだけではまだ不足だ。せめて中将に昇進して一個艦隊を指揮する身となってくれなければ、俺としては困る。もしくは少将で妥協して、俺の側で参謀長となってもらうかどちらかだな。」
ラインハルトが自分を必要としてくれているのを改めて知ったキルヒアイスは嬉しくてたまらなかったが、顔には出さなかった。こういう言葉は何度言われても飽きないし、何度聞かされても嬉しいものなのだ。
「お前の武功を横取りせず、かつお前の意見を聞く耳を持つ提督となると、それほど数は多くはないと思うが。」
「・・・・私の希望を述べてもよろしいでしょうか?」
「言ってみろ。」
「フロイレイン・フィオーナの下で動きたいのですが。」
「ほう?」
ラインハルトは面白そうに声を上げたが、すぐにうなずいた。
「いいだろう。フロイレイン・フィオーナなら心配はない。お前のことを尊重してくれているし、何よりお前の本当の力量を知りうる一人だからな。実のところ俺は内心お前がイルーナ姉上の下で働きたいと言い出すかどうか心配していたのだぞ。」
キルヒアイスは微笑して、
「そんなことをすれば、ラインハルト様が怒りだすかと思っておりました。『姉上を奪ったな!』などと言われるようでは、この先差しさわりがありますから。」
「こいつめ。」
コツンと軽くラインハルトは赤毛の相棒の頭を指の背中で叩き、二人は声を上げて笑ったのだった。

ラインハルトはイルーナとアレーナに相談した。断られるかと思ったが、それは杞憂だった。イルーナもアレーナもフィオーナの出征については全面的に賛同してくれたのである。後は本人の意志だった。ラインハルトからこの知らせを聞いたフィオーナは少し驚いた様子だったが、すぐに「私でよろしければ、喜んでお役に立たせてください。」と率直さをもって言い、キルヒアイスに対しても「ご迷惑をおかけするかもしれませんが、よろしくお願いします。」と頭を下げたのだった。



 オーベルシュタインはイルーナの艦隊幕僚として付き添っていたが、彼女はオーベルシュタインと度々議論をすることを好んだ。策謀の是非はともかく、その洞察眼は超一流である。イルーナとしては彼の特筆すべき才能を全面的に最大に利用したいと考えていたのだった。
「なぜ、あなたをラインハルトにあわせないか、その意図は分るかしら?」
ある時イルーナのこのような質問に対して、オーベルシュタインは即座にこう答えた。
「小官がかの方とあうことはかの方にとって悪い影響を与えることとなる、と閣下がお考えになっていらっしゃるからでしょう。」
イルーナはうなずいたっきり、この問題に関しては何も言わなかったが、オーベルシュタインがそれを知ったうえで彼女という媒介を通じてラインハルトに協力していると知り、ひそかに安堵していた。彼女はこの路線を継続することにしたのである。
「今後の展開だけれど、リッテンハイム陣営とブラウンシュヴァイク陣営との戦いによって、ラインハルトが最大限に利益を得るにはどうすればいいかしら?」
「ご自身でお考えになっていらっしゃることをわざわざ小官にお尋ねなさるとは、いささか冗談の度が過ぎると思いますが。」
「主観と客観とが完全に一致した例が古今あるかしら?冷淡な言い方をするようで申し訳ないけれど、私は確認をしておきたいのであって、あなたの感想を聞きたいのではないのよ。私はあなたの意見を伺いたいの。」
オーベルシュタインは少し頭を下げたのち、
「ブラウンシュヴァイク公爵陣営の力を削ぐためには、リッテンハイム侯爵の力をもってなすべきでしょう。そのためにはもう少々リッテンハイム侯爵側に奮戦していただかなくてはなりません。ブラウンシュヴァイク公爵自身の力でなくとも、彼に同調する貴族共の力をそいでしまうべきなのです。」
「つまりは、リッテンハイム侯爵に内通させる者をつくりあげる、という事かしら。」
「左様です。帝都オーディンに置いて貴族共の家宅を捜索すれば、おのずとそのような物証は見つかるでしょう。その辺りの仕事は社会秩序維持局にでもやらせておけばいいと思われます。」
イルーナ・フォン・ヴァンクラフトはその辺りのことについては信じて疑わなかったが、一つ先の問題をぼんやりと把握しだしていた。
「貴族連中をすべて排除し、ラインハルトによる政権を作り出す。その過程で一つ問題があるとすれば、貴族連中の購買によって支えられていた宝石・服飾・給仕・侍従等のいわゆる『貴族関連事業』が壊滅的な被害を被ることね。これらの事業によって少なからず雇用されともかくも生計を立てている平民はいると思うわ。」
「その辺りのことを、今心配していてもどうにもなりますまい。が、閣下にはどうやらその先のお考えがあるようですな。」
イルーナはうなずいた。
「私は軍属だけれど、ラインハルトが政権をとってから軍人が貴族にとってかわるなどという事はあってほしくはないのよ。相互牽制。これが私の理想とする体制なの。」
イルーナの本心はもっと別のところにあったが、大筋としては間違ったことを言ってはいなかった。
「一つ理想を言わせてもらえば。」
オーベルシュタインが退出した後、イルーナは一人つぶやいた。
「原作やOVAみたいに敵味方が幾千幾万も死んでいく様を私は見たくはないの。戦場での戦死ではなく、もっと広義の死を含んでいるわ。それは理想論以外の何物でもないと思っているけれど、だからと言ってその事実に対して目を背けたり、木石として看過することは、私にはできない・・・・。」
彼女の言葉は他に誰もいない自室の空間に空しく溶けて消えていった。

* * * * *

他方――。
リッテンハイム侯爵の下に敗軍が帰還し合流を果たしていた。バイエルン候エーバルトとブリュッヘル伯爵の残存艦隊である。兵力の4分の3を失って逃げ戻ってきた両将らに対しリッテンハイム侯爵はその罵声の限りを尽くして怒鳴りまくった。自分が急襲を敢行してミュッケンベルガー元帥らに3万余隻の打撃を与え、勝利に浮かれているさ中だったから、なおさらその罵声はひどいものになったのである。が、時はすでに遅かった。既に戦列を整えたラインハルト軍は守備部隊を除いた艦艇総数をカストロプ星系方面から進出させつつあったし、一部を援軍としてブラウンシュヴァイク本隊に差し向けていたのである。
 リッテンハイム侯はヤケ酒をあおりながらひとしきり罵りまくったが、やがて憔悴した顔のまま酔いを醒ますと、ともかくも幕僚たちとこの難局を打開すべく協議に入ったのだった。
「なんの!ブラウンシュヴァイクとミュッケンベルガーを討ち果たせばよいのだ。別働艦隊を率いる孺子やメルカッツなど、ブラウンシュヴァイクがいなくなり、我らが帝室を擁し奉れば何一つ恐れる必要などないのだからな!」
そうだ!そのとおり!などと賛同する声が相次いだ。リッテンハイム侯爵側はまだ10万余隻の大艦隊を有しており、ブラウンシュヴァイク公爵ミュッケンベルガー元帥の本隊を痛打したこともあって、その士気は高かった。だが、バイエルン候エーバルトとブリュッヘル伯爵ら主要な将官の意見は少々異なっていた。ラインハルト軍と実際に対峙した彼らは彼とその麾下の諸提督の並々ならぬ力量に接して危機感を覚え始めていたのだ。会議が終わり、例によって戦の前祝いの酒宴が行われ始めても、一部の将官たちはひそひそと三々五々個室にこもって密談を始めていたのだった。


帝都オーディン――。
アレーナは帝都残留組の一員として、この争乱の後の来るべき戦いに向けて準備を進め始めていた。フィオーナから預かったエステル・フォン・グリンメルスハウゼンと共にグリンメルスハウゼン子爵の葬儀を終えた後、アレーナは改めてエステルを呼んだのだった。この後は相続の手続きや戸籍の変更などをしなくてはならないが、それはエステルに代わって彼女の母親等が行うことになっていた。
「エステル。気分どう?落ち着いた?」
「お姉様にはご迷惑をおかけしてばかりでしたわ。」
エステルは、まだ血の気の戻らない青白い顔を俯けた。
「ま、気持ちはわからないでもないかな、私だって肉親を亡くした時は穏やかじゃいられなかったものね。」
「お姉様が?ですが、お姉様のご両親はまだご健在でいらっしゃったはずでは――?」
「あ、ごめんごめん。こっちの話よ。」
アレーナは笑ってごまかした。まさか自分が前世の記憶を持ち、いわゆる「セカンドライフ」を送っているなどとエステルに言えば「お姉様お熱があるのですか?」などと言われるに決まっているからだ。ラインハルトと違ってすんなり受け入れてもらえるとは思っていなかった。
「まぁとにかく、悲しみに浸っているところ申し訳ないけれど、あなたにもいろいろと動いてもらわなくちゃならないのよね。・・・大丈夫?それとももう一日くらい休んでる?」
エステルはかぶりを振った。
「いいえ。大丈夫です。お姉様のお役に立たせてください。」
「よし。」
アレーナはうなずいた。
「あなたにはサビーネと一緒に行動してほしいの。あの子もあの子で大変なのよ。お父様たちがあんなことになってショックを受けない方がどうかしているもの。」
淡々と話しているがその言葉の裏にはサビーネを思いやる気持ちが一杯になっているのをエステルは感じていた。サビーネ様とは一度お会いしたがとても素直そうな方だった。今度の内乱ではさぞご心痛の事だろう。私さえよかったらサビーネ様のおそばにいて色々と慰めて差し上げたい。エステルは自分の身に降りかかった悲しみに浸るよりもサビーネを思う気持ちが徐々に強くなるのを感じていた。
「あなたとサビーネさえよかったら、私の屋敷で暮らす?その方がにぎやかになって私としても嬉しいんだけれどな。」
「はい!」
エステルが頬を染めて深くうなずいて、サビーネ様に会いに行ってきます、と出ていった。
「・・・・よし。」
アレーナは顔つきを改めると、一人自分の部屋にこもって持ってきた携帯端末を開いた。そこに様々な案がのっているがもう一度整理してみようと思ったのだ。

大軍を運用するにあたって不可欠なものは、後方支援体制構築である。補給・修理・補充、そして傷病兵の治療なくして万全を期して敵と対決することなど思いもよらない。
 帝国軍の補給体制については、もっぱら武器弾薬・修理に重点が置かれ、兵士たちへの物資補給や傷病者の手当てに対しては軽視されがちであった。こと傷病者の手当てについては、人工心肺や義手・義足等の技術は発達していたが、内生的な症状などは放置されがちであったのである。
 そこで、アレーナはひそかに自領にフェザーンからの医師・看護師らを招いて病院を立ち上げ、そこで帝国医療に対しての実地教育機関を作ることとしたのだった。この施設は逐次設立されて、10数か所に及び、総合病院として順調な運用を行っている他医療の心構えについても教育している。ここで教育された若き医師・看護師が将来の帝国医療を支える柱となるだろう。
 また、兵士たちの最大の関心事である「食」については、帝国の大手軍需業者の一つである「インゲィルヘイム社」を幾重にもわたる資本介入で事実上購入して傘下に収め、そこで新しい「携帯用レーション」「人造タンパク」「人口栄養水精製」等の研究を続けさせ、さらには病院食・乳児食・流動食などと言った弱者のための食についても研究させていた。
 さらに、物流については帝国最大の企業である「ハインケル社」を収め、インゲィルヘイム社と提携したネット輸送網の構築をさせて帝国全土のインフラを整備しようとしていたのだった。
これらの取り組みが行われ始めて数年になるが確実にその成果は出始めている。今現在は軍需業者であるがいずれ軍が縮小された暁には民間業者に転向しても独立していけるだけの機構は整いつつあった。

よしよしと一人うなずきながらアレーナは残りの項目を確認していく。その中に、あった項目の一つにアレーナの指が止まった。

マインホフ元帥に引退を願う――。

アレーナにしても苦渋の決断だったが、いずれフリードリヒ4世を打倒するにあたってマインホフ元帥と衝突することは絶対に避けたかった。なにしろアレーナたちをここまで育ててくれた文字通りの「恩人」なのだ。本人にあるのは、アレーナをベタかわいがりにかわいがってきたという自覚だけだろうが。
後はタイミングの問題だったが、アレーナとしてはこの国内内戦が終結し次第マインホフ元帥に引退を願う形を取ろうと決意していたのである。後任は例によってエーレンベルク上級大将を標的とし、統帥本部総長もワルターメッツ元帥からシュタインホフ上級大将にとって代わらせることを企図していた。
「・・・・・・。」
普段飄々としている彼女は、その後5分間珍しくだんまりを決め込んで、意味もなくディスプレイをいじり続けていた。


こうして各場所、各惑星でそれぞれがそれぞれの思惑で動き回っている中、ラインハルトの大艦隊の中である一つの催しが行われることとなった。


 フィオーナ艦隊の出立前、カストロプ星系におけるラインハルト艦隊内部で盛大な壮行会が行われることとなったのである。これは壮行会の名目にかこつけた慰労会とダンスパーティーである。「ラインハルト、どうしちゃったの!?」と事情を知らない転生者たちは驚きをもって彼に問いかけたが、これには裏があった。フィオーナ艦隊の出立を聞きつけたアレーナが「じゃあ慰労会でパーティーでも開いてあげたらいいじゃない。たまには休憩も必要よ。」などとラインハルトとイルーナに言ったので、メルカッツ提督の許可を取った上で、開催の運びになったのである。いわばイゼルローン要塞で行われている「ダンスパーティー」を再現した形になったのだった。
 このようなことが許可された理由の一つとしては、カストロプ星系を制圧したことで、ラインハルトら別働艦隊の任務はひとまず終了したからでもある。
 カストロプ星系の旧カストロプ公爵の居館等を借り切ったり、艦隊の輸送艦のスペースを改装して一時的なダンスホールにしたりとその規模は大きなものである。開催は3日間にわたって行われることとなり、地上にいる者、艦隊にいる者が交代で滞りなく参加できるようになっていた。むろん、フィオーナ艦隊の人員は1日だけパーティーを楽しんだのち、あわただしく出立しなくてはならない運命にあったのだが。

 フィオーナはこのパーティーに先立って、出立艦隊を代表してスピーチをしている。本人は恥ずかしがって、嫌だ嫌だとしきりに言ったが、ラインハルトとイルーナ、ティアナ、それにラインハルト麾下の諸提督、果てはウェリントン伯爵ら貴族連中から「やれやれやれ!」などと突き上げられてしまっては、後に戻れなかった。
 彼女が述べたのは決して長くはなかったけれど、帝国の為というよりもそれぞれの将兵のため、とりわけその家族や大切な人たちのために全員が生きて帰れるように頑張りましょうという内容だった。前途に殺し合いが待ち受けている以上、それは客観的に見れば100%成しえない事であるし、まさに「綺麗事」なのである。だが、彼女はそれを本気で成そうと思っていたし、心からそうしたいと思っていた。そうした純粋な思いを持つ彼女のことは大部分の人間が敬愛することはあっても、バカにしたりけなしたりすることはなかったのだった。
「・・・・ここに、私たちの出立を盛大に祝っていただけることにつきまして心からお礼を申し上げるとともに、皆様のご健康を祈って乾杯をしたいと思います。どうか私たち一人一人が無事にそれぞれの家族の下に戻れますように!」
フィオーナが頬を染めながら最後までスピーチを終えると盛大な拍手が沸き起こった。彼女は深々と一礼すると、次にグラスを掲げて、澄んだ声で言った。
「プロージット!」
『プロージット!』


唱和して皆がグラスを干した瞬間、モーツァルトのピアノ協奏曲の第19番が生演奏で軍楽隊や有志のオーケストラによって演奏され始めた。


干されたグラスは叩き付けられる・・・のではなく、それぞれが引き続き飲み物をたしなむために使われる。全員がそんなことをすれば清掃業者たちがさぞかし大変な思いをするだろうし、何よりも足に破片が刺さる危険性もあるからだ。後は自由行動である。若い男女の士官たちが仲良く肩を並べて歩いたり、料理を食べたり、踊ったりしている光景が随所にみられはじめた。(他方、一般兵士たちは酒保を解放されて、大喜びで酒宴を行っていた。もっとも「酒乱」にならないように屈強な憲兵隊が随所にいたのだったが。)普段軍務に従事している者同士が一体どこをどうして連絡を取り合ったのか。はたから見ている年長者や彼女彼氏なしにしてみれば不思議としか思えない光景であったが、その輪の中にも誘い掛ける相手がいたりして、次第に場は賑やかなものとなっていった。
「フィオーナ、とても良かったよ。」
ミュラーが話しかけてきたので、フィオーナは赤くなった。他の諸提督たちはニヤニヤしながら二人を見守っている。それは悪意からではなくこの半ば公認のカップルをほほえましく見守っていてやろうという思いからだった。
「ミュラーも形無しだな。軍務における卿と今の卿とではだいぶベクトルが違って見えるぞ。」
ルッツがいつになくからかうと、ビッテンフェルトがその横から、
「だいたいフロイレイン・フィオーナ、どうしてこんな奴を選んだのか、小官にはいまだにわかりかねるな。どう見ても男前が優っている奴が他にごろごろといるではないか。」
そう言いながら自分がそうだと言わんばかりに胸を張ったので、居並ぶ提督たちは笑いをこらえるのに苦労していた。
「それは、その・・・・。」
フィオーナが真っ赤になって答えに窮したので、ティアナが助け舟を出しにやってきた。彼女はしきりに人差し指を振りながら、
「そりゃあ決まってるでしょ。ミュラーの誠実さがフィオの琴線に触れたのよ。男は顔だけじゃないわ。中身よ、な・か・み。顔なんて第一ハードルをクリアするだけのものでしかないんだから。深く付き合えるかどうかって、そっから始まることなのよ。ねぇ?」
急に話を振られた女性陣は一斉に顔を見合わせると「ぷっ。」と一斉に噴出して大いに笑った。
「どうしたの?何か変なこと言った?」
不思議そうな顔をするティアナに、
「ティアナ中将がおっしゃる事じゃないでしょうが。」
ルグニカ・ウェーゼル准将が心底おかしそうに笑っている。その横でレイン・フェリルが顔を真っ赤にして笑いをこらえ、バーバラ・フォン・パディントン少将がおかしそうに笑い続け、しまいにはせき込み始めていた。
「あなたのお相手を見れば、どう見ても・・・ううん、何でもないわ。」
エレイン・アストレイア少将が我慢できないようにイルーナに身体をもたせ掛けて笑い続けている。前世におけるアレーナの盟友は北欧神話に出てくるような長い透き通るような金髪を後ろでゆるくまとめたグリーンの美しい瞳を持つ女性である。顔立ちはきりっとしすぎているきらいがあるが、それでいて性格は武人の矜持と朗らかさとを共存させている女性で、イルーナたちも何かと世話になっていたのであった。
「な、何よ何よ何よ!!わ、私がそんな顔だけで選んだわけじゃ――。」
ティアナは不意にブルブルと身を震わせた。ロイエンタールの顔が一瞬どす黒くなったような気がしたからだ。この二人も周りからは半ば公認の形で見られている。ミッターマイヤーにとっては女性を敬遠している僚友がなぜかティアナにだけは心を許しているようなそぶりをしているのを見て不思議に思っていた。もっともロイエンタールが酔っ払った勢いで自身の過去とフロイレイン・ティアナの秘密を話したことで、ある程度納得したのも事実である。両者に共通しているのは「眼」であったからだ。
「・・・心外だな、フロイレイン・ティアナ。」
彼のはなった声は氷のようなものだったが、よく聞けばその下には可笑さをこらえていることがよくわかった。だが、当のティアナは慌てて、
「ち、違う違う違う違うのよ!!あ、あぁ!!そ、そうよ、ホラ、一度踊ってくれるって約束していたじゃない!!行きましょう!!」
慌てふためいて、ロイエンタールの手を引っ張ってダンスホールにつれて行く姿がおかしいと皆大笑いである。
二人の様相を見守っていたフィオーナとミュラーもどちらともなく、手を取り合ってダンスホールに歩を進めていた。
「どれ、では小官が彩に華を添えましょうかな。」
メックリンガーがオーケストラの指揮者の下に歩み寄り、何かささやき交わしたかと思うと、会場に置かれているグランドピアノに歩を進める。自他ともに認める芸術家提督である彼はピアノの腕前も超一流なのだった。
たちまち華やかな2組がオーケストラとメックリンガーの奏でる演奏のワルツに乗って華麗に踊り始めるのが見えた。
「エヴァがいればなぁ・・・・。」
ミッターマイヤーが残念そうにつぶやいていた。その隣で、
「駄目だぞ、今日は独身者だけのパーティーなのだ。人妻がいるお前に女性の相手はさせられん。俺が彩を添えてやる!」
ビッテンフェルトがそう叫んだかと思うと、真っ先にルグニカ・ウェーゼルの下に歩み寄り、いや、突進していき、大声でダンスを申し込んでいた。ルグニカはびっくりして後ずさりしそうになったが、女性陣の手が彼女の背中を受け止め、勢いよくビッテンフェルトの下に押し出したのである。よろめきながらぶつかったルグニカは真っ赤になり女性陣に向かって何か叫ぶよりも早く、ビッテンフェルトによって連れ去られていったのだった。続いて麾下の諸提督も一人、また一人と互いにお相手を見つけて申し込んでダンスの中に入っていったのだった。


 その様子を女性陣の中で一人残ったイルーナは微笑んで見守っていたが、どこか寂しそうであった。彼女はお相手を申し込んでくる男性陣をいなし続け、他の女性陣を差し向け続けてついに参加することはなかったのである。
「イルーナ姉上はお踊りにならないのですか?」
後ろを振り向くと、ラインハルトとキルヒアイスがやってくるところだった。フィオーナのスピーチまではいたのだったが、その後急務があるとかでいったん席をはずしていたのである。
「どうかしたの?急務があったと聞いたけれど?」
「大した話ではありません。リッテンハイム星系におけるミュッケンベルガー元帥がいよいよ攻勢を計画しだしたので、別働艦隊である我々にも出動命令が下されました。ですが、それには時間があります。中止するには及びません。」
「そう・・・・。」
いよいよか、とイルーナはこの時少しだけ普段の軍務に従事する自分に戻っていた。ミュッケンベルガー元帥の本隊と呼吸を合わせ、一気にリッテンハイム侯爵を殲滅する。そしてできれば反す刀でブラウンシュヴァイク公爵をも滅ぼしてラインハルトの下に全軍を統括させたい。だが、それは急すぎることであったし、第一そのような事がなしえると思うほどイルーナは楽天家ではなかった。このラインハルトの大艦隊10万余隻自体がほぼすべて「借り物」である。中国遠征の羽柴秀吉のように、いわば「与力」が多数加わっている状態であるし、ラインハルト自身がメルカッツ提督の代理であるという事実も忘れてはならないことであった。
「それよりイルーナ姉上、姉上は参加なさらないのですか、ダンスに。」
イルーナはただかぶりを振っただけだった。
「どうしてですか?」
「私にはああいったものは似合わないから・・・。」
イゼルローン要塞でのダンスパーティーの時は教え子二人に合わせた形の彼女であったが、このパーティーでは寂しさがじんわりと顔に出てきている。それは誘う誘わないという問題ではなく、もっともっと深いところにある寂しさだった。
「イルーナ姉上がそうおっしゃるのは。」
ラインハルトがしばらく考えた後に唐突に口を開いた。
「前世とやらがかかわっていることでしょうか。」
一瞬イルーナが「くっ」という何とも言えない音を発し、硬い表情で押し黙ってしまった。ラインハルトとキルヒアイスはお互いに顔を見合わせていたが、何も言葉をかけなかった。かけられなかったと言った方が正しい。
「・・・・ごめんなさいね。」
顔を上げたイルーナは少し恥ずかしそうにしていた。
「あなたたちには何の関係もない事なのに、不快にさせてしまって申し訳なかったわ。」
「関係がないかどうかはわかりませんが。少なくとも私たちは話し相手としては不足でしょうか?」
イルーナはラインハルトとキルヒアイスを交互に見ていたが、やがてぽつんとつぶやいた。
「私は前世で自分の生まれたばかりの子を置いて一人先立ってしまった身なの。戦いで重傷を負って、死亡したのよ。おまけにその子は非嫡出子だったわ。こういえばあなたたちにもわかるのではないかしら。」
唐突なあまりの告白にラインハルトとキルヒアイスは眼をみはるばかりだった。言葉が出てこない。
「・・・・だから恋愛をしない。・・・・違うわね、怖くなったのよ。自分を律し続けていないと、いつかは同じ道をたどることになる。いいえ、私自身に降りかかる不幸ならばそれでいいわ。でも、私のせいで生まれてくる子供までもが不幸になることは避けたいの。」
「・・・・・・・。」
「この話はフィオーナとティアナも知らない事よ。私が子供を産んですぐに死んだことは二人は知っているけれど、その相手が誰なのかという事は私は最後まで伏せていたから。」
「・・・・・・・、」
「ごめんなさい、こんな話をしてしまって。申し訳ないことをしたわ。」
部屋に戻ろう。イルーナは踵を返そうとして不意に足を止めた。手がつかまれていたのだ。ラインハルトによって。彼は怒っているのではなかった。普段アンネローゼやイルーナ、アレーナらと話す時と全く同じ顔をしていたのだった。キルヒアイスもだ。
「ですがイルーナ姉上、まさか『弟』である私と踊れない、などという事はないでしょう?」
「ラインハルト?」
「前世が何だというのですか。そんなものは既に精算が済んだはずです。・・・キルヒアイス、すまないな、しばらくしたら戻ってくる。」
そういうと、ラインハルトはイルーナの手を引っ張ってダンスの輪の中に入っていった。
「あ、ちょっ!ラインハルト・・・!!」
イルーナはいつになく切れ切れな言葉を発しながらも、ラインハルトに連れられて、ダンスホールの中心に向かっていた。ラインハルトの手が彼女の腰に伸び、もう片方の手が彼女の右手を握った。
「私もあまりダンスは得意ではありませんが・・・・。」
ラインハルトはそう言ったが、彼は素晴らしく上手かった。少なくともこういったことをあまり経験しないイルーナからすれば文句なしの相手だった。二人の周りにはワルツの音色が軽やかにまとわりつき、二人が華麗にステップを踏むたびに、華やかな音色が足元から沸き起こった。演奏しているのはオーケストラとメックリンガーのピアノなのに、まるで二人がワルツを奏でているかのようだと周りに錯覚させるほどピタリと合っていたのである。
演奏が終わり、イルーナをエスコートしながら戻ってくるラインハルトの背後で大きな拍手が沸き起こっていた。
「どうだ、キルヒアイス。」
ラインハルトが少年めいた得意げな顔つきを赤毛の相棒に向けた。
「流石はラインハルト様です。ですが、お相手が上手でいらっしゃったからこそ、上手くいったのではないでしょうか。」
「確かにな、それはある。」
ラインハルトは軽く笑ったが、すぐにイルーナに目を向けた。
「これで、厄落としはできたはずですよ、イルーナ姉上。私たちは前世とやらの事はよく知らない。あなたに何があったのか、お話にならなければそれで結構です。ですが、私たちもまたあなたを支えていきたいと思っていることをお忘れなく。」
いつになく呆然としているイルーナは不意に顔色に生気をよみがえらせると、素早くお礼を言ったかと思うと、自室に戻ると言い残して姿を消してしまった。ラインハルトとキルヒアイスはそれをじっと見送っていた。
「よろしいのですか?ラインハルト様。」
「あぁ。今はイルーナ姉上には一人になられる時間が必要だからな。大丈夫だ、俺はイルーナ姉上を信じている。」
「はい、私もです。」






イルーナは自室で一人ひっそりと泣いていた。声を出さず、ただ涙を流していつまでも一人泣いていた。
嬉しかった――。ラインハルトが、自分の前世での経歴を知っていてもなお彼なりの方法で慰めてくれていたのだ。
「情けないわね・・・。」
泣き笑いのような顔をしながら、イルーナは一人つぶやいた。
「ここにきて泣いてばかりいる気がするわ。情けない、あなたは『姉』としてラインハルトとキルヒアイスたちを引っ張っていかなくてはならないのだから。」
自分自身にカツを入れ、立ち直ろうとしながらも、それでも、とても嬉しかった。
 
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