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ソードアート・オンライン‐黒の幻影‐

作者:sonas
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第2章 憎愛のオペレッタ  2024/08 
  最後の物語:嘘の魔法

 
前書き
 ひとり残されたまじょは、女の子を助けるために、たくさんのうそをつきました。

 まじょのつくうそは、まるで本当のことのように聞こえる不思議なうそでした。

 自分のためだけのお話をつくる道具だったうそを、まじょははじめてだれかのために使ったのでした。
 

 
 空を上層の底面に遮られたアインクラッドは、夏の日差しが降り注ぐことはない。日中は直射日光に晒される時間は意外と少ないと言って良いだろう。
 しかしそれでも季節特有の熱気は潜まることなく、不思議なシステムで天蓋を隔てた空の明るさが損なわれること無く地表を照らす。加えてセミのようでいてどこか別種の鳴き声も相俟ることで人は否応無しに現実世界の夏を思い起こすようだ。
 デスゲームという環境に順応の叶ったプレイヤーは、それらの風情に意識を向ける余裕もあり、中には羽目を外して遊びに繰り出す者や、涼をとるために自分の行動範囲を離れて遠出する者の姿が散見される。そんな一夏を思い思いに謳歌する彼等を、情報屋――――《鼠》のアルゴは遠目から退屈しのぎに眺めていた。

 中層か、乃至は非戦闘プレイヤーがはしゃいでいる裏側で、攻略組のトッププレイヤーが如何に苦心している事か。情報収集という役目を終えた自分が後の事を悩むのはお門違いかも知れないが、同じデスゲームに身を置くなかで双方にこれほどの乖離がある事への僅かな驚きと、それでも平和に事もなく日々を生きる彼等に微笑ましいものを感じつつ、アルゴはアイスティーの注がれたグラスを僅かに傾ける。


「………始まったカ?」


 呟きつつ、メニューウインドウを表示しては現在の時刻を確認する。
 時刻は予想よりやや後の時間を表示していたから、恐らくは(リン)の証人喚問も開始されている時分だろうか。報告した情報をより精緻に補完するためなどとヒースクリフは宣ったが、しかしどうにも腑に落ちない。
 自分の報告について正確性を疑われていると思わなかったわけではないが、それであれば自身の出版する攻略本を一つの材料として扱いはしないだろう。この時点でヒースクリフの行動は既に大きな矛盾を抱えている。彼は本当に無用な労力は徹底的に省く。裏を返せば、何かの目論見があったという証拠なのだが、その真意を探ろうと思案するほど混迷し深みに嵌っていく。ついには込み上げるモヤモヤとした苛立ちに堪え切れず、グラスの中身を半分ほど喉に押し流しては溜息を零す。

 再び外に視線を向けると、この層に遊びに来たと思しきプレイヤーの一団はやや遠くの湖岸にシートを広げて陣取り始めるところだったらしい。広大な湖をテーマに構成された層とはいえ、粒の小さい砂が敷き詰められた湖岸は砂浜と遜色ない。水は太陽光を散乱させて鮮やかな青に染まり、真冬でさえ初夏程度の気温をキープする熱帯気候として知られていることから、観光地として有名な場所でもある。こうして日陰に落ち着いているアルゴはむしろ少数派ということのなるだろうか、彼女のいるカフェには客の姿が自分以外に見当たらない。今頃、攻略組に囲まれているであろうリンのことを思うと自分だけこのような場所に居るというのも申し訳の立たない話ではあるが、新規の狩場を捜索するにあたっての準備もあってのことで已む無しと言い訳を盾に、椅子の背凭れに寄りかかると間もなくして出入口のカウベルが来客を店内に知らせる。足音は最寄りの席ではなく、恐る恐るとアルゴへ迫り………


「ひゃ!? ………うぅ、いったぁ………」


 凹凸のない滑らかなフローリングの上で器用に躓き、アルゴの足元に女性プレイヤーが盛大に転んだ。滑らかなプラチナブロンドがふわっと四分円弧をなぞって急降下し、あわやテーブルの脚に額を打ち付ける惨劇は破壊不能オブジェクトを示す紫のシステムアナウンスの発生によって回避されるのだが、オブジェクトが対象を退けるべく発生させた斥力によって弾かれ、今度は床に側頭部をぶつける憂き目に遭う。目尻に涙を浮かべながら、こめかみを(さす)る様子は客観的にはコミカルに映るが、床にぶつけた激痛は抑制されても、その後に残る疼痛までは緩和されなかったらしい。見るに見かねたアルゴは不承不承に手を差し伸べる。


「なかなか上質なコント、ごちそうサマ。怪我はしたくても出来ないから安心しナ」
「そういう問題じゃないです………当事者的には床が迫ってきてすっごい怖いんですから…………」


 むくれながらアルゴの手を取って立ち上がる女性プレイヤーは装備していた着衣の裾をはたく。
 一見するに、装備は白の地に赤の意匠の施された胴衣。圏内だから目に見えた防具は装備していないようだが、紛れもなく《血盟騎士団》に所属するプレイヤーである。それにしては危なっかしい印象だけが際立つ女性プレイヤーを、アルゴはやや訝しむように観察すると、当の女性プレイヤーはやや及び腰になりつつアルゴを上目遣いに窺う。どうやら、意図せず鋭くなってしまった視線に萎縮してしまったらしい。


「………なんだヨ?」


 しかし、このまま無言で何かを訴えるように見つめられていても虐めているようでならない。
 やや気乗りしないまま、アルゴは女性プレイヤーに言葉を投げかけることにする。


「ふゃい!? え、えっと………あの………アルゴさん、ですよね?」
「そうだケド?」
「よかったぁ……間違ってたらどうしようって不安で………」


 対面してから既に異彩を際立たせる彼女には、関わると厄介なことになると第六感が警鐘を鳴らしているのだが、相手は腐っても血盟騎士団所属。攻略組最強の称号を欲しいままにするギルドであるだけに金払いだけは抜群に良い。実際にフレンド登録を済ませた固定客まで存在しており、信頼度も申し分ない。気掛かりな点が無いわけでもないが、自分を訪ねて来た顧客の前には些事に等しい。秤に掛けるまでもなく、断る理由となり得なかったのである。


「で、フィーちゃんはわざわざオイラ目当てで来たんだろう? どうしたんダ?」
「フィーちゃん?」


 観察中、カーソルと併せて表示されたプレイヤーネームのスペリングから推測した相性ではあるが、小首を傾げられたことで、アルゴは慌てて言い繕うべく言葉を選ぶ。もしかしたら赤面しているかも知れない自分の顔のイメージを意識から切り離そうと心掛けながら、アルゴは努めて平静を装って語る。


「不便だし、名前の頭のところだけで呼ばせてもらったけど、間違ってたカ?」
「いえいえ、普段そういう風に誰かに呼ばれた事が無かったもので………じゃあ、フィーちゃんでお願いします」
「判ったヨ。………ちなみに、どんな風に呼ばれてるんダ?」


 商品価値はないだろうが、好奇心が高じて一つ問うことにした。


「《ウスノロ》とか、《ツカイッパ》とか?」
「ゴメン、ホントにゴメン」
「………んぅ?」


 血盟騎士団の触れてはならない実情を垣間見た気がした。
 顎の先に人差し指を当てるという愛らしい仕草に反して凄惨な回答を向けられ、たまらずアルゴは一にも二にも無く頭を下げるが、女性プレイヤー――――愛称で言うところの《フィー》はまたも不思議そうに頭を傾げる。


「あとですね、お友達からはお姉ちゃんって呼ばれてますよ! 年下の子で、もうすっごい可愛いんですよ!」
「お、おぉ………? なんだか少しずつフィーちゃんが解らなくなってきたゾ………」
「女の子は、みすてりあすな感じの方が魅力的なんですって!」
「いや、フィーちゃんのはミステリアスっていうカ、色んな意味でてんこ盛りっていうカ、消化不良というカ………もういいヤ。というか、オイラにはどんなご用なんダ?」


 やや呆れたアルゴは、これ以上の追及を諦めて話を本筋へと押し戻した。


「そうでした! 実は、お聞きしたい事がありまして………」


 ともあれ、アルゴの推測に違わずフィーは情報を求めて足を運んだらしい。当人はすっかり目的を忘れていて言われるまで気付かないという体たらくだが、ともあれ血盟騎士団から寄せられる依頼は難易度の高さと、その依頼の副産物的な情報のバランスからして、ハイリスクハイリターンな収支となることがしばしばある。ラフコフ調査班の片割れが尋問を受けている手前、手持無沙汰にだらけて過ごすよりはずっと面目も立つし気も楽だと、心算を巡らせる。やや世話の焼けそうな雰囲気を漂わせる相手だが、渡りに船というものだ。依頼の内容を聞き取るべく、アルゴは口を噤んで相手の発言を待った。
 

「その、アルゴさんは………《笑う棺桶》のメンバーを捕縛するっていう()()()()についてお詳しいんですよね?」
「ん~、あまり詳しいわけじゃないんだケド、もしかして聞きたい話って捕縛作戦についてカ?」
「はい、実はそうなんです………私、血盟騎士団にはつい最近入団したばかりで………だから、捕縛作戦の要員になれなくて………でも、どうしても、私もお手伝いしたくてですね………」
「だったら、作戦内容とかはギルドの身内の方が詳しいんじゃないかナ?」


 完全なノーマークだったとはいえ、ごく最近入団した新人となればアルゴに覚えが無かったというのも得心がいく。
 しかし、どうにも解せないのは彼女の行動原理だ。
 わざわざ居場所の定まらないアルゴを探し当てるより、同属の団員に話を聞けばそれだけで事足りる。むしろ実質的な作戦の立案や検証は血盟騎士団を主導に進捗していると聞く。必然的に、彼女は周囲の人間に聞くだけで容易に情報を得ることが出来た筈なのである。攻略組の性質からして、外部に情報を流出することを忌避することはあっても、ギルド内部であればその垣根は存在しない。
 だとすれば、アルゴがこれまで彼女を観察した中で彼女に情報公開の為されない理由として思い至る根拠は一つのみ。嫌な予感が脳裏を過るものの、確認がてら質問を投げかける。


「………もしかして、危ないからお留守番してろとか言われて教えてくれなかっタ………とかじゃない、よナ?」
「ア、アルゴさん………まさか、ゴドフリーさんやダイゼンさんと同じことを思ってるんですか? 何もないところで転ぶのは足下が良く見えないからでもう慣れっこですもん! 戦闘中には何故だか絶対に転ばないんですから! 皆さん心配しすぎなんですってばー!!」
「そりゃそんだけデカいのぶら下げてりゃ見えねーヨ! 見えねーだろーケド、自分の身体なんだからもういい加減慣れろよナ!?」


 荒ぶるフィーの文句に、アルゴの恨みの籠った叫びが交錯してカフェの中を伝播する。
 フィーの感情を代弁するように荒ぶる胸部がアルゴの火に油を注いだのは別の話であるが。
 しかし、これで彼女に同じギルドの仲間でさえ捕縛作戦の情報を伝えようとしないのかが判然とした。決してフィーを排斥しようという風潮が血盟騎士団内に蔓延っているのではないらしい。扱いとしては手厳しいところが多分に予想されるが、ただ純粋な優しさであったようだ。彼女には彼女の思いがあってのことだろうが、こればかりは血盟騎士団の諸先輩方の意向にも思わず頷いてしまう。


「………とりあえず、悪いことは言わないからギルドの人達の言う通りにした方が良いと思うゾ。血盟騎士団に居るって事は、フィーちゃんもそれなりに強いんだろうけど、相手はフィールドを徘徊してるモンスターなんかじゃなくて、オイラ達と同じプレイヤー(生きてる人間)なんダ。もしかしたら、誰かが命を落とすような事になるかも知れなイ。オイラとしても、あまり手伝いをしたいとは思えなイ」


 ともあれ、彼女が如何なる事情を以ているにせよ、彼女の危なっかしい様子を見ていては流石に躊躇ってしまう。アルゴは基本的には売れる情報は売るというスタンスを貫いている。情報屋としての矜持故だが、言わずもがな例外は存在する。
 例を挙げるとするならば、その情報がプレイヤーを危険に晒すものや、プレイヤー間に不和を齎すようなもの。今回であれば前者に該当するだろうか。
 言うなればプレイヤー達が円滑に、且つ安全にに攻略を進められたり、そこに支障を来すような情報は取り扱わないというルールを設けているのだ。ラフコフ捕縛作戦における情報収集を引き受けたのは相対的に《今後のPK被害の低減》を見越しての荒療治という意味合いでの事だ。フィーが自発的に死地へ向かうというからには、アルゴとしては情報提供を了承するには躊躇が。


「………怖くない、わけじゃないんです。………ですけど、それでも、どうしても………! 私は………行かなきゃいけないんです……!」


 それでも、フィーは揺るがない。
 伏しがちだった視線がゆっくりとアルゴの双眸を捉えると、そこに映る眼光には先の萎縮していた筈の、小動物じみた弱々しさはなかった。まるで人が変わったかのような、若しくは、弱音に押しつぶされそうになっても踏み止まらねばならない一線が彼女にはあるかのように、その毅然とした表情には譲歩を引き出す余地さえ見せない。その愚直さはまるで、どこかの草臥れた(くたびれた)黒スーツを案じる細剣使いの少女に似通っているようにも見えて、アルゴの中にある大前提さえ僅かに揺らぎ、思わずたじろいでしまう。
 だが、そんな折でさえ、アルゴの目端は曇らなかった。
 徐々に熱を帯びて語気の強まるフィーの目尻に、涙が溜まる様を捉えたのである。


「私はあの子に、まだしてあげたい事がたくさんあるんです! せっかく楽しいことを知って、笑顔もたくさん見せてくれるようになって、これから………これからもっと一緒に過ごしていく筈だったのに、……なのにあんなに震えて、怯えて、怖がって、大声で泣いている姿が最後なんて、それでもう会えなくなるなんて、そんなの絶対に嫌なんです!!」


 思わず、息を呑む。
 フィーという少女が内に秘めた焦燥と恐怖の、大粒の涙を伴った奔流を目の当たりにして、言葉を失ってしまう。
 これほどまでに誰かを想えるようになった経緯を、たった今出会ったばかりのアルゴは当然知る由もない話だ。だが、この訴求に応じなければ、きっと彼女は壊れてしまう。もしかすれば、もっと無謀な選択肢を選んでしまうかも知れない。先程までの危なっかしさとは異質な、目を離せば壊れてしまいそうな鬼気迫る覚悟に気圧されつつも、アルゴは思考する。
 フィーの発言の中にあった《ゴドフリー》や《ダイゼン》という名前は血盟騎士団の幹部か乃至は部隊を指揮する立場にあるプレイヤーだったと記憶している。仲間内を手当たり次第に当たって、それでもギルド内の誰にも頼れなかったのだとしたら、その悲痛は筆舌に尽くし難いだろう。フィーは決してラフコフ捕縛作戦の現場に楽観視などしていない。むしろ、そこが地獄になる可能性を誰よりも危惧しているように思える。誰とも知れない彼女の友人が吐露した恐怖を間近で見たからこそ、フィーは危険だと判っているラフコフ捕縛作戦へと赴こうとしているのだろう。友を傍らで励まし、共に剣を振るう、ただそれだけを求めて。


「まったく、オイラも焼きが回ったかもナー」
「………え?」
「おいおい、ボーっとするんじゃないゾ。せっかく情報を教えてやるって言ってるんだから、もっと嬉しそうにしたらどうなんダ?」


 呆けるフィーに苦笑しつつ、アルゴは懐から手帳を取り出してはペンを走らせる。
 記すのは、彼女がどんなに足掻いても手の届かなかった情報。ただし、既に自身の手から離れたこともあり、辛うじて判明している捕縛作戦が決行される日時のみ。それでも、完全にフィーを遮断していた作戦の参加メンバーが出立するタイミングさえ判断が出来るというならば、後ろを尾行するなり無理矢理合流するなり手段はある。アルゴは手帳からページを切り離すや、そのままテーブルの天板を滑らせて切れ端をフィーに渡す。


「あ、ありがとうございます! ………それで、その………お代は、おいくらです?」
「今回はサービスにしとくヨ。情報もお粗末だし、新しいお客さんへの挨拶代わりってことでサ」
「いいんですか!?」
「でも、今度はちゃんと、噂のお友達を連れて来るんだゾ。じゃないと割増請求待ったなしダ」
「え、結局お金取るんですか!? ………うぅ、頑張ってみます………」


 アルゴとしては無事に戻ってくることが何よりの報酬だと遠回しに言ったつもりだったが、照れ隠しに付け足した仮想的な代金請求が意外に効いたらしい。こういう反応も含めて、フィーという少女はからかい甲斐のある性格をしているようだった。


「頑張れよナ。お友達一人につき利用料3%引きだから、覚えておいてクレ」
「それ知ってます! イケない商売のヤツです!?」


 なかなかに面白い。どこぞの真っ黒剣士の方が扱いも馴染んでいるが、これはこれで味がある。
 しかし、フィーをこのまま引き留めておくわけにもいかない。ここで得た情報ねんてものは所詮はスタートラインでしかない。これから捕縛作戦本隊が現在進行形で推し進めるアイテム補充や装備の確認など、やるべきことは山積している。


「冗談だっテ。ホラ、準備もあるダロ? 早く行きナ」
「そうでした!?」

 言われるまで気付かないというフィーの性格に一抹の不安を覚えるアルゴだが、彼女とて血盟騎士団に身を置く以上は信頼に足る実力者である動かない証左。あまり懐疑的に勘繰ろうとする意識を改め、カフェから立ち去るフィーを見送るに留めた。

 カフェの出入口のカウベルの響きは、ドアを閉めると同時にピタリと鳴り止む。
 室内では感じなかった、責め立てるような気温にフィーは――――女性プレイヤーは、一つ溜息を吐く。いや、この茹だるような気温だけの所為ではないだろう。ほんの少しの後ろめたさ、無償の善意を施してくれたアルゴに対する、約束を果たせない事への罪悪感が彼女の胸の中に鉛のように転がった。
 これまでは全く気にも掛けなかった《嘘の辛さ》を実感しつつ、女性プレイヤーは大通りから路地裏へと滑り込む。足早に人の気配から遠ざかり、メニューウインドウからポップアップしたコマンドを幾つか操作すると、変化は間もなく起きた。

 淡い色彩のプラチナブロンドは、艶のある紫髪へと色彩が移り変わる。
 白地に赤の意匠を凝らした胴衣は淡い光の砕片となって身体から緩やかに剥がれ、首元を緩く覆う黒のタートルネックと白のレギンスに上書きされる。

 本来、アルゴほどの《索敵》スキルを取得するプレイヤーであれば《隠蔽》スキルを発動させたプレイヤーの気配は易々と看破される。だが、彼女のスキル熟練度は常軌を逸していた。故に《変装》スキルも強制解除されずに今まで鍍金を保っていられたのだ。
 アルゴから受け取ったメモを胸元に寄せ、建物の壁に寄りかかると大きく息を吐く。


「………ごめんなさい、アルゴさん」


 零れた言葉は謝罪。上擦った声が震える。
 込み上げてくる涙を必死に堪えながら、何とか歩みを止めまいと、彼女は路地裏の先を目指す。

――――《Phyniohra》。
――――正しく読むならば《ピニオラ》。

 《笑う棺桶》から破門された彼女には、みことの救出の為に頼る宛など誰一人としていなかった。だからこそ、ピニオラは笑う棺桶と攻略組の衝突を見計らって敵陣への潜入を企てた。その中で、自分を知らず、加えて攻略組の動向に明るいアルゴこそが、情報を得るに適役だった。

 これまでの自らの業から鑑みれば、誰だって助力を躊躇する。場合によっては報復を受ける危険性さえ考えられる。これまでの自らが為した不条理を反故にすることは出来ないが、我執が故にまだ死ねない。自分の命が贖罪の証となるなら、それは今すぐ差し出すわけにもいかないのである。


「約束、守れないかも知れないです………」


 死ぬなら、みことを無事に救出してから。
 多くを欺き、《柩の魔女》の悪名を欲しいままにした殺人者は、既にその在り方を脆く変容させていた。 
 

 
後書き
アルゴ・ピニオラ視点、邂逅回。


新キャラ(フィーちゃん)なんていませんよ。

ということで、今回は《変装》したピニオラさんとアルゴさんのお話でした。ピニオラさん渾身の演技はこれまでの経歴を物語る材料だと思って頂ければ幸いです。ラフコフ時代はおっとりした話し方から蔑まれたり、諜報工作やアイテム調達にも駆り出されることから《使い走り》と嘲笑われたり、惨憺とした過去があったり、お友達(匿名幼女)についてアルゴに訴えたり、嘘は(一部分しか)吐いていません。
今話で始めて公開したピニオラさんのPNのスペリングですが、《ph》で《フ》と発音することが多いことから、アルゴさんがピニオラの名前を読めなかったことと独自のセオリーに基づく渾名によって全く別物のキャラのような名前になってしまいました。《Phyniohra》と書いてピニオラと読みます。
そして、そもそも燐ちゃん以外と素顔を合わせたことのあるのは誰も居ないので、変装しないままで出向いてもバレることはありませんでした。クーネ達でさえ重金属装備で固めて、声までアイテムで変えるという徹底仕様だったことから、そもそも主人公以外は気付けないという構図が出来上がっていたんですね。

さて、今回初めて登場した《変装》スキルですが、ぶっちゃけこれは死にスキルです。
効果としては《数十分程度の間、容姿を変更する》というもの。始めは髪色だけの変更しか対応しませんが、Modを充実させることで《声質》《服装》《体格》と幅が広がり、やがては《性別》まで変更できるという代物。当然のことながらステータスには何ら影響を及ぼしませんし、《索敵》スキルで看破されれば化けの皮が剥がれます。
加えて、チュートリアル時に生成されたアバターの性別が固定のパラメータとして設定されている事から、男性がアバターを女性の形態に作り変えてリアル女性とスキンシップを取ろうとすると、変装が強制解除された上でハラスメント警告が表示されるというシステム処理が為されます。変態に慈悲はない。


次回もお付き合い頂ければ幸いです。



ではまたノシ 
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