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銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
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第二百話 辺境星域回復

帝国暦 488年  1月20日 ガイエスブルク要塞   オットー・フォン・ブラウンシュバイク


「皆が騒いでいます、辺境星域を回復するべきだと」
「……」
グライフスの言葉にリッテンハイム侯が溜息を吐くのが聞こえた。溜息を吐きたいのはこちらも同じだ。

「何度同じ事を言わせれば理解するのか……」
「それについては全く同感だな、公」
今度はこちらが溜息を吐いた。リッテンハイム侯が、グライフスが苦りきった表情をしている。おそらく自分も同様だろう。

先日、ローエングラム伯が失脚した。罪状は彼の部下が帝都オーディンで起きた騒乱に関わっていた事、その目的がローエングラム政権の樹立にあった事が原因だった。彼らに加担した内務省、宮内省にも捜査の手が入っている。

そしてローエングラム伯の姉グリューネワルト伯爵夫人も陛下を毒殺しようとした疑いで逮捕されている。噂では伯の部下はローエングラム伯による簒奪を考えていたらしい。有り得ないことではないだろう。このガイエスブルク要塞でも伯を身の程知らずと罵る声はあっても冤罪だという人間は居ない。

いつかはこうなる事だった。むしろ今まで無事だった事のほうが不思議だった。ヴァレンシュタインが何故伯を粛清しないのか、或いは閑職にまわして彼を無力な存在にしてしまわないのか……。伯が暴発するのを待っていたと言う声もあるが、そうとは思えない、ヴァレンシュタインは命を落としかけているのだ。

ローエングラム伯の失脚は我々にも波紋を巻き起こしている。討伐軍の別働隊は辺境星域を平定しつつあるが、これを打ち破り辺境星域を回復すべきだと言う声が出てきた。主に辺境星域に領地を持つ貴族が中心となっているのだがその数は決して小さくは無い。貴族連合軍二十万隻の内四分の一は占めるだろう。

彼らが辺境星域回復を叫ぶのには理由がある。領地の回復はもちろんだが、ローエングラム伯が失脚した今、討伐軍の別働隊は指揮系統が混乱しているに違いないと言うのだ。兵力も本隊ほど多くは無い、打ち破るのは難しくないだろうと。

それにこのままでは辺境星域を平定した別働隊と本隊が合流してガイエスブルクにやってくる。各個撃破は用兵の基本、本隊との合流前に打ち破るべし……。

一理有るのは事実だ。だが本音は違うだろう、怖いのだ、彼らに囲まれるのが怖いのだ。だから辺境星域への逃げ道を作りたい、そんなところだろう。そして領地を取り戻したい……。恐怖と欲が絡んでの辺境星域回復だ。

「彼らの声は日増しに強くなりつつあります。辺境星域が平定されつつあり、敵の本隊が近づいている……、このままでは暴発しかねません」
「……」

「一旦暴発が起きれば、後はなし崩しに統制は崩れるでしょう。個々に出撃し、各個に撃破される……。ガイエスブルクでの決戦は不可能となります」
グライフスの表情は暗い、彼は暴発は必至だと見ている。

アンスバッハからも厳しい状況だと言う報告は受けている。寄せ集めの軍の脆さが此処に来て出た。これまでは押さえてきたが、もう押さえきれなくなっている。

沈黙が我々を包んだ。元々勝ち目は多くは無い、それがますます小さく、いや皆無になろうとしている。どうすればこの状態を打開できるのか……。

「ブラウンシュバイク公、私が行こう」
「何を言っているのだ? リッテンハイム侯」
「だから、私が彼らを率いて辺境に行くと言っている」

馬鹿な、何を言っているのだ、この男は……、彼らの我儘を認めると言うのか? これまでの努力はどうなる、全てを無に帰すと言うのか。唖然としているとリッテンハイム侯が微かに笑みを浮かべた。

「まあ聞いてくれ。このままでは彼らは無秩序に出撃するだろう。そうなれば各個に撃破される」
「……だからと言って」

「私が率いても勝てるとは限らない、そうだろう?」
「……言葉は悪いが、そうだ」
「だが味方を逃がす事は出来る」
「……」

味方を逃がす? 何を言っているのだ? 思わず目の前のリッテンハイム侯の顔をまじまじと見た。相変わらず笑みを浮かべたままだ。グライフスは顔を強張らせている。どういうことだ?

「今、一番拙いのは彼らを無秩序に出撃させる事だ。私が指揮官として彼らを率いて辺境星域に向かう」
「……」
「当然敵との会戦になるだろう。おそらくは負ける……、問題は負けた後だ」

リッテンハイム侯はもう笑みを浮かべてはいない、真剣な表情だ。
「秩序を持って後退できるか、潰走するかで損害は全然違う。私が指揮官として皆をガイエスブルクに撤退させる」
「リッテンハイム侯、まさか卿は……」
死ぬ気か、思わず声が掠れた。

「いえ、その役は小官がやりましょう。彼らを抑えられないとなればリッテンハイム侯の言うとおり、いかに上手く負けるかが問題になります。難しい任務です、此処は軍事の専門家である小官に任せて下さい」

グライフスが自分が行くと言い出した。おそらくリッテンハイム侯では戦死しかねない、そう思ったのだろう。同感だ、あのまとまりの無い連中を率いて撤退戦? 無理だ、到底生きては帰れない、グライフスだとて生還は難しいだろう。それも認められない。

「馬鹿な、卿らは死ぬ気か? どちらが死んでも我々の士気はガタ落ちだ。何を考えている」
「大丈夫だ、そうはならない」
リッテンハイム侯が自信ありげに答えた。

「今、リッテンハイム星系に敵の本隊が押し寄せている。この状態で私が自分の領地の防衛よりも辺境星域の奪回を目指せば、当然彼らは私を信頼するだろう。そして負けたとき彼らを逃がすために私が戦えば、今度こそ彼らは心を一つにしてガイエスブルクで敵を待つに違いない、そうは思わないか」
「……」
リッテンハイム侯が語りかけてくる。確かにそうかもしれない、しかし……。

「グライフス総司令官が行っても無駄だ、それでは彼らは一つにはまとまらない。一つにまとめるには犠牲が必要だ。私が行くべきなのだ、それだけの価値は有る」
「……駄目だ、そんな事は認められん」
犠牲……、卿を犠牲にするなど出来るはずが無い。此処まで一緒にやって来たのだ、わしを一人にするな……。

「ブラウンシュバイク公、公も分かっているはずだ。このままでは負ける、それも無様にだ。それで良いと言うのか?」
「……」

「それに、私が負けると決まったわけではない、上手く行けば辺境星域を取り戻せるし、負けても死ぬとは限らない、そうだろう」
「……」

グライフスを見た。彼は黙って首を横に振った。認めるなと言う事だろうか、それとも仕方が無いと言う意味か……。表情が切なげに歪んでいる、仕方が無いと言う事か……。

「私に万一の事が有った場合はサビーネを頼む」
「……分かった。だが必ず戻って来い、いいな」
「もちろんだ、死に急ぎはせんよ」
リッテンハイム侯が笑いながらおどけた……。



帝国暦 488年  1月20日 ガイエスブルク要塞   ウィルヘルム・フォン・リッテンハイム三世


「私は明日、辺境星域へ出撃する」
「……」
私の言葉にリヒャルト・ブラウラー大佐、アドルフ・ガームリヒ中佐が黙って頷いた。

ガイエスブルク要塞内に有る私専用の個室。その部屋は今重苦しい雰囲気に包まれている。ブラウラー大佐、ガームリヒ中佐、二人とも表情が険しい。自分達が何故呼ばれたのか分かっているのだろう。

「私は出撃するがお前達は此処に残る、意味は分かるな?」
私の問いにブラウラー大佐が答えた。
「……サビーネ様の事ですね」
「そうだ」

「おそらく私は戻っては来れまい。サビーネの事はブラウンシュバイク公にも頼んだが、公とて明日はどうなるかは分からぬ。万一の場合はサビーネを連れ、逃げるのだ」
「……」

「ヴァレンシュタインとの約束を憶えているな、ガームリヒ中佐」
「はっ。貴族達に渡すなと」
「そうだ、必ずサビーネをヴァレンシュタインに渡せ、そして陛下の下に連れてゆけ」
「必ず、そのように」

低い声でガームリヒ中佐が答えた。何処と無く思いつめたような表情だ。貴族達を欺き通せず、サビーネを攫われた事に責任を感じているのかもしれない。

「ブラウンシュバイク公もおそらくは同じ事をフェルナー達に言うに違いない。今の内から意識を合わせておけ」
「はっ」

「その後は降伏せよ」
「閣下!」
「私達は……」
「無駄死には許さん!」
口々に言い募ろうとする二人を一喝した。

「私はお前達を十分に使いこなせなかった情け無い主だ。私に対する義理立てはこれ以上は無用だ……。お前達の能力はこれからの帝国に役立てよ、新しい帝国を見届けるのだ。そしてそれがどのようなものか、私に教えてくれ、ヴァルハラでな」
「……」
「サビーネをそれとなく見守ってくれ、頼む」
「……承知しました」
ガームリヒが言葉に出して、そしてブラウラーが無言で頷いた。

「話は以上だ、これまで御苦労だった、下がってくれ」
「はっ」
「それと、サビーネを呼んでくれるか、あれとも話さなければならん」
「はっ」


十分程してサビーネが部屋に入ってきた。何処と無く怯えた表情をしている。無理もないだろう。周囲は殆ど男達ばかり、しかも戦場の雰囲気が満ち溢れている。母親とも離れ心細い事だろう、慣れる筈も無い。

「サビーネ、もう聞いているかもしれんが明日私は辺境星域に向けて出撃する」
「……」
サビーネは何も言わず、ただ黙っている。どう話をすれば良いだろう、呼んでから考えるとは相変わらず、駄目な父親だ。

「多分一ヶ月もすれば戻ってこられるはずだ」
「はい」
「……だが、もしかすると戻っては来れぬかも知れぬ。意味は分かるな?」
「……はい」
蒼白になって頷く娘が不憫になった。

「例えそうなっても、お前の事はブラウンシュバイク公、ブラウラー大佐、ガームリヒ中佐に頼んである、心配は要らない」
「……」
頼むから涙ぐまないでくれ。娘とは厄介なものだ、息子なら“泣くな”と一喝できるが娘ではそうはいかん。困惑するばかりだ。

「クリスティーネに会ったら伝えてくれ。また一緒に暮らせると言ったのに約束を守れず済まぬとな、さぞかし怒るだろうな、あれは……。だがお前とは一緒に暮らす事が出来た、その事には感謝している」

「お父様……」
「この手紙をクリスティーネに渡してくれ、良いね」
「嫌です、お父様が自分で渡してください……」
「サビーネ……」

サビーネがとうとう泣き出した。自分には抱き寄せて頭を撫でてやる事しか出来ない、何と無力な父親なことか……。サラサラと手触りの良い髪を持つ娘が愛おしくてならなかった。ブラウンシュバイク公ならどうしたか、一度公と娘のあしらい方について話してみれば良かった……。

「私が男だったら、こんな事にはならなかった?」
「!」
驚いて娘の顔を見た。サビーネは泣きながら辛そうな表情で私を見ている。

「馬鹿なことを」
「でも皆が言っています。私かエリザベート姉様が男だったらこんな事にはならなかったって……。お父様も私が男だったら良かったのでしょう?」

細く小さな声だ。怯えている、サビーネは自分が望まれた子ではないのだと怯えている。もしかするとずっとこれまで怯えてきたのかもしれない。

私自身サビーネが男だったらと思わないでもなかった。この娘はそれを感じとり、ずっと一人で怯えてきたのか……。私は一体何をしてきたのか、それもこの期に及んで娘に気付かされるとは、それでもお前は父親か、ウィルヘルム・フォン・リッテンハイム三世よ!

少し腰をかがめ、娘と同じ眼線になった。サビーネは怯えたように私を見ている。
「良く聞きなさい、サビーネ」
「……」

「お前が男だったらと思った事が一度も無いとは言わない。だがお前が娘だからと言って私は疎んじた事は無い、クリスティーネもお前を疎んじた事などないはずだ。それともお前は私達に愛されなかったと思っているのかな?」
「そんな事は……」
首を振ってサビーネが否定した。

「そうか……、安心したよ……。サビーネ、胸を張りなさい。お前は私の大切な娘だ、お前を愛している。その事を良く憶えておきなさい、いいね」
「はい」

「今回の内乱は皇位継承とは全く関係が無いのだ。これは帝国の未来をどうするかが原因で起きた内乱だ……。ああ、お前には少し難しいかな。だがお前が男でもこの内乱は起きただろう。だからお前が娘として生まれて来たこととは全く関係が無いのだ」
「……」

「幸せになりなさい。私はお前が幸せになる事だけを願っている」
「お父様……」
「いい子だ、私の自慢の娘だ。さあ手紙を」

手紙を受け取るとサビーネが泣きながら抱きついてきた。サビーネ、お前が幸せになる事だけを願っている、嘘ではない。だが出来る事なら私の手で幸せにしてやりたかった。残念だが私にはその時間はなさそうだ、それだけが心残りだ……。



 
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