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銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
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第百八十四話 副司令長官

帝国暦 487年 12月17日  オーディン   イザーク・フェルナンド・フォン・トゥルナイゼン



オーディンに着いたのは十七日の早朝だった。シュターデン大将、そしてラートブルフ男爵、シェッツラー子爵以外の捕虜は宇宙港に来ていた憲兵隊に引き渡した。捕虜は百万人を超えるだろう。一旦は矯正施設に送るそうだが内乱終結と同時に軍への復帰を勧めるそうだ。

問題は残りの三名だ。キスリング准将に引き渡すはずなのだが准将が見えない。俺は捕虜及び護衛兵五十名と共に准将を待つ。五十名の護衛は少し多いかとも思ったが、出発前にしたワルトハイム参謀長との会話を考えるとこのくらいは必要だろうと考えたのだ。

ギュンター・キスリング准将、司令長官の友人で信頼の厚い人物だ。よく宇宙艦隊司令部にも出入りしている。国内の治安維持では司令長官がもっとも頼りにする人物と言ってよいだろう。

十人ほどの憲兵がこちらに近づいてくるのが見えた。
「トゥルナイゼン少将ですね」
「そうだが、卿は?」

「憲兵隊のボイムラー大佐です。シュターデン大将、ラートブルフ男爵、シェッツラー子爵を受け取りに来ました」
ボイムラー大佐は長身の鋭い目をした三十代後半の士官だった。

「捕虜はキスリング准将に直接引き渡す事になっているはずだが?」
「キスリング准将は急用が出来ました。小官に代わりに捕虜を受取るようにと命じたのです」

妙な話だ。この捕虜を受取るのは何にもまして重要なはずだ。それが急用? この件以上に重要、緊急な要件などあるのだろうか? ボイムラー大佐をもう一度見た、かなり鍛え上げている。一緒に居る兵士も同様だ。

「大佐、准将の急用とは何だろう?」
「さあ、小官には分かりかねます。ただ軍務省に行かねばならないと言っていましたが……」
軍務省か、准将が軍務省に呼び出される、今この時なら有り得ない話ではない……。

「卿を疑うわけではないが、念のため憲兵隊に連絡を取らせてもらいたい」
「その方がよろしいでしょう、どうぞ」
やはり気のせいか……。

憲兵隊本部に連絡を取った。携帯用TV電話に女性下士官の姿が映る。
「ボイムラー大佐をお願いする。私はトゥルナイゼン少将だ」
「トゥルナイゼン少将、ボイムラー大佐は捕虜受け取りのため宇宙港に行っていますが」
「そうか、有難う」

少し神経質になっていたようだ。どうやらキスリング准将は精鋭を送ってくれたらしい。
「大佐、不愉快な思いをさせたようだ、申し訳ない。捕虜を……」
引き渡そうという言葉は出せなかった。

「トゥルナイゼン少将」
声のほうを見るとキスリング准将だ。慌てて目の前のボイムラー大佐を見た、苦虫を潰したような表情をしている。

「卿は……」
ボイムラー大佐は何も言わずに立ち去った。一瞬追わせるべきかとも思ったが、止める事にした。連中は一筋縄ではいかなさそうだ、下手をすると死傷者が増えるだけだろう。

「トゥルナイゼン少将、さっきの男は誰だ? 憲兵隊のようだが……」
「キスリング准将が急用が出来たので代わりに捕虜を受取りにきたと言っていました」

案の定だ、キスリング准将の表情が厳しくなった。黄玉色の瞳がボイムラー大佐が去っていく方向を見る。
「俺はそんな事は誰にも頼んでいない」

「憲兵隊のボイムラー大佐だと。憲兵隊本部にも確認しましたがボイムラー大佐は宇宙港に捕虜を受け取りに行ったと言われましたよ」
「ボイムラー大佐なら知っている。此処に来ているよ、卿が言った様に捕虜を受けとりにな。だが、あの男じゃない」
キスリング准将が吐き捨てるような口調で言葉を出した。

「なるほど、良い所に准将が来てくれました。もう少しであの男に捕虜を渡すところでしたよ。あの男、一体何者です?」
「……」
准将は厳しい表情をして口を噤んでいる。

「教えてはいただけませんか」
「……おそらく内務省の人間だろう」
「……」

内務省? 意外な言葉に面食らっている俺に准将は薄い笑みを見せた。
「驚いているようだな、少将。十月十五日の勅令で追い詰められたのは貴族だけじゃないって事だ。皆生き残りをかけて戦っている、これまで得たものを失わないために、或いは新しく何かを得るために」
「……」

「此処へ来る途中、地上車が故障した。どうやら最初から仕組んだようだな、と言う事は……」
「と言う事は?」

「ラートブルフ男爵の持つ情報はそれなりのものだと言う事だろう。これから忙しくなるだろうな」
「……」
キスリング准将の黄玉色の瞳が酷薄な色を見せて光っている。准将は獲物を見つけたようだ、それも飛び切り最上の獲物を……。




帝国暦 487年 12月17日  ローエングラム艦隊旗艦 ブリュンヒルト  ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフ


旗艦ブリュンヒルトの艦橋は重苦しい沈黙に包まれている。原因はただ一つ、司令官ローエングラム伯の不機嫌にある。提督席に座っている伯は明らかに不機嫌な感情を周囲に発している。整った顔立ちだけに不機嫌さを表に出されると皆敬遠してしまうのだ。

事の起こりは四日前の事だった。シュターデン大将率いる三万隻の貴族連合軍がフレイア星系を制圧中のメルカッツ副司令長官率いる本隊をすり抜けオーディンに侵攻中との連絡がエーレンベルク軍務尚書から入った。

そしてメルカッツ提督は現在シュターデン提督を追撃中、ヴァレンシュタイン司令長官が迎撃に向かうからローエングラム伯率いる別働隊はこのまま辺境星域に向かうようにと。

そのときのローエングラム伯の反応は余り思い出したくない。軍務尚書に対してこれからオーディンに戻ると言い出したのだ。正気ではなかった、素人の私から見てもローエングラム伯がオーディンに戻るよりもメルカッツ提督達がオーディンに戻るほうが早い。

一時的に貴族連合軍がオーディンを制圧するかもしれない。しかし一時的にだ。直ぐにメルカッツ提督達に一掃されオーディンは取り戻されるに違いない。それなのに軍事の専門家であるはずの伯は自分がオーディンに戻る事に固執した。

結局はエーレンベルク軍務尚書に私が考えたことと同じ事を言われて何も言い返せずに終わった。そしてエーレンベルク軍務尚書との通信が終了すると重傷者の司令長官に迎撃戦が出来るのかと言い募り、メルカッツ副司令長官を役に立たぬと罵った。

そして自分ならシュターデン大将を軽く一蹴しグリューネワルト伯爵夫人を守ることが出来るのだと何度も繰り返した。別働隊の総指揮官が戦争全体の事よりも自分の感情に振り回されている。しかもそれを隠そうとしない。溜息が出る思いだった、何度目だろう、伯に対してそう思うのは……。

昨日、艦隊を三つに分けたシュターデン大将がヴァレンシュタイン司令長官によって各個撃破され貴族連合軍が壊滅した事が分かった。オーディンは守られ危機は去った。グリューネワルト伯爵夫人の安全も確保された、喜んで良いはずだった。

だがローエングラム伯はそれ以来、口を噤んだまま一言も喋らない。いや、一言だけ喋った。軍を三分割したシュターデン大将を無能と罵ったこと、それだけだった。そしてブリュンヒルトの艦橋は重苦しい沈黙に包まれている。

少しずつ伯の事が分かってきたような気がする。この人は自分が頂点に、中心に居なければ気がすまない人なのだ。それだけの才能と自負を持ち自分に自信を持っている。

ヴァレンシュタイン司令長官がシュターデン大将を打ち破った事を素直に喜べない事がそうだ。本当なら軍全体の事、グリューネワルト伯爵夫人の安全が確保された事を素直に喜んでいい。それなのにそれが出来ない。

彼にとっては功績を立てるのは自分であり、自分の率いる軍であるべきなのだろう。だが現実は功績を立てているのはヴァレンシュタイン司令長官であり彼の率いる軍だ。

ヴァレンシュタイン司令長官が敵ならローエングラム伯も楽だったに違いない。“見事だ、でも次は叩き潰してやる”そう言って司令長官を賞賛する事も出来ただろう。しかし、味方である事がローエングラム伯の感情を複雑にしている。

認めたくないが認めざるを得ない。認める事は出来ても素直に感謝は出来ない。そしてそんな自分自身に対して不満を持っている、何と自分は狭量なのだろうと。今ローエングラム伯が不機嫌なのは自分が不遇である事への不満であり、自分自身の感情に対しての不満だろう。

不幸だと思う。感情を制御出来ない副司令長官と冷静で有りすぎる司令長官。歳が離れているならまだしも二人は殆ど年齢は変わらない。これでは周囲の人間から見てローエングラム伯の未熟さだけが目立ってしまう。皆が司令長官に近づくのも無理は無い。人を統率するのは才能だけの問題ではないのだ。

配下の艦隊司令官達は皆ヴァレンシュタイン司令長官が挙げた武勲に賞賛を送っている。そしてそれが出来ないローエングラム伯に不満を持っている。他者の功績を認めることが出来ない人物に上に立つことが出来るのだろうかと……。



帝国暦 487年 12月17日  帝国軍総旗艦ロキ   エーリッヒ・ヴァレンシュタイン



「司令長官閣下、申し訳有りませんでした」

総旗艦ロキの艦橋に四人の提督が集まっている。メルカッツ、ケスラー、クレメンツ、ケンプ、フレイア星系を制圧していた指揮官たちだ。アイゼナッハはレンテンベルク要塞の監視をしているらしい。皆面目無さげな表情をしている。

確かに彼らはミスを犯した。フレイア星系の制圧に気を取られシュターデンの艦隊がフレイア星系の外縁をすり抜けるのに気付かなかった。メルカッツは副司令長官なのだ。戦局全体を見なければならないのにそれを怠ったのは重大な失態だ。

それが致命的なミスにならなかったのは貴族連合軍が適切な軍を編制しなかったからに他ならない。言わば俺たちは敵のミスに助けられたのだ。自慢になる事ではない。

戦争である以上、人間のやることである以上ミスは起きる。どちらが勝利者になるかは、ミスの度合いが小さいほうはどちらか? 相手のミスをより効果的に利用したのは誰か、で決まるのだが……、それよりちょっと鬱陶しいな、こいつら!

俺が提督席で毛布かぶって座っているのを見下ろすんじゃない。俺は見下ろされるのが好きじゃないんだ。おまけにこんな体調の悪い所を見られるのは誰にとっても面白くないだろう、少しは察してくれ。

「座りませんか」
俺は席を勧めたが、誰も座ろうとしない。
「これでは落ち着いて話も出来ないでしょう、座ってください」

出来るだけ穏やかに、にこやかに席を勧めた。メルカッツ達は顔を見合わせてから躊躇いがちに席に座った。世話の焼ける奴らだ。
「気にしないでください、メルカッツ提督。全てが思い通りにいく戦争なんて有りません」

「ですが」
「今回はシュターデン大将がなかなか上手くやりました。まあ最後で艦隊を分ける等と失敗しましたが」
「……」

いかんな、メルカッツは責任を感じているようだ。気分をほぐそうと軽口を叩いたのだが誰も笑わない。俺はこの手の場の雰囲気をほぐす冗談が下手らしい、困ったものだ。

俺は彼らを叱責しても良い。叱るべき時に叱る、それは当たり前の事なのだが今が叱るべき時なのかと言われるとちょっと疑問符が付くのだな、これが。

メルカッツは新任の副司令長官だ、その最初の任務で失敗して司令長官に叱責されたなどとなったら本人は、周囲は如何思うだろう?

メルカッツは元々自分の能力に自信を持っていないようなところが有る。俺のような年下の上司に叱責されたらそれが更に酷くなってしまうだろう。周囲もメルカッツの力量に疑問符を抱き彼を軽視しかねない。

この先、メルカッツには大きく働いてもらわなければならないのだ。それに俺に万一の事が有った場合には彼に宇宙艦隊司令長官になってもらわなければならない。彼のプライドを傷つけるようなことや、立場を揺るがすような事は決してしてはならないだろう。

幸いメルカッツは慎重で堅実な性格だ。今回のような失敗を二度も犯す事は無いだろう。本人も十分に反省しているのは彼の様子を見れば分かる。敢えて叱る必要は無い。

安心したのはケスラー、クレメンツ、ケンプ達が今回の失敗を他人事のように思ってはいない事だ。皆神妙な表情をしているから少なくとも今回の失敗をメルカッツ一人の責任だとは考えていない。

大丈夫だ、メルカッツは副司令長官として十分に人の上に立つ資格がある。後は経験が彼に自信を付けさせてくれるだろう。俺が今成すべき事は俺がメルカッツを信頼していると言う事を彼と周囲にどうやって認識させるかだ。

上に立つのも結構大変なのだ。それなりに周囲に配慮がいる。俺は結構苦労していると思うのだが、誰もそれを労わってくれない。楽に司令長官をこなしていると見られているようだ。

さて、これから今後の事を話さなければならない。レンテンベルク要塞を落とす。そして俺はレンテンベルク要塞に入りオーディンと討伐軍の通信、補給の維持と戦争全体のコントロールをしなければならんだろう。フェザーン方面もリヒテンラーデ侯に任せきりとは行かない。前線指揮はやはりメルカッツに頼むしかない。

俺がレンテンベルク要塞にいるとなれば、内務省の連中も簡単にはクーデターは起こせないはずだ。万一の場合は俺の艦隊がオーディンを制圧する事になる。三個艦隊を撃破した後だ、威圧には十分だろう。向こうに先手を取られたが、ようやく反撃のときが来たようだ……。



 
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