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魔弾の王と戦姫~獅子と黒竜の輪廻曲~

作者:gomachan
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ブリューヌ激動編
  第1話『流浪の勇者~彼は愛故に戦えり』

『ブリューヌ・アルサス中心都市セレスタ・中央広場』






 朝霧の残る静かな時間において、少女はセレスタの街中を走り抜けていく。

「はあ……はあ……はあ」

 荒い息を上げながら、それでも齢15となる女の子は、一人の影を必ず捕まえなければならなかった。
 影の行方が正しければ、こっちのはず。
 そう少女は予感を直感に変えて、特徴のある影の糸をたぐっていく。

「……見つけたわ」

 怒気を孕んだ声色で、ティッタは輪郭のある影を見上げた。もやがある為に色彩を捕えることが出来ないが、間違いないと確信させる。
 ティッタは知っていた。だから躊躇はしない。右手に携えた果物ナイフが影に狙いを定める。
 かすかな声と怒りの視線に、獅子王凱は後ろを振り向いた。

「ん?誰だ?」

 頬を撫でるような風の声。
 頬を暖めてくれるような優しい声。
 心奪われるような愛に満ちた声色で、凱はティッタと向き合った。

「やっと見つけたわ!そのお金を返しなさい!」

 凱は目玉を見開いた。

「……なんだ?」

 覚えのない出来事は、唐突に訪れた。ツインテールの少女に光り物を向けられているこの状況はいかに?

「やあああああ!!!!」

 直線してくる鋭利な刃物を、長髪の青年はひらりと上空へ交わした。その跳躍力は人間を超越している。
 ツインテールの頭を過ぎる宙返りの形で、彼女の後ろに立つと優しく肩をポンと叩いた。

「何か勘違いしているみたいだけど、お金なんて……二束三文しかないぜ」

 身なりが若干貧相な青年は、ゆったりと答えた。
 財布の中身を確認したティッタは、自分が勘違いをしたと取り乱し、慌てて謝る。

「す!すみません!あたしったら野盗の連中だとてっきり思って!」

「野盗?この町に野盗が襲ってきたのか?」

 顔をうつむせて、ティッタはこくりとうなずいた。すなわち、肯定。

「あなたの姿を見た時、その左腕のところが……身代金で用意した金貨に見えたものでつい……」

 申し訳なさそうな口調のティッタは、凱の左腕を指さした。
 獅子を模した勇者の篭手を。

(金……ガオーブレスの事か)

「とにかくすみません!あたし、急いでますのでお詫びは……」

 また今度必ず。そう告げようとしたとき、別の方角から騒ぎを駈けつける悲鳴が浮かんだ。
 その反応に鋭い切り返しを示したのは、ティッタだった。

「今度こそ見つけたわ!絶対に逃がさないんだから!」

「お……おい!ちょっと待て!」

 凱の静止を聞かず、またもやティッタはセレスタの街中を駆けていった。














――――ティッタが追いかけていった先には、血生臭い光景が繰り広げられていた――――












 一人の大男が大剣で、街の警備兵を相手にして無双していた。

 大柄でかつ鍛え上げられた体躯、卑しさと凶暴さをうまく組み合わせた目つきと、濃厚なフルセットのひげ面は見るもの全てを圧巻させる。

「我こそは最強の戦士!獅子王(レグヌス)の生まれ変わりなり!この剣が血で渇きを潤したいと輝いておるわ!」

 巨剣を振り回す男は獅子奮迅の働きをしていた!
 獅子王を自称する男は、剣を失った警備兵、戦意を失った警備兵も、見境なく獅子の牙を向ける!

「つ……強すぎる!ぐああ!」

「この強さ……まさに獅子王(レグヌス)だ!がはぁ!」

 大男は、力と重量と暴力で相手をねじ伏せていく。
 英雄譚から飛び出てきた存在を前にして、兵士たちは腰が引けていく。

「つまらん。もっと殺しがいのある得物はおらんのか!?」

 並みの兵士では抑えようがないのは判明していた。警備兵は応援部隊を呼ぼうとしたとき――

「やっと見つけたわ!みんなから集めたお金を返して!」

 真剣な面持ちで少女は、大男に声を張り上げる!

「ほう、貴様はあの時のヴォルン家の侍女か。この金貨の礼もまだ言ってなかったな」

「お願いです!それを返してください!でないと!」

「でないと……なんだ?」

 男は語尾に怒気を含めると、少女は恐怖の念に囚われた。
 栗色の髪の少女は言葉を詰まらせつつも、懐から短刀を取り出した。
 普段果物の皮をむくのに使う程度の刃物だが、今の少女にはそれしか対抗できる獲物はない。

「ははははは!脅しのつもりか!?そんな短刀では猫一匹殺せんぞ!」

 一瞬だけ、少女は短刀を鞘に戻しつつも、瞳に決意を灯らせて再抜刀する!

「やああああああ!!」

 まっすぐに短刀の切っ先を突き刺すも、大男に簡単にあしらわれてしまう。

 少女の持っていた短刀が空しく宙を舞い、空しく地面に突き刺さる。

「ふははは!死ねい!」

 大剣が、慈悲なき刃が少女の首筋を捕える!

――ティグル様!!――

 大剣の脳天唐竹割が少女のツインテールの頭を捕えた時、一陣の銀閃が少女を連れ去った。

「きゃっ!」

 一陣の風の正体は、くすんだ赤い領主ではなく、腰まで伸びる長髪、自分と同じ色の髪を持つ青年―凱―だった。

 お姫様だっこの要領で少女を抱きかかえ、凱は大男の視界の隅っこに避難する。

 振り降ろされた大剣の一太刀は、空しく造作物を斬り裂いただけだった。

「無茶をするな。果物ナイフで大剣に立ち向かうなんて」

「あなたはさっきの……」

 優しく凱が注意するも、ギロリと大男の視線が凱に向けられる。

「……何者だ!貴様!」

「いたぞ!あそこだ!」

 増援の警備兵に水を差された大男は、不機嫌な表情を出してこの場を去っていく。

「ふん!我こそは獅子王(レグヌス)!最強の戦士だ!」

 などと豪言しながら――男の背中を見送った。
 凱は、己の腕の中でいつの間にか気を失っている少女の顔を覗き込んだ。

「この娘……よほど必死だったんだろうな。あの男を深追いするよりも、まずはこの子をなんとかしなきゃ。放っておくわけにもいかないし」

 そして、この子の事を誰に聞いたらいいんだろう?こういう時は交番とか迷子センターに送り届ければいいのだが、中世時代を思わせるこのセレスタには、多分ないと思う。

 しばらくはさまようことになるんじゃないか?
 だが、そんな杞憂を晴らす救世主が、意外な形で現れた。
 1刻程歩いていたら、親切な人と出くわしたのだ。

「ティッタちゃんじゃないか?」

 妙齢の女性だった。その話す感じから、かなり親しいのが凱でも分かる。

「すみません。この子は……」

 思いもよらない形でこの時、凱は初めてヴォルン家へと訪れることとなった。





『ブリューヌ・アルサス中心都市セレスタ・ヴォルンの屋敷』





 大男に徹底的にやられた警備兵たちは、重傷ながらも、幸い九死に一生を得た。持ち合わせていた玉鋼で治癒の祈祷契約を施したからだ。

(こいつは、パティに感謝しなきゃな。それにしても、祈祷契約がここでも使えたってことは……こんな遠くにも黒竜の吐き出す霊体がしみ込んでいるのか)

 みるみるうちに傷口がふさがり、血液の流出がとまるのを確認すると、凱は傷ついた警備兵を安静させるため、近くの宿に泊まらせた。

――ここで見たことは、どうか忘れてくれないか?――

 人差し指を口元につけて、凱はそっと奇跡を見た人たちにお願いした。

 ティッタを抱きかかえたまま、凱はヴォルン邸へとたどり着いた。

「ここが領主様の屋敷か。素朴だけど、なかなかいいじゃないか。寝坊と昼寝と射撃が似合いそうな雰囲気がする」

 昼寝と射撃が得意といえば、眼鏡をかけた小学5年生の野○○び太を連想させる。
 以前、竜具をどこでもドア替わりにして、なおかつ引出しから現れたヴァレンティナに向かって○ラ○も○と突っ込んだものだ。(←外伝後記述)

 素直な感想が、ぽろりと凱の口から出てきた。人口的な石造物よりも、自然的な木造物のほうが凱の好みだ。

 まだあったことがないにもかからわず、凱はヴォルン家当主に対して親しみやすい印象を抱いたのだった。

――へくし!――

 気のせいか、異国の地でティグルがくしゃみをした。もちろん凱はティグルの存在を知らない。

「ごめんください」

 そうヴォルン邸を訪ねると、凱のしらない一人のご老体が応対に出てきた。
 成り行きと事情を話した凱は、老人に屋敷内へ案内され、一服することにした。

 侍従の老人の名はバートランといった。











――ヴォルン家に仕える侍女ティッタは、夢を見ていた――










~ティグル様!起きてください!~

 お寝坊さんの主様を起こすのが彼女の役目。これはまだ、ディナントの戦いが起きる前の事だ。

~今日は狩りの予定なんてないけど?~

~みなさんが待ってますよ!~

~しまった!~

 こんなどうでもいい平和なやり取りも、今となっては昔の事。

 もう、日常は帰ってこないのだろうか?

~どうしてティグル様が行かなければならないのですか~

~陛下からの招集だ。ヴォルン家の当主として、要求に応じないわけにはいかないさ。でも……~

~でも?~

~俺達は一番後方へ配置されると思う。武勲なんて到底無理だろうな~

~武勲なんてどうでもいいです!~

~ティグル様!必ず、必ず帰ってきてください~

~ああ、約束するよ~

 だが、くすんだ赤い若者は帰ってくることはなかった。

 後に知ることとなった被害は、こうだった。
 戦死者が7名、負傷者が10数名。詳細は逃げる味方につぶされたとの事。

 実質的被害より、本当の被害は「ヴォルン伯爵は敵の捕虜となった」という心的のアルサスの人々の心にあった。

 彼女の意識は、今を以て現実へ帰還する。





『ヴォルン家の屋敷・客室の間』





「シシ……オウ……ガイ……殿といったかの?あなたの言葉を疑ってすまなんだ」

「いえ、分かってくれてよかったです。バートランさん」

 凱の名前を呼びにくそうにして、目の前の老人は青年に詫びをいれた。どうも、ブリューヌ人にとって、濁音の強い日本人の名前は呼ぶだけで大変そうだった。

 目の前の老人は、バートランと名乗った。この屋敷の主様の従者だという。

 とりあえずティッタを送る為にここへ来たが、顔の知らない青年と気を失っていたティッタを見て、バートランは少々混乱した。

「あ……れ?……私は……バートランさん?」

 そして、ソファーの傍らで横にさせていたティッタがちょうど目を覚ましたというわけだ。

「気が付いたか!ティッタ!」

 バートランさんが安堵の声を上げた。そして、ティッタはすぐさまバートランと対面に座っている凱に視線を合わせた。

「あ、さっきの髪の長い人……」

「おっす。怪我がなくて何よりだ」

 気さくな青年は、片手をさりげなく上げて挨拶する。
 そっか。あたしはこの人に……
 最初の出会いが最悪だった。ティッタ自身、それを思いだすと顔から火が出る思いでいっぱいになった。
 気にするなと、この青年は言ってくれたが、なかなか頭の中から離れないものだ。
 そして、バートランから語られることによって、凱はブリューヌの情勢を知ることとなる。





◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇






「ジスタートの捕虜?」

 まるでオウム返しのように凱は思わずつぶやいた。
 ティッタから配られた粗茶を飲もうとしたとき、凱はぴたりと飲むのを止めた。

「マスハス卿は金銭を立ててくれる知り合いを、いくつかあたってみると……」

 バートランが、どこか歯切れの悪そうな言い方をした。おそらく、悪い結果を予想しているのだろう。
 凱はその名に心あたりがあった。

(マスハス卿?先日すれ違った御仁がそうだったのか。そういえば、あの時かなり落ち込んでいたな)

そして凱は一口粗茶を含んで味わう。素朴で優しい彼女の味に凱の味覚は潤った。

「先日、戦争があったって聞きましたけど?この娘がお金を集め回っているのとなにか関係があるのですか?」

 凱は、そのようにバートランに尋ねた。
 この娘の行動がいかにして結びついているかが確信を持てていなかった。

「ガイ殿……実は」

 戦争の発端はこうだった。
 重々しくバートランの口が開く。

「ブリューヌ王国とその東のジスタート王国が刃を交えるのは実に二十数年ぶりのことじゃった」

 今回の争う原因となったのは、――国境線の川の氾濫にともない起こった川の管理をめぐるいさかい――とのこと。


 そちらの治水対策に問題があったといえば、そちらが川の管理をまともにしないからと言い返す始末。
 いさかいの結果、ブリューヌ二万五千とジスタート五千がディナント平原で相対する結果となった。
 なぜ、自然災害に国家の命運をかけたかのような大軍が召集されるのか、それはここ、ブリューヌ王国レグナス王子の初陣だったからだ。

「まるでこどもの喧嘩に親が出てくるようなものですね……」

「マスハス様と同じ事を言いますな」

 なんとも感心しがたい表情で、凱はつぶやいた。
 バートランは苦々しく言い返す。そして両者は茶を一口する。
 他人から聞いても見ても、結果は火を見るより明らかだと思った……が、真実はそれほど単調ではない。

 結果として、ブリューヌは負けたのだ。相手の五倍の兵力をもってしても――
 凱は推測した。この兵力差の意味は、おそらくレグナス王子に初の実戦経験をつませようと思ったのだろうと。

 しかし、そのレグナス王子は戦死してしまったのだという。

「……もし、お金を用意できなかったら、ここの領主様はどうなってしまうのですか?」

 いいにくそうな口調で、凱はそれとなく聞いてみた。
 たいていは奴隷商人に売られるのがオチ……とは、バートランからは決して言えなかった。

「捕虜の中には敵に仕え、現地の妻を娶って一生を……」

「妻を(めと)って!?そんなのだめです!」

バートランの言葉を遮って、ティッタはすさまじい剣幕で言い寄った。

「あたし、もう一度お金を集めてきます!」

 その少女の強い決意に、凱とバートランは顔を上げる。
 折れかけた希望を少女は再び胸に抱いて決意する。

「ティッタ……」

――ティグル様、きっとお救いして見せます!待っていてください!――

 アルサスの人々が、領主に対して行動している。
 俺に出来る事って、一体何だろう。
 部屋の窓際をぼんやり見て、そう自問を繰り返す凱であった。





『ブリューヌ・ヴォージュ山脈・とある隠れ家』





 凱がヴォルン家屋敷に訪れて数刻後のことだった。
 外はすっかり夜である。
 薄暗い帳の中、男どもが小さな小屋にて集会していた。
 その男どもの中に、自称―獅子王(レグヌス)―を名乗る人物が含まれていた。
 30人ほどの気味悪い集まりは、飢えた獣の集団のそれだった。

「ふっふっふ!やりましたぜ!ドナルベインの兄貴……いや、今は獅子王(レグヌス)でしたね!」

 背丈の低い陰気そうな男達がひそひそという。

「こんだけの金があれば、一大兵団を結成できやすね!」

 大人の頭などゆうに超えるほどの大きさを持つ、金貨の入った袋を自慢げにもてあそぶ。

「まだだ。まだ足りない」

 威圧ぎみた声で言ったのは、男どもの首領、ドナルベインと呼ばれた男だ。

「もう少し……もう少しで十分な資金は集まる。テリトアールの連中が終結次第、国獲り開始だ!」

 国獲りとはずいぶん身の程知らずな夢を抱く。
 人の血を吸い続けた剣が不気味に輝く。このブリューヌの情勢が腑抜け状態である以上、好機を逃す手はない。

―国内に内乱の兆しあり。―

―二大貴族、テナルディエ家とガヌロン家の激突―

―レグナス王子戦死に伴い、王は完全に放心状態―

―王政には、宰相ボードワンを除けば力不足の三流だけが残った―

―黒騎士ロラン率いるナヴァール騎士団はザクスタンとアスヴァールの小競り合いに明け暮れる日々―

 これほど隙だらけのブリューヌ内を見逃すなどもったいない。

「アルサス領主がジスタートの捕虜になったっていう噂は本当でしたね。身代金を寄せ集めているっていう読みは大当たりでしたよ。首領」

「なに、少々ブリューヌやジスタートの内情に詳しいだけだ」

 ただ、ドナルベインにはひとつ気になることがあった。
 
 気になることとは、朝露の残る髪の長い男の事だ。 

(しかし、長髪に黄金獅子篭手の男、吟遊詩人(ミストレーリ)の歌で聞いたことがあるような……)

 ジスタートよりはるか東の大陸で、未曾有の災厄を止めて見せた騎士と勇者の唄を。
 歌の名は『獅子と黒竜の輪廻曲』といった。





『翌日明朝・アルサス・ヴォルン家屋敷』





「だめだめ!しっかりしなきゃ!」

 顔をパンパンとたたき、気合を入れるティッタ。
 一度や二度の失敗でくじけていられない。
 昨日は凱がいてくれたからよかったものの、もし、凱の助けがなかったら、命を落としていたかもしれない。

 その恩人の凱はティッタに協力を申し出たが、やんわりと断られた。

「折角の申し出はありがたいのですが、無関係の人を私たちの都合で巻き込むわけにはいきません」

 と言われた。
 確かにそれは事実であって、とりわけ凱にはブリューヌの接点もなければ、アルサスに縁があるわけでもない。
 バートランは何も言わなかったが、無言で頷くあたり、どうもティッタと同じ意見らしい。
 何とか押し通そうと凱は考えたが、すぐ一拭した。
 自分の意思をティッタに押し付ける形で、彼は彼女を困らせたくない。
 断られた凱はというと、ヴォルン家を離れて近くの宿に泊まっていた。郊外調査の為、当面はセレスタを基点として調査をする予定だ。

「ティグル様……あたしに勇気を」

 密かに決意を抱いたのも束の間、ドカドカと外が騒がしくなる。それに、玄関の窓から大勢の人影が見える。

「……どなたですか?」

 そんなティッタの言葉もむなしく、次の瞬間、問答無用で男の集団がヴォルン家に土足で上がってきた。
 男はせいぜい10人程度、どれもが大きい木の幹のような腕を持つ屈強そうな男どもだった。
 剣を肩に担いでトントンとならし、帯刀の鍔をキンキンとならす。ゴロツキや野盗の仕草と大して変わらない。
 冷や汗と固唾がティッタを感情的に恐怖へと追い詰める。

「あなたは!?昨日の!?」

 あの不快な顔には見覚えがあった。獅子の(たてがみ)のような髭、血に乾ききった卑しい目つき。間違いない。昨日の騒ぎを起こした人物だ。

「ふはははは!なんとも質素な作りよの!所詮は貧乏貴族の住処か!」

 ドナルベインがドス黒く笑う。それにつられ、配下の連中もゲラゲラ笑う。
 ヴォルン家当主との大切な思い出が詰まったこの居場所を馬鹿にされ、ティッタの怒りがついに爆発した。

 小さな侍女の震える声が、恐怖と怒りを示していた。

「出てって……」

「あん?今なんて言った?」

「出て行けって言ってるのよ!あなたみたいな人は指一本触れないで!それが分かったら出て行って!出てけ!!」

 顔を真っ赤にしてドナルベインに怒鳴りつける。しかし、ドナルベインは鼻で笑って自論を飛ばす。
 そして、ティッタの胸倉をつかんで自分の頭上に持ち上げた。
 首を若干圧迫され、少女の呻き声がもれる。

「貴様みたいに何も出来ない田舎育ちの小娘が偉そうな口を叩くな!」

「こんな金貨の入ったもんを見せびらかしてたら、『どうぞ、持って行ってください』とお願いするようなもんだろ!ティッタちゃん?」

先日奪われた金貨の袋を、男の一人はわざとらしく見せ付ける。

「どうする?この娘の濃厚で甘い血を吸いたい者はおらぬか?中々上質な娘だぞ」

「オレにやらせてくだせぇ!」

「いや、オレが!」

 ドナルベインが部下に獲物を譲ろうと場を盛り上げて、苛虐心をあおる。部下どもが│囀《さえず》る中、かろうじてティッタが言葉をつむぐ。

「どうして……どうしてこんなことをするんですか!?」

「ここアルサスを基点としてわしの……わしの王国を作る!酒池肉林の夢を成就させるためにな!」

 太刀打ちできない無力感に苛まれ、ティッタは顔苦しそうにしつつも口を開く。
 悔し涙が、ティッタの頬を伝う。
 だが、その悔し涙を嬉し涙に変えてくれる使者が、意外な形で現れた。

「う……うう……」

 子分らしき男が苦悶を浮かべて戻ってきた。周辺の警戒を命じられた手下だ。

「おう、どうした。随分戻ってくるのが早いじゃねぇか?」

ドナルベインが疑問を浮かべつつも、部下を迎え入れる。しかし、部下は何も語らない。

「……」

「おい!何か言ったらどうなんだ!?」

「……つ、つえぇ!」

 パシリの男は、まるでカーテンがずり落ちるように力なくひざを折り、あっけなく倒れる。
 その男と入れ替わるように、自身と同じ栗色の髪を持つ青年が立っていた。

「あ……さっきの髪の長い人……ガイさん?」

 黙ってみていた凱は怒気の成分を含めた声で言い放つ。

「やはりあの時、叩き潰しておくべきだったか?心と共に」

「誰だ!てめぇ!」

「明日を食いつないでいく……誰かを養う……大きな病から人を救う……そんな理由がお前達の口から出ればよかったんだがな」

 野盗の行いとその理由や状況によっては、凱は手を出すべきか決めかねていた。
 もがき、あがくことは誰もが平等に与えられた境遇であり、生命の本質であることを、獅子王凱は知っている。
 野盗でも、動物でも、人間でも、竜でも、悪魔でも、例外はないのだ。

 だが、堕落の終着点である酒池肉林という邪な欲を吼えた地点で、凱はこの争いに介入することを決意した。

 首領のドナルベインは、一つ一つ思い出すかのように小さくつぶやく。

「貴様!あの時の男……!」

「今一度聞く。そんな理由の為に、ティッタから……この娘からお金を奪ったのか?」

「うるせぇ!舐めた真似しやがって!この女からぶっ殺してやる!」

 すかさず、凱は布巻状態のガオーブレスからウィルナイフを抜刀する!これ以上、取返しのつかなくなる前に事を沈めるしかない。

「待て!これ以上、その少女に切っ先一寸たりとも触れるな!相手なら、俺がするぜ!」

「ガイさん!だめです!こんなに相手が多くては……!」

 いくら凱でも、この人数ではとても敵わない。素人のティッタでも分かることだ。
 もし、自分の為に駆けつけてくれたとしたら、ティッタは自責の念に囚われてしまう。
 たとえ不利な状況でも、凱の意思は変わることはなかった。やがてその意思は行動へと変わる!

「くそ!たたんじまえ!!!大いに苦痛を味あわせてから殺せ!」

 一斉に凱へと食らいつく飢狼共は、雄たけびを上げる!

 まるで血に飢えた狼のような男たちは、乱立的に襲い掛かる!

 19チェート(190cm)の凱より体格のでかい敵もいる!

 大人の身長ほどの大剣をもつ敵もいる!

 双剣を携えた、戦い慣れしている敵もいる!

 そんな連中が、凱を取り囲むように迫りくる!
 しかし、連中が瞬きした瞬間には、凱の姿など何処にもなかった!

「野郎……どこだ!?ぐあ!」

「おい!一体……がは!」

「何が起きて……ぐううう!!」

 一瞬の剣筋が、輝きが刹那の間だけ見えるだけで、凱の姿がどこにも見当たらない!

「カ・ミ・カ・ゼだ!」

「は、速すぎる!」

「駄目だ!全然見えねぇ!」

 神風とは、ヤーファ国に伝わる攻撃的な銀閃現象である。
 疾風に乗って傷つける風は、奇術か妖術の類だとしか考えられない。
 凱の神速を現実として受け入れる事が出来ないから、このように例えるしかないのだろう。
 人の何倍、何十倍の速さをもって、背後に回り、頭上へ飛んで、死角へ入り込む。その一連の動作をしているに過ぎない。
 戦士同士の苛烈な駆け引きをしているわけではないのだ。
 常に相手の一歩先を取る。敵が二人なら二歩先を取る。三人なら三歩先を取る。敵の人数に比例して先手の読み数を増やすのが凱のやり方だ。
 それゆえ、敵には凱の行動が速く感じられるのだ。
 次々と倒れこんでいく配下達を見て、ドナルベインは目を大きく見開いて冷や汗をダラダラと垂らしていた。
 驚愕を示しているのは、ティッタとて同じであった。

「心配するな。生命まで取っていない」

 そう凱が告げると、ティッタとドナルベインは我にかえる。言われてみれば、ヴォルン家の屋敷には血しぶきどころか、血の一滴すら落ちていない。
 むしろ、落ちたのは敵の士気と、ティッタの恐怖心だった。

(俺の血で、お前たちの血で、ティッタ達の居場所を汚すわけには行かない!)

 室内の物的被害を出さないためにも、気絶という手段がもっとも効果的だ。敵があまり動き回らない内に……仕留める!
 中には直接凱が手を下さなくても、倒れるものがいたようだ。
 凱の太刀筋の凄さに、腰を抜かして地に伏す者。
 凱と視線を合わせてしまい、あっけなく戦意を失う者。
 凱と視線を切り結ぶ前に、両手を頭に抱えてうずくまる者、様々だ。

「す……すごすぎます」

 ぽーかんと口をあけたまま、ティッタは凱が獅子奮迅の活躍を終えるまで放心していた。
 凱のウィルナイフは、使用者の意思によって、切れ味が自在に変化する。
 明確な殺意を秘めた状態は、朱色に発光して竜の鱗どころか、空間さえ切り裂く―業刀(わざもの)―となり。
 純真な穏意を秘めた状態は、金色に発光して獣の皮どころか、果物さえ切れない―凡刀(なまくら)―となる。
 どんな悪党でも殺さない、全てを救うと誓いを立てた凱は、後者の方を使うとしている。
 強盗の連中も、決して素人ではない。数多くの戦争を曲がりなりにも生き抜いた戦士たちだ。だが、その屈強の戦士たちも、たった一本の刃渡り30チェート(30センチメートル)の短剣(ウィルナイフ)に太刀打ちできないでいた。

「長い髪に……左腕の獅子篭手、獅子と黒竜の輪廻曲、吟遊詩人(ミネストレーリ)の歌通りだな」

「どうする?今なら気絶だけにまけといてやるぜ。さぁ、ティッタを離せ」

 真剣で鋭い眼差しで、凱はドナルベインを見据えていた。

「おのれぇぇ!大人しくしておればいい気になりおって!!このまま引き下がれるかぁぁぁ!」

 盗賊に身を落としたといえど、彼も元は数々の戦場を駆け巡ってきた戦士。その意地が彼を踏みとどまらせた。
 猛然と遅い来るドナルベインを前にしても、凱の刃はぶれることはなかった。

「この世に獅子王(レグヌス)は二人もいらん!貴様から殺してくれる!!」

「仕方ないか……」

 どこか捨て鉢な口調で、凱は首領の説得をあきらめた。
 突進する敵を、常人を超えた跳躍で交わし、頭上に金色のウィルナイフを叩き込んだ!

――ゴン!!――

 鈍器を殴る音に近い乾いた音が、ヴォルン家全体に響き渡る。刃物では決してありえない効果音が、戦いの終了を告げたのだ。

「つ、強すぎる……そいつは……最強じゃなく……反則って……もんだぜ」

 最後の捨て台詞がそれだった。国獲りを宣言した割にはあっけない幕切れだったと凱は思った。

「お前のような奴に獅子王は語らせるわけにはいかないさ。それに……」

 盛大に前へ倒れこんだドナルベインを見据えて、凱は小さく呟いた。

「自分より弱い人々に手を上げるやつに、反則呼ばわりされる筋合いはない」





――――――――――しばらくして――――――――――――






「もうじき警備兵達がここへ来る頃だな」

ウィルナイフを左腕の獅子篭手(ガオーブレス)に納刀し、周りに被害が出ていないか確認していた。

「あ、あの……ありがとうございます」

 深々とティッタは頭を下げた。まだ、戦いの余韻が冷めないのか、ティッタの口調には僅かな動揺が見られた。
 しばらくすると警備兵がやってきた。事情聴取と事後処理の段に追われている。ドナルベインの投獄行きを確認すると、凱はティッタへ返事をした。

「礼ならバートランさんに言ってくれ。あの人が俺に教えてくれたんだ」

「バートランさんが?」

 視線だけ後ろに向けると、そこにはバートランがたっていた。彼も事態の収拾に全力を尽くした一人である。

「すまねぇ、ティッタ。でも、こうするしかなかったんじゃ」

 昨日、ティッタは凱の協力を断ったばかりだ。だが、今回のようなことが起きたばかりでは、何だか申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
 しかし、結果的には凱が真っ先に来てくれたおかげで、被害はほとんど皆無で済んだ。バートランの決断がなければ、ティッタの命も危なかったのだ。

「それにしても……」

 いまだ地に伏せる男たちを見回して、バートランが固唾を飲んだ。無理もない。屈強そうな男たちが成すすべもなく倒されたのだから。

「たった一人で、ガイ殿一人でこれほどの人数を?」

 凱は何も語らない。すなわち、肯定だった。そして、唐突に凱から別れを告げられた。

「警備兵の事後処理もそろそろ終わりそうだし……俺はこの辺で失礼するよ。バートランさん、ティッタ。元気で……」

「まさか、ガイ殿。すぐにアルサスを発っちまうんじゃぁ……?」

 本当にまさかの出立宣言だ。何か不安そうにバートランが凱に言い寄る。その表情はやや青ざめている。
ディナントの敗戦以降、アルサスの治安が緩みつつある。
 領主不在の影響もあるとは思うが、治安が乱れているのはアルサスに限ったことではない。そうなった根源は他でもない王政府だ。
 今日のような野盗襲撃事件が起きてしまうようでは、凱のような人格と武勇に優れている人間が求められるのは当然だった。

「俺がいたら、セレスタのみんなが怖がっちまう」

 そんなことは……ティッタはそれ以上続きが言えなかった。
 心のどこかで、完全に否定は出来なかったと思っている。
 事態を収めた凱が、民を虐げるような力でもって、ドナルベインにとってかわるかもしれない。
 凱の穏やかな人格を知るティッタやバートランはともかく、町の人々はそうは思わないだろう。
 あまり素性の知れない人間が、自分たちの町に住み着くほど、警戒しなければならないものはない。

「あ、あの……」

「せめて、お名前だけでも教えてくれませんか?」

「バートランさんから聞いたんじゃないか。それが俺の名前だ」

「私は、まだあなた自身から、あなたの声から聞いていません」

「|獅子王(ししおう)……(がい)

 ブリューヌ語独特の訛りではなく、日本語特有の濁音にて、凱は自らの名を告げた。

「シシ……オウ……ガ……イ」

 頑張って日本語を発音しようとするティッタを見て、凱はなんだか癒された。

「それじゃ、俺、そろそろ行くよ」

 そう微かに優しく微笑んで、凱の足は再び歩みだす。
 一歩一歩、その足で歩くごとに、凱が遠くへ行ってしまう。
 ティッタは、すれ違う凱の視線と合わせることなく、ただ立ち尽くすばかりだった。

「待ってください」
 
 正面から女性の、凱を呼び止める声が聞こえた。それは少なくともティッタの声ではない。

「みんなは……昨日の」

 凱もこればかりは正直いって驚かされた。なぜなら、凱の行方を遮るかのように、セレスタの住民たちが立っていたからだ。

「どうして?」

「私たちからもお願いです。どうかこのままセレスタにいてくれませんか?」

 年若い女性から、いてほしいといわれた。

「あたしも……お願いしますわ」

 心細そうな声で、老婆からいわれた。
 それだけじゃない。老若男女、親の裾をつまんでいる小さな子供もだ。
 連日度重なる野盗に、大勢の住民が不安を抱いているのだ。
 日常が殺伐化している今のご時世に、今日、明日を生きていけるか――
 いつ内乱に巻き込まれるのかわからない。
 領主不在という状況が、それをより一層煽(あお)りを立てる。

「にーちゃ……」

 ふと、子供と凱の視線が合わさる。その視線はどこか寂しさと不安が入り混じっている。

(俺は……)

 過去に、とある戦いにおいて、小さな生命を殺めてしまった過去のせいで、心に大きな心の傷を負った。
 弱者という立場を利用して、身勝手な正義という剣を立てられ、獅子は世間という居場所を追いやられてしまった。
 赤い髪の少女騎士が立ち直らせてくれたから、手を差し伸べてくれたから、獅子は孤高にならずに済んだ。
 その少女も、ここにはいない。
 だから戸惑っている。凱の力を受け入れ容認してくれる場所があるのかと

 そっと瞼を閉じる。

 ティッタも、バートランも、このセレスタの、いや、アルサスの人々も、凱にいてほしいと言っている。

――あとは……俺の心次第か――

 そう思ったとき、凱は決意を固めていた。

「……ティッタ」

 再び後ろに振り向いて、凱はふんわりと微笑んだ。

「は、はい?」

「これから寝る場所を探すのも疲れるし、何より路銀も付きそうだしな」

「えーと……じゃ、じゃあ?」

 それ以上の言葉は無用だった。なぜなら――
 あまりの遠まわしの承諾に、ティッタは戸惑いを覚えた。でも、それ以上に嬉しかった。

「寝坊もしちまうし……寝起きもよくないし……」

「それだったら、ティグル様も負けてませんから」

 己の主の特徴を、誇らしげに紹介した。

「みんなの前で、お腹が鳴っちまうし……」

「大丈夫です。あたしが責任もってガイさんのお腹を見張りますから」

「ティッタの着替えを除いちまうかもしれないぜ」

 青年のセクハラ発言に対し、ティッタは不適に笑って受け流す。

「大丈夫です。そういう時は……こうしてあげますから……えい!」

 かわいらしい声が響いてきて、凱の腹部を硬いものが叩いた。

「ぐはっ!!」

 強盗どもをねじ伏せた青年を、ティッタはなんと一撃で倒してしまった。
 完全に気を抜かしていた凱は、腹部の中身まで浸透されるのを感じ取り、盛大に後方へ倒れた。
 どうせ少女の拳なんて……とタカをくくったのがいけなかった。
 ティッタも、家事という戦場を持つ身。ヴォルン家に対しては一家言を持っている。だが、避けるか受け止めるかしてくれるだろうと思っていたけど、結果は見ての通りとなった。

「すげぇ!ティッタお姉ちゃん!」

 男の子が大いに驚いて――

「なんじゃ、ティッタちゃんが最強じゃないかぇ」

 老人夫婦が青年とティッタの評価を改めて――

「こりゃ、敵兵の千や二千はおいはらってくれそうだわい」バートランがさらにまぜ返す。

 あははと、その場に集まっていた者達が一斉に大笑いする。
 羞恥心で顔を赤くしたティッタが、青年に罵声を叩き付ける。

「ガイさんのばかぁぁぁぁぁぁ!!!」

今日も今日とて、アルサスは概ね平和になりました。

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