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銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
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第百七十五話 暗い悦び

帝国暦 487年 12月 6日  オーディン  帝国軍病院 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


目が覚めると真っ白い天井が見えた。綺麗だ、おまけに天井が高い。なんともいえない開放感がある。此処は宇宙艦隊司令部ではない。だが何処かで見た事がある、ここは……。

「閣下、目が覚めたのですか」
弾むような女性の声だ。近寄ってきたのはヴァレリーだった。心無し目が赤い。

「!」
身体を起そうとして引き攣るような痛みが脇腹に走った。
「まだ、無理は駄目です。大人しくしてください」

痛みが全てを思い出させた。撃たれた感触、悲鳴、覆いかぶさってきた皇帝、医師……。
「陛下、陛下は……」
続けることが出来なかった。今度は胸に痛みが走る。思わず胸を押さえた。

ヴァレリーが俺の背中をさする。俺は背を丸めて苦しがっていた。
「安心してください、陛下はご無事です、リヒテンラーデ侯も。それより無理は駄目です。大人しく横になっていてください」

無事だったか、フリードリヒ四世もリヒテンラーデ侯も無事だった……。
「み、水を」
「はい」

ヴァレリーが水差しを差し出してきた。口に含む、美味い、水がこんなにも美味いとは思わなかった。生き返るような思いだ。

水を飲んで一息ついた時だった。部屋に入ってきた人間が居た。目を向けると白衣を着ているのが見える。女性、医者のようだ。やはり此処は病院か、道理で見た事がある訳だ。幼い頃は時々入院していた……。

「目が覚めたのですね、喋らなくて結構です。ご気分は如何ですか? 問題なければ頷いてください」
俺は黙って頷いた。俺が頷くと相手は嬉しそうに笑顔を浮かべた。

年の頃は三十代半ばだろうか、余り背は高くない。美人というよりは可愛らしい感じの女性だ。髪は茶色、目は優しそうな明るい青だった。母さんに青い目が良く似ている、病人からは人気のある先生だろう。

先生は、俺のヴァイタルを確認している。俺の身体にはところどころ妙な吸盤のようなものが付いていてそれと医療機器が線で結ばれている。俺の状況はかなり危険だったのかもしれない。

「元帥閣下は背中と脇腹をブラスターで撃たれました」
先生が上から俺の顔を見下ろす。俺はまた黙って頷いた。
「背中の傷は肺の一部に届いていました。暫くの間、動いたり大声を出すと背中や胸に痛みが走るはずです。注意してください」

出来れば十分前に言って欲しかった。そうすればあんな苦しい思いをせずに済んだのに。
「脇腹の傷ですが、幸い臓器に損傷はありませんでした。ただ傷口が広かったため、出血が多かったようです」
「……」

「閣下はあまり身体が丈夫ではないようですね。それにこれまで随分と無理をなされていたようです。かなり体力が落ちていたのでしょう、閣下は一時かなり危険な状態になったのです」

ヴァレリーが真顔で頷いている。やはり俺はかなり危ない状態だったらしい。やばいな、後でヴァレリーがまた怒るだろう。どうやって逃げるか……。
「折角ですからゆっくりと休まれるとよろしいでしょう。傷だけではなく体力も回復される事です。周りに心配をかけるのは良くありませんよ」

先生の青い目がこっちを心配そうな目で見ている。俺は黙って頷いた。母さんも良くそんな目をした。決まって俺が体調を崩したときだった……。あの目を見るのは辛かった事を覚えている。この内乱の時期に大人しく休めるかどうかは分からない。だからと言って”そんなの出来ません“などと言って先生を悲しませる事は無いだろう、ヴァレリーを怒らせる事も無い。俺は素直で良い子なのだ。

「何か質問は有りますか?」
「……ここは?」
声を出すとやはり胸が痛む。自然と囁くような声になった。

「ここは帝国軍中央病院です」
「退院は何時?」
「二週間は安静にしてください」

二週間か、自宅療養も入れれば三週間といった所か、先ず無理だな、内心で溜息が出た。先生には悪いが三週間も遊んでいる暇は無いだろう。

女医さんが帰った後、俺はヴァレリーにリヒテンラーデ侯、エーレンベルク元帥、シュタインホフ元帥に俺が目覚めた事を知らせるようにと言うと、昨日目覚めたときに知らせたという事だった。

昨日? 俺自身には記憶がない。いや、大体何日意識が無かったのだろう。ヴァレリーに聞いてみると丸三日意識が無かったようだ。確かに俺は危険な状態に有ったらしい、今更ながらその事に実感が湧いた。

俺はヴァレリーにヴァレンシュタインは意識もしっかりしていると伝えてくれと再度頼んだ、それからキスリングを呼んでくれと。ヴァレリーは余り納得した表情ではなかった。ちょっと不満そうだったが、それでも言う通りにしてくれた。

キスリングが来たのは三十分後だった。頼むからもう少し早く来い。この三十分、俺がどれ程辛かったか分かるか? ヴァレリーに嫌というほど説教をされた。“夜は早く寝なさい”、“食事はちゃんと取りなさい”、俺はヴァレリーの子供か? いつか“ママァー”と呼んで絶句させてやる。俺は正直で良い子なのだ。

キスリングはかなり憔悴していた。俺の顔を痛ましそうな表情で見る。しょうがない奴だ、自分の所為だと思っているのだろう。
「エーリッヒ、済まん、油断した」

案の定だ。俺は手を伸ばした、キスリングは俺の手を見ていたが躊躇いがちに俺の手を握った。軽く手に力を入れる。俺達にはそれだけで十分だ。ヴァレリーに席をはずしてくれるように頼んだ。
「何が起きた?」

「クーデターだ」
やはりそうか、俺はキスリングに頷いた。それを合図にキスリングが苦い表情であの日何が起きたかを話し始めた。

近衛兵の暴動、ラムスドルフの働き、宮内尚書ノイケルンの死……。そしてラインハルトからの早すぎる連絡。
「宮内尚書を殺したのは内務省の手の者だろう。卿とリヒテンラーデ侯の暗殺に失敗した事、近衛兵の暴動が鎮圧された事で切り捨てられた」

「……」
「ここから先はエーレンベルク元帥から聞いた話だ。クーデターが成功していれば、ノイケルン宮内尚書はローエングラム伯をオーディンに呼んだはずだ。手を握り新体制を作るために」

俺は首を振った。それは無い、それではあっという間に失敗する。キスリングは俺の否定に頷いた。
「その通りだ、おそらくはノイケルン宮内尚書はローエングラム伯に反逆者として処断されただろうというのがエーレンベルク元帥の考えだ」

「……」
「ローエングラム伯はクーデターを鎮圧し救国の英雄として帝国に君臨する。宇宙艦隊司令長官の座は彼のものだ。オーベルシュタインが書いた脚本はそんなところだろうと」

「……」
「卿とリヒテンラーデ侯の暗殺に失敗した、近衛兵が早々と鎮圧された。その事がオーベルシュタインの動きを止めた。さもなければ今頃はオーディンはローエングラム伯の制する所になっていただろう」

俺はキスリングを見て頷いた。全く同感だ、今回は完全にしてやられた。しかし、未だ俺は生きている。生きている限り俺のほうがラインハルトよりも有利だ、そしてオーベルシュタインもその事は分かっている。つまり、オーベルシュタインとの攻防は未だ続くと言う事だ。

「それにしても流石だな、あの医師を暗殺者だと見抜くとは」
「……」
「あの男は一ヶ月ほど前、ノイケルンの推薦で宮内省の職員として雇われたそうだ」

職員? 俺の疑問を感じ取ったのだろう、俺を見ながら説明するような口調でキスリングは話す。
「医師の資格は持っている。しかし一般職員の方が宮廷医よりも審査がゆるいからな。なかなかしぶとい男でな。未だ何も喋らない」

なるほど、そういうことか。しかし一ヶ月前か、十一月の頭だな、十月十五日の勅令が出た後早急に選んだ、そんなところか。違うな、選びはじめたのはもっと前だ。いくらなんでも二週間ちょっとで人殺しのできる口の堅い医者を見つけるのは難しいだろう。まして暗殺対象がリヒテンラーデ侯と俺だ。宮内省の職員にするのもそれなりに時間はかかった筈だ。

……となるとラインハルトだな。リヒテンラーデ侯邸でシャンタウ星域の会戦後に行なわれたあの会議だ。あの会議の内容がどの時点かは分からないがオーベルシュタイン経由で内務省、フェザーンに伝わった。それも勅令発布の前だ。馬鹿が、あの話は機密扱いだった。知っているのは会議の参加者と改革案を作成したブラッケ達だけのはずだ。それをオーベルシュタインに漏らした、結局あの男にとっては俺達は味方ではない、だから機密も守る必要は無い、そういうことだろう。領地替えも同じだ。

ルビンスキーは当然危険を感じただろう。そして内務省も平民の権利拡大など冗談ではないと考えたに違いない。つまり連中はかなり早い段階で俺とリヒテンラーデ侯を殺す事を考えていたということになる。

俺達は勅令発布前から暗殺リストの上位に名前を並べていたわけだ。敵を特定できなかった事が、俺達を危険極まりない状態にした。間抜けな話だ。ここまで来ると自分が嫌になってくる。

だが、彼らにはなかなか俺達を暗殺する機会が無かった……。いや違うな、エリザベートとサビーネの誘拐、あれは俺、リヒテンラーデ侯、エーレンベルク元帥、シュタインホフ元帥を宮中に引き寄せるのが目的だ!

早朝、混乱の中で俺達を殺す、犯人は門閥貴族という設定だ。万一息が有っても医師に化けた男が殺す。

ようやく見えてきた。あの事件は幾つもの思惑が絡んだ事件だったのだ。ランズベルク伯達はエリザベート、サビーネを誘拐しブラウンシュバイク公達に反乱を起させる事を考えた。

ノイケルンは宮中でクーデターを起しリヒテンラーデ侯に取って代わる事を考えた。もちろんラインハルトと組む事が前提だろう。俺とリヒテンラーデ侯、それに代わってノイケルンとラインハルトだ。

だがオーベルシュタインはノイケルンと組むつもりは無かった。ノイケルンを倒して救国の英雄ローエングラム伯ラインハルトを作る予定だった……。

そしてすぐさま反乱鎮圧の軍を起す。その中で軍を掌握するつもりだったのだろう。内務省は表に立つことなく裏でラインハルトに協力する。軍に必ずしも強い基盤を持たないラインハルトには内務省の協力が必要だったはずだ。つまりオーベルシュタインにとっても内務省にとってもノイケルンは使い捨ての駒だった。

彼らは目的は違ったが、宮中で混乱を起し内乱を起す事で実権を握る、その一点で協力した。しかし俺が装甲擲弾兵を連れてきた。宮中でも彼らを護衛に付けた。そのためクーデターは不発に終わった……。

ラインハルトは俺が雲隠れしていた間随分と焦っていたようだ。となるとやはり企てには絡んでいないだろう。絡んでいればむしろおとなしくしていたはずだ。クーデターの失敗を知りながらオーベルシュタインがラインハルトを止めなかったのはそれが理由かもしれない、敢えて未熟さを晒す事でクーデターを隠す……。

バラ園での暗殺事件は必然だった。あそこは警備も外れる。彼らはあそこでなら暗殺は可能と踏んだのだ。しかもおあつらえ向きに軍は内乱の鎮圧のためオーディンを離れた。千載一遇のチャンスに見えただろう。

我ながら間の抜けた話だ。俺は細い糸の上をその危うさも気付かずに歩いていた。一つ間違えば糸から転げ落ちていただろう。助かったのは偶然に過ぎない。ここで入院できた事は幸運だと思うべきなのだろう……。



「エーリッヒ、どうした」
キスリングが心配そうに聞いてきた。俺が沈黙しているのが気になったらしい。

「なんでもない」
そう答えた。後でだ、後で話す。どちらにしろ内務省とオーベルシュタインが組んでいる事は分かっているのだ。今無理に話す必要は無いだろう。

キスリングはその後、三十分ほどクーデターの顛末を話してから帰っていった。“これ以上居ると疲れさせてしまうからな” それが帰り際の言葉だった。

キスリングが帰った後、俺は一人天井を見ながら考えた。ラインハルト、オーベルシュタイン、キルヒアイス、この三人はいずれ処断する。たとえこの後、大人しくしていたとしてもだ。大体部下がクーデターを策しているのに何も気付かない上官など目障りだ。ラインハルトに対して強烈なまでの敵意が湧いてきた。

だが、今は処断できない。内乱勃発早々、別働隊の指揮官を罷免などしたら軍の士気が下がりかねない。処断は内乱終結後だ。多少強引な手を使っても始末する。

オーベルシュタインもそのあたりは理解しているだろう。つまり、奴も限られた時間の中で、俺を殺そうとするに違いない。

厄介な事だ。どうでも受け太刀で戦わなくてはならない。もどかしい日々を過ごす事になるだろう。苛立ちも募るに違いない。

だから良いのだ。処断するときには何の迷いも無く冷酷に対応できるに違いない。怒りが、もどかしさが、苛立ちが募れば募るほど、そのときの喜びは深いものになるだろう。

俺は一人静かに笑った、大声で笑うと胸が痛むから。ヴァレリーが俺の笑い声を聞いて嬉しそうな表情をするのが見えた。嬉しいかヴァレリー、俺も嬉しい。俺は今、ラインハルト、オーベルシュタイン、キルヒアイス、この三人をどうやって地獄に落とすかを考えているのだ。これからの入院生活は退屈せずに済みそうだ……。



 
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