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ダタッツ剣風 〜悪の勇者と奴隷の姫騎士〜

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第一章 邂逅のブロンズソード
  第5話 姫騎士の追憶

 四角い窓の形に切り抜かれた光が、一室に深く差し込んでいる。その中に立つダイアン姫の手には、陽を浴びて艶やかに輝く剣が握られていた。
 荘厳に彩られたその柄を見つめる彼女の瞳は、この先に待ち受ける戦いを前に、刀身に劣らぬ鋭さを讃えている。

(勝てるかどうかは……わからない)

 だが、その胸中には言い知れぬ不安の色も滲んでいた。アイラックス将軍の敗死を知らされる直前の時のような――言葉にならない、恐怖が。

(それでも、わたくしは……)

 しかし、彼女に不戦敗と言う選択肢はない。根拠のない恐れに呑まれてはならないと、彼女の理性は今も闘い続けている。

 そして艶やかな光沢を放つ鞘に、直刃を収めた彼女は腰掛けていたベッドから立ち上がり――窓の外に伺える青空を見つめた。

 件の親善試合は今日の正午。
 これ以上帝国に屈してはならない、という誇り以上の理由を背負い、彼女は自室を後にしていく。
 絶対に負けられない理由が、彼女にはあるのだ。

 ――三ヶ月前。ヴィクトリアが帝国に旅立ち、僅かばかりの時が過ぎていた頃。

 彼女の教えに則り、自ら剣の稽古に励み続けていたダイアン姫の耳には、ある噂が届いていた。
 城下町に駐在している帝国貴族のババルオが、町の若い娘達を権力で囲い込み、慰み者にしている。さらに、その手先である帝国兵達も、街に繰り出しては町民を苦しめ続けている……と。

 無闇に剣を振るっては己を傷つけるのみ。滅多なことで、王女の自分が剣を取ってはならない。その教えを、ダイアン姫は頑なに守り続けてきた。
 無鉄砲な行為をしては、ヴィクトリアにも父にも心配をかけてしまう――それだけは、理解している「つもり」だったから。

 しかし、生来のお転婆さと正義感の強さに裏打ちされた、彼女の気性は……眼前の現実に目を背けることを許さなかった。

 ダイアン姫は、萎縮した王国騎士団に代わり、剣を取ることを選んだのだ。

「そこまでです、あなた達!」

 町娘の手を握り、路地裏へ連れ込もうとする帝国兵の男達。その鎧に固められた背中に、姫騎士の怒号が突き刺さる。

「なんだぁ、この嬢ちゃん。そんなエロいカッコして、誘ってん……の……ッ!?」
「たぁあぁあッ!」

 既に町娘は帝国兵達に服を破かれ、あられもない姿にさせられている。その様を目撃し、容疑を掛ける必要すらないと見たのだろう。
 電光石火の速さで間合いへ踏み込んだ彼女は、抜き切った剣を上段に振り上げ――瞬く間に帝国兵の兜を叩き割るのだった。

「が、あ……!」

 闘いに躊躇は無用。一瞬で決めねば、力で押し負ける。そのヴィクトリアの指導に準じた速攻を浴び、帝国兵は膝から崩れ落ちていく。襲われていた町娘は、その瞬間を呆然とした表情で見つめていた。

 頭そのものは無事であったが、兜を割られた衝撃に脳を揺さぶられては、もう立ってはいられない。その一撃が生む衝撃音を耳にした他の帝国兵達は、彼女の強さをその時になってようやく理解するのだった。

「この女ッ……!」
「いい気になりやがってッ!」

 それを悟り、微かな間を置いて帝国兵達の脳裏を過ったのは、戦意。自分達を害する敵を排除しようという、生物としてごく当たり前の感情だった。
 その本能の赴くままに、帝国兵達は剣を抜いて姫騎士に襲い掛かっていく。一対多数の戦いは心得ていない彼女は、冷や汗を頬に伝わせ――柄を握りしめた。

(怖い……! けど、わたくしがやるしか!)

 精一杯の勇気を振るうため――そして、その奥底から悲鳴を上げる、恐怖心を封じるために。

 しかし、帝国兵達とダイアン姫の距離が詰まる瞬間。

「よさぬか無礼者共!」
「……!?」

 戦場になりかけていた路地に、鶴の一声が上がるのだった。
 双方が視線を向けた先に立っていた、肥え太った醜男と――その背後に控えている巨漢。その姿を目の当たりにした帝国兵達は、顔面から一切の血の気を失い、即座に膝を着く。
 決して逆らってはならない、絶対の存在を前にした人間の対応であった。

「もも、申し訳ありませんババルオ様!」
「こ、この小娘がいきなり……!」
「貴様ら、このお方をどなたと心得る! この王国の由緒正しき血統を継いでおられる、ダイアン姫様であるぞ!」
「んなぁ……っ!? ひ、姫って……!」

 その絶対の存在――ババルオにより、ようやく姫騎士の正体を知った帝国兵達は、驚愕のあまり目を剥くと大慌てで彼女に膝を着くのだった。

「た、たた……大変ご無礼を……!」
「……」

 必死に頭を床にすり付け、一転して許しを乞う帝国兵達。そんな彼らの様子を冷ややかに見つめるダイアン姫は、その目線を彼らの上役であるババルオへ注ぐ。
 その視線を浴びてなお、ババルオは焦りを見せることなく、恭しく頭を垂れていた。後方に控えていた巨漢――アンジャルノンも同様の対応を見せている。

「……私の配下が大変失礼致しました。こうしてお会いになるのは初めてになりますな、ダイアン姫」
「――敗戦国になろうとも、民が私の宝であることには変わりありません。今後もこのようなことばかりが続くのであれば、わたくしもこの剣を振るわざるを得ませんよ」
「おぉ……なんと頼もしい。帝国軍の誇りを忘れた、猿のような兵ばかりで私も手を焼いていたところなのですよ。そちらのお嬢様のような美女を前にすると、いつもこうなのです」

 襲われていた町娘の肩に、アンジャルノンがそっと毛布をかける。その感触を経て、ようやく自身に迫る危機が去ったのだと実感した彼女は、肩を震わせ涙を流していた。
 その様を眺めながら、ババルオは大仰に手を広げ、ダイアン姫を褒め称えていた。

「どうしたものかと思っていたのですが……あのヴィクトリア嬢の他にも、このようなお方がいらしたとは。今後、このようなことがないよう指導は徹底するつもりですが――万一の時は、遠慮は無用です。私としても、この美しい王国の大地が涙に濡れるのは忍びない」
「ひ、ひぃい……!」
「……」

 この帝国兵達に次はない。王女の判断で斬ってよし。そう言い切られた本人達は、己が置かれた状況に震え上がるのだった。
 だが、その言葉に真摯さなど欠片もないことを、ダイアン姫は知っている。王国に涙を流させているのは、他ならぬ――この男なのだということを。

 ヴィクトリアから聞かされていたババルオの醜聞。その話に違わぬ噂。そして、今目の当たりにした、ババルオ本人の下卑た眼差し。
 全てが、ダイアン姫の胸中に訴えているのだ。戦争に負けても、勇者に負けても、大切な人を失っても――この男にだけは、屈してはならないと。

「しかし……我が帝国の兵士を、こうも完膚なきまでに打ち倒してしまわれるとは。ダイアン姫様もヴィクトリア嬢に劣らぬ剣技の持ち主のようですな。我が帝国の兵士達が習得している帝国式闘剣術(ていこくしきとうけんじゅつ)など、足元にも及ばぬ様子」
「……ありがとうございます」
「いやはや、本当に素晴らしい。是非とも、その洗練された貴方様の剣を拝見したいものですな。先程は現場に到着したばかりで、見逃してしまいましたし」
「……」

 歯の浮くようなババルオの台詞に、ダイアン姫は眉を顰める。そんな彼女の反応に目もくれず、ババルオは話を続けた。

「そこで――いかがでしょう。ダイアン姫様の剣腕を披露して頂く代わりに、私が王国に干渉する範囲を狭めるというのは?」
「……!?」

 その時に飛び出てきた話に、まともに取り合うつもりのなかったダイアン姫が、初めて目を剥いた。そして、彼女の反応を見逃さなかったババルオの口元が――獲物を捉えた獣の如く、歪に吊り上がる。
 王国を監視するババルオが、城下町の支配から手を引く。それはダイアン姫をはじめとする王国側にとっては願っても無い話だ。

 終戦協定では、帝国の監視つきである代わりに王族の政権が保障される形になっているが、実質的には監視役のババルオによる恐怖政治が敷かれていると言っていい。
 ババルオの私兵である帝国兵達に王国騎士団や町民が怯えているのが、その証だ。それを率いているババルオ本人が手を引くことは、王国に真の平和が戻ることを意味している。

 だが、ダイアン姫の剣術を見たいというババルオの要求とはどう考えても釣り合わない。必ず、何らかの「裏」がある。

「貴方様は国の自由を勝ち取れる。私は高貴な剣を拝見出来る。悪い話ではないでしょう」
「……」

 それでも、その話はダイアン姫の関心を強く引きつけていた。罠であると頭でわかっていても、挑まずにはいられない。
 そう思わせることが狙いだとしても……それ以外に、王国が苦境から抜け出す道があるとは思えない。

 そんな逡巡が、彼女の脳裏を支配する瞬間。

「それに。貴方様の勇姿をご覧になれば……お父上もさぞお喜びになるでしょう」
「……ッ!」

 最後に囁かれた悪魔の声が、彼女に決断を迫るのだった。

(ヴィクトリアは、きっと反対する。罠に違いないって。わたくしだって、それはわかってる。でも、わたくしはそれでも……!)

 帝国の支配下に置かれ、敵兵の力に怯える国民。その姿に心を痛め、憔悴していく父。
 そんな光景に苛まれてきた六年間を払拭できる唯一の方法が、目の前にある。

「……わかりました。わたくしの拙い剣でよければ、お見せしましょう」
「貴方様ならば、そう仰ると信じておりました。貴方様が戦う度に、王国に自由が戻っていく――実に素晴らしい、愛国心ですな」

 戦う理由は、それで十分だった。

 かくして彼女は、帝国による王国の支配を狭めるため、ババルオが主催する親善試合に参加することになったのである。
 それから三ヶ月。ダイアン姫はババルオが差し向ける傭兵達と戦い、徐々に彼の支配から城下町を解放していくのだった。

 三ヶ月前までババルオの私兵が闊歩していた街道では、争いに生きない人々の営みが平穏に築かれつつある。未だに帝国兵達の狼藉が続いている通りもあるが、それでも少しずつ、この町はかつての平和を取り戻していた。

 そして、今日。
 この試合に勝ちさえすれば、いよいよ王宮付近の地域がババルオの監視から解放される。そうなれば、萎縮している王国騎士団も勢いを取り戻せるだろう。

 あと一勝。あと一勝で、この国に平和が戻る。どれほどその考えが甘かったとしても、今の彼女にはそれに縋る以外には手がないのだ。

 ――例え、それが。ヴィクトリアが不在の間に自分を籠絡し、王国を支配下に置こうとするババルオの謀略だったとしても。

 もはやダイアン姫に、選択肢などないのである。

 彼女が自分の勝利しか信じない性格であったならば、今この瞬間くらいは幸せだっただろう。しかし、そこまで彼女は愚かでもない。
 薄々、勘付いているのだ。この戦いの先にある、非情の結末を。

(何が剣腕の披露……! こんな扱い、奴隷も同然ですわ……!)

 何もかも投げ出して、逃げ出したくなるような結末を。

 それでも、彼女は進まねばならない。
 国民のため。自分の身を守れるようにと、剣技を授けてくれたヴィクトリアのため。そして、最後の肉親である父のため。
 勝てない勝負だとしても、逃げられない理由があるのだから。

 ――だから、せめて。
 誰にも聞かれることのない、王宮の廊下の中で。縋るように、壁にもたれて。

「……ひ、ひぐっ……うっ……!」

 人知れず、涙を流すのだ。
 試合の場でだけは、泣かないように。

「誰か、誰でもいいから、助けてっ……!」

 あるはずのない助けを、求めて。
 
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