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銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
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第百七十三話 誰がための忠誠

帝国暦 487年 12月 3日  オーディン  新無憂宮  エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


「陛下」
「何かな、ヴァレンシュタイン」
「臣が思いますに……」

そこから先は続けられなかった。突然背中に焼ける様な痛みが走った。体が弓なりに反り返り、そして横に倒れこんだ。皇帝と侯の悲鳴が聞こえる。そして今度は脇腹に同じ痛みが走った。耐え切れずに悲鳴が口から上がった。そして何かが俺に覆いかぶさってきた……。

「動くでない! ングッ」
「陛下! おのれ、この痴れ者が!」
皇帝とリヒテンラーデ侯が口々に悲鳴のような声を上げるのが聞こえた。背中と脇腹の痛みが止まらない。頬に着いた土の感触がひんやりとして気持良かった。

「陛下ご無事ですか」
「予は大丈夫だ。それより早く医師を呼べ、ヴァレンシュタイン、大丈夫か」
「い、生きております」

ようやく上半身を起す事が出来た。どうやらリヒテンラーデ侯に後ろから抱えられているらしい。撃たれた左脇腹を右手で押さえる。結構出血しているようだ。傷口から血が溢れる、手が血まみれになるのが分かった。

俺に覆いかぶさっていたのは皇帝フリードリヒ四世だった。目の前で心配そうに俺を見ている。どうやらこの男の傷は大した事は無いようだ。

俺は撃たれ、倒れた。そして皇帝が倒れている俺を庇った。何を考えていやがる、この馬鹿やろう! 俺が死んでも帝国は大丈夫なんだ、そういうふうにしたんだ。お前が死んだら滅茶苦茶だろうが! このボンクラが!

エリザベートもサビーネも攫われた今、お前に死なれたら後を継ぐのはエルウィン・ヨーゼフになる。それがどういうことか分かっているのか? あの馬鹿担いで新帝国なんてできるとおもってんのか? 少し考えろ、この間抜け!

リヒテンラーデ侯が俺の耳元で大声で人を呼んでいる。
「誰かある、曲者じゃ、陛下と司令長官が負傷した。医師を呼べ」
「遅い! 今まで何をしていた! 何を警備していた!」
頼む、少し静かにしてくれ。傷よりも耳が痛い。

少し離れている所に男が倒れていた。軍人じゃない、宮中に務める職員だろう。十人ほどの憲兵が周囲を警備する傍ら倒れている男を調べている。まだ生きているようだ。
「閣下、医師を連れてきました」

憲兵に付き添われて医師が近づいてきた。この男、こいつもか……。
「御怪我を拝見します」
「そ、その必要は有りません」

「ヴァレンシュタイン、何を言っている」
フリードリヒ四世が俺を咎めた。だが俺はまだ死にたくない、ブラスターを抜いて構えた。

「な、何を」
「随分早いですね、それに嬉しそうだ。念には念を、ですか」
俺の言葉に医師が顔色を変えた。

「この男はどこにいた?」
「バ、バラ園の近くに」
「この男を捕らえよ!」

リヒテンラーデ侯の命令で逃げようとした男を憲兵が捕らえた。全く誰が仕組んだか知らないが、余程俺を殺したいらしい。もう少し後なら俺を殺せただろう、意識が朦朧として判断できなかったはずだ。

「へ、陛下、何故臣を庇ったのです? 何故逃げぬのです?」
口から血が出た、肺でもやられたか? それとも気管支か……。
「喋るでない、ヴァレンシュタイン」
「喋ってはならん」
フリードリヒ四世が、リヒテンラーデ侯が俺を止めようとする。でもな、痛くって喋ってないと悲鳴が出そうなんだ。

「陛下、お教えください」
「……予は皇帝じゃ、そちを見殺しにして逃げるべきだったやもしれぬ。それこそが皇帝として正しい姿であったろう」
「……」
呟くような口調だった。

「じゃが、予は凡庸な皇帝なのでな、皇帝としての正しい道など歩めぬ。ならばせめて人としては正しい道を歩んで見ようと思ったのじゃ」
「……」
俺もリヒテンラーデ侯も黙って聞いている。背中の痛みが酷くなってきた。

「イゼルローン失陥以来、予とそちは共に戦ってきた。戦友なのじゃ、ならば助け合うのは当然の事であろう」
この馬鹿、何を言っている。自分の言っている事が分かっているのか?

「良いものぞ、友を助けるとは。いつも助けられるばかりで助けた事など無かったが、これほどまでに心地良いものとは思わなんだ」
クソッタレが、これで死ねなくなったじゃないか。分かってんのか、ジジイ。俺が死んだら、その気持が無駄になってしまう……。畜生、痛くて涙が出てきた……。

「陛下は凡君などではありませぬ」
むせった。口から血が出るのが分かる。
「喋るでない!」

駄目だ、これだけは言わなければならない、畜生、目の前が霞む。俺は、俺が死んでもこの男の支えになる言葉を言わなければならない。世話の焼けるジジイだ。俺は何を言えばいい……。

「き、君が臣を護るから、し、臣は君を護るのです。へ、陛下こそ真の主君、臣は良き主君に巡り合えました。陛下に仕えし事、こ、後悔はしませぬ……」
「そうか、予は凡君ではないか。そうか……」

フリードリヒ四世が笑うのが聞こえた。泣き出しそうな声で笑っていた。顔は見えなかった……。



帝国暦 487年 12月 3日  ガイエスブルク要塞   オットー・フォン・ブラウンシュバイク


「それで、何の用だ」
「何の用とは、我等はお二方の御令嬢を取り返してきたのです。一言有ってもおかしくは有りますまい」

わしとリッテンハイム侯の目の前にランズベルク伯爵、ラートブルフ男爵、ヘルダー子爵、ホージンガー男爵がいる。この男達が我等の娘達を誘拐した。何を勘違いしたか、自分達は人質を取り返した英雄、反乱に参加する人間が増えているのも自分達が二人を取り返してきたからだと思っているらしい。

娘達はもうフェルナーが取り返した。こいつらに気を使う必要は何処にも無い。思いっきり吐き捨てた。
「一言か、ならば言ってやる、余計な事をしてくれたな」
「な、なんと」
馬鹿どもの唖然とした表情がいっそ心地よかった。

「卿らが娘達を攫ったせいでフェルナー達は、止むを得ず行動に出ざるを得なかった。おかげでヴァレンシュタインの暗殺は失敗した。本来ならもっと確実な方法であの男を殺せたのにな」
「……」

「おかげで我等は諸侯を騙す事になってしまった。全く余計な事をしてくれたものだ」
わしに続けてリッテンハイム侯が不機嫌な表情で吐き捨てた。小僧どもの表情が蒼白になっている。自分達の所為で暗殺が失敗したと言われたのが応えたらしい。笑止な事だ。

「で、ですが御息女が人質では……」
「愚かな、娘は陛下の孫なのだぞ。我等が反逆を起したからといって簡単に殺せるとでも言うのか、浅慮にも程があるな。第一我等の妻が処刑されたか?」

「……」
「他に欲しい言葉があるか。無ければこれから軍議なのだ、出て行ってくれ」

連中が出て行くとリッテンハイム侯が呆れたような声を出した。
「娘を誘拐し、我等を脅し、その上で褒めて欲しいとは、よくもまあ己に都合よく考えられたものだ」

「全くだな、卿の言う通り昨日のうちに総司令官をグライフスに決めておいて正解だな」
「うむ」

溜息が出た。気がつけば男二人、ともに溜息をついている。
「そろそろ軍議に行くとするか」
「うむ、そうするか」



軍議と言っても大した物ではない。大勢の貴族の前でグライフスが軍の基本方針を述べるだけだ。元々政府軍の動きは大体分かっている。本隊と別働隊に分かれて反乱を鎮圧すると言うものだ。

当然グライフスもそれを前提に作戦を立てている。事前に作戦案を聞いているが大体のところは問題無いだろう。後はシュターデンあたりが何か言ってくるかもしれんが、どうするかはそのとき次第だ。

大広間には大勢の貴族、軍人達が集まっていた。此処は声が良く通るが、一番後ろには声が届くまい。もっとも前方を占めている主だった者が納得すれば他のものは追随するだけだ。グライフスは緊張しているのだろう。少し顔を紅潮させている。

「先ず、敵の現状だが敵は三手に分かれている。一隊はシュムーデ提督率いる四個艦隊。現在アルテナ星系を過ぎヨーツンハイムへ向かっている。おそらくはフェザーン、オーディン間の航路の確保が目的だと思われる」
「……」
少し声が上ずっている。大丈夫だろうか?

「次の一隊はローエングラム伯率いる六個艦隊、カストロプ方面に向かっている事から、おそらくはマールバッハ、アルテナ、ヨーツンハイムを通って辺境方面を攻略する部隊と思われる」
「……」

「最後の一隊はメルカッツ上級大将が率いる本隊。フレイア、リヒテンラーデ方面よりシャンタウ星域を通ってこちらに向かってくるものと思われる。なお、ヴァレンシュタイン元帥はオーディンに留まっている」

「……」
「此処までで、何か質問は?」
最初は緊張していたグライフスも大分落ち着いたようだ。声も結構後ろまで届いている。

「ローエングラム伯がマールバッハ、アルテナからガイエスブルクを狙う可能性は?」
「クライスト大将、その可能性は有るが六個艦隊ではいささか少なすぎる。但し、シュムーデ提督たちと合流すれば話は別だ。そこは注意しなければなるまい」
「なるほど」

「他に質問は」
「……」
「無ければ、これより我が軍の基本方針を申し上げる」
グライフスが声を一団と張り上げた。

「敵を引き寄せて撃滅する事を基本方針とする。実戦機能はガイエスブルクに集中させ、要塞と連携を取りつつ敵を撃破するのだ。それがどれ程有効かはイゼルローン要塞を思えば明らかである」

グライフスの言葉に彼方此方で賛同の声が上がった。何処かで馬鹿が“ランズベルク伯アルフレッド 、感嘆の極み”などと言っている。

「いや、さらに有効な戦法がありますぞ」
声を上げたのはシュターデンだった。この男、グライフスとは上手く行っていないようだ。グライフスはシュターデンを理屈倒れと評し、シュターデンはグライフスを無能と軽蔑している。

「申されよ、シュターデン大将」
グライフスが憮然とした表情で発言を認めた。
「グライフス総司令のお考えに一部修正を加えたものです」

シュターデンが得意げに話し出した。チラッと横目でグライフスを見ている。
「つまり大規模な別働隊を組織し、敵の本隊をガイエスブルクに引きつけておく一方で逆進して手薄なオーディンを攻略するのです」

オーディンを攻略する。その言葉に大広間がどよめいた。シュターデンが一層得意げな表情をしたが、グライフスがあっさりと却下した。

「その案は採用できぬ」
「何故です。総司令官、我等は一挙に帝都を攻略し、皇帝陛下を擁し奉れるのです」
シュターデンが納得いかぬように食い下がった。貴族達も不審げな表情をしている。

「不可能だからだ。敵がこちらへ押し寄せて来る以上、大規模な別働隊など何処かで察知される。となれば別働隊の規模は小さくせざるを得ぬ。だがオーディンにはヴァレンシュタインが居る事を忘れるな」

「……」
「手間取れば敵の増援が現れ前後から挟み撃ちにされる。別働隊など兵力の分散に他ならぬ。用兵の常道にあらず、却下する」
不機嫌そうな表情と共にグライフスはシュターデンの意見を却下した。

「グライフス総司令官の策に従うべきであろう。ガイエスブルクで敵を待ち受けることとしよう」
わしが声を上げると、リッテンハイム侯が真っ先に賛意を表した。後は簡単だった、皆我先にと賛成した……。


帝国暦 487年 12月 3日  ローエングラム艦隊旗艦 ブリュンヒルト  ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフ


先程ジークフリード・キルヒアイス准将からブリュンヒルトに極秘の通信が入ってきた。それによればヴァレンシュタイン司令長官が新無憂宮のバラ園で刺客に襲われたのだという。

重傷、生死定かならず、その報告にブリュンヒルトは緊張に包まれた。皆重苦しい沈黙を保っている。そんな中オーベルシュタイン准将だけが意見を述べ始めた。

「閣下、艦隊は進軍を止め一旦様子を見るべきです」
「オーベルシュタイン……」
「ヴァレンシュタイン司令長官は生死不明の重態です。場合によってはオーディンで混乱が生じるかもしれません。様子が分かるまで出来るだけオーディンの近くに居るべきだと思います」

ローエングラム伯は迷っている。微かに俯き考え込んでいる。おそらく先日の暗殺騒ぎの事が頭にあるに違いない。あの時の自分の行動が軍上層部に否定的に見られた事がローエングラム伯を躊躇させている。

迷う事は無いのだ。軍務尚書エーレンベルク元帥に連絡を取りヴァレンシュタイン元帥の安否の確認、作戦の続行、変更の有無の確認、今後の宇宙艦隊の統括を誰がするのかを確認すれば良い。

もしかすると宇宙艦隊の統括をメルカッツ副司令長官に取られるとでも思っているのかもしれない。だったら統括そのものはエーレンベルク元帥に預けてもいいのだ。むしろその方が変な誤解を受けずに済む。

それにしてもオーベルシュタイン准将、彼は明らかにおかしい。一見筋道を立てているように見えながら、どう見てもローエングラム伯を危険な方向に押しやろうとしているように見える。今此処で立ち止まるなど敵味方双方から不審を買うだろう。

「閣下、オーディンで混乱が生じれば場合によってはグリューネワルト伯爵夫人にも危害が及びかねません。それでよろしいのですか?」
「姉上か、そうだな、やはり此処で立ち止まるべきか……」

唖然とする思いだった。信じられない! 一体何を考えているのか。伯爵夫人が心配だから様子を見るなど誰が信じるだろう。自分の立場がまるで分かっていない。先日の失態をどう思っているのか……。皆がローエングラム伯は混乱に乗じて兵権を握ろうとしたと考えているのに……。

溜息が出る思いだった。これでは誰も付いてこない。余りにも不安定すぎる、誰も自分の未来を預けられないだろう。提督達がヴァレンシュタイン司令長官を頼り、メルカッツ副司令長官を信頼するのは当たり前だ。

「閣下、それはお止めください。余りにも危険すぎます」
我慢できずに声を出していた。ローエングラム伯が失脚するのは構わない。しかし巻き込まれるのは御免だ。それにヴァレンシュタイン司令長官に何の役にも立たなかった等とは思われたくない。

オーベルシュタイン准将が私を冷たい視線で見据える中、ローエングラム伯を説得するべく私は彼に向かって一歩踏み出した……。

 
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