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おぢばにおかえり

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第三十五話 詰所での再会その七

「ちゃんとしないといけないの」
「つまりどっちもですね」
「そう、わかった?」
「はい、まあ」
「それならいいけれど」
「じゃあ帰ったらまずお掃除します」
 阿波野君も納得してくれました、そういえばこの子は素直な子です。私が言ったことはそのまま聞いて実行に移してくれます。
「そうしますね」
「そうしてね」
「はい、わかりました」
「そういうことでね」
「そうします、じゃあ今から」
「カレー食べましょう」
「二人で」
 阿波野君も私の言葉に応えてくれました、そして地下一階の詰所の食堂に降りますと丁度修養科の人達もお食事中でした。
 その修養科の人達を見てです、阿波野君は私に言ってきました。
「僕もやがてはですね」
「ええ、高校を卒業してね」
「十八になったらですか」
「修養科に行けるから」
 年齢的にです。
「行ってみる?」
「そうですね、大学に入って」
「まあ卒業して就職した行く機会ないかしらね」
 三ヶ月あるからです、修養科の期間は。その間天理教のことを勉強させてもらってひのきしんもさせてもらいます。
「けれど機会があったら」
「その時はですね」
「阿波野君も行ってみたらいいわ」
「そうさせてもらいます、あと」
 阿波野君は今度は食堂の中を見回して私に言ってきました。
「ここ前から思ってましたけれど」
「どうしたの?」
「いえ、広くて席も多いですね」
「人が一杯来る時もあるでしょ」
「ああ、おぢばがえりの時ですね」
「そう、他にも毎月二十六日のね」
「ええと、その日は確か」
 阿波野君は毎月の二十六日についてこう答えました。
「月次祭ですね」
「そう、その日でね」
「確か十月と一月は」
「十月は立教の日よ」
 天理教がはじまった日です、天保九年のことです。
「そして一月はね」
「教祖のですね」
「そう中山みき様がうつしみを隠された日よ」
 教祖を天理教では『おやさま」とお呼びしています、あらゆる人間の親という意味とのことです。
「お亡くなりになられたのではなく」
「お身体を出られた」
「そして魂のままでこの世におられるのよ」
 これが天理教の教祖存命の理です、おやさまは今もこの世におられるのです。
「そうなられた日なのよ」
「そうでしたね」
「そして四月十八日はね」
「おやさまの誕生日ですね」
 阿波野君の方から言ってきました。
「その日ですね」
「その日のことは知ってるのね」
「この前あったじゃないですか」
 入学早々にというのです、二人でカレーライスのお皿を出してそこに御飯やルー、それに薬味も入れながらこうしたお話もしていきます。 
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