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銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
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第百五十五話 ヴァレンシュタイン艦隊の憂鬱

帝国暦 487年11月 1日   オーディン 宇宙艦隊司令部 ジークフリード・キルヒアイス



「昨日は、予定通り副司令長官と戦術シミュレーションを行ないました」
「そうですか」
ワルトハイム少将が朝のミーティングで司令長官に報告を行なった。何処となく司令長官の顔色を窺うような態度だ。

もっともそれは彼だけではない。会議卓の椅子に座った他のメンバー達、副司令官クルーゼンシュテルン少将、分艦隊司令官クナップシュタイン少将、グリルパルツァー少将、トゥルナイゼン少将、副参謀長シューマッハ准将も同様だ。その所為だろう、部屋の空気は必ずしも明るくは無い。

宇宙艦隊の正規艦隊には宇宙艦隊司令部に専用の部屋が用意されている。常日頃、各艦隊の司令部要員は其処で事務処理、打ち合わせ等を行なっている。司令長官の艦隊も例外ではない。

司令長官室の直ぐ傍に部屋が用意され参謀長を始めとして艦隊司令部を構成する幹部達が常駐している。つまり、今私達がいる部屋だ。

ヴァレンシュタイン司令長官は司令長官室で仕事をしているか、新無憂宮に呼ばれている事が多いのでこちらで仕事をする事は殆ど無い。艦隊の運営維持に関してはワルトハイム参謀長に一任している。

司令長官がこの部屋に来るのは基本的に朝のミーティングの時だけだ。前日の報告、当日、今後の予定を確認する。またそれ以外にも問題点等の有無の確認を行なっているそうだが私が来てからは殆どそんな物が上がった事はない。ワルトハイム参謀長は艦隊の運営維持に関しては極めて有能な人物だ。

今、ワルトハイム参謀長が言っている戦術シミュレーションだが、これは幼年学校や士官学校で行なっている物とは少し違う。お互いに用いる戦力は自分の艦隊を想定して行なわれているのものだ。

例えば司令長官の艦隊の場合は、本人が率いる本隊、副司令官クルーゼンシュテルン少将の部隊、分艦隊司令官クナップシュタイン少将、グリルパルツァー少将、トゥルナイゼン少将が率いる部隊から成り立っている。

つまり五つの部隊に対して命令を出しながら相手と戦うわけだ。自分の艦隊をどう使って相手に勝つか、それを目的としている。より実戦を想定した演習といっていいだろう。

シミュレーションでコンピューターに指示を入れるのは指揮官だが、司令部の人間達はその周りでアドバイスをする事でシミュレーションに参加する。そういう意味でも実戦に即した形をとっていると言える。

この戦術シミュレーションは宇宙艦隊の中では恒常的に行なわれている。もっとも司令長官はこの戦術シミュレーションに参加した事は無い。全てワルトハイム参謀長を中心とした司令部幕僚が行なっている。指揮官もワルトハイム参謀長が務めている。

「残念では有りますが、我々は敗れました。申し訳有りません」
「副司令長官が相手なのです。負けても恥ではありませんよ」
穏やかな表情だ。本気でそう思っているのだろうか? だとすると知らないのだろう、昨日のシミュレーションは酷かった。全く良い所が無く負けたのだ。

「ですが、シミュレーションの勝率は……」
ワルトハイム参謀長が語尾を濁した。戦術シミュレーションでの勝率も決して良くない、三十パーセント程度だ。他の艦隊が五十パーセント前後、ラインハルト様にいたっては未だ負けがない。

その事を考えればヴァレンシュタイン艦隊の勝率は極端に低いといって良い。司令部の人間達が何処かおどおどしているのもそれを気にしての事だ。

「どの程度でしたか?」
「……三十パーセントです」
ワルトハイム参謀長が顔を伏せ気味にして答えた。周りも似たような態度だ。叱責が飛ぶのを覚悟しているのだろう。

「三十パーセントですか。悪い数字ではないと思いますが」
「……」
司令長官の言葉は思いがけないものだった。予想外の展開に皆顔を見合わせ、何処となく困惑した表情を見せている。

「宇宙艦隊の各司令官は帝国でも一線級の指揮官達です。彼らを相手に勝率三十パーセントは決して低い数字ではありません。卑下する必要はないでしょう」
「はあ」

司令長官の言葉にワルトハイム参謀長は困ったような声を出した。どう答えていいか分からないのかもしれない。確かに数字そのものは低いが今の宇宙艦隊の司令官達を相手に勝率三十パーセントというのは悪い数字だとは言えないかもしれない。司令長官の言葉には一理有る。

「シミュレーションなのです。勝敗に拘る必要は有りません。それよりも部隊の展開、連携等を各自良く確認してください。シミュレーションで想定し、訓練で習得する。そして実戦で戸惑うことなく実行できるように。いいですね」
「はっ」

全員が頷く。何処となく部屋の空気が明るくなったようだ。皆叱られずに済んだのでほっとしたのだろう。以前から思っていたのだが司令長官は本人が戦略家、政略家であるだけに余り戦術には重きを置かないようだ。

「今日はミュラー提督が相手でしたね」
「はい」
「頑張ってください。相手はしぶといですよ、根負けしないように」

司令長官の言葉にようやく笑いが起きた。そんなときだった、トゥルナイゼン少将が司令長官に話しかけた。
「閣下、如何でしょう、今日のシミュレーションは閣下が指揮を取られては」

面白いと思った。司令長官が戦術家として無能だとは思わない。しかしミュラー提督も極めて有能な戦術家だ。司令長官の力量の一端を知ることが出来るかもしれない。そう思ったが司令長官はあっさりと断った。戦術シミュレーションは余り好きではない、そう言って。


帝国暦 487年11月 1日   オーディン 宇宙艦隊司令部 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


十一月になった。原作ではフリードリヒ四世は十月に死んでいた。こちらでは死んでいない。世の中の流れだけではなく人の人生も変わっているようだ。

明日か明後日にはブラウンシュバイク公が領地に着くだろう。リッテンハイム侯も後十日と経たずに領地に着くはずだ。二人がオーディンから去った事で多くの貴族がそれに続いた。領地に戻り兵を挙げる準備をするのだろう。

オーディンに残っている連中も自分で行なわないだけで兵を挙げる準備は着々としているようだ。シュタインホフが言っていたから間違いない。

ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯が暴発から逃げられるかどうかはこの十一月で決まる。貴族達が反乱の準備を終える前に、彼らがブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯の動きに不審を抱く前に領地替えの準備が出来るか否かだ

なかなか厳しい状況だろう。貴族達にとって借金の返済がじりじりと迫っている。彼らはかなり焦っているはずだ、ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯の準備が遅れるようだと兵を率いて押しかけてくるだろう。そうなってからでは遅い。そうなる前に逃げられるかどうか……。

二人が暴発に巻き込まれた場合は、反乱軍が集結した段階でエリザベート、サビーネの皇族への復帰を宣言する。そうすれば貴族達はブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯を疑うだろう。何処かでこちらと通じているのではないかと。負けが込めばあっという間に崩れるはずだ。嫌な手だが有効だ、躊躇わずにやるしかない。そのほうが内乱は早く終決する。

負けるとは思わない、問題は勝ち方だろう。今回の内戦は原作のような権力闘争じゃない、帝国の行く末を決める階級闘争だ。間違っても平民達の信頼を失うような事を、ヴェスターラントの虐殺のような事件を起してはいけない。

問題はラインハルトとオーベルシュタインだ。長期に亘って独立行動を取る事になるが、ヒルダが良い意味での安全弁になってくれるのを期待するしかない。

上手く行ってくれればいいのだが、ヒルダがラインハルトに対してどれだけ影響力を持つことが出来るかが鍵に成るだろう。ラインハルトがヒルダの事を俺が差し向けたスパイだなどと勘繰るとどうにもならなくなる。

フェザーン方面は俺とリヒテンラーデ侯、レムシャイド伯で対応する。大切なのは帝国とフェザーンの交易を維持すること、ルビンスキーを孤立させる事だ。それが出来るなら同盟のフェザーン進駐も認めても良い。

上手く行けばルビンスキーを失脚させることが出来るだろう。それも同盟の手で失脚させる事が出来る。その場合地球教がどう出るかだな。フェザーン、ルビンスキーを切り捨てる事が出来るか、それとも固執するか。報復するなら何処に、誰に対して報復するか。

地球教が動けば、その時点でこちらも地球教を危険だと周囲に説得できる。ようやく奴らに対しても手が打てるだろう。今のままでは何の動きも無い地球教を危険視するのは余りにも不自然すぎる。

フェザーン方面が落ち着くまでには最低でも二ヶ月か三ヶ月はかかるだろう。その間は本隊の指揮はメルカッツ提督にお願いすることになる。十個艦隊近い兵力を運用する事になるか……。

階級で上位にある事だけでは不足だな。役職でもメルカッツ提督を皆の上位に置く事が必要だ。宇宙艦隊副司令長官か……。メルカッツ提督を副司令長官にするのは問題ないが、どのタイミングでそれを発表するかだな。

ぎりぎりまで待ったほうがいいだろう。副司令長官にするとなれば理由を話さなければならないがフェザーンの件は出来るだけ伏せておきたい。今の段階でフェザーンに知られてはやり辛くなる。


それに周囲が変な誤解をしかねない。俺がラインハルトを切り捨てる覚悟を決めたと勘違いする人間も出るだろう。辺境星域鎮定で失敗すれば切り捨てるが、何が何でも切り捨てると決めたわけではない。ラインハルトも不安に思うだろうし、不安を煽る人間も出るはずだ。

厄介な話だ、敵とどう戦うかよりも味方をどう扱うかの方が神経を使う。まったくうんざりする。ミュッケンベルガー元帥も同じような思いをしてきたんだろうか、一度訊いてみるか……。

会いに行けばユスティーナにも会うことになるな。どんな顔で会えば良いだろう。彼女は先日の俺をどう思ったか……。情のない男、冷血漢とでも思ったかもしれないな。

彼女が俺に好意を持ってくれているのはなんとなく分かる。しかし俺はどうすればいいのか良く分からない。俺としては彼女は嫌いなタイプじゃない、むしろ好みのタイプだ。ヒルダやヴェストパーレ男爵夫人のような才気に溢れた女性よりユスティーナの方がずっと良い。

だが彼女は貴族で俺は平民だ。彼女は、ミュッケンベルガー元帥はそれをどう考えているのだろう。これからは平民の時代が来る、そうは思っても俺を受け入れられるのだろうか? 実力を認めるのと受け入れるのは別だろう。

俺の祖父と祖母を見れば分かる。祖父は祖母との結婚を望んだが、祖母はそれを拒んだ。貴族が平民を蔑む以上に平民が貴族を忌諱することもある。それほどこの世界では貴族と平民の壁は大きい。

祖父と祖母の話に限らない。ケスラーも同じような想いをしている。彼の幼馴染のフィーアは貴族だろう。それも爵位を持たない帝国騎士だと思う。幼馴染として育って互いに好意を抱いていた。結婚できるとも考えていたかもしれない。

しかしケスラーはそれが不可能だと気付いた。多分、士官学校に行くようになって貴族と平民の身分の壁に気付いただろう、あるいは気付かされたのか。だから、少尉任官後フィーアの前から去った。そしてフィーアはクラインゲルト子爵家に嫁いだ。

キルヒアイスも同様だろう。アンネローゼの事を想ってもその想いが適う事は無い。だからこそあそこまで純粋に一途になれるのかもしれない。切ない話だ、哀れですらある。ラインハルトがキルヒアイスとアンネローゼの事に気付かなかったのも未熟というよりは無意識に身分に囚われたからだろう。

アンネローゼが自分のことを罪深い女だと言っているが、もしかすると彼女自身キルヒアイスの気持ちを重荷に感じていたのかもしれない。少なくとも自分がキルヒアイスの人生を変えてしまったことには責任を感じていた。

貴族と平民か、これから先どうなるのか……。内乱が起きれば門閥貴族は壊滅し平民や下級貴族が力を振るう時代が来る。帝国の統治下においては貴族、平民の権利に差はなくなる方向で動いていく。法の下での平等が実現されるのだ。しかし、人の意識に壁が無くなるのは何時になるのだろう。


帝国暦 487年11月 1日   オーディン 宇宙艦隊司令部 ヴァレリー・リン・フィッツシモンズ


私の目の前で司令長官は決裁文書を見ている。より正確に言えば見ている振りをしている。もう三十分以上同じ文書を見続けているのだ。見ている振りをして他の事を考えているのに違いない。

大体表情が少し憂鬱そうに見える。書類を読んでいるのならもっと楽しそうにしているし、ぼんやりしているのなら気の抜けた表情をしている。今は内乱のことか、あるいは人事の事でも考えているのかもしれない。

考え事が終わったのは、それからさらに二十分程たってからだった。大きく溜息をつくと書類にサインをし既決の文書箱に入れる。それを待って話しかけた。

「閣下、少しよろしいですか」
司令長官は私を見ると軽く頷いた。先程までの憂鬱そうな表情は無い。穏やかで柔らかい表情を見せている。

「戦術シミュレーションの事ですが、このままでよろしいのですか?」
「……何か、有りますか?」
やはり気付いてはいないか。

「皆自信を無くしています。自分達の艦隊が宇宙艦隊で一番弱い艦隊だと」
「……」

「それに閣下は一度も戦術シミュレーションに参加しません。宇宙艦隊の中では司令長官は自信が無いから戦術シミュレーションをしないのだという風評が立っています。その事が余計に司令部の人間を落ち込ませています」
「……」

司令長官はうんざりしたような表情をしている。
「閣下の仰りたい事は分かっています。シミュレーションなのだから勝敗に拘る必要は無い、それよりも部隊の展開、連携等を確認しろ、そういう事でしょう。正しいと思います、皆も分かっているのです。それでも負けるという事が彼らを落ち込ませています」

司令長官はうんざりしたような表情を変えようとはしない。心底うんざりしているのだろう。しかし私に言わせれば、シミュレーションの結果に拘らない司令長官の方が不思議なのだ。

「中佐は私にシミュレーションに参加しろと言っているのですね」
「はい」
「私が出ても勝てるという保証はありませんよ」

司令長官が不機嫌そうに言ったが私は気にならない。司令長官の戦術家としての実力は良く分かっている。ヴァンフリートでは敵として戦い捕虜になった。イゼルローンでは同盟軍があっという間に壊滅するのを目の前で見たのだ。

司令長官がシミュレーションの結果に拘らないのは、自分の実力に自信が有るからかもしれない、あるいは兵站科を専攻した事が原因だろうか。

司令長官はしばらく私の顔を見ていたが、“後で検討会に参加します。それでいいですね”と言うと未決の文書を手に取り読み始めた。



帝国暦 487年11月 1日   オーディン 宇宙艦隊司令部 クラウス・ワルトハイム


ミュラー提督との戦術シミュレーションは完敗に終わった。昨日といい今日といい、全くいいところ無しだ。司令長官には勝敗に拘るなと言われた。それが正しい事も分かっている。しかしそれでも落ち込んでしまう自分が居る。

宇宙艦隊で最も弱い部隊。それが我々に付けられた渾名だ。皆半分以上冗談で言っているという事はわかっている。なんと言っても司令長官がシミュレーションに参加した事は無いのだ。

艦隊のメンバーは皆落ち込んだ表情をしている。唯一表情を変えていないのはキルヒアイス准将だけだ。所詮、ここではお客様のつもりなのだろう。本当の居場所は副司令長官のところというわけだ。

昨日の副司令長官とのシミュレーションでは、必死に表情を押さえようとしていた。負けた悔しさよりも副司令長官が勝った事への喜びを隠すためだろう。腹立たしいにも程がある。副司令長官も時折キルヒアイス准将に視線を送っていた。勝った、とでもいいたいのだろうか。いい加減にして欲しいものだ。

今日の戦術シミュレーションはクレメンツ提督が統裁官を務めた。見学者はワーレン提督とルッツ提督だ。二人は内乱が起きれば副司令長官の指揮の下、ミュラー提督と共に辺境へ赴く。ミュラー提督の戦術家の力量を確認しておこうというのだろう。

本隊からは誰も見学に来ない。つまり我々の戦術家の力量には関心が無い、そういうことだろう。情けない話だ。これから行なわれる検討会がなんとも気が重い。

検討会の行なわれる会議室に行くと中央にクレメンツ提督が座っていた。ミュラー艦隊の人間がクレメンツ提督の右手側に座り、我々が左手側に座る。ワーレン提督とルッツ提督は見学者用の席、ミュラー提督の後ろに用意された椅子に座っている。

全員が揃ったが、クレメンツ提督は検討会を始めようとしない。皆が訝しげな表情をクレメンツ提督に向けると、クレメンツ提督は軽く微笑んだ。

「もう少し待ってくれないか、検討会に参加したいという方がいるのでね」
参加したい方? 一体誰だ? クレメンツ提督の言葉に疑問を抱いた時、会議室に入ってきた人物が居た。

「申し訳有りません、少し遅れましたか」
「!」
俺達は皆席を立って敬礼をした。入ってきたのはヴァレンシュタイン司令長官だった。


 
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