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亡命編 銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
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第八十七話 余波(その3)



宇宙暦 795年 9月16日  ハイネセン  統合作戦本部  ジョアン・レベロ



「和平のチャンス、そういう事だな」
「しかしハードルは高い」
「うむ」
シトレが低い声で指摘するとトリューニヒトが顔を顰めた。スクリーンにはヴァレンシュタインは映っていない。通信は五分ほど前に終了した。

主として会話はトリューニヒトとヴァレンシュタインの間で行われた。あからさまには話せない、お互いの発言はオブラートに包んだようなものになったがそれでも話すだけの価値は有っただろう。もっとも聞いているこちらはもどかしい事この上なかったが……。

「ブラウンシュバイク公とリッテンハイム侯、あの二人が何を考えているかだな」
「シトレの言うとおりだ、それによって変わってくる」
皆考える事は同じか、トリューニヒトもホアンも神妙な顔で頷いている。

シトレが自分の考えを確かめるようにゆっくりと重々しい口調で話し始めた。
「帝国は今不安定な状況にある。平民達が不満を持ち改革を望んでいる。しかし貴族達はそれを押さえようとしているらしい。ブラウンシュバイク公もリッテンハイム侯も両者の間で動きが取れずにいるんじゃないかと私は思っている」

なるほど、平民達が爆発すれば暴動から革命……。貴族達が暴発すれば内乱、場合によっては帝国は分裂へと向かうかもしれない……。いや、それは革命でも同じ事か……。だとすればあの二人はかなり追い込まれている。

「問題は貴族だな、厄介な事に連中は軍事力を持っている」
「それだけじゃないぞ、レベロ。厄介なのは帝国の政治体制が平民を抑えつける事で成り立っている事だ。それを最も強く意識しているのが貴族だろう。連中にとって平民への妥協など受け入れられるものではない」
シトレの言葉に皆が顔を顰めた。ルドルフの馬鹿野郎と言いたい気分だろう。何だってそんな馬鹿げた政治体制を作ったのか……。

「改革か……、及び腰の改革という事も有り得るんじゃないか」
トリューニヒトが皆の顔を見回しながら話すとホアンが眉を寄せて答えた。納得していない時のホアンの癖だ。
「その場合貴族、平民の両者が納得するまい。中途半端な改革はむしろ両方から反発を招くことになる。一つ間違うと政府は統制力を失い帝国は内乱と革命に揺らぐことになるんじゃないかな」
ホアンの言う事はもっともだ。両者から不信をかえば帝国は統制力を失い一気に崩壊という事も有り得る。

「内乱と革命か……、単純には喜べんな。帝国領へ出兵しろと騒ぐ馬鹿共が出てくるだろう、賭けても良い。馬鹿共の顔が目に浮かぶよ。そうなれば戦火は拡大し同盟は今以上に疲弊する、一つ間違えば共倒れだな」
トリューニヒトが顔を顰めて吐き捨てた。全く同感だ、地球教は無くなっても帝国と同盟は共倒れになりかねない。馬鹿げている。

和平のチャンスではある、しかしシトレの言うとおりハードルは高い。少しの間皆がそのハードルの高さを自問するかのように沈黙した。ややあって話し始めたのはシトレだった。

「帝国にとっての懸案事項の一つは国防委員長も指摘したが、帝国が混乱した時同盟が攻勢を強めるのではないかという事だろう」
「イゼルローン要塞を中心とした攻防戦か……」
私の言葉にシトレが首を横に振った。

「レベロ、これまではそれで良かったかもしれん。しかし今日からは違う、フェザーン回廊が有る」
「なるほど、フェザーンか……」
思わず顔を顰めた。どうも悪い材料ばかり出てくる。

同盟軍は今フェザーン回廊を目指して航行している。場合によっては攻撃する事も有り得る。つまりフェザーン回廊の中立は失われたわけだ。同盟も帝国も今後はイゼルローン、フェザーン両回廊を考慮しなければならない……。

「それにヴァレンシュタインは以前フェザーン回廊を利用したイゼルローン要塞攻略作戦をグリーンヒル大将に話している。私も聞いたが作戦案としては秀逸だと思った。ただ当時は政治状況がフェザーンに兵を向ける事を許すかどうか分からなかった。それもあって実現はしなかったが……」

「今は実現可能と言うわけか」
「あの作戦案を聞いた人間は他にも居る。あれが上手くいけばイゼルローン、フェザーン、両回廊が同盟の手に入るんだ。作戦の実施をと叫ぶ人間が出るのは確実だろうな」
シトレの表情も渋い。皮肉な事だ、和平の可能性が見えてきた今になってイゼルローン要塞を攻略する可能性が出てきた。

「帝国としては国内の混乱に同盟が介入してくるのは避けたいはずだ。となれば……」
「どの程度の物かは別としてあの二人は改革を選ぶ可能性が有る、そういう事だな」
シトレの後をトリューニヒトが続けた。皆、顔を見合わせている。

「晴眼帝と亡命帝の事か……」
「その通りだ、ホアン。帝国にとっては同盟との休戦は何物にも代えがたいだろう。国内問題に専念できるんだからな。これからの交渉の中であの二人は必ずその辺りを確認してくるはずだ。改革の内容次第では休戦は可能だと答える事だ。和平を切り出すのはその後だろう」

トリューニヒトの言う通りだろう。表向きは地球教対策、裏では休戦の取り決め、改革の深度、そして和平を話し合う。
「ヴァレンシュタインの言う通りだ、政権を取る必要が有るな。帝国側は必ず最高評議会議長の言質を欲しがるはずだ。サンフォードでは無理だ、我々が政権を取らなければならん」
私の言葉に皆が頷いた。

スクリーンの呼び出し音が鳴って受信ランプが点滅した。ヴァレンシュタインか? シトレが受信ボタンを押下するとスクリーンにグリーンヒルが映った。厳しい表情をしている、顔色も良くない。シトレが我々を一度見てからスクリーンに視線を向けた。

「何事かね、グリーンヒル大将」
『先程、憲兵隊によって地球教団支部を捜索しようとしたところ、教団側は反発し火器によって攻撃してきたそうです。現在、地球教団支部にて憲兵隊と地球教徒との間で激しい戦闘が起きています』

「分かった。手を緩めることなく取り締まってほしい」
『はっ』
スクリーンが切れた。シトレが我々に視線を向ける。
「これで地球教の有罪が確定した。我々は帝国との協力体制を維持しなければならない」
その言葉に皆が頷いた……。



帝国暦 486年 9月16日    オーディン オフレッサー元帥府 ラインハルト・フォン・ミューゼル



オフレッサーは宮中から戻ると俺とリューネブルクを自室へ呼びつけた。部屋に入るとジロリとこちらを睨む。酷い悪人面だ、機嫌が悪いのが一目で分かる。機嫌が良い時はブルドックが餌を貰ったような表情になるのだ。つまり目尻が垂れる。俺は地球教徒じゃないぞ、多分リューネブルクも。だからそんな腹を減らしたブルドックのように喰い付きそうな目で見ないでくれ。

「今警察が地球教団支部に向かっている。理由は分かるな?」
「例の一件ですね。フェザーンの背後に地球教が有り帝国、反乱軍の共倒れを狙っている……」
俺の答えにオフレッサーが鼻を鳴らした。その通りだという事かな……。

「その通りだ。軍も警察を支援することになった。憲兵隊、装甲擲弾兵が教団支部に向かっている。まあそれは良い、卿らには別にやってもらう事が有る、地球教団本部の制圧だ」
間違っていなかったようだ。

「我々に地球へ赴けと」
「そうだ、ミューゼルが制宙権の確保、リューネブルクが地上制圧。両名で地球教を制圧しろ」
リューネブルクと顔を見合わせた。彼が微かに頷く。

「何時出立出来る?」
「小官は明後日には……」
俺の答えにリューネブルクも頷く。それを見てオフレッサーが“明後日だな”と呟いた。

「それでは準備にかかります」
「うむ、制圧後の調査のために情報部の人間も同行する。連れて行くのを忘れるな」
「はっ」

オフレッサーの部屋を出るとリューネブルクが溜息を吐いた。
「どうかしたか、リューネブルク少将」
「いや、久しぶりの任務だ、地上制圧、それ自体は不満ではないが相手がな……、地球教? どんな相手か想像がつかん、気が進まんよ。反乱軍を相手にしている方が気が楽だ」

「なるほど」
リューネブルクは白兵戦が主体だ。直接敵と向き合って戦うことになる。相手の素性がはっきりしないと言うのは不安なのだろう。そういう意味では艦隊指揮官というのは楽だろう。自分の指揮で誰を殺したのかなどと悩まずに済む。但し死傷者の数はこちらの方が上だ、何百倍、何千倍も。

「不安なのはもう一つ理由が有る。この件、ヴァレンシュタインが絡んでいる。嫌な予感がする、何か裏が有るんじゃないかと思うんだ。……卿はどう思う」
リューネブルクが俺に視線を向けた。瞳に不安の色が有る。怯えているのかもしれない、しかしそれを揶揄する気にはなれない。

リューネブルクは怯懦とは無縁な男だ。一戦士としても白兵戦指揮官としても十分な勇気と胆力を持っているし無謀でもない。装甲擲弾兵を指揮させれば帝国でも屈指の男だという事はヴァンフリート、イゼルローンで共に戦ったから分かっている。だがそんな男でもヴァレンシュタインを恐れている……。

今回の一件、イゼルローンでの通信を思い出した。ルビンスキーを追い込んでいくヴァレンシュタインの姿は見ていて寒気がした。俺もルビンスキー同様ヴァレンシュタインの前にただ震えていた。彼の言葉に打ちのめされないように立っているのが精一杯だった。今でも夢に見るときが有る、起きた時は冷たい汗をびっしょりとかいている……。

「正直不安は有る。しかしフェザーンと地球教が繋がっているのは事実だろう。そして帝国と反乱軍の共倒れを狙った事も……。となれば地球教そのものは潰さなければならない。そのためには帝国、反乱軍の協力が必要だ」
リューネブルクが俺の言葉を反芻するかのように頷いている。

「では裏は無いと?」
「いや、相手が相手だ、油断は出来ない。ただ現状ではヴァレンシュタインの敷いたレールに乗らざるを得ないのも事実だ」
俺の言葉にリューネブルクが溜息を吐いた。俺も溜息を吐く、非常に不本意だ。また奴に主導権を取られている。

「問題が有るとすれば地球教を潰した後、反乱軍と協力した後か」
「おそらく……、フェザーンを利用して何らかの罠をしかけてくるだろうな」
リューネブルクがまた溜息を吐いた。

「厄介な相手だ。……ミューゼル、笑うなよ。俺は奴が怖い、どうしようもなくな」
「私もだ」
顔を見合わせて互いに小さく笑った。大丈夫だ、まだ笑える。

リューネブルクが笑いを収めた。
「気になるのは奴がどうやって地球教の事を知ったのかだ。それに例のルビンスキーの通信の内容……。卿はどう思う」
「……」

どう答えるかと悩んでいると俺の自室の前に来た。寄って行くかとリューネブルクに聞くと自室に戻ると答えが返ってきた。
「では後で合同の打ち合わせをしよう」
「一時間後に会議室で」
「良いだろう、では」
「では」

結局それまでだった。質問に答えられなかったがリューネブルクも答えは求めていなかったのかもしれない。自分の部屋に戻りケスラー、クレメンツを呼ぶ。三分と待たずに二人がやってきた。おそらくは俺が呼び出された事を知り、部屋で待機していたのだろう。途中でリューネブルクと会ったかもしれない。

「地球制圧を命じられた。出撃は明後日、地上制圧部隊としてリューネブルク少将の装甲擲弾兵第二十一師団が同行する」
俺の言葉に二人が頷く。ケスラーが口を開いた。
「先程、カッセル街にある地球教団支部で地球教徒と警察が銃撃戦になったそうです。憲兵隊に知り合いが居るのですが彼が教えてくれました」
「そうか……」

始まった、と思った。何が始まったのだろう、地球教の鎮圧か? よく分からないが何かが始まったと思った。
「一時間後に会議室で第二十一師団と合同作戦会議を行う。準備を頼む」
「はっ」



帝国暦 486年 9月16日    オーディン オフレッサー元帥府 ウルリッヒ・ケスラー



ミューゼル提督の私室を出るとクレメンツが話しかけてきた。
「地球制圧ですか……。あの星には軍事力は殆ど無いはずです。制宙権の確保は難しくは無いと思いますが……」
「私もそう思う。油断はできないがどちらかと言えば問題は地上制圧だろう。あの星の大地はシリウス戦役以来汚染されたままだと聞いている……」

クレメンツが溜息を吐いた。
「情報が有りませんな。地球教団の自治に任せたため地球については殆ど何も分からない」
「止むを得んさ。何の価値もない星だ、少なくともこれまではそう思われてきた……」

太陽系第三惑星地球。銀河連邦、銀河帝国時代を通じて自治権が認められた。人類の母星として尊重されたのではない。シリウス戦役後の地球は壊滅的打撃を被り人口は大激減、既に資源は枯渇し産業も存在しない無価値な惑星でしかなかった。

銀河連邦、銀河帝国、そのどちらの統治者達も無価値となったかつての人類の母星を自治を認めるという形で放置した。下手に関わり合えば「人類の母星」という言葉を振りかざし何かにつけて特別扱いを求めるだろう。自治は地球に対する丁重な絶縁状だったと言っても過言ではない。地球は九百年間無視され続けてきた。

「それでもヴァレンシュタインと戦うよりはましですかな」
「それを言うな、副参謀長」
「そうでした、申し訳ありません」
クレメンツがバツの悪そうな表情をしている。溜息が出そうになるのを懸命に堪えた。

ヴァレンシュタインが我々のシミュレーションデータをダウンロードしていた。あの第七次イゼルローン要塞攻防戦で彼が言った言葉、我々を皆殺しにするつもりだったという言葉は嘘ではなかった。少なくとも否定は出来なくなった。

あのゼーアドラー(海鷲)での衝撃以来、誰が音頭を取ったわけではないが自然とヴァレンシュタインの事を調べ始めていた。幸い資料はミューゼル提督が持っていた、我々が資料を見たいと言うと提督は一瞬考えるそぶりを見せたが“口外するな”と言って閲覧を許可してくれた。

八百三十六戦して五百三勝、三百三十三敗。ヴァレンシュタインのシミュレーションの成績だ。平凡と言って良い、良く言って中の上、そんなところだろう。皆が彼のシミュレーションの成績を知って首を傾げた……。

しかしシミュレーションの内容を調べるにつれて皆の顔が強張った。三百敗以上の敗戦の殆どが圧倒的なまでに戦力差が有る中での撤退戦、防御戦だったのだ。

“俺はこんな馬鹿げたシミュレーションは見たことが無い”
“卿は奴を馬鹿だと思うのか”
ビッテンフェルトとロイエンタールの会話だ。おそらく皆の気持ちを代弁していただろう。それ以上は誰も何も喋らずに解散した。

あのシミュレーションは一体何のためなのか……。生き残るため、ごく普通に考えればそうなる。だが本当にそれだけか……。隣を歩くクレメンツを見た。憂鬱そうな表情をしている。

彼が言った言葉を思い出す。第七次イゼルローン要塞攻防戦の前の事だった。シュターデン少将がヴァレンシュタインを軽視するかのような発言をした時の事だ。
“あれは戦争の基本は戦略と補給だと言っていた。戦略的優位を確立し万全の補給体制を整えて戦う、つまり勝てるだけの準備をしてから戦う……”

確認したのか、それを……。自らシミュレーションで三百敗する事でそれを確認したのではないだろうか。理論をシミュレーションで確認し第七次イゼルローン要塞攻防戦で実践した。戦略的に圧倒的な優位を確立し帝国軍を殲滅した……。

「どうしました、参謀長?」
クレメンツが訝しげな表情で私を見ている。何時の間にか考え込んでいたらしい。
「いや、なんでもない。……地球の事を考えていた」

余計な事は考えるな、今は地球制圧の事だけを考えろ。地球までは約二週間、地上制圧に五日かかったとしても約一ヶ月後にはオーディンに戻れるだろう。そしてその時には銀河はまた新たな局面を迎えているに違いない……。




 
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