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銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
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第百四十一話 困惑

帝国暦 487年10月10日   オーディン 宇宙艦隊司令部  ニコラス・ボルテック



「弁務官には新帝国の閣僚として通商関係を取り扱って欲しいのですよ」
「!」
私を新帝国の閣僚に? 通商関係を任せる? 本気で言っているのか? 私は目の前で微笑むヴァレンシュタイン元帥の顔を呆然と見詰め続けた……。

「私に新帝国の閣僚……、通商関係ですか……」
思わず言葉が出てしまった。ヴァレンシュタイン元帥は頷きながら言葉を続ける。
「ええ、ボルテック弁務官なら適任だと思うのです」

落ち着け! ニコラス・ボルテック。こんな甘い言葉に乗せられてどうする。この程度の甘言はこれまでに何度もあった。フェザーンの自治領主補佐官を篭絡しようと考えた者は帝国、同盟政府、民間人、数え切れぬほど居る。だが成功したものはいない、甘く見ないで貰おうか。

「フェザーンを裏切れと仰るのですか?」
出来るだけ冷たい口調で話した。何処か冷笑さえ含まれていたかもしれない。しかし元帥は気にした様子もなく話を続けた。

「そのような事は言っていませんし、そんな必要も無い事です。私は貴方を裏切り者にしようなどとは考えていません」
「? しかし……」
どういうことだ? 裏切りを勧めているのではないのか?

「弁務官、私は今助けてくれと言っているのではないのです。いずれ帝国がフェザーンを占領した後、その時は私を助けて欲しいと言っています」
「……」
フェザーン占領後……。内乱を前にフェザーン占領後の話をするのか。

「私はフェザーン占領後は帝国の首都をフェザーンに遷すべきだと考えています」
「フェザーンに、ですか……」

フェザーンに首都を遷す……。そんな事が可能な訳が……、いや可能か……。内乱に勝利し門閥貴族が滅びた後なら遷都は可能だ。むしろオーディンから離れる事で旧勢力との決別を宣言するという狙いも有ると見ていいだろう……。

「ええ、今のフェザーンは十分にその地政学的な利点を生かしていません。帝国と同盟の間で利と陰謀に走るだけです。だから影響力も限定されたものでしかない。宝の持ち腐れです」
「……」

ヴァレンシュタイン元帥の言葉が耳に流れる。確かに今のフェザーンは二つの大国で揺れ動く存在でしかない。交易国家として利を求め、その利を守るために謀を為す。やむをえないこととは言え、その事が両国の不信を招いている。

「いずれ同盟も新帝国の一部になります。そうなればフェザーンは政治、軍事、経済、文化、その全てにおいて帝国、同盟を有機的に結合できる宇宙の心臓になれるんです」

「……」
ヴァレンシュタイン元帥の頬が幾分上気している。興奮しているのだろうか? この男は人類の未来を作るという夢を語っている。野心ではないだろう、夢だ。私利も私欲も無いのだ、夢としか言いようが無い。あるいは志だろうか……。

「どうです、ボルテック弁務官。新帝国の閣僚として新しい世界を作ってみませんか。フェザーンの自治領主などよりずっとやりがいのある仕事だと思いますよ。そしてあなたなら出来る仕事です」
「……」

困った男だ、この男は危険過ぎる。人を酔わせる夢を持っている。その夢のために何人もの男が命を賭けるだろう。危険な美しく眩しい夢。

フェザーンの自治領主と新帝国の閣僚……。権限、影響力、そして仕事に対する満足感、おそらくどれをとっても新帝国の閣僚の地位のほうが上だろう……。フェザーンの自治領主など、所詮は帝国と同盟の間で動く陰謀家に過ぎない、両国からも決して尊敬される事は無い……。

「元帥閣下、内乱が始まっていないうちから、私のスカウトですか、いささか気が早すぎるような気もしますが?」

出来るだけ冗談めかして言ってみた。情けない話だがそれくらいしか対抗する手が思い浮かばなかった。真面目に答えれば何処かで心の乱れを知られてしまうだろう。

ヴァレンシュタイン元帥は俺の冷やかしのような発言にも不快感を示さなかった。むしろ可笑しそうに笑いながら話しかけてきた。
「そうですね。確かに気が早いかもしれませんね」

妙な事になった。二人で可笑しそうに笑っている。笑うべき所ではないはずなのだが……、いや笑うしかないということだろうか。全く困った男だ。ヴァレンシュタインは笑いを収めると真面目な表情で切り出した。

「ですが、私は貴方に真剣に考えてもらいたいと思っているのですよ。私がこの帝国をどのような方向に進めていこうとしているのか、内乱を通して見て欲しいのです」
「……」

「私は助ける価値が有る人間なのか、無い人間なのか、私の目指す未来が人類社会にとって何を意味するのか、貴方の目で判断して欲しいのです」
「……私に判断しろと仰るのですか? 私は元帥閣下を暗殺するかもしれませんが?」

「弁務官だけではありませんよ、私を殺したがっているのは。もし私が殺されるようであれば、それは私に力が無かった、夢物語に過ぎなかった、そういうことなのでしょう」

ヴァレンシュタイン元帥は苦笑しながら話し続けた。困った男だ、何度目だろう、そう思うのは……。俺はフェザーンのルビンスキーより、目の前のこの男を機会があれば暗殺しろと言われている。その事は当然ヴァレンシュタイン元帥も分かっているだろう。

フェザーンは今不安定な状況にある。イゼルローン要塞陥落後から始まった帝国による揺さぶりの所為でこれまで磐石と思われたルビンスキーの基盤に亀裂が入ったのだ。

五年前、前自治領主ワレンコフの事故死の後、大方の予想を裏切って後継者争いを制したルビンスキーが第五代目の自治領主になった。対抗者を始め、その与党はこの五年の間に民間の企業に追い払われている。

その彼らが此処に来て蠢き始めている。今のところレムシャイド伯との繋がりは見えない。しかしこれから先は分からない。そしてその後ろには当然、今俺の目の前で微笑んでいる男の影があるだろう……。

門閥貴族を煽り、不平軍人を焚き付け、ヴァレンシュタインの命を奪う。ルビンスキーがこの男の死を願うのは当然過ぎるほど当然なのだ。そんな命令を受けた俺にこの男は助けを求めている。全く困った、俺はどういう表情をすればいいのだろう。



帝国暦 487年10月10日   オーディン 宇宙艦隊司令部 ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフ


私は二日前から宇宙艦隊司令部で軍務についている。内乱が起きたら元帥に味方する、約束ではそうだったが、どうせ味方するなら中途半端な事はしたくないと思ったのだ。

参加するだけではなく、一人の人間として評価してもらいたい、そう思い父を説得し元帥に頼んだ。元帥は軍務省に私のことを説明し、一応中佐待遇で軍務についている。

今の私はヴァレンシュタイン元帥の副官見習い、そんなところだ。フィッツシモンズ中佐に副官業務を教えられている。中佐は丁寧に教えてくれる。元は同盟の人だから貴族の私には思うところがあるとは思うがそういうそぶりは欠片も見せない。

応接室からヴァレンシュタイン元帥とボルテック弁務官が現れた。ボルテック弁務官が帰ろうとすると元帥が“先程の話を良く考えてください”と言った。弁務官は一瞬困ったような表情を見せたが直ぐにこやかな表情で帰っていった。

元帥は執務机に座ると直ぐ書類を手に取ったが、書類を読まずに何かを考えている。珍しい事だ。この二日間で分かったのだが元帥は書類を読むのが大好きだ。

フィッツシモンズ中佐によれば書類を愛しているとのことだが当たっていると思う。そのくらい楽しそうに書類の決裁をする。戦場の武人としてより後方の軍官僚のイメージが強い。私には元帥が総旗艦ロキで指揮をとる姿がどうも思いつかない。

「閣下?」
「ん、どうかしましたか、フィッツシモンズ中佐?」
「いえ、何をお考えなのかと思いまして」

躊躇いがちにフィッツシモンズ中佐が元帥に声をかけた。元帥は少し考えた後、話し始めた。
「同盟軍、いえ反乱軍の陣容が決まったようです」

反乱軍の陣容が決まった……。ボルテック弁務官からの情報だろう。弁務官が元帥に伝えたのは元帥への好意からだろうか? それだけではないだろう。帝国に実力者に貸しを作ろうとでもいうのだろうか。

「統合作戦本部長はボロディン、宇宙艦隊司令長官はビュコック、そして宇宙艦隊副司令長官にはウランフ提督が就くそうです」
「!」

「ヤン・ウェンリー提督は宇宙艦隊総参謀長でしょうか?」
フィッツシモンズ中佐が尋ねると元帥は首を横に振って答えた。
「総参謀長にはグリーンヒル中将、いえ大将が就くそうです。ヤン提督は大将に昇進しイゼルローン要塞司令官兼駐留艦隊司令官になります」

ヤン・ウェンリー……。第三次ティアマト会戦、イゼルローン要塞攻略戦で英雄と呼ばれた人物だ。元帥にとっては手強い敵といえる。元帥が考え込んでいたのはその所為だろうか。

「甘く見る事は出来ないですね。どうやら反乱軍も必死のようです」
ヴァレンシュタイン元帥が落ち着いた口調で話した。口調からは感情は読み取れない。元帥はヤン提督の事をどう思っているのだろう。無性に知りたくなった。

「どうしました、フィッツシモンズ中佐?」
元帥がフィッツシモンズ中佐を気遣った。私は気付かなかったが中佐は何か考え込んでいたらしい。

「いえ、ヤン提督を総参謀長にという発想は無かったのでしょうか?」
なるほど、知勇兼備の名将を前線指揮官としてよりも総参謀長にして全軍を指揮させたほうが良いと中佐は考えたのか。それにしても良いタイミングで訊いてくれる。元帥がヤン提督をどう考えているか分かるかも知れない。

「有ったと思いますよ。本当はそれが一番良いですからね。私は考えた上でイゼルローンに送ったと思います」
「?」

どういうことだろう? 一番良い人事案を取らないとは。反乱軍はシャンタウ星域の敗戦で余裕があるとも思えない。それなのに……、思わず疑問が口に出てしまった。

「閣下、何故反乱軍は最善の手を取らないのでしょう?」
元帥は私とフィッツシモンズ中佐の顔を交互に見ながら答えた。

「ヤン提督は今年の初めに少将に昇進しました。今回大将に昇進したという事は年内に三回昇進することになります。それに未だ三十歳になっていません。ヤン提督に対する周囲の反発はかなり強いでしょうね」
「……」

なるほど、負け戦続きなのに昇進している。それに未だ三十歳になっていない。異例の昇進だ、風当たりは強いかもしれない。
「総参謀長にしても反発を受けるだけなら、むしろ前線に送って自由に才腕を振るわせたほうが良い、そう考えたのだと思いますよ。受け入れられない最善の策など意味がありません」

そう言うと元帥はまた何かを考え始めた。異例の昇進、風当たり、元帥も同じような思いをしてきたのかもしれない。だから分かるのだろう。考え込む元帥を見ながらそんなことを私は思った。



帝国暦 487年10月10日   オーディン 宇宙艦隊司令部 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン


ヒルダがこっちを見ている。どうも観察の対象にされているようで余り気持ちのいいものではない。しかし、今の時点でこちらに味方するという彼女の想いは無視できない。信頼を得たいという思いもあるのだろうが、伯爵家の令嬢が副官任務を学んでいるのだ。多少の事は我慢するべきだろう。

同盟軍の人事が決まった。大体予想通りだが、予想から外れた部分もある。グリーンヒル総参謀長だ。彼が総参謀長になるという事は、彼が軍の不平派を押さえるという事になるのだろうか? それとも別の人物が不平派を率いるという事になるのだろうか?

ヤン・ウェンリーを目立つように大将に昇進させ、最前線に送った。その一方でグリーンヒルを総参謀長か。偶然だろうか? いや、それは無いな。大敗北をした遠征軍の総参謀長を宇宙艦隊の総参謀長になどありえない。

グリーンヒルを左遷すると不平派に担がれると考えた人間がいるのだろうか? だとすると何処まで読んでいるのだろう、不安が有る。誰がこの人事案を考えたのかは分からないが、手強い相手がいる。注意が必要だろう。


ボルテックはどう受け取ったかな。一時凌ぎの懐柔と取ったか本気と取ったか……。出来れば彼には味方になって欲しいものだ。帝国の改革派には平民達の生活の向上を考える人間は大勢いるが、交易、通商面からの帝国の整備を考える人間はいない。

帝国領内だけではない同盟も含めて宇宙全体を見る眼を持っている人間が必要だ。それにはやはりフェザーン人が良い。ボルテックを中心にフェザーン人を積極的に取り込んでいく必要があるだろう。

ボルテックは早期に内乱が起きるとは考えていなかった。つまり勅令の事は知らなかったということになる。貴族たちにも知られていないと見て良い。改革の勅令が発布されるまで後五日、なんとか凌げそうだ……。



 
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