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俺の四畳半が最近安らげない件

作者:たにゃお
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予兆の天使~小さいおじさんシリーズ11

凍えるような大寒の夜。今朝から溶けることなく立ち続ける霜柱を踏んで家路を急ぐ。
―――すっかり遅くなってしまった。今日は今年一番冷える夜だという。風もないのにマフラーの隙間から差し込む冷気はもはや暴力だ。
俺の四畳半に巣食っている小さいおじさん達には、この寒波は命取りかもしれない。まあ三国一の命汚さを誇る豪勢が居るのだから大丈夫だとは思うが、一応…彼らの最近のお気に入りであるチキンラーメンを贖い、足早に鉄の階段を上がる。


部屋の中央に、ぽつりと灯篭のあかり。彼ら3人は、炬燵の中央で震えながら身を寄せ合っていた。


どうした、知恵物の英雄が3人も揃ってその体たらくは。暖房器具は色々あったろうに。…いや、室温は高いな。暖房はついている。いつからつけてたのか考えると電気代が痛いが…どうした、お前ら。と直接聞けないのが心苦しい。
「止まるなよ…そこで止まるなよ…!!」
端正が整った唇を震わせて何度も呟いている言葉に気が付く。止まるなよ…?俺に云っているわけではなさそうなので、端正の視線の先を追う。
―――ん?
炬燵布団の端辺りを、赤い衣を着た美少女が懐に何かを大事そうに抱えてゆっくり、ゆっくりと歩を進めている。ありゃー、かわいい。しかし肩より少し長いくらいで切り揃えられた艶のある黒髪は、不気味な程に動かない。何を大事に抱えているのかなー、と気になり、そっと前に回ろうとした。
「駄目だ前に回るな!進路をふさぐな!!」
相変わらず俺を見ないが、鋭く叱咤の声が飛ぶ。…豪勢だ。あのふてぶてしい奸雄をここまで震え上がらせるこの美少女は一体…。


「麋竺のところに、出た奴ですね。あれ」


白頭巾がかすれた声で呟いた。いつも生白い顔が、今日は蒼に近いレベルで蒼白だ。…演義を流し読みしただけの俺には、麋竺とか急に云われても、そんなのが蜀に居たことだけは知っているというレベルである。
「麋竺かぁ…あれ欲しかったなぁ。あいつさえいれば余の覇道も…」
「蜀に彼が居なければ、蜀の建国すら成らなかったでしょうなぁ」
「うむ、実に貴重な人材…」
「貴重な財源でございました」
「貴様は死ねばいいのに」
………成程、そういう感じの人か。
「あれは、人ではない。所謂ところの『凶兆』でございます」
俺の方は一切見ることなく、白頭巾が羽扇の影で小さく呟く。俺は聞き取りやすい位置に回り込んだ。
「蜀の財…いや臣下、麋竺が洛陽からの帰りに車で通りかかった小道で、赤い衣の少女を見かけました。…どうも、不吉な感じがしたので声を掛けた。すると少女は」


―――私は、天の使いです。貴方の家を焼くために遣わされました。


え?なにつまりこの子は…え?
「麋竺は必死に頼みます。今までこつこつ蓄財してきたのだ、それは勘弁してくれと。しかし彼女は『いえ、燃やします』『規則ですので燃やします』『とりあえず、燃やします』の一点張り…」
お役所仕事かよ。
「但し、ゆっくりと向かいます。私が到着する前に、家財を家から避難させておいて下さい。彼女はそう、助言してくれたとか。当時の私はあの金持ちのおっさん今度は何を始めたんだか、貯金溜まり過ぎて頭沸いたのか。としか思いませんでしたが確かにその日の正午過ぎに、火災は起き、麋竺の邸宅は全焼いたしました」
―――こいつ、そんな事思ってたのか。本当にこいつは。
「…つまり麋竺は天に罰されたのか?」
端正が小声で呟いた。どうも端正はこの件については余り詳しくないらしい。
「いや、罰ではなくランダムに選ばれるらしいんですよ。事実、彼は金離れのいい富豪のおっさんですが、悪い事をして儲けたわけではありません」
白頭巾は更に声をひそめる。
「もはや天災。故に、その裁定には容赦がないのです。罰であれば交渉の余地もあろうというものだが…麋竺もその発生を遅れさせるのが精一杯でした」
はははなるほど、なるほど。つまりこの少女が足を止めた家は。ははははなるほどなるほ


「…ってやばいじゃん!!!」


うわ、もうふざけんなよとんだ事故物件だよ!でも下手に騒いだら足を止められてしまうかも…そうすると火の手が上がるのはこの四畳半だ…。俺は彼ら3人の背後に回り込み、一緒に念力を送った。
「とっ…通り過ぎろ……通り過ぎろ!!」
彼女の歩みはとても遅い。というより歩みが遅く感じる。ここで止まったら火事、止まったら火事……



その時、彼女の歩みがぴたり……と止まった。



「ぎぃ……!!」
「と…止ま…!?」
血走った眼で美少女を凝視する、俺を含めて4人のおっさん達。美少女は畳をしげしげと見つめると薄く笑った。
「もう駄目だ…火だ、火が…」
端正が異様に取り乱し始めた。
「……お前火計大好きじゃん…」
つい、口をついて出てしまった。端正が思わずムカついた顔で俺を見上げてしまっている。…おいおい、俺は居ないんじゃなかったのか。
「火計を多く用いる者はその恐ろしさを嫌というほど思い知っているのですよ」
珍しく白頭巾が、取り成すようなことを云う。羽扇に隠れてその表情が見えないが、肩が僅かに震えていた。…そういや、こいつも火計大好きだったな…。
「いや待て、まだ動くぞ?」
一番冷静だった豪勢が、低く小さい声をあげた。足を止めていた美少女が、ふたたび緩慢にだが歩み始めていた。俺の横を通り過ぎる時に、抱えているものがちらっと見えた。


それは妙に青い火だった。


「―――よっしゃスルーだ!!」
「セーフッ!!セフセフッ!!」
美少女が壁に吸い込まれるように消えた瞬間、豪勢と端正がガッツポーズで急激に盛り上がり始めた。白頭巾はがくりと膝をついて肩を落とした。…内心、こいつが一番怯えていたのではないか。
「…何を喜んでいるのです…絶対、危なかったですよあれ」
豪勢が鼻で笑う。
「なんでだ。天帝の使いだろあれは。基本寄り道とか気まぐれとかはありえない」
「めっちゃ畳、凝視していたじゃないですか」
強張っていた体を弛緩させるようにぐんにゃりとクッションにもたれかかり、白頭巾は呟いた。
「加えてこの紙の多さ。乱雑さ。私は初めてこの地を訪れた時に思いましたよ。あ、これは火計だな、と」
「やはりか。俺も常々、そう思っていた。『ついで』的な放火を誘発しそうな風情の地だな」
怖ぇ!!この火計ジャンキー共は俺の部屋をそんな目で見ていたのか!?


「さっきの放火娘もそうだが、あの時代の『凶兆』意味わからなすぎて嫌いだわ」
俺が取り分けたチキンラーメンをすすりながら、豪勢が呟いた。…体の芯に残った緊張がほぐれるようだ。深夜のチキンラーメン、マジ旨い。
「卿もか。俺も嫌いだ…董卓の車に『口』って書いて逃げる道士とか」
「二本足の虎とか」
「頭が二つある子供…というのもありましたね…」
「エグいわー…奇形の子供とかエグいわー」
厭な事が起こる予兆として出没する、何だかざわっとするもの…確かに中国の昔話にはそんなのが多い。
「あれ一体、本人はどういう心持ちで出てくるのだろうな…」
チキンラーメンの汁を匙ですくいつつ、端正が美少女の消えた辺りを眺めた。
「聞いてみたらどうだ。まだその辺に居るんだろうよ」
「御免蒙る」
「どのみち、近いうちに、この辺りで火の手が挙がることは間違いありません…この兵糧、あの時代に欲しかったですね…」
「分かる。すげぇ分かる。これがあったら魏はあと20年は戦えた」
覇道を競った猛将たちが背中を丸めてチキンラーメン啜っている姿を想像すると、なんか居たたまれない気がするが、まぁ今とは価値観とか状況とか色々違うのだろう。食い物の話で盛り上がり始めたということは、彼らもすっかり落ち着いたということか。俺は布団を敷いて寝る準備に入った。


隣町のアパートで全焼騒ぎが起こったのは、明け方のことだった。


遠くの方に雲を照らすような業火があがるのを呆然と眺めていた俺の隣で、白頭巾は呟いた。
「今も昔も、世間は『予兆』で溢れていますよ」
くっくっく…と、小さく笑い、白頭巾は踵を返した。
「人が、感じ取れなくなった。それだけのことです」


―――お前らも、予兆なのか?



 
 

 
後書き
次回更新は、来週です 
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