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俺の四畳半が最近安らげない件

作者:たにゃお
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草庵を支配する者

4枚の畳と、中央に炉を切った、こじんまりとした草庵。要は四畳半敷茶室の中で
俺と、刺客と思しき男は、刀を構えて睨み合っていた。
お互い、まんじりとも動くことは出来ない。刀から、手を放すことも。


内心、身悶えするほど後悔していた。…おそらく奴も。


「お主、もう観念して刀を納めぬか。恨みっこなしで」
「……刀を?どうやって?」
「……違いないな」
同時にため息をつく。そして仕方がないので、もう一度しっかと刀を握りなおし、満身の力を込めて引っ張る。


俺たちの刀は、草庵の壁にしっかりとめり込んでいた。


 臍を噛む他ない。…匕首でも持ち込んでいれば、この刀を手放し喉笛を掻き切ってくれるのに。
寄付(よりつき)で脇差を預かりますよ、とさりげなく刀を取り上げられることは想定の範囲内だった。俺は足が悪い振りをして、『杖』だけを持ち込んだ。刃が仕込まれた、仕込み杖というやつだ。
 簡素な作りの待合に通された時から、嫌な予感はしていた。急に招かれた…というか飛び入りで参加するような形で茶会に入り込んだこの男は、俺と同じように『杖』を携えていたのだ。
 他の方々はまだおいでにならないようだ、先に少し、かの有名な草庵を覗いてはみませんか?と誘われた。
 妙に鋭い眼光が、気になった。こういう目つきをする人間は大抵…目的は、一つだ。俺は『杖』をしっかりと握り直し、にじり口からするりと茶室に潜り込むと同時に袴の裾を払ってにじり口に向き直った。


「脚がお悪い割には、見事な身のこなしでございますねぇ」


言葉が終わるや否や、奴の杖からするりと刃が立った。…やはり、刺客か。俺も傍らの刃を抜いた。
「今川の手の者か」
正眼に構え、睨み合う二人の武士。
「……冥府の土産にご所望かな?」
「……墓石に刻む名も知れぬのも不憫」
刺客の刃が一閃して会話を切った。問答は無用、ということか。咄嗟にかがみ込み、水平に脇を薙いだ。奴は半歩下がってかわすと、再び激しく打ち込んできた。草庵が震えるような衝撃が俺を刃ごと打ちすえる。最後の斬撃を刀身でいなし、俺は大上段に振りかぶった。奴は刃を水平に構え、弧を描くように振った。



その結果がこれだ。お互い土壁から刀が抜けない。俺の刀は後ろの壁に、奴の刀は右側の壁の低い場所に、キレイにめり込んでいる。馬鹿みたいだし腕も疲れるのでいい加減、刀を放したい。だが刀から手を放した瞬間、万一、相手の刀が壁から抜けたら俺は一刀両断される。恐らく奴も同じことを考えている。…よくもまぁこんな典型的な膠着状態になったな…。


―――今この懐に匕首が一本あれば……!!


「…で?今川の手の者か?」
このまま黙っているのも間抜けなので、ちょっと話を振ってみた。
「え!?…あ、いや、まぁ…今川の手の者…?」
「あ、やっぱり?…どうも、遠路はるばる…」
「…お気遣い、どうも…」


―――しまった。余計に間抜けな空間になってしまった。


「……こちらの方は、食事が薄味ですね……」
馬鹿やめろよプライベートな話とか!もっと間抜けな空間になるわ!
「……ああ、俺はもう少し濃い味が好きなんだがな……酒に合わんし……」
ああああ助けて何だよこの状況。何だか嫌な汗がじわじわ出て来た。


―――その時、茶道口に人影が見えた。


すらり、と襖が滑る音がして、この茶会の主人が顔を覗かせた。
「…お待たせいたしまして」
ぬぅ、と巨躯の茶人が襖の隙間を割るように滑り込んできた。茶人は音も立てず茶室に這入り込むと、後ろ手に音もなく襖を閉めた。…そして、くいと顔を上げた。
 座った眼…いや、どっしりと座った眼というのが正しいだろう。下がった口角は間抜けな印象すらあるが、きちんと引き結ばれている。彼は手にした扇子をすっと膝の近くに置くと、指を軽くついて一礼する。

間抜けな姿で膠着している俺たちは、ただ会釈を返すのが精いっぱいだった。

茶人は膝を器用に使って炉の前にいざり寄ると、簡素な竹の茶匙を手に取り、抹茶を2~3匙、黒い茶碗に落とした。そして使い古された風情の柄杓で湯を汲み上げ、茶碗に注ぐと、慣れた手つきで茶筅を動かし始めた。



―――おい。



「貴様、この状況の俺たちを完全無視か!!」
「そ、そうだ!呑気に茶など立ておって、叩き切るぞ!!」
茶人はちらりと俺たちを一瞥しただけで、引き続き茶を立て続けた。…くそ、何だこいつは。匕首さえ忍ばせていれば……茶室を染め上げる蘇芳の紅、蒸気をあげて転がる熱い茶壺、炉を跨ぐようにして転がる物言わぬ屍、そして傍らに立ち、刀身を拭う俺。『ひっ…ひいぃ!!』と腰を抜かす茶人をちらりと一瞥し『そこな刺客を片付けぃ』と言い捨て、悠々と席を立つ俺……いざり口に入り込む前の俺はそんな妄想を巡らせていた。
…それが何だこの間抜けな状況は。
壁に武士の命でもある刀をめり込ませ、振りかぶった姿勢のまま目の前で普通に茶を立てられるこの屈辱たるや。


やがて、茶筅の動きが止まった。


「……ちょっと待て、貴様はどこの手の者だ!!」
刺客が不意に叫んだ。
「俺の地元は茶の産地、作法位は心得ている!最初は薄茶と茶菓子だろうが!!…それをいきなり濃茶を突き付けるとは、貴様茶人ではないな!?」
刺客の言葉が終わるや否や、茶人は懐からすらりと匕首を抜き、ぴたりと刺客の喉元に充てた。
「ひっ……」
「作法のことを仰るのであれば」
茶人が口を開いた。四畳半を丁度良く満たす声量、そしてゆっくりと、噛みしめるように紡ぎ出す言葉。…何だ、この訳の分からない威圧感は。
「茶室に殺生の道具を持ち込む貴方がたの作法は、いかようなものか、と」


―――言葉もない。恥じ入るように刺客が俯いた。


「…さあ、殺」「そちらのお武家様、茶碗をお取りなさい」
えっ、俺!?で、でも刀から手を放したら俺は。
「濃茶でも召して落ち着きなされ。こちらの方は、問題ございません」
刺客の喉が大きく動いた。奴の動きは茶人の匕首で封じられているのであった。…テンパり過ぎてこんな事にも思い至らないとは。確かに俺は落ち着く必要がある。俺は刀から手を放し、作法など良く知らないが、慌てて2回程茶碗を回して濃茶に口をつけた。
「次は、貴方です」
匕首が不意に離れた。刺客は憑き物が落ちたような顔で刀を放し、茶碗を取ると、見事な作法で茶を啜った。
「――結構な、お点前で」
茶人は小さく頭を下げると、茶道具を片付け始めた。
「妙、だな」
思わず口をついて出た。
「四畳半での打ち合いを想定して短めの刀身を選んだのだが…」
「俺もだ。それにいくら何でも抜けな過ぎだろう。何で出来ているのだこの壁は」


茶人の方が上下に細かく震えた。……あ、笑っているぞこの野郎!!


「畳を、よく見て御覧なさい」
畳を…?畳が一体、どうしたというのか…?
「……あっ」
刺客が小さく声を上げた。
「何か気が付いたのか」
「小さいぞこの畳!」
「何だと!?」
くそう、すっかり騙された!四畳半のつもりで振り回した刀が引っかかる訳だ。俺たちの、武人としての中途半端な場慣れが仇なした訳か。
「決まりなので使っておりましたが、四畳半も要らぬと、常々」
「貴様…小さめの庵を作る為にわざわざ…!?」
なんだ、こいつは。只の変人か…?
「壁土は、粘性の高い土に磁鉄鉱の粉末を混ぜ込んであります…云わば、柔らかな磁石」


なっ…なんちゅうことを!!くそ、磁石にめり込めば刀は抜けない訳だ。…こいつ、何という嫌な奴だ。


茶人は器用にいざり、匕首を懐に仕舞い直して静かに炉の前を陣取った。
「織田、今川両家の緊張は、日増しに高まりつつありましょう。貴方がどなたのご命令で、茶会を穢そうとしたのかは分かりかねますし、私の預かり知らぬことでございますが…口火を切るのが私の草庵…というのは御免被りたい」
「ぐむ……な、生意気な!貴様、商人であろう!武士にそ、そのような口の利き方を!!」
「…お武家様なら、分かりましょう?」
吼える刺客を前に姿勢を微塵も崩すことなく、茶人は片頬を吊り上げた。
「敵の本丸に丸腰で乗り込む、そのような行為の愚を」
「ぐっ…」
刀を奪われ、落ち着けと云われ濃茶を呑まされ、確かに今日の俺たちに武士の面目はない。茶人は、巨躯を少しだけ曲げて先ほど置いた扇子をつまんだ。そして、にぃ、と満面の笑みを浮かべた。
「貴方がたは少々、心得違いをなさっておられます。いざり口をくぐったその時より」



「この草庵を支配する者は、主人である私でございます」



奴は扇子を帯に挟むと、間抜けに壁に突き刺さる二振りの刀をまじまじと眺めた。
「そちらは肥前の、そちらは備前長船の業物でございますなぁ」
「刃を見ただけで分かるのか!?」
「商人の端くれでございますから。銘までは、分かりかねますが…」


―――結構な御手土産を頂き、ありがとうございます。


そう頭を下げられては、取り返す術はない。俺たちは、しょんぼりといざり口を潜った。


待合で脇差を返されたが、今更斬り合いを始める気にはなれず、俺と刺客はとぼとぼと茶室を後にした。斬り合いなら外でやれ。そんな当たり前のことを商人ごときに、えらい遠回しに云われ、今の俺たちに武士の面目など…。
「今にして思えばあの商人…我々の仕込み杖を見抜いてあの庵に案内したのだな」
刺客が、そう呟いた。
「そうだな。元はといえば茶室に殺生の道具を持ち込んだ俺たちが…」
ん?ちょっと待て!?
「あいつ、自分は匕首持ち込んでなかったか!?」
「然り!!…あんの野郎、戻って文句云ってやる!!」


俺たちが駆け戻った頃には、草庵に奴の姿はなかった。


茶人の名は宗易。後に織田信長、豊臣秀吉のお抱え茶頭となる「千利休」その人である。
 
 

 
後書き
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