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銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
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第百二十七話 ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフ

帝国暦 487年9月 30日   オーディン 宇宙艦隊司令部  ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフ


目の前にそびえ立つ宇宙艦隊司令部を見上げながら、私、ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフは大きく深呼吸をした。これから行なわれる会談がマリーンドルフ伯爵家の命運を決める事になる。

失敗は許されない、失敗すればマリーンドルフ伯爵家は滅ぶ……。しかし、私は彼を説得できるだろうか? 嫌でも緊張に体が強張る。交渉相手はあのヴァレンシュタイン元帥なのだ。私は此処一年ほどの出来事を思い出していた。

これまで帝国は常に内乱の危機に揺れていた。病弱な皇帝、決まらない皇位継承者、帝位を窺う巨大な貴族。どれ一つとっても帝国に内乱を引き起こす危険すぎる要因だ。

それらを押さえ、曲りなりにも帝国を安定させているのが、ヴァレンシュタイン元帥だ。平民でありながらも政府、軍上層部の信頼を受け、ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯を押さえオーディンを守っている。

五ヶ月前、帝国はかつて無い存亡の危機に立たされた。イゼルローン要塞陥落、二個艦隊壊滅、大敗北だった。内乱の危機に揺れる国内、大勝利に意気揚がる反乱軍……。一つ間違えば帝国は滅びただろう。

この危機に帝国政府、軍上層部は全ての枷を、面子を捨て去った。滅びるよりはまし、その思いが、彼らに本来なら有り得ないカードを切らせた。帝国初の平民からの宇宙艦隊司令長官、エーリッヒ・ヴァレンシュタイン上級大将。

その瞬間から、激しい戦いが始まった。帝国は、いやヴァレンシュタイン司令長官はフェザーンを翻弄し、国内の反対勢力を恫喝し、反乱軍を罠にかけた。

一月ほど前に行なわれたシャンタウ星域の会戦で帝国軍は反乱軍に対して決定的といって良い大勝利を収めた。十万隻を超えた反乱軍は三万隻にまで撃ち減らされて敗退した。帝国は四月末に喫した大敗北を倍、いや三倍にして返したのだ。

シャンタウ星域の大勝利は全てを変えた。貴族たちは蠢動をやめ、十年の雌伏を選択した、いや、選択せざるを得なかった。それほどまでに圧倒的な勝利だった。貴族たちは震え上がったのだ。

オーディンは今緊張をはらんだ静けさの中にある。ヴァレンシュタイン司令長官は上級大将から元帥へと階級を進めた。初めての平民からの元帥。

貴族たちの憎悪の視線の中で行なわれた元帥杖授与式。その中で元帥が口にした言葉は新たな戦いを宣言したものだった。
“臣は平民として最初の元帥かもしれません。しかし最後の元帥ではありません”。

彼は貴族との対決を決意している。その決意は彼だけのものではないだろう。リヒテンラーデ侯、エーレンベルク、シュタインホフ、そして皇帝フリードリヒ四世の決意でもあるはずだ。

これまで、政府と軍部が協力することは稀だった。そして帝国軍三長官が協力することも稀だった。しかし、今現在の彼らは極めて堅密な協力体制を築いている。それがどれだけ有効かをシャンタウ星域の会戦で知ったのだ。

かれらは国内が不安定状態に有る事が如何に危険か今回の反乱軍侵攻で理解したはずだ。反乱軍がシャンタウ星域で大敗北した今が国内に内乱状態にしても貴族との対決を可能とする唯一の時なのだ。必ずブラウンシュバイク公を、リッテンハイム侯を挑発し、暴発させようとするだろう。

だから、先日ヴェストパーレ男爵夫人から連絡が有っても私は驚かなかった。夫人の話では帝国政府は貴族との全面対決を決意したという。おそらくローエングラム伯を経由しての情報だろう。具体的な内容は判らないが貴族には受け入れがたい政策を取るようだ。

その日は遠い事ではないだろう。そして、それはヴァレンシュタイン元帥主導で行なわれるはずだ……。

父は当初、中立を望んでいた。争いを好まない父らしい答えだった。そして父は元帥の両親が殺されたのは自分にも責任が有ると考えている。その事が父の行動を消極的なものにしていた。元帥はマリーンドルフ家を恨んでいるのではないかと……。

今度の内乱は中立など許されないだろう。そんな甘いことを元帥が許すはずが無い。むしろ、マリーンドルフ家は積極的に元帥に味方し家を保つべきだった。私は父を説得し、今宇宙艦隊司令部の前に居る。

宇宙艦隊司令部の前で何度目かの深呼吸をしていると、口髭を綺麗に整えた身だしなみの良い軍人に声をかけられた。
「フロイライン、どうかされましたか? なにやらお悩みのようだが」

年の頃は三十代前半だろうか、穏やかな口ぶりが誠実そうな人柄を表しているように思える。どうやら私は挙動不審と思われたらしい。司令部の前で若い娘がやたらと深呼吸していれば無理も無いかもしれない。

「ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフといいます。マリーンドルフ伯爵家の者です。大切な用件が有り、元帥閣下とお会いしたいのです」

彼がこちらを警戒するように見ている。確かに貴族の娘がいきなりヴァレンシュタイン元帥に会いたいなどと言えば、警戒しないほうがおかしいだろう。

「フロイライン、面会のご予約はお有りですかな?」
「いえ、有りません。ですが大勢の人の生命と希望がかかっております、どうしても元帥閣下とお会いしなければならないのです」

私がそう言うと、彼は少し考えてから携帯用のTV電話を取り出し、連絡を取り始めた。驚いたことに彼はヴァレンシュタイン元帥本人と直接連絡を取っていた。

改めて彼の軍服を見ると襟蔓が1本 、肩線が3本入っている。帝国軍大将だ。元帥との会話の中で、メックリンガーと名乗っていた。エルネスト・メックリンガー提督、彼はヴァレンシュタイン元帥が抜擢した司令官の一人だった……。

「フロイライン、元帥閣下はお会いになるそうです。こちらへどうぞ」
「有難うございます。お手数をおかけします」

メックリンガー提督の案内で司令長官室に向かう。その途中、提督が話しかけてきた。
「司令長官室に入ると驚きますよ、フロイライン」
「それはどういうことでしょう」

「まあ、見れば分かります。司令長官室はもう直ぐです」
メックリンガー提督の声には微かな笑いの成分がある。私が緊張していると思ったのだろうか?

司令長官室は圧倒されそうな雰囲気を持って私を出迎えた。部屋がやたらと広く三十名程の女性下士官が机を並べて作業をしている。彼女たちは私達に軽く会釈をすると自分の作業に戻った。

それきり彼女達は私達に関心を示さない。そんな暇はないのだろう。彼方此方で鳴るTV電話音、受け答えする女性下士官、書類をめくる音とキーボードを叩く音。私はしばらくの間呆然と彼らを見ていた。

「メックリンガー提督、フロイライン・マリーンドルフ、元帥閣下は応接室でお待ちです」
「私も御一緒してよろしいのかな? 中佐」
「はい」

驚いている私の耳にメックリンガー提督と中佐と呼ばれる女性の声が入ってきた。中佐? 女性なのに? 長身の女性士官だった。彼女の軍服には襟蔓3本、胸蔓3本、肩線2本がしるされている。確かに軍服は彼女が中佐である事を示している。

応接室に入ると元帥が私達を出迎えてくれた。軍服だけでなくマントまで黒一色で装う元帥は穏やかに微笑みながら、私達にソファーに座るように勧めてくれた。

「もう直ぐフィッツシモンズ中佐が飲み物を運んできます。フロイラインのお話はそれから伺いましょう。お父上、マリーンドルフ伯はお元気ですか?」
フィッツシモンズ中佐……。先程の女性士官の事だろうか?

「はい、元帥に宜しく伝えて欲しいとの事でした。今日は陛下への謁見のため宮中に出向いております」
「宮中へ、ですか」

「はい、私を次のマリーンドルフ伯爵家の当主とするため、陛下の御内諾をと」
「……そうですか、フロイラインが次期当主に……、それは、おめでとうございます」
「有難うございます、元帥」

メックリンガー提督も御祝いを述べてくれる。そう、私は伯爵家の令嬢ではない。次期当主としてこの会見の場に居る。少しでも私の立場を強くするようにと父が考えた事だった。

先程の女性士官が飲み物を持ってきた。やはりこの人がフィッツシモンズ中佐だった。彼女は飲み物を並べるとソファーに座った。この四人で話すのだろうか……。

「フロイライン、私は女性と二人きりで話をするのは苦手なのです。メックリンガー提督とフィッツシモンズ中佐に同席してもらいますがよろしいですか?」
「はい。かまいません」

やはり、私と二人で話すことを警戒している。貴族嫌いの宇宙艦隊司令長官が伯爵家の娘と二人で密談した……。そんな噂が流れたらどうなるか、碌な事にはならない、そう考えているのだろう。

「それで、私に御用とは?」
「今度の内戦に際してマリーンドルフ家は司令長官に御味方させていただきます」
「内戦と言いますと?」
「いずれ起きる、ブラウンシュバイク公との内戦です」

メックリンガー提督とフィッツシモンズ中佐の表情が険しくなり視線が鋭くなった。司令長官は穏やかな表情で私の話を聞いている。
「フロイライン、内戦が起きるかどうかは未だ分かりません。それに私が勝つとも限りませんが?」

「いえ、閣下はお勝ちになります。ブラウンシュバイク公とリッテンハイム侯は一時的に手を結ぶ事は有っても最後まで協力することは出来るでしょうか? 二人はともかく周囲がそれを良しとはしないはずです」
「……」

「それに軍の指揮系統が一本化していません。全体の兵力で閣下に勝る事があっても烏合の衆です。閣下の軍隊の敵ではありません。また貴族の士官だけでは戦争は出来ません。実際に戦争するのは兵士たちです。平民や下級貴族の兵士たちはブラウンシュバイク公ではなく閣下をこそ支持するでしょう」

それにブラウンシュバイク公の兵力は強大でそこにマリーンドルフ家が参加しても軽く扱われるだけだろう。しかし、司令長官に付けば政治的効果は小さくない。必ずマリーンドルフ家は厚遇されるだろう。

メックリンガー提督とフィッツシモンズ中佐の表情は警戒から感嘆に変わっていた。少なくとも二人には私の力量を印象付ける事が出来た。しかし、司令長官の表情は変わらない。私の意見など彼にとっては取るに足らないものなのだろうか?

「見事な見識ですね、フロイライン。そういうことであれば、私も味方は欲しいと思います。マリーンドルフ伯爵家のご厚意に対して私が出来る事はありますか?」

ここからが本当の勝負だ。間違えてはいけない。
「マリーンドルフ家に対し、その忠誠に対する報酬として家門と領地を安堵する公文書を頂きたいと思います」

「帝国政府の公文書となるとリヒテンラーデ侯にお願いする必要がありますね。近日中にお渡ししましょう。それでいいですか」
警戒されるかと思ったが、あっさりと司令長官は請け負ってくれた。

どういうことだろう、信じていいのだろうか? 司令長官は貴族たちを一掃する気だろう。口約束では反故にされてしまう。公文書になっていれば、反故には出来ない、司令長官の名誉に傷が付くだけではなく、その権力体制にも人々は不信を抱くだろう。分かっているのだろうか?

「有難うございます。マリーンドルフ家は閣下に対して絶対の忠誠を誓い、何事につけ閣下のお役に立ちます。先ずは、知人縁者を閣下の御味方に参ずるよう説得いたしましょう」

「期待させていただきましょう。ところでフロイライン、貴女が説得してくださる友人たちにも公文書が必要ですか」

「自主的に求める者にはお出しください。それ以外のものには必要ないと考えます。それに、閣下のおやりになることにそうした物がたくさん有ってはお邪魔でしょう」

その瞬間、ヴァレンシュタイン元帥は微かに苦笑し口を開いた。
「フロイライン・マリーンドルフ、貴女は聡明な方だが二つ誤りを犯しました。今のままではマリーンドルフ家の安泰は難しいでしょうね……」

 
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