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銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
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第百二十五話 苦悶

帝国暦 487年9月 23日   オーディン ヴェストパーレ男爵夫人邸 ヴァレリー・リン・フィッツシモンズ 


ヴァレンシュタイン元帥と私はヴェストパーレ男爵夫人邸に向かっている。ローエングラム伯の姉君、グリューネワルト伯爵夫人が元帥に会いたいと皇帝に訴えたらしい。そして面会場所に選ばれたのがヴェストパーレ男爵夫人邸だった。

軍は今、シャンタウ星域の会戦で受けた損害の補充と再編を行なっている。元帥自身の艦隊も再編中だ。シュムーデ中将、ルックナー中将、リンテレン中将、ルーディッゲ中将が全員大将に昇進し、一個艦隊の司令官になった。

もっとも正規艦隊ではなく独立艦隊の司令官だ。艦隊の規模は約一万隻、正規艦隊の司令官達と殆ど遜色は無い。皆、うれしそうだった。

元帥の下には新しく四人の少将が配属されてきた。副司令官クルーゼンシュテルン少将、分艦隊司令官クナップシュタイン少将、グリルパルツァー少将、トゥルナイゼン少将……。

彼らを選んできたのは少将に昇進したワルトハイム参謀長だがリストを見た元帥は少しの間参謀長を見詰めると、何も言わず了承した。艦隊は今、ワルトハイム参謀長の下、艦隊訓練に出ている。艦隊が戻ってくるのは十月になるだろう。


ヴェストパーレ男爵夫人邸は大きな屋敷だった。リヒテンラーデ侯邸ほどではないけど十分に大きい。それに屋敷の主人が女性だからだろうか。何処と無く優美な雰囲気を出している。

「ここから先は私とフィッツシモンズ中佐で行きます。申し訳ありませんがここで待ってもらえますか」
「判りました」

地上車から降りたヴァレンシュタイン元帥は護衛にそう告げると私を連れて屋敷の中に入っていった。

以前ベーネミュンデ侯爵夫人の一件で襲撃されて護衛を頼んだのだが、元帥本人が護衛を付けられる事が嫌だったのだろう。第三次ティアマト会戦が始まる前、軍が出征した頃だろうか、護衛を付けることを止めてしまった。

今回元帥就任とともに護衛が付けられることになった。本人は嫌そうだったけれど大人しく受け入れている。平民出身の元帥ということで貴族たちの風当たりはかつてないほどに強い。それに例の改革案が発表されれば貴族、その貴族から利益を受けている人間は元帥の暗殺を必ず企むだろう。

案内されたのは庭園の一角だった。瀟洒なテーブルと椅子が用意され女性が二人座っていた。一人は金髪の女性でローエングラム伯に何処と無く似ている。この人がグリューネワルト伯爵夫人だろう。となるともう一人の黒髪の女性がヴェストパーレ男爵夫人だ。

元帥の話では、私達の二時間程後にローエングラム伯が来るのだという。後片付けや準備を考えれば、私達がここでお茶を飲める時間は一時間程だろう。

「エーリッヒ・ヴァレンシュタインです。本日はお招きいただき有難うございます。彼女は私の副官を務めるヴァレリー・リン・フィッツシモンズ中佐です」

「ようこそ、ヴァレンシュタイン元帥、フィッツシモンズ中佐、マグダレーナ・フォン・ヴェストパーレ男爵夫人です。そして彼女がアンネローゼ・フォン・グリューネワルト伯爵夫人ですわ」

挨拶が終わって席に座り、お茶を飲み始めた。ヴァレンシュタイン元帥にはココアが出された。どうやら男爵夫人は元帥の嗜好を調査済みらしい。

「男爵夫人、私の両親が生前お世話になったそうですね」
「……いいえ、お世話になったのはこちらです。御両親の事は本当に残念でした」

一瞬だけど男爵夫人と伯爵夫人に緊張が走ったように見えた。元帥の御両親が貴族に殺された事は私も知っている。そのことが元帥の貴族嫌いに繋がっている事も。この二人も貴族だ、やはり思うところはあるのだろうか。元帥から聞いた話では元帥の父親が男爵家の顧問弁護士をしていたとの事だけれど……。

「今日は元帥にお会いして御礼が言いたかったのです」
「私にですか」
グリューネワルト伯爵夫人が元帥に話しかけた。

正面から伯爵夫人を見るとやはりローエングラム伯とは違うと思う。顔立ちは似ていても、雰囲気がちがうのだ。伯爵夫人にはローエングラム伯の持つ鋭さ、覇気は無い。

「ええ、陛下がとてもお元気になりました」
「……」
「今までは、どちらかと言えば生きるのが辛そうにしておいででしたが今は本当に生きる事を楽しんでおいでです」

伯爵夫人は陛下を愛している。十五歳で後宮に入れられた。決して望んだ事ではないだろう。それでも陛下を愛している、あるいは気遣っている。そうでなければわざわざ元帥に御礼など言わないだろう。

「……」
「元帥のおかげです。陛下は元帥のおかげで生きる事が楽しくなったと。有難うございました」

「伯爵夫人、私は礼を言われるようなことは何もしていません。お気遣いは御無用に願います」
「ですが」

「本当に何もしていないのです」
「そうですか……」
伯爵夫人も元帥も困ったような顔をしている。どうやら二人ともこういうのは苦手なようだ。気を取り直したように伯爵夫人が言葉を紡いだ。

「元帥にはもう一つ御礼を言わなければならないことが有ります」
「?」
「弟のことです」

「ローエングラム伯のことですか?」
「元帥の御口添えのおかげで、軍に留まる事が出来ました。遅くなりましたが、御礼を言わせてください、有難うございました」

「伯爵夫人、ローエングラム伯が軍に留まったのは伯自身の力によることです。反乱軍を打ち破るにはローエングラム伯の力が必要でした。こちらも礼を言われるような事ではありません」

元帥は穏やかだが、きっぱりとした口調で伯爵夫人に告げた。しばらくの間、伯爵夫人と元帥は見詰めあった。先に視線をそらしたのは伯爵夫人だった。

「そうですか……。ヴァレンシュタイン元帥、これからも弟の事を宜しくお願いします」
伯爵夫人はそう言うと頭を下げた。

もしかすると伯爵夫人は元帥とローエングラム伯の関係を心配しているのかもしれない。かつては伯は元帥の上官だった。それが今は逆転している。ローエングラム伯の心境はどうだろう、決して穏やかなものではないだろう。

実際、元帥と伯の間には微妙に緊張感がある。元帥は他の人には緊張感を表さない。最年長のメルカッツ提督に対しても敬意は表しても緊張感を表す事は無い。しかし、伯に対しては微かにそれが出る。

気になるのは伯とその周辺が周りに対して打ち解けない事だ。元帥に対してだけでなく、他の艦隊司令官とも微妙に壁があるように思える。

そのことが艦隊司令官達を余計に元帥に近づかせている。ローエングラム伯はその事に気付いているだろうか。伯は能力は高く評価されても、人としては信頼をかち得ていない……。

しばらくの間、元帥と男爵夫人の会話が続いた。元帥の両親の事だった。主として元帥が尋ね、男爵夫人が答える。そして私と伯爵夫人は黙って聞いている。静かな時間だった……。


帝国暦 487年9月 23日   オーディン ヴェストパーレ男爵夫人邸 マグダレーナ・フォン・ヴェストパーレ 


ヴァレンシュタイン元帥が帰り、ラインハルトとジークフリードがやってきた。本当は一緒にお茶をという話もあったのだが、アンネローゼが別々にと頼んだ。おそらくラインハルトが皇帝に反感を持っている事を考慮したのだろう。

「ラインハルト、ジーク、いらっしゃい、昇進おめでとう。ジーク、とうとう閣下と呼ばれるようになったのね」
「有難うございます。男爵夫人」

どういうことだろう、二人とも余り嬉しそうではない。それに何処と無く鬱屈しているように見えるのは気のせいだろうか。
「どうしたのかしら。余り嬉しそうではなさそうね」

「そんなことはありません」
「本当に?」
「本当です」

ラインハルトが答えるが、表情が硬い。ジークの表情も同じように硬くなっている。どう見ても嘘だ。何かを隠している。一体何が有ったのだろう。思わずアンネローゼと顔を見合わせた。彼女も困ったような表情をしている。

沈黙が落ちた。私もアンネローゼもどう話しかけて良いかわからず沈黙している。ラインハルトとジークも黙ったままコーヒーを飲んでいる。こんなことは初めてだ。

「私は、頂点に立ちたいんです」
「……」
ポツンとラインハルトが呟いた。思わず私はアンネローゼと顔を見合わせた。アンネローゼの顔には辛そうな色がある。

「でも、私の前にはいつもあの男が居る、あの男が……」
あの男……。聞くまでも無いだろう、ヴァレンシュタイン元帥のことだ。でも、一体何が有ったのだろう。シャンタウ星域の会戦ではラインハルトの功績は大きかったと聞いているけど……。

「追付きたい、追い越したい、いつか彼を越えてみせる。そう思い、そう誓う度に彼は私に見せ付けるんです。お前などまだまだだと、取るに足らない存在だと……」

搾り出すような声だった。ラインハルトは苦しんでいる。彼がこんな姿を見せることがあるとは想像もしなかった。野心的で覇気に溢れる蒼氷色の瞳、私が好きだった美しい瞳、その瞳に今は力が無い。

キルヒアイスも隣で黙って聞いている。目を伏せ、唇を噛み締め俯きながら聞いている。普通ならラインハルトを擁護する彼が沈黙している。

「シャンタウ星域の会戦では貴方の功績が大きかったと聞いているわ。本隊を率いて戦ったのは貴方でしょう。一体何が有ったの?」
答えてくれるだろうか……。

「あんな戦い……、あれは勝って当然の戦いだったんです。勝つ準備は全てヴァレンシュタインが整えていました。私が居なくても、あの戦いは勝ったでしょう」
「それが理由なの……」

「違います、いえ、それも有りますが……」
「?」
ラインハルトが少し口ごもった。ためらいがちにジークを見た後言葉を出した。

「彼は新しい帝国を創るつもりです。門閥貴族を滅ぼし、国内を改革し宇宙を統一する……」
「……」

「彼の創る帝国では私は有能な副司令長官でしかない。私は、頂点に立ちたいんです……」

私はヴァレンシュタイン元帥の事を考えた。十年前、彼の両親の葬儀で見たときは、まだ小さくてこれからどうするのかと思った。でもこの十年で帝国を動かす実力者に育っている。

彼を育てたのは貴族への憎悪だろう。穏やかにココアを飲んでいた青年。どちらかと言えば軍人というより文官、いや学生のような雰囲気を身につけていた。外見だけなら誰も彼を恐れはしない。

でも彼は平民から初めて宇宙艦隊司令長官になり、元帥になった。多くの貴族達にとって許せる存在ではないだろう。元帥杖授与式における貴族たちの表情は憎悪に満ちていたといって良い。

そんな中、貴族になることを拒否し、平民出身の軍人たちに自分に続けと黒真珠の間で宣言した。あれは貴族への宣戦布告だろう。彼の内面には何者にも負けないという強い決意があるはずだ。そしてラインハルトはそんなヴァレンシュタインに圧倒されている。

アンネローゼを見た。辛そうな表情でラインハルトを見ている。先程ヴァレンシュタイン元帥にラインハルトのことを頼んでいたのはこれを予想していたからだろうか。もしかすると皇帝から何か言われたのだろうか……。

ヴァレンシュタインはラインハルトだけの問題ではない。私も貴族だ、彼の憎む貴族……。彼の両親の死にはヴェストパーレ男爵家も関わっている。家を保つため、生き残るため、これからどうすればいいのかを考えなければならない。

門閥貴族につくのは論外だろう。やはり付くならラインハルトを通じてヴァレンシュタイン、リヒテンラーデ侯側になる。ただその後、いずれラインハルトに付くか、ヴァレンシュタインに付くかの選択を迫られるかもしれない……。


 
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