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銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
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第百十八話 内乱への道 (その1)

帝国暦 487年9月 12日   オーディン ミュッケンベルガー邸 ユスティーナ・フォン・ミュッケンベルガー


「お嬢様、旦那様にお客様がお見えです」
「お養父様に? どなたかしら?」
「ヴァレンシュタイン司令長官です」

執事のシュテファンが悪戯っぽく笑みを浮かべながら答えた。ヴァレンシュタイン司令長官がいらっしゃった。いつ戻られたのだろう? 昨日? それとも今日だろうか。

オーディンは今、司令長官がシャンタウ星域で反乱軍の大軍を打ち破った事の話で持ちきりだ。帝国始まって以来の大勝利、おそらく司令長官は昇進し帝国初の平民出身の元帥になるだろうと皆言っている。

私はそのことに喜びながらも同時に寂しさを感じていた。少しずつ司令長官が遠くに行ってしまうような寂しさを。

養父のいった言葉、“お前があの男の孤独を癒してやれるのなら良い。しかしその自信が無いのなら、あの男の事は諦めろ。それがお前のためだ、そしてあの男のためでもある” その言葉がずっと私に重くのしかかっていた。

でも、司令長官はまた此処に来てくれた……。
「今、司令長官はどちらに?」
「玄関です。旦那様の御都合を聞いて欲しいと仰られて……」

「そう……、シュテファン、お養父様に司令長官がいらっしゃった事をお伝えして。私は司令長官を応接室に御案内するわ」
「はい」

シュテファンと別れ玄関にヴァレンシュタイン司令長官を迎えに出る。司令長官は玄関で一人静かに待っていた。私の姿を見ると穏やかな微笑を浮かべた。

「久しぶりですね、フロイライン」
「司令長官……、いつお戻りになったのですか?」
「先程です」

先程! では真っ先に此処に来てくれた……、養父に会うためかもしれないけど、それでも嬉しさが胸にこみ上げてくる。

「シャンタウ星域での大勝利、おめでとうございます」
「有難うございます」
「?」

一瞬だけど彼の表情が消えたように見えた。見間違いだろうか? 良く見ればヴァレンシュタイン司令長官は少しやつれたようにも見える。疲れている?

両軍合わせて三十万隻以上の艦隊が動員された。これまでに無い大変な戦いだったのだ。御苦労されたのかもしれない……。ヴァレンシュタイン司令長官を応接室に案内すると養父は既にソファーに座っていた。

私は司令長官が席に座るのを見届けてから養父に声をかけた。
「お養父様、私、お茶の用意をしてきますわ」
「いや、それはシュテファンに頼んである。お前は此処にいなさい」

どういうことだろう、大事な話があるのではないだろうか?
「よろしいのですか、お養父様?」
「構わん」

養父は腕を組んで厳しい表情をしている。軍を退いてからはあまり見せなくなった表情だ。本当に私が同席して良いのだろうか? ヴァレンシュタイン司令長官に目を向けると少し困ったような表情をしている。

「ユスティーナ、早く座りなさい」
「はい」
養父に促され隣に座った。一体何を考えているのだろう。なんとも落ち着かない気分だ。黙って二人の話を聞いているしかない。

「陛下にはいつ拝謁するのだ、ヴァレンシュタイン?」
「明日です。今夜、リヒテンラーデ侯、軍務尚書、統帥本部総長と会うことになっています」

「それには私も呼ばれている」
「それは……、知りませんでした」
司令長官の驚いた様子に養父は軽く笑い声を立てた。

「此処に来たのは彼らに会うまでにオーディンの状況を知りたいということか?」
「はい、それと今後の事を閣下に御相談したいと」

シュテファンが飲み物と御菓子を持ってきた。養父と私にはコーヒー、司令長官にはココア。良かった、シュテファンが司令長官にもコーヒーを持ってきたらどうしようと心配だった。

ココアの甘い香りが鼻腔をくすぐる。ヴァレンシュタイン司令長官は美味しそうにココアを飲んでいる。しばらくの間、皆でお茶を飲みながら御菓子をつまんだ。



「おおよその事は軍務尚書より聞いている。大勝利だったそうだな」
「はい、反乱軍に与えた損害は七割を超え八割に近いと思います」
八割に近い……。大勝利だと聞いていたけどそれほどまで……。

「当分、反乱軍は攻勢に出られまい。となると帝国も国内の問題を片付ける時が来た、卿はそう見ているのだな」
国内の問題? 内乱の事だろうか?

「はい、今しかないと思います。時を置けば反乱軍は国力を回復するでしょう。それに、少々厄介な相手を逃がしました」
「?」

司令長官の言葉に養父は問いかけるような視線を向けた。
「ビュコック、ボロディン、ウランフ、そしてヤン・ウェンリー」
名前が呼ばれるにつれ養父の表情が厳しくなっていく。

「少々ではあるまい。ビュコック、ボロディン、ウランフ、私も何度となく煮え湯を飲まされた相手だ」
「……」

「ヴァレンシュタイン、ヤン・ウェンリーというのは例のイゼルローン要塞を落とした男だな?」
「そうです」

しばらくの間沈黙が落ちた。養父も司令長官も互いを推し量るように沈黙している。やがて養父が溜息を吐き、言葉を出した。

「確かに今片付けるしかあるまいな。だが難しいぞ」
「難しい、と言いますと?」

「ヴァレンシュタイン、卿はブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯に内乱を起させ、それを討伐する事でこの問題を解決するつもりだな」
「はい」

「私もこれまでは陛下の死が内乱のきっかけになるだろうと思っていた。しかし今では陛下が崩御されても内乱は起こらぬのではないかと考えている」
「やりすぎましたか?」

ヴァレンシュタイン司令長官の声が苦汁の色を帯びた。やりすぎた? 司令長官が仕掛けた謀略の事だろうか? 貴族たちは皆悪辣だと言って怖気をふるったというけれど……。

「うむ、それもあるが彼らは待つ事が出来る事に気付いたのだ。それが大きいと思う」
「待つ事、ですか……」

ヴァレンシュタイン司令長官が不思議そうな顔をした。いつも穏やかに微笑んでいる司令長官の不思議そうな顔。その表情が彼を年齢より幼く見せる。こんな時なのに思わず見とれてしまった。

「エルウィン・ヨーゼフ殿下は未だ五歳だ。たとえ即位されても殿下が御世継ぎを得るまで十年はかかるだろう。それに殿下が無事成人されるという保証は何処にも無い」
「……」

「分るな、ヴァレンシュタイン。彼らは気付いたのだ。陛下が崩御され殿下が即位されても焦る必要は無いと。十年間余裕は有る、その十年の間に殿下がなくなられた場合、皇位は自分たちの手に落ちるだろうと」

「……」
養父の言葉がつむぎだされるにつれ、ヴァレンシュタイン司令長官の表情は苦痛の色を濃くしてゆく。

「ヴァレンシュタイン、彼らが今何をしようとしているか分るか?」
「……いえ、分りません」
「ブラウンシュバイク公も、リッテンハイム侯も娘の伴侶を決めようとしている」

「……勢力固めですか」
「そうだ、有力者の子弟を必死に見極めようとしている。役に立つか、立たぬか」
勢力固め……。陛下が御存命なのに次の帝位を自家にもたらすべくブラウンシュバイク公も、リッテンハイム侯も動き始めている。

「当初エリザベート・フォン・ブラウンシュバイクの婿候補に卿の名前も上がったらしい」
「!」

驚きの余り思わず養父の顔をまじまじと見てしまった。私の視線に気付いているはずなのに養父は私を見ようとしない。ヴァレンシュタイン司令長官は……、長官も初耳だったらしい。呆然としている。

「一番厄介な敵を取り込んでしまえ、そんなところだな。だが直ぐ外された。理由は……」
言いよどんだ養父の言葉を司令長官が引き取った。そして残酷なまでに冷酷に言葉をつむいだ。

「私が平民だからですね。私とエリザベートの間に子が生まれた場合、父親が平民という事で皇位継承に差しさわりがある。つまりエリザベートが女帝になるのは問題が有る。リッテンハイム侯はそう主張するでしょう」
「……」

沈黙が落ちた。息をする事さえためらわれるような沈黙だ。三人とも身じろぎもしない。私は視線を伏せたまま上げる事が出来ない。司令長官の口調に怒りは無かった、嘲りも無かった。落ち着いた平静な声だった。

何を考えているのだろう? 司令長官がエリザベート様の婿になりたがっているとは思えない。でも平民であるという事だけで忌諱されたことは司令長官にとって決して愉快なことではないはずだ。

今、帝国で司令長官ほどの実力者はいない。その実力者を平民であるというだけでブラウンシュバイク公も、リッテンハイム侯も忌諱している。彼らが司令長官を忌諱するのなら司令長官も彼らを否定するだろう。その事に彼らは気付かないのだろうか。

「彼らが待つ事を選んだのには他にも理由があるからだ」
重苦しい雰囲気を跳ね除けるように養父が口を開いた。私もようやく顔を上げて司令長官を見る事が出来た。穏やかな表情をしている……。

「今の卿は味方も多く磐石と言って良い。だが十年後の卿は分らぬ。リヒテンラーデ侯、エーレンベルク、シュタインホフ、彼らが健在だという保証は何処にも無いのだ」

「……時間は彼らの味方だというのですね」
「そうだ。彼らにとって焦る必要は無いのだ。十年の間に隙を見つけ彼らは簒奪に動くだろう」

また沈黙が落ちた。司令長官は伏し目がちに何かを考えている。右手で軽く左腕を叩きながら何かを考えている。養父は何故私をこの場に居させたのだろう? 私に何をさせたいのだろう?

「やはり早急に片付ける必要がありますね。問題の先送りは帝国にとって何の利益も有りません。反乱軍が勢力を回復する前に国内の問題を片付けます」

「彼らを暴発させるのであれば、余程の策がいる。有るのか策が?」
「……有ります。彼らを必ず暴発させます」
「!」

静かな、決意に満ちた声だった。司令長官はまた戦おうとしている。反乱軍との戦いが終わったばかりだというのに新たな敵との戦いに身を投じようとしている。

「ヴァレンシュタイン司令長官……」
「フロイライン、私は大丈夫です」
「……」

私は何を言おうとしたのだろう。良くわからない。でも言葉にする前に封じられてしまった……。

「私はシャンタウ星域で一千万近い反乱軍の兵士を死に追いやりました。今度内乱が起きれば、また何百万という帝国の人間を殺す事になります」
静かに司令長官の声が流れる。聞きたくない、そんな言葉は聞きたくない。私は思わず顔を伏せた……。

「気が重いですね。でも退く事は出来ません。フェザーンと自由惑星同盟を征服し、宇宙から戦争をなくすためには先ず帝国から内乱の根を取り除く必要があるんです」

思わず司令長官を見た。私に微笑みかける彼がいる。彼は苦しみながらも必死に前へ進もうとしている。誰のためでもない、これ以上戦争で苦しむ人を出さないために戦おうとしている。

どうして軍人になどなったのだろう? 何故出世してしまったのだろう? 神様はどうしてこの人に穏やかな生き方を選ばせてあげなかったのだろう。

「一つだけ教えてください」
「ええ」
「もう一度、人生をやり直せるとしたら、同じ道を歩みますか?」

「……歩きたくはありません。でも、歩いてしまうのでしょうね、きっと」
どこか困ったような、諦めの混じった口調だった。その言葉を聞いたとき私の眼から涙が溢れてきた。私にこの人の孤独が苦痛が癒せるだろうか……。



 
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