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世界最年少のプロゲーマーが女性の世界に

作者:友人K
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16話


 難しい問題、と思う。

 授業の内容を聞きながらシャーペンの先でノートを叩く。授業の内容が難しいというわけではなく、クラス対抗戦のことだ。

 今の織斑さんが代表候補生と正面から戦って勝つことは現状ほぼ不可能。相手はIS競技人口最多の中国代表候補生の鳳 鈴音が相手、そして彼女は近接戦闘を得意とする操縦者。

 わたくしの頭の中で鳳 鈴音の特徴やISのスペックが頭の中で流れていく。同時に織斑さんの現在の動きが思い浮かび、両者の比較を行う。触れることさえできれば織斑さんの勝利は確定するが……ただ、触れることさえも困難と言わざるを得ない。
 彼女の戦闘距離は近距離から中距離がメイン。特に近距離戦闘に関わるスキルは間違いなく指折りと言ってもいいだろう。様々な操縦者がいる中国で代表候補生になるのは容易じゃない。

 鬼一さんはどうお考えになられているのか。あの方はこの2人の戦力差をどう受け止めていらっしゃるのか。少なくとも鳳 鈴音についても少なからず知っているだろうし、織斑さんについてもわたくしたちの中では一番理解している以上、わたくし以上に2人の戦力差を分析できるはず。

 視線を正面から右に逸らす。その視線の先にいるのは眼鏡をかけた小柄な少年。あの人は左手で頬杖をつきながらシャーペンを右手の指先で器用に回転させている。視線は正面を向いて授業に向き合っているようだった。

 ……少し、顔色が悪い。表情はいつものように真剣さが滲んでいる表情だが、どことなく力がなく見える。……昨夜より澱んでいるような気がした。

―――――――――

「鬼一、メシ食いに学食行こうぜ」

 授業終了後、僕は一夏さんから昼食のお誘いを受けた。一夏さんの後ろには篠ノ之さんの姿が見える。その表情は厳しいが既に見慣れたものだ。疎まれているのは分かっているが、今後の一夏さんのトレーニングに悪影響を与えかねないのでなんとかしたいと思っている。だが、その方法が思いつかない。どうしたものか……?

 一夏さんの誘い自体には特に断る理由もないので了承する。

「大丈夫ですよ。セシリアさんも一緒にいかがですか?」

 流石にこの2人の間に飛び込んでいくのは勇気がいる。それにセシリアさんとお話ししたいという気持ちもあるのでお誘いした。

「わたくしでよろしければ喜んで」

 嬉しそうなセシリアさんの表情と柔らかな仕草で髪を撫でる。

 前には一夏さんと篠ノ之さん。その後ろに僕とセシリアさん。もう慣れたが僕たちのその後ろにはクラスメイト数人がついてきている。それなりの大人数で学食に向かう。……こんな人数で廊下を歩いて他の人の迷惑にならないだろうか? 正直邪魔くさいと思わなくもない。

 ……朝もしこたま食べたのに昼も夜もあの量を食べなくてはいけないことに憂鬱になる。必要だと分かっていても苦痛でしかないものは、ただただ嫌でしかない。

 券売機で1万円札を1枚投入し食券を20枚近く購入しなくてはいけないし、食券が出てくる時間も正直あまり好きではない。自分の後ろにいる人たちを待たせるわけなのだから。……いっそのこと暇な時間を見つけてまとめ買いしたほうがいいだろうか? こう、200枚くらい派手に。

「待ってたわよ、一夏!」

 両手を腰に当てた鈴さんが僕たちの前に立ちふさがった。……元気なのは結構だけどそこにいると邪魔になるので注意しようとしたが、僕が口を開いた瞬間、一夏さんが先に声をかけた。

「あー……鈴? 言いにくいんだけどそこ空けてくれないか? 食券出せないし、他の人の通行の邪魔になってるぞ」

「わ、わかってるわよ! 大体、アンタを待ってたんでしょうが! なんで早く来ないのよ!」

 鈴さんの理不尽な声に一夏さんは肩を落としていた。しかし、すぐに立ち直った一夏さんは食券をおばさんに渡す。どうやらこういったことは昔からあるようだ。随分と慣れた反応に見える。

「……随分と久しぶりだな。あれから1年くらいか? 病気とかにかからずに元気にしてたか鈴?」

 どことなく嬉しそうな声の一夏さん。本人も無意識だろうがその声は弾んでいる。

「げ、元気にしてたわよ。アンタこそ、たまには怪我病気しなさいよ」

「なんだよそれ。どんな無茶振りだ」

 その理不尽な注文に一夏さんは肩をすくめて苦笑するだけ。しかし、一夏さんの周りの女性って強気な女性が多いな。篠ノ之さん、織斑先生、鈴さん。……一夏さんはそういう女性と関わる星の下にでも生まれてきたと言われても不思議ではないと思う。

「一夏さん、日替わり定食来てますよ」

「あ、わりい鬼一。向こうのテーブルが空いているから、先に行って取っておくな」

「了解です。すぐに行きます」

 日替わり定食を持った一夏さんは一足先に空いているテーブルを確保するために歩き出す。その後ろに鈴さんが慌ててついていく。彼女のお盆の上にはラーメンが乗っかている。篠ノ之さんは自分が注文した料理をおばさんから受け取ると急ぎ足で追いかけた。……きつねうどんなんだからそんなに急いだら危ないと思うが。

 頼んだ量が量のためか大体僕は一番最後になる。一番最初に頼んだのに、一番最後に注文したセシリアさんの洋食ランチとほぼ同じタイミング出てきた。

 僕のお盆とセシリアさんのお盆が並ぶ。……僕のお盆がセシリアさんの3倍くらいあるのはギャグの領域にしか思えない。僕が食べるわけでなければ笑うレベルだ。お盆の上に乗せられた料理の量を見てため息を零す。
 僕は自分の重いお盆をしっかりと持ち、先に待っていたセシリアさんと一緒に一夏さんたちが待っている席に向かう。

 円形のテーブルには一夏さんがおり、その両隣には篠ノ之さんと鈴さんが固めていた。セシリアさんが篠ノ之さんの隣に座り、さらにその隣に僕が座る。一夏さんたちは僕たちが来る前からお話ししていた。

「鈴、いつ日本に帰ってきたんだ? おばさん元気か? というか、アレから1年で代表候補生になったのかよ」

「質問ばっかしないでよ。アンタこそ、何IS使ってるのよ。テレビのニュースで見たときびっくりしたじゃない。……というか鬼一、それ全部食べるの?」

「……あんまり聞かないでください。正直、今かなりテンションが低くて説明する気にもならないです」

 手の平サイズのサンドイッチを口に放り込み、野菜ジュースで流し込む。

 しかし、約1年ぶりの再開、か。親しい関係ならそれまでの期間、何していたか気になっても不思議ではないと思う。一夏さんにしては珍しく口数が多く感じた。……篠ノ之さんの時も感じたけど、幼馴染という少し特殊な関係には憧れる。仲間に恵まれたとは思うが、友達とか異性の親しい人間がほとんどいない身としては純粋に羨ましい。

 一瞬、隣のセシリアさんに視線が飛ぶ。造形の整ったモデルのような顔立ち、キラキラと光り輝く金髪、不純物のない海を思わせるブルーの瞳。

 ……親しい、とは思う。この学園の中では一番距離が近いと思う、いや、思いたい。でも、なんだろう……。本音さんに指摘された時は動揺してしまったし、その時姿を表したセシリアさんに対してみっともないところを見せた。確かに本音さんの言葉がホントだと思ったから、あんな熱を持ったのに。でも、今はあの時のような熱を持たない。いや、胸が僅かに痛む。

 親友? 仲間? 理解者? ……好きな人? 言葉としては色々と思いつくし、該当する、しそうなものもあるけど、ちょっと違うような気がした。なんだろう……僕は、僕はセシリアさんとどんな関係になりたいんだ?

 サンドイッチを持つ手が口に運ぶ途中で止まり、そのまま元の位置に戻る。

「……鬼一さん? どうしました?」

「いえ、なんでもないです」

 セシリアさんの言葉で沈んでいく意識が戻る。その言葉に何事もないように空いている左手を左右に振って濁した。

「一夏、そろそろどういう関係か説明してほしいのだが」

 僕とセシリアさん、一夏さんと鈴さんがそれぞれ話している状態だったからか、疎外感を感じた篠ノ之さんが険しい声で一夏さんに問いかける。周りのクラスメイトがこっちに視線を向けていることに僕は気づいた。その視線の詳しい意味は分からないが、熱と期待の籠った視線が一夏さんを中心に注がれる。

 ―――……どれだけ、他人の関係にそんなに興味を持っているんだが……。

「べ、べべ、別にあたしは付き合ってる訳じゃ……」

「……そう、だな。付き合っている訳じゃないな。だけど、大切な幼馴染だよ」

 周りの熱の籠った視線に理解できない、いや、違和感を感じているのか訝しげな一夏さんの表情。一夏さんの言葉に鈴さんはとても複雑そうな表情を浮かべていた。『大切』で嬉しそうな表情になり、『幼馴染』の部分で一瞬怒りの表情を見せ、最後はそれが混ざった表情になる。……傍からみればちょっと面白い。ひどい話だが。

「どうした鈴?」

「……な、なんでもないわよっ! ……私だってアンタのこと、大切だと思っているわよ……」

 ちょっと顔の赤い鈴さんがそっぽ向きながら怒鳴る。ただ、その声とは裏腹に表情は怒っているようにはとても見えなかった。僕から見れば、だが。照れ隠しなんじゃないかと思う。

 ……最後の言葉はホントに、注意していないと聞こえないくらいに小さな声だった。だけどそこに篭っている感情は、僕に全部分かるものではなかったが、鈴さんだけの大切な『思い』なんだと感じた。

「『大切』な幼馴染、だと……?」

 大切、を強調した疑問の声で篠ノ之さんは一夏さんに聞き返す。最後の言葉は聞こえていないみたいだ。

「……ん、と、だな、箒が引っ越したのは小4の終盤で、鈴が来たのは小5のすぐの頃だよ。そして中2の終わりに中国に戻ったから、こうして顔を合わせるのは大体1年ぶりくらいだな」

 一夏さんは視線を天井に彷徨わせて思考する。

 そうか、となると篠ノ之さんと鈴さんは直接顔を合わせたことはないんだな。

「鈴、こっちが箒だ。篠ノ之 箒。小学の時に少し話したけどさ、小学校の幼馴染で、通ってた道場の娘だよ。千冬姉とも顔見知りだ」

「ふーん、そっか」

 ちらりと、鈴さんは視線を篠ノ之さんに向ける。ちょっとだけ、鈴さんの表情は嬉しそうなものだった。反対に篠ノ之さんの表情は少し落ちだけ込んだものであった。

「初めまして。鳳 鈴音よ。これからよろしくね」

「……ああ。こちらこそ」

 ……この2人の対照的な表情の意味がよく分からなかったが、多分、分かった。『大切』。この単語が鈴さんの時はあったけど、篠ノ之さんの時はなかった。その差がこの2人の表情を分けているんだろう。

 ……一夏さんの様子を見る限りだと、鈴さんの関係を話すときは慎重に言葉を選びながら口にした感じだが、篠ノ之さんの時は無意識に、反射的に言葉が出たようにも見える。ある意味では篠ノ之さんの方が近い距離にいるようのに僕は感じた。

「初めまして鳳さん。自己紹介が遅れて申し訳ありませんでしたわ。わたくし、イギリス代表候補生のセシリア・オルコットです。お見知りおきを」

「ご丁寧にどうも。改めて自己紹介させてもらうわ。中国代表候補生の鳳 鈴音よ。こちらこそよろしくね。それと、鳳じゃなくて鈴でいいわ。こっちもそっちのことセシリアって呼ぶから」

「ではお言葉に甘えて、鈴さんと呼ばせていただきますわ」

 食事する手を止めてセシリアさんは自己紹介を行う。その仕草と声色は柔らかく、優雅、とさえ言ってもよかった。
 鈴さんもその自己紹介を受けて姿勢が正しいものになり、セシリアさんのそれとは違い、力強く、活発さを感じさせる声で自己紹介をした。

 自己紹介を終えて、鈴さん以外の3人の視線とクラスメイトの視線が僕に向けられる。……昨夜、もう済ませてるから特に言うことないんだけど。

 ラーメンの器に口をつけて豪快にスープを飲み干した鈴さんは僕にお礼を述べる。述べる前に視線を周りに走らせていたから、僕に視線が集まっていることにも気づいたんだろう。彼女なりのフォローなのかもしれない。

「鬼一、昨夜は案内ありがとうね。おかげで余計な手間を取られずにすんだわ」

 その言葉に僕はステーキをカットしている手を止める。

「いえ、どういたしまして。お力になれたなら幸いです」

 僕たちが顔見知りだということに気づいた一夏さんが疑問の声をあげる。

「? あれ、なんだ2人とも知り合いだったのか」

「昨夜、総合受付に向かっている途中で鈴さんに会ったんですよ。どうやら道に迷っている様子でしたので案内させてもらいました。それだけの話ですよ」

 途中、一夏さんと篠ノ之さんを見つけたことを口にはしなかった。する必要もないと思う。鈴さんのあの時の表情、心境が分からないから口に出来ない。

「ねぇ、一夏。アンタ、クラス代表なんだって?」

 鈴さんが話題を変える。その話題に対して一夏さんの表情は優れない。まだ、折り合いがついていない部分があるのかもしれなかった。どうして、最下位の自分が代表なのか? って。相応の理由があっても、それで納得できるかどうかはその人次第でしかない。……僕が言っていいことではないが。私情も混ざっているわけだし。

「……まぁな」

 表情と一緒で一夏さんの声は明るくない。ISのトレーニングはともかく、クラス対抗戦に関してはあまりモチベーションが高くないように感じた。あまりいい傾向ではない。これは何らかのフォローが必要かもしれない。

「ふーん……あ、あのさぁ。ISの操縦、見てあげよっか?」

 先ほどまでと違ってどこか口が重く感じる鈴さん。だけど、その言葉は一夏さんにとって承服できるものかどうかは知らないが。

「……」

 鈴さんの言葉に一夏さんは黙り込む。食事の手を止めて視線が下を向く。何て言えば良いのか考えているように見えた。鈴さんの善意、教えている僕たちのことを考えているように見える。
 ……少し、以前の一夏さんに比べて変わってきたように感じる。以前はもっと反射的に言葉を発していたが、今は少なからず考えて発言するようにしていた。……篠ノ之さんや織斑先生の時だけはまだ反射的に喋ることが多いみたいだが。

「……鈴、そりゃありがたいんだが―――」

 一夏さんが鈴さんに返事しようとしたところで、篠ノ之さんがテーブルを勢い任せに叩きつけながら立ち上がる。その表情は、余計なことをするな、と言わんばかりの表情だ。叩きつけた際にテーブルの上が揺れた。……昼時くらいは静かにできないのだろうか。

「一夏に教えるのは私の役目だ。頼まれたのも、私だ」

「あたしは一夏に言ってんの。関係ない人は引っ込んでてよ」

 ……僕もセシリアさんもなんですけどね。まぁ、それはいちいち言う必要もないことだ。

 遮られた一夏さんが小さくため息をつく。

「……箒、少し待ってくれ。鈴、鈴の言葉はありがたいけど別に大丈夫だよ。セシリアも教えてくれるし、鬼一も丁寧に分かるまで教えてくれるから」

 その言葉に鈴さんは視線を一夏さんからセシリアと僕に向ける。その視線は懐疑的なものとどこか人を馬鹿にした色合いに染まっていた。

「1組の代表決定戦について聞いたんだけど、アンタと対して変わらない初心者とその初心者に負けた代表候補生に何を教えてもらえるっていうの? たかが知れてない?」

 その言葉に僕は食事の手を止めない。セシリアさんは涼しい顔をしている。随分と舐めたことを言われたがこの程度、気にする必要もない。そもそも、鈴さんの発言そのものに意味がないのだ。

 一瞬、血液が頭に登りそうになったがそれはどうでもいい。

 セシリアさんは僕に負けたことは事実として受け入れているだろうし、この程度の煽りなどなんのその。涼しい顔をして食後の紅茶を飲んでいる。

 だが、一夏さんはその言葉を見逃すことは出来なかったらしい。険しい顔つきで鈴さんに反論する。

「……鈴、俺を馬鹿にするのは別にどうだっていいけど、この2人を馬鹿にするのは許さないぞ」

「だって事実でしょ? 仮にあたしが戦っても絶対勝つわよ」

 鈴さんは鼻で笑い、調子の良い声色で確信している口ぶりで話す。……まさか、これ素で言っているのか? 大した自信だ。やってもいないのにな。

 鈴さんの発言の一部分に僕は苛立ちを持つが、今は抑える。

「……鈴!」

 その言葉に一夏さんは怒りの声を上げる。一夏さんの怒りが予想外だったのか、鈴さんは一瞬怯えた表情に染まりかけた。篠ノ之さんは驚いたように一夏さんの顔を凝視。周りを見渡すと、クラスメイトの視線に怯えが見える。

「別に構いませんよ一夏さん」

「別に構いませんわ織斑さん」

 僕とセシリアさんが同じタイミングで一夏さんを諌める。一瞬、セシリアと視線が合うが2人で小さく笑みを零す。

 僕ら2人の声に一夏さんは納得できないと言わんばかりに声を上げた。

「鬼一っ、セシリアもいいのかよそれで」

「いいもくそも、意味のない発言に食い下がってもなんの価値もないじゃないですか。こんな下らない話、受け流すが吉、ですよ」

 僕はそう言って残りのステーキを口に放り込む。制服の内ポケットからハンカチを取り出し、口についた脂を拭き取った。
 僕の言ったことがよく分からなかったのか、一夏さんは口を開けてポカンとした表情になった。鈴さんは自分の話を下らない、と断じられて口角が釣り上がる。煽られるのが嫌なら煽らなければいいのに。

「どういうことよ鬼一? あたしの話に意味がないって」

「意味なんてあるはずもないでしょう。そもそも、僕らが一夏さんを教えているのは織斑先生の指示なんですから。僕たちの判断や貴方の判断で簡単に変われるはずもない。もし、鈴さんが教えたいということでしたら織斑先生にまでどうぞ」

 鈴さんの中で怒りが膨れ上がったのは容易に感じ取れたが、『織斑先生』の単語で一瞬で萎む。むしろ嫌そうな顔で、小さくではあるが舌打ちすらも漏らした。

 まあ、正直僕にとってそれはこの際どうでもいい。だが、このまま馬鹿にされたまま終えるつもりは毛頭ない。舐められたまま逃げられるのはゴメンだ。そもそも、こういう発言を見逃していられるほど大人ではないし、なるつもりもない。そして、勝負をそんな安く見られるのは我慢できない。

「しかし、中国代表候補生も知れたものですね。勝負に絶対など存在し得ないのに。随分と生ぬるい戦い、いや戦いとも言えないものしか知らないんでしょうね」

 僕の言葉にセシリアさん以外の全員が凍りついた。一夏さんも篠ノ之さんも僕に視線を向けたまま驚愕の表情。セシリアさんは自分の過去の行いを思い出したのか苦い顔をしている。鈴さんは一瞬、何を言われたのか理解出来ていなかった。が、すぐに顔を赤くして僕に噛み付いてきた。

「……あたしのこと馬鹿にしてんの!?」

 鈴さんは立ち上がり怒気を僕にぶつけてくるが、気にせずに飲み物に口をつける。鈴さんのその怒りぶりは周りのクラスメイトが視線を切ったり、背中を向けるほどだ。隣の一夏さんも身を引くほど。

「最初に煽ってきたのはそちらでしょう? その気があろうがなかろうがこの際どうでもいいです。自分が勝負したことない相手を叩くなら、その相手から言い返されても文句は言えないと思います。それに、身を切るような勝負をしたことのある人間なら、間違っても絶対なんて言葉は出ませんよ普通」

 この世に最強は存在しても無敵は存在しない。存在してはならない。例え、最強が相手でも何らかの勝算は眠っているものだ。重要なのはそれを見つけて、その時の自分に実現出来るラインに落とし込めるかどうか、その一点につきる。故に、勝負に絶対など存在しない。

 鈴さんは何か言葉を発しかけるが自重したようだった。これ以上口を開けば、僕の言葉を肯定しかねないからだろう。

 とはいえ、僕も言い過ぎなのは自覚している。絶対、という部分だけ理解してもらえれば特に文句もない。初心者なのは自覚しているし。そして、代表候補生になるのがどれだけ困難なことか、セシリアさんと話していれば嫌でも理解する。代表候補生を馬鹿にするのはともかくとして、セシリアさんを馬鹿にしたくない。

「言い過ぎでしたね。……鈴さん、申し訳ありませんでした。代表候補生というポジションを甘く見ているつもりはありません」

「……ううん、あたしも言い過ぎだったわ。確かに戦ってもいないのに、アンタたちを馬鹿にするのはフェアじゃないわね」

 僕の突然の謝罪に面食らった鈴さんだったが、頭が冷えたのか同じように頭を下げてから席に座る。空気が弛緩したのを見たクラスメイトたちも安堵のため息をついている。冷や汗をかいたのか、一夏さんは額を制服の袖で拭っていた。

 落ち着いたのを見て、僕は食事を再開する。一夏さんは気を取り直すように鈴さんに話しかけた。

「な、なぁ鈴。親父さん、元気にしているか? まあ、あの人が病気にかかるところなんて想像できないけど」

「あ……。うん、元気―――だと、思う」

 一夏さんの質問に歯切れ悪く答える鈴さんの表情は明るくなかった。……あんまり、家族関係が良くないのか、それとも純粋に触れられたくない事柄なのかは分からなかった。

「ねぇ一夏。それよりさ、今日の放課後って時間ある? あるよね。久しぶりだし、どこか行こうよ。ほら、駅前のファミレスとかさ」

「確かあそこ去年潰れたな。あと、鈴。転入してきたばっかで分からないと思うけど、IS学園から外に出るときは寮長、千冬姉に外出届け出さないといけないんだ」

「そう……なんだ。じゃ、じゃあさ、学食でもいいからさ、積もる話もあるでしょ?」

 その言葉に一夏さんは僕に視線を投げかけてくる。困った目線。トレーニングしなければならないという思いと、旧友と話したいと思いが見え隠れしていた。

 ……確か、今日は一夏さんのトレーニング日だったな。さて、どうしたものか。個人的には今日はお休みにして、ゆっくり昔話を楽しんでもらいたいけど……。せっかくの再開なんだし、一夏さんにとっても気の知れた相手がIS学園に来たことはいいことだろう。たまには息抜きしてもいいと思う。
 セシリアさんに視線を向けると同じことを考えていたのか、頷きだけを返してくれた。……僕の判断に任せるってことか。

「―――あいにくだが、一夏は私たちとISの特訓をするのだ。放課後は埋まっている」

 篠ノ之さんの一言。特訓しなければならない、というよりも篠ノ之さんのそれはもう少しベクトルの違う感情が見えた。その感情が何なのかまでは分からない。篠ノ之さんのその言葉に鈴さんは厳しい視線を篠ノ之さんに飛ばした。

 だが、篠ノ之さんの言葉も間違いではないのだ。それなら、その中間……。

「……でしたらこうはどうでしょうか? 一夏さんはトレーニングしなくちゃいけないのもそうですが、旧友の鈴さんと話すことで息抜きも出来るのも間違いではないしょう。でしたら、今日のトレーニングはやや早めに切り上げて、その後は鈴さんと昔話を楽しめばいいんじゃないかなと。一夏さんはどうです?」

「ああ、それなら助かる。俺も久しぶりに鈴と話したいことはあるしな」

「鈴さんも篠ノ之さんもこれでどうですか?」

「あたしは構わないわ」

「……そんなところだろう」

 そっけない言葉ではあったが鈴さんは嬉しそうな表情を隠せないでいた。それとは対照的に篠ノ之さんの表情は苦虫を噛み潰したような苦い表情だった。

―――――――――

 トレーニングの終了時間を告げるブザーがアリーナに鳴り響く。俺がアリーナのど真ん中で大の字で倒れていた。運動量の多さに呼吸は乱れ、心臓が悲鳴を上げて痛みを訴えている。

 視線をズラすと鬼一とセシリアの2人が1台のタブレットの画面に覗き込みながら、今日の俺の動きの良い点、悪い点を振り返っているようだった。トレーニング終了後は2人からの総評を受けて俺が修正に活かしていくのが基本。

 しかし、2人には頭が上がらない。2人とも自分たちの時間を削って俺のために力を振るってくれている。セシリアの説明はめちゃくちゃ細かく、理論的な説明で分かりにくいが鬼一が分かりやすく噛み砕いて俺に説明してくれる。鬼一の説明は分かりやすく理解できるのだが、俺はまだそれを上手く反映できていない状態。……出来の悪い生徒で申し訳ない。

 鬼一も自分のトレーニングを行っていたため肩で息をしている。というか俺より動いていた。疲れてはいるみたいだが俺のように倒れるほどの疲労はなさそうだった。セシリアに至っては俺と鬼一のトレーニング両方に付き合っていたのに、息も顔色も変えずに平然としている。……代表候補生ってホントに人間なのか? 

「ふん。鍛えていないからそうなるのだ」

 俺に容赦ない言葉を投げかけてくる箒も汗を流して疲労が見えるが、俺ほど疲れてはいない。そりゃそうだろう。俺は機動に関する基礎訓練を鬼一と一緒に繰り返し行って、その後は実戦形式の1対1を3回連続でバトってんだから疲れもする。箒は1対1の時の1回のみだ。疲労に差が出ても不思議ではない。

 ……しかし、機動に関して鬼一とあんだけ差がついているとは思わなかった。空中に浮くポールを如何に早く、時には飛んでくる弾丸を避けながら触りに行くという一種のレースゲーム感覚のトレーニングだったが、タッチしたポールの数に大差をつけられて負けるとは思わなかった。それだけ鬼一の機動はムダが少なくて早いんだろうな。それだけ努力しているとも言えるが。

「一夏さん、僕とセシリアさんの総評についてですが、全部データに纏めて送信しましたので後ほど確認してください」

 遠くから聞こえる鬼一の声に、俺は視界の隅に現れたメールのアイコンを開く。その中に2人のコメントが纏められたテキストデータが確認できた。確認できたので2人に手を振る。

「では僕らは先に戻ります。2人ともお疲れ様でした」

 鬼一は別れの言葉を述べるとセシリアと一緒にISを展開し、同じピットへ向かって飛翔する。しかし、あの2人仲いいよな。最初の頃が遠い昔のように感じる。

「……何をしている、早く私たちもピットに戻るぞ」

「なぁ、箒。いつ鬼一と話すつもりなんだ?」

 俺のその言葉に箒は黙り込む。都合の悪いことは黙るか、もしくは逆ギレするか、最終的には竹刀を振るが、こういうことは長引かせるのは良くないと思う。主に箒のメンタル的に。部屋で話した次の日に箒は浮かない表情だった。その原因が鬼一のことなのは考える必要もない。

「……」

 ただ、箒の気持ちも分かる。俺はあの時、ああは言ったが実際鬼一がどう思っているかなんて鬼一本人に聞かないと分からないことだ。箒もそう考えて鬼一と直接話そうと思っているらしいが、今までのやりとりから箒は自分が鬼一に嫌われていると思っている。そのこともあって箒はまだ鬼一と話すことが出来ていない。

「箒、前も言ったけどお前が良ければ俺が―――」

 俺が最後の言葉を言い切る前に箒は首を横に振った。自分の家族がしたことなのだから自分から話すのが筋、だと箒は考えている。箒は今まで束さんのことで様々な声を投げかけられただろうし、その中には理不尽なものもあったらしい。だけどその中には家族を亡くした人まではいなかった。

 家族を亡くしたそんな鬼一からどんな言葉が出てくるかが分からないから箒は怯えているんだ。現に今日の食堂の時とかは、内容は話せなくても約束くらいは出来たはずなのに鬼一に話しかけることも出来なかった。

「……わかったよ。難しいなら言ってくれよ協力するからさ。じゃあピットに戻ろうぜ」

 そう箒に声をかけて2人でピットに戻った。

「……っ」

 白式の展開を解除する。瞬間、膝を折りかけるほどの疲労が全身に襲いかかる。関節がギシギシと軋む音がして、視界がぼんやりと霞む。今日は早めに切り上げたから少し楽だ。
 箒は解除した後、しばらく立ち尽くしていたが思い出したようにタオルを俺に放り渡しながら口にする。

「……一夏、身体を冷やすなよ。汗をあれだけ流したんだから風邪を引くかもしれんぞ」

 幼馴染の貴重な優しさに涙が出そうになった。普段は暴言や暴力の大安売りだが、部屋で話した後から少しずつ箒はこういう面を見せ始めている。
 タオルを渡したあとの箒はいつものように髪を結い直す。その姿と動作にいつもの箒らしさが戻ってきて安心する。

 そういえば、この後鈴が来るとか言っていたな。早く準備しないと。

―――――――――

 IS学園には、当然だがIS専用の整備室が存在する。アリーナごとに用意されているその場所は本来であれば、2年生から使用できる専門クラス『整備課』のための設備だ。

 ピットでも補給や簡単な整備などは可能だが、ISという精密機械の塊はどうしても専門的な整備を必要とする。操縦者に合わせてIS側で最適化されると言っても、それは十分な整備を行い、万全な状態でこそ真価が発揮されるのだ。

 その整備室の一つで鬼一は空中に映し出されたディスプレイを確認しては手元のキーボードを叩く。その手つきはぎこちなく、時折手元を確認しながらキーを叩いている。鬼一は専用の椅子とモニターを使わず、行儀はお世辞にも良いとは言えないが地面に座ったまま鬼神の調整を行っており、鬼一の周りにはISの整備に関する書籍や書類が乱雑に散らばっていた。

 鬼一の周りにはセシリアはいない。鬼神の調整を行うということで先に戻ってもらったのだ。流石に自分の都合に付き合わせるのはいくらなんでも申し訳ない。セシリアは不満そうな表情ではあったが。

 ディスプレイに流れてくるプログラム郡や表示されているグラフを見て、鬼一の精神は削られていく。いくらなんでも初心者が1人でISの整備や調整を行えるはずがない。鬼一も知らなかったとはいえ、甘く見ていたと認めざるを得なかった。これは自分じゃどうしようもない現実だと。

 余程イラついているのか頭をガシガシと掻き毟る。舌打ちも溢れそうになるがそこは堪えた。

「……あー」

 ゴロン、と地面に転がる。冷えた地面が熱くなった身体と頭にはちょうど良かった。

 そもそも、なぜ鬼一が鬼神の調整を行っているか? 

 それはスラスターの速度調整に関することだ。楯無との模擬戦がきっかけで新たな戦略を思いついた。

 チェンジオブペース。鬼神の機動力と攻撃手段の豊富さを活かした戦略。先人らが積み重ねてきた資料にはまだこの手の分野を開拓している人間はいない。

 ISそのものの世代は現在第3世代機だが、ISが世代ごとに大きく変化していくように戦略やセオリーにも世代が存在する。
 
 具体的なことを言うと『ブリュンヒルデ』織斑 千冬が示した1つの最強戦略、それが近接戦。この時代はまだISが出てきたばかりということもあって全員が手探りの最中であった。
 その中で千冬は当時、今ほど強力な射撃武装が少ないということもあり、彼女は純粋な破壊力を活かした近接戦に特化して1つの戦略を組み上げたのだ。
 単一仕様能力『零落白夜』が注目されているが、それはあくまでも副次的なものでしかない。重要なのは如何に損害を抑えながら近づき、如何に誰よりも速く最大の一撃を叩き込むか、それを突き詰めていたからこそ勝ち続けることが出来たのだ。

 近接戦がIS戦では1つの正解だと示し、多くの操縦者がそれに飛びついた。そして、それに対抗するための新たな問いかけが投げかけられた。新しい答えと言い換えてもいい。

 それが、アンチ近接戦と近接戦プラスアルファの戦略。要は何が何でも近接戦に踏み込ませないという戦略と、基本はブレード等を用いた近接戦の戦略だがそこに別の新武装を加えることによって、従来の近接戦を超える戦略。
 アンチ近接戦、という意味ならセシリアの『ブルーティアーズ』がそれを体現しているだろうし、近接戦プラスアルファという意味なら、厳密には少々違うが楯無の『霧纏の淑女』がそうだろう。

 だが、鬼神と鬼一はまったく違うアプローチからそれに対応することにした。
 アンチ近接戦でもなく、近接戦プラスアルファでもない、更に踏み込んだ答え。
 それが、機動力の高さと攻撃手段の豊富さを活かした『チェンジオブペース』だ。相手の得意距離を機動力で外してそれ以外のポイントでの勝負、もしくは相手の得意距離でも機動力で相手の意識を外して隙を作って勝負する戦略。
 そして、武装の多さを活かして多種多様な攻撃で相手の守備力を粉砕。
 ある意味では現在の主流のセオリーや戦略に対してのアンチ、もしくは進化した形の戦略と言っても良いだろう。

 だがこれを具現化するにはスラスター、要はPICとそれに連動しているカスタム・ウイングの調整が不可欠。鬼一は過去の自身の試合の映像を見ていて鬼神の機動力を十全に活かせていないことに気づいた。

 鬼神の最高速度はリミッターが掛けられている状態でも白式を除けばトップクラスに位置する。そして鬼一はその速度をもっと前面に押し出したい、具体的に言えば最低速度から最高速度へ、最高速度から最低速度へと移行する時間を短縮することで『一瞬の早さ』を生み出したかったのだ。それを利用することで相手を振り回すことが出来ると考えた。

 もちろんこれには技量が必要。だが、大前提としてこれを行うためにはPICの加減速の調整やカスタム・ウイングのスラスターの調整は欠かせない。のだが……。

 所詮、鬼一は調整や整備に関してはIS戦以上に素人でしかなかった。繊細な調整が求められるのに初心者がどうこうできるはずもない。

「……うーん。やっぱり、素人の付け焼刃じゃどうしようもないな……。少なくともISに精通している人の協力が必要なんだな」

 大きくため息をついて身体を起こし、メガネを外して反対の手で目頭をほぐしながら今後のことを考える。

「……どうすりゃいい? 1組に整備課志望の人いたかな? もしくは2、3年生の先輩に助力を請うべきか? 専用機の整備、調整の経験は今後の進路にも活かせるはずだから、協力を申し込めば乗ってくれそうな気がする……。いや、だけど、信頼出来る人間を探すのも手間がかかりすぎるから、いっそのこと誰かに紹介してもらうか? たっちゃん先輩なら誰か良い人紹介してくれそうな気がする……。どっちにしても今日はここまでだな、これ以上やると夜のトレーニングを行う時間もなくなる」

 周りに散らばっている本や紙束を手当たり次第に掴んでカバンの中に入れる。片付けている中で鬼一は気付く。袋の中に入っている2本のジュース。

「……やっちまった。セシリアさんに渡そうと思ったのに忘れた……」

 グダグダだな今日は、と心の中で呟いて鬼一は立ち上がる。整備室の機能を次々と切っていき、最後には鬼神を格納して小部屋から出ていく。

 この後のスケジュールを思い出しながら鬼一は小走りで移動する。時間が押していることに気づいたからだ。

「きゃっ」

 ドンっ、と身体に走る衝撃。とっさに鬼一は視界に入った手を左手で掴んで引き寄せた。ぶつかった相手は倒れそうになったが、とっさのフォローで相手が後ろに倒れ込まずに済んだことに鬼一は安堵する。

「すいません、お怪我はなかったですか?」

 手を掴んだまま鬼一は相手に視線を向け謝罪する。そこにはどこかで見たことのある髪色と、どことなく知り合いに似ている顔が入り込んできた。

「!? ……大丈夫。こちらこそ、ごめんなさい」

 声は沈んでいたが、怪我していないことに内心ため息を漏らす。相手がしっかりと立っていることを確認してから手を離して、軽く頭を下げた。
 顔と髪色で鬼一は思い出した。彼女は日本の代表候補生にして、IS学園最強の更識 楯無の妹である更識 簪だと。

 その浮かない表情に何かが引っかかる。一瞬、本音の悲しげな表情が脳裏を通り過ぎた。

 2人の視線が互いに向けられたまま時間が止まる。2人の間に静寂が訪れ、その静寂に2人は動き出すことが出来なかったが、この気まずさの感じさせる空気に思わず鬼一は―――。

「……え、っと、その、お詫びといってはなんですが、このジュース受け取ってくれませんか?」

 思わず、そんなことを口にした。袋に入っていた柑橘類のジュースと相手に渡そうとする。鬼一の心の中に、猛烈な後悔が吹き荒れる。何を言ってるんだ僕は、と。

「……」

 その差し出されたジュースを見て簪は暗く、沈んだ表情から呆気に取られた表情になる。一瞬、何を言われたか、相手が何をしたのかよく分からなかったみたいだった。
 おそるおそるジュースを受け取る。簪は僅かにぬるくなったそれを眺めた。断る理由も思いつかなかったし、目の前にいる人間の空気がとても不思議なものに感じた。簪はその空気がなんなのかは分からない。だけど、不快なものではない。

 自分を、自分の姉と比較するような人間たちとは無縁の位置にいる人間。簪は今までずっと、なんでも出来る、優秀な姉と比べられてきた。そんな人間たちの視線とはまったく違うベクトルの視線だった。純粋に自分を気遣ってくれている視線。だけど、踏み込みすぎていない。

 再び止まる時間。不思議と2人の足は動かない。お互いにやること、やりたいことがあるはずなのに。

「……ん、と。怪我がなかったなら良かったです。えーっと、僕は1年1組の月夜、月夜 鬼一って言います初めまして。宜しければお名前を聞かせていただいても?」

 再び、鬼一は頭を抱えたくなるほどの後悔に苛まれる。これじゃ、ただのナンパ師じゃないか、そして、自己紹介をする空気じゃないだろ! と。

 ―――というかこれだと、昔アヤネさんが言ってたお見合いみたいじゃないか。

 あまりの愚かさに逃げ出したくなる鬼一だったが、簪は素直に返した。

「……4組の―――、更識、簪。……こちらこそ初めまして」

 更識、の部分はよく注意していないと聞こえないほどの声量だった。そして鬼一はその声と、本音の様子から『更識』という看板に何らかのコンプレックスを抱いていると漠然と考えた。

 ―――……『更識』という名が嫌、なのかな? いや―――。

 楯無とは家族の話をしたことがあったが、だが楯無から家族の話は聞いたことがないことを鬼一は思い出した。

 ―――姉妹仲、家族仲がよくない、のか? だったら―――。

「じゃあその、名前で呼んでもよろしいでしょうか? 名前呼びの方がしっくり来るんで」

 苗字で呼ぶことは避け、適当な理由をつけて鬼一は名前で呼んでも問題ないかと確認する。その言葉に簪は1度、考えるように止まった。あまり知らない男性から名前で呼ばれるのは嫌で、しかし名字で呼ばれるのはもっと嫌だった。ただ、目の前の少年の不思議な雰囲気のせいなのか、名前で呼ばれることにそこまでの嫌悪感は感じないような気がした。

 鬼一の提案に簪は小さく頷くだけで応えた。そのリアクションに鬼一は小さく笑う。

「じゃあ、簪さんって呼ばせてもらいますね。僕のことは名字でも名前でもお好みでどうぞ。出来ることなら名前の方が嬉しいですが」

 口が軽くなったからかスムーズに話せる。それに伴って鬼一の足は軽くなった。
 簪が何度か口を開き、言葉を出そうとするが全て途中で口は閉ざされた。鬼一はその簪の小さな動作から、あまり話すのが得意そうではない女の子だとも気づき、この辺で切り上げた方が良さそうだと考える。

「……あぁ、すいません。余計なお時間を取らせてしまって。今日のところはこれで失礼します」

 そう鬼一は言って後ろに振り返り、小走りで整備室から出ていこうとした。

 そこで簪に呼び止められた。

「……あっ、……っあの! 待って!」

 その予想外に大きな声を発した簪に鬼一は足を止めて振り返る。こんな大きな出せるんだ、などと少々失礼なことを考えながら。 
 
「どうしました?」

「……え、……えっと」

 声をかけたのは良いが、なんて聞いていいのか簪には分からなかった。相手を不快にさせない上手い言い方が思いつかなかったのだ。しかも、今自分が聞こうとしているのは楯無との模擬戦についてなのに、鬼一にとっては負けた試合。大多数の人にとって負けた試合をほじくり返されるのはいい気分にならない。

「……?」

 そんな簪を余所に鬼一は、なぜ呼び止められたのか分からないため僅かに首を傾げる。目の前の少女が何を聞こうとしているかは分からないが、だが、彼女にとっては無視できない内容というのはなんとなく予想できた。

「……別に、何か気になることがあるなら素直に聞いてくださって構いませんよ?」

 多分、自分を不快にさせるかもしれない、という思いから上手く言葉にできないのだろう、というのは理解した鬼一は気にする必要はない、と言外に意味を乗せてそう伝える。

 その言葉に少し安心したのか、簪は1度2度と視線を左右に走らせてからゆっくりと鬼一に視線を合わせてゆっくりと言葉を発した。

「……ねえさ、……ううん、更識生徒会長とこの前試合していたよね……?」

 ―――更識生徒会長、ね。本気でたっちゃん先輩と不仲なのかな?

「この前の休みの話ですね。アレ、見てたんですか?」

 鬼一はとくに気にしている風もなく簪の質問を肯定した。それは簪の予想外の反応でもあった。なぜなら、簪の知識の中では『男の子』というのは負けたということについた非常に敏感なものだと思ったからだ。そういう意味ではこの質問した瞬間に悔しがる、質問を拒否するなどの反応が返ってくると考えた。

「……え、っと、悔しくないの?」

「負けて悔しいのか悔しくないのか、ということならそれは確かに負けた直後はそれなりには悔しいですよ?」

「でも、その悔しさって結局のところ勝負師として未熟の証なんですよね。本当に勝敗を受け入れているならどんな結果が出ても納得できるもんです。そういう意味でも悔しさは感じました」

「……なんで、……なんであの人と、最後まで諦めずに戦えたの?」

 その質問に対して、鬼一は呆気に取られたように表情から力が抜けた。どうやら簪の言った言葉を理解していないようだった。
 一瞬言葉を無くした鬼一だったが、簪の言葉の意味を正確に理解したのかまでは把握できないが自身にとって当たり前の言葉を口にする。いや真実、鬼一にとっては呼吸をするように当たり前のことだった。

「……? なんで諦めなきゃいけないんですか?」

「……え?」

 鬼一のその言葉に簪は一瞬、思考が凍りついた。何を言っているか理解出来なかったのだ。
 そんな簪を余所に鬼一は顎に手を当てて試合を思い出しながら口にする。

「確かに強かった。自分が相手を越えられなかった。自分は相手に潰された」

 正直、鬼一は現役の代表国家を甘く見ていたかもしれない。正確には相手の実力の程を読み違えたのだが。
 楯無は鬼一から見て間違いなく、絶望的な強さを感じさせるものだった。だけど、鬼一はそれを絶望的なものとは受け取っていないからだ。鬼一はベクトルは違えども楯無とは比べようもない絶望的な勝負に身を焦がしたことがある。抵抗すら無意味のような戦いにだ。故に―――

「でも、『それだけ』のことでしかありません。結果が出てしまった以上は、僕の考えることはただ1つ『次は勝てばいい』それだけですよ。それに……」

 勝負で負けたのは事実。それはもう揺ぎようがない。だが、心までは楯無に膝を屈した覚えはない。自分の立場と相手の立場を考えれば、遅かれ早かれ再戦の機会は必ずあると鬼一は考えている。ならばその時に勝てばいいだけのこと。

 次、戦う時は模擬戦のようなものではなく、お互いの全てを賭した激闘になると鬼一は直感している。鬼一から見てそれこそe-Sportsでの戦いの日々に劣るものではないと感じるほどにだ。

「誤解を恐れずに言えば勝負の中で一番やってはいけないことだと思うんですよ。諦めることって。だって―――」

 そんな直感を持っているからこそ、そんなマグマのような熱量を持った戦いが待っているのならこんなところで足踏みをしている場合ではないし、背中を向けるなんてもったいないとすら感じている。

 そして、鬼一本人には特に思うことのない言葉であったが、その言葉は今度こそ簪の心に突き刺さる言葉だった。

「一回でも諦めてしまえば、全部諦めることになるからです」

「……っ!」

 果たして簪はその言葉をどんな気持ちで受け取ったのだろうか。握りこぶしに力が入る。

「そうなってしまえばそうそう勝つことはできなくなる。1回諦めてしまえば次諦めることに躊躇いを持てなくなってしまう。とんでもなく重い足かせみたいなものですよ」

 鬼一は言葉を無くした簪には気づいていない。

「だからそこの一点に関しては譲る気はさらさらないですね。あの試合で勝算はあることは知れましたし、あとはそれを形にするために努力するだけです」

 唯でさえ負けているのにメンタルで負けてしまえば勝てないということを鬼一は過去の経験から嫌というほど理解している。だからこそ、このような言葉が出てくるのだ。
 同時に、その言葉が人によっては毒となるものでもあるが。

「諦めることはいつでも出来るけど、諦めないことはいつでも出来るわけじゃないですからね」

―――――――――

 私は生徒会室で自分のノートパソコンの前に座りながら、その情報に視線を走らせる。生徒会室には私以外に誰もいない。情報の内容は鬼一くんに関する情報だった。彼の生い立ちから今に至るまで詳細に調べ、彼の持つ違和感を生み出している原因を探っていた。彼はあまりにも歪んでいる。

 それを最初に感じたのは織斑 一夏くんとの試合だった。あの時はあきらかにおかしい、いや、壊れていたと言っても良いだろう。あの子がなんの躊躇いなく人を傷つけることが考えにくいし、それにあんなふうに自分から『死』に近づいていくことが信じられなかった。あの子は両親を失っているのだから、本来、そういった『死』を忌避するはずなのに。にも関わらず、

 ―――自分を追い詰めるように、自分を壊すように、自分を殺すように、ううん、自分に罰を与えるような戦いなど私は見たことがない。あれだけISを調べているあの子がISの持つ危険性を知らないはずがない。一歩間違えれば大惨事になりかねないことを。厄介なことに本人はそれを覚えていない。

 守るための戦い、彼の言葉から該当するのはこれだろう。自分のいた世界を、自分が救われた世界のために、守るために彼は戦うことを選択した。

 だが、それは本当なのだろうか? その時の彼の言葉は間違いなく本心、それは間違いないと言える。だけど、実際にはそんなのは関係ない、と言わんばかりの無謀な行動の数々。

 守るためには、1つの大前提の元に成り立たなくてはならない。

 それは自分の身を自分で守ることだ。それが出来て初めて他を守ろうとすることが出来る。自分が死んでしまえば守ることは出来なくなってしまう。だが、彼はなんの躊躇いなく自分の身を切り捨てる。それがどれだけ異常なことか。一つの模擬戦に対して命を賭け金として差し出すことなどありえない。いや、あってはならない。

 つまり、究極的に言ってしまえば彼は自分の命に対して執着心がないのだ。とまでは言い過ぎだろうか?

 そして、何かの理屈や確信があってのことではないが、彼が見せた3つの顔はそれぞれ独立しているように私は見えた。突拍子もないことだと分かっているのだが、だが、どうしても私の中で普段の顔とあの時見せた顔が重ならない。比喩でもなんでもなく、別人にしか見えないのだ。

 そして、通路で見せたあの無機質な、全ての感情が削げ落ちた人形のような表情。あれが今も私の脳内にこびりついている。人間の顔ではなかった。あんなのが人間の表情とはとても思えない。

 にも関わらず、私と模擬戦したときは一夏くんに対して見せた執念は見えなかった。そのことが妙に引っかかる。

 カチカチとマウスをタップする音が室内に響く。

 月夜 鬼一、―――年6月21日生まれ。北海道出身。7歳までは北海道で暮らしていたが、両親の仕事、IS開発で関東に移住。両親は元々、北海道の小さな研究所で活動、だが月乃宮研究所に引き抜かれた。当時の所長である月乃宮 源蔵氏と協力し第2世代IS『鬼』の開発に成功する。

 関東の学校に転校後、女尊男卑によって生み出された歪み、つまりは陰湿なイジメに晒され10歳の時に不登校。不登校になった後は1度も学校に通ってはいない。勉学などは全て両親や、両親の職場の月乃宮研究所で教わる。当時、近所で知り合いだった女性プロゲーマーのアヤネ氏に近くのゲームセンターに連れて行ってもらうことが唯一の娯楽。

 その後は時間を見つけてはゲームセンターに通う日々が続き、12歳の誕生日を迎える前にアークキャッツにスポンサードの話を受ける。12歳の誕生日の際に両親の職場である月乃宮研究所に迎えに行った際、ISの事故に遭遇。両親はその際他界してしまう。《事故に関するデータファイルを添付》

 その後はアヤネや同じアークキャッツのチームメイトにして格闘ゲームe-Sportsのバイオニアである柿原 大吾に支えられながら各地を転戦。最初期の成績はメンタルが崩れていることもあってか、勝ち星を拾うことはほとんど叶わず。ランキングも底辺を彷徨っていた。しかし、一部の試合ではトップクラスのプレイヤーに土をつけ勝利を収めており、不思議なプレイヤー、運の良いプレイヤーと言われていた。

 しかし半年を過ぎたあたりからそれまでのプレイスタイルが一転、彼は経験を補うために莫大なデータから戦略を作り出すプレイヤーだったが、相手の弱点を容赦なく、無慈悲に突き続けるスタイルに転換。そのあまりの華のない、冷酷と言えるほどの戦い方から一部では鬼と囁かれていた。

 まだ続きはあったが、そこで1度視線を切る。添付されていたデータを開く。

 そのデータを開き、そこにあった事実に自分の表情が強ばることを実感した

―――――――――

 仕事が終わった千冬はIS学園の1年生の寮にある自室、寮長室に戻る。部屋に入り1日の疲れを吐き出すように深い溜息を零す。

 散らかった部屋を気にすることもなく、スーツの上着を脱いでハンガーにかける。普段の仕事で使うものに関しては丁寧に扱う。千冬は少なからず自分がどのように見られているか理解しているし、何を望まれているか分かっているつもりだ。看板を背負わせられた身としては応える義務などない。が、人は集団の中で生きなくてはならない、を持論としている千冬は必要であるなら応え続けようと考える。窮屈だと感じることは多々あるが弟の前ではそれを遵守するつもりだ。

 ワイシャツにスカート姿になった千冬は冷蔵庫を開き、これでもかと詰め込まれたロングタイプの缶ビールを1本取り出す。
 
 手慣れた様子で右手の親指と中指で缶を挟み、人差し指でプルタブを開ける。溢れそうになる中身をそのまま口につけて勢いよく身体に流し込む。冷えた炭酸飲料が全身に染み渡る。仕事終わりのこれは止められそうにない、と千冬は心の中で苦笑する。

「……ふぅ」

 中身を半分以上飲み干し、少し落ち着いたのか熱のある吐息を零す。

 テーブルの前に置いてある座椅子に座り込み、その上に鎮座しているノートパソコンの電源を立ち上げる。残った仕事を片付ける、というわけではない。

 自分の友人である束と話してから千冬はその言葉が脳裏から離れなかった。

 月夜 鬼一の今の姿は全て、彼の本質から生み出た歪んだ副産物でしかないことを。戦いを重いものとして扱う姿も、人を容赦なく傷つける姿も、利用できるものは利用して勝利に近づこうとする姿も、全部月夜 鬼一という人間の極一部でしかない。

 ノートパソコンを操作し、鬼一の今回の試合を映し出す。そして、セシリア戦前のあの集中していた姿と教室でセシリアに啖呵を切った姿を思い出す。そして、普段の鬼一の姿を重ね合わせ、そのあとの一夏戦で見せた姿と比較する。

「……多分、あれが月夜の表の顔なんだろうな」

 IS学園で日常的に見せている顔とセシリア戦で見せた顔をそう結論づける。

 そして映像を1度停止させ今度はインターネットに接続して、検索サイトに『月夜 鬼一』と打ち込む。そこに出てくる膨大な情報。流石に1つの分野の頂点に立てば、ファンであろうとなかろうとその情報を取り扱う人は非常に多い。

 何か月夜 鬼一という存在を知るヒントはないのだろうか? そんな思いで調べてみた。

 様々なサイトを渡り歩いている内に千冬は1つのホームページに辿り着く。

 ―――月夜 鬼一 現在 14歳 アークキャッツ所属 元プロゲーマー 2人目の男性操縦者。

 ―――第3回 ワールドリーグの優勝者であり最年少世界王者。そしてe-Sportsの申し子、勝負の『鬼』として尊敬を集めている。

 ―――国別対抗戦では選ばれた7人の内の1人であり、日本の尖兵として勝利に貢献。決勝戦では事故で出場に間に合わなかった柿原やアヤネに変わり、大将で出場。その際のレイアン氏との死闘は今でも鮮明に覚えている人は多いだろう。

 ―――抵抗することすら無意味と思われるほどの力を持った暴君を相手に、アウェーの地で暴力的なプレッシャーに耐えながら逆転一歩手前まで漕ぎ着け、そして、力尽き果てた姿を忘れることを筆者はできない。

 ―――圧倒的劣勢の中から、鬼のような執念と他のプロゲーマーから一目置かれるほどの抜群の集中力で数多くの逆転劇を生み出し続けてきた。

 ―――今の月夜 鬼一からは到底想像できないが、12歳の頃はプロゲーマーの中でも最弱と言われるほどだった。

 ―――元々将来性を重視され獲得された選手だったが、プロゲーマーになった直後に両親が他界。そのせいか最初の半年は成績が振るわなかった。

 ―――だが、月夜 鬼一は2度に渡り進化した。

 ―――死に物狂いでゲーム、競技人口2億人を誇るe-Sportsの世界に没頭し自身を磨き上げた。時には暴力事件に巻き込まれ大怪我をしても彼はe-Sportsの戦いに身を投じた。

 ―――12歳後半から13歳の前半、約半年で彼は第1集団まで上り詰め進化した。その頃からすでに一部では『鬼』と囁かれていた。

 ―――あまりにも情のないプレイスタイルからそう呼ばれたらしい。が、当時の動画や様子が分かるものはほとんど存在しない。今ほど注目されていなかったことが原因か。

 ―――彼なりに全力で戦い、全力でゲームに応えようとした。

 ―――そしてゲームもそれに応えてくれた。

 ―――気がつけば、彼はたくさんの人を惹きつけるほどの魅力的なプレイヤーにもう一度進化していた。彼とその周りにはいつもたくさんの仲間と笑顔があった。

 ―――『ゲームはいつだって戦いであり自身にとって救い』。ワールドリーグ決勝後に彼はそういった。

 それはセシリアが見た同じホームページだった。それを隅々まで目を通して確認する。

 余りにも情のないプレイスタイル。これは人を傷つけることに躊躇いのない顔なのだろうと千冬は考える。一夏との戦いで見せた1つ目の顔。

 沢山の人を惹きつける魅力的なプレイヤー。これは一夏戦で見せた2つ目の顔。観客たちを虜に、自分の世界に引き込んだ鬼一の姿が千冬の脳裏に浮かぶ。

 ギシリ、と音を立てて座椅子に深く背中を預ける。少しぬるくなったビールに口をつけた。

 ―――やはり微温いビールは人の飲み物ではないな。

 『ゲームはいつだって戦いであり自身にとって救い』。これは3つ目、普段の鬼一の姿や発言に一致する。だがこの発言は公の場での最初の発言であるため、正確には分からないがこの発言以前に生まれた可能性も考えられる。少なくともこの顔はプロゲーマーになったその後に生まれたものだと千冬は考えた。

 そして千冬は大きな疑問に直面する。

 ―――プロゲーマーになる前の、両親が亡くなる前のそれまでの月夜は今とは違うんじゃないのか?

 束の発言がなければこの3つ目の顔が月夜 鬼一という人間のベースだと錯覚していたかもしれない。だが、この顔も戦いの才能から吐き出された歪んだ副産物でしかないと友人は話していた。ただ普段から出ている以上、プロゲーマー以前の鬼一をベースにして生み出た可能性もある。つまり両親がいた頃の鬼一だ。

 ―――両親の他界、か。月夜にとってはよほどのショックだったのか……?

 人の痛みなど、他者が理解することはできない。と千冬は思う。だが、鬼一は一般的な家庭で育っていたことを千冬は確認している。鬼一がIS学園に来る前に簡潔に政府が調べた情報には千冬も目を通しているからだ。小学生の頃に虐められて登校拒否になった、ということ以外は特に気になることはなかった。一般的な家庭、というのは千冬のイメージでしかないがそれは両親の、家族の愛情を充分に受けて育つことを指すことだと千冬は思う。 

 今見ているホームページはあくまでも、プロゲーマーになった後の鬼一のことしか深く掘り下げられていない。それ以前のことは、両親が亡くなったこと以外は誰も知らないのだろうか、多分、そこに月夜 鬼一という人間の鍵があるのではないかと千冬はそう思った。

 才能から生み出た副産物の顔が今の鬼一を構成しているのは間違いないだろう。

 そして、束が言った本質。その本質が全面に出る鬼一は一体どんなものなのか、興味よりも危険がどうしても上回ってしまう。そんなのが出てきたら一体どうなるのか? 男でありながらISという絶対的な存在を使える以上、放置はありえない。

 千冬は立ち上がり冷蔵庫から2本目のビールを取り出す。

 今は楯無が保護という形で側にいるが、果たしてこのままにしておいていいのだろうか? 千冬はそう考えてしまう。束の言葉を全て鵜呑みにしているわけではないが、極一部の人間以外を人間としてみない友人があそこまで言い切ったのだ。少なくとも無視していい話ではない。

 仮に、鬼一のその本質が表に出現した場合、千冬は例えどんなものであっても戦うことになれば自分は止められる自信がある。ISだろうが生身だろうが負ける気はしない。

 だが、鬼一の周りにいる人間はそんなことは出来ないだろう。片鱗ではあったがそれでもあの強さは普通ではない。狂気と異常さを内包した異次元めいたものだった。全て解放された時、それに太刀打ちできるのは常識という境界線を踏み越えた千冬や束のような一握りの存在のみだ。

 周りの人間の中には千冬の弟である一夏がいる。

 一夏が傷つくことだけは絶対に許すわけにはいかない。

 千冬はそれだけを胸に刻んで歩いてきたのだ。

 そこまで考えた千冬は、持っていた缶ビールが原型を留めていないことに初めて気づいた。自然と力が入ってしまっていたことに驚き、溢れこぼれた中身をティッシュで拭く。

 1度冷静になる千冬。まだ鬼一の本質が解放されるとは決まったわけではないし、そんなものが1人の人間の本質だと考えるつもりもない。なぜなら情報があまりにも少ないからだ。千冬は自分が考えるのは不得手だと理解している。これ以上考えても多分何も分からないだろう。とんでもないことを考えていることも自覚している。

 だが経験上、こういうことは放っておいても良いことはない。

 故に、千冬は携帯電話で連絡を図った。こういうことが得意でなおかつ口の硬い人間。しかも鬼一の近くにいる。素晴らしいまでに条件を満たした人間がいるのだ。ついでに言えば自分の頼みを断ることも考えにくい相手だった。

 「私だ。今、大丈夫か?」

 「珍しいですね。織斑先生が私にこうして連絡してくるなんて」

 短いコール音が途切れ通話に応えたのはIS学園最強の看板を背負い、世界で2人目の男性操縦者の護衛についている更識 楯無だった。

 「月夜についてだ。まだ生徒会室にいるか? いるならそちらに向かっても大丈夫か?」

 楯無にとっては意外な言葉であったが断る理由もないし、その言葉を受諾した。

 「ええ。……ちょうど私以外も戻りましたし大丈夫ですよ。それに、私も少し話したいことがあります」

―――――――――

「―――なるほど、織斑先生は鬼一くんに幾つかの顔。つまり人格があると考え、私たちが知っている鬼一くんは彼の本質から生まれた副産物でしかないと」

「そうだ。お前の報告とあの試合の映像を見直せば月夜が普通ではないのは確かだ。いくら特殊な環境にいたからと言って、あそこまで変われる14歳など存在しない。奴は自分も他人も切り捨てられる。あんなことが出来るのは人として何かが壊れている証だ。しかも本人はそれを覚えていないのだろう?」

 束からの発言が発端であることは全て伏せたまま千冬は自分の考えを楯無に説明した。

 楯無は千冬のような考え、つまり複数の人格があるとまでは考えてはいなかった。が、その考えは楯無も少なからず否定できないものだと思う。

 ―――戦いの才能、ね。確かにあの戦いはそう思わされるものね。

「覚えていないみたいですね。試合映像を見ても本人はその行動が当時の自分にとっては最善だと思ったのだろう、くらいしか考えていません」

 楯無は鬼一とセシリアの保健室でのやりとりや自室での様子を思い出しながらそう話す。

「織斑先生のお話ですと、鬼一くんの人格は全てe-Sportsに没頭してから生まれたものであり、両親が存命であった頃は今とはまた違う人格だったのではないか? ということですか?」

 千冬は生徒会室の出入り口のドアの近くで、腕を組み壁に身を預けながら頷く。

「そうだ」

 そんな千冬に対して楯無は机の上で手を組んで質問を続ける。

「そしてその辺りの秘密は両親の他界、もしくはその前後にあると」

「自分でもとんでもないことだと考えているがな。そんな才能が子供の中にあることなど、出来ることなら信じたくない。だが月夜は普通だとは到底考えにくい」

 楯無にとっても、そんな才能を秘めている子供がいることなど信じたくない。僅か14歳の少年には余りにも重すぎる才能。仮にあるとしたら、それは自分も他人も不幸にするものでしかないと楯無は思う。自覚できないことも含めて、だ。

「……彼と親しい、近い人間はみんなプロゲーマーになってからの関係ですので、その辺りを知っている人間は殆どいないですね」

「確か奴には、面倒を見てくれていた姉貴分のような存在がいなかったか?」

 現役であり、女性の身でありながらe-Sportsの最前線を走り続けるプロゲーマー、アヤネ。鬼一の両親が亡くなる前、亡くなった後の鬼一に関わりのある人物。

「彼女も本格的な付き合いを持ち始めたのはプロゲーマーになってからです。小さい頃に何度か遊んであげたことがあるみたいですが、自身の都合のこともあって側に居てあげたことは実際には少ないみたいですね。極めて多忙な人物みたいですし」

「……そうか」

 ―――……両親を除けば月夜を深く知っている人間はいないのか、それも幼少期の頃の月夜を。

 ヒントを無くした千冬はそんなことを考えていたが、難しい顔をして考え込んでる楯無に気づいた。

「どうした。何か気になることがあるのか?」

「……正直、私としては信じ難いことなので話すのは気が進まないのですが……」

 本当に気が進まないのか、楯無の声は心なし沈んでいる。こんな楯無を見るのは千冬は初めてだった。

「構わん。今は奴を知る手がかりが少しでも必要だろう」

「……彼の両親がISの研究者、開発者だったのはご存知ですよね? その2人は月乃宮研究所の中でも優れた人間でした。鬼のベースを生み出したのは彼の両親です」

 鬼一の両親が生前ISに関わっていることは千冬も知っている。

「鬼の開発に関しては初耳だな。それで?」

「その2人を可愛がっていたのが、月乃宮研究所のトップであり鬼神の開発者である月乃宮 源三氏でした。鬼一くんのことも実のお孫さんみたいに可愛がっていたみたいです」

「ほう、そんな人がいるのか。ということは、その人なら月夜のことも詳しく知っているだろうな」

「……ですが、その人も今はいません」

「……そう、か。いつ、亡くなったんだ?」

「……違います」

 楯無の声が明らかに重いものに変わる。それに伴って室内の空気が変化する。

「……なに?」

 その雰囲気を察知した千冬は僅かに緊張感を漂わせる。楯無の発言はもしかしたら聞いてはいけないものかもしれない。

 そして、その発言は千冬の予想を遥かに超えるモノであった。

「彼は亡くなっていません。比喩でもなんでもなく姿そのものを消したのです。しかも一切の痕跡を残さずに。鬼神がロールアウトされたその日に、彼はどこかに消えました」


 
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