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世界最年少のプロゲーマーが女性の世界に

作者:友人K
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14話


「では、これよりISの基本的な飛行操縦を実践してもらう。織斑、月夜、オルコットの3名は他の生徒の見本として試しに飛んで見せろ」

 ―――起きろ、鬼神。

 織斑先生の声に僕は鬼神を展開させる。嫌悪感が湧き上がるが歯を食いしばり耐え抜く。左耳から全身に光が広がり、僕を包み込んだ。その光が一瞬広がって再度纏わり、鬼神を形成する。
 時間に直して約1.5秒。速い方だとは思う。熟練の操縦者は展開まで1秒もいらないと言うから随分と壁が高い。暇さえあればこういう基礎中の基礎は繰り返しやってはいるんだが……。1.5秒まではすぐに到着したがそこからは中々縮まらなかった。

 バチンっ、と何かが弾けるようなイメージでISが意識と接続される。口の中が酸っぱく感じたが唾液と一緒に無理やり飲み込んだ。くすんでいた視界が一気にクリアに広がり、先程よりも色鮮やかに見えるようになった。身体から力を抜くと地面から足が離れ浮き上がる。セシリアさんも僕と同じように浮き上がっていた。

「早くしろ織斑。熟練したIS操縦者は展開まで1秒とかからないぞ」

 僕とセシリアさんは既に展開完了しているが織斑さんだけが展開に手間取っていた。そういえば一夏さんは模擬戦の時も中々展開に手間取っていたな。

 ISはフィッティング作業(最適化処理。要は中身と外見を専用に書き換えて今の操縦者にあった性能や装甲に変化させることだ)、その作業が完了すればその後は操縦者の身体に何らかのアクセサリーの形状で待機状態を維持する。なんでアクセサリーかは知らないがISの持ち運びに困らないのはありがたい。
 僕は左耳に黒色のピアス。セシリアさんは青色のイヤーカフス(穴あけ不要のピアス)。よく似合っていると思う。同じ左耳に違いはあれどピアスをつけているのは、ちょっとお揃いみたいで嬉しい。違う、そうじゃないぞ僕。

 しかし一夏さんのアクセサリー? は異色だと思う。なんせガントレットなのだから。割りかし真面目によくわからないのだがRPGの防具じゃないんだからさ、もっとそれっぽい、例えば指輪とかの方が良かったと思う。

「集中しろ」

 織斑先生が一夏さんを叱責する。叱責というか、お前ならこれくらいはできるだろう? って言っているように僕は聞こえた。
 一夏さんは右腕を突き出してガントレットを左手で掴む。模擬戦前の練習で色々試していたがどうやらあれが一番集中できるようだ。

「よし、飛べ」

 一夏さんが白式の展開を完了させると織斑先生の指示が僕たち3人に飛んでくる。

 僕とセシリアさんがほぼ同じタイミングで急上昇する。僕が僅かに出遅れたが、今回は全ての武装を展開していない状態なのでとても身軽だ。いくらリミッターがかかっていると言っても相当の速度は確保できる。最終的にはセシリアさんを追い抜いて、僕が先に空中で静止する。……研究所にいた頃、急上昇に挑戦したのだがかなりの高さのある実験場で頭をぶつけた嫌な思い出を思い出した。
 一夏さんが遅れて急上昇を行うが、その速度は僕たちより遅かった。一夏さんは確か、急上昇と急下降は昨日習ったばかりだったか。上手くいくはずもないのも当然だ。

 一夏さんが僕たちと同じ高度に到達したのを確認して、そのまま平行に飛行する。クラス代表決定戦から何度も繰り返しトレーニングしたおかげか、大分動いてくれるようになった。

「自分の前方に角錐を展開させるイメージだっけ……。うぅ、よくわかんねぇ……」

 そのぼやきにセシリアさんが声をかける。

「織斑さん、イメージは所詮イメージ。自分がやりやすい方法を模索する方が建設的でしてよ」

「そう言われてもなぁ。大体、空を飛ぶ感覚自体がまだあやふやなんだよ。なんで浮いてるんだ、これ」

 理解できない、と表情で語る一夏さん。安心してください、僕だって理解していない部分がありますから。スラスターの向きと関係なく飛べると知った時、物理法則を無視した存在がISだと考えることにした。まぁ、今は多少理屈が分かるが。

「説明しても構いませんが、長いですわよ? 反重力力翼と流動波干渉の話になりますもの」

「オーケーわかった。説明はしてくれなくていい」

「後々嫌でも学ぶことになりますから概要くらいは頭に入れておいて損はないですよ?」

 僕の言葉に一夏さんは疲れたように首を横に振る。

「鬼一さんは知っていますの? 反重力力翼と流動波干渉について」

「カスタム・ウイングの最新レポートを読んでいる、という話を以前しましたが、その知識がないと話にならないんですよね。アレ」

 苦笑しながら肩をすくめる。

「でしたらわたくしにも見せてもらえませんか? その、出来ればふたりで―――」

 セシリアさんが言い終える前に織斑先生からの通信が耳に入ってくる。

「オルコット、月夜、織斑、急降下と完全停止をやって見せろ。目標は地表から10センチだ」

 その言葉に僕とセシリアさんの意識が切り替わり、和やかなものから緊張感のあるものに。

「了解です。では鬼一さん、織斑さん、お先に」

 ブルーティアーズに息吹を吹き込ませ、セシリアは猛スピードで降下していく。しかし上手いもんだ。張り合う、というのはまた違うが僕も負けていられない。
 蒼い流星と化したセシリアさんが地面すれすれ、ジャスト10センチでブルーティアーズを停止させた。素晴らしい見本を見ることが出来て幸いだと思う。これが代表候補生のラインであることを理解できたからだ。

「―――よし、行くか。それでは一夏さん、僕も行かせていただきますね」

 鬼火を起動させ重心を地面に向けると鬼神がそれに応えるかのように急降下を開始する。急速に近づく地面と全身が後方に引っ張られるかのような違和感。

「―――っ、この!」

 頭が下に足が上にあるような状態だったが足の鬼火を点火し、カスタムウイングの鬼火を1度静止させる。
 体勢をニュートラルに戻した僕はカスタムウイングの鬼火を再噴射させて、地面の方向にかかってる重力を打ち消す。下から上へと意識が振り回された。
 地表から約15センチのところで僕は静止した。目標の10センチには到達出来ずに終える。

「悪くはないが専用機持ちのレベルではないな。が、普段から練習していることがよくわかる動きだ。これからも精進しろ」

 織斑先生が僕の急降下と完全停止について講評する。まだ専用機持ちに値するレベルではないことに落胆するが、だが今回で感じた手応えは、まだまだ自分は成長できることを感じさせるものであったことに内心喜ぶ。

「……ふぅ」

「鬼一さん、お疲れ様です」

 ため息をついて力を抜く僕の隣にセシリアさんが来て、ねぎらいの言葉をかけてくれた。

「ありがとうございます。まぁ、今はこんなものですかね」

 そう言ってセシリアさんと一緒に一夏さんの急降下を眺める。凄まじい速度で一夏さんは降下してきて―――。

「……あっ」

 白い弾丸が地面に着弾する。地面が大きく振動し土埃が舞い上がった。ここからでは分からないが、ISの質量であれだけの速度だ。間違いなくグラウンドにクレーターが出来上がっているだろう。……一夏さん、なにやってんだか。クラスメイトの皆、笑いすぎ。一歩間違えたら大惨事だったというのに。

「いってーっ、死ぬかと思った……」

「馬鹿者。誰が地上に激突しろと言った。グラウンドに穴を開けてどうする」

「……すみません」

 織斑先生の叱責に気落ちしている一夏さんが謝罪する。
 クレーターの中心にいる一夏さんはゆっくりと姿勢制御を行って上昇。白式が地面から浮き上がる。シールドバリアーのおかげで一夏さんに怪我はない。……しかし、このグラウンドどうするんだ?

「情けないぞ、一夏。昨日私が教えてやっただろう」

 腕を組み、表情の険しい篠ノ之さんが消沈している一夏さんに追い討ちをかけた。……教えた? あれで? 教えたにしては随分とお粗末なものだったと思う。篠ノ之さんの教え方は、

『ぐっ、とする感じだ』

『どんっ、という感覚だ』

『ずかーん、という具合だ』

 教え方に関しては人それぞれだと思うしそのやり方を否定しようとは思わないけど、だけど、一夏さんが理解できていないのは明白だった。自分の感性と人の感性を同じものだと捉えると今回のようなケースを起こすのも当然だろう。一夏さんにも責任はあるとは思うが、篠ノ之さんも自分の説明が相手に理解されていないと知っていてそれを改善しないのはどうだろう。僕とセシリアさんも別でトレーニングをしていたが、思わず口を出してしまうくらいには問題だった。

 一夏さんも「……あれが説明? 冗談だろ?」と、口にはしていないが表情が物語っている。

「貴様、何か失礼なことを考えているだろう」

 ほら、篠ノ之さんにも読まれた。

「大体だな一夏。お前という奴は昔から―――」

 さて、これ以上は見ていられないし聞いていられない。そんなことを言う前に確認すべきことがあるのに。
 1歩前に歩いた僕だったが、セシリアさんも同じ考えだったのか一夏さんに対して1歩前に歩き出していた。
 セシリアさんに視線を向けると楽しそうに笑っている彼女がいた。……いかん、ここで余計なことを考えるな。

「大丈夫でしょうか、一夏さん? どこか怪我などはしていませんか?」

 胸の内に湧き上がる気恥ずかしさを打ち消すように一夏さんに声をかける。

「あ、ああ。大丈夫だけど……」

 一夏さんは色々と身体を動かして自身の状態を確認する。どうやら特に怪我などはしていないみたいだ。それならいいんだが。

「……ISを装備していて怪我などするわけがないだろう……」

 その言葉に疑問が浮かぶ。疑問というか違和感だろうか? 確かクラスでは姉を嫌っているような発言をしていたけど、それとは別でISのことはある意味で信頼しているのだろうか? いや、信頼というよりも……。

 違う、今はそこじゃない。

「ISだって人の作ったものです。人が作ったものである以上完璧なものじゃない。結果的には大丈夫でしたが怪我をすることだって考えられるのですから、人を気遣うのは当然でしょう。ちなみに他のみなさんも大丈夫でしたか? 僕らはともかく、かなりの衝撃と音でしたからね。誰か怪我や調子を崩した方はいらっしゃいますか?」

 クレーターの1歩手前から周りを見渡し、他のクラスメイトの状況を確認する。クラスメイト達はそれぞれ自分や周りを確認して、その後に本音さんが声を上げた。

「つっきー、みんな大丈夫だよ~」

 本音さんの間延びした声に安堵する。

「織斑先生、山田先生、今回は白式の不具合というよりも一夏さんのミスで、怪我人は出ていませんがかなりの危険があると思います。1度見直したほうがいいと思いますよこれ。例えばシールドバリアーで安全が確保されているアリーナで行うとか」

 僕の提案に山田先生が手を顎に当て考え始める。織斑先生も腕を組んで難しい顔をしていた。織斑先生にとっては予想外の出来事、山田先生は僕の言葉に一理あると考えたのだろう。しかし、今までこういった事故が無かったのだろうか。いや、過去より今と未来だ。

「分かりました。この件に関しては後ほど私たち教師たちで検討し、生徒に対する安全性を見直させていただきます」

 山田先生の言葉で締められる。山田先生は少なからず教師として気になる点はあるが、生徒のことを考えている人だ。悪いことにはならないだろう。

「では授業を続けるぞ。織斑、武装を展開しろ。それくらいは自由にできるようになっただろう」

 山田先生の言葉に織斑先生は授業を再開させる。

「は、はあ」

 僕の言葉で自分のミスがどれくらいのものか理解した、僅かに顔の青い一夏さんが曖昧な返事をする。問題は次を無くすことなのだから、反省はしないといけないだろうが一夏さんだけが気に止むことはないと思う。

「返事は『はい』だ」

「は、はい」

 なんだろう、織斑先生に対して違和感のようなものを感じる。なんだ、この違和感。

「よし。では、はじめろ」

 織斑先生に指示を出された一夏さんは横を向き、視線を周囲に走らせる。クラスメイト達は僕の言葉もあってか先ほどよりも距離を空けている。周りに誰もいないことを確認した一夏さんは右腕を突き出し、左腕で握った。

 一夏さんの左腕が右腕を力強く握り締める。ここから見ていてもそれははっきりと分かった。右手の手の平から強い光が放たれ、その光が形を生み出す。雪片弐型だ。

「遅い。0.5秒で出せるようになれ」

 確かに一夏さんの展開速度は遅い。唯一の武器である雪片弐型を出すのに2秒以上かけていては、いざというときに展開出来ずに対応が遅れてしまう。

「次、月夜。お前の武装を展開しろ」

「了解しました」

 強く、脳内の中で鬼神を思い浮かべる。鮮明に、色鮮やかに、最速で姿を形にし、続けて1つずつ武装を思い浮かべた。鬼神の姿に加えて、武装の形をなぞるように複数の線が高速で疾走する。

 左手に夜叉。

 右手に羅刹。

 腰に2門のレール砲。

 そして最後に両肩にミサイルポッドが展開された。

 全て合わせて約2秒とゼロコンマ3秒。研究所にいた頃に比べればかなり早くなったが、それでもまだ遅い。

 鬼神の強みは状況に応じてその武装を収納したり展開させることで、鬼神のスピードを変化させることや戦略をその都度変化させることにあると思う。拡張領域には弾薬が詰め込まれており、ミサイルポッドの通常弾頭や防御弾頭、レール砲の通常弾や実験弾などが収納されている。弾薬の切り替えに時間がかかりすぎるから、実戦では1度も切り替えていないが。武装に至っては収納せずにパージで対応していることもある。

「全部で2.3秒オーバーか。1つの武装につき約0.5秒なのは結構だがお前の戦い方を見る限りだと、これからは展開と収納を繰り返すことが多くなる。それを考えるなら0.5秒でも遅いくらいだ。高速切替ほどの早さを出せとは言わないが、それに近い速度で出来るようにしろ」

「……分かりました」

 僕も高速切替が出来るのがベストだと思う。だが、嫌なことに高速切替を解説している動画や文章がほとんどないのだ。となると独学で習得するしかないのだがそれには時間がかかりすぎる。IS学園で誰か習得していないものか……。

「オルコット、武装を展開しろ」

「はい」

 そういえば初めて見るなセシリアさんの展開。
 セシリアさんは左手を肩の高さまで上げ水平に突き出す。僕や一夏さんと違って一瞬だけ光り、極めて短い時間でスターライトMkⅢが握られていた。しかも、視線だけでロックを解除した。……早いしそんな操作ができるのは素直に凄いと思うんだけど、思うんだけど……。

「さすがだな。代表候補生。―――ただし、そのポーズはやめろ。横に向かって銃身を展開させて誰を撃つ気だ。正面に展開できるようにしろ」

 織斑先生が僕の心の声を代弁してくれた。思わず頷いてしまう。せめて銃口を下に向けたまま展開しましょうよ。向けられる方はめちゃくちゃ怖いと思う。僕の頷きが誰かに見られていなかったのは幸い。

「で、ですがこれはわたくしのイメージをまとめるために必要な―――」

 イメージをまとめるために必要なのは分かるけどセシリアさん、これは流石にどうかと思う。

「直せ。いいな」

「―――、……はい」

 織斑先生の反論を許さぬ眼光はセシリアさんを封じ込めた。
 そういえばセシリアさん、近接武器のインターセプターの展開はどうしたんだろう? 映像を見返したとき、一夏さんの試合の時は展開していたが。……あれ? あの時確か―――。

「オルコット、近接用の武装を展開しろ」

「えっ、あ、はっ、はいっ」

 セシリアさんにしては珍しくどもった返事。いきなり展開しろ、と振られたからかな? 反応が遅いような気がする。
 スターライトMkⅢを素早く収納し、そしてインターセプターを展開。いや、展開しようとしていた。光が形を作らず、手の上で彷徨っている。

「くっ……」

 焦ったような声を漏らすセシリアさん。

「まだか?」

「す、すぐです。―――……ああ、もうっ! インターセプター!」

 そうだ。一夏さんとの試合の時、何か呟いてから展開されていたが、この方法じゃないと展開出来なかったのか。裏を返せば一夏さんとの試合はそれだけ切羽詰っていたということでもある。あれはセシリアさんのメンタルが崩されていたのもあったが。
 しかし、セシリアさんの意外な面が見れたな。ISに関しては理路整然としていて、基礎能力も高いから思考だけで出来ると思っていた。個人的には考えるよりも口にしたほうが早いなら全然アリだと思うが。なんでこれが初心者用の手段なんだろう? 戦いの手段には究極的には初心者も上級者もないと思う。重要なのはその手段が今の自分にとっての最善で、相手に通用するかどうかだ。

 僕は思わず首を傾げてしまう。

 どうやらセシリアさんにとってはよほど屈辱的だったのか声を荒げていた。

「……何秒かかっている。お前は、実戦でも相手に待ってもらうのか?」

「じ、実戦では近接の間合いに入らせません! で……」

 セシリアさんの言葉は途中で止まる。歯を食いしばって言葉を必死に飲み込んでいた。これ以上言葉を漏らせば自分の価値を貶めることに気づいたからだろう。

「ほう、織斑や月夜との大戦で初心者に簡単に懐を許していたように見えたが?」

 小さくセシリアさんは深呼吸をついた。落ち着くように、頭を冷やすようにしてだ。

「……そうですわね。今後は間合いに踏み込ませないのはもちろんですが、近接戦も問題なく行えるように致します」

 心を落ち着かせたセシリアさんは自分の問題点を受け入れ、それを修正すると公言した。

 通信音が脳内に鳴る。どうやらセシリアさんからの個人間秘匿通信。

『お見苦しいところをお見せして申し訳ございません、鬼一さん』

 その声はいつものセシリアさんのものだった。

『いえ、お気になさらずに』

 しかし、この個人間秘匿通信も最初は使うイメージが分からなかった。『頭の右後ろで通話するイメージ』という漠然とした説明は文句を言われても仕方ないと思う。僕のイメージは一言で言うと携帯電話。

「ふむ、そろそろ時間だな。今日の授業はここまでだ。織斑、グラウンドを片付けておけよ」

 ……あの穴を埋めるのは容易じゃなさそうだな。直径10メートル以上はあるだろうし、深さもかなりのものだ。グラウンドの土って近くにはなかったような気がする。朝のトレーニングの時、近くに小屋を見つけたけどあそこはシャベルとかしかなかったと思う。

 ……待て、今はそこじゃない。このままだと僕もその作業に巻き込まれかねない。……よし。

『セシリアさん。授業も終わりましたし、さっさと撤収しましょう』

『そうですわね。鬼一さん、この後お時間よろしければお話しでもいかがです?』

 その言葉に了承の意を伝え、ISを解除する。どうやらセシリアさんも巻き込まれるのはごめんらしい。解除した僕とセシリアさんは素早く撤収した。

 一夏さん、申し訳ないですがガン逃げさせていただきます。

―――――――――

 ―――セシリアさんには申し訳ないことをしたな。

 本日の授業が終了し、鬼一は重厚なアタッシュケースを持って外を歩いていた。時刻は夜8時。ケースは鍵で開けられるものではなく、12桁の数字を3回に渡って入力しなければならないものだ。中身は月乃宮研究所に提出するための、仕事に関する書類である。鬼神の調整内容についてや問題点、果てには新武装の提案や実装について。書類とデータの両方を保管してある。鬼神のデータに関するものは鬼神本体を除けばここに入っているものが全て。鬼一のパソコンなどからは全て消去済みだ。万一の漏洩を防ぐための処置でもある。

 そしてこれらを月乃宮研究所に送付しなければならないのだが、機密に関わる情報が多数入り込んでいるため情報漏洩を未然に防ぐために、IS学園に依頼して郵送してもらう必要があった。

 そのため鬼一は本校舎1階総合事務受付に向かっていた。

 ―――これでようやく収入が入るな。学費と生活費くらいはどうにかなるかな。しっかし、疲れた。こういうのは得意じゃないんだろうな。

 ぼんやりと疲れた頭で学園内を歩く。

 そこで鬼一は気になるものを見つけたのか足を止める。
 小柄な身体に、それに似つかわしくない大きなボストンバックを肩にかけた少女。長く艶やかな長髪を左右で分けて結んでいる。幼い顔つきではあるが活発さと明るさを感じさせた。
 右手に握られているのは一枚の用紙。だが、粗雑に取り扱ってきたのかその用紙は様々な折り目が入っている。折り畳まずに適当にポケットか何かに突っ込んだようだ。
 用紙を睨み視線を左右に走らせた後、少女はイラついたように用紙を上着のポケットに粗雑な扱いで押し込んだ。

 鬼一はその様を見ていて考える。荷物が入っているだろうボストンバックに何かを探しているような様子。そこで鬼一は少女は道に迷っているのではないか? と結論を出す。

 ゆっくりとした足取りで鬼一は少女に近寄る。

「どうかしましたか?」

 鬼一の声に少女は気付き、勢い良く振り返った。

「何よ? ……男? あんたもしかして2人目の男性操縦者の月夜 鬼一かしら?」

 苛立ちを含んだ声から疑問の声に変わり、そして最後は確認する声に変わる。
 少女の顔を見て鬼一も思い出す。目の前にいる少女は中国代表候補生の鳳 鈴音であると。

「初めまして、こんばんは。仰る通り僕は世界で2人目の男性操縦者の月夜です。苗字でも名前でも好きな方で呼んでいただいて結構ですよ。貴女は中国代表候補生の鳳 鈴音さんで間違いなかったでしょうか?」

「ええ、そうよ。……なんで私のことを知っているのよ?」

 肯定した後に疑問の声。

「IS操縦者なら各国の国家代表や代表候補生を知っておいて損は無いと思います。確か貴女は中国にいたと思いますが、IS学園に何か御用ですか?」

「確かにそうね。そっちも私のことを知っているなら早いわね。鳳 鈴音よ。それなら鬼一って呼ばせてもらうから私のことは鈴でいいわ。こっちに転入してきたんだけど、本校舎1階総合事務受付ってところを探しているところだったのよ。ここ広すぎない?地図見ても分からないし、迎えはこないって言われるし、本国は私1人に行かせるしでもう散々!」

 少女の愚痴混じりの声に鬼一は苦笑する。愚痴を聞く方は得てして不快な気持ちになりやすいが、目の前の少女の愚痴からはそういったものを感じない。まっすぐで裏表のない人なんだろう、と鬼一は考える。

「確かに。夜で分かりにくいですし、ここは広いですしね。よろしければご案内しましょうか? 僕も用事がありますし」

 鬼一の言葉に鈴の表情が明るくなる。鈴にとっては天からの助けも同然であった。あまりのIS学園の広さに思わずISを起動させて空から探してやろうか? と考えるくらいには彼女はイラついていたのだから。

「ごめん、悪いんだけどお願いしてもいいかしら?」

 鈴の鬼一に対する第1印象はとても不思議なものだった。

 彼女は『歳をとっているだけで偉そうにしている大人』や『男っていうだけで偉そうにしてる男』が大嫌いなのだ。そして、男の力などは児戯で女のISこそが正義。という考えを少なからず好んでいる人間なのだが、目の前の少年はどうもそれとは無縁の存在に見えた。

 普段の鈴からすれば『生意気』と感じても不思議でもないのだが、そういった感情は抱かなかった。

 代表候補生として、女性というよりも1人の人間としての自分に一定の敬意を払っているように鈴は感じる。しかし、鬼一という人間は男の腕力というものや女のIS、というものに対して重要視してないように見えた。

 鈴は中国という世界で一番人口の多い国、IS操縦者の人口が多い場所で僅か1年で代表候補生に上り詰めた。上ることで様々な人間を見ている。

 例えば男の政府関係者。

 代表候補生である自分を恐れているような、己の身の保身しか考えていないような下衆な人間。そういうのとは対極の存在だと思えた。この少年は安直な恐怖とか保身とは縁のない人間。

 2人は無言で並んで歩く。

 鬼一は特に気にしなかったのだが、鈴はどうにもこういった空気が好きではない。必然的に鈴から鬼一に話しかける。

「ねぇ、織斑 一夏は元気?」

「はい? 鈴さんは一夏さんとお知り合いなんですか?」

 鈴の一夏に対するその呼び方は鬼一から聞いても親愛の籠った言葉だった。少なくとも親しい人間に対するそれなのはすぐに理解出来た。

「んー、まぁ、昔ちょっとね」

 別段隠すことでもないのだが、思わず濁した言い方になってしまう。ちょっと気恥ずかしかった。
 鈴のその態度に鬼一は、一夏に対して悪い感情を持っていないということだけは分かった。昔のことに関しては深く追求せず素直に答える。

「……僕から見れば元気だと思いますよ。最初の頃は周りがほぼ異性しかいないということもあって、苦労していることもありましたが今は随分と馴染んだと思います」

 鬼一のその言葉に鈴は複雑な気持ちを抱く。元気なのは嬉しいが他の女と仲良くするのは嬉しくなかった。

「……仲の良い女子とかはいるの?」

 鈴は思わず暗い言い方になってしまったが、鬼一はそれに気づいていない。

「親しい女性の方……親しいかは僕から見ると正直微妙なところですが、幼馴染の方とはよく行動を共にしてますよ」

 その鬼一の言葉に鈴の温度が下がる。そして鬼一は自分の失言を悟る。目の前の少女は一夏と親しい、というよりもそれ以上の感情を持っていることに気づいたからだ。

「だから……でだな……」

 箒の声が鬼一の耳に入り込んでくる。今日は確か、一夏さんと篠ノ之さんがトレーニングしていたな、と鬼一は思い出す。そして同時に気付く。割と最悪なタイミングで出てきやがったな、と。
 いや、まだ距離はある。それならそれとなく距離を離せばとりあえずは大丈夫だろうと鬼一は考えた。そして、その考えが愚かだということにすぐに思い知らされる。

「……ら、……わ……だよ」

 険しい女性の声の次に聞こえてきた男性の声に鈴は一瞬足を止める。鈴にとってはなによりも聞きたかった人の声だ。その声に突き動かされるように走り出す。

「……やってしまったな、僕」

 鬼一の呟きなど鈴は気にしていられない。全力で走る。ただ、顔と声が聞きたかった。自分と顔を合わせてどんなリアクションが出てくるのか、自分のことを覚えてるかな、覚えていたら嬉しいな、様々な思考と感情が鈴の中で混ざり出す。

「いち、―――……っ!?」

 裏返った声で一夏を呼ぼうとした瞬間、目の前の光景を見て言葉が止められる。そして、一瞬理解出来なくて足が止まり、最後には理解して驚きの感情が溢れ出す。鈴の感情が大きく揺れ動いたのは後ろにいた鬼一にもなんとなく分かった。

「一夏、いつになったらイメージが掴めるのだ。ようやく進んだのにまた同じようなところで詰まっているではないか。」

「あのなあ、お前の説明が独特すぎんだよ。いい加減擬音での説明を止めてくれよ」

「……くいって感じだ」

「だからそれがわからないんだって、鬼一の説明の方がよっぽど―――おい、待てって箒!」

 鬼一はもう目の前の光景を見ていられなかった。右手で自分の視線を遮っている。一夏と箒のやり取りが進むごとに、目の前の少女の背中が小さくなっていくのが見て取れた。それだけで鈴がショックを受けているのは分かる。

 固まってしまった背中に声をかける。

「……鈴さん、行きましょう。総合事務受付もこの近くです」

 そう声をかけると鈴はゆっくりと鬼一の後ろを歩き始めた。表情は見なかった。見たとして、なんて声をかければいいのか鬼一には分からなかったからだ。

 その後、総合事務受付に案内を終えたとき、顔を上げた鈴は笑顔で鬼一にお礼を述べる。

「鬼一、ありがとね。これは貸しにしといていいわよ」

「別に構いませんよ。僕も用がありましたので」

 そう言って2人は別れた。それぞれ全く違う手続きを行わなければいけない以上、窓口が違ったからだ。

―――――――――

「というわけでっ! 織斑くんクラス代表決定おめでとう!」

「おめでと~っ!」

 織斑さん、鬼一さん、わたくし、篠ノ之さん以外のクラスメイトがそれぞれ手に持ったクラッカーを甲高く鳴らす。わたくしと鬼一さんは離れた席に2人で向かい合って座り、織斑さんや篠ノ之さん、そしてクラスメイトの皆さんが1箇所に集まっている場所を眺めていた。

 今は夕食あとの短い自由時間で、場所は寮の食堂。わたくしたちのクラス、1年1組は全員この会に集まっており、大いに盛り上がっていた。この盛り上がりは嬉しさとかよりも、物珍しさなどが先行しているようにも感じる。しかし、よく見てみるとわたくしたちのクラス以外の人も参加しているようだった。見たことのない顔があちこちで見える。

 壁には『織斑一夏クラス代表就任パーティー』と手作り感溢れる張り紙と、食堂の一部に装飾まで施されていた。一体どこからこれを行う時間を捻出したのだろう?

 わたくしはそれから視線を切り目の前の男の子に向ける。わたくしの友人にしてお互いの理解者、そして今は―――ちょっとだけ淡い気持ちを抱いている方。

 鬼一さんは頬杖を付き左手の手の甲に顎を乗せ、ボンヤリとした表情でクラスメイトの盛り上がりを眺めていた。表情がどことなく重そうで、何度も瞼が落ちそうになっている。お仕事が終わったらしく安心したのか、普段の表情や保険室での表情とはまったく違うもの。
 薄手の黒い手袋に包まれた左手を見る。その内の1本はもう、親から頂いたものじゃなく、人工的なそれ。

 戦えば必ず傷つく、鬼一さんはそう言った。それはわたくしも思いますが、今胸の中にある感情がそれを否定しようとする。この人に戦わせてはいけない、と。

 指のこともそうだが、織斑さんとの戦いで見せた狂気とその後の保険室でのやりとり、わたくしはそこで思った。この人はきっと壊れるまで、自分が無くなるまで戦い続けるのではないかと。そしてその異常性にこの人は気づかずに生きている。

 この方はIS学園で休めているのだろうか? 織斑さんは織斑先生や篠ノ之さんがいるからまだ落ち着くことも出来ると思うが、この方には頼れる人が近くにいない。今となっては住む世界が違う以上、会うことも困難。僅か14歳の少年にそれは大きな負担のはず……。

「鬼一さん、もしかして眠いのでしょうか? さきほどからボンヤリとしていらっしゃいますが……」

 わたくしの声で鬼一さんは半分ほど閉じていた瞼が開かれる。

「んー……、そうですね。ちょっと、眠いかもしれません」

 そう言って鬼一さんはテーブルの上に置いてあるジュースに口を付けた。

「お仕事も一段落なさったんですよね? 無理をせずにお休みになられたらどうです?」

 わたくしの言葉に鬼一さんは右手をヒラヒラと左右に振る。その挙動からもこの方の疲労が見えた。

「部屋に戻ったらそうさせていただきます。……今はこの時間を大切にしたいと思います」

 最後は注意していないとよく聞き取れないほどの小さな声。そして普段の鬼一さんとは全く違うトーン。この時間を大切に……? 鬼一さんにとってこの時間は大切なもの? 別にこの会は鬼一さんが主役なわけでもないし、特別いる必要もないと思う。

「はいはーい、新聞部でーす。話題の新入生、織斑 一夏君に特別インタビューをしに来ました~!」

 ノンキな声が離れたところから聞こえる。どうやら織斑さんが捕まったらしい。今の鬼一さんを見つけないで欲しい。この人が今見せている表情は普段、わたくし以外には見せない顔なのだから。あの休憩スペースの会話とあの治療室での1件以来、この人はわたくしを頼ってくれている、とそう思いたい。もし頼ってくれているならそれに応えたい少しでも。

 瞼が閉じてしまい、鬼一さんの雰囲気が大人しくなった。起こさないように縁のない眼鏡を外し傷つかないようにテーブルに置く。

「すいませ~ん! セシリアちゃんと2人目の操縦者の月夜くんもコメント頂いてもいいですかー!」

 そのノンキな声に本気で怒りそうになったが、一瞬で意識を覚醒させた鬼一さんがわたくしの鼻先に左手の人差し指をつきつけた。

 「……怒っているんですか? セシリアさん?」

 普段の声に安心し、怒りが四散する。治療室でわたくしの怒りを見せてから、この人はわたくしの感情の揺れを感じているような行動をする。
 パタパタと小走りで近づいてくる新聞部の方の音を聞いて、鬼一さんはテーブルの上に置いてある眼鏡を特に気にせずに取り、残りのジュースを飲み干そうとする。

 わたくしは立ち上がり新聞部の方と話す。落ち着くように小さく深呼吸をした。確か、クラス代表に関するコメントだったはず。

「……わたくしがクラス代表を辞退、それに関してなのですが―――」

「ああ、長そうだからいいや。写真だけちょうだい」

 その言葉に拍子抜けする。そしてすぐに怒りが湧きそうになった。そんなことであの方の邪魔をしないで欲しい。
 そして次の言葉でわたくしは自分でも驚く程の激情が溢れ出る。

「いいよ、適当に捏造しておくから。よし、織斑君に惚れたからってことにしよう」

「……ふざけないでくださいまし!」

 賑やかな会場が一瞬で静まりかえる。
 クラスメイトの皆さんが何事かと振り返った。目の前の人がわたくしの怒りに怯えたのか涙目になる。

 背後の鬼一さんがどんな顔をしているかは分からない。反射的に、思わず声を上げてしまった。そのことに自分でも驚いてしまう。自分がこんな声を出せることに。

 左肩に何かが置かれる感触。それに振り向くとあの人の右手が置いてある。視線を上げると苦笑しているような表情をしている鬼一さん。
 その視線に自分の中にある激情が急激に小さくなる。変わりに猛烈な羞恥心が湧き上がった。

 鬼一さんがわたくしをかばうように、他のクラスメイトの視線を遮るように1歩前に出る。

「冗談でもそういうことを言うのはどうかと思います。僕たちくらいの年齢で異性の問題はデリケートでしょうに。さて、代わりに僕がコメントをしましょうか? 2人目の男性操縦者ならそれなりに面白いものになると思います。どうせ捏造もするでしょうしね。ちなみに僕は慣れているんで好きなようにして結構ですよ?」

 最初は凍っているクラスメイトを落ち着かせるように、後半は新聞部の方だけに聞こえるよう皮肉を漏らした。鬼一さんの顔は多分笑っているけど……怒っているようにも感じる。

「……え、えーっと、コメントはやっぱいいや。せっかくの専用機持ちだからツーショットだけもらってもいいかな? 写真は後で2人にも渡すからさ」

 その言葉に嬉しくなる。鬼一さんと? ツーショット?

「……まぁ、僕は構いませんよ。セシリアさんは大丈夫でしょうか?」

 鬼一さんはそういって後ろにいるわたくしを見る。穏やかな横顔。その顔に声が出すことが出来ず、頷くだけになってしまった。

 鬼一さんが私の右に並ぶ。

「あっ、えーっとね、せっかくだから握手とかしてもらえると嬉しいかなー……」

 オーダーが出される。が、その声が小さくなっていったのはあまり強気にでれないからだろう。その声に鬼一さんは一瞬固まり、その後ゆっくりと右手の手袋を取り外す。……なんでいま、固まったのか。その意味をわたくしはわからなかった。

 身体ごとわたくしに向き直り右手をおずおずと鬼一さんは差し出してくる。
 視線を鬼一さんの顔に向けると僅かに顔が赤い。そういえば異性に対する経験がほとんどないと本音さんが教えてくれた。ということは不慣れだから恥ずかしいのだと考える。

 それなら、年上として堂々とした振る舞いでリードしてあげる。

 わたくしの右手と鬼一さんの右手が触れ、やさしく握ってあげる。鬼一さんの右手が僅かに震えているところから察するに、よほど恥ずかしいみたいだ。

「……お願いします」

 鬼一さんの声に応えるよう何度か続くシャッター音。

「うん、オッケー! じゃあこの写真は後で2人に渡すね」

 そう言ってすぐに離れ、織斑さんたちの方へ戻っていく。
 鬼一さんからゆっくりと手を離されてしまう。その離れていく右手が少し名残惜しく感じた。鬼一さんは右手を見たあと、手袋を付けることはせずにポケットに手を入れる。そしてそのまま食堂の外へと歩いていく。
 わたくしもそれに続いて鬼一さんと一緒に歩く。鬼一さんは何も話さない。そしてわたくしも特に喋らない。だけど居心地は決して悪くなく、穏やかな空気が流れている。なぜかとても嬉しかった。

 後日、渡されたその写真はわたくしの部屋、机の中に大切に保管されたのだった。
 
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