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銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
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第九十七話 帝国高等弁務官

■ 宇宙暦796年 6月22日 フェザーン  アドリアン・ルビンスキー


「で、自治領主閣下、今夜わざわざお招きいただいたのは、何かお話があってのことでしょうか?」
帝国高等弁務官レムシャイド伯がワインを飲みながら問いかけてきた。

彼の眼には何処かこちらを試すような、不思議な光がある。やはり先日のイゼルローン要塞陥落が尾を引いているか。ヤン・ウェンリーに気を取られ、同盟の三個艦隊を見落としたのは不覚だった。

おかげでイゼルローン要塞だけではなく、駐留艦隊、遠征軍まで壊滅した。帝国は、全てがフェザーンの所為だと思っているだろう。全く余計な事をしてくれた。ヤンの半個艦隊だけなら見落としたと言えたのに……。

オフィスではなく、ドミニクの別荘に招待したのも少しでも気分を和らげようとしたのだが、こちらへの警戒心はかなり強いようだ。無理も無い、しかし帰る時にはその警戒心を同盟に向けてみせる。

「さよう。多分、興味がある話かと思いますな……自由惑星同盟が、帝国に対する全面的な軍事攻勢をたくらんでいます」
俺はワイングラスを揺らしながらさり気無く言って伯爵の反応を待つ。

「ほう、叛徒どもが、我が帝国に不逞な行為をたくらんでいると閣下はおっしゃるのですか?」
レムシャイド伯の声には何処か面白がるような響きがあった。

「帝国の誇るイゼルローン要塞を陥落させ、同盟は好戦的気分を沸騰させたようですな」
俺が挑発を込めて言うとレムシャイド伯は軽く眼を細め、グラスを口に運び一口ワインを飲んだ。

「なるほど、イゼルローン要塞占拠によって叛徒どもは帝国内に橋頭堡を有するにいたりましたからな。しかし、全面的な攻勢ですか?」
いつまで面白がっていられるかな? レムシャイド伯爵。

「同盟軍は明らかに大規模な攻撃計画の準備をしておりますぞ」
「大規模とは?」
「二千万以上、いや三千万を越えるかもしれぬ兵力です」
帝国でも三千万の兵など動員したことは無い。だが伯爵は少しも動じた様子を見せない。信じていないのか?

「三千万ですか……」
「……どうやら、伯には信じていただけぬようですな」
「いや、信じておりますよ、自治領主閣下」
軽く笑いながらレムシャイド伯が答える。どういうことだ、この俺が、主導権を取れないとは。レムシャイド伯の不思議な態度に苛立ちを感じる。

「しかし、驚かれぬようだ」
「そんな事はありませぬ、驚いております」
「……」

レムシャイド伯の俺を宥めるかのような口調に思わず顔が強張るのが自分でも分る。そんな俺を見て伯爵は軽く苦笑した。どういうことだ、この男、此処まで底の見えない男だったか?

レムシャイド伯は苦笑を収めると生真面目な表情になって話しかけてきた。
「先日オーディンのリヒテンラーデ侯より連絡が有りましてな」

「リヒテンラーデ侯から?」
「さよう、もうすぐ自治領主閣下から反乱軍の帝国領侵攻作戦の事を聞くことになるだろうと」

「!」
「兵力は三千万を超えるだろうと言われました。半信半疑でしたが、いや驚きました、こうも見事に当てられるとは」
レムシャイド伯はそう言うと可笑しくて堪らぬという風に笑い始めた。

俺の行動が読まれていた? どういうことだ? 同盟の出兵が決まったのは今日だ。それを既に知っていた……。馬鹿な、そんな事は無い、有り得ない。はったりか? いや、そうとは思えない、では誰が裏切った? ボルテックか? いや、一体何が起きている?

「それにしても、安心しました。今回は自治領主閣下から事前に反乱軍の動向が伺えましたからな」
レムシャイド伯の口調には柔らかな笑いが有る。しかし伯の目にある笑いは冷たい、冷笑と言って良い。

突然俺の背中に寒気が走った。俺は目の前の男を、いや帝国高等弁務官を何処かで甘く見ていなかったか? 喉がひりつくような渇きに襲われた、しかしワインを飲むのを押さえた。謝罪が先だ。

俺は出来るだけ生真面目な表情を作り、誠意を込めて話した。
「前回は大変申し訳ないことになったと思っております。しかし決して故意に知らせなかったのでは有りません。同盟が余りにも狡猾だったのです」
「……」

「これまでフェザーンが帝国の不利益になるようなことを一度でもしたことが有りましたか」
首を振りながらレムシャイド伯は答えた。

「……いや、記憶にありませんな。もちろん帝国はフェザーンの忠誠と信義に完全な信頼を寄せております。しかし……」
「?」

レムシャイド伯は思わせぶりに言葉を切り、少し笑いながら言葉を続けた
「若い者の中には過激な意見を吐くものも居るようです」
「……」

「……」
沈黙に耐え切れず問いかけた。いけないと思っても止められなかった……。
「過激な意見と言いますと?」
「……さよう、ガイエスブルク要塞をフェザーン回廊の中に運べと」

「!」
「なんとも過激な意見ですな」
レムシャイド伯が笑いながら話すが、彼の眼は笑っていなかった。

「しかし、あれはイゼルローン回廊に運ぶのでは?」
自分の声がかすれているのが分った。さり気無くワインを一口飲んだ。

ガイエスブルク要塞でイゼルローン回廊を防ぐのではないのか? いやそう見せてフェザーンに圧力をかける、同盟に出兵させるのが目的ではないのか? それがヴァレンシュタインの狙いではないのか? ヴァレンシュタインの本当の狙いはフェザーン回廊の制圧? そんな事が有るのか?

「ほう、自治領主閣下は帝国の事情に詳しいですな」
「……」
相変わらず、レムシャイド伯の笑みが絶える事は無い。

「イゼルローン回廊に運べるものならば、フェザーン回廊に運んでも可笑しくはありますまい」
「……」
要塞一つでこうも翻弄されるのか。ヴァレンシュタイン、これがお前か!

「一部のものが、自治領主閣下の忠誠と信義に疑いを抱いております。それゆえ監視が必要だと……」
「……」

「当然ですが、要塞だけではない、艦隊も付随することになりましょう」
「……閣下は、どうお考えですかな」

「先程も言いましたがフェザーンの忠誠と信義に完全な信頼を寄せております」
「ありがたいことです」

この男が本気で言っているとは思えない。面白くなかったが、それでも俺は礼を言った。頷いていたレムシャイド伯が突然表情を生真面目な老人の顔に変えた。何だ?

「しかし、叛徒どもがイゼルローン要塞を得たことで攻勢を強めるというのであればフェザーンとて安全とは言えますまい。何といってもフェザーンは帝国の自治領なのですから」

「……」
「帝国としては、フェザーンを守る必要がある、そう考えております。その意味では要塞をフェザーン回廊に置くと言うのは良い考えだと思います」

フェザーン回廊を支配される。それは交易国家フェザーンにとって死活問題になるだろう。同盟を帝国領に攻め込ませるのはそれを口実にフェザーン回廊の実質的な支配権確保、フェザーンの属国化が目的か? ヴァレンシュタインの狙いは最初からフェザーンなのか?

「御心配をお掛けしているようですが、フェザーンの独立はフェザーンで守ります」
「ほう、独立、ですか?」
「いえ、安全です」
レムシャイド伯の眼が、声が皮肉な色を湛える。

「安全ですか、そうですか、どうやら聞き間違えたようですな。期待させていただきましょう、フェザーンの忠誠と信義、それと安全を守る気概に」
「……」

「当然ですが、そのどれかが崩れた場合にはそれ相応の覚悟をしていただく事になりますぞ、自治領主閣下」
そういうと、帝国高等弁務官レムシャイド伯爵は可笑しくて堪らぬというように笑い始めた。

俺は屈辱を噛み締めながら思った。いずれこの借りは返す。いつか必ず吠え面かかせてやる。ヴァレンシュタイン、同盟に簡単に勝てると思うなよ。いや同盟に勝ててもこの俺に、フェザーンに勝てると思うな。

最初から勝っている必要は無い、最後に勝てばいいのだ。此処は譲ってやろう。貴様の掌で踊ってやる。そしていつか踏み潰す。しかし先ずは何が起きているか、事実の確認だ。一体誰が俺をこんな頓馬な男に仕立て上げた?



■ 宇宙暦796年 6月22日 フェザーン 帝国高等弁務官事務所 ヨッフェン・フォン・レムシャイド


ルビンスキーめ、大分慌てていたようだな。いい気味だ。何といってもイゼルローン要塞陥落、二個艦隊壊滅の責任の一端はあの男にあるのだからな。いい薬になったろう。いや懲りるような男ではないか……。

それにしても、オーディンからの連絡の通りになった。リヒテンラーデ侯から聞いたときには半信半疑だったが、こうも的確に当てるとは……。

エーリッヒ・ヴァレンシュタイン宇宙艦隊司令長官か……。とてつもない男だな。オーディンからこの私を操り、ルビンスキーを混乱させるか。

悪くないな、操り人形になるのも悪くない。これ程上手に操ってくれるのなら。まるで自分が別の人間になったようだ。全く、楽しませてくれる。もう少し酒が欲しいな。ブランデーでも飲むか?

いかん、どうも思考が彼方此方に飛ぶ。エーリッヒ・ヴァレンシュタインか……。初の平民出身の宇宙艦隊司令長官。貴族出身の私には嬉しい人事ではないが、確かに切れる。リヒテンラーデ侯が頼りにするのも分る。

平民か……。貴族だけが力を振るう時代は終わりつつあるのかもしれん。大体このフェザーンには貴族はいない。それでもオーディンよりはるかに活気がある。貴族が力を失う時代が、平民が力を振るう時代が来るのかもしれない。

これからはフェザーン、同盟の動きだけではなく帝国の動きも見つめるべきかも知れない。帝国が何処へ行こうとしているのか、私は何処へ行くべきなのか……。おかしいな、今晩は妙な事ばかり考える、少し酒が過ぎたか? しかし、悪くない、たまにはこんな夜も悪くない……。



 
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