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仮想戦記設定集

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【1】-最大最強の彼女 大和-

 
前書き
誰もが知っている彼女のifです 

 
戦艦大和、軍事や軍艦に興味の無い人でもその名を知っている。
実在した戦艦の中で最大最強の戦艦である。
彼女は一億総特攻の魁となって闘い戦没するはずであった。
しかし、沖縄に向け最後の出撃をする筈が。
彼女が出撃するのに必要な燃料を運ぶべく各地の港を出港した貨物列車やタンカー達が彼女を沈めるはずの米海軍の航空機や潜水艦によって悉く撃沈され、結果彼女は出撃に必要な燃料が手に入らず呉の軍港にて終戦を迎える。
運命の神の悪戯なのか。
彼女を沈める筈の米軍の航空機や潜水艦によって彼女は大戦を生き残ってしまったのである。

戦後、彼女をどうするか米国内において大論争が勃発する。

「日本人に戦争に負けた事を印象付けるために東京湾のど真ん中で沈めてしまえ!」

と、ある議員が言えば、

「いやいや、沈めるのは勿体ない我が海軍に編入するべきだ!」

と、海軍の戦艦派の提督が言い、それを聞いた陸軍航空軍の将校は、

「スクラップの長門と一緒に原爆実験の標的にすればいい」

と、宣い、その様を記事にした新聞を読んだニューヨーカーは、

「戦利品として自由の女神の膝元で展示しよう」

とバーでバーボン片手に飲み仲間に言う。

喧々諤々の末、海軍の戦艦派が勝利を掴み取り彼女は『ワシントン』と新たに名付けられ1946年8月15日米海軍に編入するも、1948年1月にウィスコンシンと共に不活性化を命じられ同年8月には予備役艦隊入りし眠りにつく事となる。

それから2年後の1950年6月に朝鮮戦争が勃発、彼女は眠りから目覚め途中祖国へ立ち寄り数年前に彼女を動かしていた元の持ち主達の手伝いを得ながら朝鮮戦争で活躍。
朝鮮戦争後、1958年2月アイオワと共に再度予備役艦隊入りしフェラデルフィアで眠りにつく事になる。
アイオワと肩を並べ眠りについている様子を見た大佐時代に彼女の艦長をしたこともある海軍少将は自らの副官に、

「見たまえ。まるで、ベンチに座った姉妹が眠っているかのようだ」

と、言ったとか。
それから25年後、時の大統領ロナルド・レーガンの『600席艦隊構想』により彼女は再び艦隊に舞い戻る。
現役復帰時にちょっとしたすったもんだの後、艦名が『ヤマト』になったのは同名の宇宙戦艦を舞台としたアニメの影響があったのは彼女の黒歴史なのだろうか。
2度目の現役復帰に伴い彼女には入念な近代化改装が行われた。
自慢の主砲こそ、そのままだが新型砲弾や新スクリューの採用、Mk.143装甲ボックスランチャー10基を撤去した副砲塔跡と高角砲跡に搭載、レーダーやその他電子機器の総入れ替え、エンジンのオーバーホール、艦尾の水上機カタパルトと格納庫はヘリコプター用に改装等々。
細かいものまで上げたらきりが無いほどのお手入れの後、姉妹扱いされていたアイオワに遅れる事二ヶ月後の1984年6月6日に再就役し、配属先は太平洋艦隊であった。

その後、東西冷戦と湾岸戦争を戦い抜いた彼女だが最大最強の不沈戦艦とて歴史の波には勝てず1992年3月31日ハワイにて退役。
奇しくも同日ロングビーチではミズーリが退役、この日をもって米海軍否、地球から現役の戦艦が姿を消した。

ミズーリと同じく、彼女は解体される事無く記念艦として残り続ける事が既に決定していたが。
何処に展示するかでハワイでの退役セレモニー前から揉めていた。
それは、セレモニーが終わると更にヒートアップして行き、1945年と同じように米国内において大論争が勃発する。

そして勝利を勝ち取ったのは、なんと元の持ち主である日本であった。

その結果に至るまで紆余曲折があったものの1999年8月8日、彼女は生まれ故郷の呉に到着。
奇しくもその日は59年前に彼女が進水した日であった。
日本に帰ってきた彼女は武装がそのままだったために所属は海上自衛隊として、呉の港で記念艦として余生を送る筈であった・・・ 
 

 
後書き
海上自衛隊 護衛艦「やまと」
基準排水量:64,000トン
満載排水量:72,800トン
全   長:263メートル
全   幅:38.9メートル
喫   水:10.4メートル
速   力:29ノット
乗   員:2,900名
兵   装:45口径46センチ3連装砲塔3基9門
      73式54口径5インチ単装速射砲4基4門
      トマホーク巡航ミサイル40発※Mk.143装甲ボックスランチャー10基
      CIWS4基
      SH-60K5機

坊ノ岬沖海戦時に大和の燃料は片道分説や約4,000t説等諸説ありますが。
生存者の証言「燃料担当の同僚が彼方此方から約4,000tかき集めた」説を本作は採用しております。
その上で、輸送中ほぼ全てが爆撃雷撃で破壊され出撃できなかった事にしました。
案として、潜水艦の魚雷やB29がばら撒いた機雷で損傷するパターンも考えましたが。
その場合、終戦までに修理が間に合う程度の軽度な損傷では当時の帝国海軍は作戦決行しかねないし。
かといって、損傷が酷いと長門と同じ扱いになりそうだしでボツにしました。 
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