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ソードアート・オンライン 舞えない黒蝶のバレリーナ (現在修正中)

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第一部 ―愚者よ、後ろを振り返ってはならない
第1章
  第9話 黒染めの化け物(前編)

 
前書き
 旧第5話の修正版です。 

 
 つややかな黒髪が、さらさらと風に揺れる。少年は息を上げながらも走り、その背中を追っていた。
「おい待てよ、モミ!」
「えへへ、やだよー!」
 ちらりと少年を振り返った少女はあっかんべーといたずらっぽく笑い、パッとまた走り出す。追いつくようで追いつかない微妙な速さで、距離が開いては縮まる。その繰り返しだ。
 しかし、何回かそれをしたあと、疲れたのか、飽きたのか、ぴたりと足を止め、振り返った。その瞳は、不安そうに揺らいでいる。
「スグたちと、離れちゃったね」
  少年の腕に、少女の手が回った。ぎゅっとしたその締め付けは痛いくらいで、少女の不安をそのまま表しているようだ。少年はなんとか明るくするべく、口を開いた。
「そ……、そうだ! 今日の劇、すごかったよな!」
 すると、少女はぷくりと口を膨らませながら、
「劇じゃなくて、歌劇!」
「同じようなもんだろ?」
「違うもん! 歌劇は、歌って、躍って、お芝居もするの!」
 ぱっと腕を離した少女は、その場でくるりと回った。少し回転をしただけなのに、その動きはなめらかで、可憐だった。
「モミは、お芝居も出来るんだからすごいよなぁ……。今日だって勉強のつもりで母さんたちにお願いしたんだろ?」
「うん、そうだけど……。やっぱりバレエが一番好きだよ!」
 にっこりと笑い、そしてまたくるくると回った。
 くるくる。くるくる。
 長い髪も、少女と一緒にくるくると回る。
「あ、じゃあ、兄さん! クイズ出してあげる!」
「クイズ?」
「そう! ……なんで私がバレエをやっているのでしょーか?」
「なんでって……、さっきモミが自分で言ってただろ」
「そうだけど、……うーん、じゃあ考えておいて! いつか、教えてあげる――――……」

 私が、バレエを続けている理由を。









――――――――*――――――――



 俺――――キリトの目の前には、天井までつく巨大な扉が構えている。その威圧感は凄まじく、自然と体は強張っていった。だが、俺たちを含めた約四十名を包む微妙な緊張感は、そのためだけではない。これから行われる第一層ボス攻略戦――――、しかもほとんどの人間が初めての経験だ。……まぁ、これは何十回とやっても慣れることはないだろう。
 しかし、現段階で、俺はこの中でもっとも集中できていないと断言出来る。しかしそれは、ベータテスターだったという事実から来る余裕ではない。
 ……夢を、見たから。
 あちらに残してきた二人の“妹”の内の一人、紅葉と俺が話している幼い日。
 ありきたりだけれども、俺にはもう出来ないだろうその会話。まだ俺も、紅葉も何も知らなかった、ただただ純白で彩られていた頃のことのはずだ。
 紅葉と最後に交わしたのは、会話とも呼べないような言葉だった。
『本当の兄じゃないくせに』。
 絞り出したような、けれどはっきりと拒絶の意志が込められた声だった。それが、重く俺に圧し掛かっている。鈍色の鎖が、両足に絡みついている。事実が彼女の言葉によって形を成し、俺を縛る鎖となっていた。
 あの時の彼女の表情は解らない。それは、紅葉が背を向けていたせいでもあるし、たとえこちらを向いていたとしても、俺は目を逸らしてしまうから。
 いつも彼女の瞳は、何かが混じり合い、溶け込み、押し込んだような色を宿している。とても昏くて、重い。痛くて、冷たい。4年前あの日と同じようで、違う瞳。
 あの目はもう、ずっと変わらない。俺が変えてしまった。壊してしまったのだ。
 それを俺は、直視出来ない。紅葉の目が怖くて、声が恐ろしい。紡がれる一言ひとことに、足がすくむ。
 紅葉の存在自体が、俺の罪の証だった。だからこそ、一瞬でも視界に入ってしまうと、精髄反射で目を覆ってしまうのだ。
 ……彼女をそんな風にしてしまったのは、他でもない俺だから。

 彼女は、自分ではおそらく否定したかったのだろうが、それでも周りからしてみれば“天才”という言葉に尽きていた。剣道を強いてきたあの叔父を、その才能で黙らしてしまうことが出来るほどに。
 それは底を見せることが無く、バレエはもちろんのこと、絵画、演劇……、そして弓道と、幅広くやってのけていた。弱点と言えそうだったものといえば、唯一苦手だった歌唱だろうか。
 剣道も、よくスグと一緒に立会いをしていた。こちらも、どちらかというとスグの方が優勢だった。まあ、実力的にはどっこいどっこいだったと思うが。
 ただ、紅葉は剣道よりも弓道の方が得意のようだった。最初は叔父が、芸術ばかりに才能を目覚めさせる彼女を見て、泣く泣く伝統武術をやらせたいがためにほぼ強制的にやらされていたことだったのだが……。それがもう、彼女の気質とぴったりとはまり込んでしまったのだ。
 見ている側が恐怖すら覚える集中力。矢を放つ一瞬まで、頭の天辺から足の爪先まで張り巡らされる揺らがない緊張感。
 長い黒髪を結いあげた姿は、凛々しく輝いていた。
 ――――その光を、俺はみすみす踏みにじってしまった。
 その事実と、己の夢の中にすら出てきた、輝いていた頃の思い出。今の俺はその狭間で白と黒が混じり合い、とぐろを巻きながら、静かに、しかし確かに沈んでいく。
 これじゃあ集中できるわけがないし、この後が危ない。最悪、周りに迷惑をかける。
切り替え追い出すために強く目をつぶった。そして、息を深く吸い――――、
「何、ボーとしているの?」
 ピンと張られた声。俺の体が跳ねた。反射的に振り返りながら、半歩後ろに下がる。しかし、すぐ目に飛び込んできたのは、優しげな栗色だった。
 それが、少女――――、アスナの流れるような美しい髪の毛だとすぐに気づき、無意識に詰めていた息を吐いた。だが、目の前の彼女はそれが気に入らなかったらしい。軽く横目で睨みながら、
「人の顔を見てため息つかないでくれる?」
 おぉ、怖。迫力満点。
「ああ、ごめん。気にしないでくれていいから」
 苦笑いを浮かべ、手をひらひらと振りながら、なんとか誤魔化す。誤魔化そうと試みる。それでも何か続けようとするアスナを手で遮ってから、視線を外した。諦めたような息を吐き出すのが、ちらりと聞こえたような気がするが、申し訳ないがスルーさせてもらう。
「……あ」
 するとそんな彼女の口から、蚊の鳴くような小さな声が漏れた。もう一度視線を戻すと、かすかに驚きの色を顔に滲ませている。
 え、何、何? という半ば興味を携えながら、一応建前は“いぶかしんで”アスナの視線を追った。そこで、俺も、「……お」と音になるような、ならないような声を発する。
 ――――長い黒髪をポニーテールにして結い上げた女性プレイヤー。
 だが、悲しいかな、ここは最後尾なのでよく見えない。首をぐいーっと亀のように伸ばしたが、がっちりした体格の男が後ろに立ち、さらにその姿を捕えることは不可能となった。諦め自然と背伸びしていた少々つらい体制を戻す。
「……あの人、さっき迷宮区に入る時にパーティーの人たちと合流していたわ」
「合流? ……遅刻でもしたのか」
「いえ……、よく分からないけれど」
「体調でも悪かったのかな」
 無難な俺の推測に、アスナは首を振って「分からない」と言った。まあそうだよな、と心の中で返し前へ向き直る。
「……私、他にも女性が参加していたなんて、その時まで気付かなかった」
 ポツリと、誰にともなく呟いたのか、それとも話しかけられたのか判断が微妙につかない言葉が隣からした。後者だったとしたら、何も反応をしなければ無視したことになってしまう。とりあえず首肯しながら、
「ああ、俺もだ」
 ……首肯して、首をひねる。何故だか、ほんの少ししか見られなかったあの後ろ姿が引っ掛かるのだ。ちょうど、魚の骨が喉に刺さっているような気がして落ち着かない時と同じような感じ。
 しかし、正体をつかむべく奥へ探ろうとしていってもするりと逃れてしまって、しこりのようなものも一緒にどこかへ消えてしまった。なんとなくすっきりしないものが残ってしまったため思わず顔をしかめると、わき腹をつんつんと突かれた。
「ちょっと、本当にさっきから集中できていないわよ。……フィールドを歩いている時も、なんだか上の空だったし。大丈夫なの?」
 ぴしゃりとさっき自分で思っていたことを言われ、苦笑する。
「大丈夫」
 短く答えながら、視線を落とす。……とても、“従妹”の夢を見たなんて言えないよな。密かにため息を飲み込み、少女二人のことを意識から追い払いにかかる。
 まあ結局、一時的にとはいえ忘れるなんて、俺には到底不可能なのだが。
「そういえば、昨日のこと、どう思う?」
「へ? 昨日? ……何かあったのか」
 そんな流し目で睨みつけないでくれよ。仕方ないだろ、ずっと迷宮区に籠っていたんだから。
「…………あなた、何も知らないの? よく分からないイベントが勝手に始められてしまって、不幸にも選ばれてしまったプレイヤーのうち、数名が亡くなってしまったそうよ」
「な……っ」
 イベント? 何だ、それは。βテストにそんなものは無かったし、公式サービスが始まるい以前に告知も何もなかったはずだ。
 嫌な汗が頬を伝う。良くないことが起こるような、そんな漠然とした不安が急に俺を襲い始めた。眉を顰めるアスナへさらに言葉を重ねようとした時、周囲のざわめきが一気に静まった。つられて正面を見れば、好青年なディアベルが扉に背を向け立っている。
「……いよいよ始まるわね」
「ああ、そうだな」
 ボス攻略戦の幕が上がった。俺の中に確かな違和感と胸騒ぎを残したまま。
 ――――そしてそれは、最悪の形で現実のものとなる。


 オレンジ色の光が、俺の肩をかすめた。軽くひねっていた体を戻し、すかさず剣を振り下ろす。すると、まるで呼吸音まで合っていそうな錯覚を覚えるほど、アスナがこれ以上にないくらいのタイミングで敵に攻撃をあてた。光の欠片が四散する。それを確認し、彼女とアイコンタクトを交わす。唇を引き結ぶアスナが、静かに頷いた。
 メイン戦場の方をちらりと見て、息をつく。HPバーは現在、3本目の半分を切ったところだ。ここまで特に問題なくHPを削ってきているので、おそらく大丈夫だろう。…そうであってほしい。
 そして、また視線を戻そうと目線を流し、――――しかし糸で縫いつけられてしまったかのように止まった。
 ……ボスの右手。握られている武器。
 その瞬間、電流が体中を駆け巡った。同時に、今までの認識が誤りだったことを悟る。そうして、あの嫌な予感が当たっていたことも。
 はやる気持ちを抑えられずに視線を走らせれば、ボスの正面に青髪の青年。後ろには彼が率いるC隊のメンバーが続いていた。それを視界に捕え、思考よりも口が先に出た。
 もはや悲鳴に近いような声で叫ぶ。
「だ……、駄目だ! 全力で――――!」
 息が詰まった。思考が、動きが全停止する。
 一筋の青い、まるで流星のような真っ直ぐな光が、一直線に彼らへ向かう。それは見事にディアベルの顔をかすめ、ひるんだC隊が後ろへ飛び退いた。
「な……っ!?」
 あれは、ボスの攻撃ではない。ならば誰が、何を。
 あの光が生まれた場所を探そうと、視線が泳いだ。しかしそれはすぐに、強制終了させられることになる。体のバランスを完全に戻し切れていなかったディアベルが、他のC隊のメンバーとともにボスの攻撃をくらったのだ。
 重範囲攻撃、ソードスキル≪旋車≫。まともにそれを受けたディアベルの体が浮き、そして――――。
 時間が止まる。
 俺のすぐ近くで響いた鈍い音が、この場が瓦解したことを冷酷に告げた。



――――――――*――――――――




 朝、自身の長い黒髪を一つに結わえ、昨夜約束した通りに迷宮区の出入り口前まで来た。石造りの壁に背を預けながら空を見上げていると、ほどなくして40人程の集団が歩いてくるのが見えた。考えるまでも無い。フロアボス攻略戦に参加するプレイヤーたちである。
 幸いあのトンガリ頭は自身のパーティーメンバーと話しているようで、こちらに気付いている様子は無い。あの少年の姿にいたっては、ここからは見えなかった。ひとまず安堵の息を洩らし、先頭を歩く青髪の青年に軽く会釈しながらあの屈強な色黒の男の姿を探す。すると、先に私の姿を認めたエギルがひょこっと顔を出し、私へ向けて手を振った。
「よう、キカ」
「みなさん、おはようございます」
「おはよう」
 微笑みを作りながらありきたりな挨拶を交わし、すっと列の中に混じる。
「……なあ、キカ。昨日あんなことがあったんだから、無理しなくても良いと思うぞ」
「何度も言わせないでちょうだい。……どうってことないわ」
「……………そうか、すまない」
「いいえ、平気」
 そう、大丈夫。だいじょうぶ。
 ――――キカちゃん。
 駆け巡る朗らかな笑顔と柔らかい声を、手のひらに爪を立て払拭する。きっと、身体を動かしていたほうが、余計なことを考えなくて済むはずだ。
 前へ進まなければ。歩みを止めてはいけない。振り返ってはいけない。耳も目も閉ざして遮断するのだ。無駄なことへ思考を割かないように。気持ちが揺るがないように。
――――好きだったよ。
 ……大丈夫、忘れない。絶対に、忘れないから。あなたの思いを、無かったものにすることはしない。
 あなたを、背負うから。最期の一瞬まで。
「……キカ……」
 気遣うような声音で名前を呼ばれるが、聞こえていないふりをして無視した。私のことを心配してくれているのは何となく察しているが、どうも居心地が悪い。私のことなんて、気にしなくていいのに。
 彼らはボス戦のための一時的なパーティーメンバーだ。これが終われば、私は抜けることになるだろう。フレンド登録もしていないし、きっと別れればそれきり。もちろん街中でバッタリ会ったりするだろうし、また共闘する機会が無いとは言い切れないが、エギルたちとの関係はそこまでだ。所詮他人。仲間とは言い難い、他人。だから彼らに、私のことを気にする道理はないのだ。変に深入りしてほしくない。たとえ彼らが善意で気に掛けてくれているとしても、私は容認出来ない。
「これからボス戦なのよ。他人のことを気にしている余裕なんてあるのかしら」
 不気味な雰囲気を漂わせる迷宮区の地を進みながらもチラチラと視線が向けられるので、耐え切れずピシャリと言い放つ。正直、そんな風に見られても迷惑なだけだった。それに私たちの空気が他の隊へ伝播してしまう可能性だってある。戦闘に影響を出しなくない。少なくとも今だけは、これから行われる重要な戦いへ目を向けてほしい。……私は、別に何ともないのだから。
「…………ああ」
 エギルが固い表情で頷く。『せっかく心配してやってるのに』、だとか思っているのだろうか。イラついているのだろうか。
「……ごめんなさい、ありがとう」
 ツキリと痛んだ胸には知らんふり。目を逸らして、感覚を断ち切る。
 集中しなければいけない。バラバラになった思考を一本にまとめ上げるのだ。余計なものはいらないのだから。
 私は口をキツく引き結び、前を見据えた。私たちが目指す部屋は、もう少し先だった。


 ――――戦闘は順調に進んでいるように、見えていたのに。
 私はふと感じた違和感に眉を顰める。何か、何かが引っ掛かる。モヤモヤを抱えたままチラリと遠くにいる“彼”の方を見遣り、そして戦慄した。
「……どうして」
 何故? この位置からでも分かるくらい、そんなに慌てているの。
 咄嗟に彼の視線の先を辿ると、青髪の青年に行きついた。そしてさらに向こうにはこのフロアのボス。その手に握られている武器に、私の目は縫い付けられた。どくん、と心臓が大きく跳ね上がる。
「――――え?」
 あれは本当に、事前情報で聞かされていたタルワールなのか? 以前何かの本に載っていた写真とは、少し違う気がする。いくら作り物とはいえ、剣を重視するこの世界ではビジュアルにはとことん拘るはずだというのに。
 ザワザワと神経を逆撫でするような胸騒ぎが、一層強くなった気がした。私は逸る気持ちを押さえながらもう一度あの少年に視線を戻し、瞬間、おぼろげだったそれは確信へと変わる。
「これは……、やっぱり!!」
 ――――私たちの想定外のことが起こってしまう!
 バッとボスの方へ目を向けた。果敢に突っ込んでいく、C隊の面々。
「……ッ」
 間に合わない。駄目だ、私の位置からでは到底知らせることは出来ない。――――否、ひとつだけ。
 ひとつだけ、方法がある。迷っている時間は無い。
「キカ、何して……っ!?」
 突然右手を振ってウィンドウを表示させた私に、驚愕した声が飛ぶ。しかし、その時にはもう、私の左手には“あるもの”が出現していた。
「お願い、気付いて……ッ!!」
 躊躇いなくソレを放った。青白く輝く細い線が、空間を切り裂く。それと同時に、少年の声が部屋いっぱいに響き渡った。
「だ……、駄目だ! 全力で――――!」
 跳べ、だとか、避けろ、だとか続くはずであっただろう彼の言葉は、そこで途切れた。私の放ったソレが、ディアベルと接触するかしないかの距離感で、ボスと彼らの間に立ち塞がったのだ。それに驚いて彼らはそこから飛び退いたが、……しかし、訪れたのはあまりに無情な一瞬だった。
 身体のバランスを取り戻し損ねたC隊が、ボスのスキル攻撃を食らう。まともに攻撃された彼らの身体が吹っ飛ばされた。
「やばい……ッ」
「追撃が!!」
 エギルが前へ飛び出す。私たちもそれに続こうとしたが、イルファングが剣を振るう方が早かった。鋭い三連撃の攻撃が、ディアベルを飲み込む。
 彼の姿が掻き消えた。――――否、かなり後方の床に叩きつけられたのだ。恐々と後ろを振り返れば、青髪の男へ駆け寄る黒髪の少年の後ろ姿が視界に入った。
 けれどもうきっと、遅い。私は耐え切れずに目を伏せる。昨日目の当たりにした光景が、まざまざと瞼の裏に蘇った。
 そして成す術もないまま、ガラスが壊れるような無慈悲な音が悲しく響いた。
 ……これで4人目だった。 私の目の前で死んだ――――、私が助けられなかった人の人数。昨日の男と少女、そしてネージュに、……今回の指揮官であるディアベル。
 届かなかった。私とそっくりな少年の目の前でその姿を青い欠片に転じさせる様を、ただ見ていることしか出来なかった。
 あまりの出来事に、正常な思考が出来ている人はほとんどいない。みな完全に攻撃の手を止めてしまった。このままでは、自分たちはもちろん、他の人間も死んでしまう可能性が高い。
「……エギル」
「…………あ……」
「エギル!! ぼさっとしないで!」
 肩を跳ねさせた巨漢を睨み上げて、鋭く言い放つ。私の勢いに気圧されたのか一瞬エギルはたじろいだが、すぐに表情を引き締めて私を見つめ返してくる。
「エギル、あなたはこのパーティーのリーダーよ。……自分のすべきことは、分かっているでしょう?」
「ああ」
 ハッとしたような表情へ変えた色黒の彼は、すぐさま頷いて仲間へ向き直った。心こころあらずの様子の彼らを、壁際まで引き連れていくようだ。チラリと後方を確認すれば、黒と眩い茶の影がボスへ突っ込んでいく。あまり時間は無い。未だパニック状態に陥っている自身のパーティーメンバーへ視線を戻し、眉を顰めた。
「いいか、今の内に回復するんだ」
「わ、分かった……」
「でも、エギル。い、今……」
「……そうだ、ディアベルは死んだ。だが、切り替えなければ俺たちも死ぬ」
「…………う」
 男たちが顔を青ざめさせ、言葉を詰まらせる。私は回復ポーションを飲み下すと腕を胸の前で組み、彼らを真っ直ぐ見据えた。
「そうよ。……このままじゃ、きっと大勢が命を落とすことになる」
 きちんと筋の通った思考回路へ戻ることが出来たのは、この部屋に何人いるのだろうか。今は前に出てくれた黒曜石色の少年と栗色の少女によって何とかこの場は繋がっているが、そう長くは続かない。かといって、こんなにグラグラとした精神状態で彼らが出て行ったとしても、まともに立ち回ることなんて出来ないだろう。ボスの良い餌食だ。
 さてどうするかと、この場を打開する解決策を求めるために、考えを巡らす。すると、おずおずといった様子で私へ声が掛けられた。いくらか顔色がマシになったルークだった。
「……なあ、キカ。ここで話すべきじゃないってことは分かってるけど、ひとつ聞いてもいいか」
「何かしら」
「…………さっきお前が使ったやつ、あれは何だ」
 強張った表情と声で問われ、私はようやく自身の“左手”に視線を下ろす。
 ああ、いけない。忘れていた。
 私はさっきと同じように、利き手である“右手”の人差し指と中指を下へ振った。≪クイックチェンジ≫ですぐに曲刀へ持ち替えながら、ゆっくりとルークへ視線を戻す。ポニーテールにしている黒髪が揺れ、毛先が視界に入った。
「……エクストラスキル≪弓術≫」
 男たちの表情に、驚きの色と感嘆が混じっていく。そして、目を真ん丸に見開いたルークが、絞り出すようにつぶやいた。
「……それって、習得は不可能って言われていたスキルじゃねぇか……!」
「そうね。……けれど、それでも私の主武装は、“弓”よ」
 もし、剣だけと言われてきた世界に遠距離武器が使えるスキルが存在していたら、ゲーマーたちが注目しないなんてことがあるだろうか。
 このスキル自体は、ベータテスト時のかなり初期に発見された。ちなみにクエスト発生場所は、私がいた寂れた村だ。
 そのイレギュラー性から、電光石火の速さですぐにプレイヤー内で広まり、これまた光速のごとくの早さでインターネット上でも話題になっていた。……これのおかげで、私がこのスキルの存在を知ることが出来たと言っても過言では無いだろう。
 さらにベータ時のトッププレイヤーが挑戦しても習得出来ないということも手伝って、人々を加熱し、変な意地を張る人も続出してあの寂しい村が人で溢れかえる事態も発生。もはや弓を使いたいのではなく、ただ単純にスキルを取得したいと考える人たちも現れた。しかも嘘か本当か解らない情報まで流れ出すことにもなってしまった。それを良しとしなかったのかは定かではないが、公式で≪弓術≫の詳細が正式に発表された後は、余計にこれらのことも加速していったような気がする。そのせいか、――――いや、多分これは、原因としては氷山の一角だろう。成るべくしてそうなったのだ。
 私は呆れながらも、情報収集のためにネットの海を彷徨っていた。そして、徐々にブログやらなんやらの件数が、日を追うごとに少なくなっていくことに気が付いた。
 ……あぁ、そうか。
それを見て、私は真っ先にそう思った。理由は単純明快。諦める者も増えているのだと悟ったからだ。
 挑戦者が減少していき、ベータテスト終盤ではほとんどクエストに挑む者自体がいなくなったのも、ある意味必然だろう。そして、そのことによってついた別名――――、というよりも付け足された名称は、≪クリア不可能のクエスト・弓術≫。
 さらに、習得者がいない理由が少なくとももう一つある。それは、“利便性が低い”ということだ。
 モンスターに接近されれば攻撃も出来ないし、肝心な弓と矢は、≪弓術≫を習得している鍛冶師にしか作成できない。すなわち、両方のスキルを習得しているプレイヤーを探すか、自分が≪鍛冶≫を取り、なおかつそれの経験値もあげていかなくてはならない。おそらく前者は、大量の砂の中から特定の一粒を見つけることくらいに困難なことだろう。よって、消去方で後者の方法をとるしかなくなるのだ。
 これらのことが相まってか、私があの村にいた一ヵ月、誰一人としてクエストを受けに来たものはいなかったと思う。……まあ実際は、私がそのクエストを4日ほどでクリアして近くのフィールドへ出ていたので、その間のことは知らないが。
「――――これで解ったかしら?私が左手に曲刀を持っている理由」
 エギルが、納得はしたが理解は出来ない、と口に出さなくとも言っているような、苦いものを顔に浮かべた。
「あぁ、なんとなく。……だいぶ恐ろしいが」
 矢で倒し切れず、敵の接近を許してしまったら。そうなってしまうと、逃げるか、弓矢の間合いまで下がらなければ、一方的に攻撃を受けることになる。それはつまり、死へ直結する。
 これを回避、または解決するために考え出した事は、副武装を装備とすること。しかし、すばやく出来なければ意味を成さないので、≪曲刀≫の経験値を上げ、≪クイックチェンジ≫を真っ先に取り、それをスムーズに行使するために左手に武器を持った。……それだけのことだ。
 ちなみに、今までエギル達の前で弓矢を使わなかったのは、単純に目立ちたくなかったからだ。別段彼らを信用していないわけではないが、出来るなら初期の内は、知っている人間を最小限に止めたかった。
 だがそれは、先ほどの攻撃で意味はなくなった。ここからは、いかにして“彼”に弓矢を使っている姿を見られないかということにフェーズを移動する。
「だが、そこまでして、なんで弓を使うんだ」
 ……その答えは、いたってシンプルだ。私は微笑みを作り、彼らに向ける。
「……私は向こうで、弓道は得意ではあったけれども、好きではなかったからよ」
 スグと一緒に剣道をしている時の方が、有意義だと思っていたから。無理やり習わされていた弓道よりも、剣道の方が楽しいと感じていたから。
 だから私は、弓を手に取ったのだ。
 上手く理由が飲み込めないのか、皆一様に首を傾げる。私はそれを見て「深く考えなくてもいい」と言葉を掛けようと口を開き――――、しかしそれは中断された。
 わぁぁぁぁあああっと、再び悲鳴が上がる。バッとそちらを見れば、先刻から孤軍奮闘していた二人の内、“彼”がバランスを崩したらしい。何とか持ちこたえたようだが、ボスの攻撃を相殺し続けるのに、集中力の限界が来たようだ。次何かあれば、今度こそ危ない。
 また、私の目の前で死んでしまう。
 その細くて黒い後ろ姿に、心臓がザワリと撫でられた。思わず舌打ちをし、何故か震える足をなだめながら、顎でくいとそちらを指した。
「……ほら早く行ってあげないと、あの片手剣使いサンと細剣使いサン、死んでしまいますよ」
「――――ッ!」
 呆けていた顔をすぐに引き締めたエギルが、バッと走り出す。私を追い越した時に生じた小さな風が、髪をふわりと舞いあげた。だんだんと遠くなる彼の背中を見ながら、両手を強く握りしめる。
 見慣れた横顔が、苦しさで歪んでいた。
「……あぁ、もう!」
 イライラ感が頂点に達し、ゲージをぶち抜いた。途端に、自分の中で何かが爆発する。いつもよりかなり雑にウィンドウを操作して弓と矢のホルダーを装備し、“彼”と私の対角線上にエギルが入るよう立った。そして、体勢をぎりぎりまで落とし数本矢をつがえ、離す。
 スキル≪ウィンド・レイン≫。
放たれたいくつもの光が雨のように降り注いだ。的が大きいせいもあり、吸い込まれるようにすべて命中する。エギルも間に合ったようで、闇色の少年に命中しそうになっていた攻撃を紙一重で防いでいた。何故か、己の唇から小さく息が漏れる。
「……今回だけだから」
 そう、彼を助けるのはこれっきりだ。この場を切り抜けるための、苦肉の策。
 ちらりと、“彼”を見る。
 ……まだいけるか。――――否、不可能だ。これ以上弓を装備していては、ただでさえ目立つというものなのだから、遠目でも私だとばれてしまう。
 何しろ、昨日の出来事のために、十分な対策が出来ていない。せいぜい、向こうでは滅多にしていなかったポニーテールにするので精一杯だった。後ろ姿ならこれで誤魔化せているだろうが、横顔を見られればおそらくアウト。正面なんてみられた時には、もう“誤魔化す”の“ご”の字もつけられない程、目も当てられない状況になるだろう。
 ――――と判断してすぐに、曲刀にすばやく持ち替えた。
 そして、“彼”に背を向けるように立ち、床を蹴り上げ、すでにボスと向かっているルークの隣へ行く。そして、今度はルークが間に入るように位置取った。
「しばらく、こうさせてもらうわ」
 小さくつぶやきながら、全神経を注ぎ込み、感覚を研ぎ澄ませる。
今の最重要項目は、もちろんボス。こちらは、絶対に気を逸らしてはいけない。そして、差なんてあってないようなものだが、第二に“彼”の視線。おそらく、現在進行形で敵の技を先読みし、声を張り上げているのが“彼”だ。ルークが攻撃を受けるのに合わせて私も剣を当てながら、その“音”を頭の中へ叩きこむ。のちのち、役に立つかもしれない。
 手首をひねり、上半身をねじり、時にはステップを踏み、あるいはジャンプする。
 それを、何回繰り返していただろう。もしかしたら、そんなに長い時間ではなかったかもしれない。
 目の前を、栗色の髪がさらりとなびいて、きらめきながら細剣が吸いこまれていった。その流れる動きのあまりの美しさと、エフェクトの輝きに、一瞬気を取られる。
 ……そのせいかもしれない。いや、初めから、この緊張感の中を長時間神経を切り詰め、なおかついくつものことに気を配るなんて芸当、ヒトに出来るわけがなかったのだ。
 いつかはそのしわ寄せが己に牙をむく。
「あっ……!」
「……っ!?」
 何が起きたのか、咄嗟に判断が出来なかった。右に思い切り飛び退いたその瞬間、全く予期していなかった斥力が全身に加わったのだ。
 視界は回り、足元は崩れる。
「……く」
 それでも歯を食いしばってなんとか視線をあげれば、……なんてことだろう。 私と同様に傾くルークの体と、――――迫ってくる野太刀が視界に入った。
「……だめ……っ」
 それは、反射的に。右手を千切れんばかりに伸ばし、彼の体を攻撃の範囲外へ押し出す。
 同時に、景色が飛んだ。
 近くで核爆発でも起こったのかと錯覚するほどの衝撃が襲い、爆音に近いそれが体を振動させ、耳元で轟く。一番上のHPバーがガクンと減ったのを律儀に捕えた時、全身が忠実な重力によって叩きつけられた。
「ぐ、……はっ」
 腹が押し上げられ、吐き気のような強い不快感が迫り上がる。だが、目の前がぼやけるのを感じながらも、両手をつき上体を押し上げた。
 ――――黒いコートが、ひるがえっている。
 ちょうど、ボスの巨体を“彼”が斬りかかっていた。それを見て、内心ホッと息をついた。
 よかった、と、つぶやく。
 ……だって、そうじゃないか。あそこで鉢合わせをしていたら、まず間違いなくバレていた。不本意ではあったが、ボスにぶっ飛ばされてしまって“良かった”と思ったのだ。
 そんな、誰かには言えないようなことを思いつつ、何気なしに自分のHPバーを見て、ギョッとした。さっきの攻撃でガクンと減っていたのは解っていたが、それ以前にも少しずつ減少していたらしい。もうレッドゾーンに差し掛かっていた。
 これは、その他もろもろの事情で戻れないな、と思い、傍観することを決め込む。
 そして、一応ポーションは飲んだが、やはり出番はなく、私のHPがグリーンに入ったところで大量のポリゴン片が四散した。

 
 

 
後書き
 前後編にするか悩んでいたのですが、文字数的に分けた方がいいのかなと思ったのでそうしました。
 話の流れ的に切らない方がいいんだろうけれど、読みにくくなりそうだったので。



*   *   *


次回の更新は7月1日(18時)の予定です。


☆誤字脱字など何か気付いたことがありましたら、教えていただけると幸いです。
 
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