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ソードアート・オンライン 舞えない黒蝶のバレリーナ (現在修正中)

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第一部 ―愚者よ、後ろを振り返ってはならない
第1章
  第7話 六花が贈るメッセージ(中編)

 
前書き
旧第4話の修正版です。 

 
 腕を引かれるまま寄りかかった大樹から、空を見上げる。けれど、覆い茂る緑のせいで青色を目に写すことは出来ない。
 ひゅうと、心地良いような、底冷えする恐ろしさを孕んでいるような風が、頬を撫ぜていく。
「……キカちゃん、落ち着いた?」
「ええ、ありがとう。もう大丈夫よ」
 言いながらネージュの方へ顔を動かせば、彼は安心したようにふわりと笑った。私も笑みを浮かべて、左手の方へ意識を集中させる。
 実は、地面へ座った際に自然と手が重なりあっていたのだ。けれどネージュからは特に何も言われなかったし、私も特に退ける理由が見つからなかったのでそのままにしていた。すると、そこからじんわりと温もりが染み込んできたのだ。安らぐような、くすぐったいようなそれは私の混乱しきっていた思考を、いとも容易く宥めてしまったのだ。
 彼は不思議だ。たったこれだけで、その手のあたたかさだけで、私を落ち着かせてくれる。その目に痛いほどの輝きで、私が歩いている道を照らしてくれる。







「……ネージュも、突然このエリアへ飛ばされて来たの?」
「うん。青白い光に包まれて……まるであのチュートリアルの時みたいだったよ」
「そう」
 私と同じだ、全く。
 しかし、同じ現象に遭った人が居て安心するべきなのか、それが大切な友人であるネージュであったことを悲しむべきなのか分からない。しかも状況は全く変わっていないし、打開策が見つかったわけでもない。
 私は、どうしたら彼と共にここから脱せるのだろうか。色々な感情がごった煮されてしまい、どす黒い色のそれに翻弄される。再び、グワンと押し上げるような気持ち悪さが全身を襲った。
「……ッ」
「どうしたの? ……まだ具合悪い?」
「だ、大丈夫。心配しないで」
「無理しないでよ。……どうせ、見ている人はいないんだから」
 気遣ってくれる言葉から、少しいたずらっぽい声音に変わった。……と、認識した瞬間、私の肩に重みが加わる。彼が私との距離を詰めてきたのだ。触れ合うことになったそこから、じんわりと温もりが広がってくる。
 ゆっくりと視線を横へ向ければ、私のすぐ横にネージュの横顔があった。サラサラとした綺麗な金髪が、頬をくすぐっている。
「……ネー……ジュ?」
「ちょっと寄っても良い? 肌寒くてさ」
「良いけれど……、ああ、それなら私のブランケットを貸しましょうか?」
 確かに人によっては寒いと感じるかもしれない。私は右手を持ち上げ、ウィンドウを開こうとする。だがその刹那、身を乗り出してきたネージュによって腕を掴まれた。
「わっ、ちょっ!? 何して……!」
「いい……、いらない」
 ――――近い。
 ボッと一気に顔へ熱が集まった。彼が身に付けている深緑色で、視界の半分を奪われる。もしかしたら早まった鼓動がネージュに伝わってしまっているかもしれないが、どうしようもなかった。何がどうしてこうなったのかは分からないが、きっとすぐに、身体を離してくれるだろう―――。と、思っていたのに。一向にその気配は訪れない。
「……どう……したの?」
 やはり底なしに明るい彼でも不安になるのだろうか。そう思い始めると、まるで抱き着いてくるような体勢のネージュを無理やり引き剥がすのは忍びなく思えてくる。だがそれは、視界にウィンドウが出現する音と共に一気に霧散した。
 「ネージュ、離れて!」
 ≪ハラスメント防止コードによる強制転移の発動≫――――という文面に、冷水を浴びせられたような感覚が走る。目をまん丸くさせるネージュを、慌てて両手で押し返した。
「へ?」
「ご、ごめんなさい、ちょっと確認させて……!」
 きょとんとした表情を浮かべる青年を視界の端に捉えながら、すぐさま文章に目を走らせる。どうやら、はじまりの街にある≪牢獄エリア≫なるものへネージュを強制的にテレポートさせるかを、システム側は問うているらしい。私は迷わずノーを選択し、パッと消えた確認窓に胸をなでおろした。
「こんなものがあったのね……、知らなかったわ」
「な、何? 何があったの?」
「ハラスメント防止がどうとか……、ちょっと近づきすぎて、システムに勘違いされてしまったのね」
「え!? ……あ、もしかして、一瞬手が弾かれたような気がしたのは……」
「おそらく警告ね。……というか、あなた突然どうしたのよ。驚いたじゃない」
「あー……、あはは、うん」
「……うん?」
 私の横に座り直した金髪は頭を掻きながら明後日の方向を見やる。何かあったのだろうかと私も同じ所へ視線を向けるが、鳥が自由気ままに遊んでいるだけだった。訝しみながら視線を戻せば、こちらを見詰めていた青色の瞳とかち合う。蒼の奥にある何かを認め、私は困惑しながら首をかしげた。
「ネージュ?」
「……ごめんね。キカちゃんがちょっと鈍いもんだから、つい意地悪したくなっちゃって」
「はあ? それってどういう……」
 意味が上手く呑み込めず問い返すが、ネージュはいつも通りニコリと笑うだけだった。いまいち釈然としないが、説明する意思が無いようなら仕方がない。いい加減、話を進めなければ。

「まあいいわ。このまま、この後のことを相談しましょう」
「そ、そうだね」
「……私と会った時、あなた、こちらへ向かって来ていたでしょう。何か理由があって行動していたのよね?」
「いや、何となくだけど?」
「……は?」
 断定的な問いかけに返された答えは、あまりにあっさりとしていて。思わずぎょっとして、彼の顔をまじまじと見つめる。
「ぼ、僕、変なこと言ったかな?」
「……そうね、あなたって人はそういう人だもの。分かっていたわよ……」
「んん? ……な、なんか、一人で納得しているみたいだけど……?」
「良いのよ。そう、良いの、ネージュ。私、あなたのそういう所って好きだから」
「……喜んで良いの? ねえ、喜んで良いんだよね?」
 心なしか涙目になっているような気がしなくもないが、無言でスルーを決め込む。あんなに悩んでいた自分が馬鹿らしくなってきて、うっすらと笑った。
「だって、立ち止まらなければそのうち出られるかなーとか、思うでしょ? ……思うよね?」
「はいはい、そうね。確かにウダウダ悩んで立ち止まっているよりかは、よっぽど効率的かもしれないわ」
「な、なんか、あまり褒められているように聞こえない……」
「……私には、とてもそんな風には行動出来ないもの。正直、羨ましいわ」
 分かっている。先ほどの私は、可能性ばかりを考え過ぎた。私があの時にすべきだったのは、根拠のない想像をして思考を空回りさせることではなく、現状の整理をすること。不明な項目は保留にし、現状の一刻も早い解決を目指して行動へ移すこと。
 ストーリーがあるのならただ単に進行する条件が揃っていないだけで、場所や己の行動次第で変わるかもしれないし、同じ状況に陥ったプレイヤーがいるのか不明なのなら、それこそネージュのように足を動かさなければいけない。つまり、あの場でいつまでも留まっていても状況が変わることはなく、良くも悪くもならない。
 私は“冷静になれ”と自らへ命令しておきながら、かえって混乱する方向へ突っ走っていたのだ。
 だからこそ、ネージュのような適度にルーズな人は羨ましいと、たまに、ほんの少しだけ思う。きっと私にはかなり不向きな考え方だろうから、実行は出来ないだろうけれど。
「本当、あなたはこういう時でも余裕を持って行動出来て良いわね」
「そうかな? ……キカちゃんが思っているほど、僕に余裕は無いよ。これでも急いでいるんだから」
「嘘でしょう? あなたが急いでいるですって? こんな所で冗談はよしてちょうだい」
「ひどっ! 僕だって、一応焦ったりするんだからね!?」
「ふふ、そうなの? 信じられないわ」
 拗ねたような口調で言いながらも彼の目は笑っていて、私も自然と頬を綻ばせながらわざと茶化す。
「だって、あんまりにも呑気に構えているのだもの。とてもそうは見えないわよ」
「そ、それにしたってさ、もっとこう……、せめてオブラートに包んでよ!」
「そう。なら、能天気かしら?」
「……それ、さっきのよりもひどくなってない? ……いや、いいけどさ、でも本当に、予定よりも帰りが遅くなってしまいそうだから内心は焦ってるんだよ?」
「あら、誰かと会う約束でもしているのかしら?」
「……う」
「…………え、まさか本当に、人と会う約束をしているの?」
 言葉を詰まらせた彼に、思わず身を乗り出す。そういえば、ネージュの交友関係など知らない。もともと興味が無かったのだから仕方がないが、彼からこういう話を聞くのは珍しいな、と思ってしまった。……少し、ほんの少しだけ、悔しさのような、薄ら暗い、ザラザラとした砂のような感情が胸を掠める。
 そのせいだろうか。それとも、この妙な空間のせいだろうか。普段なら決して口には出さない類の、“意地悪さ”が飛び出してしまったのは。
「へえ、それは大変だわ。早く帰らないとね。……ねえ、――――“雪”ん子さん?」

 びくん、と彼の肩が大きく跳ねた。目を丸くし、今まで見たことのないほど驚愕の色を滲ませた表情をしている。
 それだけで、私は彼の返事が無くともソレを確信した。けれども、私は言葉を発せず、彼が次どう出るか待つことにする。……思っていたよりも早く、それは終わったが。
「……この名前――――“ネージュ”の意味、分かったのはキカが初めてだよ」
「ふふ、そうなの。嬉しいわ」
 にっこりと笑顔を作って言えば、彼は「あはは」と乾いた笑い声を上げながら、眉を八の字にして頬を掻いた。
 そのネージュの困ったような表情に、言い出したのは自分のくせに早くも罪悪感が湧いてくる。やはり、私には意地悪というものは向いていない。
 すう、と大きく息を吸って、体の中に澄んだ空気をめいっぱい取り入れた。
 お詫びに何かしなければ。どうしようか、暴いてしまったのなら、私も己の一部を晒そうか。
 ぐ、と唇を噛み締める。これから私が口にするものは、そして話の流れによって私たち2人の間で交わされるかもしれない会話の内容は、この世界では“タブー”とされているものだ。
「…………これは、私の“独り言”よ」
「……あ、ああ、うん」
 「独り言ね」、彼がほとんど音にならないような声でつぶやいた。私はそれを妖精の囁きとして脳内で処理をして、“独り言”を続ける。
「……数年前のことなのだけど、私、留学したかったのよ。それで、フランス語の勉強をしていたの」
 だからその名前に意味が分かったのだけれど、と心の中で付け足す。
「……留学?」
 すると、葉を擦り合わせて妖精が聞いてきたので、くすりと小さく笑みを作った。
「えぇ、バレエ留学よ。……まあでも、ちょっとしたゴタゴタがあって全部無くなっちゃったのだけれど」
 私の横にいる森の妖精が息を詰まらせる気配がした。けれどすぐに、まるで頬を撫でるようにあたたかい風が吹く。
「ふふ、くすぐったいわ」
 脳裏に思い浮かぶのは、ひとつの強い気持ちでバレエを踊り続けていた自分の姿。あの頃の私は、ただひたすらに、真っ直ぐに、純粋に、黒い影に押しつぶされそうになりながらも、必死に己の足で歩いていた。輝こうとしていた。

「私ね、“雪”って好きよ。真っ白で、小さくて、儚く消えていくから。……あまりに眩しいから、疎ましく思えてしまうのだけれど、どうしても嫌いにはなれないの」

 地面に落ちて水となり、跡形もなく消える。それでも純白なそれは、心地よく心に残り、静かに手足を冷やしていくのだ。
「私は、絶対に白くはなれないから。……出来るなら、雪のように消えてしまえばいいと、思っているから。……だから、好きなの」

 ザアーと、雨音のように葉が音を立て、響いた。それが一層静けさを引き立て、世界から隔離されたような感覚を覚える。
「……僕も、“雪”は好きだよ」
 空の色を映す海も、色づいた葉も好きだけど、と、そう付け足した“青年”の声がやけに耳について、頭の中を反響する。しかし、それらは少しずつ染み込んでいき、すっとなじんだ。
「……これは、僕の“独り言”だから」
 それを聞き、私は口元に笑みを作って静かに頷いた。そして、今度は小鳥のさえずり耳を傾けるべく思考を取り払う。重ね合せていたその温度が、少し強張った気がした。
「……“君”になら言っても言いかなって思っているんだけどさ、このプレイヤーネーム、“ちょっとした事情”で本名なんだよね」
 一瞬、反射的に小鳥を蹴散らし、声を上げたい衝動に駆られた。けれども、ぐっと抑え込む。そして、鳥の唄に耳を傾け続けようと、バラバラになった糸を一つにまとめるため目をつぶる。数十秒ほど間が空いたあと、
「――――その“ちょっとした事情”関係で、キカちゃんに頼みたいことがあるんだ」
 意を決したような固い声音に瞼を持ち上げた。目の前には、“眠る前”と変わらない風景が広がっている。
「……あら、小鳥さん。もう“唄”は終わりなの?」
「うん、終わりだよ」

 彼の手がさっと離れた。途端に、容赦なく自分のものではない温度が消える。一瞬、何か穴が開いたような感覚が襲ったが、すぐに砂が風に吹き飛ばされるかのように掻き消えた。私は左手を、空いている手で握りながら尋ねる。
「それで、何をすればいいの」
「……さっき、待ち合わせでもしているのかって聞いたよね。あれ、あながち間違いとは言えないんだ」
 そこで、プツリと言葉が途切れた。不思議に思って彼の方を見れば、空色の二つの光が火影のように揺れていた。
冷たい風が、手足をなぞっていく。思わず身をすくめた時、彼の引き結ばれていた口元が解かれた。

「その人に、――――僕が死んだとき、渡してほしいものがある」

 ザワリ。氷が私の体を撫でつける。
 思ってもいなかったその頼み事のせいで咄嗟に理解力が追いつかず、声を上ずらせて半ば怒鳴り付けるように問いかけてしまった。
「……な、何を言っているの!?」
「何って……、そのまんまだよ。どういう意味かは、キカちゃんなら解るだろ?」
「いや、それは、……意味なんて私でなくても解るわよ。けれど!」
 どうして、そんなことを言うのか。真っ先にその言葉が浮かんだ。
 すると彼は、私の脳をスキャンでもしたのかと思いたくなるほど正確に、次の瞬間にはその解を寄越してきた。
「現実世界でも、もしもの時を考えて、生きているうちの自分の意思を残すだろ? ……それと一緒だよ」
「……っ、それは、そうだけれど……」
 ぐっと唇を噛み締めた。
 痛覚はないのだと、改めて実感する。……向こうならきっと、血が滲んでいただろうから。
 私はちらりと、上を見上げた。いつの間にか、葉の隙間から金色の光が覗いている。
その輝きに、ふぅ、と息をつき、再びネージュの方を見た。
「……私でなければ駄目なのね?」
「うん。君になら――――、キカちゃんにしか頼めないことだから」
「……そこまで私を信頼しているなんて、思ってもいなかったわ」
 涙が出ちゃう、と冗談めかして言えば、彼はそれに乗っかるように笑い声をあげた。しかし、それも少しばかりの間だけで、すぐに二人の間をピンとした冷たい空気が生まれる。
 私はネージュから視線を注がれているのを意識の端で感じながら俯き、……そしてすぐに顔を上げた。
 答えは、決まった。それが、彼の意思なのだと言うのなら。
「……わかったわ」
「え?」
 白々しい返事をするネージュを軽く睨みながら、続ける。
「だから、その頼みごとを受けさせてもらうって言っているのよ。……これくらい、ネージュなら解っているでしょう?」
 先ほどと同じセリフを彼に返す。ネージュは苦笑いを浮かべた。
「……うん、そうだね」
 返しに若干の間が空いた彼を置いて、私は一人、立ち上がった。そして数歩前に進んでから、振り返らずに後ろへ向かって声をかける。
「それで、具体的にどうすればいいのかしら?」
「……あ、あぁ、うん。……まず、共有ストレージを作ってほしくて……」
言葉とほぼ同時に、承諾するか尋ねるダイアログが表示された。私は首を傾げながらも、OKの方へ指を持っていく。
 すると、またしてもタイミングばっちりに、疑問を解く言葉が発せられた。
「渡す日を、あの子の来年の誕生日にしてほしいんだ」
「……来年?」
 若干の疑問を覚えて聞き返し、作成されたばかりのフォルダを開く。どうやら仕事が早い人間のようで、もうすでにアイテムが一つ追加されていた。どうやらアクセサリーらしい。
 その存在だけ確認してタブを閉じたとき、彼の言葉が続いた。
「うん。今月が誕生日だから本当はもうちょっと先なんだけど、先月早めに渡したんだ」
 血を吐いているかのような苦しげな声だった。悲しみに溢れた彼の表情を、息を呑んで見詰める。
「……ネージュは、何をその人にあげたのかした?」
 彼の見たことが無い雰囲気に、嫌な想像が頭の中で掠めていった。外れてほしい。どうか、どうかそんな無慈悲なことはあってほしくないのに。
「ナーブキアと、……≪ソードアート・オンライン≫のソフトだよ」
「……ッ、そ、それって……」
「うん。僕は、……僕が巻き込んでしまったんだ」
「ネージュのせいじゃないわ。だって、あれは……」
「確かに僕がこの状況を生み出したわけじゃない。けれど、元々ログインする予定の無かった人を巻き込んだのは事実なんだ」
 ……そんな風に、自分を責めないで。そう強く彼に言いたかった。
 しかし、ネージュが言っていることも一理あるのだ。私が否定しても気休めにしかならない。むしろ彼が私の言葉を否定して、余計に苦しめることになる。
 どうしようもなかった。悔しくて、眉を寄せる。そんな私に、ネージュは困ったように笑った。
「……とにかく、僕が渡したプレゼントはとてもそんな風に呼べる代物じゃなくなってしまったでしょ? だから、もうどうやってもこの状況は変えられないけれど、この世界でもう一度プレゼントを渡そうとしたんだ。……だけど……」
「けれど……?」
「――――けれど、『素敵なプレゼントはもらったから』って言い張って、受け取ってもらえなかったんだ」
 ……なんという、純粋な人なのだろう。聞いた瞬間持った感想に、ズキンと何故か胸が痛んだ。だが、すぐに意識的にしまい込み、それらを振り払うように彼の方を振り向く。そして、確認のために尋ねた。
「……つまり、来年のその日が来れば、今日の事はなかったことになるのね?」
 出来ればそうなってほしいけれど、と、絶対に口には出せないことを心の中で付け足す。
 ようは、自分が死んだとしても、その人に贈り物が届くようにしたいのだろう。したがって、彼が死ぬことがなければこの頼み事は破棄される、ということになるはずだ。私はあくまで保険、ということなのだろう。
 もちろん、私も来年の今頃まで生きている保証は無い。しかし、一人で抱えているよりも、二人の方がネージュの気持ちを渡せる確率は上がる。
「そういうことになるね。……近いうちに彼女のことを紹介するよ。ちょっと目立つけれど、良い子には違いないから」
 ポンと飛び出した単語に、一気に私の中の緊張の糸が切れたような気がした。私はニヤリと笑みを作りながら、
「……彼女? ずいぶん大切にしているみたいだし、もしかしなくても恋人かしら?」
「はぁっ!?」
 一瞬呆けたような表情になったネージュは、やがてだんだんとその頬を赤く染めていく。少し意地悪をするつもりで聞いたのだが、予想以上の反応だ。気分が良い。
 すると、パクパクと魚みたいに口を動かしていた彼が、何とか平常心と取り戻したようで、視線を泳がせながらつぶやく。
「そういうんじゃないよ。……なんというか、その、僕の家族というか……」
「そう、既婚者でしたか。それは恋人ではありませんね。……のろけ話は、またの機会に聞かせていただくわ」
「だ・か・ら! 違う!」
「ふふふ、そうなの? それは残念だわ」
 クスクスと笑ってやれば、年上とは思えないような子どもっぽい表情を浮かべた。そして、バッと勢いよく立ち上がった彼は、その表情を苦いものを食べてしまったような面持ちへ変え、こちらへ詰め寄ってくる。私はそれを半身でさけて、からかうように言った。
「さあ、十分に休憩出来たし、歩きながらこの後のことを考えましょうか?」
「……あ、ああ、うん」
 虚をつかれたのか、急に勢いが抜けた感じに答えが返ってくる。
 私はそんな彼の背中を、少し強めにたたいた。バン! という実に痛々しいような、爽快感があるような音とともに、彼の体がよろける。それを見ながら追い打ちをかけるようにクスクスと聞こえるように笑えば、頭をカジガジと照れ隠しをするように掻いていた。
「ネージュが歩いてきた道には何かあったかしら?」
「僕は歩いた道には何も無かったよ。ただ、何本か分かれ道はあったけどそっちには行ってないから……」
「そう。……けれど、同じ所を歩いても結果は同じである可能性の方が高いし、とりあえず見たことが無い方へ行こうと思うのだけれど。あなたはどう思う?」
「うん。僕もそれで良いよ」
「決まりね」
 私たちは軽く目配せをし、足を踏み出した。しかしその時、「あっ」と隣の青年が思い出したかのような声を上げる。私は眉を顰めながら浮かせていた足を元の場所に戻し、何やらウィンドウを操作している金色を見遣る。
「今度は何よ」
「ご、ごめんちょっと待って……」
「もう」
 緊張感が一気に霧散してしまった。ある意味これは彼の特技ではないだろうか……、と本人が聞いたら涙目で否定してきそうなことを思っていると、ネージュの顔がパッと輝く。
「見つかったの?」
「うん。……これ、渡したくて」
「…………手紙?」
 スッと差し出されたものは、真っ白な封筒だった。宛て先の部分には私の名前が記してあって、目を瞬かせる。
「これ……私に?」
「そうだよ。……日付が変わったら、封を開けてほしい」
「日付が変わったら、って。今見てはいけないの?」
「だーめ! 絶対、駄目!」
「ふーん……」
 妙に必死に阻止しようとしてくる。つい意地の悪さが顔を出して悩むフリをしたくなるが、彼の真剣な眼差しにやめることにした。ため息をこぼし、彼から受け取った手紙をストレージにしまう。
「分かったわ」
「……よ、良かったー」
 私の是とする言葉を聞いた彼はホッと体の力を抜き、安堵をその表情にあからさまに出す。まったく、何なのだろう。見たところ普通の手紙のようだけれど、それほど中身が重要なものなのだろうか。
 けれど、彼の様子を見た限り、聞いたって答えてはくれないだろう。どうせ日付が変われば判明するのだ。別に急がなくても良い。
 そう結論付けて再び歩き出す。彼との口約束を忠実に守ろうとする己に、ついつい苦笑が零れてしまって、上着の裾で口元を隠した。


 時間に換算すると10分程度だろうか。しばらく無言で歩いた後、「あ」、と隣のネージュが声をあげた。
「あれ! ほら、草むらになんか白いものが落ちてない!?」
「え……? あら、本当だわ。なにかしら」
「僕見てくるよ!」
「なっ、ちょっ、ちょっと待ちなさい! 危険なものだったら!」
 しかし私の静止を振り切って、彼はその白いものへ向かって駆けていく。ため息をつかずにはいられなかった。
「……まったく、もうちょっと警戒しなさいよ……」
「あっ、なんか手紙みたいだ! ほらキカちゃん、早く来て!」
「はいはい、わかったわよ」
 もう一度ため息をつきながら、手をブンブン振っている青年へ近づく。……自然と緩む口元には知らぬふりをして。
「私にもそれ見せてくれる?」
「うん」
 彼からその白いもの――――紙を受けとり、そこに書かれた文章へ目を走らせていく。
「……『この手紙を受け取ったあなた、どうか私たちの村をお助けください。とても凶悪な悪魔を封印する準備を整えていたのですが、あと一歩の所で、操られた人間の手で道具が隠されてしまいました。これを何とかして見つけ出してほしいのです』……」
 と、そこまで声に出して読み上げた時、複数の眩い光が地面のいたる所から噴き出した。思わず腕で両目を覆う。
「なによ、これ……ッ」
「一体何が起こって……!?」
 遮っているはずなのに、光が強すぎて視界が赤く染まる。まるで先の読めない事態に、形容しがたい恐怖で足をわずかに震えた。だがそれも、はそう長くは続かなかったようだ。私たちを包んでいた、刺すようなそれはだんだんと収束していくようで、暗闇が勝り始める。恐る恐る腕を外して薄く目を開き――――、
「な……っ!?」
「…………ああ、もう、ずいぶん厄介なことになったわね」
 頭を抱えたくなった。ああ、あの手紙はこういうことだったのかと、理解してしまったのだ。
 先ほどまではただの土の道だったのに、今はかなりの数の箱が出現していた。一つひとつ丁寧に、かつ繊細な装飾が施された宝箱だった。……それがもう、半端なくあちこちに点在している。神秘的な森の雰囲気を打ち壊す勢いだ。
 これは面倒くさいことになったと、大きなため息を吐き出す。すると、聞き慣れた効果音が耳に入った。
「……今、クエストログが更新されたわね」
「うん。ここに飛ばされる前に見た文の書き方と似てる」
「そうね……」
 ――――アイテム≪手紙≫がプレイヤーによって発見されました。これよりイベントがスタートされ、モンスターがポップするようになります。村人が求めるものを見つけて装備するか、本日21時を迎えると自動的に終了します。ログアウトで途中退場出来ますが――――。
「全くもって意味が分からないわ。そもそも何のイベントなのよ」
「本当だよ、もう……」
「こんな訳もわからないクエストをクリアしなければ出られないなんて……」
「……それにさっきの手紙……、最後の一文が」
 “悪魔の手先はかなりの強者です。十分注意してください”――――。
 何が起ころうとしているのだろうか。強い悪寒を感じ、ぶるりと体を震わせる。
 沼に片足を突っ込んでしまったような、そんな感覚。少しずつ底へ底へと引きずり込まれていき抜け出せない。足掻こうとしても体の自由はどんどん奪われ、恐れがじわしわと這い上がり、思考を浸食していく……。
「……キカちゃん?」
「…………何でもないわ。とにかく片っ端からこの箱を開けていきましょう。どうやら強いモンスターもいるようだし一刻も早く――――」
 と、私が一番近くの宝箱へ手を掛けた、その時。

「うわぁぁぁぁああああああああああああ!!」

 私たちのものでは無い悲鳴が、空気を切り裂いて響き渡った。私は咄嗟にネージュと顔を見合わせ、
「この声って……!」
「私たち以外にもプレイヤーが居たんだわ!」
 すぐさま己の武器抜き払い、彼と共に声の方向へ駈け出す。
 ――――赤の他人が死のうがどうなろうが構わない。
「……そうよ……」
 私は、自身が大切にしている者たちを守れればそれで良い。他がどうなろうが関係ない。知ったことではない、……のに。
「あっ、たす、助け……ッ」
 悲痛な男の声と、モンスターのものであろう低い呻き声が近くなっていく。私の足は、何故か止まろうとしない。止まってくれない。
「早くこっちへ来なさい!」
「キカちゃん!?」
 気が付けば、包帯でぐるぐる巻きにされているミイラのようなモンスターの前へ飛び出していた。剣を閃かせると、赤いポリゴンが散る。ざり、と地を踏みしめ、さらにもう一撃。
「下がって! その人の回復をお願い!」
「……ええ、分かったわ!」
 割り込んできたネージュにその場を明け渡し、私は踵を返した。崩れ落ちている男へと駆け寄る。腰のポーチから瓶を取り出し、
「ほら、今のうちに!」
「……あ、ああ……」
 弱々しい声を上げながら私からポーションを受け取る。しかし、その両手はブルブルと激しく震えていて、口元へ持っていくことすらままならないようだ。
 初期装備の剣が男の横に転がっていることから、おそらく≪はじまりの街≫から出たことの無いか、良くて≪はじまりの街≫の周辺でしか狩りをしないプレイヤーなのだろう。私はきつく唇を引き結んだ。
「……こんな人まで巻き込むなんて……」
 戦う術も経験もない彼のようなプレイヤーが、まだ他にもいるのなら。これは想像していたよりも大事かもしれない。
 チラリとネージュの方を見る。敵のHPゲージはもうすぐでレッドゾーンに入るが、やはりそこらのモンスターより強いらしい。私も行かなくては。
「いい? 回復が終わってもそこに居るのよ!」
 とりあえず安全の確保を。
 勢いよく立ち上がると地面を蹴り上げ、おどろおどろしい容姿を持つモンスターへとそのまま突っ込む。
「ネージュ!」
 さっと斜め後ろへ跳び退ったネージュと入れ替わるように前へ出て、刃を叩きこむ。黄色いエフェクトが迸った。間を置かずに金色が再び前に飛び込んで、銀色が振り上げられる。瞬間、敵のHPはゼロを刻み、青い欠片をまき散らした。
「良かった。ひとまず、これで…………」
「き、キカちゃん! 後ろ!」
 反射的に後ろを振り返った。目を見開きながら顔を青ざめさせる男と目が合って、それから。……それから、その男の、後ろに、今と全く同じ……。
「に、逃げなさい!」
 ネージュの手を振り払って駆けた。けれど、包帯だらけのそいつが持つ片手剣が、男の頭上に振り下ろされる――――。
「そんな……っ」
「……し、死にたくな」
 パリン。
 今聞いたばかりの残酷なその音が、私の耳にしっかりと届いた。つい数十秒前に見た光景と全く同じものが、私の目へと刻み付けられてしまった。
「……そ、んな……」
「危ない!!」
 私へと繰り出された斬撃。それは滑り込んできた青年によって弾かれる。
 彼だけに戦わせるわけにはいけない。一緒に、剣を、振るわなければ。
「……わたしの、せい?」
 私は、あの男のそばから離れるべきでは無かったのに。せめて私が近くにいたのなら、もしかしたら彼は生きていたかもしれないのに。
「切り替えるんだ!」
「…………ッ」
 急激に重くなったような気がする曲刀を握り直す。喉が痛い。頭の中が揺れる。それでも、やらなければ。
 いつの間にか空いてしまった彼らとの距離を埋めようと足を踏み出す。しかし、背後からまた違う声が聞こえ、ビクンと肩が跳ねた。後ろで口を開ける分かれ道を肩越しに見れば、包帯のモンスターとはまた違う敵に追われながらこちらへ走ってくる少女が目に飛び込んでくる。
「やだぁ……ッ、やめて!! 来ないでよ!!」
「……ごめん、ネージュ」
 ごめんなさい。
「え、キカちゃ……」
 助けなければ。今度こそ。
「いやだ、やだ、やだ……ッ! おとうさん、おかあさん!!」
 私なんかよりよっぽど求められているその光を、奪わせるわけには。
 無茶苦茶に短剣を振り回すその子へ向けて、敏捷値の限りに疾走する。けれども、もう少しで手が届く、というところで。
「きゃあぁっ」
「っ!!」
 ショートヘアの少女の身体が私の方へ吹っ飛ばされてきた。倒れ込みながらも何とか受け止めて、すぐさま回復ポーションを彼女の口に含ませる。安堵の息を漏らそうとして、――――凍りついた。
 回復しない。それどころか、どんどん減っていて。
「う、うう、……怖いよ、なんで、こんな……っ」
「…………まさか」
 致命傷。
 急速にHPゲージが減少していく。もう、赤い領域はすぐそこだった。
 うでのなかで、いのちが、きえていく。
 ボロボロと泣きながら両親を呼ぶ、私と同じ年ぐらいの女の子の命が、消えていく。
「おとうさん、おかあ――――」
 ふっと、重みが消える。キラキラと輝く結晶が、雪のような儚い結晶が、飛び散った。
 「…………」
 大きな影が落ちる。私はその影の主を見上げ、傍らの剣を握りしめた。
 体の奥で、炎が燃え盛っていた。
 
 
 

 
後書き

次回の更新は6月25日(18時)の予定です。 
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