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ソードアート・オンライン 舞えない黒蝶のバレリーナ (現在修正中)

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第一部 ―愚者よ、後ろを振り返ってはならない
第1章
  第3話 狂っているモノは何?

 
前書き
修正済

挿絵:一枚削除 

 
 地を這うような叫び声の大合唱。怒号や嗚咽も混じり合い、ほんの一時間前まで明るい声で満ちて、穏やかだった場所と同じ空間とは思えない。
 冷たい石畳の上で体を丸め込んでいたり、虚空を見詰め茫然と立ち尽くしていたり、あるいは神に祈りを捧げるかのように天を仰ぐ人々を横目で見やりながら、私は小さく『馬鹿らしい』と呟いた。
 そんな事をしていても、何も変わらないというのに。自分で歩かなければ、どうにもならないというのに。
 冷めた気持ちを吐き出すかのようにため息をつきながら空を見上げた。血を垂らした如く赤く染まっていたそこは、今はいっそ清々しいほどの青空だった。しかしあと数時間もすれば、夜が訪れる。この“現実世界”での、初めての夜が。
「ねえ、キカ」
 花壇の隅に腰かけていた少女から声が掛けられた。親友の幸歌――――否、サチだ。なるべくなら彼女とはここでは会いたくなかった。……救いだったのは、同じく大切な友人である慎一までもが巻き込まれていなかったことだろうか。
「どうしたの? サチ」
 優しい声音になるよう気を付けながら問いかける。彼女は私にとって特別だ。絶対に失いたくない。
 だからこそ、≪ソードアート・オンライン≫を高校の部活仲間とプレイするのだ、と事前に彼女から聞いていた私は焦った。私は良い。赤の他人が死のうがどうなろうが構わない。しかし、彼女だけは。私の掛け替えのない、親友の幸歌と慎一だけは……。
 慎一がゲームでよく使っているプレイヤーネームでインスタント・メッセージが送れなかった時は、心の底から安心した。発売日には買わないと明言していたが、どうしても不安だった。あとは、幸歌がログインしていなければ良い。そう、思っていたのに。
「……もみじ……」
 大好きな少女の姿に、私は運命というものを呪ったのだった。
 “ホンモノ”になった世界を、この時になってようやく呪ったのだった。
「サチ」
 紙のように白い顔に、両手をそっと添える。冷たい。指先で撫でながら彼女の存在を確認した。
「サチ、部活の友だちとは連絡が取れたの?」
「……うん」
「そう、分かったわ。……私が様子を見てくるから、あなたはここの花壇に座って待っていて」
 おそらく、パニック状態に陥っているこの街で誰かと落ち合うのは大変だろう。ただ幸いにもサチが、友人たちが使用する予定のプレイヤーネームを覚えていたため、連絡を取り合うことが出来た。しかし、彼女のこの精神状態では歩けない。私は何とも思っていないが、狂気に包まれた人々の間を縫って進むのは彼女のためにならないだろう。……そう思い待っているように言ったのだが、サチに止められてしまった。
 「どうしたのか」とゆっくりとした口調で聞き返してみたが、答えは無い。私は訝しみ、彼女の前に膝を付く。
「サチ?」
「……ないで……」
「え?」
「……置いて、いかないで……」
 か細い声だったが、今度はしっかりと聞こえた。私はぎゅっと唇を噛み、ほろほろと涙を流すサチの手を握る。
「……ごめんなさい、サチ。一緒に行きましょう」
「…………」
 無言で俯くサチの手を引いた。幾度も繋いだその手がいつも温かかったが、今日は氷みたいだ。
「……かえりたい」
「――――ッ」
 うわごとのように落とされたその言葉。それは矢のようで、私を鋭く射抜き、縫い止めた。サチの手を握る手に、思わず力を込めてしまう。
 この場に居るほとんど全ての人が、同じようなことを呟いている。だが、私にとって彼女の言葉は重みが違った。胸が締め付けられ、呼吸が苦しくなる。
「……サチ」
「なんで……、こんな。どうして……っ」
「サチ、落ち着いて」
「いやだ、かえりたい。こわい、怖いよ」
「サチ」
 足を止めて振り返った。涙でぐしゃぐしゃになったサチの顔を認め、一層胸が痛む。
「……きか?」
「サチ、大丈夫よ」
 細い体を掻き抱いた。周りの目など気にするものか。どうせ、正常な思考をしているものなどほとんどいないのだ。
「キカ……」
 私の肩口が濡れていく。それでも、彼女を離さなかった。……離せなかった。
 このまま体がひとつになってしまえ。呼吸も、心臓も、体温も、何もかもひとつに。サチを、大切な親友を支えられるなら、どんなものでも惜しくない。
「だいじょうぶ」
 私が、この世界を終わらせてみせる。
 たとえそれが、私にとっての“死”だとしても。彼女のためならば、惜しくない。
 
 私は、この世界に“ホンモノ”を望んでいた。“もう一つの現実世界”にしたかった。しかし、そこには大きな壁があるということも理解していたのだ。
 “生”があるならば、“死”も存在する。それは至極当たり前のことだ。生と死は、絶対に切り離せない関係にある。
 だが、ゲームである限り、これは適用されない。存在しないのだ、本物の“死”というものが。意識が消え、肉体が滅ぶ、その終わりが“ゲーム”には存在していない。これでは、いつまで経ってもホンモノには成り得ない。永遠にニセモノのままだ。
 死を迎えたとしても、生き返ってしまう。何度も、何度でも。それはあまりに重要性の低い命ではないか。本物の世界にしたいのならば、それは在ってはならないことだった。“現実世界”ならば、死神に見初められた時、あっけなく生を終えるというのに。ニセモノの世界には無い、本物の死が待っているというのに。
 ――――しかし、しかしだ。この世界……、≪ソードアート・オンライン≫には、その死神が存在しているというではないか。
 ……ああ、それはなんて、なんて素晴らしいことなのだろう。
 これで私は、本当の意味で“生きること”が出来る。今私が握っているのは、仮初のものでは無い、本物の己の命なのだ。
 HPが0になれば死ぬ。そこに不純物は一切混入していない。ここはすでに、私にとって現実世界なのだ。世界は在るべきだったはずの形を変え、代わりに私の望んだ通りの姿となって動き始めた。ありえるはずがない、と思っていた世界に、私は今居る。
 おそらく私は、かなりエキセントリックな人間だろう。泣き叫び、怒号を飛ばし、蹲り震える人々を理解出来なかった。不思議でならなかった。なぜ、という疑問ばかり渦巻いて、行き着く場所も無く私の中に積み重なっていく。
 一体、何が狂っているのだろうか?
 私か、私以外の約1万人のプレイヤーたちか。
 向こうの世界か、≪ソードアート・オンライン≫か。
 もちろん、私にとっては、向こうの世界の方が狂っていた。
 私から何もかもを奪っていくのだ。損なわせることしかせず、与えられるものなど何もない。
 一方、この世界はどうだ?
 何かを奪われる時があったのならば、それは自らの力不足のせいだ。弱いから失うのだ。力が及ばなかったから奪われるのだ。よって、少なくとも自分自身の命に関しては、理不尽で失うことは無い。それは相手がモンスターでも、プレイヤーでも、その他エトセトラのダメージであっても変わらない。
 その時――――、死神の鎌が振り落とされ首が飛んだ時は、私は己の不足分を呪う。
 そして、死を甘受するのだ。
 ……ただ、それでも。それでもサチだけは、絶対に亡くしたくない。
 彼女は、……彼らは私の光だ。あの狂った世界で、私を見失わんとして手を引き続けてくれた。サチはその中の一人。
 そんな彼女を、彼女自身が望んでいない世界で死なせたくない。

 実のところ、いわゆる世界からの解放――――つまるところ攻略なんて、私にしてみたらどうでもいい。むしろ、その逆を望んですらいる。
 ようやく己が“生きること”が出来る場所に来ることが出来たのだ。なぜ、自らその場所を削るなんてことを思えるのだろうか。
 だが、単に“生きる”と言っても、何もしないのでは実につまらない。空しく真っ暗な生活など真っ平御免である。落ち葉のように重力に従って落下し、水のようにただただ淡々と過ごす日々など、そんなもの生きているとは言えない。向こうの世界で過ごした時間と、何が違うと言うのだ。目標の無い生活なんて、ただ疲れるだけなのだ。
 周りに望まれるまま虚像の“生”を引き延ばされた。私の意志は伴わないまま。起きて、食べて、寝る。それを作業のように繰り返していた。
 だが、今は違うのだ。己が望んだものを手に入れたではないか。せっかくもう一度“生”を掴みとれたのに、向こうの世界と同じように漂うなんて、そんなことはしたくない。
 ならば、本来のこの世界の姿に乗っ取り、最前線でモンスターと戦い続け、上を目指そうではないか。
 何よりサチがそれを望んでいるのだ。叶えるためなら、どんな代償も惜しくない。過程で死んだとしても悔いることはしない。
 私が、サチを解放する。この世界を壊すのだ。
 そして、≪ソードアート・オンライン≫が消滅した時が、今度こそ私が死ぬ瞬間だろう。
 この世界が消えれば、生を受けた私も消えるのだから。

 至近距離に顔があるサチに悟られぬよう、吐息とともに嗤った。
 ――――結局、どこへ進もうが、どう歩もうが、どんなに足掻こうが、私に待っているのは死だけなのだ。







 突き抜けるような晴天。頬をくすぐる風を感じながら、何度目かのため息を飲み込んだ。
 あの日から、約一ヵ月が経った。
 現在第一層フロアボス攻略会議に私は出席しているわけなのだが、あまりにも相応しくない議論を繰り広げるプレイヤーに、呆れを通り越して尊敬の念すら抱いてしまう。
 だいたい、ベータテスターがどうのこうのなど、今話すべきことでは無いのは明らかだろう。そんな下らないものを、大勢を巻き込んでやらないでいただきたい。
「馬鹿らしい……」
 そんな言葉が漏れてしまうのも仕方がないはずだ。本当、やっていられない。
 石段に座った状態で折った膝に頬付けを付く格好は、さぞかし不真面目な印象を与えているだろう。しかし、これくらいは許してほしい。
 それに私にしてみたら、今は攻略会議どころでは無いのだ。正直言って、即刻この場を立ち去りたい。そして一刻も早く対策を練りたいというのに。
 自制していた溜め息が、今度こそ漏れた。
 しかし顔を俯かせる姿勢を保ち、自然に長い黒髪が顔を隠してくれるように身をよじる。
 ……まったく、ここまであなたと被りたくはないのに。
 ちらりと目だけを動かし、後方にいる“彼”の姿を見た。その姿を再認識して、また溜め息が出そうになる。
 まさかね、とは思っていた。だが、そのまさかが現実になるとは思わなかった。
 彼は私の事故の後から、どっぷりとゲームにはまりだした。そんな彼がこの世界に目をつけたのは、何らおかしいことではない。
 だがそれにしたって、まさかこんなことになるなんて。
 というか、今の今まで“彼”もこの世界に来ていることを知らなかったのだ。本当にどういうことなのだろう。幸運の女神とやらが、私にもまだ微笑んでくれているのか。……あぁ、もう面倒くさい。億劫だ。そう考えよう。考量すべきはそこでは無い。
 それに、私が主街区まで出てきたのは数えるくらいだ。今までの一か月間、ほとんどを迷宮区近くの村で過ごしていた。おそらくその影響が大きかったのだろう。別に狙っていたわけではないが、結果論としては大変好ましい。
 まあ何にしても、今日はシステム的に補正でもかかっているのではないかと本気で思ってしまう。
 なぜなら、今現在“彼”は、石段を後ろから数えた方が早い場所――――つまり、かなり後ろの方にいる。対して、私は最前列。しかも、≪エギル≫というプレイヤーをはじめた屈強な男たちに囲まれている構図だ。
 まず、この状態でバレることはないだろう。この先のことを考えたら、何か手を打たなければならないが。
「……それにしても」
 たった今、そのエギルが目の前の茶番に加わり、場を収め始めた。正直これ以上続けられたら、私が飛び出してしまいそうだったので、安堵の息をつく。
 私の嫌いなものベスト3は、下から順に、“しつこい”、“うるさい”、そして“無駄”。あの男は、めでたくこの上位2つに当てはまっていらっしゃる。
 こういう会議は静かに、なおかつ迅速に進めていくもの。ああいう必要のない“無駄”な発言は場を混乱させ、やる気を削ぎ、また内容によっては疑心や怒りを生む。
 今回も例に漏れず、現在この場の全員に不安が生まれているだろう。それは、上手く収束できれば良いことだが、悪ければこの場が瓦解する。
 ……すなわちそれは、この世界では“死”を意味するのだ。
 本当、“無駄”なことに、いいものなんて何ひとつ存在しない。
「……おつかれさま」
「おう」
 上手くあの男を丸め込んだエギルをちらりと認めて、ねぎらいの言葉をかけた。それに短く返事を返してきた彼は、どかりと私の横に腰を下ろす。
 その姿を確認した青い髪の青年――――ディアベルは、小さく頷き、髪をなびかせながら再び中央へ歩いて行った。そして、ようやく会議が再開される。
 どうやら、先ほど寸断されてしまったが、パーティを組むようだ。この場にいる全員が移動を――――と思ったが、たいして動くことは無かった。……まぁ、かくいう私も、例によって全く動いていないのだが。
 彼らとは、数時間前に主街区とフィールドを分けるゲートで出会った。今回のボス攻略に参加すると聞いたので、私もパーティを入れてもらえるよう事前に相談していたのだ。予想に反し快諾してくれたおかげで、私は何の心配も無くここにいる。もし余るなんて事態に陥っていたら、必然的に後方の“彼”と顔を合わすことになっていただろう。ハッキリ言ってゾッとする。
「キカ、お前、武器は曲刀だったよな」
 私が思わず二の腕を擦った時、他のパーティメンバーと話していたエギルがひょいとこちらを見て問うてきた。街中では私は武器を装備していないので、こうするしか確かめることが出来なかったのだろう。それでも覚えていたのだから称賛する。
 私は笑みを作り、首肯しながら、小さな声でこう付け足した。

「そうよ。……一応、ね」







 “無駄”。
 それは、私の嫌いなものの最上位に位置するもの。合理的に進めていきたいのに邪魔にしかならない。
 向こうでのその対象は、“話すこと”だった。言葉を交わさなくても、何も損なうことはない。ただ時間を浪費するだけの、無意義な行動でしかなかった。
 そして、その考えは事故後一層強固なものとなった。
 私と話しながら、憐みの色を瞳に浮かべているのだ。そんなことばかりで、正直うんざりしてしまう。……それでも、スグと幸歌とだけは、有意義な時間を過ごせていた気がしていたが。
 まあそれはともかくとして、この考えはこの現実世界に来て変わった。
 “話すこと” ――――すなわち“情報収集”。これはこの世界で生き抜くための重要な要素だ。この現実世界で生き抜くためには、情報が己の命綱となる。モンスターを倒すにも、売買するにも、移動するにも、何をするにも情報は必要不可欠なものであった。ただ、向こうで鍛え上げられてしまったコミュニケーション能力の低さがあったため、“あること”をして誤魔化してはいるが。そうまでして補わなければならないほどに、“会話”は重要な行動であると私は認識を改めた。
 一方で、重要性のレベルを下げた部分がある。その項目の一つに、“食べる”という行動が含まれていた。
 食事という行為は、この世界では必要のないものである。装備やポージョン類を揃えるために金を使った方が明らかに有意義だと言えよう。ちなみに、そう判断したのはこの世界が生まれた日と同日だ。今では空腹というものがなんだったのか、と疑問に思うほど全くそれらしいものを感じない。
 そのことに対して、さほど不安感は抱いていない。これで良いのだ。不必要なものは排除すべきなのだから。
 ――――そう、思っていたのだけれど。やはりこの思考回路は、常人のそれと大きく食い違ってしまうらしい。
「……会食?」
「あぁ、そうだ」
 会議が終わり各自解散ということになって、彼らと必要なことだけを話してこの場から離れよう、と思っていた矢先のこと。
 ボス戦は一日おいた明後日に実施することになったのだが――――、
「親睦を深めるためにな。キカと俺らって、会話らしい会話をほとんどしてないだろ?」
「……ええ、まあ、そうだけれど……」
「それに、明日、ボス戦前に一度は戦っておきたいから、その相談も兼ねて」
 エギルが、ニカリと歯を見せて笑う。後ろの方へ視線をやれば、パーティメンバーである男4人も一様に笑っていた。
 私は、波打つ感情を抑えるために、ふぅと小さく息をつく。
「……私も、あなたたちといきなりボス戦で闘うのは不安が残るので賛成です。けれど、会食の方は遠慮させていただくわ」
 迷いはなく、それをはっきりと口にする。エギルは断られるとは思っていなかったのか、一瞬間の抜けた顔をしたが、すぐにフレンドリーな笑顔に戻る。
「何か用事でもあるのか?」
「いえ、そういうわけではなく――――」
 あっ。
 声にならない声が出た。そこまで言って、慌てて口をつぐむ。つい反射的に否定の言葉を口に出してしまったが、なぜ「はいそうです」なんて言って肯定しなかったのだろう。そうすれば、たったの6文字で済んだことなのに。
 内心舌打ちしながら彼らを見れば、予想通りというかなんというか、ますます釈然としないとでも言いたげな表情を浮かべていた。
 ……別にいいか。
 恐れられるのは、疎まれるのは、もう慣れてしまっているのだから。
 “私”が理解されないということは、すでに分かり切っているのだから。
「……私、こちらの世界の食べ物は口にしたことが無いの」
 なるべく刺激をしないよう、出来る限り遠回しにそれを伝える。予想通りというかなんというか、数秒後に彼らの雰囲気が一気に硬くなった。おそらく、裏に隠した意味にすぐ気づいたのだろう。
 見開かれた10の瞳が、私をつんざく。けれども、血は一滴も流れ出すことはない。こんなことで、今更私は傷つかないのだから。
「……なんで、そんなこと……」
 体感時間にして数秒。だが、おそらく実際は1分弱。
 風の音にでもさらわれそうな、問うというよりも己の疑問をそのまま呟いたと形容した方が正しいだろう、わずかな声が絞り出された。私の耳はそれをしっかりと拾い上げる。
 驚きに揺れている目を射止め、おもむろに口を開いた。
「向こうの世界での“食事”という行為は、生命維持のためだけだった。……それ以上でも、それ以下でもなかったの」
 ……私は、“生かされて”いた。
 そう、例えるなら、墓場から無理やり掘り起こされて、“生”を与えられた化け物のように。
 作られたハリボテの体に“命”が植えつけられた、ただの物体のように。
 私にとって“食べる”という行動は、“人工物”が壊れないように、また維持するためのもの、という認識だった。
 ゆえに、“楽しさ”なんてものは微塵も存在していなかった。
「それに、この世界で生死を決めるのは、すべて“数字”。……たとえば、レベル、HP、筋力値、敏捷値……、ね? 全部数字でしょう?」
 考えればすぐ分かることのはずだ。この世界での食事とは、ただ欲求を満たすためだけのものであり、生命に直接関わるものではない。戦況を左右するのは、ステータスと、己の勘と、スキルと、意志と、仲間と――――。他にも要素は色々あるだろうが、“食べる”という行動そのものに意味があるとは思えない。
 まあ唯一関係がありそうなのは、エギルが持ち出してきた“友好関係”だろうが……。そんなものどうとでもなる。そもそも私は、いわゆる“信頼”なんて、そんな薄っぺらく、軽い言葉に重点を置いていないのだ。
「この世界で何かを食べても、何かしらの効果が付いていない限り、これらの数字に何も影響を示さないのよ。……すなわち、必須とされてない“食事”という行為は――――」
 息を深く吸い、一気に吐き出す。


「“無駄”よ」


 岩をも砕くように、冷たく言い放った。彼らは恐れるような、憐れむような色を浮かべる。だが、いち早くそれらを消し去ったエギルが食って掛かるように口を開いた。
「だ、だが、……現実世界に還ったあとのことを考えたら……、とても良い行動とは思えないんだが」
「あなた達にはきっと意味が解らないだろうけど、……向こうの私は、もう死んでいるのよ。今更だわ」
「……は?」
 彼らの顔がますます混乱を極めていく。理解出来ないのだろう。仕方がない。……仕方がないのだ。
 私は、目を細めてエギルを見詰める。そっと、空気に溶け込むように言葉を吐き出した。
「私にとって、ここが現実世界だもの」
 気にするようなことではないじゃないか。
 静かな笑顔を作った。だが、瞳はよほど冷たい色をしているのだろう。エギルをはじめとした男たち全員の体が揺れ、動きを完全に止めた。
 それを見て、なるべく雰囲気が緩まるように気をまわし、口元を笑みの形に保ち続ける。
 ……この反応が、正しいものなのだ。きっと。
 私は、常人ではないのだから。
 それは、この世界が形を変えた瞬間に、明らかだっただろう。
 ――――あぁ、やっぱり、狂っているのは私。
 世界でも、他のプレイヤーでもない。たった一体紛れ込んだ化け物の私が、狂っているのだ。
「……もし、パーティを組む気が変わっていないのなら……、明日、さっきの広場で待っているわ」
 返事は待たずに背を向けた。腰下まである髪が揺れたのが自分でもわかる。
 しかし、そのまま迷わず足を踏み出し、人混みをかき分けながら進んだ。ちらりと後ろを見ても、すでに色とりどりの装備をつけた人々で壁が出来ていて、もはや今居た場所を視界に入れることすら叶わない。
「たぶん、来ないでしょうね」
 誰からも返事が来るはずがないつぶやきは、人々の喧騒にかき消された。私自身も聞こえなかった程、きれいに。
 仕方がない。これが当然なのだ。異物が奇異に映るのは、ヒトとしての当然の防衛反応だ。
 自然と歩むスピードが速くなる。人が密集している所為なのか、嫌に息苦しかった。早く、はやく、空気を吸いたい。焦れる気持ちを宥めながら、知らず知らずのうちに足元を見ていた顔を上げた。
「……ぁ」
 瞬間、冷たい電流が駆け抜けた。うるさいほどの周りの音が、急速に遠くなる。
 ――――黒いコートに、黒いインナー。風になびく少し長めの漆黒の髪。同じ色をしているどこか憂いを帯びた瞳。
 見紛うはずもない、かつて“兄”と呼んでいた存在。







 焦燥。


 腹の底から湧き上がるそれだけに、突き動かされた。
 体を無理やりに方向転換する。その際、真後ろにいた男に体がぶつかった。咎めるような刺す視線をちょうだいするが、そんなもの構わない。
 人垣を抜けた。
 それでも走る。ただひたすらに、走る。
 後ろは振りかえられない。もう大丈夫だと思っていても、体はそれを呑み込んではくれない。
 背中に、何かがぴったりと張り付いているから。
「……っ!」
 嫌だ。
 嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ――――……。
 ぐるぐると渦巻く言葉。どろどろに溶けて、もう何の色だったかはわからない程どす黒くなって、底へ底へと沈んでいく。
 奈落にいくら積み重なっても、あふれることはない。だが、同時に、苦しさも吹き出すことはなく、体の中を掻き乱す。
 ……あぁ、それでも。
 あの誓いを守るためには、仕方がないことなのだ。これは、自らへの戒めだから。
 肉に食い込み、赤黒い血液が流れ出続けるように手足につけた枷なのだから。
「は、……あ、うっ、ぁ、……っ」
 自分の吐き出す乱れた息が、やけに大きく頭の中に響いていた。







 ここはどこだろう。

 靄がかかっていた意識がはっきりした時、真っ先にそう思った。
 どうやら、闇雲に走っていた所為で、知らない路地裏へ入り込んでしまったようだ。けれど、人々のざわめきは遠くに聞こえているので、少し歩けば主街道に出られるだろう。
 鼓動を収めながらそう結論付け、マップを開こうと右手を縦に振ったとき――――、
「ねえ、ちょっと。大丈夫?」
 背後から響いた男の声にビクリと肩がはねる。けれど、耳に馴染んだその優しい声音に、不覚にも何かが溢れそうになった。
 緩慢な動作で後ろを振り返り、神々しく輝く夕日のせいで逆光となっている人影を見詰めながら、零すまいと必死に“私”を押さえつけた。
 
 

 
後書き
 お久しぶりです。更新が遅れてしまい申し訳ありません……と色々謝りたいことはたくさんあるのですが、色々お知らせすることがあるので少し駆け足でいきたいと思います。

●自サイトについて
 挿絵なしバージョンを公開していたサイト(//skyblue-cavalier.jimdo.com)は閉鎖いたしました。
 代わりに、修正前のバージョンを公開するサイトを新規に開設いたしました。
 「出来るだけ黒蝶の最初の姿を再現する」という目的で作ってあり、今までに差し替えられて削除することになった挿絵も、この≪初期版≫では復活しています。
 ただ、文章をコピペするだけなのですが時間を取られてしまうのは確かなので、本編の修正及び更新を優先していきたいと思います。
サイト名:空色のパズルピース
URL://ellie-k.wix.com/black-butterfly
パスワード:momi


●方針の変更について
 まず0章(過去篇)について。
 修正に入る前は二つに分けると言いましたが、分けずに過去篇を終わらせようと思います。また、予定していたエピソード数を減らし、書けなかったものを番外編へまわします。
 それに伴い、過去編に入るタイミングを《哀愁の虹》終了後ではなく、もう少し後のエピソードが終わってからにします。
 次に本編についてですが、こちらもプロットで予定していたエピソード数を減らし、ストーリーの本筋以外のものは番外編という形で公開する、という方針へ変えたいと思います。
 ただまあ、こういう方向でいったほうが自由気ままに番外編を更新出来るかなーと思っています。それに、本筋以外のものも時間があれば番外編という形ではなく普通に公開していくつもりではいるので(汗)


●今後の更新予定日 (※全て予約投稿済)
6月13日 第4話(新エピソード前編)

6月16日 第5話(新エピソード後編)

6月19日 第6話(旧第4話)

6月22日 第7話(旧第4話)

6月25日 第8話(旧第4話)

6月28日 第9話(旧第5話)

7月1日 第10話(旧第5話)

7月4日 番外編1(新エピソード)

※18時投稿予定ですが、何らかの問題があった場合遅れる可能性があります。
※本編8話+番外編1話(うち新エピソードは3話)
※新規イラスト:計5枚、削除イラスト:計3枚、変更なし:計4枚。


 お知らせは以上です。
 

 ☆誤字脱字等、何か気付いたことがありましたら、教えていただけると嬉しいです。
 
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